フジテレビジョン/log20200104

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株式会社フジテレビジョン(英名 Fuji Television Network, Inc.)は、関東広域圏放送対象地域とする放送局である(放送区域沖縄県島尻郡南大東村及び同北大東村が含まれる)。通称フジテレビ

1959年3月1日東京で4番目のテレビ局として放送開始。英字略称の"CX"は、識別信号JOCX-TVから来ている。各地域の系列局28社で、番組の供給・ネットを目的とするFNS(Fuji Network System、FUJI NETWORK SPORT)と、ニュース素材の供給・ネットを目的とするFNN(Fuji News Network)を組織している。地上放送の他にSKY PerfecTV!(東経124・128度CS放送)、および委託放送事業者であるサテライト・サービスを通じてSKY PerfecTV!110(東経110度CS放送)で、フジテレビ721及びフジテレビ739の2つのチャンネルを放送していて、一部のケーブルテレビでも放送されている。

 視聴率が低迷し迷走を極めていた1970年代を経て、1981年にそれまでの「母と子のフジテレビ」を改め、「楽しくなければテレビじゃない」(よく勘違いされるが「面白くなければ―」ではない)というキャッチフレーズを打ち出した。視聴率至上主義を止め、とにかく面白い番組を生み出そうという意識改革の象徴であった。そこから横澤彪がプロデュースした「THE MANZAI」「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」など数々の人気番組が生まれていった。

 バラエティー中心の編成は結果として視聴者の支持を集め、1982年に念願の「年間視聴率三冠王」(ゴールデン・プライム・全日でトップ)を獲得。その後「三冠」は12年間続いた。 90年代前半には、「カノッサの屈辱」など、深夜放送を中心とした人気番組が続々産まれた。しかし、「三冠」が日本テレビに明け渡す頃になってくると、その勢いも次第に衰えていった。

 1997年3月10日東京都新宿区河田町から東京都港区台場へ本社移転。新社屋の設計者は丹下健三で、直径32メートルの球体展望室が印象的。収録スタジオが見られる見学者コースがあり、お台場周辺の観光スポットのひとつになっている。同じ建物内に系列ラジオ会社のニッポン放送の本社もある。(2004年9月に嘗て本社があった千代田区有楽町に移転する予定)

1999年にはイメージキャラクターのラフ君が登場、2002年からは「きっかけは、フジテレビ。」のキャッチコピーで様々なキャンペーンを展開、毎年本社ビルで行われているイベントも名物となっている。

所在地・社長

  • 東京都港区台場2-4-8
  • 郵便番号119-0188(以前は149-0188、137-8088、河田町時代は162-88だった)
  • 代表取締役社長・村上光一
  • 代表取締役会長・日枝久

沿革

  • 1957年(昭和32年)6月 - ニッポン放送と文化放送の2社に映画3社(東宝、松竹、大映)が加わり「富士テレビジョン」(中央テレビジョン)として、テレビ免許を申請。
  • 1957年(昭和32年)7月 -「富士テレビジョン」に予備免許交付。
  • 1957年(昭和32年)11月 - 富士テレビジョン設立。(所在地 東京都千代田区有楽町一丁目7番地。資本金6億円)
  • 1958年(昭和33年)12月 - フジテレビジョンに社名変更。
  • 1959年(昭和34年)1月 - 郵政省より本免許交付。 東京都新宿区市ヶ谷河田町7番地に本社ビル完成。
  • 1959年(昭和34年)3月1日 - フジテレビジョン開局(チャンネルは8ch、呼出符号:JOCX-TV。映像出力10KW、音声出力2.5KW)。
  • 1959年(昭和34年)6月 - 東名阪福の基幹4局でネットワーク協力体制に調印し、FNS(フジネットワークシステム)の基礎を確立。
  • 1960年(昭和35年)1月 - 映像出力50KW、音声出力2.5KWに増力。
  • 1962年(昭和37年)12月 - 本店所在地を東京都新宿区市ヶ谷河田町7番地に変更。
  • 1963年(昭和38年)1月1日 - 日本初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」を放送(~1966年12月31日)
  • 1964年(昭和39年)9月3日 - 東京オリンピック開始に伴い、カラー本放送を開始。最初の番組は「僕は見たんだ」で、10時半からの30分番組。
  • 1965年(昭和40年)10月6日 - 日本初のカラーテレビアニメ「ジャングル大帝」放送。
  • 1966年(昭和41年)10月 - フジニュースネットワーク(FNN)発足。
  • 1970年(昭和45年)10月 - 第2次UHF開局によりFNS27局体制が確立し、全国ネットワークが完成。
  • 1973年(昭和48年)- 「キンカン素人民謡名人戦」を最後に、自主制作番組が全部カラー放送になる。
  • 1978年(昭和53年)10月 - 音声多重実用化試験放送開始。東京では日本テレビ、NHK(日本放送協会)に次いで3局目。第1弾は神宮球場からのヤクルト戦のステレオ放送。
  • 1979年(昭和54年)7月 - 情報システム開発会社フジミックを設立(現・連結子会社)。
  • 1982年(昭和57年)3月 - 番組制作会社共同テレビジョンを子会社化(現・連結子会社)。
  • 1985年(昭和60年)12月 - 文字多重放送本放送開始。
  • 1989年(平成元年)8月 - 第一世代クリアビジョン放送開始。
  • 1989年(平成元年)8月 - 美術部門の一部を独立し、フジテレビ美術センター(現フジアール)を設立(現・連結子会社)。
  • 1990年(平成2年)11月 - ハイビジョン試験放送開始。
  • 1991年(平成3年)3月 - 通信販売会社フジサンケイリビングサービスを設立(現・連結子会社)。
  • 1994年(平成6年)11月 - ハイビジョン実用化試験局免許取得。
  • 1995年(平成7年)4月 - 経営体質強化のためフジサンケイグループ本社を吸収合併。
  • 1995年(平成7年)9月 - ワイドクリアビジョン(EDTV)本放送開始。
  • 1995年(平成7年)10月 - 番組制作子会社を統合し、フジクリエイティブコーポレーションを設立(現・連結子会社)。
  • 1997年(平成9年)3月 - 東京都港区台場二丁目4番8号に新本社ビル完成。
  • 1997年(平成9年)4月 - 本店所在地変更(東京都港区台場二丁目4番8号)。
  • 1997年(平成9年)8月 - 東京証券取引所市場第1部に株式を上場。
  • 1998年(平成10年)4月 - 放送法にもとづきCSデジタル放送2チャンネルの委託放送業務の認定を受ける。
  • 1998年(平成10年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ721」の放送を開始。
  • 1998年(平成10年)12月 - 東京都港区にBSデジタル放送会社、ビーエスフジを設立(現・関連会社)。
  • 1999年(平成11年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ739」の放送を開始。
  • 2000年(平成12年)12月 - BSデジタル放送会社、ビーエスフジ本放送を開始。
  • 2003年(平成15年)12月1日 - 地上波デジタル放送を開始(午前11時)。

制作セクションは第三制作部までに分かれており、第一制作部はドラマ、第二制作部はバラエティ・音楽番組、第三制作部はドキュメンタリー・情報番組などを作っている。(2002年7月に第三制作部は生活情報局に移行)

ニュース・情報番組

FNNニュースFNNスーパーニュースなどを報道局が制作。めざましテレビなどは生活情報局が制作している。

スポーツ番組

感動ファクトリー・すぽると!ジャンクSPORTS、中継番組全般をスポーツ局が制作。また、レーベル表記は「FUJI network SPORT」を2001年10月より使用。

バラエティ番組

第二制作部港浩一バラエティー制作センター室長)が制作している。主に笑っていいとも!トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~など。クイズ$ミリオネア等のクイズ番組や、ライオンのごきげんよう等のトーク番組もそこで制作している。

音楽番組

バラエティ同様、第二制作部が担当。HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP堂本兄弟などはきくち伸プロデューサー率いる音組が担当している。

ドラマ

第一制作部が制作している。

子供番組

関連会社のフジテレビKIDSポンキッキーズ21東京キッズクラブBSフジ)などを制作している。

その他

毎年恒例のFNS27時間テレビをはじめ、FNSドキュメンタリー大賞FNSソフト工場といったコンテンツをFNS各局が総力を挙げて制作。単発でバラエティー、ドキュメンタリー、スポーツ、ドラマ、映画などを放送。

主な事業

フジテレビ製作映画

イベント

  • 国際スポーツフェア(1984年~1992年、毎年4月29日~5月5日、国立代々木競技場)
  • 夢工場(1987年~1988年、河田町駐車場ほか)
  • LIVE UFO(1993年~1995年、毎年4月~5月、国立代々木競技場とその周辺)
  • LIVE WORKS(1996年4月27日~5月6日、国立代々木競技場、渋谷ほか)
  • お台場Do Donpa!(1997年7月19日~8月8日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
  • KISS ME ODAIBA(1997年~、毎年12月~1月、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
  • P-KIESワンダーランド(1998年7月18日~8月31日、お台場フジテレビ本社とその周辺)
  • BANG PARK(1999年7月20日~8月29日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
  • お台場どっと混む!~o-daiba.com~(2000年7月20日~9月3日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
  • お台場どっと混む!(2001年7月20日~9月2日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
  • お台場どっと混む!(2002年7月21日~9月1日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
  • お台場冒険王(2003年7月20日~8月31日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
  • Adventure Kingお台場冒険王2004 ~レインボーブリッジは封鎖するな!~
    (2004年7月17日~8月31日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)

番組開始・終了

オープニング

  • 初代 富士山(開局~1966.3、カラー化は1966.4~1977.3)
  • 2代目 愛のメッセージ(1977.4~1981.3、※オープニングは歌です。)
  • 3代目 I・愛・eye(1981.4~1986.3)
  • 4代目 目玉マーク紹介(1986.4~1987.3)ナレーション・逸見政孝
  • 5代目 目玉タウン(1987.4~2001.9)
  • 6代目 未来のお台場バージョン(2001.10~2003.11)ナレーション・近藤雄介
  • 7代目 未来のお台場バージョン・その2(2003.12~現在)ナレーション・向坂樹興

エンディング

  • 初代 局舎~宇宙(開局~1966.3、カラー化は1966.4~1977.3)
  • 2代目 愛のメッセージ(1977.4~1981.3)
  • 3代目 I・愛・eye(1981.4~1986.3)
  • 4代目 目玉マーク紹介(1986.4~1987.3)ナレーション・逸見政孝
  • 5代目 目玉タウン(1987.4~2001.9)
  • 6代目 未来のお台場ラスト5秒(2001.10~現在)

アナウンサー

男子

女子

フジテレビ出身・あるいは在籍の著名人

関係会社

系列放送局に関しては「FNN」及び「FNS」を、フジサンケイグループ各社に関しては「フジサンケイグループ」を参照せよ。

連結子会社

持分法適用関連会社

大株主

その他

関連項目

外部リンク