笠原照重

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笠原 照重(かさはら てるしげ、生年不詳 - 天正9年(1581年12月19日)は、日本戦国時代武将

 
笠原 照重
時代 戦国時代室町時代後期)- 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 天正9年(1581年12月19日
改名 千松(幼名)→ 照重 → 全罷(法名
別名 平左衛門
主君 北条氏綱? → 氏康氏政
氏族 笠原氏
父母 父:笠原康勝、母:不詳
兄弟 義兄:笠原政尭(実兄とする説有り)
重政
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概要

生年は不詳。笠原康勝の子とされる[1]

後北条氏家臣小机衆の一人であり、武蔵小机師岡と西郡柳下で108貫文御蔵島20貫文を給されていた[1]

天正9年(1581年12月19日武田勝頼に内通した義兄の戸倉城主・笠原政尭に攻められ伊豆戸倉で討ち死にした[1]

子孫

嫡子の笠原重政は後に徳川氏に属して天正19年(1591年都筑郡台村を領し、子孫は200石の旗本として続いた。

脚注

  1. ^ a b c 『戦国人名辞典 コンパクト版』、239ページ上段左

参考文献

関連項目