伊達宗定

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伊達 宗定(だて むねさだ、明治3年11月4日1870年12月25日) - 昭和18年(1943年3月10日)は、伊達氏伊予吉田藩主家10代当主。

伊達宗定

概要

父は伊予吉田藩最後の藩主・伊達宗敬。生母は伊達宗孝の娘。妻は元鶴田藩主・松平武聰の娘・清子。子に宗起定宗

幼名は鶴若。明治9年11月21日、家督を相続する。明治17年、子爵となる。後に侍従となる。昭和12年(1937年)3月29日、隠居し、長男宗起に家督を譲る。昭和15年8月2日、長男宗起が死去すると、翌年分家していた次男定宗に家督を相続させた。