これはこのページの過去の版です。正親町三条 (会話 | 投稿記録) による 2015年8月17日 (月) 22:14 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。
笠原 照重(かさはら てるしげ、生年不詳 - 天正9年(1581年)12月19日)は、日本の戦国時代の武将。
生年は不詳。笠原康勝の子とされる[1]。
後北条氏の家臣で小机衆の一人であり、武蔵小机師岡と西郡柳下で108貫文と御蔵島20貫文を給されていた[1]。
天正9年(1581年)12月19日、武田勝頼に内通した義兄の戸倉城主・笠原政尭に攻められ伊豆戸倉で討ち死にした[1]。
嫡子の笠原重政は後に徳川氏に属して天正19年(1591年)都筑郡台村を領し、子孫は200石の旗本として続いた。