今沢義雄

日本の軍人 (1858-1941)

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今澤 義雄(いまさわ よしお、1858年安政5年10月) - 1941年12月5日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

愛知県岡崎藩)出身。1881年(明治14年)12月、工兵少尉任官。1881年(明治15年)2月、陸軍士官学校(旧4期)工兵科を卒業。

1902年(明治34年)10月、工兵中佐に昇進し陸軍技術審査部審査官に就任。日露戦争開戦に伴い、1904年(明治37年)5月、第3軍攻城工兵廠長として出征。旅順攻囲戦手榴弾迫撃砲転送防楯などを開発。1905年(明治38年)3月、陸軍大佐に進級し工兵部長に就任。

1906年(明治39年)1月、陸軍技術審査部審査官に復帰。

1910年(明治43年)11月、陸軍少将に進み、予備役に編入された。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。