赤い衝撃

日本のテレビドラマ番組

これはこのページの過去の版です。124.108.255.48 (会話) による 2015年10月7日 (水) 23:06個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ストーリー: {{工事中}}トル(テンプレそのまま))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

赤い衝撃』(あかいしょうげき)は、TBS系列で1976年11月5日から1977年5月27日に放送されたテレビドラマ赤いシリーズ第4弾。平均視聴率 27.0%、最高視聴率 32.6%。

赤い衝撃
ジャンル テレビドラマ
脚本 放映リスト参照
監督 放映リスト参照
出演者 山口百恵
三浦友和
中条静夫
草笛光子
田村高廣 ほか
オープニング 山口百恵「赤い衝撃
製作
プロデューサー 野添和子大映テレビ
山本典助(TBS)
制作 TBS
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1976年11月5日 - 1977年5月27日
放送時間金曜 21:00 - 21:55
放送枠TBS金曜9時枠の連続ドラマ
放送分55分
回数26
テンプレートを表示

概要

赤いシリーズで、山口百恵が初めて主演することになったドラマである。それまで主演を務めてきた宇津井健が初めて退き(初回と後半に特別出演を果たしている)、山口百恵と三浦友和の主演作として、純愛サスペンスドラマを成立させ、その人気をさらに強く決定づけた。

ふたりを取り巻く個性派キャスト陣の演技も大いに評判を呼び、初放映時は最高視聴率32.6%を記録した。

日本航空の全面協力もあり、『赤い疑惑』同様、当時の日航の国内線の就航地(福岡経由の阿蘇沖縄)でのロケがある。同様に、山口百恵が機内で倒れ、機内での緊急手術が行われる緊迫シーンが用意されている(備考参照)。

ストーリー

高校陸上界から期待されていた短距離走選手・大山友子(山口百恵)。ある朝の自主練習の最中、背広姿の青年・新田秀夫(三浦友和)が助言をしてくる。それが運命の出会いとなった。

友子は秀夫に惹かれ始めていたが、秀夫は刑事であり、友子の父・大山豪助(中条静夫)の犯罪を捜査していた。大山は高知県出身で、貧しい漁師の子供から大山産業の社長にのし上がった男で、法に触れる行為も行っていたのだ。だが、友子には優しい父親だった。

大山は過去の乗っ取りから矢野ジロー(谷隼人)に狙われていた。矢野にとっては父親の敵であり、そのため矢野はライフルを手に入れていた。ある夜、矢野は大山を襲撃。しかし、大山を捜査していた刑事らに発砲され中途で逃走する。その最中、大山へ駆け寄った友子は背中に銃弾を受け、負傷していた。母・大山鈴代(草笛光子)の旧知である医師・江崎ナツキ(宇津井健)の手術で一命を取り留める友子。アメリカの学会に参加する予定の江崎は手術後すぐに旅立ち、後を後輩の医師であり友子の兄(先妻の第二子)でもある大山豊(中島久之)に任せていた。その後、友子は下半身不随となっていたことが判明する。車椅子での生活を余儀なくされる友子。

友子の背中を撃ったのは、秀夫か、それとも彼の父の新田雄作(田村高廣)か?鑑定の結果、銃弾は秀夫の物と判る。激怒した大山は秀夫を裁判にかけるが、友子の証言もあり秀夫は無罪となる。

秀夫は罪を償うため、友子に誠意を尽くす。だが。彼の両親はその光景を苦々しく思っていた。

秀夫の母・新田文子(南田洋子)は、かつて大山の元で働いていたが、暴行を受けたことがあった。秀夫は、実はその時の子供であり、新田雄作の実子ではなかった。しかし、それを知りつつ雄作は妻を娶っていた。

一方、矢野の背後には大山の秘書・北川政夫(長門裕之)がいた。彼は大山に利用される生活に嫌気が指し、大山産業乗っ取りを計画していたのである。大山の長女(第一子)で出戻りの大山政子(原知佐子)に言い寄っているのも、その一環だった。

大山は更なる事業拡大を計画し、マロン製菓を標的に定める。創業家である大杉家の長男(林ゆたか)から、芸者(江夏夕子)を使って大量の株券を手に入れる。だが、捜査の手が伸びたため、株券は返納。正攻法で役員として接近する。そこで社長の大杉(稲葉義男)と、令嬢(第二子)の大杉ミサコ(木内みどり)に出会う。ずけずけと本音を語るミサコに、大山は好感を持ち、頼もしく思っていた。

秀夫は友子のリハビリのため、休職しアパートを借りようとする。しかし、身障者に冷たい管理人たちによって次々に断られる。だが、偶然出会った大学の応援団員の紹介で、彼らと同じアパートを借りることが出来た。管理人(野村昭子)の亡くなった夫は傷痍軍人であり、他人事とは思えなかったのである。だが、ささやかな幸せも束の間、友子はロウソクを倒してしまい、火事を起こしてしまう。発見が早いためボヤで済んだが、大家(小鹿番)から200万円の請求を受ける。大山が肩代わりしたものの、友子は大山家に戻されてしまった。秀夫は200万を払うまで友子と遭えなくなった。

返済のために工事現場で働いていた秀夫は、出生の秘密を聞かされ、それでもなお恋心が止まず、ついには阿蘇山に向かう。返済のために紹介された職場だった。

友子は母・鈴代と阿蘇を訪れるが、そこにはミサコも現れていた。ミサコも秀夫に惹かれていたのである。正々堂々の勝負を宣言するミサコ。だが、秀夫はミサコを相手にせず、そして友子にも冷たかった。理由を知るべく食い下がる鈴代に、ついに秀夫は実父のことを話す。異母兄妹では愛し合えない、というのだ。鈴代は友子にはその事は告げられなかった。

だが、ついに「友子は大山の子ではない」と真実を打ち明ける。これで二人の障害は取り除かれた。

その頃、北川は矢野と大山を言いくるめ、共謀することに成功していた。大山は秀夫が実子と知り、彼に跡を継がせることを考え始める。傷害となる新田雄作を陥れるべく一芝居打ち、矢野に銃撃戦を仕掛けさせた大山は、雄作と秀夫が撃ち返してきた後で北川の足を矢野に撃たせる。だが、「秀夫の銃弾が北川を撃った」と主張。2000万円の損害賠償と引き換えに、姿を消すことを要求し、雄作を取り除くことに成功した。

雄作の蒸発で精神的に追い詰められた文子は、「友子と結婚するなら死ぬ」とまで言い放つ。友子は「祝福されない結婚はできない」と、行き先も告げずに家出してしまう。秀夫らの捜索で、沖縄に向かったことが判明。その頃、友子は沖縄の海に身を投げようとしていた。波打ち際で車椅子から転べば、満潮になった時には溺死してしまうのだ。これは、かつで矢野の人質になった時の再現だった。だが、近所に住む老婆(赤木春恵)に一命を救われる。「沖縄戦では、生きたくても生きられなかった人が大勢いる」、と説得する老婆。

やがて秀夫、ミサコ、大山、豊、鈴代、鈴代の父・神田兵吉(大坂志郎)が沖縄にかけつけて友子を見つけ、帰京のために飛行機に乗る。

江崎はアメリカで新しい治療法を知り、友子に試すべく帰国していた。羽田に迎えに出た江崎だったが、機内で友子の容態が急変したことを知る。以前から脊髄を止めている金具が外れかけていたのだ。外れてしまうと、近くにある動脈を切り、出血死してしまう危険性が高い。ショックを受けるため、着陸前に手を施さなくてはならない。江崎は無線で指示を出し、豊は機内の乏しい器具で友子を手術する。飛行機は羽田に接近しても旋回するだけで一向に着陸しない。焦れて罵声を浴びせる乗客に対し、「賠償は全員に対して完全に行う」と大山が宣言し、沈静化したものの、兵吉の「困った時には助け合いが必要」の言葉には冷笑が浴びせられる。燃料がギリギリになる中、パイロット(平田昭彦)は限界まで滞空し、時間を稼ぐ。ついに手術は成功し、機は無事に着陸できた。

江崎は、金具などではなく人骨を部品に使い、友子の脊髄を補強する方法を試みる。秀夫が提供を申し出、手術が行われた。リハビリは順調に進み、親身になる江崎に接する内に、友子は「江崎医師が自分の父親では?」と思い始める。だが、母は答えてくれない。確かに、若い頃の江崎と鈴代には、恋心があったのだが…。

意外なことに、友子の父親は北川だった。昔、江崎が外国に勉強に行った頃、鈴代はその帰りを待っていた。だが、父の会社が倒産し、心細い時に北川と出会い、支えられたのだった。だが、北川は大山の身代わりとなって刑務所へ行くこととなり、頼れる人のいなくなった鈴代は、身重と知りつつ大山の後妻となったのだった。

真実を知った北川は友子を取り返そうとする。大山との争奪戦は、ついに北川に叛意を決意させた。大山が犯罪を行った証拠となる書類の詰まったトランクを持ち出したのだ。当初は秀夫に直接渡す予定だったが、友子と鈴代に託すことになる。だが、矢野が痺れを切らし、鈴代の実家を襲撃。居合わせた兵吉を脅迫し、トランクを手にする。

トランクと娘を巡る争い。そんな中、偶然見つかった雄作は死亡。妻の文代は塞ぎこんでしまう。やがて北川と大山は和解するも、大山を襲った矢野の銃弾から大山を庇い、北川も死亡。

トランクは警察の手に渡り、大山は投獄される。「負けが決まったからにはジタバタしない」と、素直に自供する大山。そして、大山産業の残された社員の運命をマロン製菓の社長・大杉に一任する。

友子のリハビリは奇跡的に進み、ついに100メートル走で12秒6を切ることに成功し、大会への出場権を得る。義理の姉・政子とも和解し、大会を鈴代、兵吉、豊らと見守る。秀夫の熱意に動かされた警視庁捜査二課長・水谷(名古屋章)の計らいで、大山も観戦することが出来た。また、友子の説得で、文代も姿を見せていた。

最後の調整で、秀夫は友子の勝利を確信する。スタート後、猛追を見せる友子だったが、転倒してしまう。足を引きずりながらゴールを目指す友子。秀夫ら一同は一丸となり友子を励まし、ゴールにテープを貼り直す。そして、友子はかなり遅れてゴールした。

友子は、二度と走れないことを自覚した。しかし、人生を歩んでいく決意は出来ていた。

キャスト

宇津井に関しては、当時大映テレビに籍を置いていたこと、及びこれまで同会社製作ドラマに主役クラスで数多く出演したという功績もあり、オープニングのクレジットでは、監督の前の順番で「特別出演 宇津井健」という形で氏名表記がなされている。「赤いシリーズ」及び大映テレビが製作するテレビドラマではよく見られる事である(『少女に何が起ったか』がその例)。

スタッフ・主題歌

  • プロデューサー:野添和子、山本典助(TBS)
  • 音楽:菊池俊輔
  • 撮影:小林節雄、山崎忠
  • 制作主任:関雅夫、高橋文雄
  • プロデューサー補:渡瀬優
  • 制作担当:南條記良
  • 主題歌「赤い衝撃」「走れ風と共に」CBSソニー
作詞:千家和也、作曲:佐瀬寿一、編曲:馬飼野康二、歌:山口百恵

放映リスト

各話 放送日 サブタイトル 脚本 監督
第1話 1976年11月5日 青春をつらぬく銃声一発!! 安本莞二 増村保造
第2話 1976年11月12日 かたき同士の家族 工藤裕弘 國原俊明
第3話 1976年11月19日 走れない娘の前に死が… 安本莞二
第4話 1976年11月26日 恋人よ足を返してください 土井茂
第5話 1976年12月3日 母の告白 加瀬高之
第6話 1976年12月10日 今夜限りお別れします 安本莞二 瀬川昌治
第7話 1976年12月17日 母の離婚 鴨井達比古
第8話 1976年12月24日 誰もとめられぬ僕たちの家出 安本莞二 國原俊明
第9話 1977年1月7日 助けて!火が私を燃やす!
第10話 1977年1月14日 親が反対しても結婚します! 加瀬高之 増村保造
第11話 1977年1月21日 阿蘇に煙る父母の秘密 鴨井達比古 降旗康男
第12話 1977年1月28日 それは言えない!幻の父 安本莞二
第13話 1977年2月4日 私の父は誰ですか? 鴨井達比古 國原俊明
第14話 1977年2月11日 かたきの娘は嫁にできない! 安本莞二 瀬川昌治
第15話 1977年2月18日 死を前にした愛の美しさ 加瀬高之
第16話 1977年2月25日 父の蒸発 鴨井達比古 國原俊明
第17話 1977年3月4日 母の殺人 安本莞二 降旗康男
第18話 1977年3月11日 結婚するなら母は死にます 加瀬高之 瀬川昌治
第19話 1977年3月18日 さよなら 私は海へ消えます 安本莞二 國原俊明
第20話 1977年3月25日 涙の恋 サンゴ礁の海に散る 降旗康男
第21話 1977年4月1日 幻のお父さん 私の命を助けて下さい! 國原俊明
第22話 1977年4月8日 私のすべてを捧げます 鴨井達比古 降旗康男
第23話 1977年4月15日 涙いっぱいの贈りもの 安本莞二 國原俊明
第24話 1977年4月22日 お願い私を一人にしないで! 鴨井達比古 瀬川昌治
第25話 1977年4月29日 私の出生の秘密が今…
第26話 1977年5月6日 娘は悲しい…父二人の争い! 加瀬高之 降旗康男
第27話 1977年5月13日 母と娘のさすらいの旅 安本莞二 國原俊明
第28話 1977年5月20日 流せ熱い涙 心ゆくまで
第29話 1977年5月27日 愛よ走れ!

備考

全日空の協力
ドラマに出てくる機体はDC-10だが、撮影にはモックアップ(客室乗務員の訓練用の施設)が使われ、コクピットボーイング747のコクピットになっているという、日航の全面協力のわりに雑な部分は「赤い疑惑」のときと同じである。また、那覇空港に駐機中と羽田空港への着陸シーン以外のDC-10の映像は、マクドネル・ダグラス社が日航向けに製造した第1号機(JA8540)の試験飛行の際に撮影した映像であるため、地上はすべてアメリカ国内である。
タイトルバック
オープニングタイトルバックに使われたロケ地は、熊本県阿蘇市にある阿蘇やまなみハイウェイが使われた。[2]
リメイク版の計画
ホリプロ創立45周年、山口百恵引退25周年を記念した「伝説の赤いシリーズリメイク」第3弾として企画。主演は深田恭子の予定だった。
しかし、既にリメイクされた石原さとみの『赤い疑惑』や、綾瀬はるかの『赤い運命』が低視聴率だったため、急遽企画を変更。『赤い奇跡』という新作で挑むことになった。このことに対してホリプロは「(深田の)イメージが陸上選手に合わなかったため」とコメントしている。

DVD

  • 赤い衝撃 DVD BOX ASIN: B00031YCS2

出典

  1. ^ 本編第7話番組内で使われた小切手の名義文字、第28話に使われた新聞活字の文字が「大山豪助」表記であった。
  2. ^ 『テレビ50年』(発行:東京ニュース通信社) 2000年12月10日 「1976年話題の番組」 閲覧。
TBS 金曜21時台
前番組 番組名 次番組
赤い衝撃