文盛瑾
文 盛瑾(ムン・ソングン)は、韓国における映画俳優出身の政治家。野圏統合推進機構である「革新と統合」常任代表[1]の他、最大野党である民主統合党(現・民主党)の代表代行を務めた。父親は1970~1980年代における韓国民主化運動の指導者の一人として活動した文益煥(ムン・イクファン)牧師[2]。
韓国の政治家 文盛瑾(ムン・ソングン)문성근 | |
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| 生年月日 | 1953年5月28日 |
| 出生地 |
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| 出身校 | 西江大学校 |
| 前職 | 代表代行 |
| 所属政党 | 民主統合党 |
| 公式サイト | 시민정치혁명의 시작 문PARTY |
歩み
1953年5月28日、日本の東京で生まれる。西江大学校貿易学科を卒業後、商社に入社したが、俳優となるため演劇の道に進み、1985年の「ハン氏年代記」でデビューした。その後、挫折した知識人や成功した極道、労働者など多様な役をこなせる俳優として映画やテレビで活躍、韓国国内の俳優の中ではもっとも知的なイメージを持っている演技者の一人として認識されていた。また演技活動の傍ら、映画振興委員会副委員長やスクリーンクォーター文化連帯理事長など韓国映画の発展のための社会活動にも積極的に取り組んだ。
2001年、新千年民主党の政治家であった盧武鉉のファンクラブである「盧武鉉を愛する者の集い」(ノサモ)の創設に関わり、顧問に就任した。2010年8月に民主・進歩勢力及び市民社会団体による統合政党の実現を目指す「百万国民の命令」を設立、2011年9月には親盧派政治家と市民社会団体関係者が結成した「革新と統合」の常任代表に就任した。民主党と市民統合党及び韓国労総(労働組合)が合同して12月に発足した民主統合党の党指導部選挙に出馬、2012年1月に行われた市民・党員選挙人団投票と代議員投票の結果、韓明淑候補に次ぐ2位となり、党最高委員に就任した[3]。4月の総選挙では釜山市北・江西乙選挙区から出馬したが、セヌリ党候補に敗れた[2]。韓明淑代表が総選挙で民主統合党が事実上敗北した責任を取って辞任した後、5月4日に朴智元院内代表が非常対策委員長に就任するまでの期間、代表代行を務めた[4]。
2012年大統領選挙後の党指導部を選出するために行われた全党大会(2013年5月4日)直前の5月3日、民主統合党からの離党を表明した。背景には、市民参加を掲げてきた民主統合党が、党憲・党規を改正して代議員と党員の権利を強化した事に対する不満があったとの指摘が成されている[5]。
略歴
- 1972年:西江大学校貿易学科入学
- 1985年:ハン氏年代記で役者デビュー
- 2000年:映画振興委員会副委員長
- 2001年:
- スクリーンクォーター文化連帯理事長
- ノサモ顧問
- 2010年
- 6月:KBS視聴料引き上げ阻止汎国民行動共同代表(~現在)
- 8月:「百万国民の命令」代表(~現在)
- 2011年
- 「革新と統合」常任代表(~現在)
- 2012年
- 1月:民主統合党最高委員(~4月)
- 4月:民主統合党代表代行(~5月4日)
- 出典:민주당사람들 문성근(民主党のひとたち 文盛瑾)。民主統合党ホームページ(2012年4月15日閲覧)
出演作品
以下の出演作品については“ムン・ソングン”(輝国山人サイト内の俳優紹介)を参照したものである(2012年4月15日閲覧)。
演劇
- 1985年
- ハン氏年代記
- 1986年
- チルスとマンス
- 1989年
- 年老いた泥棒の話
テレビ
- 1989年
- 文化放送:ミニシリーズ8部作「天使の選択」
- 1997年
- ソウル放送:ムン・ソングンのドキュメンタリー世界「それが知りたい」
- 2008年
- ソウル放送:神の秤
- 2009年
- ソウル放送:チャミョンゴ(自鳴鼓)
映画
- 1990年
- びりから一等まで僕たちのクラスを訪ねます
- 彼らも我らのように
- 1991年
- 20歳までだけでも生きたい
- ベルリンリポート
- 競馬場へ行く道
- 1993年
- あの島へ行きたい
- 非常口がない
- 101回目のプロポーズ
- 1994年
- セサン・パクロ 外の世界へ
- 私からあなたへ
- 1995年
- ネオンの中へ陽が沈む
- 美しい青年、全泰壱
- 男はつらい
- マン?
- 1996年
- つぼみ
- 1997年
- グリーン・フィシュ(緑の魚)
- 殺す話
- 1998年
- 生寡婦慰謝料請求訴訟
- 2000年
- 秘花 ~スジョンの愛~
- 2003年
- 嫉妬は私の力
- 2005年
- オーロラ姫
- 2006年
- 韓半島
- 浜辺の女
- 頭脳遊戯プロジェクト,パズル
- 2007年
- ス SOO
- 2008年
- カン・チョルジュン 公共の敵 1-1
- 失踪
- 視線 1318 segment 3 リレー
- 2009年
- 冬の小鳥
- ある訪問 ~畳々山中~
- 小さな池
- 2010年
- オッキの映画
- 2011年
- 折れた矢
- 3人のアンヌ
- 2012年
- 南営堂1985
- 2013年
- ファイ・悪魔に育てられた少年
- 2014年
- 私の少女
- 海にかかる霧
受賞歴
- 1990年
- 第11回 青龍賞・男優主演賞「彼らも我らのように」
- 第1回 春史大賞映画祭・新人俳優賞「彼らも我らのように」
- 1991年
- 第27回 百想芸術大賞・新人演技賞「彼らも我らのように」
- 1992年
- 第12回 映画評論家協会賞・男優主演賞「競馬場へ行く道」
- 第3回 春史大賞映画祭・男優主演賞「競馬場へ行く道」
- 第13回 青龍賞・男優主演賞
- 1994年
- 第15回 青龍賞・男優主演賞「私からあなたへ」
- 1996年
- 第17回 青龍賞・男優主演賞「つぼみ」
脚注
- ^ 조직과사람(組織と人)、「革新と統合」ホームページ
- ^ a b “문성근 패배..미완으로 끝난 정치실험(文盛瑾敗北。。未完に終わった政治実験)”. 聯合ニュース(本国版). (2012年4月12日) 2012年4月15日閲覧。
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “野党民主統合党 初代代表に韓明淑氏選出”. KBSワールドラジオ. (2012年1月15日) 2012年4月15日閲覧。
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “文盛瑾最高委員が代表代行に 民主統合党が臨時体制”. KBSワールドラジオ. (2012年4月16日) 2012年4月16日閲覧。
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “'친노 핵심' 문성근 민주당 탈당 전격선언(‘親盧核心’文盛瑾 民主党脱党電撃宣言)”. 聯合ニュース(本国版). (2013年5月3日) 2013年5月7日閲覧。
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参考文献
| 党職 | ||
|---|---|---|
| 先代 韓明淑 (代表) |
民主統合党代表 代表代行:2012.4 - 2012.5 |
次代 朴智元 (非常対策委員長) |