加藤哲郎 (野球)
来歴・人物
宮崎日大高校から1982年のドラフトで近鉄バファローズから1位指名され、1983年入団。3年間は2軍暮らしが続いたが1986年初登板すると徐々に頭角を現し、1989年のリーグ優勝には先発として大きく貢献した。1989年の日本シリーズに出場。球威の衰えから1994年広島東洋カープに移籍するが1年で戦力外通告を言い渡される。1995年、福岡ダイエーホークスに移籍するが、かつての球威は取り戻せず同年限りで引退し野球解説者になる。以前は朝日放送ラジオの解説を担当していた。現在はタレントとして活動中。
巨人はロッテより弱い
1989年の日本シリーズは近鉄と巨人の試合となった。第1戦と第2戦は近鉄が勝利。そして、10月24日の第3戦、加藤は近鉄の先発投手として登板。その試合も近鉄が勝利して3勝目を上げ、日本一まであと1勝と王手をかけた。加藤は第3戦の勝利投手となったヒーローインタビューにおいて「日本シリーズっていうけど何かオープン戦みたいな感じで。巨人ですか?クロマティや原さん以外に打たれる気がしませんでした。こんなボロクソチームに負けたら西武の森監督やオリックスの上田監督に申し訳ないです」と発言。これがスポーツ新聞の報道で「巨人はパ・リーグ最下位のロッテより弱い」と捻じ曲げられ、巨人の選手やファンを怒らせることになった。
1989年のパ・リーグは西武とオリックスと近鉄の三つ巴となったが、近鉄が西本監督時代の1980年以来9年ぶりにリーグ優勝を果たし、混戦にピリオドを打った。一方、有藤監督のロッテは1988年に続く2年連続の最下位だった。
第4戦に先発投手で登板して勝利した巨人の香田勲男は、ヒーローインタビューで「うちは3連敗して言われたい放題でしたからね。気合入れました」とコメント。第5戦でも、それまで不振にあえいでいた原が満塁ホームランを放つなど、巨人が底力を発揮。そしてあっと言う間に対戦成績は3勝3敗になった。迎えた第7戦には加藤が先発として登板。しかし、加藤は2回表駒田徳広にトドメを刺されるソロホームランを浴び、駒田から「バーカ!」と罵られた。加藤はその回途中で降板。駒田の本塁打を機に巨人は近鉄投手陣をKO。9回表に引退を表明していた中畑清が代打本塁打で引導を渡し、ゲームセット。最後は宮本和知が抑え、巨人は1981年以来8年ぶりに日本一に輝いた。
なお加藤はこの発言で巨人ファンを敵に回し、広島・ダイエーと球団を転々としてさびしく引退した。余談だがこの発言は引退後も暗い影を落としていて、野球解説者になっても専属契約局が唯一全国ネットで中継している阪神甲子園球場での阪神対巨人戦の中継の解説に呼ばれておらず唯一呼ばれたのは2001年の日本シリーズ、大阪ドームでの近鉄対ヤクルト戦という有様であった。