竹原真敬
竹原 真敬(たけはら まさたか、1978年7月14日 - )は、日本のプロボクサーである。現在のリングネームは竹原 虎辰(たけはら こたつ)。三重県名張市生まれ、大阪府八尾市出身。緑ボクシングジム所属。日本人では数少ないヘビー級ボクサーのひとりである。
基本情報 | |
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本名 | 竹原 真敬 |
階級 | ヘビー級 |
国籍 |
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誕生日 | 1978年7月14日(47歳) |
出身地 | 三重県名張市 |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 19 |
勝ち | 8 |
KO勝ち | 3 |
敗け | 8 |
引き分け | 3 |
来歴
中学からラグビーの選手として活躍、高校時代は花園も経験したが、帝京大学1年の時に試合中の事故でラグビーを続けられなくなり、ボクシングに転向。卒業を間近に控えてアベボクシングジムに入門。
2001年3月3日、後楽園ホールでデビュー。長須幸喜に2RKO勝ち。
2戦目では重量級の第一人者である高橋良輔に1RKO負け。
その後、ヘビー級という階級から試合に恵まれず、2002年・東京ベイNKホールの楠ジャイロ戦以降は4年近く試合から遠ざかっていたこともあり、その後もクルーザー級に落として試合をした時期もあった。
2008年3月18日、ミドル級で戦ってきた相澤健治と対戦し、6RTKOで勝利。
この年、戦いの場を求めてオーストラリアに拠点を移すが、元ジムの反対に遭い、JBCライセンスを返上。このとき、ABCOヘビー級にランクされた。
2009年6月19日、シドニー・エンターテイメント・センターでブライアン・フィッツジェラルド相手に1年3か月ぶりの試合が組まれ、2-1の判定勝ち[1]。
2009年7月24日にも同じシドニーのレベスビーワーカーズクラブでフィッツジェラルドと再戦し、得意のフットワークを活かした多彩なパンチで終始攻勢であったが、1Rのダウンが響き僅差の判定負け。
2009年7月31日、前の試合から1週間しかなかったが、アレックス・リーパイ(2008年度東洋太平洋チャンピオン、後のWBFチャンピオン)と対戦し、6Rをフルに戦い判定ドローに持ち込んだ[2]。
2009年9月13日、パースにてピーター・クロンジェ(現東洋太平洋11位)と対戦。終始、左でリードするも判定はドロー。
2010年は試合はなく、大阪のアマチュアジムでトレーナーを務めた。
2011年は米国で活動するが、ブランクの影響もあり3戦3連敗だった。
2012年3月、緑ジムに移籍して国内復帰[3]。
2012年6月17日、刈谷市産業振興センターあいおいホールで李鍾錫と国内復帰戦を行い、4回TKO勝利。この試合後に日本ヘビー級2位にランクされる(1位は藤本京太郎)。
2012年9月19日、4年ぶりとなる後楽園ホールでの試合としてこの興行のメインイベンターを務めた京太郎がK-1時代に戦ったジェロム・レ・バンナの親友として知られるヨハン・デュプラス(フランス)と対戦、京太郎に先駆けて日本人ヘビー級ボクサーとして初となる国内での世界ランカー(当時WBC27位)との試合となったが、6回TKO負け。
2013年1月、姓名判断によりリングネームを竹原虎辰に改名[4]。
改名後初となる試合は2013年3月1日、オーストラリアでルーカス・ブラウンと対戦するが、1回KO負けを喫した。
2013年7月25日、後楽園ホールにおける日本ヘビー級王座決定戦のアンダーカードとして2011年西日本新人王で日本ヘビー級4位の樋高リオと対戦し、3-0(77-76、78-75、78-74)の判定勝ちを収め日本ヘビー級王座への挑戦権を獲得した[5]。
戦績
- プロボクシング:19戦 8勝 3KO 8敗 3分
脚注
- ^ 竹原真敬、豪プロ・ボクシング界鮮烈デビュー 25today 2009年7月9日
- ^ 東洋・太平洋2位に堂々のドロー! 25today 2009年8月6日
- ^ 和製ヘビー級!!! 緑ジムブログ 2012年3月12日
- ^ リング名 竹原 虎辰
- ^ 藤本がKOでピーター下す 日本ヘビー級決定戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年7月25日
- ^ 藤本京太郎11・25竹原虎辰と初防衛戦 日刊スポーツ 2013年8月5日
関連項目
外部リンク
- 竹原真敬の戦績 - BoxRec
- 日本最後のヘビー級プロ・ボクサー、竹原真敬 日豪プレス 2009年4月5日