中川家

日本のお笑いコンビ (1992-)

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中川家(なかがわけ) は、中川家剛(なかがわけ つよし)と中川家礼二(なかがわけ れいじ)による兄弟漫才コンビである。大阪府守口市出身。吉本興業所属。正統派漫才師と評判高い。

略歴

吉本興業のNSC11期生。同期には陣内智則ハリガネロックケンドーコバヤシたむらけんじらがいる。松竹芸能ますだおかだ・増田は小学校・中学校の先輩にあたる。

1996年1月、第17回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞。関西ローカル番組「すんげー!Best10」などで人気を博する。

関西以外で知られるようになったのは、2000年頃に出演した明石家マンション物語がきっかけ。オーディションコーナー(「大部屋」)で注目され、準レギュラー出演するに至った。 M-1で優勝しブレイクするまで、爆笑オンエアバトル(NHK)に出場し、10戦9勝と言う高いOA率を誇った。

2001年末、第1回M-1グランプリでは大本命というプレッシャーの中、見事初代チャンピオンとなった。その前後に本格東京進出。現在の若手お笑い芸人ブームの初期(2002~2003年頃)に、テツandトモダンディ坂野らとともに大ブレークした。

概要

兄・剛の自己満足的ぼけを弟・礼二が汗をかきながらつっこむスタイル。いわゆる正統派しゃべくり漫才で、同じく兄弟漫才コンビである夢路いとし喜味こいしの後継者と言われることもある。普段から頼りない『兄』剛は、外見的にも身長が低く童顔で、おっとりしたぼけであるのに対し、声も顔も体も大きく「大阪のおばちゃん」的なしっかり者の『弟』礼二がつっこむという立場逆転の面白さもあると言える。

漫才で完全な主導権を握っているのは弟だが、兄がネタを書いている。 ネタの打ち合わせは、ほとんどしていない。 またコンビ結成のきっかけも、相方を探していた兄が友人・知人にことごとく断られた後、居間で寝転んでいた弟に声をかけたらすんなりとOKされコンビ結成に至ったらしい。

兄・剛がパニック障害を経験しており、一時期舞台に立てなくなってしまったことや、弟・礼二が漫才ネタを舞台上で忘れてしまい、漫才をコントロールできなくなったとするエピソードもある。 弟・礼二は上方お笑い大賞に出演したとき、あまりの緊張から大便をもらし、ネタを中途半端にしてしまったことがある。

なお礼二の離婚話は、M-1グランプリ優勝後ではなく、1997年KBS京都の自分のラジオ番組が発祥だと思われる。

礼二のマニアックなモノマネは、元々子供のときに鏡に向かって練習をしていた。あまりにやりすぎて父親に病院につれて行かれた経験がある。

最近では楽屋で次長課長とモノマネの競い合いから生まれることが多い、いわば次長課長と共同開発したネタである。なお現在では、次長課長と同じ楽屋のときは楽屋内で4人で即興コントをすることが多い。 (次長課長の河本とはプライベートでも仲がいい)

アメトークでの次長課長との即席コントは大好評だった。

メンバー

  • 中川家剛なかがわけ つよし、本名:中川剛(なかがわ つよし)、1970年12月4日 - )は中川家のボケを担当。大阪府立守口東高等学校卒業。通称「お兄ちゃん」。血液型はB型。

   陰金説があるのは内緒。その愛らしさゆえ弟・礼二より人気がある。

  • 中川家礼二なかがわけ れいじ、本名:中川礼二(なかがわ れいじ)、1972年1月19日 - )は中川家のツッコミ担当。私立向陽台高等学校卒業。血液型はA型。本名名義で出る場合も稀にあるが、基本的には「中川家」を付ける。

出演している番組

過去に出演していた番組

テレビ

バラエティ
ドラマ
CM

ラジオ

CD・ビデオ・DVD

書籍

映画

  • 明日があるさTHE MOVIE 「明日があるさTHE MOVIE」製作委員会 東宝 2002年10月
  • 巌流島 -GANRYUJIMA- 東宝 2003年10月
  • スクール・ウォーズHERO 「スクール・ウォーズ HERO」製作委員会 松竹 2004年9月


エピソード

  • 兄弟はよく父親に連れられてよくなんばグランド花月に連れて行かれた。礼二は行くのが嫌だったが、電車に乗れるのが楽しくて付いて行った。(このためマニアックなモノマネに電車がらみが多い)いつの間にか漫才にどっぷりはまり、なんばグランド花月の最前列で釘付けで見るようになる。
  • 剛は小学校高学年の頃には、体格で礼二に負けてしまっていた。そのため、お下がりならぬお上がりを礼二からもらっていた。
  • 剛は小学校の時に礼二のランドセルに犬のフンを入れていたらしい。
  • 幼い頃、礼二と自転車の二人乗りをしていた時、後ろに乗っていた礼二を落とした事がある。
  • また、火遊びをしていて家が燃えてしまい、礼二が危うく焼死しそうになった事がある。
  • 礼二とケンカした時は絶対負けてしまうので、剛はその腹いせに水鉄砲に小便を入れて弟に掛けていたと言う伝説もある。
  • また、ケンカの腹いせでラーメン作ったると言ってラーメンの器を持たせ蹴りを入れる。熱さと痛さでギブアップする。だがその後すぐ礼二に倍にやり返される。(毎日放送明石家電視台のクイズのコーナーで発表、翌週ジャンジャンバリバリ1000玉王のエンディングコーナーでコント化)
  • 剛は透明の飴だと言って石鹸を食べさせた事もある。(これも明石家電視台のクイズのコーナーで発表、翌週ジャンジャンバリバリ1000玉王のエンディングコーナーでコント化)
  • 1990年代初頭、お笑いに新しい風をふきこむため、大阪二丁目劇場では漫才禁止令が出された。「漫才できんのやったら舞台に立つ意味ない」と思った二人と海原やすよ・ともこは、以降所属劇場がなくなることを省みず、二丁目劇場卒業を選択。
  • デビュー当初、剛がパニック障害を患った。
    • 人ごみに入ると呼吸を忘れてしまう剛のため、発病当時は、新幹線移動では一駅ごとに礼二が剛を下車させ呼吸をさせていた。
    • 漫才中に剛の意識が飛んでしまい、礼二は一人漫談状態で漫才を続けた。
    • 剛が療養中も礼二は剛が戻ってきやすいよう、一人でレポーターなどを続ける。
    • 今までで一番つらかった仕事に礼二は、剛療養中の一人での営業をあげている。それなりに受けたらしいが、マイクの少し横に立ってしまい、悲しかったらしい。

そしてオープン初日の理髪店で数人しかいない客の前で鏡越しに漫才をやらされた。

外部リンク

前回:
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