下村博文

日本の政治家 (1954-)

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下村 博文(しもむら はくぶん、本名の読みは「ひろふみ」[1]1954年5月23日 - )は、日本政治家衆議院議員。文部科学大臣第18代)。群馬県高崎市(旧倉渕村)出身。

下村 博文
しもむら はくぶん
生年月日 (1954-05-23) 1954年5月23日(71歳)
出生地 群馬県高崎市(旧群馬郡倉渕村
出身校 早稲田大学教育学部
前職 学習塾経営者
所属政党新自由クラブ→)
無所属→)
自由民主党町村派
称号 教育学士(早稲田大学 1979年)
公式サイト 博文放送局
内閣 第2次安倍内閣
在任期間 2012年12月26日 -
選挙区 東京11区
当選回数 6回
在任期間 1996年 - 現職
選挙区 板橋区選挙区
当選回数 2回
在任期間 1989年 - 1996年
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略歴

内閣官房副長官文部科学大臣政務官法務大臣政務官などを歴任。自由民主党では副幹事長、国会対策副委員長、広報局次長、新聞局次長、議院運営委員会理事などを歴任。2009年6月現在は、社会教育・宗教関係団体委員会の委員長。あしなが育英会の副会長でもある。

政策・主張

違法ダウンロード刑事罰化を推進

  • 違法ダウンロード刑事罰化・著作権法改正案を担当。公明党と共に提出、成立させた。[4]

河野談話に関する主張

内閣官房副長官だった2006年10月25日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、従軍慰安婦問題で旧日本軍の強制を認めた1993年河野洋平内閣官房長官(当時)の談話に関して「私自身の今後の検討課題」としながらも、将来的には見直すことも必要だとの考えを示した[5]

疑似科学(EM菌)推進団体から表彰

下村は、2011年に「日本アルベルト・シュヴァイツァー顕彰協会」という団体から「アルベルト・シュヴァイツァー賞」を受賞した。なお、日本アルベルト・シュヴァイツァー顕彰協会は、EM菌と呼ばれるオリジナル・ブレンドの微生物で水質を浄化したり放射能まで消せてしまうなどと謳う理美容室経営者の団体「SPC Japan」を母体としている団体であるが、EM菌は、疑似科学であるとされ、批判されている[6]

親学の推進

下村は親学とよばれる教育論を推進している。なお、親学は発達障害などへの差別を招く疑似科学であるとされ、批判されている。

人物像

以下は本人著書などに基づく客観的に確認できない情報を含んでいます。
  • 担任教師だった人物の証言によれば、「貧乏で家に自分の本は一冊もなかったが、大変な読書家で小学生の時に図書館の蔵書3分の1に当たる約1000冊を読んでしまった。自分で弁当を作って裏山に行き、暗くなるまで読みふけっていた」[要出典]
  • 小さい時は赤面症で人前で話ができなかった。それを告服するため高崎市立榛名中学校時代、構内弁論大会に出場。二年生で6位、三年生では準優勝し、やがて赤面症は治る[要出典]
  • 高校生時代、家計を支えるために日経新聞の新聞配達のアルバイトをしていた[要出典]
  • 早稲田大学時代、道路工事から豆腐屋、ウェイターなど多くのアルバイトをする。この時の出会いや経験は、のちに大きな社会勉強になったと述懐している(産経新聞[要検証])。
  • 早稲田大学雄弁会では幹事長に選出され、これを契機に多くの雄弁会出身の国会議員と知り合う。
  • 生活のために大学在学中に学習塾「博文進学ゼミ」を主宰。最初は補習塾として生徒50人ほどの規模だったが、指導方法が人気を呼び2500名ほどを抱える中堅学習塾となった[7]
  • 1999年に出版された「未来を託す男たち」(細川珠生著 ぶんか社)では、鳩山由紀夫町村信孝谷垣禎一岡田克也らとともに、“日本を変える次世代リーダー10人”に選ばれる。
  • 小泉内閣で始まった構造改革特区では、教育分野(教育特区)の推進役となった。20年以上取り組んできた教育問題の中で「多様性のある教育」をする必要性を説き、不登校やLD児などの全国のNPO法人の代表に働きかけ、アメリカのチャータースクールのような学校の設立を教育特区で行うための勉強会を、官民NPO団体共同で開催した[8]
  • 2002年には例外的に夫婦の別姓を実現させる会に賛同していたにもかかわらず、現在は、「夫婦別姓というのは結果的に家族崩壊に繋がる」などとして、選択的夫婦別姓には反対している。
  • 2007年 安倍首相(当時)の初訪米の時、当時から懸念されていた米国における日本のプレゼンスの確保、増大、日米関係を支えるアメリカ側の人材育成という重要課題に取り組むために、官房副長官として官民学一体の会合をブレアハウスで開き、アメリカでの日本語教育、留学生支援を後押しした[9]
  • 2012年、超党派国会議員主催によるダライ・ラマ法王14世特別講演会を開催。世話人代表。チベット支援国会議員連盟設立で中心的な役割を果たした。
  • 自身のブログにおいて、「ナノ純銀」なるものがノロウイルス、新型インフルエンザ、豚の口蹄疫にも効果がある、などという非科学的な意見を述べた[10]
  • 自称予言者のブラジル人ジュセリーノ氏なる人物が、来日した際、ジュセリーノ氏に会見し、そのメッセージが重要である、と述べた[11]
  • 幸福の科学による映画『ファイナル・ジャッジメント』を鑑賞してきたことを自身のサイトに掲載していた。

主な所属議員連盟

著書

  • 下村博文の教育立国論(河出書房新社)
  • 学校を変える!教育特区(大村書店)
  • 教育激変―新教育基本法案がめざす「家庭」「学校」「日本」の10年後(明成社)
  • 塾 そのありのままの姿(学陽書房)

共著など

  • 未来を託す男たち (ぶんか社) 
  • 若き政治家 下村博文 (河出書房新社)
  • 子育て必須マニュアル (ヒューマン)
  • 私が総理になったら (角川書店)
  • サッチャー改革に学ぶ教育正常化への道(PHP)
  • 日本人として知っておきたい皇室のこと(PHP)

脚注

関連項目

外部リンク

公職
先代
田中眞紀子
  文部科学大臣
第18代:2012年 -
次代
現職
先代
長勢甚遠
  内閣官房副長官(政務担当・衆議院)
2006年 - 2007年
次代
大野松茂
先代
中川義雄
  法務大臣政務官
2002年
次代
中野清
議会
先代
七条明
  衆議院法務委員長
2007年 - 2008年
次代
山本幸三