角田寛

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角田 寛(すみた ひろし、1921年2月25日 - 2001年5月22日)は、日本の実業家京阪電気鉄道社長、会長などを務めた。

来歴

大阪府出身。1943年9月京都帝国大学電気工学科を卒業。

1947年10月、京阪神急行電鉄に入社。1949年の京阪神急行電鉄からの再分離で京阪電気鉄道に移籍[1]

2001年5月22日、兵庫県芦屋市の病院で死去。80歳[2]

参考文献

  • 『京阪百年のあゆみ』(京阪電気鉄道)

出典・脚注

  1. ^ 『京阪百年のあゆみ』419頁
  2. ^ 角田寛氏死去/元京阪電気鉄道社長(四国新聞社)
先代
青木精太郎
京阪電気鉄道社長
1985年 - 1989年
次代
宮下稔