菅林直樹
日本の実業家
菅林 直樹(すがばやし なおき、1964年7月13日[1] - )は、日本の実業家である。新日本プロレスリング株式会社で代表取締役社長を務めている[2]。
すがばやし なおき 菅林 直樹 | |
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生誕 |
1964年7月13日(61歳) 北海道札幌市 |
国籍 |
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職業 | 新日本プロレスリング代表取締役社長 |
テレビ番組 | 『ワールドプロレスリング』 |
経歴
北海道札幌市出身[1]。元々プロレスファンで、大学在学時に全日本プロレスの宣伝カーで運転助手のアルバイトを始め、プロレス業界に携わるようになる[1]。たまたま新日本プロレスの営業(札幌担当)の人と知り合いになり、プロレス業界入りを決意[3]。大学卒業後すぐに新日本プロレスへ営業担当として入社した。入社後は、営業部長、宣伝・ソフト事業執行役員を経て新日本プロレスがユークス傘下となった2005年12月に副社長に昇格[4][5]。当時社長を務めていたサイモン・ケリー猪木が2007年3月に辞意を表明し退任すると、それに伴い社長代行となり同年4月25日付けで代表取締役社長に就任した[6][7]。2012年1月、ブシロードの子会社となってからは菅林社長直下の経営戦略室を新設。「新規事業やパートナー企業との新商品、海外市場などの開拓を模索していくことになる。」という[8]。
人物
- 営業畑一筋の「背広組」として新日本プロレス経営陣のトップに立った。プロレス業界では「背広組の経営者は成功しない」というジンクスがあり、それについては「知ってます。でも、それは少し勘違いがあるのでは。見てますと『選手よりオレが』というのがあって、そのへんが選手の反感を買った。選手の言う事を聞いてばかりいると傾いてしまうので、微妙なバランスが必要では。あまり出しゃばらず、今の時代に応じた経営をしていけば、ジンクスを打ち破れるのでは」と語っている[9]。
- 金銭面にクリーンで、ユークスの新日本プロレス買収プランの立役者とされる[4][5]。ユークスの谷口行規、ブシロードの木谷高明からの信頼も厚い。
- 坂口征二は、副社長昇格時(2005年)の菅林を「人柄は誠実で温厚、営業部長の時はヤリ手だった。ユークスを(新日本プロレスに)入れた功労者。」と評価している[4][5]。
- プロレスラーとの絡みで『ワールドプロレスリング』に登場することがある。2009年11月は後楽園ホール駐車場で飯塚高史に愛車を壊されたり、TAJIRIから毒霧攻撃を受けるなど受難続きだった[10]。
脚注
- ^ a b c 菅林直樹プロフィール - 菅林直樹カウントダウンブログ「決意!」、2012年7月10日閲覧。
- ^ 会社概要 - 新日本プロレスリング公式HP、2012年7月10日閲覧。
- ^ 営業担当からは月給30万円と聞かされていたが、入社後長州力や前田日明などの人気選手離脱により業績が悪化し月給7万円の時もあったという。
- ^ a b c 『東京スポーツ』2005年12月17日。
- ^ a b c 臨時株主総会で菅林副社長誕生 - 多重ロマンチック、2012年7月10日閲覧。
- ^ 『東京スポーツ』2007年4月27日。
- ^ 新日本新社長決定 菅林直樹社長誕生へ - 多重ロマンチック、2012年7月10日閲覧。
- ^ ブシロード体制で目指すはキング・オブ・プロレスリング! 新日本プロレス戦略発表会リポート - ファミ通.com、2012年7月10日閲覧。
- ^ 『中日スポーツ』2007年10月24日、門馬忠雄によるインタビューより。
- ^ TAJIRIが菅林社長にまたも毒霧噴射!青義軍vs.CHAOSのシングル4番勝負は引き分け - スポーツナビ、2012年7月10日閲覧。