敢國神社
敢國神社(あえくにじんじゃ)は、三重県伊賀市にある神社。式内社(大社)、伊賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
敢國神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 三重県伊賀市一之宮877 |
位置 | 北緯34度47分14.5秒 東経136度09分50秒 / 北緯34.787361度 東経136.16389度 |
主祭神 | 大彦命(敢國津神) |
社格等 |
式内社(大) 伊賀国一宮 旧国幣中社 別表神社 |
創建 | (伝)斉明天皇4年(658年) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 12月5日 |
主な神事 |
獅子神楽舞初祭 (1月3日) 獅子神楽舞上祭 (4月17日) |
祭神
- 主祭神
- 大彦命(敢國津神)
- 配神
大彦命は孝元天皇の第一皇子で、四道将軍として北陸を平定後に一族でこの地に移り、伊賀国の開拓を行ったという。当社の北1kmほどのところに、大彦命の墓と伝わる御墓山古墳がある。その子孫は伊賀国中に広がり、阿拝郡(あへのこおり)を本拠としたため「阿拝氏」を称した。後に阿閉・阿倍・安倍などとも表記した。大彦命は伊賀国の祖神で、「あべ」姓の氏神とされる。
中世までは、当社の祭神は少彦名命または金山比咩命とされたが、明治7年(1874年)、江戸時代の度会延経の説により大彦命とされた。
歴史
当社略記[1]によれば斉明天皇4年(658年)の創建である。本来当地には秦氏が居住して少彦名命を祀り、一方で、大彦命の子孫の阿拝氏は祖神として大彦命を祀った。当初は、当社南方の山(現・南宮山)の山頂附近で祀られたが、後に現在地(同山の山麓)に移された。その後、山頂附近の社殿跡には美濃国一宮・南宮大社より勧請された金山比咩命が祀られたため、その山が「南宮山」と呼ばれた。貞元2年(977年)、金山比咩命の社殿の前の神木に虫食いの痕が「敢國神社と一緒に祀れ」という言葉になって現れたため、神意に従って金山比咩命を敢國神社に合祀したと伝わる。
国史の初見は、『日本三代実録』貞観9年(867年)10月5日条の「伊賀国従五位下敢国津神に従五位上の神階を授ける」という記述である。『延喜式神名帳』では「伊賀国阿拝郡 敢國神社」と記載され、大社に列した。
伊賀国一宮として崇敬され、江戸時代には上野城鬼門鎮護の神として藤堂氏など歴代藩主に保護された。明治4年(1871年)に国幣中社に列格。
境内
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国幣中社石標と大鳥居
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拝殿
南西角から見た拝殿。 -
幣殿
拝殿から続く幣殿。 -
本殿
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桃太郎岩
南宮山頂から遷したとされる霊石で安産と子授けに霊験があるとされる。
摂末社
摂社
末社
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大石社
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市杵島神社
主な祭事
獅子神楽舞初祭、獅子神楽舞上祭、例大祭では獅子神楽が奉納される。敢國神社の獅子神楽は伊賀各地の獅子神楽の原型とされ、三重県の無形文化財である。
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
バス
- 新堂駅(JR西日本関西本線)駅前の「新堂駅南口」バス停から、三重交通バス(上野産業会館行き)で「敢国神社」バス停下車
- 上野市駅(伊賀鉄道伊賀線)駅前の「上野産業会館」バス停から、三重交通バス(伊賀支所行き)で「敢国神社」バス停下車
車
- 名阪国道(国道25号バイパス)伊賀一之宮インターチェンジからすぐ
脚注
- ^ 当社配布の『伊賀一宮 敢國神社』より。