FRIDAY (雑誌)
『フライデー』(FRIDAY)は、講談社が発行している、1984年(昭和59年)11月9日創刊の毎週金曜日発売(原則)の写真週刊誌である。編集長は栗原資英(1981年生まれ、成蹊大学卒業)。
| フライデー | |
|---|---|
| FRIDAY | |
| ジャンル | 写真週刊誌 |
| 刊行頻度 | 週刊 |
| 発売国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| 出版社 | 講談社 |
| 編集長 | 栗原資英 |
| 刊行期間 | 1984年11月9日 - 現在 |
| ウェブサイト | friday.kodansha.ne.jp |
概要
写真週刊誌として知名度が高く、有名人が私生活を盗撮されて週刊誌に載せられてしまうことが「フライデーされる」と呼称されることもある。かなりの頻度でスクープを連発して他のメディアの追従取材を引き起こすなど、芸能ニュースの発信源としての座を確保している。その一方で、プライバシーや人権、法律を軽視した過激取材や記事内容による問題も多く、過去にはフライデー襲撃事件などが発生している。
2003年(平成15年)には創刊1000号を突破した。ゴールデンウィークとお盆・年末年始に合併号を発行する。また、年に数回、増刊号として「フライデーダイナマイト」を発行している。主な違いとしてグラビアの量や過去に掲載した記事の総集編、様々なジャンルの特集記事を行うことが多い。販売店の自主規制によって「ダイナマイト」は成年向け雑誌として扱われる場合もある。
有名人の私生活行動をスクープされるケースとしては、女子アナウンサーの私生活行動を隠し撮り(盗撮)するケースが目立つ(とりわけ、フジテレビの女子アナウンサーに対するスクープネタが多い)。
スキャンダラスな報道を行う陰で社会派的な記事を掲載することもある。ハンセン病人権問題に関わってきた人や朝鮮人学校に対する取材記事、警察の体質批判、医療問題、創価学会などの新興宗教に対する問題などを掲載するなど、タブーを恐れない姿勢や人権問題に関する企画を掲載することについて評価する声もある。しかし近年では創価学会批判はトーンダウンしたと囁かれる。
ただし大地震の特集となるといわゆる疑似科学やトンデモ説に分類されるものも根拠として「今年こそは首都圏で起きる可能性が」と煽る傾向がある。また実際には小中規模の地震は毎年国内各地で起きているわけであるが、そのうち記事で「危険である」と取り扱った地方(毎回かなりの広範囲である上、根拠とする説によって毎回変わる)で実際に被害が発生した地震についてのみ次回で触れ、「本誌の危惧が的中した」とかなり理不尽な展開を見せる。
ライバル誌
同じジャンルの写真週刊誌『FOCUS』(新潮社)、『FLASH』(発行元のグループ企業の光文社が発行)と共に「3F(スリーエフ)」と呼ばれていたが、『FOCUS』が2001年に休刊して以降は、写真週刊誌では発行部数(40万9,082部 日本雑誌協会)で一位である。
FRIDAY創刊以降の1980年代半ばは写真週刊誌ブームで、『Emma』(文藝春秋)『TOUCH』(小学館)など他の大手出版社もこぞって写真週刊誌を発行し「3FET」の時代となったが、『Emma』『TOUCH』の2誌は競争に勝てず、いずれも1990年代を迎えることなく短期間で休刊した。
増刊号
増刊号として『FRIDAYスペシャル』(2014年以降は発行なし)や『FRIDAYダイナマイト』が不定期に発売されている。 しかし今までAKB48グループのメンバー(乃木坂46を含む)を起用したことが無く、ライバル誌の増刊号『FLASHスペシャル』とは対極である。
歴代編集長
※出典:『講談社の100年』(同社社史)
| 氏名 | 在任期間 | 備考 |
| 伊藤寿男 | 1984年7月 - 1985年6月 | 元「週刊現代」編集長。後にテーミス社を設立して学習研究社で週刊テーミスを発行。 |
| 寺島昭彦 | 1985年6月 - 1987年4月 | 編集長退任後は「週刊現代」編集長に着任。 |
| 須川真 | 1987年4月 - 1988年4月 | |
| 森岩弘 | 1988年4月 - 1991年3月 | 編集長退任後は「週刊現代」編集長に着任。 |
| 元木昌彦 | 1991年3月 - 1993年3月 | 編集長退任後は「週刊現代」編集長に着任。 |
| 鈴木哲 | 1993年3月 - 1996年7月 | 編集長退任後は他部署へ異動後、「週刊現代」編集長に着任。 |
| 谷雅志 | 1996年7月 - 1998年3月 | |
| 加藤晴之 | 1998年3月 - 2000年7月 | 編集長退任後は学芸図書出版部担当部長、「週刊現代」編集長を歴任。 |
| 鈴木智之 | 2000年7月 - 2002年6月 | |
| 出樋一親 | 2002年6月 - 2004年7月 | |
| 中本顕二 | 2004年7月 - 2006年3月 | |
| 出樋一親 | 2006年3月 - 2008年4月 | 2度目の編集長就任。「週刊現代」編集部(編集長)から異動。 |
| 仙波久幸 | 2008年4月 - 2009年6月 | |
| 秋吉敦司 | 2009年6月 - 2012年6月 | |
| 栗原資英 | 2012年6月 - | 「週刊現代」編集部(編集長)から異動。 |
エピソード
- 創刊に際して、中江滋樹と倉田まり子のツーショットを掲載し名声を高めると同時に、三島由紀夫の生首の写真を掲載したとして、三島の妻の平岡瑤子が講談社に抗議し、出版を差し止められた。
- 1986年(昭和61年)10月、井上ひさしの知人女性を隠し撮りしたものを掲載し、東京法務局から人権侵害だと勧告される。
- 1986年(昭和61年)12月、ビートたけしとたけし軍団が編集部を襲撃する事件(フライデー襲撃事件)が起き、社会問題となる。
- 1991年(平成3年)9月、幸福の科学が記事の内容に抗議して講談社前でのデモや訴訟などを起こした(講談社フライデー事件)。後に創刊1000号記念で掲載された特集記事では、「この一件により講談社の業務は一時的にストップした」と記されている。
- 『進ぬ!電波少年』と『電波少年に毛が生えた 最後の聖戦』のやらせやロケ中の出演者へ配慮が不十分だった実態を暴露。これに対し番組側は、講談社の前でフライデーをネタにした替え歌(グリーングリーンの替え歌)を歌う生放送の企画を行い、反抗した。
- 2000年5月、当時の首相森喜朗がアメリカ大統領ビル・クリントンに対してデタラメな英語のあいさつを行ったという報道が、7月末開催の九州・沖縄サミットへの揶揄と併せて、フライデー2000年7月21日号、週刊文春により報じられた[1]。なお、週刊朝日はフライデー等の報道に当初から懐疑的で検証記事を載せている[2]。事実は毎日新聞社論説委員高畑昭男による創作であり、森退陣後の2004年に本人が認めた[3]、森はこのデマを批判している[4](詳細はWho are you ?捏造報道)。
- 2005年(平成17年)、カンニングの竹山隆範が、日本テレビ系『エンタの神様』で、「フライデー撮りに来い」と挑発。そのネタ中実際に電話もかけ実際にスクープされたことがあった。竹山は同番組で発表し、フライデーの紙面には「撮れと言われたので撮りに行きました(笑)」と書かれていた。その後は周囲の説得により「フライデーも含めて、僕をスクープしたりしないで下さい」と発言している。
- 2006年(平成18年)2月10日発売のフライデーには「加護亜依がレストランでタバコを吸っていた」と見開きトップでスクープ掲載した。アップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)が事実関係を確認したところ、ほぼ報道されている通りであったため、未成年者喫煙禁止法に触れることから、謹慎処分となった。
- 2006年(平成18年)10月13日号にて民主党衆議院議員の細野豪志とフリーアナウンサーの山本モナとの東京都港区南青山での『路上キス写真』を見開きトップでスクープ掲載した。細野にとっては不倫関係だったため、細野は民主党政策調査会長代理の職位を10月5日付で辞職、山本は当時出演していた筑紫哲也 NEWS23を10月2日から『体調不良』を理由に休み、10月23日付けで降板した。この不倫スクープ写真(キス写真・通称『路チュー写真』)は、2006年度「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞・話題賞」を受賞した。
- 2007年(平成19年)、写真に重大な不備があったため訂正が間に合わず、同年10月19日号が創刊以来初の発売中止となった。なお、Internet FRIDAY、i-FRIDAYでは10月19日号の記事が掲載された。中止理由として、時津風部屋力士暴行死事件で、暴行を加えたとされる時津風部屋の兄弟子の写真を、他人のものと間違えて掲載したためと報道された。翌週の10月26日号の巻末にはお詫び文が掲載された。
- 暴力団との関係をめぐる写真週刊誌フライデーの記事で名誉を傷つけられたとして、元タレントの島田紳助が発行元の講談社側に5500万円の損害賠償などを求めた訴訟で、東京地裁は26日、330万円の支払いを命じた。謝罪広告掲載の請求は退けた。問題となったのは、紳助が芸能界引退を発表した後に発行された2011年9月16日号の「追及第2弾!『警察が注目する不動産トラブル』」などと題された記事[5]。
関連項目
脚注
- ^ 「蔵出し特集 嘘みたいな本当の話 サミットで首脳夫人にも嫌われた森喜朗首相の英会話」『週刊文春』2000年8月5日
- ^ 中村真理子「森首相、クリントン大統領に「フー・アー・ユー」失言の真偽」『週刊朝日』2000年8月11日
- ^ “ブッシュ再選と今後の日米関係”. 琉球新報. (2004年12月8日) 2013年10月18日閲覧。 この第141回琉球フォーラム講演会にて高畑は創作である旨を認めた。
- ^ 「マスコミとの387日戦争」『新潮45』2001年6月
- ^ “島田紳助さんが勝訴 フライデー記事で賠償命令”. 共同通信社. 47NEWS. (2012年9月26日) 2013年10月18日閲覧。