海人

海に潜って貝類や海藻を採集する漁を職業とする人

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海人(あま)は、に潜って貝類海藻を採集するを(専業あるいは兼業で)職業とする人。古くは漁師全般を指していた。

海女

表記

男性の海人を「海士」、女性の海人を「海女」と区別して記されることがあるが、いずれも「あま」と呼ばれる[1]。海士を一文字にした「塰」という和製漢字(合字)があり、鹿児島県種子島の塰泊(あまどまり)という地名に用いられている。

中国水上生活者を意味する「」(たん)、「蜑家」、「蜑女」という表記を用いて、「あま」と読む例が近世の文書に見られる。例えば、『南総里見八犬伝』に、「蜑家舟」と書いて「あまぶね」と読む語が登場する。

その他、「海人」と書いて、うみんちゅ(沖縄方言)、かいと(静岡県伊豆地方など)と読む場合もある。

大韓民国では済州島などに「海女(ヘニョ)」と呼ばれる女性を中心とした海人がいる。

歴史

最古の記録は『魏志倭人伝』にあり、海中へと潜り好んで魚や鮑を捕るとある。また、神奈川県三浦市毘沙門洞穴遺跡より、1世紀前後と見られる鹿の角でできたアワビオコシと見られる遺物が見つかっている。

万葉集』などで、讃岐国伊勢国志摩国などで潜水を行う海人の記述が確認できる。筑前国などでは白水郎と記されている。このことから、中国・四国地方より東では潜水する海人を海人と呼び、九州地方では白水郎と呼んでいたことが伺える。

『万葉集』では真珠などを採取するために潜ることをかずくかづくかずきなどと呼ぶ。現在これらの表現する地方は、伊豆、志摩、及び徳島の一部の海女であり、房総ではもぐる[2]、四国では、むぐる、九州ではすむと呼ぶ。

大正時代まで、磯手ぬぐいを除き、様相は一般の海女とは殆ど差違がない。現在、これらの多くは「海人着」と呼ばれる全身を覆う白い服を着て漁をする。ウェットスーツが普及した後もその上から磯着を着ることもある。

「第1回海女フォーラム」に参加した海女がいる地域

2009年平成21年)10月3日三重県鳥羽市にて「日本列島 "海女さん" 大集合 - 海女フォーラム・第1回鳥羽大会」が初開催され、集まった日本10地域[3]韓国済州島の海女らが「無形世界遺産」登録を目指す大会アピールを採択した[4]。なお、現在ダイビング器材を使用せずに素潜りで伝統的に海女漁が行われているのは、世界中で日本と韓国のみである[5]

海人を主題とした日本の文学作品として、殷富門院大輔の「見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず」(百人一首90番、『千載集』所載)、の「海人」や三島由紀夫の「潮騒」が著名である。

漁法など

海女船

一般には小型の木造船舶である。舟には海女の体を温めるため、専用の囲炉裏が設けられている。一般の小型船舶はプラスチック船になりつつあるが、囲炉裏の設置が困難であるため海女船は今も木造船が多い。

夫婦海女

地方によっては男女海女(ととかかあま)とも記されている。夫婦で漁を行う。この際、夫が命綱を担当し、妻が潜水を行う。潜水する際に分銅と呼ばれるの付いた綱を潜り手が持ち、その落下により急速に潜る。また反対に、上がる際にもこの綱をもち、夫が綱を引き上げる。この作業のために滑車を備える船がある。浮上を補助されれば自力で浮上する場合と比較し、短時間で多くの潜水回数をこなしたり、深い場所に潜ることができる。『枕草子』における海女の記述はこの海女を指す。

舟人海女

舟人(ふなど)海女は、磯桶を各々の海女が持ち、舟を使い集団で漁場に赴く。漁場までの距離が長い場合などに行われる。

徒人海女

徒人(かちど)海女は、舟人海女同様、磯桶を各々の海女が持ち漁場に赴く。磯桶を浮きの代わりに用いたので「桶海女」と呼ぶところもある[6]。一般に海女のイメージが定着しているのはこの海女である。

漁期

海女の作業期間は、資源保護を目的にして県の規則や漁協の取り決めにより、漁村ごとに漁期が異なっている。

アワビ
春から夏頃。各漁協が 3月中旬から9月14日の間で解禁を決定し、9月15日から12月31日の間は県規則によって禁止されている。
サザエ
春から夏頃。県規則による規制は無いが、漁協が決めている。海女の漁期に合わせることが多い。
イセエビ
秋、冬、春先まで。各漁協が10月1日から4月の間で解禁を決めている。県規則は5月1日から9月30日の間は禁止となっている。
ナマコ
11月から2月頃まで。県規則による規制は無いが、漁協独自に規制している。
ワカメ
12月から3月まで。(各漁協が毎年定めている)
アラメテングサウニ
7月から8月まで。(各漁協が毎年定めている)

海女の服

白の磯着

  • 明治初期または大正のころまでは、上半身裸姿に、腰には木綿の布磯ナカネという)[7]を巻き付け、頭髪は頭頂にワラや布でをまとめて結う「磯マゲ」をする者が多かった。三重県の志摩地方では英虞湾などでの真珠養殖を欧米人に見学させる際に上半身裸では問題があるとされ早くから着衣が広まったが、能登地方では1960年ごろまで「サイジ」という独特のふんどしを穿いていた[8]
  • その後、上半身裸という格好が問題となり、一般に知られるような、上半身に磯シャツ(白木綿の上着)を着て、腰には磯ナカネを巻き付ける。中には白のパンツを着用することもある。、白の足袋を履いて白の手袋(軍手)を手にはめた後、頭に白の磯頭巾をかぶったら、磯メガネをして目と鼻を覆い隠す様な格好で海に潜る着衣水泳の格好になった[9]。後にこの恰好が海女さんの作業着としてのイメージが定着し、観光客やマニアの間で人気を集めることとなった。
着替え方は様々であるが、全裸からの白の磯着の着用もあれば、衣服を脱いで白の下着(ショーツブラジャー)の上から着用することもある。磯ナカネはロングスカート状に巻く人もいれば、短めのタイトスカート状にして巻く場合もある。冬場の海に潜る場合に限って、白の下着の上から白の長袖体操服と濃紺のブルマーを着用し、磯シャツ、ナカネを着込むという防寒対策をする場合がある。
  • 1984年昭和59年)の映画人魚伝説」では、女優白都真理(当時25歳)が「佐伯みぎわ」という漁師の夫を殺された海女さん役として主演。海中での作業のシーンでは白の磯シャツ(白木綿の上着の長袖)を着て、腰には白の磯ナカネを短めのタイトスカートのように巻き付け、白の足袋を履いて頭に白の磯頭巾をきちっとかぶったら、白の軍手を両手にしっかりとはめて船に乗り込んだ。海上でゴム製鼻隠し一つメガネタイプの磯メガネを装着し、白の長袖にスカート、靴下に手袋、頭に白の磯頭巾をして磯メガネで両目と鼻を覆い隠し、衣服着用のまま泳ぐ格好で海に潜り、海底の岩場ギリギリまでバタ足や平泳ぎなどをして貝をとったり、もがき苦しんだりしながら演技をこなしていた。
その日の天気は晴れており、昼過ぎに伊勢湾沖の海女船には4、5人の海女が全員、白の磯シャツ(白木綿の上着の長袖)に白の磯ナカネ(短めのタイトスカート)。白の足袋、白の手袋(軍手)、頭に白の磯頭巾をきちっとかぶり、ゴム製鼻隠し一つメガネタイプの磯メガネで両目と鼻、口元を覆い隠し、顔全体を隠す様に装着した格好で乗船していた。海女さん全員の磯メガネは太陽の光によって両目や鼻が見えず鏡のように映し出されているだけでなく口元も見えず、磯メガネで顔全体を覆い隠した状態のまま海女船から一人ずつ下を向きながら次々と水深5〜6mの冷たい次々と海に飛び込んでいった。飛び込んだ後は全身びしょ濡れになり、海中では水温が低い中で両脚だけでなく白の磯着に包まれた胴体両腕、白の磯頭巾に覆われた頭部まで海水で冷やされ、冬場の海上の風の寒さと海中の水の冷たさをこらえながら一生懸命潜って作業を行なっている様子が放送されていた。
  • 海女の大半が農業との兼業で現在50才から60才代約400人が活躍している千葉県白浜町では全員、白の磯シャツ(白木綿の上着の長袖)に白の磯ナカネ(短めのタイトスカート)または白の磯パンツ(ハーパン状のスパッツのようなもの)。白の足袋、白の手袋(軍手)、頭に白の磯頭巾をきちっとかぶり、磯メガネで両目と鼻を覆い隠す様に装着した格好で、冷たい海に入って、寒さをこらえながら潜って作業を行なっていた。
  • 鳥羽市菅島の祭会場であるしろんご浜で行われる『しろんご祭』では、海女の他に地元の小学生も参加している。服装は、小学校指定の体操着の上に白の磯ナカネを巻き白の磯シャツを着こむ。前半は踊りながら会場を大いに盛り上げ、後半は白の磯頭巾をして磯メガネをして桶を担いで海に出る。体操着着用のまま海に潜ってサザエを獲ったりしていた。
  • 1957年6月15日に松竹映画禁男の砂」に出演した鳥羽の本物の海女さんが映画の宣伝を兼ねて堂島川に飛び込みアワビ取りの実演を披露したこともあり、橋の上や両岸には黒山の見物人であふれかえっていた。その様子が大阪市北区中之島の水晶橋下で撮影された。
  • 現在は、海女の実演として着用されているが、昔ながらの白い磯着の海女の潜水ショーがみられるのはミキモト真珠島だけとなっている。

北限の海女

  • 地域によっては岩手県久慈市の「北限の海女」の様に、かすりはんてん[10]赤い帯フゴミと呼ばれる袴(白の短パン)に着替え、白の足袋を履いて白の手袋をした後に、頭に手ぬぐいをした後に磯メガネをして海に潜るところもある。
潜水作業が終わり海から上がった後にフゴミの下に穿いている下着のラインが浮き出ることがあり、近年では黒のスパッツを着用することもある。
現在でも生脚で潜水作業を行っているが、水温の冷たさだけでなく岩場で知らず知らずに素肌を傷つけてしまうことが多い為、その対策として寒さと岩場での擦り傷から守るためにUV加工の「無地パンスト」を履いて作業を行うことが採用された。採用後は、白の下着の上から無地のパンティーストッキングを履いて、フゴミと呼ばれる袴(白の短パン)を履いたら、紺のかすりはんてんを着て赤い帯できっちり締める。手にはダイビング用グローブをはめたら、パンストの上から白の足袋をつけて、頭に手ぬぐいをした服装に着替える。素潜り作業(素潜り漁実演も含めて)は、水中メガネ(あるいはダイビングマスク)を装着し、さらにウニの採捕道具のソエカギ(磯カギ)を持ち、採捕したウニを入れるヤツカリ(腰につける網の袋)を着けて冷たい海に入って全身びしょ濡れになりながら素潜り作業を行っている。
  • 2007年(平成19年)8月5日、小袖漁港で開かれた【北限の海女フェスティバル】にIBC岩手放送奥村奈穂美アナウンサーが『北限の海女クラブ』と一緒にフゴミ(白の短パン)を履き、紺のかすりはんてんを着て赤い帯で締め、白手袋(軍手)と白足袋を付けて、頭に手ぬぐいをした後に水中メガネ(スイムマスク)を装着。さらに、ウニの採捕道具のソエカギ(磯カギ)を持ち、採捕したウニを入れるヤツカリ(腰につける網の袋)を着けて冷たい海に潜って全身びしょ濡れになりながら素潜り作業を行い、ウニを取るなど必死に頑張っている様子が8月11日(土)9時25分放送のIBC「じゃじゃじゃTV」で紹介された。
後に2007年9月頃に放送された『めざましどようび』(フジテレビ系列)のコーナー「めざカルチャ★」。「東北・三陸"秋の魚"旅 北限の海女体験」の中でリポーター山縣苑子も潜水作業を体験する為にフゴミ(白の短パン)を履き、紺のかすりはんてんを着て赤い帯で締め、白手袋(軍手)と白足袋を付けて、頭に手ぬぐいをした後に水中メガネ(スイムマスク)を装着。さらに、ウニの採捕道具のソエカギ(磯カギ)を持ち、採捕したウニを入れるヤツカリ(腰につける網の袋)を着けて冷たい海に潜って全身びしょ濡れになりながら素潜り作業を行い、ウニを取るなど必死に頑張っている様子がVTRで放送された。
  • 2009年(平成21年)に入り、大向美咲小袖妃香理が紹介され、海女が大きく注目された。海女シーズンがオフになる時期は地元の水族館でPR活動を兼ね、働いていたが、大向はその後、引退した。
観光PRや物産展などのイベントがある時は、白の下着の上からベージュのパンティーストッキングを履いて、フゴミと呼ばれる袴(白の短パン)を履いたら、紺のかすりはんてんを着て赤い帯できっちり締め、手には白手袋(軍手)をはめたら、パンストの上から白足袋を付けて、頭に手ぬぐいをした服装に着替えて業務を行っている。素潜り作業(素潜り漁実演も含めて)は、水中メガネ(スイムマスク)を装着し、さらにウニの採捕道具のソエカギ(磯カギ)を持ち、採捕したウニを入れるヤツカリ(腰につける網の袋)を着けて冷たい海に入って全身びしょ濡れになりながら素潜り作業を行っている。

壱岐の海女

  • 長崎県離島壱岐)の海女達は夏の終わりまでウニ採りの作業を行っており、壱岐市芦辺町八幡では、『レオタード漁』というのが行われており、レオタード姿で海に潜る海女達の姿を見かけることがある。一般の人はウエットスーツ(防寒着)着用となっているが、海女による乱獲を防ぐ意味で薄着のレオタード(長袖、ハイネック、ローレグ、フロントファスナーまたはバックファスナー)以上は身につけられないこととなっている。本職の海女だけが泳ぐこと・潜ることの許可がでているが、水深15メートルから20メートルより浅いところは禁漁、海に印のが浮かんでおり、その外でしか漁をしていけないなど、細かい決まりがある。

御宿の海女

  • 千葉県御宿町は、三重県の志摩地方、舳倉島とならび『日本の三大海女地帯』のひとつとしてあげられている。御宿の海女たちは、その昔に遭難したスペイン人たちを助けた人情味あふれる心意気を忘れず今に伝えている。日に焼けた顔、逞しく健康美にあふれた体に、紺がすり磯パンツウケ樽など七つ道具を身につけた海女たちは、5月中旬から9月中旬までの4か月間黒潮に潜り、アワビサザエワカメなどを採る。一回の作業(2時間)は”いっぽん”といわれ、このいっぽんを繰り返すのが”ひとっぺり”で、平均で一日にみっぺり(約6時間)ほど働いている。

現在

  • 潜水服が試用されたことがあったが、作業性が悪いなどの理由で普及しなかった。現在は、ウエットスーツ着用で作業を行う海女さんが多いが、乱獲防止のために数などを制限される場合が多い。

番外

  • テレビでも海女さんの作業の様子などが放送されることもあるが、見方次第で大人の女性が白の長袖にスカート、白の靴下に手袋、頭に白の手ぬぐいまたは三角巾で髪全体を覆うようにしてかぶり、水中メガネ(スイムマスク)で両目と鼻を覆い隠して、衣服着用のまま海に潜って寒中水泳を行っているようにも感じ取られてしまうこともある。それを見た女子、女性が白い服を買ってコーディネイトして着こなすこともあれば、それに似たような格好をすることもある。
例としてあげると、
18歳未満の女子は白のブラウスセーターミニスカートハイソックス運動靴または上履き
18歳以上の女性は白のブラウスにセーター、短めのタイトスカートにハイソックス、運動靴または上履き。
大学テニスサークルの女性は、白の襟付長袖トレーニングシャツ(上に白のセーターを着込む)にミニスカート。ハイソックスに運動靴または上履き。
スクールメイツならび番組の女性アシスタントは、白の襟付長袖トレーニングシャツ(上に白のセーターまたは白のトレーナーを着込む)にミニスカート。ハイソックスに運動靴または上履き。
その服装で頭に白の手ぬぐいまたは三角巾で髪全体を覆い隠すようにしてかぶって後ろに縛りつける。水中メガネ(スイムマスク)で両目と鼻を覆い隠したら海女さんに似たような格好となる。
  • テレビでの映し方次第で違うように見受けられてしまうこともある。特に御宿の海女さんの場合は、紺がすり(長袖作業着)に磯パンツ。白の足袋を履いて白の手袋(軍手)を手にはめた後、頭に白の磯頭巾をきちっとかぶり、磯メガネをして目と鼻を覆い隠す様な格好で海に潜って作業を行っている。
頭部と上半身のみしかうつっていないと、農作業を済ませた農家のオバサンが、かすり着物(長袖作業着)にもんぺ、足袋に軍手、頭に手ぬぐいを髪全体を覆い隠すようにしてかぶり、喉元に縛りつけた作業着姿のまま船に乗る。海上で水中メガネ(スイムマスク)を装着したら海に飛び込んで全身びしょ濡れになりながら海中に潜って作業を行うように見えてしまうこともある。
  • 太平洋戦争などの戦時中に日本では有事演習の一環として水泳訓練を行っていた女学校もあり、通常の体育の授業の格好は、膝上10センチほどの濃紺のちょうちんブルマーに白の開襟シャツ、運動足袋、ハチマキまたは白の手ぬぐい。水泳訓練では、当時水着が無かった為に通常の体育の授業の格好と同じ膝上10センチほどの濃紺のちょうちんブルマーに白の開襟シャツ、運動足袋、ハチマキまたは白の手ぬぐいをして全身ずぶ濡れになりながら川や海に潜って泳いでいた。だが、海女さんの作業着として着用されることはなかった。

磯メガネ

潜水用のメガネで、明治20年ごろから使われ始める。

発明されるまでは、スメ(素目)(メクラサグリという)で海に潜り、春から夏場まで潜ると目が真っ赤に充血し、腫れ上がることも頻繁にあった。スメモグリの時期になると、手で海草を掻き分けて、岩の裏や割れ目を探るためにウツボに噛まれて手がささくれるなどの危険が多かった。

海女にとって磯メガネは最大の技術革新でもあり、発明された当時は海が見え過ぎて、獲物を多く獲り過ぎた為に使用禁止にした漁村もいくらかあった。

磯メガネの移り変わり

鼻出し二つメガネ(明治20年代から明治末頃)
最初の磯メガネは、真鍮(すず)で作られ、左右の目をそれぞれ被い、鼻を出すタイプ(ゴーグルのような形)。
この形式は水圧で目が圧迫され痛みがあり、それでも海底で見えすぎて目が回ると言われていた。貝を多く採り過ぎてしまう為、磯メガネの使用を禁止する漁村もいくらかあった。
袋つき二つメガネ(明治末期頃)
鼻だしメガネの欠点であった水圧で目が圧迫されるのを防ぐために、メガネ枠の外側に空気袋をつけて水圧を調整できる形式の磯メガネが使用された。の空気袋を外側に付けた形式のメガネもあった。
鼻出し一つメガネ(大正時代
鼻を外に出し、両目を一括して被うタイプ。当時の磯メガネは、真鍮やスズで作られているために、水圧で金属が顔に押し付けられ痛みがあった。
水圧を調整するために、メガネの端に革袋で被ったゴムの空気袋を付け、ゴム管より空気を吹き込む。
水圧の調整は空気袋の容量による制限があり、さらに深い場所へ潜ることすらできなかった。
ゴム製鼻隠し一つメガネ(城山式) 鼻隠し一つメガネ
真鍮製の鼻隠し一つメガネは、大正末期から昭和初期まで使用され、現在は一般的に両目を一緒に被う「スイムマスク」と呼ばれるタイプの磯メガネが使用されている。
昭和10年代になるとゴム製の鼻隠し一つメガネが登場し、顔への負担の少なく、顔にフィットするようになった。
現在は、老眼や近眼タイプの磯メガネもある。
鼻隠し一つメガネは、メガネ内の空気圧を自分の肺呼吸により調整できる為、さらに深い場所に潜ることができるようになった。

海女の道具

磯ノミ
アワビを岩から剥ぐ(起こすと言う)ときに使用される。
磯ノミは、柄ノミ(エノミ)とカギノミの二種類がある。
柄ノミは手で握るところに木の柄がついている。柄には魔よけの印であるドーマン(九字)・セーマン(五芒星)を彫らなければならない。
カギノミは鉄のヘラ状で、片側がカギ型に作ってある。カギノミはアワビを剥ぐ場合のほか、ウニサザエを岩の間からかき出しやすいという理由で、多く使われている。
磯桶
イソ桶」、「イソモン桶」といい、高さ30~35cm、直径60cm位の大きさで、材質はサワラスギが使われている。
ハンギリと言う直径90cmを超える大きな桶はアラメ刈り等に使用されている。
磯桶はアワビやサザエなどの収穫物を入れるとともに、浮上して息を整えるときの浮き輪の役割も果たしている。
最近では「タンポ」とも呼ばれ、ゴムのチューブ状で、太さ12cm前後、外径60cm前後の輪に、内側いっぱいにスカリ(採取物を入れる袋)を付けたものを使うことが多くなっている。内部にスカリを付けた方法は、収穫した貝類が海水に浸っているため、鮮度が良いのが利点。
さらに、ゴムチューブ発泡スチロール製に変わってきている。
海で使用する場合は、浮き輪の横に50cmくらいの旗を揚げて目印にする。
磯桶は、磯メガネ、磯ノミと共に海女の最も基本的な道具のひとつ。
磯笛
海人が呼吸を整えるときに一度に息を吐き出すため、ヒューという音が出る。これを磯笛と呼ぶ。

トモカズキ (朋潜き・伴潜き)

トモカズキは、海の魔物。または亡霊

海女が自分一人しか潜っていないのに、近くにそっくりな海女が一緒に潜っており、同じような作業をしている。そっくりな海女がニヤリと笑いかけたり、アワビをあげようと誘う行動をとり、うっかりして「ありがとう」と誘いに乗ってアワビをもらってしまうと、そのまま命を取られてしまう。

アワビがたくさんいるところに連ってあげようと、手を引きにきたり、一緒に深い場所に行くと、潜水時間を超えて息が絶え命を落としてしまう。 沖から赤潮が流れてくる時などに海にもぐっていると、同じような海女がもぐっている、蚊帳のようなものを被せてくるともいう。

トモカズキは、海女と身なりは同じでも足が無いとか、鉢巻の尻が長いので見分けがつくともいわれている。

児童向けの大百科のイラスト(挿絵)にも、海女の亡霊のイメージイラストが掲載されていることもあり、薄暗い海中で白の長袖磯シャツに白の磯ナカネ(膝上の短めのタイトスカートを穿いているように巻きつけて)、白の足袋、軍手、頭に白の磯頭巾をかぶり磯メガネ(鼻隠し一つメガネ)で両目と鼻、口を覆うようにして装着した姿で海上へと上がりながら海女さんを襲う様な感じで描かれていた。

育成と高齢化

海女になる人の中には、小学生くらいから年長者に遊びながら潜る訓練を受けており、20歳くらいになると10メートルは潜れるようになり、水圧に負けないための独特の呼吸法を会得していく。しかし漁に出ている現役の海女は日本18都道府県で1978年から2010年の32年間で、約7000人減少しており[11]、2160人となっていることが報告された[12]。激減の要因について石原館長は「藻場が荒れ、海女漁の対象となるアワビやサザエなどの資源の減少が大きな影響を与えている」などと分析している。高知県や新潟県、東京都などでは100人以上存在した海女が0人となった。

脚注

  1. ^ 男性の海士、女性の海女の分布を調査した資料によると、日本の西南部(沖縄県宮崎県鹿児島県)、東北地方岩手県宮城県福島県)から茨城県にかけてはほとんどが海士ばかり、その両地域の中間に海士・海女が併存し、千葉県静岡県三重県福井県石川県福岡県では海女が優勢を示していたという(最上、1977年、154頁)。
  2. ^ 山岡俊明「安房の海女・海士」、森浩一編著、1995年、422頁。
  3. ^ 日本列島“海女さん”大集合 ~海女フォーラム~(鳥羽市)
  4. ^ 海女:「無形世界遺産登録を」三重・鳥羽でフォーラム毎日新聞 2009年10月4日)… 参加した地域:岩手県久慈市小袖海岸千葉県南房総市白浜町石川県輪島市福井県坂井市三国町三重県鳥羽市、三重県志摩市徳島県美波町福岡県宗像市鐘崎長崎県壱岐市熊本県天草市韓国済州島
  5. ^ 済州の海女を紹介する写真、日本で展示へ朝鮮日報日本語版 2009年10月1日)
  6. ^ 野村史隆「志摩の海女」、森浩一編著、1995年、428頁。
  7. ^ のちに磯ナカネはフゴミと呼ばれる木綿の短パンに置き換わっていった。
  8. ^ 田辺悟「舳倉島の海女」、森浩一編著、1995年、426頁。
  9. ^ 白い磯手ぬぐいをしてから、両目と鼻を隠すゴム製鼻隠し一つメガネタイプの磯メガネをして海に潜るところもある。なお、このような海女の白い磯着には、サメ避けの効果もあるといわれる。
  10. ^ かすりはんてんは、他の地域では磯から上がった時の普段着としても用いられることが多かった。
  11. ^ 水産庁が1978年に実施した調査では、26都道県で9134人の海女が確認されている
  12. ^ “海女:高齢化進み激減 「10年後消滅」の懸念も”. 毎日新聞. (2010年12月18日). http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101218k0000m040162000c.html 

関連項目

海女が登場する作品

参考文献

  • 瀬川清子 『海女』、未來社、1970年
  • 最上孝敬 『原始漁法の民俗』、岩崎美術社<民俗民芸双書>、1977年
  • 楠本正 『玄界の漁撈民俗 労働・くらし・海の神々』、海鳥社、1993年 ISBN 4874150454
  • 森浩一編『日本民俗文化体系13 技術と民俗(上)海と山の生活技術史』、小学館、1995年(普及版) ISBN 4093731136
  • 大崎映晋 『人魚たちのいた時代 - 失われゆく海女文化』、成山堂書店、2006年 ISBN 4425947312
  • 森本孝 『舟と港のある風景 日本の漁村・あるくみるきく』、農文協、2006年 ISBN 9784540062391

外部リンク