坂本將貴
日本のサッカー選手
坂本 將貴(さかもと まさたか、1978年2月24日 - )は埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元サッカー選手である。ポジションは主にMF。日本体育大学卒業。愛称は坂本隊長。
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 愛称 | サカ、隊長 | |||||
| カタカナ | サカモト マサタカ | |||||
| ラテン文字 | SAKAMOTO Masataka | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1978年2月24日(47歳) | |||||
| 出身地 | 埼玉県さいたま市 | |||||
| 身長 | 171cm | |||||
| 体重 | 70kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ジェフユナイテッド市原・千葉 | |||||
| ポジション | MF | |||||
| 背番号 | 2 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
経歴
2000年にジェフ市原(当時)に入団。大学時代までは攻撃的なポジションの選手だったが、クラブでは守備力に注目されて、右サイドのレギュラーに定着。以後、チーム事情によって時折、ストッパーやボランチとしてプレーする事もある。
2001年最優秀新人賞獲得。
2007年は、アルビレックス新潟に移籍し1年間プレーした。2008年に古巣のジェフユナイテッド市原・千葉に移籍した。
2012年12月10日、同年限りでの現役引退がクラブ公式サイトより発表された。 J1リーグ275試合出場13得点、J2リーグ52試合出場を記録した。 坂本は「いつかジェフの監督になって、フクアリでその姿をサポーターの皆さまにお見せしたいとは思っています。」と語った。
人物・評価
- 大学時代のポジションは本人曰く「トップ下」。今の運動量と堅実さを武器にしたプレースタイルは当時を知る人にとっては信じられないだろうと語る。
- 2002年・2003年のリーグ戦は全試合フル出場、つまり、警告の累積による出場停止がなかった。しかし、2004年9月11日の東京ヴェルディ戦で痛恨のレッドカード。次節が出場停止となり、その年のリーグ戦出場試合数は「29」にとどまった(2004年までのリーグ戦は全30試合である)。
- 2005年シーズンは、ジュビロ磐田に移籍した村井慎二(現在は大分トリニータに移籍)の穴を埋めるために左サイドでプレーすることに。坂本のいた右サイドには、若手の山岸智、水野晃樹が入った。
- オシム監督(当時)がいうには「(左右両足を使える)坂本以外に左サイドでプレーできる選手がいなかったから」ということだが、坂本自身はこのポジション変更により、さらに自分のプレーの幅をひろげた。
- 利き足は右だが、左足からのキックも非常に精度が高い。その理由は本人曰く「右足を骨折していた時に左足のキック練習を相当やった」からだそうである。
所属クラブ
ユース経歴
プロ経歴
- 2000年 - 2006年 ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2007年 アルビレックス新潟
- 2008年 - ジェフユナイテッド市原・千葉
タイトル
- J1リーグ優秀新人賞(2001年)
代表歴
個人成績
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| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000 | 市原/千葉 | 23 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2001 | 19 | 3 | 4 | 0 | 3 | 0 | 26 | 3 | |||
| 2002 | 30 | 1 | 7 | 0 | 4 | 0 | 41 | 1 | |||
| 2003 | 30 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 | 35 | 2 | |||
| 2004 | 2 | 29 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 34 | 1 | ||
| 2005 | 34 | 2 | 11 | 0 | 2 | 0 | 47 | 2 | |||
| 2006 | 34 | 1 | 11 | 3 | 1 | 0 | 46 | 4 | |||
| 2007 | 新潟 | 14 | 34 | 2 | 6 | 0 | 1 | 1 | 41 | 3 | |
| 2008 | 千葉 | 2 | 32 | 1 | 8 | 0 | 0 | 0 | 41 | 1 | |
| 2009 | 33 | 1 | 6 | 0 | 2 | 0 | 41 | 1 | |||
| 2010 | J2 | 21 | 0 | - | 1 | 0 | 22 | 0 | |||
| 2011 | 22 | 0 | - | 2 | 0 | 24 | 0 | ||||
| 2012 | - | ||||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 275 | 13 | 59 | 3 | 17 | 2 | 351 | 18 | |
| 日本 | J2 | 43 | 0 | - | 3 | 0 | 46 | 0 | |||
| 総通算 | 318 | 13 | 59 | 3 | 20 | 2 | 397 | 18 | |||
その他の国際公式戦
- 2006年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
エピソード
- 新潟へ移籍する前のジェフ千葉在籍時は選手会長を務めていて、若手を引っ張っていた。
- サポーターには、その闘志あふれるプレーぶりから「隊長」と呼ばれ親しまれている。
- 声がやや高く、元ジュビロ磐田の元祖「隊長」中山雅史に声質がちょっとだけ似ている。
- 愛嬌があり、チームのムードメーカーとしても、なくてはならない存在である。
- かつてジェフに在籍していた中西永輔とはプライベートでも仲がよく、坂本に釣りを教えたのは中西である。「ミスター・ジェフ」として長年サポーターに愛されてきた中西の背番号「2」は坂本に受け継がれていた。
- 教育実習で母校の浦和東高へ行った際、受け持ったクラスに川島永嗣と太田康介がいた。
- 一度、喧嘩別れの形で退団した千葉への復帰は、クラブ側の説得と精神的支柱が必要と考えた巻誠一郎の「恋人のように」毎日電話や会いに来た事も大きな要因とされている。