不動禅少林寺流拳法
不動禅少林寺流拳法(ふどうぜんしょうりんじりゅうけんぽう)は、日本の武道、武術の一つ。正式には日本古伝正法不動禅少林寺流拳法と言う。
嵩山少林寺より達磨伝少林拳の流れを汲むと当流派は称している。現在の中国少林拳(少林拳系統の武術)とは異なり、また、宗道臣が創始した金剛禅少林寺拳法とは名称は似ているが、別系統の武術である[1]。
沿革
始祖は福井県の曹洞宗総本山永平寺の禅僧大智禅師と当流派は自称している。彼は1312年中国へと渡り嵩山少林寺にて十数年修行を積んだ後帰国、九州の肥後国(現在の熊本県)において菊池氏の庇護の下、禅とともに少林武術を広めた。以降は達磨伝少林寺拳法として伝承されたとする。[2]ただし演武会等においては、拳法不動流と称した時期もあり、名称は一定ではなかった。
その後1941年に、第31代西雲天光より第32代霊雲臥龍(種川臥龍)に引き継がれる際に名称を不動禅少林寺拳法と変更する。
この名称について、金剛禅少林寺拳法側から不正競争防止法に基づいた訴えを起こされ、1985年最高裁で金剛禅側の請求が棄却されるが、双方和解のうえ名称に流を挟むようになった[3]。
霊雲臥龍の死後、33代目は堀後康龍が継承したとされるが、この継承問題が古き伝統の不動禅少林寺流拳法が分裂分派の要因の一つになったと思われる。
不動禅から別派した著名なものとしては、奥旨塾-太道(おうしじゅく-たいどう)などがある。
系図
大智禅師-禅古-紹遠-秀香-了好-慧英-慧廉-慧納-令峻-慶喜-志願-等繊-宗育-梵清-正了-了達-單山龍海-仙岳祖龍-了仙-峻慧-岳禅-慧蘭尼(慧達)-大龍岳禅-龍虎岳-嚴慎-芳嚴-了慶-雲岳蔭龍-大仙祖徹-大忍茲観-西雲天光-霊雲臥龍
特徴
紋章は「卍に丸、四剣八辯」である。その意味は、
- 卍:父母より授かりし智慧を磨き、慈悲の心を知りて、徳生(道徳心)を育て、円満の心を養う。
- 剣:降魔利剣。人を切るに非ず、自を害し他を害し自他を害なう思いになり、苦しみ悩み味わなければならね元となる三毒即ち、貪欲、瞋恚、愚痴を切り棄てよとの教えを表す。
- 丸:丸は円満を表し、そのためには八正道を踏まなければならない。
- 八辯:三毒より生じた身、口、意の諸々の苦しみに永遠に果てることのない悩み、煩悩から抜け出す八正道を示すもの。
技法内容としては突き、蹴り、逆技等や武器術(トンファー、サイ等の沖縄や中国由来の武器や剣術等)を含む。
不動禅少林寺流拳法の34回・35回全国大会にて33代目、堀後康龍がテレビで同流派の全国大会を公開した。
流れを汲む流派
不動禅少林寺流拳法から派生した流派としては次のものがある。
※注 武備志拳法は分裂し2流派になっている。
外部リンク
脚注
- ^ 不動禅少林寺流拳法は、空手道の小林流 (空手道)、少林寺流(仲里常延開祖)、少林寺流空手道錬心舘(保勇開祖)とは関係が無い。金剛禅少林寺拳法も空手道とは別の武術であるとしている
- ^ 以上のような少林武術の記録は当流派の伝承以外に存在していないようである。肥後では江戸期~明治にかけて肥後やわら所とまで呼ばれ多くの柔術流派が隆盛し、多くの武術関連の文献が残り、武道史の研究書籍等もいくつかあるが、当流派の記録は無いようである。参考:肥後武道史 復刻版 昭和49年5月 熊本県体育協会 青潮社
- ^ 昭和48年(ワ)1491号(大阪地方裁判所)、昭和55年(ネ)516号(大阪高等裁判所)。共に訴訟類型は民事訴訟、権利種別は不正競争。