日本の高校野球

日本高等学校野球連盟が主催する野球大会

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日本における高校野球(こうこうやきゅう)とは、日本中等教育学校後期課程及び高等学校の生徒、高等専門学校の第1学年から第3学年の学生が行う野球のこと。

春の「センバツ」、夏の「甲子園」の本選球場として知られる阪神甲子園球場
2007年夏の全国高等学校選手権大会・神奈川県地区予選の高校球児

特に阪神甲子園球場で行われる二つの全国的な男子硬式野球大会は「甲子園大会」と呼ばれている。

なお、高等学校野球 (旧制)とは言葉が同じであるが、これは現在の大学野球の前身で全く異なる。現在の高校野球の前身は、旧学制による「中等学校野球」が該当する。戦後の学制改革によって再編・継続され、名称も変更されているためである。

大会

男子硬式

全国大会

通常、新入学生(1年生)の選手は夏の大会のみしか出場できない(春の大会は新学期の2年生、3年生の選手のみとなる)ため、甲子園出場のチャンスは3年間で最大5回になる。

選抜高等学校野球大会(春の甲子園、センバツ) 出場校数32(記念大会では34あるいは36)

毎年3月下旬から4月上旬にかけて開催される。秋季地区大会の成績などを参考に選抜された一般選考28校、特別選考の21世紀枠3校、明治神宮枠1校(明治神宮枠は獲得地区の一般枠を増枠する)の計32校で行われるトーナメント大会。2003年から2008年までは希望枠が1校存在した(21世紀枠は2校)。地区大会の成績や選考次第では同一府県から2校以上の出場する場合もある(一般枠のみで3校選出はしないこととなっており、3校出場は21世紀枠を含めた場合に可能)。2008年の第80回記念大会は一般選考30校、21世紀枠3校、希望枠1校、明治神宮枠2校の計36校で争われた。

優勝校には大紫紺旗が贈られる。

全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園、選手権) 出場校数49(記念大会では55)

毎年8月に開催される。各府県1校ずつ、北海道は南北海道・北北海道の2校、東京都は東東京・西東京の2校の合計49校によるトーナメント大会。6月中旬から7月下旬(雨天順延で8月にずれ込む場合もある)にかけて行われる地方大会を勝ちあがった学校が出場できる。1998年の第80回記念大会と2008年の第90回記念大会は、従来の北海道と東京に加え、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の各府県からも2校ずつ代表校が決定され、計55校で争われた。

国民的行事と呼ばれ、ときに社会現象となるほどの盛り上がりを見せる学生スポーツ最大の大会である。優勝校には大深紅旗が贈られる。

国民体育大会(国体)・硬式の部 出場校数12

毎年10月に開催される。選手権で成績上位の高校から選考された11校と開催地枠1校によるトーナメント大会で、シーズン最後の全国大会。日程の余裕がないため、雨天中止が続いた場合には、ダブルヘッダーの実施や同時優勝になることもある[注 1]。秋季地区大会の最中に行われることになるため、3年生のみで参加する高校も多い。公開競技であるため成績は天皇杯に加味されない。

近年は国体の目玉種目となっており、2006年ののじぎく兵庫国体では会場の高砂市野球場に徹夜組が並び、2007年の秋田わか杉国体では会場のこまちスタジアムに高校野球としては球場史上最多の2万4000人が詰めかけた。[要出典]

明治神宮野球大会・高校の部(神宮大会) 出場校数10

毎年11月に開催される。秋季地区大会で優勝した10チームによるトーナメント大会で新チーム最初の全国大会。

出場校は各地区大会での優勝により翌年のセンバツ出場がほぼ確実になったチームばかりなので、センバツの前哨戦としての意味合いを持つ。同大会での優勝校所属地区は翌年のセンバツの出場枠を1つ多く獲得できる特典がある(明治神宮枠→但し2003年の34回大会以後)。2007年の第37回大会では決勝進出の両地区に翌2008年のセンバツ出場枠が与えられた(記念大会のため)。

1982年から1998年まで東北・北海道と中国・四国は隔年での出場であり、1999年まで秋季大会の日程の都合上地区によっては優勝校が出場するとは限らなかったためかつては招待試合の色彩が濃かった。優勝校のみが出場するようになった現在でも出場校が主力選手を温存することもある[注 2]

主催

主催は、全国大会は日本高等学校野球連盟(高野連)と新聞社(選抜高等学校野球大会毎日新聞社全国高等学校野球選手権大会全国高等学校軟式野球選手権大会朝日新聞社)が行っている。

2010年より選抜の後援に朝日新聞社が、選手権(全国大会のみ)の後援に毎日新聞社が、完成以来両大会の会場を提供してきた阪神甲子園球場が「特別協力」として加わる[1][2][3]

この他、地方大会は各都道府県高等学校野球連盟など(夏の全国選手権出場校を決めるための地方大会は朝日新聞社も)が主催する。

明治神宮野球大会高校の部は日本学生野球協会明治神宮の主催であり高野連は関与していない。 このため運営ルールは大学の部に準じており、コールド規定や応援ルールなども高野連主催の大会とは異なっている。

地方大会

 
試合後の審判団・対戦両チームによる挨拶風景・2007年の横浜スタジアム
秋季都道府県大会

新チームにとって最初の大きな公式戦である。地域によっては予めトーナメント方式やリーグ方式などで地域大会を行い、都道府県レベルの大会への出場校を決定する場合も多い。また秋季地方大会の前に新人大会を行い、秋季都道府県大会のシード校を決定する地域も見られる。成績優秀校は地区大会へ進出する。

秋季地区大会

北海道、東北、関東、東京、東海、北信越、近畿、中国、四国、九州の10地区でそれぞれ地区大会が開催される。東京地区が関東地区と別枠なのは、センバツの代表選考において、東京都は関東地方とは別枠で出場枠が与えられているためである。センバツの予選ではないが、この大会の成績が翌年のセンバツ出場校選考の際、非常に重要な資料となる。尚、この大会は明治神宮野球大会の予選を兼ねており、各地区大会優勝校が神宮大会出場権を獲得する。

春季都道府県大会

成績優秀校は春季地区大会へ進出する。この大会の成績を基に夏の大会のシード校を決定する地域も多い。特に四国、九州のセンバツ大会出場校は日程的な問題で出場せず、チャレンジマッチ(都道府県大会優勝校との春季地区大会出場(順位)決定戦)のみの出場や、予選免除で地区大会に出場する場合がある。この大会から1年生が出場可能になる。

春季地区大会

北海道、東北、関東、東海、北信越、近畿、中国、九州の9地区でそれぞれ地区大会が開催される。(東京は関東地区)甲子園には直結しない大会である。

選手権大会地方予選(夏季都道府県大会)

毎年6月中旬から7月にかけて開催され、優勝校は夏の甲子園に出場できる。3年生にとっては選手として迎える最後の公式大会であり、敗戦は「引退」を意味する。この大会で敗退したチームは世代交代が行われ、再び秋の大会へ向けて1・2年生による新チームが始動することとなる。

その他(新人大会、1年生大会、地域リーグ、地方杯)

男子軟式

  • 全国高等学校軟式野球選手権大会(軟式選手権) 出場校数16
    毎年8月、夏の甲子園終了後に兵庫県立明石公園第一野球場を主会場に開催される。ブロック(北海道、北東北、南東北、北関東、南関東、東京、北信越、東海、近畿、大阪、兵庫、東中国、西中国、四国、北部九州、南部九州)各1校、合計16校によるトーナメント大会。7月上旬から8月上旬にかけて行われる地方大会、ブロック大会を勝ち上がった学校が出場できる。
  • 国民体育大会(国体)軟式の部 出場校数10
    硬式の部同様毎年10月に開催される。選手権で成績上位の高校から選考された9校と開催地枠1校によるトーナメント大会。硬式同様日程の影響を受ける場合があり、2008年は決勝に進出した両校優勝となった。
  • 全国高等学校定時制通信制軟式野球大会
    全国高等学校定時制通信制軟式野球連盟などの主催、文部科学省や高野連などの後援。定時制高校通信制高校を対象とした大会で毎年7月に地方予選が行われた後、8月に全国大会が明治神宮野球場など東京都内の球場で行われている。

女子硬式

女子軟式



※以降の記述は特記なき場合、男子硬式大会に関するものである。


特別ルール

  1. 臨時代走

不慮の事故などにより一時走者を代えて送られる臨時の代走者のこと。高野連の場合、高校野球特別規則「6.臨時の代走者」に定めている。参加チーム、審判団でもルールの誤解等が見られ、トラブルとなった事例もある。

中継

春の選抜高校野球、夏の全国高校野球共にNHK地上波放送、及びNHKラジオ第1で全国中継がされる(国会中継などの特別編成により別媒体での放送あり)。このうちNHK地上波放送は時間帯によってNHK総合NHK Eテレのリレーで放送される。

また、夏の全国高校野球は近畿地区では朝日放送でも中継がされる。これは夏の全国高校野球が朝日新聞社主催のためである。なお昼の一部の時間帯は近畿地区の各独立テレビ局とのリレー中継となる。BSではBS朝日で朝日放送制作の中継がノーカットで放送される。また朝日放送のホームページでインターネット配信によるライブ映像が無償で視聴できる。決勝戦と表彰式(閉会式)はテレビ朝日系列全局で放送される。

この他、独立テレビ局のある県域では、その県の予選大会も中継される。

エピソード

地域事情

北海道

北海道は1959年から南・北に分割され、南北海道代表は函館(渡島・檜山管内全域)・小樽(後志管内全域)・室蘭(胆振・日高管内全域)・札幌(石狩管内全域)の4地区、北北海道代表は空知(空知管内全域)・旭川(上川・留萌管内中南部)・名寄(上川・留萌管内北部及び宗谷管内全域)・北見(網走管内全域)・十勝・釧根(釧路・根室管内全域)の6地区に分かれている。なお2006年まで空知地区は、南空知地区が南北海道・北空知地区が北北海道だった。少子化・過疎化に伴う学校数減少と南北北海道の学校数のバランスを取るために、07年春季全道大会から南空知地区(南北海道)と北空知地区(北北海道)を空知地区として統一の上、北北海道に編入した経緯がある。

南北海道はかつては札幌地区に有力校が多かったが、進学校化や選手の分散・流出や駒大苫小牧を筆頭とする苫小牧近郊の高校の台頭も著しい。北北海道は旭川地区が圧倒的勢力で、十勝地区がこれに次いでいたが、空知地区の編入により、勢力が移りつつある。名寄地区のみが春夏通じて甲子園出場校を出していない。

かつて、北海道の高校野球は「負け」の代名詞とさえ言われたが2004年夏の駒大苫小牧の優勝で見事に覆した。2004年夏の駒大苫小牧の優勝まではベスト4進出は1928年の北海のみ、ベスト8進出は1931年の札幌商(南北海道)、1961年・1962年・1994年の北海(南北海道)と1995年の旭川実業(北北海道)のみだった。春の代表は1963年に北海が準優勝、駒大岩見沢が1983年にベスト8、1993年にベスト4まで勝ち進んでいる。

駒大苫小牧が大会のチーム打率(チーム打率.448を記録)を更新する豪打で2004年夏に北海道勢として初優勝。続く2005年夏には57年ぶりの夏2連覇、そして2006年夏には優勝こそ逃したものの、決勝で早稲田実業学校と球史に残る死闘を演じ、延長15回引き分け再試合の末、準優勝。21年ぶりの夏3年連続決勝進出を果たした。

甲子園で北海道のチーム同士の対戦が今までに1度だけある。1994年夏の2回戦、北海(南北海道)対砂川北(北北海道)の試合であり、北海が10-1で勝利を収めた。この大会で、北海は北海道勢として夏は32年ぶりのベスト8進出を果たした。

1993年夏に稚内大谷、2004年夏に雄武、2005年夏・2006年夏・2011年夏・2012年夏に遠軽が北北海道大会決勝に進出し、最北の出場校(夏春共に網走南ヶ丘)の更新が期待されたが、いずれも敗退した。2005年夏には日本最東端の根室と最北端野球部の稚内(日本最北端の礼文は野球部が無い)が北大会に出場したが、初戦で敗退した。現在、最東の出場校は中標津(1990年夏)である。

2006年までの北海道勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1963年 春・第35回 北海(北海道) 準優勝 0-10 下関商(山口)
2004年 夏・第86回 駒大苫小牧(南北海道) 優勝 13-10 済美(愛媛)
2005年 夏・第87回 駒大苫小牧(南北海道) 優勝 5-3 京都外大西(京都)
2006年 夏・第88回 駒大苫小牧(南北海道) 準優勝 1-1(延長15回引分)/3-4(再試合) 早稲田実(西東京)

東北

甲子園大会ではかつて東北地方以北からは優勝校が出なかったため、東北地方の高校が甲子園大会で優勝することは悲願とされ、しばしば「『白河の関』を超えること」が東北地方の高校野球界の目標とされてきた。[要出典]ところが、2004年・夏の大会で駒大苫小牧(南北海道)が全国制覇を成し遂げ、それまでの最北だった作新学院(栃木)を大きく更新し、優勝旗は白河の関どころか一気に津軽海峡を飛び越えた。駒苫ナインを乗せた機内にて、キャビンアテンダントが「深紅の大優勝旗も皆さまとともに津軽海峡を越え、まもなく北海道の空域へと入ります」と放送し、乗客はこぞって歓声を上げたという(駒苫の優勝時に発行された北海道新聞の号外では「海峡越え」と表記された)。[要出典]

駒大苫小牧の優勝後、白河市長が苫小牧市長宛てに祝福の手紙を送っている[4]

スポーツ記者や高校野球ファンなどからは「『白河の関』とは、陸路で超えることに意味がある」との意味で、現在でも『未だ白河の関は残っている』とされることも多い。[要出典]2012年夏までに東北地方の高校は、春夏合計で10回(春3回・夏7回)も決勝戦まで勝ち進んでいながら、未だ優勝したことは1度も無い。2009年春には岩手の花巻東が挑戦したが、逆に紫紺旗を長崎にもたらした初の高校である清峰に阻まれてしまい、翌日の一部スポーツ紙には「津軽海峡は渡ったけどまだ越えられない白河の関」という見出しがつけられた[5]。また2011年は光星学院が青森勢としては夏選手権で42年ぶりに、さらに翌2012年春選抜では再び光星学院が青森勢として史上初の決勝進出をそれぞれ果たしたものの、共に決勝戦で敗れて準優勝に終わった。

さらに、同2012年夏も光星学院が3季連続で甲子園大会の決勝戦に進出。3季連続の決勝進出は、1983年夏から1984年夏のPL学園以来28年ぶりとなった。また、対戦相手は奇しくも同年春選抜優勝の大阪桐蔭(大阪)とだったが、同じ年の春夏の甲子園大会で決勝戦が同一カードとなるのは史上初だった。「三度目の正直」での優勝を目指した光星学院だったが又しても大阪桐蔭に敗れて3季連続の準優勝に終わり、悲願の全国制覇はならなかった。

東北地方の学校が優勝していない原因については、北海道と同様の不利が挙げられる。ただ、降雪期から隔たった秋季に行われる国体や明治神宮大会は、優勝校を出すことに成功している。国体では1952年に盛岡商(岩手)が、明治神宮大会では1977年に東北(宮城)が、それぞれ東北勢として初優勝している。

2012年までの東北勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1915年 夏・第1回 秋田中(秋田) 準優勝 1-2 京都二中(京都)
1969年 夏・第51回 三沢(青森) 準優勝 0-0(延長18回引分)/2-4(再試合) 松山商(愛媛)
1971年 夏・第53回 磐城(福島) 準優勝 0-1 桐蔭学園(神奈川)
1989年 夏・第71回 仙台育英(宮城) 準優勝 0-2 帝京(東東京)
2001年 春・第73回 仙台育英(宮城) 準優勝 6-7 常総学院(茨城)
2003年 夏・第85回 東北(宮城) 準優勝 2-4 常総学院(茨城)
2009年 春・第81回 花巻東(岩手) 準優勝 0-1 清峰(長崎)
2011年 夏・第93回 光星学院(青森) 準優勝 0-11 日大三(西東京)
2012年 春・第84回 光星学院(青森) 準優勝 3-7 大阪桐蔭(大阪)
2012年 夏・第94回 光星学院(青森) 準優勝 0-3 大阪桐蔭(大阪)

関東

関東の学校が、全国制覇を成し遂げた場合の高校野球の隠語として「箱根の山を越える」がある。[要出典]初めて箱根を越したのは1916年の夏の大会の慶應普通部(東京[注 3])、その後1949年の夏の大会の湘南(神奈川)が達成した。

1916年夏に慶應普通部が優勝したにも関わらず、慶應普通部の優勝から湘南の優勝まで33年間の開きがあること、湘南の優勝までの当時の高校野球(または中学野球)では西高東低(西日本の学校が強く、東日本の学校が弱い)の印象が強かったことなどから、1949年夏の湘南の優勝において箱根越えが注目された。[要出典]

春の箱根越えは1957年早稲田実(東京)が達成。早稲田実の優勝以降は関東勢の優勝が珍しくなくなったためか、以後はほとんど意識されなくなっている。[要出典]1962年作新学院(栃木)が史上初の春夏連覇を達成し、2004年夏に駒大苫小牧(南北海道)が優勝するまで最北端の優勝校だった。

1957年春までの関東勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1916年 夏・第2回 慶應普通部(東京) 優勝 6-2 市岡中(大阪)
1920年 夏・第6回 慶應普通部(東京) 準優勝 0-17 関西学院中(兵庫)
1924年 春・第1回 早稲田実(東京) 準優勝 0-2 高松商(香川)
1925年 夏・第11回 早稲田実(東京) 準優勝 3-5 高松商(香川)
1936年 春・第13回 桐生中(群馬) 準優勝 1-2 愛知商(愛知)
1949年 夏・第31回 湘南(神奈川) 優勝 5-3 岐阜(岐阜)
1955年 春・第27回 桐生(群馬) 準優勝 3-4 浪華商(大阪)
1957年 春・第29回 早稲田実(東京) 優勝 5-3 高知商(高知)

中部

甲信越

甲信越地方山梨県長野県新潟県)は、優勝校が存在しない。準優勝は2009年夏の日本文理(新潟)がある。

山梨県勢は、春夏通じて決勝戦進出の経験がない。最近では2004年夏第86回選手権大会で、東海大甲府がベスト4に進出したが、準決勝戦では優勝した駒大苫小牧(南北海道)に8-10で敗れ、山梨県勢初の決勝進出を逃している。なお東海大甲府は2012年夏第94回選手権大会でもベスト4に進出したが、準優勝した光星学院(青森)に敗れている。

また、新潟県は2008年まで春夏通じて唯一ベスト4に入っていなかったが、2009年夏選手権で日本文理が新潟県勢初のベスト4及び決勝戦の進出を果たした(山形県も2004年まで春夏通じてベスト8止まりだったが、2005年春選抜で羽黒が山形県勢初のベスト4進出を達成)。これで47都道府県すべて春夏の最低限どちらかでベスト4進出を果たしたこととなった。現在春は佐賀・島根・滋賀・石川・新潟・福島、夏は富山・山形がベスト4に入っていない。

2011年までの山梨県及び新潟県勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
2009年 夏・第91回 日本文理(新潟) 準優勝 9-10 中京大中京(愛知)

北陸

北陸地方富山県石川県福井県)にも、2012年現在甲子園優勝校が存在しない。準優勝は1978年春の福井商(福井)、1995年夏の星稜(石川)がある。他の大会では、若狭(福井)が1952年の国体と1973年の明治神宮大会で北陸勢として初優勝をしている。その後も北陸勢は国体や明治神宮大会で何度か優勝をしている。

また、富山県勢は春夏通じて決勝戦進出の経験がない。夏は1947年の高岡商、1958年の魚津、1967年の富山商、1969年の富山北部、1973年の富山商のベスト8、春は1986年の新湊のベスト4が最高。特に初出場ながら準々決勝に進み徳島商と延長18回引き分け再試合を演じた1958年の魚津と、春夏通じて富山県勢初のベスト4進出を果たした1986年の新湊の活躍は、それぞれ「蜃気楼旋風」「新湊旋風」と呼ばれている。

2011年までの北陸勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1978年 春・第50回 福井商(福井) 準優勝 0-2 浜松商(静岡)
1995年 夏・第77回 星稜(石川) 準優勝 1-3 帝京(東東京)

近畿

滋賀県

甲子園のお膝元である近畿地方に属するものの、滋賀県勢は近畿勢で唯一いまだに春夏とも優勝校がない。原因として、北部では東北地方などと同様の「雪国のハンデ」があり、南部では優秀な人材を京都市内の私立強豪校に奪われてしまう傾向があったことがあげられている。そのうえ、夏選手権では1974年まで京都府と同じ出場枠(京滋大会)だったため、滋賀県と同じような条件を抱える京都府北部(丹波丹後地域)と同様に、京都市内の私立強豪校に対して圧倒的に劣勢だったことも不利であったといえる。[要出典]特に夏の大会では初勝利が47都道府県最後であった。2001年になって、夏選手権で近江が、春夏通じて滋賀県勢初の決勝進出を果たしたが、決勝では日大三に敗れて準優勝となった。

今までの滋賀県勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
2001年 夏・第83回 近江(滋賀) 準優勝 2-5 日大三(西東京)

中国

山陰

山陰地方鳥取県島根県と及び山口県北部地方)の高校も甲子園大会優勝経験がない。

原因として雪国のハンデがよく指摘される。山陰地方は日本海側気候に属し湿った雪が多い。[要出典]2009年春夏までの甲子園での通算成績は鳥取が54勝85敗、島根は38勝79敗、山口県北部は0勝2敗で大きく負け越している。

鳥取県・島根県については、草創期には何度か上位進出があるものの、人口が少ない地域(とくに鳥取県の人口は全国最少)であるため、高校球児の絶対数も少ない。 この点を逆手に取った京阪神地区の中学生の「野球留学」は有名である。京阪神地区は全体のレベルが高いうえ、強豪校が多いので、甲子園出場以前に、レギュラー入りできる可能性が低い。このため、学校数の少なく、距離も比較的近い鳥取・島根の高校を選ぶ。[要出典]

現在まで山陰地方から決勝進出を果たした学校は、1960年春選抜で準優勝した鳥取の米子東のみである。また2003年夏選手権では、島根の江の川(現・石見智翠館)が、島根県勢として80年ぶり(80年前は松江中=現・松江北以来)にベスト4に進出した(準決勝戦、1-6で宮城・東北高校に敗退)。

今までの山陰勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1960年 春・第32回 米子東(鳥取) 準優勝 1-2 高松商(香川)

また岡山県は春に1度優勝しているが夏は準優勝までである。

四国

徳島県

近年は野球留学などで全国から有力選手を集める私立高校が多く、甲子園出場校における私立高校の割合は増え続けている。[要出典]そんな中、徳島県だけは、未だに私立高校の甲子園出場がない。これは徳島県内に私立高校が4校しかない上に、野球部があるのが生光学園だけであるということが最大の理由である。[要出典]

今までの徳島県勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1947年 春・第19回 徳島商(徳島) 優勝 3-1 小倉中(福岡)
1950年 夏・第32回 鳴門(徳島) 準優勝 8-12 松山東(愛媛)
1951年 春・第23回 鳴門(徳島) 優勝 3-2 鳴尾(兵庫)
1952年 春・第24回 鳴門(徳島) 準優勝 0-2 静岡商(静岡)
1958年 夏・第40回 徳島商(徳島) 準優勝 0-7 柳井(山口)
1964年 春・第36回 徳島海南(徳島) 優勝 3-2 尾道商(広島)
1974年 春・第46回 池田(徳島) 準優勝 1-3 報徳学園(兵庫)
1979年 夏・第61回 池田(徳島) 準優勝 3-4 箕島(和歌山)
1982年 夏・第64回 池田(徳島) 優勝 12-2 広島商(広島)
1983年 春・第55回 池田(徳島) 優勝 3-0 横浜商(神奈川)
1986年 春・第58回 池田(徳島) 優勝 7-1 宇都宮南(栃木)
2002年 春・第74回 鳴門工(徳島) 準優勝 2-8 報徳学園(兵庫)

九州

高校野球で、九州の学校が全国制覇を成し遂げた場合はしばしば「関門海峡越え」と表現される。[要出典]1947年の夏の大会で小倉中(福岡)は優勝し、優勝旗は初めて関門海峡を越え、それまでの最西だった松山商(愛媛)を更新した。春の大会では1958年の済々黌(熊本)が達成。その他1967年春に津久見(大分)、1994年夏に佐賀商(佐賀)、1996年春に鹿児島実(鹿児島)、2009年春に清峰(長崎)が優勝し、それぞれ県勢初優勝を果たした。九州では宮崎だけが春夏通じて優勝がないが、1999年度の明治神宮野球大会で日南学園が優勝している(#宮崎県を参照)。九州で春夏共に優勝しているところは大分(津久見が春夏共に1度優勝)だけで福岡、佐賀は春の優勝がなく長崎、熊本、鹿児島は夏の優勝がない。

2009年までの九州勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1934年 夏・第20回 熊本工(熊本) 準優勝 0-2 呉港中(広島)
1937年 夏・第23回 熊本工(熊本) 準優勝 1-3 中京商(愛知)
1947年 春・第19回 小倉中(福岡) 準優勝 1-3 徳島商(徳島)
1947年 夏・第29回 小倉中(福岡) 優勝 6-3 岐阜商(岐阜)
1948年 夏・第30回 小倉(福岡) 優勝 1-0 桐蔭(和歌山)
1954年 春・第26回 小倉(福岡) 準優勝 0-1 飯田長姫(長野)
1958年 春・第30回 済々黌(熊本) 優勝 7-1 中京商(愛知)
1962年 夏・第44回 久留米商(福岡) 準優勝 0-1 作新学院(栃木)
1965年 夏・第47回 三池工(福岡) 優勝 2-0 銚子商(千葉)
1967年 春・第39回 津久見(大分) 優勝 2-1 高知(高知)
1972年 夏・第54回 津久見(大分) 優勝 3-1 柳井(山口)
1988年 夏・第70回 福岡第一(福岡) 準優勝 0-1 広島商(広島)
1992年 夏・第74回 西日本短大付(福岡) 優勝 1-0 拓大紅陵(千葉)
1994年 夏・第76回 佐賀商(佐賀) 優勝 8-4 樟南(鹿児島)
1994年 夏・第76回 樟南(鹿児島) 準優勝 4-8 佐賀商(佐賀)
1996年 春・第68回 鹿児島実(鹿児島) 優勝 6-3 智弁和歌山(和歌山)
1996年 夏・第78回 熊本工(熊本) 準優勝 3-6 松山商(愛媛)
2005年 春・第77回 神村学園(鹿児島) 準優勝 2-9 愛工大名電(愛知)
2006年 春・第78回 清峰(長崎) 準優勝 0-21 横浜(神奈川)
2007年 夏・第89回 佐賀北(佐賀) 優勝 5-4 広陵(広島)
2009年 春・第81回 清峰(長崎) 優勝 1-0 花巻東(岩手)

宮崎県

宮崎県は九州で唯一決勝進出がない(平成に入っても九州・沖縄勢で唯一春夏通じてベスト4入りもない)。これまで2年連続出場がなく(日南学園が2季連続出場を記録したのみ)、特に学制改革以前の出場は春夏を通してない。

沖縄県

高校野球で、沖縄県の学校が全国制覇を成し遂げた場合はしばしば「(優勝旗が)海を渡る」と表現される。沖縄はその歴史的経緯から、本土に対する意識が強かった。そのため、沖縄水産(沖縄)が夏の大会で1990年と1991年に2年連続で決勝に進出しながら準優勝に終わった時、当時の同校の栽弘義監督が「優勝旗が沖縄の海を渡らなければ、 沖縄の戦後は終わらない」 と発言したと報道された(しかし、本人は否定している)。[要出典]

1999年の選抜で沖縄尚学が沖縄勢として初優勝し、優勝旗は海を渡った。また、それまでの最南端優勝校だった鹿児島実(鹿児島)を更新した[注 4]。2010年に興南が沖縄勢として夏の初優勝と史上6校目の春夏連覇を達成した。

今までの沖縄勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1990年 夏・第72回 沖縄水産(沖縄) 準優勝 0-1 天理(奈良)
1991年 夏・第73回 沖縄水産(沖縄) 準優勝 8-13 大阪桐蔭(大阪)
1999年 春・第71回 沖縄尚学(沖縄) 優勝 7-2 水戸商(茨城)
2008年 春・第80回 沖縄尚学(沖縄) 優勝 9-0 聖望学園(埼玉)
2010年 春・第82回 興南(沖縄) 優勝 10-5 日大三(東京)
2010年 夏・第92回 興南(沖縄) 優勝 13-1 東海大相模(神奈川)

この他、離島勢という沖縄の特性がある。[要出典]夏の大会では1977~78年に宮古、1988年に八重山がそれぞれ県大会準優勝とあと一歩のところで甲子園出場を逃しているが、2006年夏に八重山商工が出場(同年選抜で沖縄県の離島勢として初めて出場した)し、2勝を挙げている。[注 5]

高校野球に関する問題提起

単なる高校部活動の対抗戦に留まらず、時には社会的関心を集めるほど人気の高い高校野球であるが、様々な角度から問題提起が行われている。

メディアの扱いに関する問題

学校の部活動の一つである高校野球が、新聞やテレビなどのメディアにおいて、他のスポーツの部活動に比べて突出して扱われている(あるいは他の高校スポーツの取り上げられ方が高校野球に比べて極めて少ない)ことを問題視する意見がある。スポーツライターの相沢光一は、2010年の夏の甲子園がNHKが約130時間にわたって全試合を完全中継したのに対し、同じ高校の総合大会である全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の放送時間がNHK教育にて10時間のダイジェスト放送に過ぎなかったことを指摘し、NHKは他スポーツの放送をもう少し増やしてもいいのではないかとの意見を述べている[6]

選手への負担の問題

高校野球は夏休み中に行われる夏の大会と春休み中に行われる選抜大会が行われているが休み期間中に行うため選手への負担が大きい。特に投手は選手層の問題もあって一人の主戦投手に頼らざるを得ないケースが多く、地方大会や全国大会で勝ち進んだ学校などでスポーツ障害燃え尽き症候群になることがある。燃え尽き症候群は近年に限った事ではなく、古くは王貞治(現ソフトバンクホークス球団取締役会長)も「もし5季連続出場を果たしていたら野球にけじめをつけて大学にいっていたと思う。最後に出られなかったことで気持ちが宙ぶらりんになった」と後年語っている[7]。以前から選抜大会は秋に行われる地方大会の結果が反映され、大会が翌年の3月に実施されるが夏の大会では、真夏の日中・炎天下の屋外球場で全国規模のトーナメント戦(地方予選・本大会)を行うということも原因としてある(2011年には選手が熱中症で次々に倒れて試合続行が不可能となり没収試合となる例まで出た)。ただし、高野連側も全く対策をしていないわけではなく、選手の負担や健康を考え準々決勝を2日制にしたり(ただ、雨天順延や組み合わせ次第では準々決勝から3日連続での登板もありえる)、大会前に選手全員にドクターチェックを受けさせるなどの対策は講じている。また1958年と1963年の大会では選手の負担を考え甲子園球場と西宮球場の2球場で開催を行ったこともあるがこの時は、西宮球場で敗退し甲子園の土を踏めなかった(入場の時は甲子園)高校側やPTAからの猛反発が起き1963年大会以降他球場での開催がなくなったという。

野球留学

人口・高校数・生徒数が少ない都道府県や、高校野球のレベルが比較的低い低い都道府県の学校に入学すれば、全国大会に出場する難易度が低くなることから、甲子園出場を目的として保護者と同居し中学校に在学していた都道府県から、遠方の都道府県の特定の学校へ「野球留学」・越境通学をする例、あるいは「スポーツ推薦」で他地域の高校へ入学する例が増えた。学区外からの志願も受け入れ、野球部員寮・合宿所を保有している私立校に多い。2008年8月には、大阪ではレギュラーになれない生徒がレギュラーとなることを目指して多く入学している、山形県・酒田南高等学校野球部が出場。2011年8月の大会ではベンチメンバー18人中10人が大阪、5人が沖縄からの“留学組”の青森県・光星学院高等学校野球部が準優勝(同校野球部父母会には「関西支部」まである)。 日本学生野球憲章で禁じられている(教育基本法や学校教育法では禁止していない)はずの野球による特待生制度で中学生を勧誘するスカウトもあることは公然の秘密である[8]。2007年春には日本高等学校野球連盟と朝日新聞社が、特待生の糾弾と根絶をめざすキャンペーンを始めたが、教育基本法学校教育法と日本学生野球憲章の矛盾・不一致について、学校経営者、生徒と保護者、国民からの多数意見としての賛同は得られず、結果として、日本高等学校野球連盟や朝日新聞の意図とは逆の方向に日本学生野球憲章が改変され、特待生は条件付きで容認することになった。

公立強豪校ではこれに対抗すべく、体育科を設置しスポーツ推薦を行ったり、商業科など実業系の学科や総合学科に選手を集めるなどして強化を行っている。また一般的に進学校とされる学校の中には秋田、静岡、今治西のように、一般推薦の中に「野球部枠」のある学校も存在する。強豪校の監督の中には福井商・北野尚文、池田・蔦文也(蔦に関しては徳島県教育委員会が池田高校の全日制定時制を交互に異動)のように、長年にわたり同じ学校で指揮を執り続けるケースもある。また、松山商や池田が他県出身の中学生を3年次に地元中学に転校させたり、鵡川が同一都道府県における通学圏外の選手を多数入部させるなどして(2002年春に21世紀枠で出場した際はベンチ入り16人中10人が地元・胆振支庁の出身ではなかった)、事実上の野球留学を行っていたケースもある。

強豪校は、本業である学業より野球を優先する風潮があるため、「野球のため強豪校に進学」というパターンも増えた。

判定への問題

#エピソードに書いたものの他にも、判定への問題が取りざたされる。次に挙げるのはその主とした例である。

  1. 倉敷工業対金光大阪(2009年選抜) - 一死三塁の場面で倉敷工業がスクイズを敢行。突っ込んできた三塁走者に触球する際、ミットから球がこぼれ空タッチとなったが球審は正規触球後の落球としてアウトと判定。主将が抗議したが判定は覆らず。この判定に対し、試合を見ていた視聴者から高野連やNHKに判定に対する抗議電話が殺到した。しかし試合は倉敷工業が延長12回サヨナラ勝ちし勝敗は左右しなかったが試合時間が長引く原因となった。

高校野球の審判員は高校野球審判員という資格が必要であり、各都道府県の野球連盟の審判部に登録されている高校野球審判員の中から各都道府県高野連理事の推薦により、甲子園に出場する審判が選ばれている。そのため審判員は元高校球児など野球経験者が多いが全てボランティアである。

監督による抗議

高校野球では一部の例外[注 6]を除き抗議は原則禁止されている[9]。また、抗議は主将、伝令または当該選手のみが可能であり、監督が抗議を行うことは禁止されている。

次の事例では、監督の抗議が話題として取りざたされた。[要検証]

  1. 広陵佐賀北(2007年選手権決勝) - 微妙な判定をきっかけに佐賀北が逆転。広陵の監督が抗議を表明し、高野連から注意を受けた。
  2. 明石商対加古川北(2009年秋季兵庫大会) - サヨナラ打の判定をめぐり両校の監督が審判に抗議した結果、審判の判断が二転三転した[10]。県高野連は9月25日にベンチを出て抗議した明石商の監督と部長に注意を、試合後選手に整列を指示しなかった加古川北の監督、部長に厳重注意をそれぞれ言い渡した。また、県高野連審判部が二転三転した判定について県高野連に謝罪し、「再発防止に努める」とした[11]
  3. 横浜対関東一(2012年選抜大会準々決勝) - 5回裏一死一、三塁の場面で横浜がセーフティースクイズを敢行。同点かと思われたが、関東一より「三塁走者が本塁を踏んでいない」とのアピール。球審がアピールを認めたため、同点スクイズは幻となった。球審がマイクを握り「三塁走者が本塁を踏んでいないとアピールしたので、アウトにしました」と宣告後、横浜高校の監督が身ぶり手ぶりを加え、球審に「走者はベースを踏んでいる」と猛抗議した。しかし、大会本部の総務委員から「監督に抗議権はない」事を告げられ口頭で注意を受けた。横浜の三塁走者は試合後、記者団に。「踏んでなければスパイクの裏の感触でわかる。ガッツリ踏んだと思いました」と語り、テキサス・レンジャーズダルビッシュ有ツイッターで「横浜高校渡辺監督に注意って。てかいつも思うけど何で抗議がダメなの? 高校野球やってた時から色々と謎な決まりが多かった記憶が。」と横浜監督を擁護し、高野連の体制を批判した[12]

幻の甲子園大会

太平洋戦争中の1942年8月、文部省主催(本大会のみ朝日新聞社ではなかった)の大日本学徒体育振興大会の一つとして、全国から16代表を集めて開催された。2010年8月のNHK「戦争と平和」特集で「幻の甲子園」として採り上げられた。

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 1979年は日程が消化できず、ベスト4に残った4校が優勝校扱い。また、2008年はわずか2日しか試合が実施されなかったため、優勝校無しとなった。
  2. ^ 例として2001年優勝の報徳学園はエース大谷智久を1試合も登板させなかった。
  3. ^ 当時。現在は神奈川県に移転。
  4. ^ 試合終了後、スタンドでは相手校応援団を交えてのウェーブが起きた。その後県勢が優勝するたび同じことが起きている、[要出典]高校野球では禁止されている。
  5. ^ 八重山商工の他、沖縄本島以外の「島」からは久賀(山口:1962年春、1999年夏)、隠岐(島根:2003年春)、洲本(兵庫:1953年春、1975年夏、1986年春、2012年春)、佐渡(新潟:2011年春)が甲子園に出場している。
  6. ^ 三振や四球の状態で宣告が無い場合やアウトカウントの相違など明らかな問題に対しては抗議をすることが出来る。 - 高校野球特別規則第26条

出典

  1. ^ 朝日と毎日が相互に甲子園を後援 高校野球、春夏の大会 - 47NEWS 2009年11月27日
  2. ^ 春の選抜・夏の選手権 朝日、毎日と相互後援 高校野球 - アサヒコム、2009年11月27日
  3. ^ 高校野球:毎日新聞社と朝日新聞社、相互に後援 一層の発展へ、協力関係を明確化毎日jp、2009年11月28日
  4. ^ 朝日新聞 「『白河越え』は死語に? 駒大苫小牧の優勝で地元心配」2004年8月23日、2012年9月19日閲覧
  5. ^ スポーツニッポン2009年4月3日
  6. ^ 高校スポーツの光と影――いまだに「甲子園」ばかりが優遇される現実、ダイヤモンド・オンライン、2010年8月24日発行
  7. ^ 2010年8月、『高校野球熱闘の世紀ザ・ベスト』、ベースボール・マガジン社〈B・B MOOK 684 スポーツ・スピリット No. 34〉 ISBN 978-4583616971
  8. ^ 高野連、専大北上を「除名相当」と判断 裏金問題で東北高、春の高校野球地区大会辞退 特待生制度絡みかアサヒコム
  9. ^ 野球規則9.02(C)
  10. ^ 神戸新聞2009年9月24日号など
  11. ^ 神戸新聞2009年9月26日号
  12. ^ “ダルがツイッターで横浜・渡辺監督を擁護”. デイリースポーツ. (2012年4月2日). http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/04/02/0004937291.shtml 2012年4月9日閲覧。 

関連項目

外部リンク