強制連行
強制連行(きょうせいれんこう)とは、本人の意思とは無関係に連れ去ること。
概要
第二次世界大戦中、日本が労働力確保のために植民地や占領地から人々を動員した際、強制的・暴力的な事例の存在が指摘され、この言葉が用いられるようになった。1980年代以降の日本において、マスメディア現代史に関する論争などで使われる場合が多い。
この「強制連行」問題は、近年、戦後補償問題として取り上げられるケースがある。日本国内の市民運動による告発[1]やマスメディアの報道により、1990年代には戦後補償問題として提起された。これが波及して、韓国や中国なども言及し始めた。時を同じくして、この問題は日本の左右両派の間で論争の的となっていた。右派は、その事実関係および左派の意図を疑問視しており、政治的な争いになっている。
外務省の発表によると、戦時中に日本に渡航しその後日本に残っていた朝鮮人登録者61万人のうち徴用により来日した者は245人で、全員が「自由意志により日本に残留した」としている[2]。この発表に対して韓国側は「当時の朝鮮半島の情勢(が悪かったため)で(意思をもって日本に残ることが)仕方なかった」と主張している[3]。
また韓国側は、日本政府が摘発した韓国人密入国者や犯罪者の送還を拒否するとともに日本の国内で釈放・居住させるよう要求していた[4]。
ロシア国立軍事公文書館の資料によると、ソビエト連邦は第二次世界大戦で日本が降伏すると約76万人の日本人をシベリアなどソビエト各地に連行し、強制労働させたことが明らかになっている[5]。また、第二次世界大戦終結後、中国に残留していた日本人のなかには中国共産党によって中華民国政府との戦争や技術取得のために強制的に連行された者もあった[6]。連行された者には小学生[7]や女子高校生のような10代の若者もおり、数年間に渡って戦争の支援をさせられた[6]。
チベット亡命政府や大紀元は、チベット人僧侶やダライ・ラマ14世を支持する者が中国共産党によって「強制連行」され続けていると継続的に訴えている[8][9]。
広義の強制連行
広義の強制連行とは従軍慰安婦問題を巡る議論において用いられた言葉。
慰安婦問題の論点の一つとして、日本国が軍の慰安婦とするために朝鮮半島から女性を強制連行したか否かを巡り議論となった。その際、吉見義明らは「狭義の強制連行」「広義の強制連行」という言葉を使って説明を試みた。吉見は、人狩りのようなケースを「狭義の強制連行」、(就職)詐欺などのケースを「広義の強制連行」と分類し、この分類は日本に戦争責任があるとする立場では標準的な説となっているが、これらの行為が行政行為であったかについては懐疑的な見方も多い。
世界でも一般的に行われている「徴兵」「徴用」という正式な行政用語があるにもかかわらず、行政用語でない強制連行という用語を用いるのは印象操作」として、強制連行という用語の使用自体を批判する声もある。
センター入試の出題
2004年の大学入試センター試験の世界史B第1問の問5で、『日本統治下の朝鮮で、第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた。』を正しい選択肢とする出題が行われた[10]。
これに対して、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会は、北朝鮮の根拠のない主張に通じる出題をしたとして採点から削除するよう要求し[11]、また新しい歴史教科書をつくる会[12]が、①戦時中に強制連行を指令した文書を示せ②強制連行は全部の教科書にのってはいないはず、との質問をしたが、大学入試センター側は「①入試問題は教科書に準拠して作成するが、当センターでは史実に基づいているかどうかは検討していない②すべての教科書に載っていることだけをもとに試験問題をつくることは不可能。多くの教科書に記載されていれば出題してかまわない」と回答した[13]。
受験生の中には「第二次大戦当時の言葉としてはなかった朝鮮人の『強制連行』が、確定的史実として出題され思想の自由を奪われた」として、大学入試センターに対し、この問題を採点から除くことを求める仮処分命令申し立てを東京地方裁判所に行なった者も出た[14]。なお請求は2005年10月2日、棄却決定が出ている(つくる会のサイトには未掲示)[15]。
2004年2月26日、文部科学省高等教育局は自由民主党の議員連盟・日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会の総会にて、問題作成者の氏名を公表する方針を示した[16]。史学会は反対した[17]が、問題出題者が自らネット上を含めて論文などを発表した[18][19]。
広辞苑の記載
広辞苑には、4版以後で朝鮮人強制連行と従軍慰安婦に関する記載がある[20]。
- 4版(1991年1月)
- 【在日朝鮮人】第二次世界大戦前の日本の朝鮮支配の結果、日本に渡航したり、戦時中に労働力として強制連行され、戦後の南北朝鮮の分断、持ち帰り資産の制限などにより日本に残留せざるをえなくなった朝鮮人とその子孫。(5版,6版もほぼ同一)
- 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄などに強制的に連行し労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
- 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍将兵の性的慰安のために従軍させられた女性。
- 5版(1998年11月)
- 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
- 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性。
- 6版(2008年1月)
- 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の慰安婦とされた。
- 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。植民地・占領地出身の女性も多く含まれていた。
5版と6版との間の変化をみると、強制連行に関しては「従軍慰安婦」が「慰安婦」に変わるという変化がある。
在日韓国・朝鮮人と強制連行
脚註
- ^ 朝鮮での従軍慰安婦の強制連行について、作り話を出版する者(吉田清治)もいた。
- ^ “在日朝鮮人、戦時徴用わずか245人”. 産経新聞. 11 March 2010. 2010年3月13日閲覧.[リンク切れ]
- ^ “「日本居住の強制徴用は245人」、産経新聞の報道に懸念-韓国”. サーチナ. 12 March 2010. 2010年3月12日閲覧.
- ^ “第023回国会 衆議院法務委員会 第3号”. 衆議院 (1950年12月8日). 2010年3月12日閲覧。
- ^ “シベリア抑留、露に76万人分の資料 軍事公文書館でカード発見”. 産経新聞. 24 July 2009. 2010年3月13日閲覧.[リンク切れ]
- ^ a b “第008回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第11号”. 衆議院. 国立国会図書館 (1950年10月31日). 2010年9月29日閲覧。
- ^ 佐藤和明 (1998-01). 少年は見た 通化事件の真実. 新評論. pp. 171-172. ISBN 4794803869
- ^ 2009年3月12日 大紀元日本 自由アジア放送(RFA)チベット事件一周年前、2寺院の僧侶らを連行=青海省
- ^ 2007年8月6日 大紀元日本中国四川省:ダライ・ラマ14世の帰国を呼びかけたチベット人、強制連行
- ^ 2004年 センター入試 世界史B
- ^ 大学入試センター「朝鮮人強制連行」出題に関する声明救う会全国協議会ニュース 2004.01.25
- ^ 大学入試センター試験問題新しい歴史教科書をつくる会
- ^ 2004年2月2日 産経新聞
- ^ 2004年2月4日 産経新聞
- ^ センター試験訴訟:請求棄却きょういくブログ
- ^ 大学入試センター試験問題>平成16年2月27日新しい歴史教科書をつくる会
- ^ センター試験財団法人 史学会
- ^ 朝鮮人強制連行―その概念と史料から見た実態をめぐって―[1]
- ^ 朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味 - 一橋大学非常勤講師 外村大
- ^ 新井佐和子:『広辞苑』が載せた「朝鮮人強制連行」のウソ。正論(1998/5)pp46-53