国鉄117系電車
117系電車(117けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1979年から製造した直流近郊形電車。1979年から1986年にかけて、主に老朽化した153系の置き換え用として216両が製造され、1987年の国鉄の分割・民営化時には東海旅客鉄道(JR東海)に72両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に144両がそれぞれ承継された。
117系電車 共通事項 | |
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![]() 117系0番台国鉄標準色 | |
基本情報 | |
製造所 | 川崎重工業・近畿車輛・日本車輌製造・東急車輛製造 |
主要諸元 | |
編成 |
6両編成(4M2T) 4両編成(2M2T) 8両編成(6M2T) |
軌間 | 1,067mm |
電気方式 | 直流 1,500V |
最高運転速度 |
110 km/h (西日本車は115km/h) |
起動加速度 | 1.8km/h/s |
減速度(常用) | 3.5 km/h/s |
減速度(非常) | 5.0 km/h/s |
車両定員 | 64(席)+ 8(立)= 72名(中間車) |
自重 |
最小 31.3 t(トイレなし先頭車) 最大 43.7 t(中間電動車) |
最大寸法 (長・幅・高) | 20,000mm×2,946mm×4,066mm |
台車 |
ウイングばね式インダイレクトマウント空気ばね台車 DT32E・TR69H(0番台) 円錐積層ゴム式ボルスタレス台車 DT50C・TR235B(100・200番台) |
主電動機 |
直巻整流子電動機 MT54D 120kW / 基 |
駆動方式 | カルダン駆動方式 |
歯車比 | 1 : 4.82 |
制御装置 |
抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁制御 (CS43A・電動カム軸接触器式) |
制動装置 |
電気ブレーキ併用電磁直通ブレーキ 抑速ブレーキ 手ブレーキ |
保安装置 |
ATS-SW(JR西日本車) ATS-ST・ATS-PT(JR東海車) |
備考 |
概要
開発経緯と特徴
京阪神地区の東海道本線・山陽本線で運行している新快速には、1972年からそれまでの113系に代えて、山陽新幹線岡山開業に伴う山陽本線急行の淘汰で余剰となった153系が投入されていた。153系はこの時点では113系と異なり、既に冷房装置を搭載していたが、製造初年が1958年と古く、座席がボックスシートであり、並行する阪急電鉄京都線と京阪電気鉄道京阪本線の特急車両がいずれも転換クロスシートを採用していたのに比べると見劣りしていた。また、本来は急行形として設計された車両であり、デッキを有する客室構造はラッシュ時の輸送に難点があった。
117系は153系のこうした問題点を解消し、かつ、並行私鉄に対抗できる客室設備を備え、京阪神地区の輸送事情に適合する車両として設計された。客室設備は1975年に北九州地区に投入されたキハ66・67系を基本としており、それまで一貫して車両の標準化を推進してきた国鉄が地域の事情に応じて設計、製造した嚆矢となっている。
新造開始後、本系列による新快速には153系時代の「ブルーライナー」に対して、「シティライナー」という新たな愛称が与えられた[出典 1]。
さらに、1982年には東海道本線名古屋地区の快速に使用されていた153系の置換え用として、「東海ライナー」という愛称で[出典 2]名古屋地区にも投入されている。
構造
※ここでは0番台製造当時の構造について述べる。
車体
全長20mで、各種の腐食対策が施された鋼製車体に片側2か所の半自動対応[注釈 1]の両開扉を設置する。
屋根部分は張り屋根となっており、車両妻面上部には押え用金具を確認することができる[出典 3]。車体番号は、車両側面に切り抜き文字を張り付けている[出典 3]。
側面のレイアウトは先行するキハ66・67系・阪急2800系などに類似しており、戸袋部を除いて2段上昇式の窓を2セットずつ1組としたユニット窓が並ぶ。このため、窓配置は制御車がd1(1)D(1)2222(1)D(1)2(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)、中間電動車が2(1)D(1)2222(1)D(1)2という独特の形態[注釈 2]である(下図参照)。
前面形状も独自のもので、157系に類似する、「鼻筋」の通った流線形の構体に高運転台、左右各2灯を腰部に備えた前照灯、中央窓下に設けられた列車種別表示器とタイフォン(警笛)、と従来にないデザイン[注釈 3]となっている。
塗装はクリーム(クリーム1号)を基本とし、マルーン(ぶどう色2号)の細帯が窓下に入る構成である。
登場時の6両編成側面図。パンタグラフが一般的な電動車ユニット2両の中央寄りではなく、一方の外側寄りに搭載されていることが特徴。
このクリームとマルーンの2色塗装は新快速のルーツである急行電車[注釈 4]に使用されていた52系や、戦後の1950年に製造された80系の塗装に類似した、大阪鉄道管理局伝統のカラースキームに則った塗色が選ばれている。従来、国鉄の近郊形電車は電気方式が同じであれば同一の塗装を施すルールとなっていたが、本系列ではそのルールを打破して系列専用色が採用され、以後、105系などで地域固有色が採用される先駆けとなった[注釈 5]。
冷房装置は国鉄標準のAU75B集中式冷房装置[注釈 6][出典 4]を屋根中央に搭載するが、その前後にキハ183系などと同様に新鮮外気導入装置を設置している。そのため、従来の車両に取り付けられていた押込式通風器は廃止されている。
座席は全席転換クロスシートでつり革は一切設けられず、車内妻面の化粧板を木目調の仕上げとして、さらに蛍光灯にはグローブが取り付けられるなど、近郊形電車としては破格の高級感を演出している。天井は平天井となったが、両隅(荷棚上部)に境目があり角張っている。この処理は製造初年が近い781系や185系も同様であり、本系列以前では新幹線0系[注釈 7]や京成旧AE形にも見られた特徴である。また、編成中に1か所、和式便所を備える。
主要機器
写真は共にJR東海所属車で、床下機器の塗色はねずみ色1号となっている。
設計当時の標準品を多用しているが、最高速度が従来の近郊形電車の標準である100km/hから110km/hに引上げられた関係から、その多くは上位機種を採用している。
電源・制御機器
MM'ユニットを採用し、M車(モハ117形)には主制御器・抵抗器 (MR136)・集電装置が、M'車(モハ116形)には電動発電機・電動空気圧縮機が搭載される。
主制御器は381系(CS43)の流れをくみ、信頼性と保守性を考慮して417系で使用し、実績のあった電動カム軸式のCS43Aで、抵抗制御と直並列制御を組み合わせて加減速を行う。勾配抑速ブレーキや条件が整っていれば並列段からの再加速が可能である[注釈 8]。当時すでに16 - 17年に亘って増備が継続していた113系では153系と共通のCS12系が、115系では165系と共通のCS15系がそれぞれ最終増備車まで搭載されたが、新形式の本系列には、カム軸機構の改良などにより内部動作の多段化が行われスムーズな加速を可能とした、当時最新のCS43Aが採用されることになった。主制御器1基で2両8基分の主電動機を制御する1C8M方式である。主電動機は当時の国鉄電車の標準機種の一つであり、113系などと共通の直流直巻式整流子電動機であるMT54D[注釈 9]を装備し、歯車比も従来の近郊形と同様の1:4.82とされた。
冷房や補機類の電源となる電動発電機は、160kVAの容量を備えるMH135-DM92を採用する[出典 5]。東芝が原設計を担当し、4両給電が可能となっている[出典 6]。空気圧縮機は、立形3シリンダのMH113B-C2000Mを搭載する[出典 5]。
台車
台車は高速走行時の走行特性やDT24系空気ばね台車を装着していた153系からの置き換えであることなどを考慮し、近郊形標準のDT21系コイルバネ台車ではなく、特急・急行形で使用実績のあるインダイレクトマウント空気バネ台車であるDT32E(電動車)・TR69H(制御車)を採用する(右図)。
集電装置
集電装置は設計当時に直流形電車の標準品であったPS16系菱形パンタグラフであるが、湖西線での運用を考慮し、ばね部分にカバーを施した耐寒耐雪仕様のPS16Jが採用されている。
連結器
連結器は国鉄標準の柴田式密着連結器を採用するが、153系の運用形態を踏襲し、ラッシュ時に6両編成を2編成組み合わせて12両編成で運用する計画であったことから、増解結作業の容易化のために、連結器には国鉄初となる自動解結装置と電気連結器が採用されている[注釈 10]。
形式と編成
本系列の編成、および構成する諸形式を以下に示す。本系列は、電動車4両・制御付随車2両によるMT比2:1の6両編成を基本として計画・製造された。これは設計当時における国鉄の標準的な構成である。後年の編成組み換えにより、電動車2両・制御付随車2両による4両編成(MT比1:1)と電動車6両・制御付随車2両による8両編成(MT比3:1)が加わった。本系列においては、各派生番台も含め中間付随車は存在しない。
クハ117 | モハ117 | モハ116 | モハ117 | モハ116 | クハ116 |
Tc | M | M' | M | M' | Tc' |
クハ117 | モハ117 | モハ116 | クハ116 |
Tc | M | M' | Tc' |
クハ117 | モハ117 | モハ116 | モハ117 | モハ116 | モハ117 | モハ116 | クハ116 |
Tc | M | M' | M | M' | M | M' | Tc' |
新造時の各番台の概要
0番台
1979年から製造された基本番台である。
1979年9月12日に川崎重工業兵庫工場で量産先行試作車となる第1編成6両が竣工し、各種性能試験と習熟運転の合間に鉄道記念日イベントの一環として同年10月13・14日に大阪・京都・神戸・姫路の各駅で車両展示会を開催した[出典 7]。各編成の竣工日とメーカーは以下のとおり[出典 8]。
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営業運転は1980年1月22日に第1編成を当時運行されていた新快速・快速の内、分割併合を伴わない単独運用[注釈 11]に充当する形で開始された。
その後は同年3月末までに8編成48両が宮原運転所(現:網干総合車両所宮原支所、以下同じ)に出揃って同数の153系(クハ165形を含む)[注釈 12]が捻出され、このうち状態不良の25両を廃車[注釈 13]、名古屋鉄道管理局へ19両、長野鉄道管理局へ1両、広島鉄道管理局へ3両をそれぞれ転属し、各局に在籍する153系老朽車との置き換えや車両増に充当された[出典 9]。
これにより新快速は本系列8編成、153系13編成となった。さらに同年4月から7月にかけて2期目の置き換え作業が実施され、本系列が13編成新造されて予備編成を含めた新快速運用の必要数である6両編成21本(126両)が宮原運転所に揃ったことで、1980年7月10日には全新快速運用の本系列への置き換えが完了し、1972年3月以来約8年に渡って新快速に使用されていた153系が完全に淘汰された。153系は状態不良車39両が廃車され、27両は名古屋鉄道管理局へ、12両は東京南鉄道管理局へ転属となり、それぞれ153系状態不良車との置き換えが実施された[出典 10]。
さらに1982年には、名古屋地区用として、扉の半自動機能使用停止措置(戸閉機械は従来車と同一)[注釈 14]および自動解結装置の省略、パンタグラフの暖地仕様化、クハ117形へのトイレの設置など一部仕様を変更の上、大垣電車区に6両編成9本(54両)が投入されている。
100・200番台
国鉄の分割民営化直前に実施された1986年11月1日のダイヤ改正にともなう、京阪神地区の新快速増発用および名古屋地区の編成短縮(6両→4両)[注釈 15]による快速増発用に投入された増備車である。4年ぶりの増備であることから、その間の技術の進歩や運用実績を反映し、各部の設計が変更されている。主な変更点は以下の通り。
- 車端部のデッドスペースを減らして扉回りの立席スペースを拡大。
- 側窓を外はめ式のユニット構造から、2列1組のバランサー付き1段下降式に変更。
- 車体裾部にステンレス材を使用するなど台枠付近の防錆構造を強化[注釈 16]。
- 台車のDT50C(電動車)・TR235B(制御車)[注釈 17]への変更と、これに伴う床面高さの45mm引き下げ(1235mm→1190mm)。
- 座席のバケットタイプへの変更。
- 冷房装置のAU75Eへの変更。
本番台車は京阪神地区用に6両編成3本(18両)、名古屋地区用に先頭車のみ18両(クハ117形、クハ116形各9両)、計36両が投入された。
クハ117形は、0番台では名古屋地区向けの増備車においてトイレ付きに変更されていたが、京阪神地区向けは従来車に合わせて再びトイレなしに変更された。一方、名古屋地区向け車は従来の6両編成を3両ずつに分割の上、それぞれに新造の先頭車を連結するという方式[注釈 18]で投入されることとなった。よって、名古屋地区向けでは全ての編成で1両だけ形態の異なる先頭車が連結されることになった。なお、編成中のトイレを1箇所とするため、クハ117形100番台は京阪神地区向けと同仕様のトイレなしで、クハ116形は京阪神地区向けと異なるトイレなし仕様の200番台として投入された[注釈 19]。なお、名古屋地区向けは編成短縮と同時に神領電車区に転属し、中央西線快速の増発にも充てられた。
運用
本系列は新造以来国鉄分割民営化まで、京阪神・名古屋両地区において新快速・快速を中心に運用された。
国鉄の分割民営化に際しては、京阪神地区への投入車は全車JR西日本に、名古屋地区への投入車は全車JR東海に承継され、両者間でのやりとり(連結・譲受など)は現在まで皆無となっている。2013年(平成25年)3月16日のダイヤ改正で、JR東海所属車は全て定期運用を失い、2013年度中に全て廃車された。
JR各社での運用状況は以下の通り。
JR西日本
新快速運用からの撤退と転用
(1991年、姫路駅)
(1991年、姫路駅)
京阪神地区では、221系の投入により1990年3月10日のダイヤ改正から新快速の最高速度が115km/hとなった。これは、車両や施設の改造を行わずに出せる最高速度として設定されたものである[出典 11]しかし、221系の増備により余剰が生じるようになったことと、1991年3月16日のダイヤ改正から早朝深夜を除いて新快速の最高速度が120km/hとなった関係で、同年からは福知山線(JR宝塚線)への転用(300番台への改造)、および編成短縮による奈良線・湖西線・草津線・山陽本線岡山地区の快速「サンライナー」(岡山地区への転用)への転用が開始された。編成短縮で発生した余剰車は115系に組み込まれ(115系3500番台への改造)、初めて車両数の減少があった。
新快速用に残った117系も、片側2扉6両編成(ラッシュ時は12両編成)の運用では乗客数の増加に対応できず、最高速度115km/hで120km/h運転に対応できないことから日中とラッシュ時の新快速運用への充当が困難になり、1992年3月14日のダイヤ改正以降は本系列の新快速運用は原則的にダイヤと輸送力に余裕がある朝晩のみ、それも大阪駅 - 京都方面間限定[注釈 20]となった。これらは、1999年5月11日のダイヤ改正から一部時間帯において223系による西明石駅 - 草津駅間での130km/h運転が始まったのに伴い、1999年5月10日限りで本系列による定期新快速運用が終了した。221系も翌2000年3月10日限りで定期新快速運用が廃止された。
2012年現在、当初新快速用として配属された車両は、吹田総合車両所京都支所(旧:京都総合運転所)の6両編成2本12両[注釈 21]までに減少している。トイレの増設(クハ117形)とバリアフリー対応化改造が行われ、準団体用となっている。これらはJRマークの消去と登場当時の前面種別幕を使用(誤乗車を防ぐため、側面は「臨時」)するとともに連結、「リバイバル新快速」として2004年10月10日に一日限り、それも限定運用ではあったが再び新快速運用に充当された。また、2009年4月には湖西線の臨時列車で再び新快速運用に充当された[出典 12]。
また、他線区へ転用された車両も、221系による丹波路快速が2000年3月11日に運転開始されたことに伴って福知山線(JR宝塚線)での定期運用が削減され、同線での余剰車は同年3月からは日根野電車区(現:吹田総合車両所日根野支所、以下同じ)に配置され和歌山線運用に充当されるようになり、2001年3月3日には221系によるみやこ路快速の運転開始に伴って奈良線での運用が終了するなど、JR西日本の車両増備とこれに伴う既存車両の転配で使用範囲の変化が発生している。特に100番台は2005年に全編成とも中間2両を抜いた状態で岡山電車区を経て下関車両管理室へ転出となり、その後追加で配置された300番台2本とともに山陽本線下関地区(新山口駅以西限定)で使用されるようになっている。なお、これらの運用開始により、それまでわずかに残っていた、国鉄時代から続いていた九州旅客鉄道(JR九州)415系によるJR西日本での運用が置換えられた。
度重なる転配属により、各番台・塗装が混結する編成が存在している。
300番台への改造
JR西日本に承継された車両のうち、221系の増備に伴い余剰となり、1990年3月10日以降福知山線(JR宝塚線)へ転用されたグループ。車両番号は元番号+300。1992・1993・1995年に計58両が改造され、宮原総合運転所(現:網干総合車両所宮原支所、以下同じ)に配属された。
ラッシュ時に運用するには2扉構造が災いして乗降に時間がかかり、列車遅延の原因となったため、その対策として扉から中央寄りの転換クロスシートがロングシートに変更され、床面積を増やすことで定員増が図られている。それに伴いブレーキに応荷重装置が追加され、塗装は白に緑帯となった。なお、これの先行改造として座席を一部撤去したのみで運用に充当された車両が存在した。
しかし、それでもラッシュに対応しきれなくなり、ラッシュ時には乗客の流れと逆方向の福知山方面や朝晩の列車が運用の主体になった。2000年3月からは4両編成2本が日根野電車区へ転じる車両が発生(#紀勢本線・和歌山線への転用)し、残った車両もJR福知山線脱線事故を受けて同線にATS-Pが設置されたことを期に2005年6月18日限りで対応改造を受けないまま他線区へ転出の措置がとられた。
福知山線撤退まで残存した各編成は2012年時点では吹田総合車両所京都支所へ配置され、湖西線・草津線などの運用に充当されている。一部編成はATS-P車上装置が設置され、また、100番台の短編成化で余剰となった電動車ユニットを編入している編成も存在する。4両編成2本は前述の通り下関車両管理室へ貸出された。2006年10月21日から湖西線永原駅 - 近江塩津駅間5.8kmが直流電化されたが、6・8両編成の列車は、地上設備の制約などから永原駅が北限になっている。
2009年時点ではクリーム地にマルーン帯のオリジナル塗装に戻された編成も存在する。
新旧番号対応
- モハ117/116-3 - 16, 19, 20, 41, 42 → モハ117/116-303 - 316, 319, 320, 341, 342
- クハ117/116-2 - 8, 10, 18, 20, 21 → クハ117/116-302 - 308, 310, 318, 320, 321
岡山地区への転用
まず、1992年に0番台4両編成6本(24両)が岡山電車区に転用され、トイレの汚物処理装置を循環式からカセット式に交換し、外部塗色も白に赤のグラデーションに塗り替えられた上で快速「サンライナー」などで使用されている。また一部列車ではかつての新快速と同様の115km/h運転も行われている。これらは1999年にワンマン運転対応改造を施工されたが、車内で運賃を収受しないことから運賃箱などは設置されていない。転用車は次のとおり。
編成番号 | クハ117 | モハ117 | モハ116 | クハ116 |
---|---|---|---|---|
E1 | 9 | 18 | 18 | 9 |
E2 | 11 | 22 | 22 | 11 |
E3 | 13 | 26 | 26 | 13 |
E4 | 15 | 30 | 30 | 15 |
E5 | 17 | 34 | 34 | 17 |
E6 | 19 | 38 | 38 | 19 |
その後、先述のとおり100番台4両編成3本(12両)を宮原総合運転所から借入し、一時的にE11 - E13編成として岡山地区でのローカル運用を主体に一部は快速「サンライナー」にも使用されたほか、米子地区での多客輸送臨時列車としても使用された。この際、岡山電車区は100番台に装備されていたトイレの循環式汚物処理装置の抜き取り設備はなく、設備のある後藤総合車両所を拠点とする米子地区での運用時以外はトイレ使用停止状態で使用された。このことが運用上の制約を生む結果となり、2005年10月までに100番台4両編成3本は下関車両管理室へ又貸しされることになった。2010年2月8日から網干総合車両所に検査入場していたE05編成が濃黄色一色に塗り替えられ、同年3月23日に出場した[出典 13]。
115系3500番台への改造
1992年に本系列を「サンライナー」へ転用する際、短編成化(6両→4両)によって発生した余剰中間電動車が山陽地区で使用されている115系の先頭車と混結できるよう改造されたものである。
新旧番号対応
- モハ117/116-17, 21, 23, 25, 27, 29, 31, 33, 35, 37, 39, 303, 315, 316→モハ115/114-3501 - 3514
紀勢本線・和歌山線への転用
2000年3月に、福知山線(JR宝塚線)用の300番台4両編成2本が福知山色のまま日根野電車区へ転属し、G801編成、G802編成として和歌山線全線で使用されるようになったのが始まりである。それまでの和歌山線専用の同区113系湘南色車(G416編成・G417編成)による朝夕ラッシュ時の運用をそのまま移管する形で運用された。なお、運用の間合いで阪和貨物線の路線維持回送列車(錆取り列車)としても使用された。
運用上の常駐先であった新和歌山車両センター(現:吹田総合車両所日根野支所新在家派出所)のトイレ汚物処理設備が同車の循環式に対応しておらず、トイレは使用停止とされていた。2編成配置2運用使用であったため、日根野電車区での検査実施時には同区113系(阪和色車または湘南色車)が代走した。
2001年3月、先述の通りみやこ路快速の運転開始によって宮原総合運転所所属車による奈良線運用が消滅したため、同所0番台の6両編成1本(C14編成)が原色のまま日根野電車区へ転属前提で貸し出された。このうち4両が予定通りG803編成として就役し、上記113系の検査代走の置き換えに使用された。
同年12月、宮原総合運転所で余剰となった300番台先頭車(ともに308号)の2両と、上記G803編成とならなかった2両(40号電動車ユニット)が接客設備が異なったまま組み合わされ、ワンマン運転対応改造と外部塗装のオーシャングリーン地にラベンダー帯化が施工された上で、「G804編成」として翌年1月から和歌山線で運行を開始した。その後同区配置の残りの編成も順次ワンマン改造・塗装変更が行われた。
2002年3月、宮原総合運転所から下関車両管理室に貸出され、宇部線「きらら博」臨時快速列車として使用されていた4両編成1本(C12編成)が返却時に転入し、現在の4両編成5本の陣容(G801 - G805編成)となった。この時日根野電車区所属車の運用範囲が阪和線日根野 - 和歌山間、紀勢本線(きのくに線)和歌山 - 紀伊田辺間にも拡大。同時に全編成がワンマン対応、塗装変更され、和歌山線でワンマン運転を開始した。ただし、4両編成のために無人駅でも全扉開放となることから不正乗車の確率が上がるので、扉扱いや車内放送を行わない特別改札車掌が乗務して車内改札を行うことが多い。
この際、運用上の拠点も循環式汚物処理装置の抜き取り設備が設置されている日根野電車区になったことから、トイレも使用可能となった。同年11月、所属が新和歌山車両センターに変更され、阪和線と紀勢本線御坊 - 紀伊田辺間での定期運用が消滅した。この際に各編成のトイレの汚物処理装置を循環式から使い捨てのカセット式へ交換し、トイレの使用可能状態を維持している。さらに2008年8月、所属が日根野電車区に戻された。2012年現在は和歌山線で運用されているが、日根野電車区の113系の臨時検査入場などで編成不足が起きた場合、代走として紀勢本線を走行することもある。ただし、不足が2本以上の場合は本系列は使用されず、奈良電車区の221系を使用する。 しかし日根野区所属の117系は2014年春のダイヤ改正できのくに線(和歌山 - 御坊)での大きく運用を減らすことになった。
吹田工場に検査入場していたG3編成が青緑色一色に塗り替えられ、2012年4月2日に出場した[出典 14]。
転用車は下記のとおり。括弧内は日根野電車区所属の2002年3月までの編成番号
編成番号 | クハ117 | モハ117 | モハ116 | クハ116 |
---|---|---|---|---|
G1 (G805) | 12 | 24 | 24 | 12 |
G2 (G803) | 14 | 28 | 28 | 14 |
G3 (G804) | 308 | 40 | 40 | 308 |
G4 (G801) | 318 | 305 | 305 | 318 |
G5 (G802) | 320 | 341 | 341 | 320 |
下関地区への転用
2005年3月ダイヤ改正にともない、新山口 - 下関間の車両数不足により宮原総合運転所所属車を転用して運用を開始した。2011年末時点では4両編成5本が下関総合車両所に所属。同所属車は全て100番台もしくは300番台で構成されている。
2005年3月ダイヤ改正以前は、新山口 - 下関間でJR九州が所有する415系電車を一部便で使用していた。しかし同ダイヤ改正にて415系の下関以東への乗り入れは中止となり、新山口 - 下関間で車両が不足する事態となった。この事態に伴って宮原総合運転所所属の100番台2編成を岡山電車区に転属、岡山電車区から下関総合車両所への貸出という形で下関地区での運用を開始した。その後、100番台1編成と300番台2編成が下関での運用に追加される。2007年11月より正式に下関総合車両所の所属となっている。
転用に際しての塗装変更は行われず、100番台はクリーム地にマルーン帯のオリジナル塗装、300番台は白地に緑色の2本帯を巻いた福知山線塗装のまま転用されている。ただし前面の表示幕は使用されていない。
転用車は下記のとおり。
編成番号 | クハ117 | モハ117 | モハ116 | クハ116 |
---|---|---|---|---|
C101 | 101 | 101 | 101 | 101 |
C102 | 102 | 103 | 103 | 102 |
C103 | 103 | 105 | 105 | 103 |
C104 | 302 | 311 | 311 | 302 |
C105 | 303 | 312 | 312 | 303 |
JR東海
手前1両だけ窓形状が異なる
(1999年7月30日 近江長岡駅)
民営化直後は、JR東海名古屋地区都市圏輸送(東海道本線、中央西線)の主力車として重用された。しかし、混雑の激しい中央西線ではその車体構造ゆえ乗客を捌き切れなくなり、1988年には3扉ロングシートの新製車211系5000番台に置換えられて撤退し全車が大垣電車区に転属した。東海道本線においては、後継の311系の登場によりメインの新快速を同系に譲ったものの快速用の主力として使用されてきた。しかし、1999年の313系投入に伴う運転速度引き上げが行われると、東海道本線の日中のダイヤは快速が最高速度120km/hとなり、また普通についても211系5000番台3両編成 (2M1T) の走行性能を基準とするダイヤ編成となったため、最高速度、起動加速度ともに対応できない117系は日中の運用がほぼ皆無となり、 朝晩のラッシュ時における金山 - 米原間の快速が中心となり、主に4両編成を2本連結した8両編成で運転される他、平日、あるいは土休日に1本程度の新快速運用が復活した。日中には浜松 - 豊橋間や大垣 - 米原間の運用が見られるが、ほとんどの編成は大垣車両区や熱田駅、大府駅、豊橋駅構内などに留置されるようになった。2006年10月改正以降は大垣 - 米原間の日中の普通運用の大半を占めるなど、多少運用が増加した他、2008年3月改正以降は平日朝に増発された岡崎駅発着の新快速列車にも使用されるようになった。2009年からは一部の編成にはATS-PT設置工事が施されたが、2010年に313系4次車が投入されると、捻出された311系によって一部の運用が置き換えられ、ATS-PT未設置車から廃車が開始された。2011年3月改正では一部の快速、新快速運用は残存したが、岡崎以東の運用は消滅している。
車内は、運転席直後や車端部の転換クロスシートがロングシートに改造された車両が存在するが、特に改番等は行われていない。また、現在の運用状況を鑑み追加改造も行われていない。また、車椅子スペースを設ける改造を受けた車両もない。
塗装は311系登場の1989年にJR東海のコーポレートカラーであるアイボリーにオレンジ帯の試験塗装編成が登場したあと、全車が塗り替えられた。当時は雨樋に1本、窓下に太帯と細帯各1本の計3本の帯が入っていたが、1999年頃より試験塗装と同じ塗り分けに変更され、側面帯が窓下1本に簡略化された。
また前面の快速幕は、当時は白地に黄色で「快速」と表記され、文字の周りが黒く縁取りされており、利用客から見にくいと苦情があったため塗装簡略化とほぼ同時に交換された。列車番号表示器はJR東海では本来の目的では使用されないため、当系列の場合には大垣車両区における編成番号を表示している (S1 - S18) 。
S11編成は2009年8月に落成当時のクリーム地にマルーン帯の車体塗装に変更された[出典 15]。これは同年10月に佐久間レールパークで開催される見学ツアーでの運行に合わせ、登場時の塗色を再現したものである[出典 16]。
S9編成は2010年8月1日から同年9月26日までの土曜日・休日に飯田線で運行される観光列車「そよかぜトレイン117」用として、同年7月に改造工事が施工された。2号車に組成されるモハ116-45は客用扉部分に走行中でも外気を取り入れることが可能な展望柵を設置し、客用扉間の座席を撤去した上で窓に向けてベンチを配した「ウィンディスペース」に改装され、他の3両についても一部の座席の背もたれ部を撤去し大型テーブルが設置されている[出典 17]。
2010年度中に5編成20両が廃車され、このうちS1編成が、旧塗装に戻したうえでリニア・鉄道館で静態保存されている。展示スペースの関係上、元の4両編成ではなくモハ116を外した3両編成での保存展示となっている。
2013年3月16日に施行されたダイヤ改正で、JR東海の本系列は定期運用から退いた[出典 18][出典 19]。
2013年8月5日、JR東海の所有する本形式としては最後まで残った「トレイン117」が浜松まで回送された[出典 20]。同年12月27日と12月30日に残存していた車両がほとんどが廃車され、少数残った車両も2014年1月27日付で廃車され、ここにJR東海の117系は全廃された[出典 21]。
- JR東海塗色車(4両編成)
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クハ116形200番台
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モハ116形
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モハ117形
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クハ117形
保存車
元S1編成だったクハ117-30、モハ117-59、クハ116-209 - リニア・鉄道館(名古屋市港区)[出典 22]、2010年11月同館に搬入されている[出典 23]。
脚注
- ^ 名古屋地区投入分は全自動仕様である。
- ^ この側面レイアウトは115系3000番台にも踏襲された。
- ^ この造形の類似例は、以後においても本系列を基本に設計された185系に見られるのみである。
- ^ 1935年から京都 - 神戸間で運転。急行と呼ばれていたが急行料金を徴収しない、現在の快速や新快速に相当する速達列車であった。
- ^ このマルーンは新快速、ひいてはJR西日本のアーバンネットワークのイメージカラーとして221系をはじめとする多数の系列に継承されている。
- ^ 冷凍能力42,000kcal/h。
- ^ ただし平天井ではない。
- ^ ただし、速度検知を行っていない場合はCS43Aでも直列段から起動する。
- ^ 端子電圧375V時定格出力120kW。
- ^ この装置は就役後大いに威力を発揮し、JR西日本での後継車である221系や223系にも踏襲されている。
- ^ 本系列は既存の153系とは電気連結器等のシステムが異なるため併結ができず、そのため本系列と153系を各1編成ずつ併結して12両編成となる運用には充当できなかった。この制約から本系列投入に伴う153系の置き換え計画では、合計8回に分けて暫定運用が実施されている。
- ^ 新快速用153系電車は、従来充当されていた「鷲羽」などの山陽線急行での運用時に比べ短編成化されたため、当初より多数のクハ165形が混用されていた。1964年の東海道新幹線の開業および1972年の山陽新幹線岡山開業により、東海道・山陽線で準急および急行に充当されていた153系は他線区への転用が進められたが、この際ほとんどの転用先では短編成化が実施されており、このため同時期には当初より153系の制御車として使用することを前提としたクハ165形の新製配置が実施されている。
- ^ 新快速運用に充当されていた153系は、東海道新幹線開業で山陽線急行へ転用され、さらに山陽新幹線岡山開業の際に岡山以西で運行される急行への転用が叶わず行き場を失った、クハ153-3やモハ152-2・3およびモハ153-2・3といった最初期製造車を含む初期製造グループを主体としており、特にクハ153形は低運転台仕様の0番台車が大量に含まれていたことで知られる。このような事情から、状態不良での廃車分はこれらの老朽車に集中している。
- ^ 引退後、リニア・鉄道館の屋外休憩所として使用されている車両は、半自動機能が整備されている。
- ^ このときの代走は165系によって行われた。
- ^ 下降窓からの雨水侵入で車体の腐食が著しかった157系の教訓による。
- ^ いずれも205系用として開発されたボルスタレス台車の仕様を一部変更の上で採用している。
- ^ つまり、全編成をクハ117-モハ117-モハ116-クハ116の4両編成に組み替えている。
- ^ これにより、トイレ付きの0番台車の連結位置により、編成ごとのトイレ設置位置が異なることとなった。
- ^ ただし1995年1月17日の阪神淡路大震災からの復旧後、4月3日からJR神戸線での運用が再開された。
- ^ C1・C16編成:いずれもTc車の番号が編成番号になっている。
出典
- ^ 略年誌 p.201
- ^ 国鉄の車両11 p.69
- ^ a b 『J-train』Vol.42、イカロス出版、2011年、p.64。
- ^ RF229 p.29
- ^ a b 『関西新快速物語』 寺本光照・福原俊一、JTBパブリッシング、2011年、p.134。ISBN 9784533083686。
- ^ 「電車モーターを設計していたころ」(PDF)『わだち』第128号、鉄道友の会福井支部、2010年1月。
- ^ 略年誌 p189
- ^ 50年 p.102
- ^ 略年誌 p.192
- ^ 略年誌 pp.199-200
- ^ 福原俊一:117系近郊形電車のあゆみ その3 『鉄道ファン』2010年1月号。
- ^ 鉄道ファンrailf.jp2009年4月5日付に掲載
- ^ 117系E05編成が黄色一色に - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース、2010年3月25日
- ^ 「【JR西】117系に和歌山地域色登場」 ネコ・パブリッシング 鉄道ホビダス RMニュース 2012年4月3日
- ^ 「117系S11編成が登場当時の塗装となり出場」交友社『鉄道ファン』railf.jp 2009年8月27日
- ^ 「佐久間レールパーク」と木製電車「モハ1」見学ツアー商品の発売 JR東海
- ^ 『117系「トレイン117」編成登場』 ネコ・パブリッシング 鉄道ホビダス「編集長敬白」 2010年7月27日
- ^ “伝説の名車「117系」が来春で引退”. 中日新聞 (中日新聞社). (2012年12月11日) 2012年12月12日閲覧。
- ^ “平成25年3月ダイヤ改正について” (PDF). 東海旅客鉄道株式会社 (2012年12月21日). 2012年12月22日閲覧。
- ^ 『117系S9編成"トレイン117"回送』 ネコ・パブリッシング 鉄道ホビダス RMニュース 2013年8月6日
- ^ 『JR電車編成表2014夏』ISBN 9784330466149 p.357。
- ^ 「「リニア・鉄道館」展示予定車両一覧」 (PDF) (2010年9月23日時点のアーカイブ)
- ^ 「「リニア・鉄道館」に展示車両がそろう」
参考文献
- 『鉄道ファン Vol.20 No.229 1980年5月号』、交友社、1980年(以下、RF229と略記)
- 関西国電略年誌編集委員会編・大阪鉄道管理局 運転部電車課監修 『関西国電略年誌』、鉄道史資料保存会、1982年(以下、略年誌と略記)
- 関西国電50年編集委員会、『関西国電50年』、鉄道史資料保存会、1982年(以下、50年と略記)
- 関崇博・成田冬紀『国鉄の車両11 東海道線II』、保育社 1984年 ISBN 4586530111(以下、国鉄の車両11と略記)
関連項目
外部リンク
- 117系 車両のご案内 - JR東海