氷室神社
氷室神社(ひむろじんじゃ)は、奈良県奈良市にある神社。旧社格は村社。
| 氷室神社 | |
|---|---|
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正面 | |
| 所在地 | 奈良県奈良市春日野町1-4 |
| 位置 | 北緯34度41分4秒 東経135度50分17秒 / 北緯34.68444度 東経135.83806度座標: 北緯34度41分4秒 東経135度50分17秒 / 北緯34.68444度 東経135.83806度 |
| 主祭神 |
闘鶏稲置大山主命 大鷦鷯命 額田大仲彦命 |
| 社格等 | 旧村社 |
| 創建 | 和銅3年(710年) |
| 本殿の様式 | 三間社流造 |
| 例祭 | 10月1日 |
| 主な神事 | 献氷祭 |

由緒
和銅3年(710年)、元明天皇の勅命により平城左京の春日山に鎮祀され、貯水を起こし冷の応用を伝えたという[1]。これが平城七朝の氷室で、別名として「平城氷室」「御蓋氷室」「春日の氷室」とも呼ばれたという[1]。翌和銅4年(711年)6月1日初めて献氷の勅祭が興され、毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を納めた[1]。
奈良朝7代、70年余りの間はこの制度は継続したが、平安遷都後は廃止され、貞観2年(860年)、清和天皇の時期になって、現在の地に奉遷され、左右2神を併せ三座となった[1]。
以来、春日大社の別宮に属し、式年費用や営繕費、祭礼費などは春日社、興福寺の朱印高2万石、および社頭所禄、三方楽所料2千石などの一部によって行われたが、明治以降はこの制度も廃止され、氏子と冷凍氷業界の奉賛により維持される形になっている[1]。
祭神
神事
献氷祭
奈良時代、春日野に氷池[脚注 1]や氷室[脚注 2]を設け、氷の神を祀り、春迎えとして順調な気候と豊作を祈願する祭りが営まれていた[1][脚注 3]。現在は全国各地より、製氷・販売業者が参列し、業績成就を祈願する祭りとなっており、業界繁忙な6月を避けて5月1日に行われている[1]。
例祭
永久5年(1117年)9月1日、鳥羽天皇の時代に悪疫鎮止のため始められたという[1]。源平の騒乱の後一時絶えたが、建保5年(1217年)、順徳天皇によって南都方楽所の氏神として仰ぎ再興され、日の使も参向したと伝わる[1]。
江戸時代の終わりまでは、氷室の舞楽祭等と称され、1日夜18時〜20時までと翌2日の後宴祭は別願の舞楽と呼ばれ、38曲もの曲が演じられ終日舞楽が奉献されていたとの記録が残っている[1]。
明治までの渡御お旅所は、旧一條院宮邸の玄関に鳳輦(神輿)が安置され、興福寺の別当一乗院宮が参列し御旅所祭を執行した[1]。神社との往復途上、道楽と称し奏楽しつつ練り歩いたと伝わる[1]。明治以降は興福寺南大門跡が御旅所となった[1]。渡御は氏子の要望により、その後氏子区域32ヶ町を近年まで巡幸していたが、交通事情煩雑の為現在は中止されている[1]。
現在の例祭
現在は毎年3〜4ヶ町ずつ当番となり、9月30日の宵宮、10月1日の例祭が運営されている[1]。
- 宵宮祭 - 9月30日 17時より
- 例祭朝座 - 10月1日 11時より
- 例祭夕座 - 10月1日 17時より
氷献灯
神社境内では 宵宮・例祭両日の18時頃、氏子各町内では宵宮の18時頃[1]から、絵馬の上に蝋燭を灯し、穴の空いた氷塊を飾る氷献灯が多数飾られる。
例祭ギャラリー
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例祭夕座の風景(鳥居)
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氷献灯
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氷献灯で飾られた参道
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雅楽演奏風景
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舞楽「振鉾(えんぶ)」
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舞楽「蘭陵王(らんりょうおう)」
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舞楽「納曽利(なそり)」
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舞楽「抜頭(ばとう)」
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舞楽「落蹲(らくそん)」
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撤饌を神饌所へ戻す
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
- 周辺