0.999...

1 の代替小数展開

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数学において、十進法表示したときに小数点以下の各位にすべて 9 が並ぶ循環小数 0.999…実数を表すものならば、それはちょうど 1 に等しい[1]。循環小数 0.999… はその循環節を明確にするために

0.999… の大きさのイメージ

などとも記される。

概要

実数は広く十進法で表され、十進小数展開という表示で数字の羅列によりとらえることが行われる。この表示により、「循環小数 0.999…」が表す実数を考えることができるが、これは寸分違わずちょうど 1 に等しい。つまり、"0.999…" と "1" という別の数字列は等しい数に対応しており、つまり、これらの数値の差は紛れもない 0 である。この証明は、どの程度数学的に厳密であるかということまで含めて、複数の方法で説明することができる。

このような十進小数表示の二重性は 1 に特有の現象ではなく、0 でないすべての有限小数は、途中から 9 のみが無数に続く無限小数として表記できる(例えば、0.25 と 0.24999…)。また、1 の小数展開が二種類あることは十進法に特有の現象ではなく、十以外の整数を基数とする位取りで表しても同じことが起きる。実際には、すべての位取り記数法がこのような表示が一意でない数を無数に含んでいる。

数学教育においては、この 0.999… = 1 という事実を「正しくない」(0.999… < 1) と感じる学生・生徒たちに「等しい」と理解し受け入れてもらうためにはどのように教えればいいのか、といった点が研究されてきた[要出典]。ここで多くの人が「正しくない」と感じる理由は、実数に対するいくつかの誤解に基づくものである。例えば、「一つの数の小数表示は無数桁まで含めて必ず一通りである」といった思い込みであったり、「限りなく小さい量(無限小)といったものが(それが四則演算大小関係との間に齟齬を来すとしても)存在するはずである」という期待であったり、極限という概念が理解できない(あるいは単に思い込みだけ)まま「いくら 9 が無限に続いても、そこには最後の 9 というものがあるはずだ」と考えたりするものである。これらの解釈は、現代数学の実数論における体系の中で誤りであると証明される。実際には有理数から実数を構成すること(有理数体の完備化)で示され、そこでの有理数から構成した「実数の構成」により 1 = 0.999… をも直接に証明してしまう。

しかし、実数体とはまったく異なる数体系で、0.999… < 1 という直観が真であるものがいくつか存在する。そこでは、合理的に "0.999…" と呼べる対象があり、それは厳密に 1 よりも小さい。

位ごとの操作による証明

0.999… = 1 の最も単純な証明としては、位ごとの操作を無数桁に対して行うというものである。この証明は十進記数法の算術的性質を利用している。その一つは、十進小数の"位レベルの操作"(四則演算大小比較)が1桁の整数の場合のそれと同様になされるという点であり、もう一つは、整数の場合と同様に、ある位が異なる任意の2つの有限小数は異なる数を表す、という点である。

分数による証明

1 ÷ 3 = 1/3 は、整数の割り算の筆算を用いると、循環小数 0.333… となる。ここで 3 は無限に続く。この小数を用いて、0.999… = 1 を即座に証明することができる。0.333… × 3 は、各位に 3 × 3 = 9 を生ずるので、0.999… に等しい。一方、1/3 × 3 = 1 である。したがって 0.999… = 1 である[2]。同様な別証明として、1/9 = 0.111… の両辺に 9 を掛けることでもできる。

 

代数的な証明

代数的な証明は他の循環小数にも適用できる。十進法表示の数に 10 を掛けると、数字は変化することなく、小数点が1つ右に移動する。ゆえに 10 × 0.999… は 9.999… に等しく、これはもとの数に比べて 9 大きい。引き算が位ごとに扱えるとみなせば、0.999… を 9.999… から引くと、小数点以下各位は 9 − 9 すなわち 0 である。ところが、小数点以下に無数に続く 0 は数を変化させないので、この差はまさしく 9 である。問題の小数 0.999… を c と置くと、10cc = 9 であり、この方程式を解くと、c = 1 が得られ、証明が完了する[2]。数式を用いて書くと以下のようになる。

 

無数の位ごとの操作の正当性

以上の2つの証明には位ごとの操作を無数回行う(つまり…の部分に掛け算や引き算を行う)という、形式的な操作が含まれており、その正当性が直ちに明らかというわけではない。有限小数に関しては、この過程は実数の計算法則にのみ依存している。この操作が無限小数にも適用できることを証明するためには、次節に述べる実解析の手法を必要とする。

日本の数学教育においては、高校数学数学Iで循環小数の足し算・引き算・10倍が公理として採用されているため、上記の代数的な証明は高校数学の範囲内においては正しい証明とされる。

解析的な証明

0.999… が 1 と等しいかどうかという問題は、数式計算には影響を与えないので、実解析の基本的な定理や命題を証明する際に必要となるまでは無視しておくことができる。解析的な証明では、十進記数法(すなわち、符号、整数部分の数字の有限列、小数点、小数部分の数字の列、の組み合わせ)で書かれた実数の特性を明確にすることが必要となる。

0.999… を議論する場合は、整数部分は1桁だけ考えれば十分であり、負の数は考えなくてよいので、考察するべき小数展開は

 

の形である。小数部分は整数部分と違って有限の桁数に制限されない。これは位取り記数法であるから、例えば 1.234 における "2" は "3" の 10 倍の大きさに、"4" は "3" の 1/10 倍の大きさに相等する。

級数としての計算

小数展開の一般的な定義としては、おそらく級数(無限数列の和)として定義することである。つまり

 

と表される。

ここで、0.999… という小数展開に対しては、等比級数の公式[3]

  のとき  

を適用することが可能である。

0.999… は、上式の左辺で  , 公比   としたものであるから、この公式より

 

と簡単に問題を解決することができる。この証明は早くて1770年レオンハルト・オイラーによる Elements of Algebra[4] において(実際には 9.999… = 10 の証明として)見られる。

 
極限:1に収束する四進法の数列 {.3, .33, .333, …} を含む単位区間

等比級数の公式自体はオイラー以前の成果であるが、18世紀まではその導出法がいずれも項別演算を証明なしで行われていた。1811年になってやっと、Bonnycastle の教科書 An Introduction to Algebra で等比級数に関する議論を行うことで 0.999… に関する項別操作を正当化している[5]

19世紀には、それまでの自由すぎる和の計算に対する反動として、「級数はその部分和の極限として定義される」という、現在の数学でも用いられている定義が生み出された。このころの証明に基づいた微積分学や解析学の入門書においては、関連する定理を証明することによりこの等比級数もはっきりと計算されている[6]

数列 {xn} において、番号 n を限りなく進ませると距離 | xnx | が 0 に近づくときに、数列 {xn} の極限x であると定義される。等式 0.999… = 1 自身は以下のように極限として表すことにより証明される。

 [7]

最後の等号 ( ) は、実数の連続性の一つであるアルキメデスの性質を用いて証明される。このような極限を基にした 0.999… の説明はしばしば、分かりやすいが不正確な言葉によって説明されている。例えば、1846年の教科書 The University Arithmetic は「0.999… と無限に続く数は 1 である。なぜなら 9 を積み重ねるたびにその値は 1 に近づくからである」と説明しており、1895年Arithmetic for Schools は「9 を十分多く用いれば、0.999… と 1 の距離は驚くほど小さい値である」と説明している[8]。直観に頼らず、はっきりとした理解を得るために、コーシーボルツァーノらにより微積分を厳密な理論で再構築する流れが生まれた。1860年代にワイエルシュトラスによりε-δ 論法が考案され、無限の概念を不等式の任意性に置き換えることにより、項別操作の可能性などについても説明がついていくこととなる。

区間縮小法と上限

 
区間縮小法:1 = 1.000… = 0.222…(3)

前述の級数による導出は、小数展開で表された実数を直接とらえる有効な方法である。もう一つの方法は、小数展開で表された実数が取らない値の範囲を排除していくという方法である。

実数 x閉区間 [0, 10](すなわち 0 以上 10 以下)に属することが分かっているとする。ここでこの区間を、端点のみで重なる 10 個の区間 [0, 1], [1, 2], [2, 3], … , [9, 10] に分割する。実数 x はこのうちの少なくとも1つの区間に属する。例えばそれが区間 [2, 3] に属するときにはその区間を "2" と記録し、さらにこれを [2, 2.1], [2.1, 2.2], …, [2.8, 2.9], [2.9, 3] なる区間に分割する、という操作を繰り返すと b0, b1, b2, b3, … という無限数列により名づけられる縮小区間の無限列が生み出される。この数列から

x = b0.b1b2b3

と表現される。

この表現形式に従えば、実数 1 は区間 [0, 1] と区間 [1, 2] のいずれにも属するため、1 = 1.000… と 1 = 0.999… の2通りの表現が得られることになる。この表現形式が記号 "=" の濫用でないことを保証するためには、それぞれの小数に対し唯一の実数を構成し直す方法が必要になる。このことは極限を用いてなされるが、順序の議論を続ける別の構成方法もある[9]

直接的な方法としては区間縮小法の原理が挙げられる。この原理によれば、閉区間の無限減少列が与えられ、その幅が 0 に収束するとき、それらの区間の共通部分はただ1つの実数からなる1点集合であることが、実数の連続性より証明される。したがって b0.b1b2b3… はすべての区間 [b0, b0 + 1], [b0.b1, b0.b1 + 0.1], … に属する唯一の実数であると定義される。したがって 0.999… は [0, 1], [0.9, 1], [0.99, 1], …, [0.99…9, 1] と、任意個の 9 を含むすべての区間に属する唯一の実数である。一方、実数 1 はこれらすべての区間に属するので 0.999… = 1 となる[10]

『区間縮小法の原理』は、実数の連続性のうちのより直観的であると思われる上限の存在に基づいている。これらの事実を直接的に用いると、b0.b1b2b3… を近似値の集合 {b0, b0.b1, b0.b1b2, …} の上限として定義することができる[11]。この定義(または区間縮小法による定義)は区間分割の手続きと矛盾がないことが示せるので再び 0.999… = 1 を得る。トム・アポストルは次のように結論付けた[12]

「実数が2つの異なる小数表示を持つ可能性があるという事実は、単に、実数をにもつ異なる2つの集合が等しい上限を持つ可能性があるという事実の裏返しに過ぎない。」

実数の構成による証明

0.999… = 1 を示す別のアプローチとして、公理的集合論を用いて有理数全体の成す集合上に構築された特定の構造として実数を明示的に定義してしまうという方法が挙げられる。

まず、自然数の全体の成す集合は、各自然数がその次の数というものを持っているので、1 から始めて 1, 2, 3, … と数え上げていくことで得られる。自然数を拡張して整数全体を得るには、各自然数の反数を与えればよい。さらにそれらの比を与えると、有理数全体の成す集合が得られる。これらの数体系には、加減乗除という四則演算が付随しており、さらにまた数を比較して、どちらがより大きいとか、より小さいとか、等しいとかいう大小関係による順序をも備えている。どこから始めるかという問題はあるにせよ、例えば、自然数を天賦のものあるいは人為的な構造物として認めてしまえば、四則演算と大小関係を備えたものとして有理数の体系を構築することができるので、有理数の存在は(自然数の導入の仕方がどうあれ、自然数の存在を認めるのと同等のレベルで)許容されていると考えることができる。

肝心の有理数から実数を得る手順というのは(自然数から整数や有理数を得る代数的な手順に比べて)大きな飛躍がある。この拡張の手順を実現するものとして、少なくとも2つの手法がよく知られている。ともに1872年に発表された有理数の切断によるものとコーシー列によるものである。

これらの構成法を直接的に用いて 0.999… = 1 であることを証明している実解析の教科書は見られない[要出典]。現代数学でのこの辺りの取り扱いは、公理的解析学を用いて証明を記述することに依っている。つまり、実数の構成が一つ与えられたなら、通常はそれが実数の公理を満たすことを証明することに注意が向けられる。そうすれば公理的解析学による取り扱いによって 0.999… = 1 を間接的に証明していることになるからである。しかしながら、実数の構成から始めることをより適切に、論理的に行うことにより、証明すべき結果はもっと直接的になされる (self-contained) という考えを主張する人もいる[13]

デデキント切断による構成

デデキント切断のアプローチでは、任意の実数 x は、「x より小さい有理数全体からなる無限集合」と定義される[14]。この考え方では、実数 1 は「1 より小さいすべての有理数の集合」となる[15]

デデキント切断は、正の数の小数展開によって簡単に決定できる。小数展開表示を適当な位までで切って得られる有理数を使って、それより小さい有理数全体の集合というものを作ればいいのである。この方法で実数 0.999… というものが何であるかを考えるなら、r < 0, r < 0.9, r < 0.99, … といった条件(もっと一般に、ある n に対して、1 − (1/10)n より小さいという条件)を満たす有理数 r すべてが作る集合として定義するということになる[16]。0.999 の数より小さいという条件)を満たすすべての元は 1 より小さいので、これは実数 1 の元である。一方、実数 1 の元となる任意の有理数

 

(b ≥ 1) を考えると、

 

となるため、a/b は 0.999… の元になっている。よって、0.999… と 1 とは全く同じ有理数をすべて元として含み、これらは集合として等しい。つまり 0.999… = 1 であるというわけである。

デデキント切断による実数の定義は、1872年リヒャルト・デーデキントによって初めて発表された[17]。上記の、実数をそれぞれの小数展開に帰着させる方法は、フレッド・リッチマン (Fred Richman) によって雑誌Mathematics Magazine に投稿された "Is 0.999… = 1?" という解説論文による説明である。この論文は大学の数学教師とその生徒向けに書かれている[18]。リッチマンは、有理数の任意の稠密な部分集合における切断を考えても同様な結果をもたらすことを指摘している。その中で彼は、分母が 10 のである分数全体の成す稠密部分集合を用いて、0.999… = 1 の証明をより直接的に与えている。また、x < 1 となる x は切断を有するが、x ≤ 1 となる x は切断をもたないことも指摘し、「これは 0.999… と1が異なってしまうことを排除するものである。・・・実数の伝統的な定義の中に、等式 0.999… = 1 は最初から組み込まれている」と評した[19]。リッチマンは、この手順に修正を加えることで、0.999… ≠ 1となる別の構造を導いている。

コーシー列による構成

実数を構成するもう一つの方法は、実数の切断に比べれば間接的にではあるがやはり有理数の順序を用いるものである。まず、2つの有理数 xy に対して、距離 d(x, y) を絶対値x − y | で定義する(z の絶対値 | z | とは z と −z の大きい方として定義され、| xy | は非負である)。そして実数全体というものを、この距離 d に関する有理数のコーシー列全体を同値類で割ったものとして定義するのである(実数の完備性も参照のこと)。ここで、有理数のコーシー列とは、有理数列(つまり自然数から有理数への写像){xn} であって、

任意の正の数 δ に対して、番号 N が存在し、N より大きいすべての m, n に対して | xm − xn | < δ

が成り立つ(つまり、番号を十分先に取れば2項間の距離がいくらでも小さくなる)数列と定義される[20]

2つのコーシー列 {xn} と {yn} が同値であることを、xn − yn が 0 に収束することと定める。小数 b0.b1b2b3… に対して、各位以降を順に切り捨てていくことにより得られる数列は有理数のコーシー列を定めるので、このコーシー列が、この小数展開の表している実数の真の値と定められることになる[21]

この性質より 0.999… = 1 を証明するためにしなければならないことは、有理数のコーシー列

 
 

が同値である、すなわち

 

が 0 に収束することを証明することである。

この極限は単純で[22]、数列の極限の定義により示される。こうして、やはり 0.999… = 1 が示されたことになる。

コーシー列による実数の定義は、最初に(いずれも)1872年エドゥアルト・ハイネゲオルク・カントールにより独立に発表された[17]。0.999… = 1 の証明を含む、小数展開による上記のアプローチは1970年にグリフィス (Griffiths) とヒルトン (Hilton) の書いた教科書 A comprehensive textbook of classical mathematics: A contemporary interpretation (「古典数学に関する総合教科書:現代的解釈」)に従っている。この教科書は、よく知られた概念について、現代の観点から再検討することを主眼に書かれている[23]

他の数体系での振る舞い

実数は標準的な数体系であるが、"0.999…" という表記法が実数を意味するものと考えることは根本的には『慣習』である。ウィリアム・ティモシー・ガワーズ (William Timothy Gowers) は Mathematics: A Very Short Introduction において、等式 0.999… = 1 を結論することも同様に『慣習』であると述べている。すなわち、

「しかしながら、それは決して恣意的な慣習ではない。なぜなら、それを受け入れなければ、一風変わった新しい対象を発明するか、または算術のよく知られた規則のいくつかを諦めるかのどちらかが強制されるからである[24]。」

実際に、実数とは異なる演算法則を入れる、あるいは非実数となる対象を含めるなどして、0.999… という表記が意味を持ち得る)実数とは別の数体系を定義することができる。そのような数体系においては本項冒頭あたりの節に示されたような「証明」はその体系における記述として解釈し直さなければならず、またそういった体系において(上記「証明」が正しいとする根拠を失ったり、誤りであることがはっきり述べられたりして)0.999… と 1 とが同一の対象を表すものでない可能性が見出されることもある。そうは言っても、多くの数体系は(実数の体系を代替するような独立した対象としてではなく)実数の体系の拡張となるものであって、故にそこでは 0.999… = 1 も引き続き成立することとなる。しかしそういった体系においてさえも、("0.999…" として表される数が意味を持ち明瞭に定まる場合には)0.999… がどのように振る舞うかということだけではなく関連する現象の振る舞いに対して考えるために、代替の数体系を考察するということは意味のあることであるといえる。つまり、ある現象が実数体系における場合とは異なる振る舞いをするのであれば、その体系に組み込まれた前提条件は、実数体系のそれの少なくとも一つを壊したものになっていなければならない(以下に挙げるような体系が、実数におけるどのような現象や条件を否定するのかという観点に立って説明することができる)。

無限小

0.999… = 1 のいくつかの証明は、通常の実数がアルキメデス的であること、すなわち、"0 でない無限小は存在しない" ことに依存している。

通常の実数に代わるいくつかのものを含むような、数学的に理路整然とした順序が導入された代数的構造があるが、それは非アルキメデス的である。例えば、二元数は新しい無限小の要素 ε を含む。これは ε2 = 0 であることを除けば複素数における虚数単位 i の類似である。結果として生じる構造は自動微分で有用である。二元数には辞書式順序を与えることができ、この場合において ε の倍数は非アルキメデス的要素になる[25]。実数に代わる構造を構成するもう一つの方法は、(特殊な例ではあるが)集合論や古典的な理論ではなく、トポス理論やそれに代わる諸論理を用いることである。例えば、『滑らかな無限小解析 (smooth infinitesimal analysis)』では逆元のない無限小が存在する[26]。この体系では、0 でない任意の数に対して乗法の逆数が存在する。一方で、任意の関数 f に対して一意的な数 a が存在し、二乗すると 0 になる任意の元 x に対して f(x) = ax が成り立つ(Kock-Lawvereの公理)。これは古典論理上で矛盾を導くが、ベースの論理を直観主義論理とすると無矛盾である。

超準解析はたくさんの無限小量(やその逆数)を含んだ体系であるが、これにより、通常とは異なり、しかもより直観的と思われる微積分へのアプローチが可能になる[27]1972年にライトストーン (A.H. Lightstone) は超準解析に基づき、(0, 1) に属する超実数に対して一意的な "超小数展開" を対応させる考え方を展開した。ここで超小数展開とは超自然数で添字づけられた数字の列のことである。この枠組みにおいて、素朴には 0.333… に対応する表示を2種類考えることができるが

0.333…;…000… は正確には超小数と見なすことができないが
0.333…;…333… はちょうど 1/3 と一致する

のでいずれにせよ 0.333… と 1/3 の差は無限小ですらない[28]

組合せゲーム理論も同様に、とくに関連のある一つの例として "無限二色ハッケンブッシュゲーム (infinite Blue-Red Hackenbush)" をもつ実数の代替構造を与える。1974年に、エルウィン・バールカンプ (Elwyn Berlekamp) はデータ圧縮のアイディアに刺激されて ハッケンブッシュ文字列と実数の2進展開の関係について述べた。例えば、"ハッケンブッシュ文字列 (Hackenbush string)" LRRLRLRL… の値は 0.010101… = 1/3 である。しかしながら、文字列 LRLLL…(0.111… に対応する)の値は 1 に比べてごくわずかだけ小さい。 これらの2数(LRLLL… と 1)の差は超実数 (surreal number) 1/ω である。これに関連するゲームは LRRRR… すなわち 0.000… である[29]。なお、ω は最初の無限序数 (infinite ordinal) である。

減法を再考する

別の方法として、差が 0 以下はありえないという状況下に置き、「1 − 0.999… は存在しない」としてしまえば、上記「証明」は決定打を失うこととなる。加法をもつが減法をもたない数学的構造には、可換半群、可換モノイド半環 (semiring) などが含まれる。リッチマンは 0.999… < 1 となるようにデザインされた、そのような2つの構造を考えた。

まず、リッチマンは負でない decimal number を文字通り小数展開となるように定義する。彼は辞書式順序と加法を定義した。ここでは 0.999… < 1 であることに注意する。なぜなら単に、一の位において 0 < 1 となるからである。しかし、どんな「無限小数」 x に対しても 0.999… + x = 1 + x である。だから、decimal number に特徴的な一つのことは、加法が必ずしも打ち消し合わないということであり、もう一つは 1/3 に対応する decimal number は存在しないということである。乗法を定義すると、decimal number は正値全順序可換半環をなす[30]

乗法を定義する際、リッチマンはまた、"cut D" と呼ばれる別の構造を定義する。これは小数の切断の集合である。通常この定義は実数を導くが、彼は小数 d に対して、切断 (−∞, d) と "principal cut" (−∞, d] の両方を許す。その結果、実数たちは小数と「不安定な状態で共存する (living uneasily together with)」ことになる。したがって、再び 0.999… < 1 を得る。"cut D" には正の無限小は存在しないが、"一種の負の無限小" 0 が存在する。0 には小数展開は存在しない。彼は 0.999… = 1 + 0 であると結論したが、一方、方程式 "0.999… + x = 1" は解をもたない[31]

p-進数

1 − 0.999… はいくつかと尋ねると、しばしば "0.000…1" の回答される例を多く見かける。これが意味を持つかは別として、直観的には理解できなくもない。すなわち、0.999… の "最後の 9" に 1 を足すことですべての 9 が 0 に変わって上の位に送られ、一の位に 1 を残す、ということである。この考え方は、有限のときと無限のときという考え方において正しくない。0.999… には "最後の 9" がないからである[32]。『最後の9』を持つ無限な文字列を探すためには、どこか他のところを見なければならない。

 
4進整数(黒点)の数列 {3, 33, 333, …} は −1 に収束する。10進だと …999 = −1 となる。

p-進数整数論で興味がもたれている数体系である。実数と同様に、p-進数はコーシー列を経由して有理数から作ることができる。ただしこの構成には、0 は 1 よりも p に近く、pn にはもっと近いという、通常と異なる距離を用いる。p-進数は p素数のときをなし、p合成数(10 を含む)のときはをなす。したがって、p-進数に計算を実行することができ、無限小は存在しない。

『10-進数』は小数展開の類似であり、位が左へ進む。10-進展開 …999 を考える。一の位に 1 を加えることができるが、すると 0 だけが残されて繰り上がりが続き、その結果 1 + …999 = …000 = 0 となる。すなわち、…999 = −1 である[33]。もう一つの導出方法は等比級数を用いる。"…999" の意味をもつ等比級数は実数においては収束しないが、10-進数では収束し、よく知られた公式を再び用いることができて

 [34]となる(前述の等比級数と比較せよ)。3番目の導出方法はある中学1年生によって発明された。その生徒は教師が 0.999… = 1 を極限を用いて行った議論に疑いをもったが、上記の 10 を掛ける証明を反対の方向へ用いてみようとした。すると、x = …999 ならば 10x = …990 であるから、10x = x − 9 であり、再び x = −1 となる[33]

最後の拡張として、0.999… = 1(実数における等式)と …999 = −1(10-進数における等式)であるから、「盲目的に記号を偽弄することを恥じなければ (by blind faith and unabashed juggling of symbols)」[35]2つの等式の両辺を加えて …999.999… = 0 を得る。この等式はもはや 10-進数としても通常の小数展開としても意味をもたないが、よく知られた体系、すなわち実数を表現するために、左方への循環も許す "double-decimals" の理論を誰かが開発すれば、一転してこの等式も意味をもち正しくなる[36]

一般化

等式 0.999… = 1 の証明は直ちに2つの方法で一般化される。最初に、まさにその特別な場合において考えられたように、すべての 0 でない有限小数(すなわち、後ろに 0 が限りなく続く)は 9 が後ろにずっと続く別表現をもっている。例えば、0.24999… は 0.25 に等しい。これらは等しい[37]

次に、0.999… = 1 に相当する結果を他の基数にも適用することができる。例えば 2 を基数とする(二進法)と 0.111… = 1 であり、3 を基数とする(三進法)と 0.222… = 1 である。実解析の教科書は 0.999… = 1 の例を飛ばして、これらの一般化のうちの一つか両方を最初から紹介する傾向がある[38]

1 の別表現は、非整数を基数としても現れる。例えば、黄金比を基数とすると、2つの標準的表示は 1.000… と 0.101010… であるが、他にも 0.11, 0.1011, 0.101011 のように隣接する "1" を含む無数の表現がある。一般的に、1 と 2 の間のほとんどすべての q に対し、"非可算無限" の 『1 の q-進表現』が存在する。他方で、(1 より大きい自然数を含めた)なお"非可算無限"の q が 1 の q-進表現を(自明な 1.000… を除いて)ただ一つしかもたない。この結果は1990年ごろに ポール・エルデシュ (Paul Erdős)、ミクローシュ・ホルヴァート (Miklos Horváth)、イストヴァン・ヨー (István Joó) によって最初に述べられた。1998年に Vilmos Komornik とパオラ・ロレティ (Paola Loreti) はこのような最小の基数として q = 1.787231650… を決定した。この基数においては、1 = 0.11010011001011010010110011010011… であり、この数はトゥーエ-モース列 (Thue-Morse sequence) を与える。これは循環しない[39]

さらに変則的な規則に基づく記数法 (the most general positional numeral systems) においても 0.999 = 1 に相当する結果が得られる。これらもまた多様な表現をもつので、ある意味で扱いはさらに困難である。例えば[40]

  • 平衡三進法 (balanced ternary system) においては、1/2 = 0.111… = 1.111
  • 階乗進法 (factoradic system) においては、1 = 1.000… = 0.1234…

マルコ・ペトカイゼク (Marko Petkovšek) は、そのように一つの数が複数の方法で表せるということは位取り記数法を用いることの必然的な結果であると述べ、すべての実数を扱う任意の位取り記数法において複数の表現をもつ実数の集合はつねに稠密であることを証明した。彼はこの証明を「一般位相空間に関する初級の教育的な練習問題」と呼んだ。それは、位取り記数法の値の集合を Stone空間と見ること、その実数表現が連続関数によって与えられることに気づくことを、その証明が含んでいるからである[41]

応用例

1 の別表現としての 0.999… に関する一つの応用が初等整数論に見られる。1802年にグッドウィン (H. Goodwin) は、ある種の素数を分母とする分数では、循環小数表示したときに 9 が現れることを発表した。例えば、

  • 1/7 = 0.142857142857…, 142 + 857 = 999
  • 1/73 = 0.0136986301369863…, 0136 + 9863 = 9999

と書かれている。

ミディ (E. Midy) は1836年にこのような分数に関する一般的な結果を証明して、現在はミディの定理 (Midy's Theorem) と呼ばれている。その論文は曖昧であり、彼の証明が直接 0.999… を含むかどうか定かではない。しかし、レーヴィット (W. G. Leavitt) による少なくとも一つの現代的な証明ではそれが含まれている。もし、0.b1b2b3… という形の小数が正の整数であることを証明できれば、それは 0.999… に他ならず、それがこの定理において 9 たちが出現する原因となる[42]。この方向への研究は 最大公約数剰余計算 (modular arithmetic)、フェルマー素数の元の位数平方剰余の相互法則 (quadratic reciprocity) などの概念に動機付けを与える[43]

 
カントール集合での 1/4, 2/3, 1 の位置

実解析では、三進法での類似表現 0.222… = 1 は最も単純なフラクタルの一つ、カントール三進集合 (the middle-thirds Cantor set) の特徴づけに重要な役割を果たしている。

  • 単位区間 [0, 1] の点は、三進法で 0 と 2 のみを用いて表現される場合に限りカントール集合に属するという。

小数第 n 位の数字は、この構成における第 n 段階の点の位置に反映する。例えば、点 2/3 は通常の 0.2 または 0.2000… として表現される。なぜなら、それは最初の欠損部分の右側に位置し、それ以後のすべての欠損部分の左に位置するからである。また、点 1/3 は 0.1 ではなく 0.0222… として表現される。なぜなら、それは最初の欠損部分の左側に位置し、それ以後のすべての欠損部分の右側に位置するからである[44]

9 の繰り返しはカントールのもう一つの仕事にさえも現れる。彼が1891年対角線論法を適用して単位区間 [0, 1] の非可算性の適切な証明を与えたことを考慮しなければならない。このような証明ではある2つの実数が小数表現において異なることを言明することが必要とされる。したがって、0.2 と 0.1999… のような組を避けなければならない。簡単な方法においては、すべての数を無限小数で表すが、それに対する方法では 9 が最後に連続することを排斥する[45]。 カントール独自の議論に近いといえる証明の変形では実際に二進表現を用いており、三進表現を二進表現に変えることによりカントール集合の非可算性を同様に証明することができる[46]

典型的な誤解とその原因

数学を学ぶ生徒はしばしば 0.999… と 1 が等しいことを理解できない。極限の概念や無限小の性質が日常の感覚と大きく異なっていることがその理由とされる。その共通の要因として次のようなものがある。

  • 生徒は「一つの数はただ一通りの小数で表すことができるはずだ」と思い込んでいる場合が多い。異なる2つの小数が同じ数を表すことが分かると、それが逆説であるように見える。見かけ上よく知られた数 1 の登場でその感がさらに強くなる[47]
  • "0.999…"(または同様の表現)を、多いけれども有限の個数の "9" の列(おそらく可変であり特定できない長さ)として解釈する生徒もいる。たとえ生徒が "9" の無限個の列であることを受け入れたとしても、まだ最後の "9" が「無限の彼方に」あると期待しているのかもしれない[48]
  • 直観やあいまいな教え方により、生徒は数列の極限を、一つの決まった値ではなくある種の無限操作と考えるようになる。それは数列の各項はその極限に達する必要はないからである。生徒が数列とその極限の違いを受け入れても、彼らは "0.999…" を極限ではなく数列を意味するものと読む可能性がある[49]
  • 0.999… を 1 よりもごく僅かだけ小さい、固定された値であるとみなす生徒もいる[要出典]
  • 収束列の値を実際の値ではなく近似値であると信じている生徒もいる[要出典]

これらの考えは、通常の実数を扱う文脈においては誤っている。しかしながら、一般的な数学的道具として発明された、もしくは、0.999… を理解するのに有益な反例としての、より精巧な構造においてはそれらの考えの多くが部分的に正しいことが示される。

このような説明の多くはデイヴィッド・トール (David Tall) 教授により発見された。教授は、自らが遭遇した大学生の誤解のいくつかについて、それを生徒に抱かせる原因となった指導法と認識の特徴を研究している。非常に多くの生徒がなぜ最初はこの等式を受け入れないのかを調べるために生徒を面接して、次のようなことを発見した[50]。「生徒は 0.999… を、決まった値ではなく 1 に限りなく近づく数の列として理解し続けようとする。その原因は『先生は小数点以下の桁数がいくつあるかをはっきりと教えていなかった』という指導法の欠陥または『0.999… は 1 より小さい数の中で、存在しうる、1 に最も近い小数である』という認識である。」

基本的な証明の中で 0.333… = 1/3 の両辺を3倍する方法は、0.999… = 1 であることを受け入れない生徒に有無を言わせないための、明らかに成功する戦略であるかのように見える。しかしながら、第1の等式を信じることと、第2の等式を信じないことの矛盾に直面すると、今度は第1の等式を疑い始める生徒もいるし、または単に不満を抱くだけの生徒もいる[51]。これより進んだ方法で簡単に分かるものもまたない。厳密な定義を十分適用する能力のある生徒が、0.999… を含めてさらに進んだ数学の結果に驚いたとしても、なお直観的な想像に頼ってしまうことがある。例えば、ある解析学を学ぶ生徒は 0.333… = 1/3 であることを上限の定義を用いて証明することができるが、その後もなお、昔の筆算の理解に基づいて 0.999… < 1 であると主張した[52]。別の生徒は、1/3 = 0.333… であることを証明することができるが、分数による証明に直面して「論理」が数学の計算を征服していると主張する。

ジョセフ・メイザー (Joseph Mazur) は別の才能豊かな微積分学の生徒について語る。その生徒は「私が授業で言ったことにはほとんどすべて異議を唱えるが、自分の使っている計算機には決して異議を唱えない」。さらに、23 の平方根を計算することも含めて、数学をするのに必要なのは 9 桁(程度)だと信じるようになった。その生徒は 9.999… = 10 であるという極限の議論に相変わらず不愉快な感じを抱いていたが、それは「乱暴な推測をする、無限概念の成長過程(wildly imagined infinite growing process)」と呼ばれる[53]

エド・デュビンスキー (Ed Dubinsky) による数学学習の理論 (APOS theory) の一部分として、デュビンスキーとその共同研究者 (2005) は、0.999… を「1 から無限に小さい距離だけ離れている数を表す有限で不確定の文字列」であると思う生徒は「無限小数の構成過程の完全な概念がまだ形成されていない」と述べた。たとえ 0.999… の構成過程の完全な概念を身につけた生徒であっても、まだその過程を(すでに持っている "1" の概念と同様の)一つの「対象」としてとらえ直すことができずに、0.999… という一つの過程と 1 という数の存在を矛盾するものととらえるかもしれない。デュビンスキーらはまた、「一つの対象としてとらえ直す」というこの精神的能力が、1/3 それ自体を数と見なしたり、自然数の集合それ自身を一つの対象として取り扱ったりすることと関係していると考える[54]

メディアでの議論

インターネットの登場に伴い、0.999… =1 に関する論争は教育現場だけでなく、ニュースグループ電子掲示板など、普段はあまり数学に関係のない場所でも話題となることがある。ニュースグループ sci.math においては、0.999… に関する議論は「流行のスポーツ」であり、それは FAQ で回答された問題の一つである[55]。その FAQ は 1/3 を用いる方法、10倍する方法、極限を用いる方法を簡潔に扱い、さらには同様にコーシー列にも言及している。

アメリカの新聞 Chicago Reader のコラム The Straight Dope の2003年版では、誤った概念に関して言及しつつ、1/3 や極限を通して 0.999… について次のように議論している。

「我々の中の類人猿的要素が、『0.999… は実際に を表しているのではなく、過程 を表している。一つの数を見つけるために我々はその過程を途中で断ち切らなければならない。その時点において 0.999… = 1 という概念は崩壊する。』と言って依然として抵抗している。
ナンセンスだ![56]

The Straight Dope は「他の掲示板…ほとんどがビデオゲーム」から独立した専用の掲示板で議論を載せている。同様の調子で、0.999… の問題は、アメリカのゲーム開発会社ブリザード・エンターテイメント (Blizzard Entertainment) の Battle.net フォーラムで最初の7年間にとても一般的な話題であることが分かったため、その会社の社長 Mike Morhaime は2004年4月1日の記者会見で 0.999… = 1 であると発表した。

「我々はこの問題に対しきっぱりと決着をつけることに大変興奮しています。我々は 0.999… が 1 に等しいのか等しくないのかについての、心痛や心配に立ち会ってきました。ここに次の証明を提示し、我々の顧客に対して、最終的に断固としてこの問題に対処できることを嬉しく思います[57]。」

続くプレスリリースで、極限に基づくものと 10 を掛けるものの2つの証明を提供している。

関連する問題

  • ゼノンのパラドックス、とりわけアキレウスと亀のパラドックスは、見かけ上のパラドックス 0.999… = 1 を連想させる。アキレウスのパラドックスは数学的にモデル化され、0.999… と同じように等比数列を用いて解決される。しかしながら、この数学的な取り扱いがゼノンが探求していた潜在的な形而上の問題に対処しているかどうかは明らかでない[58]
  • 0 による除算は 0.999… のいくつかの一般的な議論に見られるが、それもまた論争を引き起こす。多くの著者が 0.999… を定義することを選択する一方で、実数の現代的な取り扱いでは 0 による除算は定義されない。というのは、それが通常の実数の範囲では意味を与えられないからである。しかしながら、0 による除算は複素解析など他の体系では定義されている。複素解析では、拡張された複素平面(リーマン球面)は無限遠点をもつ。ここで、1/0 を無限大であると定義することには意味がある[59]。また、実際その結果は奥深く、工学や物理学にも応用できる。何人かの著名な数学者は、どの数体系も発達するずっと前からそのような定義を論じていた[60]
  • 冗長な数表記の類例として負の 0 が挙げられる 。実数などの数体系においては、"0" は加法に関する単位元を意味し、正の数でも負の数でもない。通常 "−0" は加法に関する 0 の逆元を表すと解釈されるため、−0 = 0 でなければならない[61]。それにもかかわらず、いくつかの科学的な応用では、正と負の 0 を分けて用いる[62]。これはいくつかのコンピュータの数体系(例えば符号付数値表現1 の補数表現IEEE 754 で定義されたような浮動小数点表示)でもそうである[63]。IEEE の浮動小数点数の場合は、負の 0 は、与えられた正確な数値を表すには(絶対値が)小さすぎるが、それでもなお負の数である値を表している。したがって、IEEE 浮動点数表示における「負の 0 」は本来の意味で"負の 0" ではない。(2進法 負数の扱い補数参照)

脚注

  1. ^ この場合の「等しい」とは等価ということであり、等号で結ぶことができるということである。例えば等式「1 + 3 = 2 + 2」において左辺と右辺の意味するところは異なるが、それにもかかわらず両辺は「等しい」(等価である)。
  2. ^ a b cf. 同様な議論の二進法版も以下にある。 Silvanus P. Thompson, Calculus made easy, St. Martin's Press, New York, 1998. ISBN 0-312-18548-0.
  3. ^ Rudin p.61, Theorem 3.26; J. Stewart p.706
  4. ^ Euler p.170
  5. ^ Grattan-Guinness p.69; Bonnycastle p.177
  6. ^ 例えば、J. Stewart p.706, Rudin p.61, Protter and Morrey p.213, Pugh p.180, J.B. Conway p.31
  7. ^ この極限については例えば以下に従う:from Rudin p. 57, Theorem 3.20e。 より直接的なアプローチについては、以下も参照: Finney, Weir, Giordano (2001) Thomas' Calculus: Early Transcendentals 10ed, Addison-Wesley, New York. Section 8.1, example 2(a), example 6(b).
  8. ^ Davies p.175; Smith and Harrington p.115
  9. ^ Beals p.22; I. Stewart p.34
  10. ^ Bartle and Sherbert pp.60-62; Pedrick p.29; Sohrab p.46
  11. ^ Apostol pp.9, 11-12; Beals p.22; Rosenlicht p.27
  12. ^ Apostol p.12
  13. ^ 統合の歴史的な過程は以下を参照: Griffiths and Hilton (p.xiv) in 1970。また、再び Pugh (p.10) in 2001。両方とも実際には公理的解析論よりもデデキント切断を好んでいる。切断の方法の教科書については以下を参照:Pugh p.17 or Rudin p.17. 論理的視点については Pugh p.10, Rudin p.ix, or Munkres p.30
  14. ^ Enderton (p.113) は以下の記述を与えている。『デデキント切断の背景にあるアイディアは、有理数、つまり x より小さいすべての有理数の無限集合を与えられることによって実数 x が名づけられるということである。循環論法を避けるため、この方法で得られる有理数の集合が特徴づけられなければならない。』
  15. ^ Rudin pp.17-20, Richman p.399, or Enderton p.119。正確には、この3人はこの切断をそれぞれ 1*, 1, 1R と呼んでいる。3人ともそれを伝統的な 1 の定義と同一視している。Rudin と Enderton が『デデキント切断』と呼ぶものを Richman は『nonprincipal なデデキント切断』と呼ぶことに注意。
  16. ^ Richman p.399
  17. ^ a b J J O'Connor and E F Robertson (2005年10月). “History topic: The real numbers: Stevin to Hilbert”. MacTutor History of Mathematics. 2006年8月30日閲覧。
  18. ^ Mathematics Magazine:Guidelines for Authors”. The Mathematical Association of America. 2006年8月23日閲覧。
  19. ^ Richman pp.398-399
  20. ^ Griffiths & Hilton §24.2 "Sequences" p.386
  21. ^ Griffiths & Hilton pp.388, 393
  22. ^ Griffiths & Hilton pp.395
  23. ^ Griffiths & Hilton pp.viii, 395
  24. ^ Gowers p.60
  25. ^ Berz 439-442
  26. ^ John L. Bell (2003年). “An Invitation to Smooth Infinitesimal Analysis” (PDF). 2006年6月29日閲覧。
  27. ^ 非標準的な数に関する完全な取り扱いは例えば以下を参照:Robinson's Non-standard Analysis.
  28. ^ Lightstone pp.245-247。彼は表現の標準的な部分において、9 の繰り返しの可能性を調べていない。
  29. ^ Berlekamp, Conway, and Guy (pp.79-80, 307-311) は 1 と 1/3 について議論されており、さらに 1/ω について触れられている。0.111… のゲームはバールカンプのルールに直接に従っており、それは以下に述べられている。A. N. Walker (1999年). “Hackenstrings and the 0.999… =1 FAQ”. 2006年6月29日閲覧。
  30. ^ Richman pp.397-399
  31. ^ Richman pp.398-400. Rudin (p.23) は第1章の最後の練習問題として、この代替構造(ただし実数上)を選んでいる。
  32. ^ Gardiner p.98; Gowers p.60
  33. ^ a b Fjelstad p.11
  34. ^ Fjelstad pp.14-15
  35. ^ DeSua p.901
  36. ^ DeSua pp.902-903
  37. ^ Petkovšek p.408
  38. ^ Protter and Morrey p.503; Bartle and Sherbert p.61
  39. ^ Komornik and Loreti p.636
  40. ^ Kempner p.611; Petkovšek p.409
  41. ^ Petkovšek pp.410-411
  42. ^ Leavitt 1984 p.301
  43. ^ Lewittes pp.1-3; Leavitt 1967 pp.669,673; Shrader-Frechette pp.96-98
  44. ^ Pugh p.97; Alligood, Sauer, and Yorke pp.150-152。Protter と Morrey (p.507) および Pedrick (p.29) はこの記述を練習問題として位置づけている。
  45. ^ マオール (Maor) (p.60) およびマンキェヴィチ (Mankiewicz) (p.151) は前者の方法を振り返る。マンキェヴィチはそれがカントールの仕事だとしているが、最初の出所は定かではない。Munkres (p.50) は後者の方法に言及している。
  46. ^ Rudin p.50, Pugh p.98
  47. ^ Bunch p.119; Tall and Schwarzenberger p.6. 最後の提案は Burrell (p.28) による。すなわち、「おそらくすべての数の中で最も安心する数は 1 であろう。したがって、0.999… を 1 として扱うときにとりわけ不安を覚える。」
  48. ^ Tall and Schwarzenberger pp.6-7; Tall 2000 p.221
  49. ^ Tall and Schwarzenberger p.6; Tall 2000 p.221
  50. ^ Tall 2000 p.221
  51. ^ Tall 1976 pp.10-14
  52. ^ Pinto and Tall p.5, Edwards and Ward pp.416-417
  53. ^ Mazur pp.137-141
  54. ^ Dubinsky 他 261-262
  55. ^ Richman (p.396)が述べている。Hans de Vreught (1994年). “sci.math FAQ: Why is 0.9999… = 1?”. 2006年6月29日閲覧。
  56. ^ Cecil Adams (2003年7月11日). “An infinite question: Why doesn't .999~ = 1?”. The Straight Dope. The Chicago Reader. 2006年9月6日閲覧。
  57. ^ Blizzard Entertainment® Announces .999~ (Repeating) = 1”. Press Release. Blizzard Entertainment (2004年4月1日). 2006年9月3日閲覧。
  58. ^ Wallace p. 51, Maor p. 17
  59. ^ 例えば以下を参照。 J.B. Conway's treatment of Möbius transformations, pp. 47-57
  60. ^ Maor p.54
  61. ^ Munkres p.34, Exercise 1(c)
  62. ^ Kroemer, Herbert; Kittel, Charles (1980). Thermal Physics (2e ed.). W. H. Freeman. pp. 462. ISBN 0-7167-1088-9 
  63. ^ “[http ://msdn.microsoft.com/library/en-us/csspec/html/vclrfcsharpspec_4_1_6.asp Floating point types]”. MSDN C# Language Specification. 2006年8月29日閲覧。

関連項目

参考文献

外部リンク