視聴率争い
視聴率争い(しちょうりつあらそい)とは、各放送局が放送するテレビ番組の視聴率の争いをいう。
日本では全国ネットで放送を行っている放送局が6局(NHK・日本テレビ・TBS・フジテレビ ・テレビ朝日・テレビ東京)と、諸外国と比較して多く、視聴率の争いは激しいものとなる。また、視聴率が番組の評価と直結し、スポンサーの確保や番組の存続にも関わるため、視聴率争いに拍車を掛ける結果となっている。
なお、視聴率争いはどんな曜日・時間帯においても、またどの地域でも繰り広げているものであり、そのすべてを列記することは不可能に近い。また、その一部であるここで挙げられている各事象は特にごく少数のテレビ番組マニアにのみ騒がれて、認識されていることに留意されたい。
以下では、地上波各局の全国ネットの拠点である関東広域圏を中心に、視聴率争いに特徴が見られる時間帯を挙げていく。
もちろん、こういった現象は日本に限られた訳ではなく、代表的なものにアメリカではWWF(現・WWE)とWCW、WWEとNWA-TNAが演じたプロレス中継の競争(月曜8時戦争)がある。
平日朝
出勤前のサラリーマンやOLを対象とした情報番組を各局が放送している。
早朝
- 古くから朝の番組といえばNHK総合テレビの独壇場で、7時台から8時台にかけて放送されているニュース(現在は『NHKニュースおはよう日本』)が高視聴率だったが、1980年代後半になると日本テレビの『ズームイン!!朝!』(現・『ズームイン!!SUPER』)が高視聴率を稼ぎ始めるようになり、『NHKニュースワイド』→『NHKモーニングワイド』→『NHKニュースおはよう日本』と『ズームイン!!朝!』の2強時代が続いた。
- ただ、早朝の視聴率戦争が勃発し始めたのは、フジテレビが朝の時間帯奪還を目指して『めざましテレビ』の放送を始めた1994年4月以降からだと言える。『めざましテレビ』が始まったものの、1996年までは『NHKニュースおはよう日本』と『ズームイン!!朝!』が大きくリードしていたが、『めざましテレビ』が女性向けの内容を採り入れた番組構成で視聴率は10%台まで上昇。さらに元NHKアナウンサーの大塚範一をメインキャスターに迎えるとともに、アイドル的女子アナウンサーを多く起用することで、『NHKニュースおはよう日本』や『ズームイン!!朝!』と肩を並べる程になった。
- 一方、この煽りで打撃を受けたのはTBSである。『NHKニュースおはよう日本』と『ズームイン!!朝!』、『めざましテレビ』に挟まれ、1994年10月から2005年3月25日までの間に6つの番組ができては消えた。2005年3月28日からは『みのもんたの朝ズバッ!』を開始し、「視聴率男」としておなじみのみのもんたの起用を切り札に視聴率低迷を脱却しており、今後は3大番組との対決を狙っている。
- テレビ朝日は1981年3月30日からスタートした『おはようテレビ朝日』で好評だったコーナー「やじうま新聞」をベースとして、1985年9月30日に『やじうまワイド』としてスタート、その後も改良を加えながら、現在の『やじうまプラス』に至っている。当初は『ビッグモーニング』(1990年10月~1994年9月)や『めざましテレビ』とともに、『ズームイン!!朝!』の2番手争いを繰り広げた(「ビッグモーニング」で、生島ヒロシは番組の最中に「『やじうまワイド』は、もう抜きました。」と発言していた。)。
ワイドショー
- 1964年4月から始まったNET(日本教育テレビ)(→テレビ朝日)の『モーニングショー』と1965年5月から始まったフジテレビの『小川宏ショー』の争いから勃発したとされる。
- この2大勢力に食い込もうとした日本テレビは対抗番組として1969年10月より放送が開始された『奥様ハプニングサロン』を皮切りに、『朝のワイドショー・○○と90分(○○には司会者の名前が入る)』(1970年4月~9月、司会は藤岡琢也、牟田悌三、林家三平、京唄子・鳳啓助、フランク永井が曜日別に担当)→『金原二郎ショー』(1970年10月~1972年3月、司会は金原二郎アナウンサー)→『あなたのワイドショー』(1972年4月~1977年3月、これも司会は金原が引き続き担当した)→『ミセス&ミセス』(1977年4月~1979年3月、司会は高峰三枝子とうつみ宮土理が曜日毎に交代で担当)と目まぐるしく変遷し、朝の時間帯の抜本的な改編は積年の課題となっていた。
- その中で1979年、それまでは子供向け番組の時間だった午前7時台に、全国の各ネット局と中継回線でつなげていきながら番組を進めてゆくという異色の情報番組として『ズームイン!!朝!』を投入したのに続き、メイン司会にまだ20代後半だった沢田亜矢子を抜擢し、『独占!女の60分』と『ミセス&ミセス』で打ち出された「女性による、女性のための番組」という路線をさらに全面に押し出す形で1979年4月からスタートしたのが『ルックルックこんにちは』であった。番組内のコーナーとして「ドキュメント・女ののど自慢」や「突撃!となりの晩ごはん」などを放送し、『モーニングショー』と『小川宏ショー』を脅かす存在になっていった。
- そんな中、テレビ朝日は日本テレビの『ルックルックこんにちは』やTBSの『モーニングEye』、フジテレビの『おはよう!ナイスデイ』に対抗するため、1993年4月より『スーパーモーニング』を8時開始でスタート(当時の番組はすべて8時30分から)させ、フライングスタート作戦を打ち出した。当初は芸能ネタがない番組だったために低視聴率だったが、芸能ネタも扱われるようになってからは次第に視聴率を上げていき、3番組を追い詰めた。2006年4月3日からはさらに放送開始を30分繰り上げ、7時30分からのフライングスタートで再び日本テレビ・TBS・フジテレビ超えを目指している。
- その影響があって、1999年4月1日からはフジテレビは17年間続いた『おはよう!ナイスデイ』を打ち切り、『情報プレゼンターとくダネ!』を8時開始でスタートした。
- 一方、TBSはこの時間帯に於いて他局とは違った展開が生まれている。1971年4月から始まった『モーニングジャンボ』をベースとして、7時から10時の間は他局同様ニュース・ワイドショーを放送していた。しかし、1996年3月に「TBSビデオ問題」が発覚したため、当時放送されていた『モーニングEye』や午後に放送していた『スーパーワイド』といったワイドショー番組を一掃した。その結果、芸能ネタを扱わない情報番組の『はなまるマーケット』をスタートさせ、他局が8時スタートの現在でも8時半スタートを貫いている。なお、このワイドショー的なものを取り扱わないところが他局の隙間を埋めるべく、ある程度の層を確保している状況になっている。また、この番組の好評なコーナーなどを他局が分析、追随する展開も生まれてきており、過当競争に拍車を掛けている。
- ただ、この時間帯の番組の多くが、番組同士の間にCMを挟まないで続け様に放送するスタイルを取っていることからも、視聴率競争の激しさが伺える。
関連項目・番組(含裏番組)
- 連続テレビ小説(NHK総合テレビ)
- 生活ほっとモーニング(NHK総合テレビ)
- 朝は楽しく!スマイルサプリメント(テレビ東京)
平日正午
日本テレビの『午後は○○おもいッきりテレビ』とフジテレビの『森田一義アワー 笑っていいとも!』の視聴率争いを主に指す。
森田一義アワー 笑っていいとも!
- 1982年10月にスタートしたフジテレビの生放送によるバラエティー番組で、『笑ってる場合ですよ!』の後継番組でもある。
- 当時大衆向け人気が薄かったタモリを司会に据えたためスタート時は人気がなかったものの、半年も経たないうちに視聴率が伸び、たちまちお昼の人気番組へなっていった。タモリは単独司会番組最長のギネス記録が載ったものの、掲載年の日本版ギネスブックは発売されていない。
- 近年はマンネリ化で度々リニューアルを重ね、2005年の夏頃から来期打ち切りや司会者交代の噂が囁かれていたが、2006年4月に新いいとも青年隊が登場するなどして一部内容をリニューアルし、当面番組自体は続くと見込まれる。
午後は○○おもいッきりテレビ
- 1987年10月にスタートした日本テレビの生放送による健康・生活情報番組で、『お昼のワイドショー』の後継番組でもある。初代司会者は山本厚太郎(現・山本コータロー)であるが、番組当初は視聴率が低迷していた。
- そんな中、山本が参議院議員選挙に出馬することになったという理由で降板、1989年4月からはみのもんたを司会とし、2006年現在に至るまで『森田一義アワー 笑っていいとも!』との激しい視聴率トップ争いを繰り広げている。健康や身の上相談など年輩世代をターゲットとした番組内容で、番組で紹介された商品はスーパーマーケットなどで売り上げが顕著に上がるなど視聴者への影響力を持っているが、2003年頃から内容のマンネリ化とみのの体調不良により、裏番組の『森田一義アワー 笑っていいとも!』同様、リニューアルも目立たなくはない。なお、2006年春以後は現状維持の方向で乗り切る模様である。
- 1996年4月にスタートして、2006年4月に10周年を迎えた、テレビ朝日の情報・ワイドショー番組である。スタート時は12:00~13:55で、その後現在の11:25~13:05(地方により異なる)となった。
- この時間帯では長年『アフタヌーンショー』が放送されていたが、1985年にやらせ問題が発覚して打ち切られた。それ以降、数多くの番組を放送していたものの、視聴率が極端に悪かったために打ち切られていたので、これらの番組と比べたらある程度改善されている。とはいえ、『午後は○○おもいッきりテレビ』と『森田一義アワー 笑っていいとも!』の2大勢力に挟まれ、保坂尚輝(現・保阪尚希)の離婚会見を中継した日に両番組の視聴率を超えたものの、それ以外の日では両番組に水を空けられており、必ずしも視聴率争いには加われていない。
- 2005年3月28日にスタートしたTBSの情報番組で、『ニュースフロント』と『情報とってもインサイト』を統合した後継番組でもある。
- なお、過去の番組はTBS系列平日正午枠を参照。
- この時間帯では長寿番組の『ベルトクイズQ&Q』とその後継番組『スーパーダイスQ』が終了して以降、視聴率不振が続いている。昼前のニュースを内包したり、有名タレントを司会者に据えたり、と様々な試行錯誤を施すも泣かず飛ばずで、多くの番組が目まぐるしく変わっていた。ちなみにここ20年間で最も放送期間が長かったのは1985年12月から4年4ヶ月放送した『新伍のお待ちどおさま』で、次いで2000年4月から4年放送した『ベストタイム』である。現在の『きょう発プラス!』は『新伍のおまちどおさま』以降で17代目、ベルトクイズQ&Qから数えると24代目になる。
平日夕方
夕方のニュース番組の視聴率争いを指す。ニュース戦争とも呼ばれている。
概要
- 1984年10月、フジテレビは逸見政孝と幸田シャーミンをキャスターに起用した『スーパータイム』を放送開始したことにより勃発。キャスターが何回か代わったものの、分かりやすさを重視した構成や視聴者の視線に沿った特集が、視聴率で他局に大きく差を付けた。しかし、1996年10月に日本テレビは『NNNニュースプラス1』を17:30からの放送に繰り上げ、一気に逆転、2001年までは圧倒的なリードを保っていた。なお、この時期のテレビ朝日は1997年3月31日にタレントをキャスターに起用した『スーパーJチャンネル』を放送開始し、1998年の一時期にトップになるなど、視聴率が上昇した。また、対照的にこの時期のフジテレビは1997年4月以降、『ザ・ヒューマン』や『スーパーニュース』を投入するも視聴率不振に悩んでいた。
- しかし、2000年に『スーパーニュース』は安藤優子をキャスターに投入すると、視聴率が急上昇して、2002年にはトップを奪還して現在に至る。視聴率アップを目指し、1996年以降からフジテレビ系列各局で放送時間の拡大を進め、現在ではどの局も17時台からスタートしている。しかし、TBSはこの時期から視聴率不振に苦しむこととなり、1990年4月から15年間続いた『ニュースの森』が2005年3月に終了、その後継番組として16:54スタートと、初の17時台スタートに進出した『イブニング・ファイブ』を投入した。そんな中、キャスターが何回も代わったものの、安定した人気を誇っていた日本テレビの『NNNニュースプラス1』も2006年4月1日(『NNNニュースプラス1サタデー』)をもって、18年の歴史に幕を閉じた。その後継番組として、4月3日から16:53(金曜日のみ17:00)スタートと、キー局では最も早いスタートとなる『NNNニュースリアルタイム』を投入した。
日曜8時戦争
長年にわたって放送されているNHK総合テレビの『NHK大河ドラマ』がある枠であり、同じ時間帯で数々の人気番組対決が存在する。ここでは、『NHK大河ドラマ』以外の視聴率合戦を挙げる事にする。
視聴率合戦の激しかった番組一覧
- 天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ)vsオールスター家族対抗歌合戦(フジテレビ)
- 1970年代前半、それまで家族向け番組がなかったこの時間帯、フジテレビはお笑いコンビ・コント55号の萩本欽一が司会を務める音楽番組・『オールスター家族対抗歌合戦』が放送され、萩本の素人いじりやアットホームさで人気を博した。
- 一方、日本テレビは長年ドラマ枠だったが、『久米宏のTVスクランブル』は毎回旬の話題をビデオ構成で取り上げ、コメントしていく質の高い番組として人気を得るが、『オールスター家族対抗歌合戦』には及ばなかった。そのため、1985年4月に『久米宏のTVスクランブル』を終了した後、テリー伊藤が総合演出を手掛け、ビートたけしが司会を務めたドキュメントバラエティの先駆である『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の放送を開始。開始当初からばかばかしい演出や市井の人々が話題を呼び、高視聴率を記録した(但し、1986年に「講談社フライデー襲撃事件」で謹慎した際、相方であるビートきよしが1回だけ司会を務めたこともあった。)。
- そんな中で『オールスター家族対抗歌合戦』は1984年10月に小川宏に交代するも、防犯上の問題やプライバシーの観点から家族をメディアに公開する芸能人は減り、芸能人のみならず視聴者側も家族のふれあいが薄れて来たことから、1986年9月28日、16年にわたる歴史に幕を降ろした。
- 天才・たけしの元気が出るテレビ!!vs世界の常識・非常識!→ダウンタウンのごっつええ感じ(フジテレビ)
- 『オールスター家族対抗歌合戦』終了後、視聴率争いは日本テレビの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が独走状態であった。
- 一方、フジテレビは『オールスター家族対抗歌合戦』終了後、数々の番組を開始させるも『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に撃沈してしまった。そんな中、逸見政孝が司会を務めていたクイズ番組・『世界の常識・非常識!』に出演し、深夜番組で絶大な支持を得ていたダウンタウンがメインを務めるバラエティ番組・『ダウンタウンのごっつええ感じ』を1991年12月8日に開始。回を重ねる毎に創作性の高いコントやコント内でのキャラクターが人気爆発し、1995年頃には視聴率は平均15%以上を記録した。そのためか、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は1995年10月に『超・天才たけしの元気が出るテレビ!!』と改題してリニューアルを図るも視聴率は伸びず、1996年10月6日に終了した。
- 特命リサーチ200X(日本テレビ)vsどうぶつ奇想天外!(TBS)VS笑う犬の冒険(フジテレビ)vs稲妻!ロンドンハーツ(テレビ朝日)
- 1996年10月、日本テレビはSF・ミステリー・オカルトにスポットを当てた『特命リサーチ200X』を開始させた。これまでにない超能力や心霊現象などで好事家の間では既にインチキだと暴露されてはいたが、一般には信じられている事柄に対して、一般人にそれを知らせる役目を果たす内容が視聴者から共感を得て、高視聴率を記録する。
- 一方、フジテレビは『ダウンタウンのごっつええ感じ』が安定した視聴率を保っていたものの、1997年11月、10月に番組をプロ野球ヤクルトスワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)優勝決定戦試合に差し替えられたことに伴うスタッフと出演者の1人だった松本人志との考えの相違から打ち切られてしまったため、一時この時間の視聴率戦争が途絶えることになる。
- それから約2年は常に『特命リサーチ200X』がリードすることになった(フジテレビはこの時期に『ハッピーバースデー!』を放送した。)が、1999年春にテレビ朝日の視聴率改善を目的とした大改編で2時間スペシャル枠の『ザ・スーパーサンデー』が廃止され、その空いた20時枠に『稲妻!ロンドンハーツ』がスタートし、初回は12%とそこそこの出だしでスタートする(もう一方の19時枠は、ビートたけしと志村けんの司会で期待されていた『神出鬼没!タケシムケン』がスタートしたが、視聴率低迷で1年で打ち切られた。)。
- 一方、フジテレビはその半年後に深夜で好評だった『笑う犬の生活』がこの枠に移動し巴戦となり、再び日曜8時戦争が勃発することになる。そして、長らくこの時間で高視聴率番組が取れてなかったTBSが2000年春に『どうぶつ奇想天外!』を土曜から移動し、4番組争いとなった。
- 特命リサーチ200XVSどうぶつ奇想天外VS笑う犬の発見→笑う犬の情熱VS大改造!!劇的ビフォーアフター(ABC・テレビ朝日系)
- 4番組の争いとなった日曜8時戦争だが、2001年10月に『稲妻!ロンドンハ-ツ』が火曜日21時台にABC枠と交換される形で移動し、ABCはその後枠としてダウンタウンの浜田雅功が司会の『弾丸ヒーローズ』をスタートするも視聴率が低迷し、半年で打ち切りとなる。そして2002年4月に『大改造!!劇的ビフォーアフター』がスタートし、高視聴率を稼ぐようになる。
- 一方、フジテレビは『笑う犬の発見』→『笑う犬の情熱』時代後期の2002年4月頃からマンネリ化で視聴率が低迷していた『笑う犬』シリーズを2003年秋に火曜8時に枠移動させ、新たな視聴者を稼ごうとするも、結果としては視聴者離れをさらに加速させてしまい、2003年12月9日をもって打ち切られた。また、『特命リサーチ200X』もネタが切れ掛かっていたことや、視聴率も低下していたことにより、2004年3月をもって終了し、日曜8時戦争が一旦終結することになった。
- ウタワラ(2006年3月までは『歌笑HOTヒット10』、日本テレビ)vsどうぶつ奇想天外!vsジャンクSPORTS(フジテレビ)vs大改造!!劇的ビフォーアフター→笑いの金メダル(ABC・テレビ朝日系)
- 2005年10月、日曜8時戦争が再び勃発する。『特命リサーチ200X』終了後、日本テレビは特番で好評だった『ワールド☆レコーズ』が2004年4月にレギュラーとして放送されたが、巨人戦中継の乱発や視聴率低迷で1年で打ち切られた。その後継番組として2005年4月に『A』を放送するも、視聴率が非常に悪く、司会の久米宏が降板してしまい3ヶ月で打ち切りになってしまった。その3ヶ月後の10月、かつて水曜8時に放送されたものの、低視聴率だった『ミンナのテレビ』を『歌笑HOTヒット10』(2006年4月からは『ウタワラ』に変更。)に改めて日曜日20時台へ移動して放送を開始する。視聴率はかなり苦戦してはいるものの、10%前後を出しており、『A』や『ミンナのテレビ』に比べると改善されてはいる。
- フジテレビも、深夜からゴールデンに昇格し、かつてこの時間帯に『ダウンタウンのごっつええ感じ』に出演していた浜田雅功が『ジャンクSPORTS』に出演し、こちらも視聴率は安定している。
- そんな中、高視聴率をキープし続けていた『大改造!!劇的ビフォーアフター』が耐震強度偽装問題の影響やアスベスト問題によりリフォームが長期化される恐れがあるため、ABCのスタッフの勤務割りなどの問題があったことから、2006年3月19日の2時間スペシャルをもってレギュラー放送を終了、金曜日21時台から『笑いの金メダル』が枠移動することになった。但し、4月以降は特別番組として放送されることが決まっている。
日曜9時戦争
主に世代を問わず家族揃って視聴されているのがこの時間帯である。長年に渡って親しまれている『日曜洋画劇場』(テレビ朝日)と同じ時間帯で数々の人気番組対決が存在する。
視聴率合戦の激しかった番組一覧
- 1970年代後期、当時茶の間ドラマとして人気の高く、北海道放送(HBC)・TBS・中部日本放送(CBC)・毎日放送(MBS)・RKB毎日放送(RKB)の持ち回り制作でも話題を呼んだ単発ドラマ枠『東芝日曜劇場』に対して、関西テレビ制作だった連続ドラマ枠は西日本エリアでやや人気が高かったものの、関東広域圏での人気が伸び悩んでいたために1979年9月で終了、同年10月に新たに花王(当時花王石鹸)の一社提供スポンサー番組『花王名人劇場』が立ち上がった。
- こちらは『東芝日曜劇場』同様単発のドラマ作品の他に、主に横山やすし・西川きよしなどを基盤としたお笑い芸人がメインとなったバラエティもやるようになった。これが翌1980年に一世風靡した漫才ブームの火付け役となる。
- また、芦屋雁之助主演のドラマ『裸の大将』も大人気となり、1990年4月以降は『花王ファミリースペシャル』に引き継がれて長寿シリーズ化した。こうしてTBSVSフジの劇場対決となりデッドヒートとなった。
- 知ってるつもり?!(日本テレビ)VS東芝日曜劇場VS花王ファミリースペシャル(関西テレビ・フジテレビ系)
- 長期間、TBSVSフジの対決で続いたが、1989年10月に日本テレビが『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』に続く『クイズプロジェクト』第2弾としてスタートした『知ってるつもり?!』の参戦により、巴戦となった。
- 『知ってるつもり?!』は故人を中心とした人物を忠実に伝えるスタイルが人気となり、常に安定した視聴率を獲得するようになった。一方、『花王名人劇場』は1990年4月にリニューアルし、『花王ファミリースペシャル』と改め、お笑い以外の様々なジャンルや出演者を交えた単発特番となり、こちらも人気を博す。
- そんな中で『東芝日曜劇場』の人気に陰りが生じ、1993年3月をもってそれまでの持ち回り単発スタイルを終了、4月からはTBS単独制作の連続ドラマ枠に切り替わった。その後は『カミさんの悪口』や『SWEET HOME』などの高視聴率作品もあり、その一方で『知ってるつもり?!』と『花王ファミリースペシャル』はやや押されつつも極端に落ち込むことはなかった。しかし、『花王ファミリースペシャル』は1995年頃になるとネタ切れによる原因で、人気作品とそうでない作品の差が極端に出てしまい、1996年9月に『花王名人劇場』から続いた単発枠が17年余りの歴史に幕を降ろした。
- 知ってるつもり?!VS東芝日曜劇場VS発掘!あるある大事典(関西テレビ)VSASAYAN(テレビ東京)
- 前述の『花王名人劇場』→『花王ファミリースペシャル』が終了し、1996年10月に『発掘!あるある大事典』(引き続き花王が一社提供を担当)がスタート、「知ってるつもり?!」の人物に対抗して、『発掘!あるある大事典』は物(主に健康がテーマ)で勝負した。
- 開始当初の視聴率は2桁をキープするのがやっとだったが、回を重ねることによって番組独自の切り口が受け入れられ、翌1997年半ば頃から『知ってるつもり!?』を抜く回も度々あった。
- そのためか、『知ってるつもり?!』は1999年頃から故人を中心とした従来の人物だけではなく、現存している人物や時代背景そのものを取り上げるなどのリニューアルなども行われた。
- 一方で、今度は『東芝日曜劇場』の人気が低迷し出した。『サラリーマン金太郎』などの人気作品もあったが、他が失速に陥られた。その背景には、それまで視野になかったテレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』(『浅草橋ヤング洋品店』のリニューアル版)がモーニング娘。らの人気で視聴率が上昇し、最高で16%台にまでなったのが要因とも言える。そこで起死回生とも言える作品が2000年1・2・3月期の『ビューティフルライフ』である。平均で30%以上を常にキープして、最終回は41.3%を記録した。ちなみに、『ビューティフルライフ』による打撃の影響を一番受けたのは『知ってるつもり?!』だった。
- その後も『東芝日曜劇場』は『オヤジぃ。』や『白い影』(リメイク版)などのヒット作を出し再燃して行った。そして、『知ってるつもり?!』はネタ切れの影響もあり、視聴率も低迷したため、『発掘!あるある大事典』にも常に差を付けられたことから、2002年3月に12年半の歴史に幕を降ろした。また、『ASAYAN』は毎週の様にモーニング娘。が出演していたものの、その後他の番組に多く出られることなどにより番組を卒業、そして2001年にデビューした男性デュオのCHEMISTRYが大人気を得ていたものの、モーニング娘。の人気がさらに低下したことなどにより視聴率が低迷となってしまい、『知ってるつもり?!』の後を追うかのように2002年3月に終了した。その後、テレビ東京は後番組として浜田雅功を司会に迎えた『ハマラジャ』を4月に放送開始したが、視聴率は低迷、10月に『WINNERS』に置き換えても視聴率は低迷状態となり、2003年3月に終了した。現在この枠は20:00スタートの『日曜ビッグバラエティ』となっている。
- 行列のできる法律相談所(日本テレビ)VS日曜劇場(TBS)VS発掘!あるある大事典→発掘!あるある大事典II(関西テレビ・フジテレビ系)
- 2002年4月、日本テレビはそれまで特番で高視聴率を獲得した『行列のできる法律相談所』をこの時間にレギュラースタートさせた。初回から常に高視聴率を保ち、開始当初は『発掘!あるある大事典』とほぼ五分五分の視聴率だった。
- その一方、『東芝日曜劇場』はスポンサーだった東芝が不況による広告費削減を理由に降板し、10月には共同提供番組『日曜劇場』となった。しかし、番組自体には影響がなく、翌2003年1・2・3月期の『GOOD LUCK!!』では『ビューティフルライフ』に続く大ヒットとなり、『行列のできる法律相談所』・『発掘!あるある大事典』ともに苦戦を強いられた。
- その後、『発掘!あるある大事典』の人気が低迷し出したため、同年秋頃から1桁を出す回も多くなった。そして2004年4月から『発掘!あるある大事典II』としてリニューアルを図った。リニューアルは成功し、第1回目は23.2%を記録し、その後もテーマによっては『行列のできる法律相談所』を抜く事もあった。また、この影響で『日曜劇場』が再び失速し出して、2005年は1桁にはなっていないものの、作品すべてが平均13%台未満となってしまった。
- 2006年現在、『行列のできる法律相談所』が平均で20%弱、『日曜劇場』は日韓共同制作ドラマ『輪舞曲』が平均15%強、『発掘!あるある大事典II』が平均16%前後となっている。
水曜8時戦争
1960年代から1980年代までが中心だった「土曜8時戦争」(後述)は主にバラエティー番組だったが、1990年代が中心だった「水曜8時戦争」は主にクイズ番組だった。そして2000年代(21世紀)に入ると、サラリーマンや中高年齢層(主にお年寄り(高齢者))を主力とするNHKとテレビ東京の番組が高視聴率を取り、OLや若年齢層(主に10歳代)を主力とする民放4局(日本テレビ・TBS・フジテレビ・テレビ朝日)の裏番組が低視聴率で苦戦や放送時間帯移動、または打ち切りに追い込まれるという状況へと変化している。但し、この戦争は日本テレビの『速報!歌の大辞テン!!』が終了した2005年春以降になって注目され始めた戦争だと言えるため、まだ余り知られていない。
また、有名なところとしては日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』とTBSの『わくわく動物ランド』の視聴率争いが挙げられるが、2000年代に入ると、サラリーマンや中高年齢層を主力とするNHK総合テレビの『ためしてガッテン』とテレビ東京の『いい旅・夢気分』が高視聴率を取り、OLや若年齢層を主力とする民放4局の裏番組が低視聴率になっているため、苦戦や放送時間帯移動、または打ち切りに追い込まれるという形が続いている。
現在は下記の番組が放送されているが、依然として『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』が高視聴率を取り、他の番組が低視聴率で苦戦している形になっている。そんな中、TBSの『全員正解あたりまえ!クイズ』が2006年2月8日で打ち切られた。後番組は、『水曜特番』で高視聴率を稼いだクイズ番組・『ザ・ドリームプレッシャー』をレギュラー化した『ドリーム・プレス社』である。但し、4月は特別番組が放送されるため、5月以降の開始となる。
現在放送中の番組
- ためしてガッテン(NHK総合テレビ)
- サルヂエ(中京テレビ・日本テレビ系)
- 全員正解あたりまえ!クイズ(TBS、2006年2月8日終了。後番組で『ザ・ドリームプレッシャー』をレギュラー化した『ドリーム・プレス社』が開始する5月までは単発、プロ野球中継または毎日放送の『あなた説明できますか?』の拡大版を放送する予定。)
- はねるのトびら(フジテレビ)
- 銭形金太郎(テレビ朝日)
- いい旅・夢気分(テレビ東京)
視聴率合戦の激しかった番組一覧
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ)VSわくわく動物ランド(TBS)
- 1983年4月にTBSが『わくわく動物ランド』をスタートさせ、世界各地の珍しい動物達がこの番組で紹介されるなどして、一躍人気番組になる。そして、放送開始から2年後の1985年1月30日には番組最高視聴率を獲得した。
- 一方、日本テレビは幾つかの番組を水曜20時枠に送るも、結果としては『わくわく動物ランド』に撃沈される結果となってしまった。そこで、「日本テレビクイズプロジェクト」を発足してその第1弾となる『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』を1988年10月に「わくわく動物ランド」の裏でスタートした。
- 『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』はスタートしてすぐの頃、視聴率が1桁という回が続いていたが、司会(店長)の逸見政孝と解答者だった山城新伍らとのやりとりや、逸見と山城の対決などが人気となり、回を重ねる毎に上昇していき、1990年に入ると遂に『わくわく動物ランド』と逆転する立場になった。
- 視聴率を『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』に奪われた『わくわく動物ランド』は、解答方式を個人戦からチーム戦にしてリニューアルしたものの、結果としては失敗し、1992年3月の2時間スペシャルを以て9年間の歴史に幕を降ろすことになる。それから2年間は、常にこの時間は『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』がリードすることになった。
- ためしてガッテンVSクイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ)VSクイズ悪魔のささやき(TBS)
- 『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』が人気絶頂期に達していた1993年12月25日、番組の司会者であった逸見が48歳の若さで急逝したため、このニュースは日本全国に大きな衝撃を与えた。『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』は翌1994年1月からつなぎの司会で番組を掛け持ちしていたが、3月16日放送分からは当時日本テレビアナウンサーだった福澤朗が2代目司会(店長)として就任した。
- 一方、『わくわく動物ランド』の終了から視聴率に伸び悩んだTBSは、再び水曜20時にクイズ番組を制作することになった。「一般視聴者参加の普通のクイズ番組では、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』に勝てない。」という理由から、敢えて貧乏人限定参加で、正解したら最高100万円の賞金が獲得できる番組・『クイズ悪魔のささやき』を1994年5月11日にスタートさせた。初回視聴率は12%とまずまずの出出しで、日本テレビがプロ野球中継になる回は視聴率が上昇し、6月には20%超えをすることになる(しかし、当時はJリーグブームでもあった事から、日本テレビが巨人の主催試合を組んでいる裏でTBSが横浜マリノスの主催試合を組んでいたことや、TBSが横浜ベイスターズの主催で巨人戦が中心となる試合を組んでいる裏で日本テレビがヴェルディ川崎の主催試合を組んでいたこともあり、両番組共休止された週もあった。)。
- しかし、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』もこれに黙ってはいられず、1994年10月にクイズ趣向を変えたりした『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』にリニューアル、1994年10月~12月クールは『クイズ悪魔のささやき』とデットヒートを争うことになったが、翌1995年1月に久本雅美が新たに司会(看板娘)として加入したあたりから、番組のコンセプトからかけ離れたクイズが多くなり、遂に立場は『クイズ悪魔のささやき』に逆転されることになってしまう。
- また、NHKは「健康ブーム」に乗り、サラリーマンと中高年齢層向けを主力とした『ためしてガッテン』を1995年4月5日にスタートさせ、安定した視聴率を取っていたため、『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』が急激に弱体化した一因ともなった。
- 一方、『クイズ悪魔のささやき』も毎週15%以上の視聴率を出す人気番組となって定着はしたが、アンケートで子供に見せたくない低俗番組にランクインされたこと、さらに司会をしていた古舘伊知郎と和田アキ子が、収録時間の長さなどから生じたスタッフとの考えの相違から、番組終了を要望していたことなどが理由で、1996年5月8日の2時間スペシャルを以て終了した。
- そして、1995年10月に『新装開店!SHOW by ショーバイ2』として再リニューアルした『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』も番組の核であったミリオンスロットが廃止された事や、この頃には番組のテーマである「世界の商売」から大きくかけ離れていた事、放送開始時から解答者だった山城やジャイアント馬場が1996年3月で降板し、視聴率が1桁にはなっていなかったものの、人気が下降していた事から、『クイズ悪魔のささやき』の後を追うように1996年9月に終了してしまった。一連の『SHOW by ショーバイ!!』シリーズ終了に伴い、この時間帯の視聴率争いが一時途絶える事になる。
- ためしてガッテンVS速報!歌の大辞テン!!VSしあわせ家族計画(TBS)VS力の限りゴーゴゴー!!(フジテレビ)VSいい旅・夢気分
- 『SHOW by ショーバイ!!』シリーズを終了させた日本テレビは、後番組としてゴールデンタイムでの音楽番組が6年半ぶりとなる『速報!歌の大辞テン!!』をスタートさせ、当時ミリオンヒットが増えるなど、音楽業界が盛んだった時期だったことと昔と現在のヒット曲が紹介されることから、家族全員で見られる番組だったこともあって高視聴率を稼ぐ。
- また、TBSも1997年よりお父さんが番組から与えられた宿題を1週間でマスターし、スタジオで成功できたら豪華賞品を獲得できるチャレンジ番組『しあわせ家族計画』をスタートさせ、放送から半年後には視聴率15%以上を獲得するなどの人気番組となった。さらに3年後の2000年にはそれまで放送されていたフジテレビの時代劇枠が廃止されたことに伴って、ネプチューンが司会を務めるOL・若年齢層を主力とした『力の限りゴーゴゴー!!』が枠移動し、『速報!歌の大辞テン!!』・『しあわせ家族計画』との巴戦に発展、再び「水曜20時戦争」が再燃されることになる。
- そんな中、視聴率を維持するためにテコ入れを図った『しあわせ家族計画』は、「私ならできる」というコーナーをスタートさせたため、番組コンセプトだった「お父さんへの宿題」から懸け離れる事によって視聴率は低迷の一途を辿り、2000年9月で終了となり、その頃からTBSの水曜日のゴールデン・プライムタイムの番組自体が低視聴率を連発する様になってしまう(詳しくは下の項「TBSの苦戦(TBSの魔の水曜日)」を参照。)。その一方で『速報!歌の大辞テン!!』は依然として家族全員で見られる番組として根強い人気があり、『「力の限りゴーゴゴー!!』もハモネプなどのコーナーで人気を得たため、この時間帯の視聴率としては2強の状態になる。
- しかし、『ためしてガッテン』がここに来て20%以上の視聴率をほぼ毎週獲得する様になる。そして2001年10月にテレビ東京は水曜19時枠がアニメ枠となることに伴い、19時から放送されていた長寿番組『いい旅・夢気分』を20時台に枠移動させ、ほぼ毎週2桁の視聴率を上げる様になる。
- 一方、ハモネプのコーナーを廃止した『力の限りゴーゴゴー!!』は視聴率低下となったため、『力あわせてゴーゴゴー!!』としてリニューアルを図るも失敗し、2003年3月に終了。その後2年間の水曜20時枠は、家族向け音楽番組『速報!歌の大辞テン!!』とサラリーマン・中高年齢層向け番組『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』の3強へと衣替えすることになる。
- ためしてガッテン、いい旅・夢気分VSその他民放4局番組
- 2003年4月以降の2年間は、『ためしてガッテン』と『速報!歌の大辞テン!!』、『いい旅・夢気分』の3強が視聴率争いを演じたが、2005年3月に『速報!歌の大辞テン!!』がミリオンヒットの激減から音楽業界が大きく衰退したことや音楽番組に対するアーティストの変化が1990年代に比べて大きくなっていたこと、さらに視聴率が低下したことから終了。後番組になった『ミンナのテレビ』も低視聴率状態で、半年後に『歌笑HOTヒット10』(2006年4月から『ウタワラ』)にリニューアル、放送日時を日曜20時台(19:58~20:54)に移されたことから、『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』の2強時代が始まる。
- 一方、民放4局もそれに負けじと深夜番組から『サルヂエ』、『クイズ!ヘキサゴン』(フジテレビ、2005年10月からは19:00~19:57に放送時間帯を移動。)、『はねるのトびら』、『銭形金太郎』を、そしてTBSも毎週日曜日昼に放送中の『アッコにおまかせ!』から『全員正解あたりまえ!クイズ』を同時間帯に昇格させたが、視聴率は『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』に押される形となっていた(なお、『全員正解あたりまえ!クイズ』は、裏番組『サルヂエ』とのクイズ戦争を再び巻き起こすと意気込んでいたが、結果的には不発に終わった。)。
- この様な状態の中で、『全員正解あたりまえ!クイズ』が1桁と低迷したため、2006年2月8日でレギュラー放送を終了した(なお、4月以降しばらくの期間は特別番組が放送される。また、後番組は『ザ・ドリームプレッシャー』をレギュラー化した『ドリーム・プレス社』で、5月以降の放送開始となる。)。そんな中で『サルヂエ』・『はねるのトびら』・『銭形金太郎』は2桁を保っており、それぞれの前番組と比べても多少改善されてはいるが、依然として『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』に苦戦している状態では変わりがないため、これら3番組の今後の動向が注目される。
TBSの苦戦(TBSの魔の水曜日)
TBSにおける毎週水曜日ゴールデンタイム及びプライムタイムでは、2000年以降になって、視聴率が取れずに打ち切りとなった番組が集中している。このため、「TBSの魔の水曜日」と呼ばれることがある。
かつてTBSの水曜日ゴールデンタイムやプライムタイムは、20時台で放送されていた『わくわく動物ランド』や『クイズ悪魔のささやき』を中心に、多くの高視聴率番組が放送されていたが、2000年に『しあわせ家族計画』が終了してからは、この時間帯に放送される番組のほとんどが低視聴率を連発するようになってしまう。さらに2001年4月になって、22時台で放送されていた高視聴率番組・『ここがヘンだよ日本人』が木曜日に枠移動してしまうと、他の時間帯にまで低視聴率が及んで深刻化するようになる。特に2002年以降、午後7時~11時まで放送されている番組4本(2005年10月以降は5本)は全て視聴率1桁を記録するようになったことから、在京キーテレビ局最下位となっているテレビ東京にさえも抜かれてしまう始末である。
19時台の番組
- TBS制作枠時代から裏のアニメに苦戦をしていた。1982年の『親子クイズ 国語算数理科社会』がフジテレビの『Drスランプアラレちゃん』に対抗して失敗、その後1992年10月に始まった『ムーブ』(『テレビ進学塾』)も同じフジテレビの『ドラゴンボール』に対抗して失敗している。その後、『ムーブ』の後番組として1993年10月に開始した『ザッツ!』などを経て、1999年3月に『特捜!芸能ポリスくん』が終了したことに伴い、この枠が毎日放送制作の木曜20時枠と交代。同時に火曜20時枠と木曜19時枠、火曜21時枠の『うたばん』とこの水曜19時枠が交換された。
- しかし、交換後も視聴率不振が続く番組が多く、早い時はわずか2ヶ月で打ち切られる番組もあった(『クイズ!家族でGO!!』(2004年10月13日~12月15日))。
- 現在同枠では『まんが日本昔ばなし』と『あなた説明できますか?』が放送されている。
20時台の番組
- かつては『わくわく動物ランド』が放送されていた時間帯である。しかし、裏番組で日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の視聴率上昇に影響し、1992年3月に終了。その後、後枠には『生生生生ダウンタウン』→『おちゃのこサイサイ』→『王道バラエティ つかみはOK!』を送り込んだが、全て『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』には勝てず、1994年5月からタレント・フリーアナウンサーの古舘伊知郎とTBSの顔である歌手・タレントの和田アキ子が司会を務める番組が続いて、第1弾となった『クイズ悪魔のささやき』を投入したところで視聴率を回復。その後、1997年4月に投入した『しあわせ家族計画』などが人気番組となり、日本テレビが『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』を内容変更させた後、1996年9月で終了、翌10月から『速報!歌の大辞テン!!』を開始させてからも、古舘・和田コンビはTBS水曜夜の顔とまで言われていたが、このコンビも2002年9月の『オフレコ!』終了で解消した。
- その後は2005年3月まで『恋のバカヤロー!』や『黄金筋肉』(ゴールデンマッスル)、『ぶっちゃけ!99』などを放送していたものの、サラリーマン・中高年齢層を主力とする裏番組で、NHK総合テレビの「ためしてガッテン」とテレビ東京の「いい旅・夢気分」に苦戦したため、平均視聴率1桁の番組が続いた。そのため、2005年4月から半年間の「水曜特番」を経て、2005年10月に「アッコにおまかせ!」や「水曜特番」で高視聴率を出していた『全員正解あたりまえ!クイズ』が放送開始された。しかし、それでも「ためしてガッテン」と「いい旅・夢気分」には勝つことが出来ず、平均視聴率1桁と低迷したため、この番組の次に放送されていた『お笑いLIVE10!』と同様、2006年2月8日限りで終了した。
21時台の番組
- もともと映画枠であり、1時間枠になってからしばらく低視聴率番組が続いていたが、『ウンナンのホントのトコロ』内の一コーナーであった「未来日記」が話題となり、この躍進が裏番組で日本テレビの『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(通称生ダラ)を終了にまで追い込んだ。しかし、「未来日記」が終了してからは視聴率が低迷し、その後を追う様にこの番組もその1年後に打ち切りとなった。さらに、その後番組である『ウッチャきナンチャき』も低視聴率になり、改編期を待たずして打ち切りとなった。
- その後は『ディスカバ!99』(2004年4月からの『ぶっちゃけ!99』)、『水曜プレミア』を経て、『お笑いLIVE10!』となっていた。なお、それまで『水曜プレミア』に付いてた一部スポンサーは(筆頭スポンサーだった花王を含め)『リンカーン』のスポンサーになった。しかし、『お笑いLIVE10!』も以前の番組と同様に視聴率が低迷したため、この番組の前に放送されていた『全員正解あたりまえ!クイズ』同様、2006年2月8日限りで終了した。
22時台の番組
- 『スペースJ』といった報道番組の編成を経て、1996年10月に1時間枠になってからは、『Toki-Kin急行 好きだよ!好きやねん』→『所さんの20世紀解体新書』を経て、1998年10月に『ここがヘンだよ日本人』がスタート。一時は20%近い視聴率を出す程の人気番組となったが、2001年4月から同枠が連続ドラマ枠となることに伴い、木曜22時に移動された(しかしその後、この番組は裏番組でよみうりテレビの『ダウンタウンDX』に視聴率を奪われて、移動の1年後に終了。)。
- 連続ドラマ枠になってからは、『刑事☆イチロー』や『ひと夏のパパへ』が前代未聞の視聴率4%以下を記録するなどしたため打ち切りとなり、2004年4月から21時台と共に『水曜プレミア』に統合される。しかし、この連続ドラマで使われた主題歌はすべてオリコン20位以内に入るなどのヒットになって、中でも「マイリトルシェフ」の主題歌になった浜崎あゆみの「Voyage」は「第44回日本レコード大賞」を受賞するという皮肉な結果になってしまった。なお、「水曜プレミア」が終了した2005年10月から同枠は、火曜から移動して来た毎日放送の『世界バリバリ★バリュー』となっているが、こちらも裏番組などの影響で視聴率が低迷している。
備考(TBSの魔の土曜日)
また、これとは別に、近年のTBSは土曜日のゴールデンタイム及びプライムタイムでも打ち切られる番組やマンネリ化している番組が出ているため、「魔の土曜日」という呼称も浮上している(但し、「魔の土曜日」に関しては、21時台以降の番組が長寿番組で視聴率も安定しているため、19時台と20時台に限って呼ばれる場合が多い。)。
この発端は2000年4月に放送された、半年に1回放送されている特別番組・『オールスター感謝祭』で、問題が放送開始から1時間程度コンピュータートラブルのため止まってしまったことがあった。その影響で第1問の開始が19時30分過ぎになってしまったのが始まりではないかと思われる。
- これ以降、ジャニーズをメインにした『ガキバラ帝国2000!』など、土曜日20時枠は期待されていたが視聴率低迷で打ち切られたり、前19時枠では、当時高視聴率を稼いでいた『筋肉番付』が2002年5月に、収録中に怪我人が出てしまい、急遽打ち切られるなどの事態が起きた。
- 『筋肉番付』は事故から約半年間、『CDTVゴールド』『ザ・激闘!大家族!!』といったつなぎ番組を経て、2002年10月に『体育王国』としてリニューアルするものの、視聴率が筋肉番付よりは低迷したため、1年で『黄金筋肉』(ゴールデンマッスル)に再リニューアルして、水曜日20時に枠移動してしまった(その後『黄金筋肉』は、視聴率低迷により2004年4月に火曜日21時台へ移動したものの、またしても視聴率低迷となったために7月で終了。)。その後枠で入った『爆笑問題のバク天!』も、序盤はそこそこの視聴率を稼ぎ、『スーパースペシャル』(日本テレビ)を終了させたものの、半年後にフジテレビが03年年末に特番で放送して好評だった『脳内エステ IQサプリ』を開始させたことに伴って視聴率が低迷、次第にマンネリ化して、06年3月の2時間スペシャルをもって終了してしまった。なお、土曜日20時台に関しては後述されている「土曜8時戦争」を参考にされたい。
- 他にもスポーツ中継や特番などが期待されていた視聴率よりも下になることが多かった。
テレビ朝日・黄金の金曜日
- 視聴率争いにおいて最近まで余りスポットを浴びることがなかったテレビ朝日だが、唯一他局を圧倒する時間帯があり、その時間帯を黄金の金曜日や鉄(鉄板)の金曜日と呼ぶことがある。19時からの『ドラえもん』、19時30分からの『クレヨンしんちゃん』、19時54分からの『ミュージックステーション』(通称:『Mステ』)はどれも長寿番組の代名詞的存在で、常に他局の追随を許さない。また、この枠がプロ野球中継に返上されることも年に1~2回程度しかないのも有名である。
- ただ、2004年11月にフジテレビが打倒『Mステ』を掲げて、人気司会者の徳光和夫と人気占い師の細木数子を投入した占い番組『幸せって何だっけ~カズカズの宝話~』を開始すると、この20時は『幸せって何だっけ』が視聴率を独占するようになり、『Mステ』は1桁になることが多くなった。
- 一方、日本テレビは約7年間放送した『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』が終わってからは、長続きする番組が少なかったため、2003年10月に人気司会者の島田紳助を投入した『謎を解け!まさかのミステリー』を放送開始、一時期は高視聴率を稼いでいたが、2004年11月に『幸せって何だっけ』が開始されると、『幸せって何だっけ』に勝つことができなくなった。ちなみに放送開始当初、紳助は当時放送していたみのもんたの『ザ・ジャッジ!~得する法律ファイル』(2004年10月に19時台へ移動、なお、2005年1月からは『ザ・ジャッジEX』、また、4月からは『Dのゲキジョー 運命のジャッジ』。)に宣戦布告して、その後『Mステ』へターゲットを切り替えたが、同じ低視聴率番組だった『Mステ』よりも早く姿を消すことになった。
※なお、2003年10月から2004年9月までのこの時間帯では、タモリ(『Mステ』)、みの(『ザ・ジャッジ!』)、紳助(『謎を解け!まさかのミステリー』)、また、2004年11月から2006年3月までのこの時間帯では、タモリ、徳光(『幸せって何だっけ』)、紳助という大物司会者が対決するという、近年稀に見る状況も起きた。
土曜8時戦争
土曜8時戦争(どようはちじせんそう)は、1960年代終わりから1980年代における、日本時間土曜日午後8時台の、日本のバラエティ番組による、放送局(TBSvs.フジテレビ)とコメディアン(コント55号vs.ザ・ドリフターズvs.ビートたけし・明石家さんま)の視聴率競争の通称で、一般的かつ伝統的に知られている視聴率戦争のはこの戦争だと言える。
明確な番組と期間の定義は曖昧であるが、およそ『8時だョ!全員集合』(TBS、1969年放送開始)から、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ、1989年放送終了)までの20年間を指す。
1960年代末には、テレビの一般家庭への普及率が高くなり、また世間では土曜日が「午前中は学校または仕事。」という、いわゆる半ドン状態で、夜はゆっくりと家族でテレビ番組を見るという習慣が根付き始めていた。そして、視聴率の稼げる時間帯であるということで、各テレビ局はこの時間帯の番組に注力し始めた頃であった。
この頃の土曜の夜はフジテレビの『コント55号の世界は笑う』とナイター中継が主な番組であり、この時間帯の視聴率が低迷していたTBSは、居作昌果(いづくりよしみ)を中心として、坂上二郎と萩本欽一のお笑いコンビ・コント55号に対抗する番組を打ち上げるプロジェクトを開始した。居作は、アドリブが売りのコント55号に対抗する意味で、一度コント55号に敗れたネタ作りと練習が売りのザ・ドリフターズを起用した。この作戦が成功して1980年代前半まではTBSの視聴率一人勝ち状態となり(最盛期は40%以上の平均視聴率を稼いでいた)、ザ・ドリフターズは一大スターの座を獲得することになる。
1981年5月、フジテレビは『8時だョ!全員集合』に対抗して関東勢以外にも関西のお笑い芸人や若手漫才師を多数起用し、アドリブを売りとする『オレたちひょうきん族』を放送開始。『オレたちひょうきん族』は『8時だョ!全員集合』から徐々に視聴率を奪い、『8時だョ!全員集合』を追い詰めていった。(但し、『オレたちひょうきん族』は野球シーズン時に時々野球中継で番組が返上される時もあったが、『8時だョ!全員集合』は視聴者からの配慮もあり、ほとんど野球中継で返上される事がなかった。)遂に視聴率が10%台までに追いやられた『8時だョ!全員集合』は、1985年9月に放送終了したため、ザ・ドリフターズは視聴率戦争に敗れてしまう。これに対抗して、TBSは『8時だョ!全員集合』の後番組として、ザ・ドリフターズの人気者であった加藤茶と志村けんの2人をメインとした『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を1986年1月に放送開始。「THE DETECTIVE STORY (探偵物語)」と「おもしろビデオ(素人ビデオ投稿)」の2大コーナーをヒットさせたことから、『オレたちひょうきん族』を追い詰め、『オレたちひょうきん族』は1989年に放送を終了したため、「土曜日8時台」は再びザ・ドリフターズの天下となった。一方、日本テレビはTBS・フジテレビの抗争の陰で長年悪戦苦闘に追いやられたが、1990年に『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』、『知ってるつもり?!』に続く、「クイズプロジェクト」第3弾としてスタートした「マジカル頭脳パワー!!」がヒットしたことにより、ようやく肩を並べるまでになった。ちなみに、夏場になると巨人戦を行う日本テレビにとって有利となり、当時の1970年代から1980年代にかけての各番組に大きな打撃を与えることにもなった。
しかし、この頃になると、原則として土曜日・日曜日・祝祭日が休みとなる週休2日制が根付いたこととチャンネル権の主役である子供の学習塾通いが増えたこと、及び居酒屋ブームにより土曜日の夜に家族でテレビを見るという習慣が薄れ初めたことから、この時間帯の平均視聴率はせいぜい20%程度と低迷を始めた。この社会の変化により土曜8時台の視聴率争いは下火となった。
だが、1980年代後半以降、かつてのテレビ以上の勢いで爆発的に普及した家庭用ビデオデッキや、赤外線リモコン付テレビの登場が、視聴率に対する基準的視点を変化させる。一家が複数台のテレビ及びビデオデッキを保有し、数十秒単位でチャンネルが切り替えられる様になると、どんな人気番組でも30%以上の視聴率は不可能になった。その中で、フジテレビの『めちゃ²イケてるッ!』は安定した視聴率を確保したことから、他局もこの時間帯を見直すようになり、「土曜8時戦争の再燃」と言われるようになった。
視聴率競争の激しかった番組一覧
- 8時だョ!全員集合(TBS)vs.コント55号の世界は笑う(フジテレビ)
- 『8時だョ!全員集合』の立ち上げ直後は、視聴率は良くもなく悪くもない状態ではあったが、コント55号には全く及ばない状態であった。このため、居作は当時の人気タレントをゲストに呼ぶ作戦を取ってコント55号に対抗した。この作戦が当たった事と、加藤の一発芸がヒットした事により『8時だョ!全員集合』はコント55号を追い抜いた。加藤の話によれば、初期には放送作家の原稿通りにやっていたコントを自分達で書き直す様になってコントが受け出した事が視聴率アップになったという。
- 8時だョ!全員集合vs.欽ちゃんのドンとやってみよう!(フジテレビ)
- 『8時だョ!全員集合』では荒井注が引退し新メンバーとして志村が起用された直後で、志村のギャグが全く受けずにコントが低迷状態に陥ってしまい、素人葉書投稿がメインである『欽ドン!』に視聴率で抜かれてしまう。8時ではなく7時半からのスタートというのもあり、当時としては斬新であったロケーションを交えてのコーナーなどが人気を博したちまち視聴者を掴んだ。しかし、志村は東村山音頭を大ヒットさせ、起死回生の一撃で『8時だョ!全員集合』が再び視聴率を逆転させ1980年3月で『欽ドン!』が終了、もう一説によるとメインである萩本が「これ以上ドリフと張り合いたくない。」との理由で撤退させたとの見方もあるが、後に月曜午後9時の枠に移る。
- 8時だョ!全員集合vs.オレたちひょうきん族(フジテレビ)
- 『オレたちひょうきん族』では、ザ・ドリフターズを意識し、『8時だョ!全員集合』の柱である前半コントと、『オレたちひょうきん族』の柱である「タケちゃんマン」をぶつけないようにし、『8時だョ!全員集合』が後半コントに入る8時半から「タケちゃんマン」を開始させる程の配慮を行った。一方、『8時だョ!全員集合』では、いかりや長介がネタ作りを降板させられ、変わりに加藤と志村が音頭を取るようになった。さらに居作がプロデューサーを降り、メンバー内とスタッフの不協和音が見られ、コント作りが低迷し始めた。そして遂に視聴率で『オレたちひょうきん族』に抜かれた『8時だョ!全員集合』は、1985年9月に16年間続いた放送に終わりを告げた。
- 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBS)vs.オレたちひょうきん族
- 『オレたちひょうきん族』のメインの一人であったたけしが「講談社フライデー襲撃事件」を起こして逮捕されたために謹慎処分となったため、共演者だったさんまが一人で「タケちゃんマン」を支える状態に陥ったことから、『オレたちひょうきん族』は苦境に立たされた。一方、1986年1月にスタートした『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』は、加藤と志村のゲスト歌手やタレントを迎えたコントと8時半の時間帯を素人投稿ビデオにより視聴者が流れるのをカバーして視聴率を獲得。その結果、『オレたちひょうきん族』は追い詰められ、1989年9月に放送を終了、再びザ・ドリフターズが視聴率戦争を勝ち抜いた。また直接対決ではないが、この当時は『とんねるずのみなさんのおかげです』の全盛期でフジのお笑い番組(と言うよりも総合的に)の王者が完全に受け渡され、かまへんライダーは(仮面ノリダーがウケてるから)仮面ライダーのパロディをやれといわれて作られたと言われる状況にまで至ってしまったため、三宅プロデューサーも「役目は終わった」と語るようにまでなった。しかし『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』も勝利を収めたものの、週休2日制などの原因(前述参照)によりかつてのような勢いは衰えていた。
- マジカル頭脳パワー!!(日本テレビ)vs.加トちゃんケンちゃんごきげんテレビvs.ウッチャンナンチャンのやるならやらねば(フジテレビ)
- 1990年10月、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が人気だった土曜日8時台に日本テレビが『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』、『知ってるつもり?!』に続く「クイズプロジェクト」の第3弾として、『マジカル頭脳パワー!!』をスタートさせる。また、フジテレビも木曜日9時台に放送されていて好評だった『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば』を『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』にタイトルを変更して、土曜日8時台に放送時間帯を移動させた。この番組は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』とは異なる全編コント番組だった。これにより、それまで一人勝ち状態であった『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』は視聴率が低下していく。そして、1991年~1992年頃になると『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』が『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を抜いて視聴率トップとなり、『マジカル頭脳パワー!!』がそれを追う状況が続いた。結局この影響は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の前に始まる『まんが日本昔ばなし』(毎日放送)や『クイズダービー』にまで及んでしまい、1991年10月にフジテレビが『平成教育委員会』が開始されると両番組の視聴率も低迷、TBSの土曜日ファミリー枠そのものが衰えてしまう結果となってしまった。そして、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』は1992年4月から『KATO&KENテレビバスターズ』のタイトルで新装開店するも、視聴率低迷からわずか半年で終了し、TBS土曜日8時台で23年余り続いたドリフ関連のお笑い番組がここで途絶えることになる。また、19時から長年放送されていた『まんが日本昔ばなし』は1994年3月で全国ネット放送を終了、ローカル放送に格下げされたが、約半年後の同年9月に終了、『クイズダービー』は1992年12月で終了した。(クイズダービーの後枠には特番で好評だった「クイズテレビずき」、そして「チャレンジ大魔王」があったが、共に平成教育委員会には勝てず、95年秋に筋肉番付が登場するまで迷走を図ることになる)
- しかし、1993年6月に『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』が収録中に死亡事故を発生させてしまい、番組はそのまま打ち切られて、さらに『マジカル頭脳パワー!!』が翌1994年4月の番組改編で木曜日8時台に移動したことから、代わって木曜日夜に放送していた単発枠『木曜スペシャル』を『スーパースペシャル』として再出発させ、『久米宏の道徳の時間』や『欽ちゃんの仮装大賞』が25%以上を出したが、土曜日8時台は、1996年10月19日にフジテレビの『めちゃ2イケてるッ!』がスタートするまでの約2年半にわたって活気を失う状況が続いた。その時期はTBSの『どうぶつ奇想天外!』とテレビ朝日の『暴れん坊将軍』シリーズが主にこの時間帯の番組では視聴率がトップだった。
- この現象の要因の一つには学校・会社における「完全週休二日制」の普及がある。これにより、従来この時間帯が持っていた特性は金曜日の同時間帯に移ったことになる。
- スーパースペシャル(日本テレビ)vsガキバラ帝国2000!(TBS)vs.「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ)
- 1992年の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』終了後、同ジャンルとしての対決が空白状態が続いていたが、2000年4月にそれまでTBS土曜日8時台に放送されていた『どうぶつ奇想天外!』を日曜日同時間帯に移動させ、新たにタッキー&翼の滝沢秀明が率いるジャニーズJrと進行の三宅裕司を迎えて、様々なコーナーを融合させた『ガキバラ帝国2000!』を立ち上げた。番組開始直前にメインである滝沢がパーソナリティを務めていたラジオ番組にはいかりやをゲストに招いて、「新旧土曜8時の顔!」、「土曜8時戦争の再現!」と意気込んだものの、『めちゃ²イケてるッ!』に押される一方で、先述の意気込みも「いまだに土曜日8時台の栄光を引きずっているのか?」と揶揄された上、視聴率も低迷した。そのため、1年後にTOKIOの国分太一が司会を務める『USO!?ジャパン』という、メンバーがほぼ同じで心霊・怪奇特集にスポットを当てた番組で巻き返したものの、やはり視聴率は低迷したため、2年半で打ち切られてしまった。
- 一方、1994年4月に『木曜スペシャル』から枠移動した『スーパースペシャル』は、2000年を迎えると裏番組(特に7時台)が苦戦する中で「行列のできる法律相談所」を投入して20%と好評を博したため、2002年4月から日曜日9時台に移行した。「行列のできる法律相談所」をレギュラー化した後のスタッフは、「謎を解け!まさかのミステリー」を手掛けて、こちらも好評を博したため、2003年10月から金曜日8時台に移行されたことから、視聴率を同時期にスタートしたTBSの「爆笑問題のバク天!」や『スーパースペシャル』と同年に始まったテレビ東京の「土曜スペシャル」(19:00-20:54)に奪われ、「鳥人間コンテスト選手権大会」と「ベストヒット歌謡祭」(ともによみうりテレビ)以外の看板企画が失われてしまい、番組自体がパワーダウン。このため、2004年4月に『THEスペシャル!』に衣替えしたが、前途のパワーダウンに否めなかったことから、2004年9月をもって、1973年4月に始まった『木曜スペシャル』以来31年6か月にわたって放送されてきたレギュラー単発枠が廃止された。そのためか、日本テレビの土曜夜7時枠は苦戦を強いられている。
- 2000年代に入り、土曜8時台は『めちゃイケ』が独走状態だったが、2004年10月に日本テレビがテコ入れのためにそれまで放送されていた2時間単発枠を廃止して、『世界一受けたい授業』を開始、時を同じくしてテレビ朝日が『スイスペ!』から放送日を移動した『ドスペ!』(19:00~20:54)を開始。TBSも『めちゃイケ』に対抗すべく、2003年10月に前番組だった「USO!?ジャパン」に引き続きTOKIOの国分が司会を務める『探検!ホムンクルス~脳と体のミステリー』→関口宏が司会を務める『8時です!みんなのモンダイ』を立ち上げて、クイズ番組で攻勢に出るが、視聴率低迷ですべて失敗に終わる。そんな矢先、TBSは2005年4月に島田紳助が司会を務める『島田検定!! 国民的潜在能力テスト』で視聴率を一時は挽回する。しかし、ルールが複雑だったことなどから、視聴者の評価は芳しくなく、視聴率も低下したため、半年後に『島田検定SUPER!!』にリニューアルしたものの、ほぼ同じテーマを扱う『世界一受けたい授業』と『めちゃイケ』が視聴率的にも有利だったこと、『ドスペ!』が深夜番組で好評だった企画を次々と昇格させて両番組に対抗、また、テレビ東京もこの時間帯に放送されている番組の中で一番長い歴史を誇る『土曜スペシャル』でサラリーマンや中高年齢層を獲得し、根強い人気を得ることになってしまったことから、さらなる視聴率低下を招いたため、2006年2月25日でレギュラー放送を終了した(なお、過去にTBSは低迷した伝統ある土曜日20時枠をテコ入れするため、『さんまのSUPERからくりTV』を日曜日から枠移動して、『めちゃ²イケてるッ!』と対抗する予定だったが、司会を務める明石家さんまがそれを拒否して実現しなかった。また、4月以降の「島田検定」シリーズは特別番組での放送になる可能性がある。)。なお、4月29日からは同じ紳助が司会を務める『ニッポン!チャ×3!』がスタートする予定である。
日本テレビの冬の時代
日本テレビの主に1980年代に掛けてのバラエティ番組などが不振であった時期を指す。日本テレビはこの1980年代に1970年代から続いていた長寿番組を終了させ、新たなバラエティ番組をスタートさせるものの、低視聴率となったために半年打ち切りの番組が多かった。特に1985年~1988年頃に多い。
またこの時期、日本テレビのゴールデンタイムの番組はプロ野球中継などしか視聴率が取れなかったりと、年間視聴率もフジテレビ、TBSに続いて3位と、時にはテレビ朝日やテレビ東京にも敗れることがあり、まさに冬の時代でもあった。
その時期に放送されていた主な短命番組
- 『ツービートのテレビに出たいやつみんな来い!!』(1982年)
- 『おもしろ人間ウォンテッド!!』(1985年)
- 『所さんの勝ったも同然!!』(1986年)
- 内容は、コメディードラマ仕立てのバラエティーで、この他にいたずらVTRや視聴者参加の100万円争奪ゲームといったコーナーが編成されていたが、3か月で終了。その後『いい!!かもしんない』が放送されたが、視聴率が改善せず打ち切られた。
- 『ガムシャラ十勇士』(1987年~1988年)
- 当時人気だったTBSの番組を意識して始めた番組で、プロデューサーは後に有名になる土屋敏男が担当していた。
- 『欽ちゃんの気楽にリン』(1988年)
- 放送時間が『わくわく動物ランド』(TBS)の裏であったことなどで視聴率が低迷、3か月で打ち切り。以後は演歌番組などつなぎ番組となる。夕方に存在した関連番組の『欽きらリン530!!』も早期に打ち切りとなった。
- 『全員出席!笑うんだってば』(1989年)
- 放送時間が土曜19時からで、当時人気だった『まんが日本昔ばなし』(毎日放送)、『クイズダービー』(TBS)、『所さんのただものではない』(フジテレビ)などが裏番組にあったことから低迷したため、3か月で終了した。
暗黒時代からの脱出
1980年代後半から1990年代に掛けて、クイズ番組を中心にして視聴率を改善させることを目的とした「クイズプロジェクト」を立ち上げ、1988年に『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』を、1989年に『知ってるつもり!?』を、1990年に『マジカル頭脳パワー!!』をスタートさせたが、これらが高視聴率となり、年間視聴率でTBSを抜き、フジテレビと互角になるまでになった。
それからも1992年に『進め!電波少年』(→『進ぬ!電波少年』)が、1994年に『投稿!特ホウ王国』がスタートし、遂に年間視聴率はフジテレビを抜いて1位になった。
その後の状況
その後、日本テレビは2003年まで視聴率三冠王を達成した。しかし、最近になって以下の番組が終了したことや視聴率操作が発覚したことで、その黄金時代に幕を閉じる。また、初期に築いた番組がほぼ終わってしまったことにより、看板番組はほぼなくなってしまった。
『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』
『投稿!特ホウ王国』
『知ってるつもり!?』
『スーパージョッキー』
『マジカル頭脳パワー!!』
『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』
『嗚呼!バラ色の珍生!!』
『ルックルックこんにちは』
『峰竜太のホンの昼メシ前』
『ウッチャンナンチャンのウリナリ』
『電波少年』シリーズ
さらに、2004年以降になると、以下の番組が終了したことで深刻化する。
『特命リサーチ200X』
『スーパースペシャル』
『速報!歌の大辞テン!!』
『スーパーテレビ情報最前線』
『火曜サスペンス劇場』
『からだ元気科』(旧『健康増進時代』→『Oh!診』)
これにより、特に月曜日と火曜日21時台と22時台、水曜日・木曜日・金曜日・日曜日の20時台、土曜日19時台の各時間帯枠は苦戦を強いられており、巻き返しが期待されている。また、黄金時代から続いたワイドショー・朝の情報番組・夕方のニュース番組は、2006年3月までに全て終了している。そのため、ワイドショーと朝の情報番組では苦戦を強いられている。
また、プロ野球人気の低下により、巨人戦がさらに視聴率低下を招いている状況となっており、2005年度(2005年4月~2006年3月)はゴールデンタイムでは3位、プライムタイムでは4位という結果となっている。