塙安弘

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塙 安弘(ばん やすひろ、生年不詳 - 天正4年5月3日1576年5月30日))は、安土桃山時代武将織田氏の家臣。通称は喜三郎。塙直政の伯父と思われる。

はじめ織田信長馬廻だったとされ、塙直政が南山城と大和国の守護になるとこれを補佐した。『甫庵信長記』によると、元亀元年(1570年)の小谷城攻めでの退却時において、太田牛一らとともに殿を務めたという。

天正4年(1576年)5月、本願寺との戦い(天王寺の戦い)で直政とともに討ち死にした。

参考資料

  • 「信長の親衛隊 戦国覇者の多彩な人材」谷口克広