日本選手権シリーズ
この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。 (2013年11月) |
日本選手権シリーズ(にほんせんしゅけんシリーズ、にっぽんせんしゅけんシリーズ、通称:日本シリーズ)は、毎年10月 - 11月ごろに日本のプロ野球のセントラル・リーグとパシフィック・リーグのそれぞれのクライマックスシリーズの勝者が対戦して日本一(その年の日本の年間王者)を決めるシリーズ試合である。正式名称はプロ野球日本選手権シリーズ試合。なお、現在のクライマックスシリーズ勝者の出場は2007年から採用された方式であり、2006年までは各リーグ優勝チームが出場していた。
| 開始年 | 1950 |
|---|---|
| 主催 | 日本野球機構(NPB) |
| チーム数 | 2チーム |
| 加盟国 |
|
| 前回優勝 | 東北楽天ゴールデンイーグルス(1回目) |
| 最多優勝 | 読売ジャイアンツ(22回) |
| 公式サイト | |
| 公式サイト | |
また、日本シリーズという呼称ではないが1リーグ時代に春季優勝チームと秋季優勝チームが対戦して年間チャンピオンを決める試合もあった。通常は1950年を初回の日本シリーズとし、本項においても1950年以降の試合について述べる。
運営概要
- クライマックスシリーズから日本シリーズ進出までの道のり(2007年以後)
| CS1st | CSファイナル | 日本選手権シリーズ | ||||||||
| (3戦2勝制) | ||||||||||
| セ・リーグ第2位チーム | H | |||||||||
| (6戦4勝制<含・アドバンテージ1>) | ||||||||||
| セ・リーグ第3位チーム | ||||||||||
| 1st勝利チーム | ||||||||||
| セ・リーグ優勝チーム | H | |||||||||
| (7戦4勝制) | ||||||||||
| セ・リーグCS優勝チーム | ☆ | |||||||||
| (3戦2勝制) | ||||||||||
| パ・リーグCS優勝チーム | ☆ | |||||||||
| パ・リーグ第2位チーム | H | |||||||||
| (6戦4勝制<含・アドバンテージ1>) | ||||||||||
| パ・リーグ第3位チーム | ||||||||||
| 1st勝利チーム | ||||||||||
| パ・リーグ優勝チーム | H | |||||||||
- (H)-そのステージのホームチーム
- (☆)-隔年でホーム4:ビジター(アウェー)3の配分が異なる。(基本的に第1戦主管球団がホーム4、第3戦主管球団がホーム3の割合)
- 2004-06年まではパ・リーグのみプレーオフ(優勝決定トーナメント)を実施し、その優勝チームと、レギュラーシーズンのみのセ・リーグの優勝チームが日本シリーズ進出
- ゲームは7試合(番勝負参照)で西暦の奇数年はパ・リーグの出場チーム、西暦の偶数年はセ・リーグの出場チームの本拠地で第1・2戦と6・7戦を開催、第3・4・5戦は対戦チームの本拠地で開催する。但し、過去に例外はあった(→#変則的な開催日程について)。先に4勝したチームが日本一となり終了、以降の試合は行われない。また、引き分けなどがあり第8戦にもつれこんだ場合、第8戦は第7戦の翌日に第7戦の球場で行い(過去は1986年の1回のみ)、それでもどちらのチームも4勝に満たない場合は、更に移動日を1日挟んで、第3戦 - 第5戦で使用された球場で、どちらかが4勝を挙げるまで試合を行う。
- 雨天等で中止になった場合は移動日を含め全ての日程が順延となっていたが、2007年からは屋外球場で行われる場合の雨天中止時は、第1 - 4試合はその分日程を順延するがアジアシリーズの日程が迫っている関係で第5試合と第6試合の間の移動日・休養日は設けず連戦とする(但し、出場2チームの本拠地が離れていて、当日移動が難しいと判断された場合は移動日を設ける場合がある[注釈 1]。
- 延長戦は、第7戦までは延長15回まで、第8戦以降は回数無制限(試合時間は一律無制限)が現行のルールである。1966年までは日没まで(但し全試合ナイターで開催された1964年は22時30分以降新しいイニングに入らない)、1967年 - 1981年は17時30分以降新しいイニングに入らない、1982年からは試合開始から4時間半を経過した時点で新しいイニングに入らないとなっていた。しかし、1986年のシリーズが、第1戦が延長14回引き分けで、第8戦まで行われたことをきっかけに、1987年から第7戦までは18回まで、第8戦以降は回数無制限となった。ナイトゲームが開催されるようになった1994年以降、第7戦までは延長15回まで[注釈 2]に短縮された。第7戦までは引き分けが存在するので、理論上最大第14戦まである。サスペンデッドゲームは適用しない。
- 2011年 - レギュラーシーズンで用いられた節電・省エネのための「3時間30分打ち切りルール」は使用しない。2011年の第1試合はデーゲームとなるが、延長は従来通り15回までの打ち切りとする。
- 両チームはシリーズ開始日の前々日までに「出場有資格者選手」(最大40人)の名簿を提出する。公示後はこれを変更することはできない。ベンチ入り選手の人数は公式戦と同じく最大25人で、試合ごとに有資格者の中から選ぶ。
- 指名打者制度は1984年までは採用せず、1985年から隔年による採用(1985年は全試合採用、1986年は全試合採用せず)としていたが、1987年からはパ・リーグの出場チームの本拠地球場でのみ採用されている。
- 審判は6人制が採用される。審判員は日本野球機構(NPB)審判部から選ばれた合計8人の審判員で運営される。
- レギュラーシーズンやクライマックスシリーズと異なり、全試合日本野球機構(NPB)主催である。入場料収入の一部は球団に分配され、さらに選手らにも第4戦までのものを基準に分配される[2]。
- 2005年 - 2008年・2011年以降は優勝したチームが、ユーラシア地区(日本・韓国・中国[注釈 3]・台湾・オーストラリア[注釈 4]・ヨーロッパ[注釈 5])のプロ野球ナンバーワンを決定するアジアシリーズに、2009年・2010年は韓国シリーズ優勝チームと戦う日韓クラブチャンピオンシップに日本代表として参加する。
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これまで日本シリーズでは大会協賛スポンサーとなる企業・団体がなかったが、2011年にゲームソフト大手のコナミ株式会社[注釈 6]が大会特別協賛スポンサーとなり、大会名も「KONAMI日本シリーズ(西暦年度)(コナミ・にっぽんシリーズ)」として開催される。なお、コナミは過去に2005年-2007年に「アジアシリーズ」に「KONAMI CUP」として特別協賛したことがある。
ちなみに、コナミ社とは3年契約を予定。
表彰
賞金・賞品は2013年のもの。
- 優勝チーム賞
- 日本野球機構より優勝ペナント、掲揚用チャンピオンフラッグ、優勝記念品代、内閣総理大臣杯トロフィー
- 大会スポンサーのコナミより特製チャンピオンフラッグ
- 在京民放各テレビ局より賞金、計250万円(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビから50万円ずつ)と共にフジテレビ以外の各社から記念トロフィー、フジテレビより記念盾
- 最高殊勲選手賞(MVP)
- 日本野球機構より記念トロフィー
- NPBパートナー各社より賞金計400万円(コナミデジタルエンタテインメント、日本生命、マツダ、ローソンから100万円ずつ)
- 敢闘選手賞
- 日本野球機構より記念トロフィー
- J SPORTSより賞金25万円 、ミズノより30万円相当の商品券、ベースボール・マガジン社より東芝製ノートパソコン(ダイナブックの30万円相当機種)、JAしらかわよりコメ「ひとめぼれ」120キロと白河市特産の季節の野菜詰め合わせ25万円相当
- 優秀選手賞(3人)
- 日本野球機構よりトロフィー
- J SPORTS、文化放送、ニッポン放送、ベースボール・マガジン社より賞金10万円ずつ(1名に40万円ずつ、計120万円)、御幸グループより高級オーダー背広30万円相当(仕立券)
- 特別協賛賞
2011年から特別協賛で冠スポンサーのコナミより、上記賞とは別に以下の賞が追加される。
- 「みんなで選ぶコナミ賞」(賞金400万円・2011年は賞金300万円)
- 「ドリームナイン賞」(賞金100万円・2011年は賞金200万円)
- 「BASEBALL HEROES賞」(賞金100万円・2011年は賞金200万円)
- 「パワフルプロ野球賞」(賞金100万円・2012年より)
- 「プロ野球スピリッツ賞」(賞金100万円・2012年より)
「みんなで選ぶコナミ賞」は大会期間中に、コナミの大会特別公式サイト・コナミが携帯電話サイトで展開するソーシャルネットワークゲームサイト『プロ野球ドリームナイン』・アーケードゲーム『BASEBALL HEROES』の成績閲覧ページやゲーム機からのファン投票によって行い、大会終了時の表彰式で表彰選手を発表するものである(2011年は各ゲームからの投票で「ドリームナイン賞」・「BASEBALL HEROES」賞を選んだ)。
なお、各試合のホームランを打った選手に対してコナミからホームラン賞(賞金5万円)が贈呈される。
リーグとしての対戦成績
- セントラル・リーグ 35勝
- パシフィック・リーグ 29勝
通算成績は読売ジャイアンツの9連覇などもあり、セントラル・リーグがリードしている。
チーム別成績
- 太字の項目は最多数を表す。球団の列のソートボタンで元の順序に戻る。
| 球団 | 日本一 | 出場数 | 試合数 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 最新優勝年度 (当時対戦相手) |
決定球場 (当時) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 巨人 | 22 | 34 | 198 | 109 | 87 | 2 | .556 | 2012年(日本ハム) | 東京ドーム |
| 西武(西鉄) | 13 | 21 | 130 | 68 | 60 | 2 | .531 | 2008年(巨人) | 東京ドーム |
| ヤクルト | 5 | 6 | 36 | 23 | 13 | 0 | .639 | 2001年(近鉄) | 明治神宮野球場 |
| ソフトバンク(南海・ダイエー) | 5 | 14 | 83 | 36 | 46 | 1 | .439 | 2011年(中日) | 福岡 Yahoo! JAPANドーム |
| ロッテ(毎日・大毎) | 4 | 6 | 32 | 17 | 14 | 1 | .548 | 2010年(中日) | ナゴヤドーム |
| オリックス(阪急) | 4 | 12 | 70 | 31 | 37 | 2 | .456 | 1996年(巨人) | グリーンスタジアム神戸 |
| 広島 | 3 | 6 | 42 | 18 | 21 | 3 | .462 | 1984年(阪急) | 広島市民球場 |
| DeNA(大洋・横浜) | 2 | 2 | 10 | 8 | 2 | 0 | .800 | 1998年(西武) | 横浜スタジアム |
| 日本ハム(東映) | 2 | 6 | 35 | 15 | 19 | 1 | .441 | 2006年(中日) | 札幌ドーム |
| 中日 | 2 | 10 | 60 | 23 | 36 | 1 | .390 | 2007年(日本ハム) | ナゴヤドーム |
| 楽天 | 1 | 1 | 7 | 4 | 3 | 0 | .571 | 2013年(巨人) | 日本製紙クリネックススタジアム宮城 |
| 阪神 | 1 | 5 | 31 | 12 | 18 | 1 | .400 | 1985年(西武) | 西武ライオンズ球場 |
| 近鉄 | 0 | 4 | 26 | 10 | 16 | 0 | .385 | 日本一経験なし / 現存しない球団 | |
| 松竹 | 0 | 1 | 6 | 2 | 4 | 0 | .333 | 日本一経験なし / 現存しない球団 | |
- 2004年以降シーズン勝率2位以下で日本シリーズに出場したチームは4例(2004年の西武・2005年のロッテ・2007年の中日・2010年のロッテ)あるが、いずれも日本一を達成している。このうち、2010年のロッテはレギュラーシーズンの勝率第3位ながら、クライマックスシリーズを制して本大会に出場して優勝という記録を残している。
- 1973年から1982年にかけてパ・リーグで施行された前後期制時代に、年間勝率が首位ではないチームがリーグ優勝した例は4例(1973年の南海・1975年の阪急・1979年の近鉄・1982年の西武)あり、うち日本一を達成した例は1975年の阪急・1982年の西武である。また1973年の南海は年間勝率が3位であり、それ以外の3例は全て年間勝率が2位であった[注釈 7]。
- 過去には巨人や西武などの常勝時代もあったが、1990年から1992年の西武3連覇以降は同一チームの連続日本一がない。
- 松竹は大洋(現・DeNA)に吸収合併され、近鉄はオリックスに吸収合併されたため記録としては※特記事項となる。
- 既存球団において、本拠地球場での日本一経験がないのは、阪神タイガース・千葉ロッテマリーンズの2球団だけである。(阪神は1985年・西武ライオンズ球場で、ロッテは1974年・中日スタヂアム、2005年・阪神甲子園球場、2010年・ナゴヤドームでそれぞれ日本一を達成している。なお、ロッテの前身である毎日時代の1950年はまだフランチャイズ制度が未確立であった。)
- 同一リーグによる連続日本一は(同一チームではない場合も含む)セ・リーグは9年連続(1965年 - 1973年)で、パ・リーグは4年連続(1956年 - 1959年と1974年 - 1977年と2003年 - 2006年)が最高である。
- 同一チームの連続日本一の最高記録はセ・リーグは9年連続(巨人1回)であり、パ・リーグは3年連続(阪急1回、西鉄・西武3回)である。
- 2013年に楽天が優勝したことにより、既存12球団は最低1回は日本一を経験したことになる。
各年の日本シリーズ
| セントラル・リーグ所属チーム | パシフィック・リーグ所属チーム |
| 回 | 開催年 | 勝利チーム | 優勝 回数 |
成 勝 |
分 | 績 負 |
1 | 2 | 星 3 |
取 4 |
表 5 |
6 | 7 | 8 | 相手チーム | 勝利監督 | 最高殊勲選手 (MVP) |
敢闘賞 | 決定スタジアム | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1950年 | 毎日 | 初優勝 | 4 | 2 | ○ | ○ | ● | ● | ○ | ○ | 松竹 | 湯浅禎夫 | 別当薫 | --- | 大阪球場 | ||||
| 2 | 1951年 | 巨人 | 初優勝 | 4 | 1 | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | 南海 | 水原茂 | 南村不可止 | --- | 後楽園球場 | |||||
| 3 | 1952年 | 巨人 | 2回目 | 4 | 2 | ○ | ○ | ● | ○ | ● | ○ | 南海 | 水原茂 | 別所毅彦 | --- | 後楽園球場 | ||||
| 4 | 1953年 | 巨人 | 3回目 | 4 | 1 | 2 | ● | ○ | △ | ○ | ○ | ● | ○ | 南海 | 水原茂 | 川上哲治 | 簑原宏 | 大阪球場 | ||
| 5 | 1954年 | 中日 | 初優勝 | 4 | 3 | ○ | ○ | ● | ● | ○ | ● | ○ | 西鉄 | 天知俊一 | 杉下茂 | 大下弘 | 中日スタヂアム | |||
| 6 | 1955年 | 巨人 | 4回目 | 4 | 3 | ○ | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | 南海 | 水原円裕 | 別所毅彦 | 戸川一郎 | 大阪球場 | |||
| 7 | 1956年 | 西鉄 | 初優勝 | 4 | 2 | ● | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | 巨人 | 三原脩 | 豊田泰光 | 稲尾和久 | 後楽園球場 | ||||
| 8 | 1957年 | 西鉄 | 2回目 | 4 | 1 | 0 | ○ | ○ | ○ | △ | ○ | 巨人 | 三原脩 | 大下弘 | 宮本敏雄 | 後楽園球場 | ||||
| 9 | 1958年 | 西鉄 | 3回目 | 4 | 3 | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | 巨人 | 三原脩 | 稲尾和久 | 藤田元司 | 後楽園球場 | |||
| 10 | 1959年 | 南海 | 初優勝 | 4 | 0 | ○ | ○ | ○ | ○ | 巨人 | 鶴岡一人 | 杉浦忠 | 土屋正孝 | 後楽園球場 | ||||||
| 11 | 1960年 | 大洋 | 初優勝 | 4 | 0 | ○ | ○ | ○ | ○ | 大毎 | 三原脩 | 近藤昭仁 | 田宮謙次郎 | 後楽園球場 | ||||||
| 12 | 1961年 | 巨人 | 5回目 | 4 | 2 | ● | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | 南海 | 川上哲治 | 宮本敏雄 | J・スタンカ | 大阪球場 | ||||
| 13 | 1962年 | 東映 | 初優勝 | 4 | 1 | 2 | ● | ● | △ | ○ | ○ | ○ | ○ | 阪神 | 水原茂 | 土橋正幸 種茂雅之 |
吉田義男 | 阪神甲子園球場 | ||
| 14 | 1963年 | 巨人 | 6回目 | 4 | 3 | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ● | ○ | 西鉄 | 川上哲治 | 長島茂雄 | 稲尾和久 | 平和台球場 | |||
| 15 | 1964年 | 南海 | 2回目 | 4 | 3 | ○ | ● | ● | ○ | ● | ○ | ○ | 阪神 | 鶴岡一人 | J・スタンカ | 山内一弘 | 阪神甲子園球場 | |||
| 16 | 1965年 | 巨人 | 7回目 | 4 | 1 | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | 南海 | 川上哲治 | 長島茂雄 | 森下整鎮 | 後楽園球場 | |||||
| 17 | 1966年 | 巨人 | 8回目 | 4 | 2 | ○ | ● | ○ | ○ | ● | ○ | 南海 | 川上哲治 | 柴田勲 | 渡辺泰輔 | 後楽園球場 | ||||
| 18 | 1967年 | 巨人 | 9回目 | 4 | 2 | ○ | ○ | ○ | ● | ● | ○ | 阪急 | 川上哲治 | 森昌彦 | 足立光宏 | 阪急西宮球場 | ||||
| 19 | 1968年 | 巨人 | 10回目 | 4 | 2 | ● | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | 阪急 | 川上哲治 | 高田繁 | 長池徳二 | 後楽園球場 | ||||
| 20 | 1969年 | 巨人 | 11回目 | 4 | 2 | ○ | ● | ○ | ○ | ● | ○ | 阪急 | 川上哲治 | 長島茂雄 | 長池徳二 | 阪急西宮球場 | ||||
| 21 | 1970年 | 巨人 | 12回目 | 4 | 1 | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | ロッテ | 川上哲治 | 長島茂雄 | 井石礼司 | 東京球場 | |||||
| 22 | 1971年 | 巨人 | 13回目 | 4 | 1 | ○ | ● | ○ | ○ | ○ | 阪急 | 川上哲治 | 末次民夫 | 山田久志 | 後楽園球場 | |||||
| 23 | 1972年 | 巨人 | 14回目 | 4 | 1 | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | 阪急 | 川上哲治 | 堀内恒夫 | 足立光宏 | 阪急西宮球場 | |||||
| 24 | 1973年 | 巨人 | 15回目 | 4 | 1 | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | 南海 | 川上哲治 | 堀内恒夫 | 野村克也 | 後楽園球場 | |||||
| 25 | 1974年 | ロッテ | 2回目 | 4 | 2 | ● | ○ | ● | ○ | ○ | ○ | 中日 | 金田正一 | 弘田澄男 | 高木守道 | 中日スタヂアム | ||||
| 26 | 1975年 | 阪急 | 初優勝 | 4 | 2 | 0 | △ | ○ | ○ | △ | ○ | ○ | 広島 | 上田利治 | 山口高志 | 山本浩二 | 阪急西宮球場 | |||
| 27 | 1976年 | 阪急 | 2回目 | 4 | 3 | ○ | ○ | ○ | ● | ● | ● | ○ | 巨人 | 上田利治 | 福本豊 | 柴田勲 | 後楽園球場 | |||
| 28 | 1977年 | 阪急 | 3回目 | 4 | 1 | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | 巨人 | 上田利治 | 山田久志 | 河埜和正 | 後楽園球場 | |||||
| 29 | 1978年 | ヤクルト | 初優勝 | 4 | 3 | ● | ○ | ● | ○ | ○ | ● | ○ | 阪急 | 広岡達朗 | 大杉勝男 | 足立光宏 | 後楽園球場 | |||
| 30 | 1979年 | 広島 | 初優勝 | 4 | 3 | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | 近鉄 | 古葉竹識 | 高橋慶彦 | 井本隆 | 大阪球場 | |||
| 31 | 1980年 | 広島 | 2回目 | 4 | 3 | ● | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | 近鉄 | 古葉竹識 | J・ライトル | 小川亨 | 広島市民球場 | |||
| 32 | 1981年 | 巨人 | 16回目 | 4 | 2 | ● | ○ | ● | ○ | ○ | ○ | 日本ハム | 藤田元司 | 西本聖 | 井上弘昭 | 後楽園球場 | ||||
| 33 | 1982年 | 西武 | 4回目 | 4 | 2 | ○ | ○ | ● | ● | ○ | ○ | 中日 | 広岡達朗 | 東尾修 | 上川誠二 | ナゴヤ球場 | ||||
| 34 | 1983年 | 西武 | 5回目 | 4 | 3 | ○ | ● | ● | ○ | ● | ○ | ○ | 巨人 | 広岡達朗 | 大田卓司 | 西本聖 | 西武ライオンズ球場 | |||
| 35 | 1984年 | 広島 | 3回目 | 4 | 3 | ○ | ● | ○ | ○ | ● | ● | ○ | 阪急 | 古葉竹識 | 長嶋清幸 | 山沖之彦 | 広島市民球場 | |||
| 36 | 1985年 | 阪神 | 初優勝 | 4 | 2 | ○ | ○ | ● | ● | ○ | ○ | 西武 | 吉田義男 | R・バース | 石毛宏典 | 西武ライオンズ球場 | ||||
| 37 | 1986年 | 西武 | 6回目 | 4 | 1 | 3 | △ | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | 広島 | 森祇晶 | 工藤公康 | 達川光男 | 広島市民球場 | |
| 38 | 1987年 | 西武 | 7回目 | 4 | 2 | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | 巨人 | 森祇晶 | 工藤公康 | 篠塚利夫 | 西武ライオンズ球場 | ||||
| 39 | 1988年 | 西武 | 8回目 | 4 | 1 | ○ | ● | ○ | ○ | ○ | 中日 | 森祇晶 | 石毛宏典 | 宇野勝 | 西武ライオンズ球場 | |||||
| 40 | 1989年 | 巨人 | 17回目 | 4 | 3 | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | 近鉄 | 藤田元司 | 駒田徳広 | 新井宏昌 | 藤井寺球場 | |||
| 41 | 1990年 | 西武 | 9回目 | 4 | 0 | ○ | ○ | ○ | ○ | 巨人 | 森祇晶 | O・デストラーデ | 岡崎郁 | 西武ライオンズ球場 | ||||||
| 42 | 1991年 | 西武 | 10回目 | 4 | 3 | ○ | ● | ○ | ● | ● | ○ | ○ | 広島 | 森祇晶 | 秋山幸二 | 川口和久 | 西武ライオンズ球場 | |||
| 43 | 1992年 | 西武 | 11回目 | 4 | 3 | ● | ○ | ○ | ○ | ● | ● | ○ | ヤクルト | 森祇晶 | 石井丈裕 | 岡林洋一 | 明治神宮野球場 | |||
| 44 | 1993年 | ヤクルト | 2回目 | 4 | 3 | ○ | ○ | ● | ○ | ● | ● | ○ | 西武 | 野村克也 | 川崎憲次郎 | 清原和博 | 西武ライオンズ球場 | |||
| 45 | 1994年 | 巨人 | 18回目 | 4 | 2 | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | 西武 | 長嶋茂雄 | 槙原寛己 | 清原和博 | 東京ドーム | ||||
| 46 | 1995年 | ヤクルト | 3回目 | 4 | 1 | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | オリックス | 野村克也 | T・オマリー | 小林宏 | 明治神宮野球場 | |||||
| 47 | 1996年 | オリックス | 4回目 | 4 | 1 | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | 巨人 | 仰木彬 | T・ニール | 仁志敏久 | グリーンスタジアム神戸 | |||||
| 48 | 1997年 | ヤクルト | 4回目 | 4 | 1 | ○ | ● | ○ | ○ | ○ | 西武 | 野村克也 | 古田敦也 | 松井稼頭央 | 明治神宮野球場 | |||||
| 49 | 1998年 | 横浜 | 2回目 | 4 | 2 | ○ | ○ | ● | ● | ○ | ○ | 西武 | 権藤博 | 鈴木尚典 | 大塚光二 | 横浜スタジアム | ||||
| 50 | 1999年 | ダイエー | 3回目 | 4 | 1 | ○ | ● | ○ | ○ | ○ | 中日 | 王貞治 | 秋山幸二 | 川上憲伸 | ナゴヤドーム | |||||
| 51 | 2000年 | 巨人 | 19回目 | 4 | 2 | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | ダイエー | 長嶋茂雄 | 松井秀喜 | 城島健司 | 東京ドーム | ||||
| 52 | 2001年 | ヤクルト | 5回目 | 4 | 1 | ○ | ● | ○ | ○ | ○ | 近鉄 | 若松勉 | 古田敦也 | T・ローズ | 明治神宮野球場 | |||||
| 53 | 2002年 | 巨人 | 20回目 | 4 | 0 | ○ | ○ | ○ | ○ | 西武 | 原辰徳 | 二岡智宏 | A・カブレラ | 西武ドーム | ||||||
| 54 | 2003年 | ダイエー | 4回目 | 4 | 3 | ○ | ○ | ● | ● | ● | ○ | ○ | 阪神 | 王貞治 | 杉内俊哉 | 金本知憲 | 福岡ドーム | |||
| 55 | 2004年 | 西武 | 12回目 | 4 | 3 | ○ | ● | ○ | ● | ● | ○ | ○ | 中日 | 伊東勤 | 石井貴 | 井上一樹 | ナゴヤドーム | |||
| 56 | 2005年 | ロッテ | 3回目 | 4 | 0 | ○ | ○ | ○ | ○ | 阪神 | B・バレンタイン | 今江敏晃 | 矢野輝弘 | 阪神甲子園球場 | ||||||
| 57 | 2006年 | 日本ハム | 2回目 | 4 | 1 | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | 中日 | T・ヒルマン | 稲葉篤紀 | 川上憲伸 | 札幌ドーム | |||||
| 58 | 2007年 | 中日 | 2回目 | 4 | 1 | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | 日本ハム | 落合博満 | 中村紀洋 | ダルビッシュ有 | ナゴヤドーム | |||||
| 59 | 2008年 | 西武 | 13回目 | 4 | 3 | ○ | ● | ● | ○ | ● | ○ | ○ | 巨人 | 渡辺久信 | 岸孝之 | A・ラミレス | 東京ドーム | |||
| 60 | 2009年 | 巨人 | 21回目 | 4 | 2 | ○ | ● | ○ | ● | ○ | ○ | 日本ハム | 原辰徳 | 阿部慎之助 | 高橋信二 | 札幌ドーム | ||||
| 61 | 2010年 | ロッテ | 4回目 | 4 | 1 | 2 | ○ | ● | ○ | ● | ○ | △ | ○ | 中日 | 西村徳文 | 今江敏晃 | 和田一浩 | ナゴヤドーム | ||
| 62 | 2011年 | ソフトバンク | 5回目 | 4 | 3 | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | 中日 | 秋山幸二 | 小久保裕紀 | 吉見一起 | 福岡Yahoo!JAPANドーム | |||
| 63 | 2012年 | 巨人 | 22回目 | 4 | 2 | ○ | ○ | ● | ● | ○ | ○ | 日本ハム | 原辰徳 | 内海哲也 | 稲葉篤紀 | 東京ドーム | ||||
| 64 | 2013年 | 楽天 | 初優勝 | 4 | 3 | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ● | ○ | 巨人 | 星野仙一 | 美馬学 | 長野久義 | 日本製紙クリネックススタジアム宮城 |
- 原則として最高殊勲選手(MVP)は勝利チームから、敢闘賞は敗戦チームから表彰する。1956年の敢闘賞は優勝した西鉄から選ばれた。
通算記録
エピソード
名称について
なお、第1回(1950年)から第4回(1953年)についてはアメリカ・メジャーリーグベースボールを参考にした「日本ワールドシリーズ」という名称だった。
「日本シリーズ」の読み方については以前は「ニホン-」が主流だった。2000年頃から報道機関ではなるべく「日本シリーズ」を「ニッポン-」と読むように通達がでている。これはチャンピオンフラッグに「NIPPON」という文字が入っているためだと思われる。
また、英文名称は「Nippon Series」とされている。
第62回(2011年)からは、ゲームソフト大手でNPBパートナーのコナミが冠スポンサーとして協賛。大会名も『コナミ日本シリーズ(年度)』として開催される。
日本シリーズとナイトゲームについて
日本シリーズが史上初めてナイターで開かれたのは1964年(第15回)の阪神タイガース対南海ホークスだった。これは東京オリンピックの開催の妨げにならないようにとの配慮で、開会式が予定された10月10日までに全ての日程を消化させることにしていた(本来は第1戦が9月29日、第7戦は10月7日)が、セントラル・リーグの優勝決定が9月30日にずれ込んだため、阪神タイガースが優勝した翌日の10月1日に第1戦、第7戦が東京オリンピック開会式前日の10月9日の予定に変更された[注釈 8]。だが、第6戦の雨天中止・順延が生じたため結局10月10日に最終戦を開催せざるを得なかった。これが影響してか、シリーズの平均観客動員は歴代最低を記録したため、翌1965年からは元のデーゲーム開催に戻すことにした。だが平日開催ともなると会社や学校を休まない限り試合の観戦が困難となったり、テレビの視聴率の問題にも関わることから1994年(第45回)の読売ジャイアンツと西武ライオンズの対戦では試験的に平日開催の第3-5戦(西武ライオンズ球場)に限りナイターで実施。その評判が高かったこともあって、1995年(第46回)のオリックス・ブルーウェーブ対ヤクルトスワローズの試合以後は全試合に拡大した。
2011年の第1戦は福岡ソフトバンクホークスが進出したことで13時開始となり、1994年の巨人対西武・第6戦以来17年ぶりにデーゲームで行われた[3](中継権を獲得したフジテレビで同日のゴールデンタイムにワールドカップバレー2011を放送するため)。
日本シリーズと天気について
2005年(第56回)の千葉ロッテマリーンズ対阪神タイガース第1戦(10月22日 千葉マリンスタジアム)7回裏1アウト、濃霧のため試合が中断し天気が回復しなかったためそのままコールドゲームとなった。天候災害でのコールドは1953年(第4回)の読売ジャイアンツ対南海ホークス第3戦の8回終了時点で降雨コールドゲームになって以来52年ぶりであるが、濃霧による中断からそのまま試合打ち切りとなったのはシリーズ史上初。
なお、コールドゲームで優勝決定となったことはこれまで一度もない。
新人監督のシリーズ制覇について
新人監督(他球団でも監督の経験がない場合)のシリーズ制覇は下記の9人。 新人監督同士のシリーズも3度行われている。
- 湯浅禎夫(1950年、毎日)
- 川上哲治(1961年、巨人)
- 藤田元司(1981年、巨人)
- 森祇晶(1986年、西武)※阿南準郎(広島)との新人監督対決を制した。
- 権藤博(1998年、横浜)
- 原辰徳(2002年、巨人)※伊原春樹(西武)との新人監督対決を制した。
- 伊東勤(2004年、西武)※落合博満(中日)との新人監督対決を制した。またレギュラーシーズン2位から(パ・リーグプレーオフ突破)のシリーズ制覇。
- 渡辺久信(2008年、西武)
- 西村徳文(2010年、ロッテ)※リーグ3位から(クライマックスシリーズ突破)のシリーズ制覇。
変則的な開催日程について
開催日程および開催会場が変則的な形となった例は以下の通り。
- 1950年は開催会場を試合ごとに変えて行った。第1戦から明治神宮野球場、後楽園球場、阪神甲子園球場、阪急西宮球場、中日球場、大阪球場の各球場である。ちなみにこの年は4勝2敗で毎日オリオンズが初代王者に輝いたが、第6戦で松竹ロビンスが勝って3勝3敗になった時は第7戦は後楽園球場で行われる予定だった(連戦か、移動日を挟むかの詳細不明)。
- 1953年は第4戦までは通常通りだったが第5戦から第7戦は大阪球場、阪神甲子園球場[注釈 9]、後楽園球場の順で開かれた。これは当時の規定に「第1、第3、第5、第7試合と第2、第4、第6試合の使用球場は毎年両リーグが交互にこれを指定する。ただし、第1、第2試合と第3、第4試合と第5、第6試合の使用球場はそれぞれ連続して同一地域にある球場を指定する」とあったため。この年の偶数試合の球場指定権はセ・リーグにあり「大阪よりも収容能力の大きい甲子園ならばガッポリ儲かる」との思惑を持っていたが、その思惑は見事なまでに外れ、入場者数は6346人となってしまった。
- 1962年、東映フライヤーズ主催による第5戦と1978年のヤクルトスワローズ主催の4試合全ては神宮球場の学生野球開催の都合で後楽園球場で代替開催した。
- 1974年のロッテオリオンズ主催の第3戦 - 第5戦は施設上の問題もあり県営宮城球場ではなく後楽園球場を使用した[注釈 9]。
- 1979年、1980年の近鉄バファローズ主催全ゲームは日本生命球場の収容人数が日本シリーズ開催基準の3万人に満たなかったこと、藤井寺球場もナイター設備が設置されていなかったことにより当時南海ホークスの本拠地であった大阪球場で代替開催した。
- 1981年は両リーグの出場チームが、本拠地がともに後楽園球場である読売ジャイアンツと日本ハムファイターズだったため、全6戦が同球場で開催された(後楽園シリーズ)。
- 1986年は第1戦は引き分けで始り広島東洋カープが3連勝して勝敗は決したかに見えた。しかし西武ライオンズも3連勝し第7戦終了時点で3勝3敗1分になってしまったため、急遽第7戦で使用した広島市民球場で初の第8戦以降を行って勝敗を決する事となった。結果は第8戦で西武が勝利し決着がついたが、当時のルールでは第8戦以降も回数無制限ではなく、仮に引き分けならば第9戦以降も行う事になっていた。
- 2000年は読売ジャイアンツと福岡ダイエーホークスで対戦することとなったが、この3年前の1997年に大規模な国際学術集会の会場を探していた日本脳神経外科学会から貸し出し依頼を受けた福岡ドームが日本シリーズの日程と重なる2000年10月24日から27日までを球団の許可なく貸し出してしまっていた。これは1997年当時ホークスは南海時代から続く20年連続のBクラスであったため、リーグ優勝の可能性が低いと見越してのものである。ところが翌1998年にAクラス入りを果たし、にわかに日本シリーズの開催可能性が高まったため球団が日本脳神経外科学会に日程変更を求めたが、国内および海外から2万人以上の人員が集結する大規模な総会でありすでに様々な関連の手配が終わっていることもあり断られた。そこで中内正球団オーナー代行(当時)がシリーズ開催地のセパ入れ替え・シリーズ日程そのものの変更・他のパ・リーグチームの本拠地球場での開催・九州内の他球場での開催等を検討・要請したが、いずれも不可能となった。日本脳神経外科学会側からも一部日程を短縮してナイター時間帯を空けるなどの協力を得られたこともあり、「東京ド・東京ド・福岡ド・休み・休み・福岡ド・福岡ド・東京ド・東京ド」と言う移動日なしの9日間変則日程で行うことが8月21日に発表された。なおシリーズ終了後、球団は開催日程確保を怠ったとして日本プロ野球機構から制裁金3000万円(球団または個人への制裁金として最高額)を科された。
- 2010年は台風14号が接近する恐れがあり、もし10月30日・10月31日のナゴヤドームでの試合が中止となった場合は、本来なら第2・3戦の間の移動日はそのままとし、第5・6戦の移動日を割愛して実質最大5連戦とする日程になるところを、テレビの全国中継が4試合しかない(第1・2・5戦は衛星放送のみ。地上波は県域放送だけ)ことを配慮する形で、第2・3戦の移動日を割愛して最大5連戦として、第5・6戦の移動日はそのままとする日程が設定されたが、台風の影響がなくなったため、この事例はなくなった。
その他
- 第2次戦力外通告は原則クライマックスシリーズ終了の翌日から日本シリーズ終了の翌日までだが、日本シリーズ出場チームは期限が4日間延長される。
テレビ放送
地上波系列の全国放送
2010年までは基本的にホームゲームの球団が推薦した放送局と直接交渉し、その放送局の属するネットワークにより全国生中継された(大抵は通常レギュラーシーズンの放送を頻繁に行う局が推薦され、生放送される)。しかし2010年の日本シリーズで地上波全国中継が実施されない試合が3試合あったことを受けて、2011年は進出球団が放送局を推薦したうえで、テレビ中継協賛スポンサーの広告代理店にその放送局への中継交渉を行う方式をとった[4]。
- 千葉ロッテマリーンズなどパシフィック・リーグの一部の球団が進出した場合、テレビ東京・TXNネットワークの系列局が推薦される場合があり、その場合は系列局が少ないため実際に生中継を地上波で見られる地域は他系列に比べ大幅に少ない(セ・リーグ側はこれまで中日ドラゴンズが進出した場合のみに放映権を得ている)。そのため、抱き合わせで権利を獲得しているNHK BS1(以前はNHKハイビジョンも。BSジャパンは現状未実施)での中継で補完することになる。
- 過去にテレビ東京は次の試合を放送している
- 1970年・ロッテ対巨人(第3・4試合。第4試合はNHK総合テレビジョン並列)
- 1974年・ロッテ対中日(第5試合)
- 2003年・ダイエー対阪神(第7試合 制作・TVQ九州放送)
- 2005年・ロッテ対阪神(第2・7試合。但しロッテ4連勝のため第7試合は中止)
- 2006年・日本ハム対中日(第4試合 制作協力・テレビ北海道)
- 2007年・日本ハム対中日(第2・5試合 第2試合は制作協力・テレビ北海道 第5試合はセ・リーグ側のホームゲーム 制作協力・テレビ愛知)
- 2009年・日本ハム対巨人(第7試合 制作協力・テレビ北海道 予定されていたが、前日の第6試合で巨人が優勝を決めたため中止)
- 2010年・ロッテ対中日(第4試合 第1試合=セ・リーグ側ホームゲームもテレビ愛知が放映権を得たが、全国中継せず。仮に第8試合にもつれた場合はテレビ愛知協力による全国放送となる予定であった)
- 2011年・ソフトバンク対中日(第2・5試合 第2試合は制作協力・TVQ九州放送 第5試合はセ・リーグ側のホームゲーム 制作協力・テレビ愛知)
- 過去にテレビ東京は次の試合を放送している
- 1970年と1974年は日中の開催で、一部の局ではローカルセールスの時間帯であったことから、特に東京12chとの結びつきが強い地方局への番組販売(中京圏は本来なら日経資本の中京テレビで中継されるべきだったが、UHFの視聴世帯がまだ少なかったため、名古屋放送で中継。近畿地方は1970年の第3戦と1974年の第5戦は当時クロスネット局の関係にあった毎日放送(MBS)で、1970年の第4戦は当時から東京12chの準キー局扱いであった近畿放送・サンテレビジョンで中継)にて同時放送が行われた。
- しかし、ナイター開催以後の6回(試合自体がなかった回は除く 以下同文)の中継は系列局の編成の都合から生放送はTXN系列5局と中京・近畿の独立県域局を視聴できる地域に限られており、2003年は地方局には90分に編集した録画中継版を販売して当日深夜(翌日未明)に放送した局もあったが、2005年以降はそれも行われず、系列のない大多数の県ではTXNの実況を見られない状態となっている(BSジャパン・TX系列のCS(アニメシアターXや日経CNBC)でも中継されていないため)。またテレビ北海道などでは中継局がないなどの理由で視聴できない地域があったり、2003年や2007年のように、中継権を得た試合が優勝決定戦になったことで、「全域で放送できなければ放送権を取るな!」という苦情もある。
- 1999年・ダイエー対中日も一度第7試合をテレビ東京系列(制作・TXN九州)で放送することが決まっていたが、系列局が少ないのと、衛星放送の普及が進んでいない(デジタル放送の開局は2000年12月1日)という理由でANN(九州朝日放送)に移譲したことがあった。しかし、ダイエーが4勝1敗で優勝し、第7戦そのものが開催されなかった。
- また、1998年に日本ハム[注釈 10]、2001年にダイエーがそれぞれ進出した場合、1998年は第4戦、2001年は第7戦の放映が検討されていたが、優勝を逃したため実現に至らなかった。
- なおANN(NET→ANB→EX)系は1970年代後半のUHF局開局以後1990年代の平成新局の開局ラッシュ時まで、基幹都市から段階を追い、最終的に基幹都市以外の地方系列を増やしているが、系列局が少なかった時代はその推薦をなかなか受けられなかったため中継ができた試合は限られた。特に南海ホークスと結びつきの強いMBSが1975年3月30日の腸捻転ネットチェンジが解消するまではANN(NET)の系列だったことからMBS発の南海戦の日本シリーズの放送は1959年の対巨人戦の第1・2戦[注釈 11]、南海戦以外では1962年・阪神対東映の第1・6・7試合の3試合のみで、合計5試合に留まった[注釈 12]。
- また、NHKでも1991年までは主に最速で優勝が決まる第4試合を中心に(例外あり)NHK総合テレビジョンで生中継されていたが衛星放送の普及による番組編成の見直しから地上波での放送はそれ以後行われていない。独占放送は前述・1974年の中日対ロッテ第6戦(ロッテが優勝を決めた試合)を最後に途絶えている。
県域独立局
- 1985年・阪神対西武の第3・5試合がサンテレビジョン(兵庫県ローカル)で放送された。独立県域局ではネット受け以外で史上初の放送権となったが、この時は第3戦が朝日放送、第5戦はよみうりテレビとの並列放送だったので、独占放送ではなかった。
- 2010年は第1・2・5試合は全国で地上波の中継が行われなかった。中部日本放送が系列局であるTBS系列に優先権があったが、時間帯が『世界バレー』中継と重なったことからTBSは放送権を獲得しなかった。但し、第1戦はナゴヤドームがある愛知県ローカル局のテレビ愛知[注釈 13]、第2戦は中京広域圏の東海テレビで、第5戦は千葉マリンスタジアムがある千葉県ローカル局の千葉テレビでは放送された。前述・阪神対西武の試合が広域放送(準キー局)との並列だったが、この試合の地上波放送は千葉テレビだけであるため、当初は史上初の「県域独立局独占中継」となる可能性があった。その後、第5戦の中継に関しては、11月3日にCBC(19:00 - 20:54)と三重テレビ(18:15 - 試合終了まで)が急遽東海地方での放送を受け持つことになった[5][注釈 14]が、それでも関東地方では千葉テレビだけでの放送であり、キー局を含め「関東地方テレビ局独占中継」の形となった。
衛星放送
系列局ごとによって対応が異なる。プロ野球中継放送実績の無い放送局は原則として省略する。
CS放送
- 日本テレビ系列 読売ジャイアンツが出場した場合、日テレG+を通して巨人主管試合を全試合完全生中継と深夜に完全録画中継(地上波同内容)。巨人以外の他球団が出場し、日テレ系列の放送局が放映権を得た場合の放送実績はこれまでないため不明。日テレプラス ドラマ・アニメ・スポーツは放送実績なし。
- テレビ朝日系列 テレ朝チャンネル2(2012年は朝日ニュースター。2011年まではテレビ朝日系製作の試合はスカイ・エーで放映)で地上波と同じ内容で完全録画中継(なお、テレビ朝日には直轄のCSテレ朝ch1もあるが、こちらは編成の特殊性の関係上、放送実績なし)。
- TBS系列 TBSニュースバードで地上波と同じ内容で完全録画中継(過去中日・ソフトバンク主催試合で実績あり。但し2011年の一部の試合は地上波での放送は実況を差し替えてあった)。
- テレビ東京系列 CSでの放送実績なし(直轄の日経CNBCとアニメシアターXはそれぞれ編成の特殊性の関係上、放送できない。)。
- フジテレビ系列 フジテレビONE(739)またはフジテレビTWO(721)で地上波と同じ内容で完全生中継(都合により録画中継した試合あり)。
- その他 2010年は地上波全国放送が行われない試合があったため、J SPORTSで第1・2・5試合を自主制作(うち、第1戦はテレビ愛知の映像提供を受けて)で放送した。FOX SPORTS ジャパンは放送実績なし。
BS放送
- NHK NHK-BSでは1998年・2002年を除いて放送実績がある。2009年以降、BSではNHK BS1のみでの放送となり、他BS局では2012年のBS日テレでの録画ダイジェストを除いて放送されなくなった[注釈 15]。
- BS1 1989年 - 1993年(全試合中継録画)、1994年(第4・6戦。第1・2・3・5戦は中継録画)、1995年(第4戦)、1996年(第3戦)、1997年(第4戦)、1999年(第1・2戦)、2000年(第4・5戦)、2007年(第2・5戦)、2009年(第1・2・3・6戦)、2010年(第1・2・3・4・5戦)、2011年(第2・5・6・7戦)、2012年(第2・3・4戦)、2013年(第2・3・6・7戦)
- BShi 2008年(第1・6・7戦)
- BS1・BShi同時放送 2001年(第2戦)、2003年(第1・2・4・5・7戦)、2004年(第2・7戦)、2005年(第2戦)、2006年(第2・4戦)
- 日本テレビ系列 BS日テレでの放送実績なし(ただし2003年(第2戦、第5戦)、2012年(第1戦、第6戦)は1時間のダイジェスト版として放送)。
- テレビ朝日系列 BS朝日で2001年(第1・4戦。後者録画)、2002年(第3戦)、2003年(第3・6戦。後者録画)は完全中継で、また2006年(第3・5戦)、2007年(第1戦)、2008年(第2-5戦)はそれぞれ1時間のダイジェスト版を放送した。
- TBS系列 BS-TBSで2002年(第4戦)、2004年(第5戦)の放送実績がある。
- テレビ東京系列 BSジャパンでの放送実績なし。
- フジテレビ系列 BSフジで2001年(第3・5戦)、2004年(第6戦)の放送実績がある。
- その他 BS11・TwellV・FOX bs238・J SPORTS[注釈 16]での放送実績なし。
ラジオ放送
日本シリーズはNPB主催のため、レギュラーシーズンの放送権の有無に関わらず平等に中継することができる。2012年現在はJRN系列における東京ヤクルトスワローズのホームゲームが該当する。放送権は原則としてシリーズ全試合が対象。
NHKラジオ第1放送とTBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、CBCラジオ、ABCラジオ、MBSラジオは毎年生中継を実施、そのうちニッポン放送は開催球場問わず全試合自社制作となる。
なお、シリーズ期間中はナイターオフ編成のため、レギュラーシーズンとネットワーク編成が異なる上、ネット受けの放送を行わない局も出てくる。また、地元球団がある局では地元球団が出場した場合のみ放送する局もある。
ラジオ大阪は2006年以降、放送は行っていない[注釈 17]。RFラジオ日本は2013年以降読売ジャイアンツのホームゲームのみ放送(2012年も出場したが放送はなかった)。
脚注
注釈
- ^ 具体例として、2013年の日本シリーズで広島対楽天となる場合、広島・仙台間の当日移動が不可能であるため、この場合は移動日を含めすべて1日順延とするとしていた(実際は、セ・リーグのクライマックス優勝が巨人だったので効力せず)[1]
- ^ 1994年はデーゲーム・ナイター併用のため、デーゲームの場合は18回まで(以後デーゲームでの開催は2011年第1戦まで実施されなかった)。
- ^ 2011年と2013年は中国が辞退。
- ^ オーストラリアは2011年から参加。
- ^ ヨーロッパは2013年から参加。
- ^ 同グループではコナミデジタルエンタテインメントがNPBパートナー(オフィシャルスポンサー)を務めている。
- ^ 1973年の年間勝率で首位は阪急・2位はロッテであり、それ以外の年間勝率首位は1975年は近鉄・1979年は阪急・1982年は日本ハムである。
- ^ 仮に予定通り開催されていれば、日本シリーズ史上初の9月開催となるところであった。尚、メジャーリーグでは1918年のワールドシリーズが戦火の影響で9月に繰り上げられたことがある。
- ^ a b 本来の保護地域以外での越県開催はこの2例のみ
- ^ 日本ハムについてはこれまでテレビ朝日(ANN)系がほぼ独占的に放送(1981年の日本ハム主管3試合はテレ朝独占)していたが、1990年代中盤以後は主に週末のデーゲームを中心にした試合放送が強化されたことを受けて推薦されることが検討されたためである。
- ^ 読売テレビ、日本テレビ、NETとの4社共同制作・同時放送。そのうち第1戦がMBS主導、第2戦はYTV主導での制作だった。なお後楽園に移ってからの第3・4戦もこの形態だったが日本テレビ主導での放送であった
- ^ またMBSは先に述べた1970年・ロッテ対巨人第3戦と1974年・ロッテ対中日第5戦の2試合において東京12chとのネット受けによる中継を行った。
- ^ 放送時間は18:30 - 20:56。ただし、最大21:00まで延長あり。同じTXNネット局のテレビ大阪にもネットされた(19:00 - 20:54。「土曜スペシャル」を差し替えて放送。延長なし)。なおテレビ愛知では、「出没!アド街ック天国」放送中も、試合終了まで2画面放送を行っていた。
- ^ CBCは独自放送で、三重テレビは千葉テレビの中継をネットする形での放送。
- ^ 一部試合はNHKワールド・プレミアムでも海外向けに同時放送された実績もある。
- ^ 2010年にJ SPORTSで放送した当時BS放送は開始されていなかった。
- ^ 2008年以降、日本プロ野球のレギュラーシーズンの放送も行われていない。
出典
- ^ コナミ2013日本シリーズ公式サイト・開催概要より
- ^ 巨人過去最高1億円余り 日本シリーズ分配金(47NEWS、2009年11月11日)
- ^ コナミ日本シリーズ2011 試合開始時間 - 日本野球機構オフィシャルサイト 2011年11月1日
- ^ 日本シリーズ、今年は全試合を地上波で全国中継 産経新聞(2011年11月9日、2011年11月14日閲覧)
- ^ 『日本S第五戦をCBCが中継へ』(小見出しで『三重テレビも』と記載あり) 2010年11月3日付中日新聞朝刊。