「アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー (終りなき旅)」
U2シングル
初出アルバム『ヨシュア・トゥリー
B面 Spanish Eyes
Deep In The Heart
リリース
規格 7インチ・シングル
12インチ・シングル
CDシングル
録音 1986年 ダブリン
ジャンル ロック
時間
レーベル アイランド・レコード
作詞・作曲 作詞ボノ 作曲U2
プロデュース ブライアン・イーノダニエル・ラノワ
ゴールドディスク
  • カナダ:ゴールドディスク
チャート最高順位
  • アイルランド1位
  • UK4位
  • US13位
  • カナダ6位
  • オーストリア17位
  • ニュージーランド2位
  • フランス37位
  • オランダ6位
  • スウェーデン11位
  • U2 シングル 年表
    ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー
    (1987年)
    アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー (終りなき旅)
    (1987年)
    ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム (約束の地)
    (1987年)
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    アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー (終りなき旅)」(I Still Haven't Found What I'm Looking For)は、U2の「The Joshua Tree」からの


    解説

    Rattle And Humヴァージョン[1]

    「Rattle And Hum」にはニューヨークの聖歌隊New Voices Of Freedomとの共演ヴァージョンが収録されている。

    NVOFの指揮者は、当時、既にDoug E. Freshというヒップホップアーチストのデビューアルバム「Oh, My God!」をヒットさせていた、ニューヨーク在住のジャズ、R&B畑の音楽プロデューサー・デニス・ベルである。[2]彼が所用でアイランド・レコードのオフィスに赴いた際、そのキャリアに聖歌隊の指揮者があるのに目をつけたとあるA&Rから、「『I Still Haven't Found What I'm Looking For』のゴスペル・ヴァージョンをレコーディングしないか?」といわれた。U2のことをあまり知らないデニスだったが、折角のメジャーレーベルからの申し出ということで、その仕事を引き受け、件の聖歌隊は既に解散していたので、急遽、自分が音楽を教えている高校の聖歌隊に所属している生徒と知り合いのプロのミュージシャンからなる聖歌隊を結成し、スタジオでレコーディングを行った。デニス曰く「あまり複雑な曲ではない」ので、レコーディングは4時間ほどで終わったのだという。ちなみにリードヴォーカルを務めているリネット・ワシントンはデニス・ベルの妻の妹で、現在はジャズシンガーとして活躍している。

    デモは好評で、デニスはアイランドからアルバムをリリースする契約を結び、改めて聖歌隊をNew Voices Of Freedomと名づけた。デニスの妻がVoices Of Freedomという名前の聖歌隊を持っていたので、それにNewをつけたのだ――が、レコード契約の話は流れてしまった。というのもアイランドの社長・クリス・ブラックウェルがU2を商業利用しているみたいだと難色を示し、企画の中止を命じたからである。が、このまま曲をオクラ入りするのは惜しいと考えたデニスは、自腹を切って再レコーディングし、Doc Recordsというレーベルの協力を得て流通網を確保した後、自ら立ち上げたレーベルからシングルをリリースした。[3]

    その後、U2のツアー・マネージャーのデニス・シーハン(15年5月26日死去[4])から電話がかかってきて、U2がデモを気に入ったので、今度、マディソン・スクエア・ガーデンでライブをやる際、一緒に歌ってくれないか? と頼んできた。デニスはこれを快諾、ハーレムにあるGreater Calvary Baptist Churchという教会でリハーサルをすることになった。が、リハーサル当日、U2のメンバーだけではなく、映画「U2/魂の叫び」を撮影中だったカメラクルーも現場にやって来た。何も知らされていなかったデニスは驚いたが、結局、撮影しながらリハーサルをすることになった。リハーサルの間、ボノとエッジ(彼だけがアコギを持ってきていた)は熱心に聴いていたが、ラリーは気のなさそうにコンガを叩いており、アダムはぼっーと座っているだけだったのだという。

    そしてライブ本番。U2&New Voices Of Freedomによる「I Still Haven't Found What I'm Looking For」に観客は熱狂して大合唱となり、マディソン・スクエア・ガーデンでライブをするのは初めてでなかったデニスも鳥肌が立つほど感動した。観客席にはクリス・ブラックウェルもいて、感動した彼は、New Voices Of Freedom版「I Still Haven't Found What I'm Looking For」をアイランドからリリースする話を再び持ちかけてきたが、デニスは「もう遅いですよ! 自分のレーベルから既にリリースしましたから」とにべもなく断った(が、そのレコードは批評家からは絶賛されたものの、セールスは振るわなかったらしい)。デニスは映画「U2/魂の叫び」のニューヨーク・プレミア公演にも招待されたが、驚いたことに、映画に使われていたのはライブではなくリハーサルのシーンだった。監督のフィル・ジョアノーは、より個人的な関係をフィルムに焼きつけたいと思い、そのシーンを使ったのだ。ちなみに映画に使われた「I Still Haven't Found What I'm Looking For」とオリジナル音源は若干相違があり、後者はiTunesで販売されている「Rockspel」[5]というアルバムで聴ける(このアルバムには「Mysterious Ways」のカバーも収録されている)。

    ライブが終わった後の楽屋で、デニスはボノから「君たちが『Sweetest Thing』をどう料理するか見てみたいな」と言われた。そこでデニスが「Rattle And Hum」のプロデューサーだったジミー・アイオヴォンに相談したところ、ジミーからビル・マーレイ主演の映画「3人のゴースト」の監督を紹介され、New Voices Of Freedom版「Sweetest Thing」は映画のサウンドトラックに収録されることになった。これも好評でNew Voices Of FreedomはA&Mレコードと契約を結んだが、結局、これも立ち消えに。その後、New Voices Of Freedomはレニー・クラビッツショーン・レノンのPVに出演したり、アレサ・フランクリンとCMで共演したり、ニューヨークでライブをやったり、他のミュージシャンのアルバムに参加したり、テレビに番組に出演したり、それなりにキャリアを積んでいったが、結局、どこからもレコード契約を得られず、91年に解散した(但し02年に知事的に再結成して、ジミー・ファロンジェームズ・ブラウンとともにMTVビデオミュージックアワードに出演している)。デニスはその理由について、New Voices Of Freedomは少し時代を先走りすぎていたと考えているようだ。

    そしてクリス・ブラックウェルからの再契約の申し出を断ったことを人生最大の過ちと後悔している。

    B面

    収録曲

    1. "I Still Haven't Found What I'm Looking For"
    2. "Spanish Eyes"
    3. "Deep In The Heart"

    PV

    サウンドトラック

    カバー

    カバー

    サンプリング

    評価[6]

    イヤーオブ

    オールタイム

    脚注