捏造 (科学)
科学的探求および学術研究における捏造(ねつぞう、でつぞう、英: Fabrication (science))とは、存在しないデータ、研究結果等を、あたかも自分が実施したかのように意図的に作成し、研究成果や学業成果として学術出版、論文、書籍、申請書、レポート(調査や研究等の報告書、学校で課題として提出する小論文)などで発表・申請・提出、あるいは口頭で発表する行為である。
研究における捏造行為は、研究倫理に違反する行為であって、一般的には、法律に抵触しない。それで犯罪として扱われない[1]。しかし、重大な捏造行為は、詐欺罪などの犯罪に該当することが多い。
日本を含め、ほとんどの先進国では、学術界の不正行為を「改ざん、捏造、盗用」の3つと定義している。捏造は科学における不正行為とみなされる。分野は理系に限定されず、心理学、法学、文学などを含め、すべての分野を対象に、大学教員、研究者、大学院生に禁じている。
米国の高等教育界では、捏造行為を重大な学業不正の1つとみなし、大学院生、学部生に禁じている。重大な捏造をすれば、ほぼ退学処分になる。学位論文審査で発覚すれば、捏造の質と量に応じ、警告レベルから、学位の不授与や退学処分まである。また、一度授与された学位でも取り消されることが多い。
一方、日本の高等教育界では、学則で禁止していた大学は少なかったが、最近、学則で禁止するようになり、「けん責」、「停学」、「退学」処分と記述するようになった。
定義
2006年の文部科学省のガイドライン「研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて」[2]ならびに2014年2月3日改訂版の「公正な研究活動の推進に向けた「研究活動の不正行為への対応のガイドライン」の見直し・運用改善について(審議のまとめ)」[3]では捏造を以下のように定義している [4]。
捏造:存在しないデータ、研究結果等を作成すること。
また、前文に次の文章がある。
本ガイドラインの対象とする研究活動は、文部科学省及び研究費を配分する文部科学省所管の独立行政法人の競争的資金を活用した研究活動であり、本ガイドラインの対象とする不正行為は、発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等の捏造と改ざん、及び盗用である。ただし、故意によるものではないことが根拠をもって明らかにされたものは不正行為には当たらない。
米国は、2000年12月6日、ホワイトハウス の大統領府科学技術政策局 (OSTP: Office of Science and Technology Policy) が連邦政府規律(Federal Research Misconduct Policy)を発表した[5]。この方針が米国の基本で、ほぼすべての政府機関はこの方針に従う。もちろん、研究公正局もこの定義に従う。
前文に次の文章がある。
不正研究は、研究の申請、遂行、審査、あるいは、研究結果を発表・報告する時の「ねつ造」「改ざん」「盗用」である。
Research misconduct means fabrication, falsification, or plagiarism in proposing, performing, or reviewing research, or in reporting research results.
そして一行の定義がある。
捏造はデータや研究結果をでっちあげ、記録または発表・報告することである。
Fabrication is making up data or results and recording or reporting them.
捏造の具体例
英語版ウィキペディアが示す例[6]
- 実験を全くしないで実験データを作ること。英語ではこの行為を「dry-labbing」と呼ぶ。日本語に訳すと「カラ実験」である。
- 心理学などで、実際はインタビューしていない人の架空のアンケート回答を作る。
- 実際には実験していないのに、実験したかのような実験データを作成する。
- 統計的な妥当性を高めるために、実際に集めた一連のデータに架空のデータを加える。
- 臨床研究などで、法令順守に従うために、架空の治療経過記録(clinical note、progress note)を研究記録に挿入する。
- 多くの(あるいは一定数の)参加者を集めなければならないという期待と圧力に負けて、研究コーディネーターが架空の人物名と参加者情報を記入して医薬品の治験参加書を作成した。
- バーモント州の生物医学研究者エリック・ポールマン(Eric Poehlman)が実在しない患者のデータをでっちあげた。
- パーキンソン病研究者のモナ・ティルチェルヴァン(Mona Thiruchelvam)事件を参照のこと。
モナ・ティルチェルヴァン事件 2012年6月29日、ニュージャージー医科歯科大学の元・助教授のモナ・ティルチェルヴァンは、2005年にEnvironmental Health Perspectiveと Journal of Biological Chemistryに出版した2つの論文でのデータねつ造を認め、論文を撤回した。2つの論文とも、パーキンソン病(PD)患者の神経細胞への殺虫剤の影響に関する研究で、論文では、マウスとラットの脳の中の黒質線条体の神経細胞数を数えたことになっている。しかし、調査の結果、神経細胞は一度も数えられたことがなかった、という事実が判明した。 — ヘイリー・ダニング、『科学者』誌(The Scientist)[9]
捏造事件の例
生物医学
- サマーリン事件(1974年)
- ES細胞論文不正事件(2004年)
- 元東邦大准教授の麻酔医による論文内の大量データ捏造(2012年)
- iPS細胞を使った世界初の心筋移植手術の捏造と誤報(2012年)[10]
- 京都府立医科大教授による血圧降下剤バルサルタンの臨床試験データなどの論文捏造(2013年)[11]
- 刺激惹起性多能性獲得細胞(2014年)
考古学
発覚の結末
欧米の場合、捏造が発覚すれば、多くの場合、研究者としての人生は終わる。というのは、不正研究をしたことで、所属機関から懲戒免職・懲戒解雇され、研究助成機関からの研究助成金は没収または返還が要求される。学術界は狭い世界で、かつ、競争が激しいため、不正研究を犯した研究者は、通常の大学・研究機関で再び採用されることはまれである。そのうえ、数年間は研究助成機関からの研究助成を受けられない。出版社からは、論文の掲載が断られる。
しかし、例外も多い。特に研究者の地位が高く優れた業績をあげていた場合、学術界は、当該研究者の業績が傷つかないように結束して防御することがある[12]。
韓国では、元ソウル大学教授の黄禹錫の捏造事件が世界を騒がせた。2004年のサイエンス論文、2005年のネイチャー論文が捏造だとされたことから始まり、研究費不正、韓国の生命倫理法違反まで広がり、2014年2月に韓国の最高裁で懲役1年6か月、執行猶予2年の刑が確定した。しかし、2014年、研究に復帰したと、ネイチャーやサイエンスで報道された[13]。
日本では、理化学研究所(当時)の小保方晴子によるSTAP細胞事件が世界を騒がせた。2014年にネイチャーに論文が発表され若返りも不可能ではない夢の細胞現象だと一躍注目を浴びたが、世界の研究者達から再現不可能との疑義や論文の捏造等が指摘され、ほどなく捏造や改竄があったと認定されて論文は撤回され、論文に関わった同研究所発生再生科学総合研究センター副センター長の笹井芳樹の自殺にまで発展する騒動となり、結局STAP細胞の存在は確認できなかったと結論づけられた。[14]
日本は、不正研究に対する認識が欧米に近づきつつあるとはいえ、欧米に比べ処分はかなり甘い。また処分の軽重もバラバラである。学術界から追放されない不正研究者も多数存在する[15]。
学位論文で捏造が発覚すれば、欧米の場合、かつて授与された学位が取り消されることが多い。日本は欧米の基準を徐々に採用しつつある。例えば、東京大学は、2005-2007年に博士号を授与した3人の元大学院生の博士論文にデータ捏造や改ざんがあったという理由で、2015年3月27日、博士号を取り消した[16]。
なお、ヘンドリック・シェーンの場合は幾分特殊である。2004年、ヘンドリック・シェーンは、米国のベル研究所の調査委員会からデータ捏造で有罪であるとされた。その後、ドイツのコンスタンツ大学から博士号がはく奪された。シェーンの不正研究は米国のベル研究所でなされたものであって、彼がドイツのコンスタンツ大学で博士号を取得した研究は問題視されていなかった。にもかかわらず、博士号がはく奪されたのである。コンスタンツ大学職員によれば、ベル研究所で不正研究を行なったという理由でコンスタンツ大学の博士号がはく奪されたとのことである。
日本では、博士論文に不正がない研究者が、後に、別の研究で不正研究をしたからという理由で、博士号が取り消された例はない。
脚注・文献
- ^ 平田容章「研究活動にかかわる不正行為」『立法と調査』261号、2006年10月27日、112-121頁。
- ^ “研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて”. 文部科学省 (2006年8月8日). 2014年8月11日閲覧。
- ^ “公正な研究活動の推進に向けた「研究活動の不正行為への対応のガイドライン」の見直し・運用改善について(審議のまとめ)”. 文部科学省 (2014年2月3日). 2014年8月11日閲覧。
- ^ “研究活動の不正行為等の定義 ”. 文部科学省 (2006年8月8日). 2014年9月9日閲覧。
- ^ Office of Science and Technology Policy (2000年12月6日). “FEDERAL POLICY ON RESEARCH MISCONDUCT”. 2014年9月14日閲覧。
- ^ Shapiro, M.F. (1992), “Data audit by a regulatory agency: Its effect and implication for others”, Accountability in Research 2 (3): 219-229, doi:10.1080/08989629208573818, PMID 11653981
- ^ National Academy of Sciences. “Research Integrity - Regulatory & Compliance Services - Office of Research”. University of Miami. 2014年9月14日閲覧。
- ^ “Research Integrity, Definitions, Fabrication”. Office of Extramural Research, NIH. 2014年9月14日閲覧。
- ^ Hayley Dunning (2013-06-29). “Parkinson’s Researcher Fabricated Data”. The Scientist 2014年9月14日閲覧。.
- ^ “iPS森口氏捏造 見抜けなかった理由をジャーナリストが検証”. NEWSポストセブン (2012年10月22日). 2013年7月31日閲覧。
- ^ “元教授は「懲戒解雇相当」 府立医大論文捏造 教授会が処分へ”. 京都新聞 (2013年5月2日). 2013年7月31日閲覧。
- ^ Wilmshurst, Peter. “Dishonesty in Medical Research”. 2014年9月14日閲覧。
- ^ 高橋真理子「クローンES細胞論文を捏造した黄禹錫博士の「復活」- WEBRONZA+科学・環境 - WEBマガジン」『』朝日新聞、2014年9月8日。2014年9月15日閲覧。
- ^ 『捏造の科学者 STAP細胞事件』 須田桃子 文藝春秋 2015年1月7日
- ^ 白楽ロックビル (2011). 科学研究者の事件と倫理. 東京: 講談社. ISBN 9784061531413
- ^ “東大、3人の博士号取り消し 論文の捏造や改ざん認定”. 朝日新聞 (2015年3月27日). 2015年4月24日閲覧。
全体の参考文献
- 白楽ロックビル『科学研究者の事件と倫理』講談社、東京、2011年。ISBN 9784061531413。
- 山崎茂明『科学者の不正行為―捏造・偽造・盗用』丸善、東京、2002年。ISBN 978-4621070215。