阿部正権

江戸時代後期の大名

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阿部 正権あべ まさのり文化3年1月9日1806年2月26日) - 文政6年10月6日1823年11月8日))は江戸時代後期の大名。武蔵忍藩主、陸奥白河藩主。

武蔵忍藩阿部正由の次男として生まれる。幼名は銕丸。3歳の時に父が死去し、家督を相続。正権は病弱であったため、藩政は実母の泰寿院と本家筋の備後福山藩阿部正精が後見した。

文政5年(1822年)、幕府より忍藩、伊勢桑名藩陸奥白河藩の三方国替えの幕命が出され、阿部家は183年に亘って統治した忍より白河に移封することになったが、そのさなか、死去。将軍家への御目見えが済まないうちに死去したため、官位はない。なお、家督は従兄弟の阿部正篤が相続した。