万谷章
万谷 章(まんたに あきら、1943年11月19日 - )は岡山支部所属の競艇選手である。登録番号は1710、登録期は13期。身長156cm、血液型はO型。
略歴
- (2012年前期現在、13期で現役なのは万谷選手のみである。)
- SG・GIで優勝がないまま43年が過ぎたが、2006年のG1第7回競艇名人戦競走(尼崎競艇場)でGI初優勝。62歳5ヶ月でのGI初優勝となった。
- 2007年、名人戦2連覇がかかっていたが、フライング休みにより斡旋されなかった。
- 2007年現在、優勝回数は99回。
- 唯一のSGの優出は1992年10月に平和島競艇場で行われた全日本選手権競走。5号艇で3コース進入、5着。優勝は史上最年少SG優勝を果たした服部幸男。14年後、万谷は史上最年長GI優勝を果たす事となった。
- 2007年の総理大臣杯競走に出場し、63歳4か月のSG最年長出場記録者となった。(従来の記録は加藤峻二の62歳5か月)
- 2009年5月22日、通算2700勝達成(現役勝利数2位、歴代10人目)。
- 2010年11月14日、若松競艇場での「ビッグベアーズカップ」で最年長優出記録(66歳11ヶ月)を更新(2位は8月11日に自身が更新した66歳9ヶ月)。
人物、エピソード
- 岡山支部には「イーグル会」をはじめ有力プロペラグループが多いが、万谷はずっと1人でプロペラをやっている。しかし一匹狼と言うわけではなく、名人戦優勝の際、岡山支部の選手を筆頭に数多くの選手が水神祭に参加した。しかし実は泳げず、しかも4月とは言え冷え込んでいたので当初、水神祭は行う予定がなかったが、長嶺豊が音頭をとり水神祭は行われた。
- 宮島で行われたモーターボート大賞の優勝戦でフライングをした時、その後1年ほど控え室に返還額が貼られて非常に気まずい思いをした。
- 当時艇王と呼ばれた彦坂郁雄の最後に出走したレースで1着を獲ったのは万谷だった。彦坂はそのまま整備違反で引退。
- 名人戦優勝により2007年の平和島競艇場で開催のSG総理大臣杯競走の出走権を得て、63歳で出場。周囲は「ゴンロク(5着、6着)を並べるのでは」との不安をよそに3着3本と健闘した。
- 総理大臣杯競走時、ヘルメットには孫2人からの直筆のメッセージが書かれていた。