青木愛 (実業家)

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青木 愛(あおき あい。本名 神山愛 1973年 - )は東京都出身の実業家。ヴィリーナジャパン株式会社代表取締役社長[1]

あおき あい

青木 愛
生誕 1973年
日本の旗 日本
出身校 日本女子大学
職業 実業家
配偶者 あり
子供 3人
親戚    
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人物

日本女子大学文学部日本文学学科卒業[1]。前夫との間に2人の男児、現在の夫との間に女児がいる。3児の母。[2]

経歴

印刷関係の仕事をする両親のもとで育つ。中学生の頃からファッション雑誌に興味を持つようになった[3][4]

日本女子大学在学中には出版社に的を絞っての就職活動を行い[3]卒業後の1996年平成8年)、株式会社婦人画報社(当時)に入社した[4]。同社では編集者として雑誌、『ラヴィドゥトランタン』、『バンサンカン』、『ヴァンテーヌ』などの編集に携わった[5][2]

2000年に会社員の前夫と結婚。前夫がNYに留学[5]、前夫の渡米1年後の2003年(平成15年)、会社を休職しニューヨーク渡米。[4]。休職中、アシェット・フィリパッキ・メディア U.S.社の、ティーンエイジャー向け女性雑誌 『エル・ガール』編集部でのインターンを志願。[5][2][6]。「インターナショナル・ファッション・コントリビューター」という職名でインターンとして働く[5][3]。2003年末に日本に帰省した際に自身が妊娠2-3週であることを知り、2004年に男児をニューヨークで出産した[2][6]。この際妊娠8ヶ月になった時点で『エル・ガール』編集部に通うのを止めている[3]

その翌年、日本に帰国、2005年(平成17年)になるとアシェット婦人画報社に復職、雑誌、『エル・ジャポン』にファッション担当として編入したが[1][4]、仕事と家庭の両立に悩み、間もなく退社した[2]。翌2006年(平成18年)、アシェット婦人画報社の退職金などを元手に、妊婦用衣服等の輸入販売を行う、ヴィリーナ ジャパン株式会社を起業した[2]。最初に輸入販売したのは、シカゴニューヨークロサンゼルスなどで買い付けてきた、約80点の物品であったという[2]。その後2009年に2人目の男児を出産。前夫と離婚。再婚を経て2013年、女児を出産。

出版

  • 『hot mama -私、妊婦ですが何か?』 (訳書) アシェット婦人画報社、2006年7月 - 妊娠中のアメリカで読んで翻訳を決めた[3]

ヴィリーナ ジャパン株式会社

  • 所在地: 東京都港区西麻布3-8-15 麻布YANAGIDAビル
  • 代表取締役: 青木 愛
  • 業務内容: マタニティウエア、婦人服、婦人雑貨、ベビー服、子供服、書籍等の輸入、販売
  • 設立: 2006年平成18年)6月23日
  • 英字表記: Virina Japan Inc.

脚注

  1. ^ a b c ヴィリーナジャパン株式会社 代表取締役 青木愛さん”. ママリブ. 2011年7月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g About Us ヴィリーナジャパン株式会社 平成22年9月10日閲覧
  3. ^ a b c d e 妊娠出産を経て価値観が変化、マタニティの世界へ 「私の仕事ストーリー」 青木愛 エル・オンライン、平成22年9月10日閲覧
  4. ^ a b c d 小田ユイコ. “少ない努力で、最大限の効果! 美は無理せず手に入れるもの”. BIGLOBE キレイスタイル. 2011年7月25日閲覧。
  5. ^ a b c d 青木 愛 プロフィール”. All About. 2011年7月25日閲覧。
  6. ^ a b N.Y.の出版社で目の当たりにした 「働く妊婦とママ」の自然なスタイル”. カフェグローブ・ドットコム. 2011年7月25日閲覧。

外部リンク