堤俊輔
堤 俊輔(つつみ しゅんすけ、1987年(昭和62年)6月8日 - )は、埼玉県新座市出身のサッカー選手。ポジションは左サイドバック、センターバック。私立浦和実業学園高校卒業。
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名前 | ||||||
カタカナ | ツツミ シュンスケ | |||||
ラテン文字 | TSUTSUMI Shunsuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1987年6月8日(38歳) | |||||
出身地 | 埼玉県新座市 | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 栃木SC | |||||
ポジション | DF (LSB、CB) | |||||
背番号 | 29 | |||||
利き足 | 右 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2006- 2010 2011- |
浦和レッズ →ロアッソ熊本(loan) →栃木SC(loan) |
19 (0) 18 (0) 0 (0) | ||||
代表歴 | ||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2011年7月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
中学生・高校生年代では、浦和レッズジュニアユース、ユースに所属。2005年の8月に2種登録選手としてトップチームに登録され[1]、以後のトップチームへの帯同を経て、翌2006年、西澤代志也、小池純輝とともにトップチームに昇格した[2]。また、宇賀神友弥もユース時代の同期。
2006年はU-19代表に招集され、AFCユース選手権に出場したものの、浦和では公式戦で使われるどころかサブにも入れない日が続いた。その後天皇杯でベンチ入りし、優勝の瞬間を間近に見ることができた。翌2007年シーズン、トップでの試合経験がないことを理由にU-20ワールドカップメンバー入りを逃したが、同時期に行われたA3カップ、山東魯能戦で公式戦初出場。また、ナビスコカップ1回戦ガンバ大阪戦で国内戦デビューを果たした。
2008年、オジェック監督解任後に発足したエンゲルス体制において、第3節のアルビレックス新潟戦でリーグ戦初出場すると、チームのリーグ戦初勝利に貢献し、坪井慶介に変わりレギュラーに定着。ユース出身選手初となるA契約を締結した。
同年5月1日、大原サッカー場近くで自動車を運転中にバイクと接触事故を起こした。双方とも怪我はなかったが、チームではオジェック監督(当時)、内舘秀樹に続いて3件目であり、チームから厳重注意処分を受けた。
2008年シーズン終盤、トレーニング中に左ひざ前十字じん帯断裂の重傷を負い、シーズン終了後に手術を受けた。フォルカー・フィンケ新監督から「堤がいるので補強を見送った」と言われるほど[3]左サイドバックとして高い期待を受けたものの、新しい靭帯が上手く適合せず再手術となってしまい、2009年シーズン中の復帰は絶望的と言われていたが、10月下旬よりトレーニングに部分合流。11月からはほぼ全てのトレーニングに合流し、練習試合にも出場できるまで回復した。
2010年2月20日に行われたプレシーズンマッチ、対徳島ヴォルティス戦で左サイドバックとして先発出場。久々に実戦復帰を果たし、シーズン開始後はリーグ戦とカップ戦、それぞれ1試合に出場。しかし、長期離脱した影響で試合勘が戻っておらず低調なパフォーマンスに終始し、その後は出場機会に恵まれず、同年6月よりロアッソ熊本に期限付き移籍した[4]。熊本では移籍直後からDF市村篤司の故障もあり、主力選手として活躍し、熊本の躍進に貢献した。
シーズン終了後の2010年12月8日、2011年から浦和へ復帰することが発表された[5]。だが2011年は1試合に出場することもなく、7月14日に栃木SCへ期限付き移籍する事が発表された[6][7]。
同年12月2日、浦和から契約満了に伴い来シーズンの契約を更新しないことが発表された。
評価・エピソード
所属クラブ
- ユース経歴
- 新座たけしのキッカーズ
- 2000年 - 2002年 浦和レッドダイヤモンズジュニアユース
- 2003年 - 2005年 浦和レッダイヤモンズユース (浦和実業学園高校)
- 2005年 浦和レッドダイヤモンズ (2種登録選手)
- プロ経歴
- 2006年 - 2011年 浦和レッドダイヤモンズ
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 浦和 | 36 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2006 | 浦和 | 36 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2007 | 浦和 | 12 | J1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
2008 | 浦和 | 12 | J1 | 18 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 24 | 0 |
2009 | 浦和 | 12 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2010 | 浦和 | 12 | J1 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | 2 | 0 | |
熊本 | 19 | J2 | 18 | 0 | - | 2 | 0 | 20 | 0 | ||
2011 | 浦和 | 19 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
栃木 | 29 | J2 | 5 | 0 | - | 1 | 0 | 6 | 0 | ||
通算 | 日本 | J1 | 19 | 0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | |
日本 | J2 | 23 | 0 | - | 3 | 0 | 26 | 0 | |||
総通算 | 42 | 0 | 8 | 0 | 4 | 0 | 54 | 0 |
- 2005年は、ユース所属
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国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2008 | 浦和 | 12 | 1 | 0 |
通算 | AFC | 1 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2007年
- A3チャンピオンズカップ 1試合0得点
経歴
代表歴
- U-19代表
- 2006年AFCユース選手権
関連項目
外部リンク
脚注・出典
- ^ レッズユース3選手を、Jリーグ出場可能選手として登録
- ^ 新加入選手、内定のお知らせ
- ^ Jリーグ第3節前日 フィンケ監督
- ^ 堤 俊輔選手、浦和レッズより期限付き移籍加入のお知らせ - ロアッソ熊本公式サイト 2010年6月13日閲覧
- ^ 堤俊輔、期限付き移籍から復帰
- ^ “堤 俊輔、栃木SCに期限付き移籍”. 浦和レッドダイヤモンズ. (2011年7月14日) 2011年7月16日閲覧。
- ^ 堤俊輔選手期限付き移籍加入のお知らせ - 栃木SC公式サイト 2011年7月14日閲覧
- ^ 利き腕は左である。野球は左投げ、食事の際は箸を左手で持つ。(小齋秀樹著「浦和レッズ敗戦記」81ページより)
- ^ フィンケ監督、記者会見 |浦和レッドダイヤモンズ公式サイト