平安神宮
平安神宮(へいあんじんぐう)は、京都府京都市左京区にある神社である。旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は神社本庁の別表神社。
平安神宮 | |
---|---|
![]() 境内 (中央に外拝殿(大極殿)、左に白虎楼、右に蒼龍楼) | |
所在地 | 京都府京都市左京区岡崎西天王町97 |
位置 | 北緯35度01分00秒 東経135度46分56秒 / 北緯35.01667度 東経135.78222度座標: 北緯35度01分00秒 東経135度46分56秒 / 北緯35.01667度 東経135.78222度 |
主祭神 |
桓武天皇 孝明天皇 |
社格等 | 官幣大社・勅祭社・別表神社 |
創建 | 1895年(明治28年)3月15日 |
本殿の様式 | 七間社流造 |
例祭 | 4月15日 |
主な神事 | 10月22日(時代祭) |
地図 |
歴史
1895年(明治28年)4月1日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。当初は実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたが、用地買収に失敗し、当時は郊外であった岡崎に実物の8分の5の規模で復元された。博覧会に先立つ3月15日には、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀された。皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。平安神宮では、京都を守る四神の御守が授与されている。
1976年(昭和51年)1月6日、火災(平安神宮放火事件)が発生し本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した。ただし、外拝殿である大極殿は延焼をまぬがれている。創建が比較的新しかったことから、当時はこれらの建物は文化財指定を受けていなかったため、再建のための国からの補助金が見込めなかった。しかし、全国からの募金により、本殿や内拝殿は3年後に再建された。この火災は、後に日本の新左翼活動家加藤三郎の犯行と判明した[1]。
社殿
社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したものである。大きく赤く光る朱色が特徴的な正面の門は、朝堂院の應天門を模している。その内側の左右の殿舎は朝集堂の再現である。外拝殿は朝堂院の正殿である大極殿(左右には蒼龍楼と白虎楼が付属する)を模している。
- 基本的にはこれらの建築様式は、平安時代後期(11 - 12世紀)の第3次八省院(延久4年(1072年)再建、治承元年(1177年)焼亡)を再現したものとなっている。この時の大極殿などの姿は、後白河法皇が作らせた「年中行事絵巻」に描かれている。ただ、大極殿と応天門の間には本来は会昌門と朝堂12堂が存在し、応天門の左右には翔鸞楼と栖鳳楼という楼閣が付属していたが、これらは平安神宮では復元されていない。また、平安神宮の社殿の瓦はすべて緑釉瓦となっているが、近年の研究によると平安時代の大極殿では軒先と棟部分だけにしか緑釉瓦は使われていなかったと推定されている。
2010年12月、大極殿など6棟が国の重要文化財に指定された。
参道の大鳥居は24.4mの高さがあり、国の登録有形文化財に登録されている。
敷地面積は約10,000坪の日本庭園である「平安神宮神苑」を含め、約20,000坪ほどある。神苑は明治から昭和にかけての名造園家である7代目・小川治兵衛(植治)が20年以上かけて造った名園で、国の名勝に指定されている。琵琶湖疏水から水を引き入れており琵琶湖では外来魚のために見かけることが出来なくなったイチモンジタナゴが生存していることが確認されている。神苑には人里には少ないカワセミやオオタカなどの鳥類や、甲羅に草を生やすミノガメ、日本では非常に珍しいミナミイシガメなどが棲息している。
祭事
創建を記念して、平安京遷都の日である10月22日に時代祭が行われるようになった。
文化財
- 重要文化財
- 大極殿
- 東西歩廊 2棟
- 蒼龍楼
- 白虎楼
- 應天門
- 登録有形文化財
- 額殿
- 斎館
- 神楽殿
- 神門翼廊
- 西祭器庫
- 西神庫
- 西門及び西外廻廊
- 大鳥居
- 東祭器庫
- 東神庫
- 東門及び東外廻廊
- 透塀及び後門
- 内廻廊
- 南歩廊
- 名勝
- 平安神宮神苑
近隣施設
平安神宮の周辺は岡崎公園として整備されており、文化ゾーンになっている。大鳥居を挟んで西には京都府立図書館、京都国立近代美術館、京都会館、東には京都市美術館、京都市動物園などがある。
交通アクセス
脚注
- ^ 旭川医科大学研究フォーラム 年表 (PDF) [リンク切れ]