トム・ブレイディ

アメリカのアメリカンフットボール選手 (1977 - )

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トム・ブレイディ(Thomas Edward Patrick Brady, Jr. 1977年8月3日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のアメリカンフットボール選手である。ニックネームはトム・トリフィック[1]や自身のイニシャルと背番号をあわせたTB12。ポジションはクォーターバック(QB)で、NFLのAFC東地区に所属するニューイングランド・ペイトリオッツでプレーしている。2000年代から現在にかけてのNFLを代表する選手の一人である[2]

トム・ブレイディ
Tom Brady
refer to caption
2016年のブレイディ
ニューイングランド・ペイトリオッツ #12
ポジション QB
生年月日 (1977-08-03) 1977年8月3日(48歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州の旗カリフォルニア州サンマテオ
身長: 6' 4" =約193cm
体重: 225 lb =約102.1kg
経歴
大学 ミシガン大学
NFLドラフト 2000年 - 6巡目全体199位
初出場年 2000年
初出場チーム ニューイングランド・ペイトリオッツ
所属歴

  • ニューイングランド・ペイトリオッツ (2000 - )
受賞歴・記録

NFL 通算成績
(2016年シーズン終了時点終了時点)
タッチダウン (TD) 456
インターセプト (INT) 152
通算パス獲得ヤード 61,582
パス成功率 63.8%
QBレーティング 97.2
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

2000年のNFLドラフトにて、6巡全体199位でペイトリオッツから指名を受けプロ入りを果たすと、2年目から先発QBに定着し、同年にチームをフランチャイズ史上初のスーパーボウル制覇に導いた。以降2016年シーズンまで負け越したシーズンは一度もなく、いずれもQBとしてリーグ史上最多の14度の地区優勝、11度のカンファレンスチャンピオンシップ進出と7度のカンファレンス制覇、さらには同ポジションでそれぞれ歴代最多となる5度のスーパーボウル制覇と4度のスーパーボウルMVP獲得を達成している。このほか12度のプロボウル、それぞれ2度のNFL MVPとリーグ最優秀攻撃選手に選出された。リーグMVPとスーパーボウルMVP双方の複数回受賞はブレイディと彼の幼少期のアイドルであったジョー・モンタナの二人しか達成していない快挙である。

彼のプロ入りと同年にペイトリオッツのヘッドコーチ(HC)に就任したビル・ベリチックと共に、2000年代のNFL界に"Patriots Dynasty"(ペイトリオッツ王朝)と呼ばれる一時代を築き上げた[3][4]。プレーオフ並びにスーパーボウルでの勝利数やTDパス・獲得ヤード数、連勝記録など、様々なNFL記録を保持しており、ジョー・モンタナや長年のライバル関係にあったペイトン・マニングらと共に、NFL史上最高のQBの一人と評されている[5][6]

プロ入り前

幼少期から高校時代

サンフランシスコにほど近いカリフォルニア州サンマテオで生まれる。小さいころからサンフランシスコ・49ersのファンで、モンタナは彼のアイドルだった[7][8]。4歳のころには、かの有名な「ザ・キャッチ」をスタジアムで目撃している[9][10]

出身高校は地元サンマテオのジュニペロ・セラ高校で、同校はNFLの殿堂入りワイドレシーバー(WR)であるリン・スワン野球選手のバリー・ボンズなど多くのスポーツ選手を輩出している[11]。高校時代までは野球もプレーしており、1995年にはMLBモントリオール・エクスポズから捕手としてドラフト指名を18巡で受けるなど、この頃はフットボール選手としてよりは野球選手として知られていた[11][12][13]。フットボールを始めたのは高校1年生からで、この時は0勝8敗1分けのチームで控えQBを務めた[14]。先発QBを務めていた選手がバスケットボールに専念するためにチームを離れたことで、2年目からは先発QBとして定着する[11]。初めての先発試合では、試合時間残り2分から5点差をひっくり返す決勝TDドライブを決め、チームに逆転勝利をもたらすなど[11]、2シーズンで11勝9敗の成績をおさめた[15]

大学時代

1996年ミシガン大学に入学する。チームには後のプロボウルQBであるブライアン・グリーシーなどが在籍しており、ブレイディは当初7番手QBだった[8][16]。グリーシーに率いられたチームは1997年に無敗シーズンをおくり、ローズボウルを制覇して全米チャンピオンに輝いた。先発QBを務めたかったブレイディにとって、最初の2年間は苦しい時期だった。グリーシーが卒業したあとの3年目のシーズンは、ブレイディにとってようやく先発QBの座を得られるであろう待望のシーズンだったが、チームは後にメジャーリーグニューヨーク・ヤンキースやNFLのダラス・カウボーイズでプレーすることとなる大物新人ドリュー・ヘンソンに大きな期待をかけていた。このような不遇の時期を過ごしていたこともあり、ブレイディは度々転校も考えたが、チームのアスレティック・ディレクターを務めるグレッグ・ヘイデンオリンピックの金メダリストであるマイケル・フェルプスなど、数多くのアスリートの心理サポートを行ったことで有名)の助けも借りながら、無事3年目には先発QBに定着する[17][18]。しかし4年目には再びヘンソンとのポジション争いが熾烈となり、チームはブレイディを先発QBとして起用しながらも、第2Qにはヘンソンに交代し、その上で後半にどちらを起用するかを決定するという併用策を用いた[15]。そんな状況下でミシガン大は開幕5連勝の好スタートを切るが、迎えた第6週、ライバルであるミシガン州立大学との一戦で、チームは17点のビハインドを負う。この日はヘンソンが後半のQBとして起用されていたが、ヘッドコーチのロイド・カーはブレイディを再起用し、最終的に敗れたものの、31-34の接戦にまで持ち込んだ。ブレイディは翌週の試合でもパス300ヤード超えのパフォーマンスを見せ、QBポジション争いに終止符を打った[10][15]。以降すべての試合でフルタイムのQBを務めると、ペンシルベニア州立大学戦を筆頭に度重なる逆転勝利を演出し、一部から「カムバック・キッド」と呼ばれるようになった[10]。大学でのキャリア最終戦となったオレンジボウルではアラバマ大学と対戦。2度の14点差のビハインドを跳ね返すと、オーバータイムにもつれた激戦を35-34で制した。ブレイディはパス369ヤード4TDの活躍でチームの勝利に貢献した。

ブレイディは大学最後の2年間をスターターQBとして過ごし、25試合で20勝をあげた。ミシガン大学でのブレイディの通算成績は、大学史上3位となるパス710回中442回成功、それぞれ同4位・5位の5,351ヤード・35TDパスというものだった。

NFLドラフト

こうして最後の2年間は上々のシーズンを送ったブレイディであったが、2000年NFLドラフトでは高い評価を得ることができなかった。あるレポートでは「貧相な体格で、細く痩せこけており、機動力とラッシュをかわす能力を欠いていて、強肩でもない。」と評価されていた[16]。彼に興味を示してミシガン大のHCロイド・カーの元に電話をかけたのは、ペイトリオッツのたった1チームだけだった[10][19]。カーは電話越しに、「ボビー(ペイトリオッツの人事を担当していたボビー・グリア)、ブレイディを指名して後悔することは決してないだろう」と伝えた[10][19]。指名が遅れた理由としては、スカウティング・コンバインでの低調なパフォーマンスとアスリートらしからぬ貧相な体型が挙げられる[20]。また多くのプロ関係者は、3年目に先発に定着しながら、一時的とはいえ4年目にブレイディがヘンソンと併用で起用されることになった事実を懐疑的に見ていた[20]。ブレイディの憧れのチームであった49ersは、この年にQBの指名を狙っていたチームの一つであったが、当時のHCスティーブ・マリウチは「我々はトムのことを全て知っていた」としながらも、「ウエイトルームじゃ見かけられないような」体型と40ヤード走での5.2秒という低調な記録を指摘し、さらに「彼のパスが我々を驚嘆させたか?そんなことはなかった。まさにシュートするようなパスを投げる選手は他にいたが、彼はむしろ『まずまず』といった具合だった。ミシガンのコーチたちが机の上に立って『これはジョー・モンタナ以来の最高傑作だ』と言ったと思うかい?ノーだ。かすりもしないよ。だから彼らもブレイディとドリュー・ヘンソンを併用したのさ。」と続けた[10]。チームは3巡目でジオバーニ・カルマージを指名したが、レギュラーシーズンで一度もパスを投げることなくリーグを去った。のちにブレイディは、自身が大ファンであった49ersがカルマージを指名した時のことを「発狂ものだったよ」と回顧している[21]

最終的に6巡でブレイディを指名することとなったペイトリオッツは、この年からQBコーチを務めることとなったディック・レイバインが、ブレイディを「チームのシステムに最もフィットするQB」と高く評価していた[20]。ブレイディのスカウトを担当したレイバインは彼の妻に、新たなジョー・モンタナやブレッド・ファーブを見つけた、と語り、「20年後、トム・ブレイディの名は知れ渡っていることだろう」と続けた[19]。しかし、チームはスーパーボウル出場経験もあるエースQBドリュー・ブレッドソーを含め3人のQBを抱えており、同ポジションのニーズの低さから指名を見送っていた[20]。またHCのベリチックは、ミシガン大が先発QBの座をブレイディからヘンソンに明け渡そうとした事実を慎重に見ていた[10]。当時のGMだったスコット・ピオリによると、チームは3巡目からブレイディの指名について話し出したという[20]。しかし上記のような理由からその後も指名を見送り続けた。オーナーのロバート・クラフトによると、5巡目に入ったとき、ベリチックは「ワオ。まだブレイディが残っているのか」と漏らしたという[10]。そしてドラフト6巡・全体199番目の指名権にて、ペイトリオッツはようやくブレイディを選択した。ブレイディの前には、のちのプロボウルQBであるチャド・ペニントンマーク・バルジャーなど合わせて6人のQBが指名されていた。2011年ESPNは、ブレイディとブレイディの前に指名された6人のQB達の人生を追った"The Brady 6"というドキュメンタリーを作成した。ドラフト当時を回顧したブレイディは、指名が遅れた悔しさや長年支えてくれた両親への思いなどから涙を浮かべた[10][22]。ドラフトされた瞬間については「最高に興奮したよ。『これで保険会社のセールスマンにならなくてすむんだ!俺は指名されたよ、ありがとう神様!』ってね」と振り返っている[10][22]

以降の活躍も相まって、ブレイディはNFLドラフト史上最高の掘り出し物だと評する声が多い[8][23]

ニューイングランド・ペイトリオッツ

2000年シーズン

ブレイディはドラフト指名を受け、ニューイングランド・ペイトリオッツに入団した。チームのオーナーであるロバート・クラフト に初めて名前を呼ばれたときには、誤って「カイル」と呼ばれた(オーナーがタイトエンド(TE)カイル・ブレイディと混同したため[8][24])。ブレイディは「ミスター・クラフト、僕を指名したことは今まであなたの組織が下してきたなかで最高の決断です。」と真剣に語った[8][15]

ペイトリオッツではチームの顔でもあるブレッドソーがスターターQBを務めており、チームにはブレイディを含め4人のQBがいた。ルーキーのブレイディは最初のトレーニングキャンプを4番手QBの待遇で過ごし[15]、レギュラーシーズンでは敗戦濃厚になったデトロイト・ライオンズ戦でプロ初出場を果たしたが、同シーズンの出場はこの試合だけであった。ブレイディのプロ一年目はパス3回中1回成功6ヤードTDなし、4人のQBの中で最も少ない出場に終わった。ある日ブレイディはQBコーチが置き忘れたノートブックを好奇心からめくってみると、そこには「反応が遅い」などといった厳しい評価が記されており、「彼は全てにおいてスピードを上げる必要がある。」と指摘されていた[12][24]

2001年シーズン

チームはオフにブレッドソーと10年1億300万ドルという大型契約を結んだ[19][25]。またブレッドソーの控えとして、ダン・マリーノのバックアップを務めた経験もあるデーモン・ヒュアードを獲得したが、QBコーチのレイバインはブレイディの成長を高く評価した[19]。しかし同年の8月、そのレイバインが心臓発作のため帰らぬ人となった。当時チームはトレーニングキャンプの最中だったため、HCのベリチックとオフェンシブ・コーディネイター(OC)のチャーリー・ワイスが分担でQBコーチの役割を引き継いだ。ベリチックはブレイディのキャンプでのパフォーマンス高く評価し、ブレイディはブレッドソーに次ぐ2番手QBに指名する[10]。その後のプレシーズンで3試合に出場したブレイディのパフォーマンスは、ブレッドソー以上のものだったとベリチックは語っている[10]。しかしOCのワイスは、あくまでチームのナンバー1はブレッドソーであり、控えQBに関しても、「コインを投げて裏表で決めてもよかった」ほどブレイディとヒュアードの差は僅かであったとのちに語っている[26]

アメリカ同時多発テロ事件で中断されていたレギュラーシーズンが再開された9月23日、第2週のニューヨーク・ジェッツ戦で大きな転機が訪れる。10-3と7点差を追う第4Q、エースQBブレッドソーがモー・ルイスのハードタックルで胸部内出血の重傷を負い、代わりにバックアッパーであったブレイディが出場した[12]。試合には敗れたが、この出来事は前述のペイトリオッツ王朝の始まりとして語られることがある[27]。チームは既に引退していたジム・ハーボーを復帰させようとするなど数名のベテランQBの獲得を考えたものの、最終的にはQBを獲得することはなかった[26]。こうしてブレイディは第3週でプロとして初の先発出場を果たすと、後のライバルとなるペイトン・マニング率いるインディアナポリス・コルツを44-13で破ってキャリア初勝利をあげた。第5週のサンディエゴ・チャージャーズ戦ではキャリア初のTDパスを通すなどチームを逆転勝利に導き、第6週ではコルツを相手に3TD、QBレイティング148.3と自身最高のパフォーマンスでチームの勝利に貢献した。第15週のマイアミ・ドルフィンズ戦では23ヤードのパスレシーブも記録している。ブレッドソーが負傷から復帰してからも先発を任される事となったブレイディは、シーズンでパス2,843ヤード18TD、QBレイティング86.5という活躍をおさめ初のプロボウルに選出された。ブレイディの活躍やHCベリチックの指揮するディフェンス陣の奮闘もあり、チームは11勝5敗で地区優勝を果たし、第2シードでプレーオフに進出した。

プレーオフ

ホームのフォックスボロ・スタジアムで行われたディビジョナル・プレーオフでは、豪雪の中オークランド・レイダーズと対戦した。前半はブレイディがインターセプト(INT)を喫するなど、チームは第4Qまで13-3とリードを許すが、その後自らのTDランで追い上げる。3点を追う試合時間残り2分6秒からのドライブでは、疑惑の判定をはさみながらもオフェンスをFG圏内まで導くと、キッカー(K)アダム・ビナティエリが45ヤードのフィールド・ゴール(FG)を決め、試合はオーバータイムへ突入する。先にレシーブを得たペイトリオッツは、敵陣28ヤード地点での4thダウンギャンブルを成功させるなどしてドライブを進め、最後は再びビナティエリがFGを決めて16-13でレイダーズを撃破した。第4Q終盤での疑惑の判定は大きな波紋を呼び、この試合はその判定が下された元となったルールの名称をとってタック・ルール・ゲームと呼ばれている。このタック・ルール・ゲームは、その後のブレイディとペイトリオッツの運命を大きく左右した試合として知られている[28]。AFC第1シードのピッツバーグ・スティーラーズとの対戦となったAFCチャンピオンシップゲームではブレイディが第2Q途中に負傷するアクシデントに見舞われるも、スペシャルチームの活躍や代わったQBブレッドソーがTDパスを決めるなどして試合を優位に進め、24-17でスティーラーズを破り、チームは史上3度目のスーパーボウル出場を果たした。

迎えた第36回スーパーボウルでは、1999年・2001年シーズンのリーグMVPであるQBカート・ワーナーや2000年シーズンのリーグMVPであるマーシャル・フォークなどを擁し、当時「芝の上で行われる最高のショー」("The Greatest Show on Turf")と呼ばれたリーグ屈指のオフェンスを誇るセントルイス・ラムズと対戦した。チームはコーナーバック(CB)タイ・ローのINTでこの試合はじめてのTDを奪うと、第2Q終盤にはブレイディがWRデイビッド・パッテンへTDパスを決め、圧倒的不利と言われていた前評判を覆し[29]、一時はペイトリオッツが17-3とリードを奪った。しかし第4Qにラムズが猛追を見せ、第4Q残り1分21秒というところでチームは17-17の同点に追いつかれた。試合はスーパーボウル史上初のオーバータイムにもつれるかと思われたが、ブレイディはタイムアウトを使いきった自陣15ヤードからの攻撃をWRトロイ・ブラウンへのパスなどで敵陣31ヤードまで進め、最後はビナティエリの決勝FGでタイムアップとなる劇的なゲーム・ウイニング・ドライブを決めた。

スーパーボウル制覇を成し遂げたブレイディは、QBとしてNFL史上最も若い(すべてのポジションを含めればマーカス・アレン、リン・スワンに次いで3番目に若い)スーパーボウルMVPに輝いた[30]。また24歳でのスーパーボウル制覇は当時のスーパーボウル優勝QB最年少記録であった[31]。NFL史上に残る番狂わせに貢献したブレイディは、以後NFLのスターダムへと駆け上がっていく[29][32]

2002年シーズン

ブレッドソーが同地区のバッファロー・ビルズへと去り、名実ともにペイトリオッツのエースQBとなったブレイディだったが、チームは序盤から中盤にかけて4連敗を喫するなど、このシーズンはレギュラーシーズンを9勝7敗で終えた。AFC東地区は3チームが9勝7敗で並んだが、同地区内の対戦成績の結果、ジェッツがプレーオフに進出した。ブレイディはリーグ1位の28TDパスを記録したが、QBレイティング85.7、シーズン9勝7敗という成績はキャリア最低の数字であり、開幕戦の怪我でシーズンを棒に振った08年を除き、ブレイディがプレーオフを逃した唯一のシーズンである。自身も肩に怪我を抱えるなどチームを含め全体的に苦しんだシーズンであったが、第10週のシカゴ・ベアーズ戦や最終週のマイアミ・ドルフィンズ戦では劇的な逆転勝利を演出し、チームも最後までプレーオフ争いに加わった。ブレイディはこのシーズン以降数年間に渡り、毎週チームのインジュアリー・レポートに「右肩の怪我」で登録されていた[33]。なおこの怪我を理由に公式戦を欠場したことは一度もない。

2003年シーズン

第1週のバッファロー・ビルズ戦でブレイディは4INTを喫しチームは31-0で完敗した。第4週でも敗れ2勝2敗とスタートに失敗し、主力の放出と相俟ってHCベリチックに対して批判の声も上がった[34]。しかしその後チームは快進撃をはじめ、第5週からレギュラーシーズン終了まで12連勝を果たした。ブレイディはパス3,620ヤード23TDレイティング85.9の活躍をおさめ、チームは14勝2敗で2年ぶりの地区優勝を果たした。ブレイディはMVP投票においてダブル受賞したスティーブ・マクネアペイトン・マニングに次ぐ票を獲得し[35]、プレーオフではその二人が所属するテネシー・タイタンズとインディアナポリス・コルツをそれぞれ破り、3年間で2度目のスーパーボウル進出を決めた。

カロライナ・パンサーズとの対戦となった第38回スーパーボウルでは、当時のスーパーボウル新記録となる32回のパス成功を含む354ヤード3TDの活躍を見せ、29-29の同点でむかえた第4Q残り1分8秒からの攻撃では、ビナティエリの41ヤード決勝FGにつながる決勝ドライブを完成させ、チームを勝利に導いた。ブレイディは自身2度目となるスーパーボウル制覇とスーパーボウルMVP受賞を成し遂げた。スーパーボウルMVPの複数回受賞はジョー・モンタナ(3回)、テリー・ブラッドショー(2回)、バート・スター(2回)と並んでNFL史上4人目の快挙となった[30]

 
スナップを受けるブレイディと、プレーを開始するペイトリオッツオフェンス陣 2005年2月5日、第39回スーパーボウルにて

2004年シーズン

開幕から第8週で敗れるまで6連勝を果たし、NFL記録となる21連勝(プレーオフを含む)を達成した[36]。ブレイディはパス3,692ヤード28TD、レイティング92.6の活躍で2001年シーズン以来自身2度目のプロボウル選出を果たし、チームは14勝2敗で2年連続の地区優勝を果たし第2シードでプレーオフに進出した。プレーオフ初戦のディビジョナル・プレーオフでは、チームはリーグ最多得点のコルツをわずか3点に抑え20-3で完勝すると、AFCチャンピオンシップゲームでは、ブレイディがQBレイティング130.5を記録する活躍を見せ、リーグ最少失点のスティーラーズから41点を奪い41-27で勝利した。

フィラデルフィア・イーグルスとの対戦となった第39回スーパーボウルでは、236ヤード2TDの活躍で24-21の勝利に貢献した。MVPは当時のスーパーボウル史上最多タイとなる11キャッチを記録したペイトリオッツのWRディオン・ブランチが受賞したが、ブレイディはMVPを受賞した過去2回のスーパーボウルよりも高いQBレイティングを記録した。

ブレイディはテリー・ブラッドショー、ジョー・モンタナ、トロイ・エイクマンに次いで、スーパーボウルを3度制覇したNFL史上4人目のQBとなった[30]。また、28歳の誕生日を迎える前にスーパーボウルを3度制覇したQBはNFL史上ブレイディただ一人であり、ブレイディはスーパーボウル3度制覇を成し遂げたNFL史上最年少QBとなった[30]。加えて、キャリア最初の5年間で3度のスーパーボウル制覇を成し遂げたのはNFL史上ブレイディただ一人である。スーパーボウル連覇の偉業に加え、プレーオフ無敗のまま4年で3度のスーパーボウル制覇を成し遂げたブレイディは"Patriots Dynasty"(ペイトリオッツ王朝)の象徴としてNFLに一時代を築き上げた[37]

2005年シーズン

オフシーズンに3度のリーグ制覇を支えたオフェンシブ・コーディネーター(OC)チャーリー・ワイス、ディフェンシブ・コーディネーター(DC)ロネオ・クレネルの両コーチがチームを去った。マット・ライトロドニー・ハリソンタイローン・プールなど主力の怪我人の続出やディフェンスの不振などに苦しんだチームの中で、ブレイディ自身もスポーツヘルニアの痛みに悩まされるなど、決して環境的に恵まれたシーズンでは無かったが[38]、パス4,110ヤード26TDレイティング92.3と、これまでで自己最高クラスの成績を記録し、キャリア3度目のプロボウル選出を果たした。加えて、AP通信によるオールプロ・チームのセカンド・チームにも選出されている。チームは10勝6敗で3年連続の地区優勝を果たし、ワイルドカード・プレーオフではジャクソンビル・ジャガーズに28-3で完勝をおさめ、NFL新記録となるポストシーズン10連勝を成し遂げた[39]

しかし、続くディビジョナル・プレーオフでは、敵地インベスコ・フィールド・アット・マイル・ハイデンバー・ブロンコスに27-13で敗れ、ブレイディはプレーオフ11試合目にして初の敗北を味わった[40]。高校では大舞台に進んでおらず、大学時代は先発出場したボウルゲームで勝利を収めており、これがまさに自身初のポストシーズンでの敗戦であった。怪我のためプロボウルは欠場したが[41]、試合前のセレモニーに歴代スーパーボウルMVPが招かれた第40回スーパーボウルでは、スーパーボウルMVPの代表としてコイントスを務めた[42]。なお、現役選手として同大会のコイントスを現役選手が勤めたのは、これが初めてであった(英語版第40回スーパーボウルの"Pre-game ceremonies"の項を参照)。

2006年シーズン

第39回スーパーボウルMVPのディオン・ブランチとフランチャイズ記録となるポストシーズン通算7TDパスキャッチを記録したデイビッド・ギブンズの二人のスターターWRがチームを去り、ベテランのトロイ・ブラウンと新加入のリシェ・コールドウェルを除けば、NFLでの総キャッチ数が全選手あわせて6回というレシーバー陣でトレーングキャンプを迎えた[43]。WR陣は最も多い選手でわずか4TDキャッチと軒並み低い成績に終わるも、チームは昨シーズン不調だったディフェンスが調子を取り戻し、ブレイディはパス3,529ヤード24TD、QBレイティング87.9の活躍でオフェンスを引っ張った[44]。チームは12勝4敗で地区優勝を決めプレーオフ進出を果たした。

ワイルドカード・プレーオフではニューヨーク・ジェッツに大勝し、続くディビジョナル・プレーオフでは、この年MVPを獲得したRBラダニアン・トムリンソンを擁する第1シードのサンディエゴ・チャージャーズを、24-21の逆転勝利で破った。しかしAFCチャンピオンシップゲームでは、前半に大きくリードしながらも逆転でインディアナポリス・コルツに敗れ、スーパーボウル進出はならなかった。スーパーボウルや大学時代のボウルゲームを含め、タイトルゲームで敗れたのはキャリア初のことであった。シーズンを通してブレイディは4人の選手にそれぞれ40回以上のパスを通し、24個のタッチダウンパスを11人に投げ分けてタレント不足のチームをチャンピオンシップゲームにまで導いたが、この試合ではコールドウェルが二度に渡って手痛い落球を犯してしまうなど、限界を見せつけられる形となった[44]。なお、QBフィリップ・リバースが足首の怪我で辞退した為、繰り上げでのプロボウル選出を打診されたが、これを断っている(代わりにビンス・ヤングが選出された)[45]

2007年シーズン

オフにランディ・モスウェス・ウェルカーダンテ・ストールワースといった新たなWRがチームに加入した。多彩なレシーバー陣を手に入たブレイディはOCジョシュ・マクダニエルズと共に、レシーバーをフィールド全体に大きく広げるスプレッド・オフェンスを展開した[46]。パサーとしての能力を最大限に発揮したブレイディは、ペイトリオッツと共にNFL史上に残る歴史的なシーズンを送った[47]

開幕から全試合で34点以上を記録して5連勝を収めると、先発QBとしてレギュラーシーズン100試合目となった第6週のダラス・カウボーイズ戦では、キャリアハイとなる5TDパスを決める活躍を見せ48-27で勝利をおさめた。これはブレイディにとってキャリア76勝目(レギュラーシーズンのみ)となり、スターターQBになってから最初の100試合で76勝という成績はカウボーイズのレジェンド、ロジャー・ストーバックと並んでNFL記録となった[30]。第7週のマイアミ・ドルフィンズ戦ではキャリアハイを更新する6TDパスをあげ49-28で勝利した。ブレイディはパス25回中21回成功354ヤードの活躍で、自身初となるQBレイティング満点(158.3)を記録した。6TDパス、QBレイティング満点はいずれもペイトリオッツのフランチャイズ記録となった[30]。第8週ではワシントン・レッドスキンズを52-7で破り、開幕8連勝を収めた。ブレイディは早くもキャリアハイを更新するシーズン30TDパスを記録し、ここまで1試合平均41得点という爆発的なオフェンスを指揮した。第9週では同じく無敗のインディアナポリス・コルツを24-20の逆転で破り全勝対決を制した。ブレイディはこの試合でも3つのTDパスを決め、ペイトン・マニングの持つ8試合連続3TDパス(もしくはそれ以上)の記録を塗り替えた[30]。またベイブ・パリの持つシーズン最多TDパス31のチーム記録も塗り替えた。

第11週はバッファロー・ビルズを56-10で破り、5TDパスを決めたブレイディはキャリア通算TDパスを185としてスティーブ・グローガンが持つフランチャイズ記録(182)を塗り替えた[30]。第12週ではフィラデルフィア・イーグルスを31-28で破ったが、ブレイディは1TDパスに終わり、3TDパスの連続試合記録は10で止まった。第13週のボルチモア・レイブンズ戦では、相手ディフェンスの激しいパスラッシュに苦しみ第4Qで7点のリードを許すが、残り55秒でジャバー・ギャフニーへの逆転TDパスを通し、27-24で勝利をおさめた。ブレイディはシーズン40TDパスを達成したNFL史上4人目のQBとなった。第14週のピッツバーグ・スティーラーズ戦では4TDパスを決め31-13で勝利し、リーグ最速でプレーオフ進出を決めた。ブレイディはキャリア2度目となるシーズン4,000ヤードを達成し、このシーズンの通算TDパスを歴代3位の45とした[48]。また、この試合は3TDパス(もしくはそれ以上)を記録したシーズン11度目の試合となり、ダン・マリーノ1984年シーズンに樹立したNFL記録を塗り替えた[48]。第15週のニューヨーク・ジェッツ戦は、悪天候もありシーズン唯一のTDパスなしの試合となったが、ブレイディはQBとしてNFL史上4番目に長い記録となる108試合連続先発出場を達成した。第16週ではマイアミ・ドルフィンズを28-7で破り、レギュラーシーズン全勝に王手をかけた。ブレイディのこの日3つ目のTDパスはチーム全体でシーズン71個目のTDとなり、1984年シーズンにドルフィンズが記録した70TDのNFL記録を塗り替えた。第17週はレギュラーシーズン全勝をかけてニューヨーク・ジャイアンツと対戦した。第2QにブレイディからモスへのTDパスが決まり、モスはジェリー・ライスの持つシーズン最多TDレシーブ22に、ブレイディはペイトン・マニングの持つシーズン最多TDパス49に並んだが、直後のリターンでTDを奪われるなど、一時は12点のリードを許す苦しい展開となる。しかし、第4Qにブレイディがモスに65ヤードのTDパスを通して逆転し、ブレイディはシーズン最多記録となる50TDパス、モスはシーズン最多記録となる23TDレシーブを同じプレーで達成する快挙を成し遂げた。その後は逃げ切って38-35で勝利をおさめ、シーズンが16試合制になってから初のレギュラーシーズン全勝を達成した[49]

プレーオフ

初戦のディビジョナル・プレーオフではジャクソンビル・ジャガーズと対戦し、ブレイディはポストシーズンのNFL記録となるパス16回連続成功を果たすなど28回中26回成功263ヤード3TDパスの活躍を見せ、31-20で勝利をおさめた。1試合でのパス成功率92.9%はNFL記録となった[50]。AFCチャンピオンシップゲームでは、ブレイディが3INTを喫するもディフェンスが奮闘しTDを許さず、21-12でサンディエゴ・チャージャーズに勝利した。ペイトリオッツは1972年にマイアミ・ドルフィンズが成し遂げたシーズン17連勝(当時レギュラーシーズンは14試合制)を塗り替えるシーズン18連勝を達成し、7シーズンで4度目のスーパーボウル出場を果たした。この勝利でブレイディはスターターQBとして(プレーオフを含む)NFL史上最速でキャリア100勝目をあげた(通算100勝26敗)。これはそれまでNFL最速であったジョー・モンタナの記録(100勝42敗)よりも16試合はやい達成となった[51]

1972年シーズンにマイアミ・ドルフィンズが達成して以来のパーフェクトシーズンが期待される中、ブレイディは2月3日第42回スーパーボウルを迎えた。対するニューヨーク・ジャイアンツはシーズン最終週でペイトリオッツに敗れて以降調子をあげ、敵地でダラス・カウボーイズ、グリーンベイ・パッカーズを破り、ワイルドカードからスーパーボウル進出を達成した。試合はペイトリオッツ優位と見られていたが、ブレイディは5つのサックを浴びるなどジャイアンツの激しいパスラッシュに苦しみ、試合は予想外のロースコアゲームとなった。それでも第4Q残り2分45秒でモスへのTDパスを決め14-10と逆転したが、最後はイーライ・マニングデイビッド・タイリーのスーパーキャッチを経た決勝ドライブを決め、ペイトリオッツは14-17で敗退した[52]

個人タイトル

ブレイディはパス獲得ヤード、TDパス、QBレイティングでリーグトップの成績をおさめた。また、当時NFL史上5位となるパス成功398回、同3位のパス4,859ヤード、同7位のパス成功率68.9%、同2位のQBレイティング117.2、NFL新記録となる50TDパス(2013年にペイトン・マニングが更新)、更にはINTわずか8と、キャリアで自己最高の成績を収め、プロボウルオールプロのファーストチームに選出された。シーズン中はFedEx Expressの選ぶNFL週間最優秀選手に4回(第6、7、11、17週)、AFC週間最優秀攻撃選手に5回(第3、6、7、14、17週)、AFC月間最優秀攻撃選手に2回(9月と10月)選出された。これらの活躍を受け、ブレイディは50票中35.5票を獲得して最優秀攻撃選手賞に[53]、そして50票中49票を獲得して自身初のリーグMVPを受賞した[54]

2008年シーズン

右足の状態が思わしくなくプレシーズンを全休した[55] 。そして開幕戦のカンザスシティ・チーフス戦でセイフティ(S)バーナード・ポラードから膝にタックルを受け負傷退場しシーズン絶望となった。このときのプレーは2009年シーズンから通称ブレイディルールとして禁止されている[56]。この怪我で連続先発試合出場記録は111で途切れた。ブレイディを欠いたペイトリオッツは序盤に苦戦するがその後QBマット・キャセルの活躍もあって立て直し、シーズン11勝5敗と善戦するもプレーオフ進出を逃した。

2009年シーズン

当初は膝の感染症にかかるなど[57]開幕に間に合うか心配されたがその後順調に回復し、第1週のバッファロー・ビルズ戦で1年ぶりに公式戦復帰を果たした。試合は第4Q終番で11点のビハインドを許し敗色濃厚だったが、第4Q残り2分10秒からブレイディが2つのTDパスを決め逆転し25-24で復帰戦を飾った。その後はブランクもあってか苦戦が続き、第2週のニューヨーク・ジェッツ戦では相手ディフェンスの激しいパスラッシュに苦しみTDなしに封じ込められ16-9で敗れた。第5週のデンバー・ブロンコス戦では20-17とキャリア初のオーバータイムでの敗北を喫するなど(無敗での通算7勝はNFL記録[58])スタートで3勝2敗となった。しかし第6週のテネシー・タイタンズ戦では6TDパスQBレイティング152.8を記録し、1976年以来の大差となる59-0で勝利した[59] 。この試合で記録した1Q間での5TDパスはNFL記録となった[60]。なお第3週のアトランタ・ファルコンズ戦で節目となるキャリア200個目のTDパスを決めた[61]。116試合目(途中出場を含む)での200TD達成はNFL史上4番目に早い記録となった[62]

その後ブレイディは調子をあげていき、右手の薬指と3本の肋骨の骨折を抱えながらも[63]4,398ヤード28TD、QBレイティング96.2とキャリアで2番目に良い成績をおさめ5度目のプロボウル選出を果たし、カムバック賞を受賞した[64]。しかしながらチームは10勝6敗とキャリアで2番目に悪い成績に終わり、リーグトップのパスレシーブ回数を記録していたWRウェルカーを怪我で欠いたワイルドカード・プレーオフではホームでボルチモア・レイブンズに敗れシーズンを終えた。ブレイディはキャリア初のプレーオフ初戦敗退とプレーオフでのホーム敗戦を味わった。

このシーズンはテディ・ブルースキーロドニー・ハリソンなど王朝時代を支えた多くのベテラン選手が引退やトレードなどでチームを去ったこともあり、ペイトリオッツは第4Qでの逆転負けを4度も許すなど勝負強さに欠いた。ブレイディは通したパスの約55.5%がモスとウェルカーの両エースWRに偏っており、特にウェルカーには約33%と大きく依存していた。(レシーバー不足だった2006年は最も高い選手で約18.7%で2007年は約28%)一方サックは16回とキャリアで最も少なかった[65]。ブレイディは多くのベテラン選手が去ったことについて「彼らは特別な選手であり、特別な人物だった。ペイトリオッツのユニフォームを着れば、ペイトリオッツらしいチームプレイができる訳じゃない。コーチ、選手たちが一体となって同じゴールを目指し、努力しているからこそだ。彼らのような選手を失うことは、大きな喪失だった。」と話し[66]、 このシーズンの敗因としてチームとしての自信や信頼、メンタル的な強さの欠如をあげた[67][68]

2010年シーズン

開幕前

このシーズンが2005年にチームと結んだ6年6000万ドルという契約の最終年だったため[69][70]、新契約やシーズン終了後の去就をめぐる様々な憶測がメディアを賑わせた[71][72]。シーズン開幕が間近に迫った現地9月9日2011年シーズンから2014年シーズンまでの4年総額7200万ドル、一年あたりの平均年俸はNFL史上最高額の1800万ドルという大型契約を結んだ[73][74]。またその直後、自動車の運転中に交通事故に遭うが[75]、幸い怪我はなくすぐに練習に復帰した。

レギュラーシーズン

開幕戦ではシンシナティ・ベンガルズと対戦し3TDパスを含むQBレイティング120.9の活躍を見せチームの勝利に貢献した。この勝利でブレイディは開幕戦の通算成績を8勝1敗とし、これは1970年以降のQBではロジャー・ストーバックの8勝0敗に次ぐ記録となった[76]。38-30で勝利した第3週のバッファロー・ビルズ戦では3TDパスQBレイティング142.6を活躍をみせキャリア通算のTDパスを233とし、殿堂入りQBのスティーブ・ヤングを抜いて歴代19位となった[77]。2勝1敗で迎えた第4週のマンデーナイト・フットボールではパス153ヤード1TDにとどまるも、ディフェンスやスペシャルチームの活躍もあり41-14でマイアミ・ドルフィンズに勝利した。この勝利でブレイディは通算成績を100勝31敗とし、NFL史上11人目となるレギュラーシーズン100勝を達成した[78]。また131試合での100勝達成はそれまでの記録であったジョー・モンタナの139試合を抜いてNFL史上最速記録となった[78]。翌週はバイウィークであったがチームはシーズン終了後の去就が注目されていたWRランディー・モスをミネソタ・バイキングスへとトレードし、数日後にかつてペイトリオッツで2度のスーパーボウル制覇に貢献したディオン・ブランチをトレードで獲得した[79]。迎えた第6週では昨シーズンのプレーオフで完敗したボルチモア・レイブンズと対戦した。試合は第4Qでレイブンズに10点のリードを許す苦しい展開となるも、再加入後初となるブランチへのTDパスを決めるなどして同点に追いつき、レイブンズの攻撃から始まったオーバータイムでは両チームあわせて5回のパントを経たのち最後はKスティーブン・ゴストコウスキのFGが決まり23-20で逆転勝利をおさめた。この試合でブレイディはオーバータイムでの成績を通算8勝1敗とし、またキャリア通算のウイニングドライブ数を30回とした[80]

その後2連勝を果たすも第9週でクリーブランド・ブラウンズに敗れ6勝2敗となったが、ここからブレイディとペイトリオッツは快進撃を始める。第10週では同じく6勝2敗のピッツバーグ・スティラーズと敵地ハインツ・フィールドで対戦し、ブレイディは新人TEロブ・グロンコウスキーへ3つのTDパスを決めるなどパス350ヤードQBレイティング117.4の活躍を見せ、チームは39-26で前評判を覆す完勝をおさめた[81]。第10週ではライバルのインディアナポリス・コルツと対戦し、ブレイディは2TDパスを通すなどして第4Qまで31-14と試合を優位に進めると、最後はディフェンスがこの試合3つ目のINTを奪ってコルツの猛追を振り切り31-28で勝利をおさめた。この勝利でブレイディはレギュラーシーズンでのホームゲーム連勝記録を25とし、1995年シーズンから1998年シーズンにかけてブレット・ファーヴが樹立したNFL記録に並んだ[82]。第11週では伝統の感謝祭ゲームでデトロイト・ライオンズを45-24で破り、ブレイディはパス27回中21回成功341ヤード4TDという成績でキャリア2度目となるQBレイティング満点の158.3を記録した。これでブレイディはキャリアでQBレイティング満点を複数回記録したNFL史上6人目の選手となった[83]。試合後にライオンズのセンター(C)ドミニク・ライオーラはブレイディを「まるで外科医のようだ。」と評した[84]

第12週ではペイトリオッツと共に9勝2敗で並んでいたニューヨーク・ジェッツと対戦した。チームは第2週に敵地での同カードで敗れており、地区首位をかけた重要な一戦であったことや共にAFC最高勝率を収めていたことなどからジェッツのHCレックス・ライアン自ら「今季最高のゲームになるだろう。」と話していたが[85]、ペイトリオッツは序盤からジェッツを圧倒し45-3の完勝をおさめた。ディフェンスがジェッツのQBマーク・サンチェスから3つのINTを奪うなどしてジェッツをTDなしに封じたほか、ブレイディはパス29回中21回成功326ヤード4TD(QBレイティング148.9)の活躍を見せた。この試合でブレイディはレギュラーシーズンでのホームゲーム連勝記録を26としNFL新記録を樹立したほか、NFL史上13人目となるキャリア通算250TDパスを記録した[86]。第13週ではシカゴ・ベアーズと対戦し、ブレイディは強風と豪雪の中パス369ヤード2TDの活躍を見せチームは36-7で完勝をおさめプレーオフ進出を決めた[87]。続く第14週のグリーンベイ・パッカーズ戦でも勝利をおさめ、ブレイディは7試合連続で2TD(もしくはそれ以上)インターセプトなしというNFL新記録を樹立した[88]。また自身キャリア二度目となるシーズン30TDパスを達成した。34-3で勝利した第16週のバッファロー・ビルズ戦でもブレイディは3TDパス0INTをマークし自身の記録を8試合連続に更新したほか、第6週のレイブンズ戦で喫して以来パス319回連続インターセプトなしというNFL新記録を樹立した[89]。この勝利でペイトリオッツは2年連続となる地区優勝と2007年シーズン以来となるプレーオフ第1シード獲得を決めた。ブレイディはシーズン最終週のマイアミ・ドルフィンズ戦でも2TDパス0INTを記録しチームも38-7で勝利した。ブレイディはシーズンが16試合制となって以降シーズン全試合で最低1TDパスをマークしたNFL史上6人目のQBとなった[90]。ペイトリオッツはホームゲーム8戦全勝、最後は8連勝を達成しリーグトップの14勝2敗でレギュラーシーズンを終えた。

プレーオフ

AFC第1シードのペイトリオッツはディビジョナル・プレーオフで、ワイルドカードからインディアナポリス・コルツを接戦で破って勝ち上がってきたニューヨーク・ジェッツと対戦した。第12週で大勝していたこともあり試合はペイトリオッツ有利と見られていたが、第1Qのペイトリオッツ最初のドライブでブレイディがレギュラーシーズンと合わせて実に340投ぶりのINTを喫してしまう。その後も5つのサックを浴びるなどジェッツディフェンスに苦しめられ、28-21で2シーズン連続となるプレーオフ初戦敗退を喫した[91]

成績と記録

ブレイディはパス3,900ヤード36TD(4INT)、NFL史上5位となるQBレイティング111.0という成績でレギュラーシーズンを終えた。パス36TD、QBレイティング111.0はリーグトップの成績となった。ブレイディは異なる2つのシーズンで通算QBレイティング110以上を記録したNFL史上初の選手となった[92]。またこのシーズンのINT率0.8%(パス492回中4INT)は NFL史上最も低い数字となったほか[93]、TDパスとINTの比9:1(36TD 4INT)という成績は自身が2007年シーズンに記録した6.25:1(50TD 8INT)を大幅に塗り替えるNFL記録となった[94]。なおシーズンでのTDとINTの比が6:1を上回る成績を記録したプレイヤーはNFL史上ブレイディただ一人である[94]

ブレイディはファン投票でリーグ最多の187万7089票を集め2年連続6回目となるプロボウル選出を果たした[95]。なおスターターとしての選出は2007年シーズン以来自身2度目である。

これらの活躍が評価され、ブレイディは50票中21票を獲得しNFL最優秀攻撃選手に[96]、史上初となる満票でのシーズンMVPに選出された[97][98]。また自身3度目となるオールプロにも満票で選出された[99]

 
指示を出すブレイディ。2009年8月28日ワシントン・レッドスキンズ戦にて

2011年シーズン

前年のドラフトにて指名した二人のタイト・エンド、グロンコウスキーとアーロン・ヘルナンデスを中心とするオフェンスが猛威をふるい、ブレイディはシーズンでパス5,235ヤード・39TDを記録した。チームは喪失ヤードでリーグワースト2位と守備陣が苦戦。本来はWRやスペシャルチームの選手であるジュリアン・エデルマンやマシュー・スレイターをディフェンスに起用するなど苦肉の策をうちながらも、リーグ3位のターンオーバー奪取数とブレイディ率いる攻撃陣(得点数・獲得ヤードでそれぞれリーグ3位・2位)が全体を引っ張る形で13勝3敗の好成績を収め、AFC第1シードでプレイオフに進出した。

プレイオフでは初戦でティム・ティーボーがQBを務めるブロンコスと対戦し、プレイオフ記録タイとなる6つのTDパスを決めるなどして圧勝する。カンファレンス・チャンピオンシップではレイブンズの守備陣に苦戦するも、第4Qに自らのTDランで逆転し、最後はレイブンズのKビリー・カンディフのFGが大きく外れ、自身5度目のスーパーボウル進出を決めた。しかし、この試合でシーズン18TDに加え、TEとして歴代最多となる1,327ヤードを記録するなどの活躍を見せていたグロンコウスキが怪我を負ってしまう。

第46回スーパーボウルでは2007年にパーフェクト・シーズンを阻まれたジャイアンツと再び相対する。ブレイディはこの試合最初のプレーで自殺点を献上してしまうなど、ジャイアンツの守備陣に苦戦を強いられるが、第2Q残り8秒というところでダニー・ウッドヘッドにTDパスを通し逆転、スーパーボウル史上最長となる96ヤードのTDドライブを完結させる。第3QにもヘルナンデスにTDパスを通し、17-9とリードを広げるも、自身スーパーボウル2度目となるインターセプトを喫するなどして追加点を奪えない。試合時間残り4分6秒、敵陣44ヤード地点でブレイディはウェルカーにパスを投げるも、少し高めに浮いたパスをウェルカーはキャッチできず。決まっていればファーストダウン更新で大きく勝利に近づいていたが、次のプレーでもパス不成功に終わり、パントで攻撃権を受け渡すこととなる。ジャイアンツは試合時間残り3分46秒からの攻撃でQBイーライ・マニングがWRマリオ・マニンガムに38ヤードのパスを通す。第42回スーパーボウルでのヘルメットキャッチに続くスーパープレーで勢いづいたジャイアンツはその後もパスを通してペイトリオッツ陣内に侵入。最後は攻撃時間を残すためにジャイアンツにわざとTDを決めさせてブレイディに逆転の望みを託すも、ヘイルメイリー・パスが不成功に終わり、21-17で再びジャイアンツの前に屈することとなった。

2012年シーズン

ブレイディは攻撃の核であるグロンコウスキとヘルナンデスの負傷に苦しめられながらも、34TDに対し8INT、4,827を記録する活躍でプロボウルに選出された。チームは獲得ヤード・得点数で共にリーグトップとなるなど、前年に引き続き攻撃が好調を保った。第6週でシアトル・シーホークスに敗れ、3勝3敗のスロースタートを切るも、以降レギュラーシーズン最後の10試合で9勝を挙げ、12勝4敗の第2シードでプレイオフに進出する。

プレイオフではシード明けの初戦でヒューストン・テキサンズと対戦した。この年、テキサンズとはレギュラーシーズン第14週でも戦っており、当時11勝1敗で大躍進を果たしていた同チームを相手に42-14の大勝を飾っていた。その試合で4つのTDパスを決めていたブレイディは、この試合でも3つのTDパスを決めるなどの活躍を見せた。試合は接戦模様の前半から第3Qにペイトリオッツが一気に14点を追加して突きはなし、41-28で勝利を収めた。これでブレイディはモンタナを抜いて、NFL史上最多となるプレーオフ17勝目を手にした。

カンファレンス・チャンピオンシップでは2季連続でレイブンズと対戦。先のテキサンズ戦で負傷したグロンコウスキを欠いて挑んだこの試合では、ブレイディは54回ものパスを投じたものの、2つのINTを喫するなど、今季で引退を表明していたレイ・ルイス率いる相手守備陣に苦戦した。チームは前半を13-7とリードして折り返すも、後半は得点を奪うことができず、28-13で敗れシーズンを終えた。

2013年シーズン

オフシーズンにチームの看板TEコンビの一人だったヘルナンデスが殺人容疑で逮捕、チームからも放出されるという事件が起こる。また2007年以降、ブレイディのターゲットとして活躍し、チーム歴代最多キャッチ数記録の保持者だったWRウェルカーが、ライバルであるペイトン・マニング率いるブロンコスへ移籍する。グロンコウスキも怪我の為に開幕からの出場が叶わず、チームは06年を思い起こさせるようなレシーバー不足に陥った。

しかしチームは苦戦を交えながらも開幕4連勝を飾ると、第6週のニューオリンズ・セインツ戦では、幾度となく試合終了かと思われるような窮地に達しながら、残り10秒でブレイディが劇的なTDパスを決めて逆転勝利を飾って連敗の危機を脱する。第7週では試合には敗れたもののグロンコウスキが待望の復帰を果たし、第9週では強豪のスティーラーズを相手に55-31の完勝を収める。第12週のデンバー・ブロンコス戦では、前半を0-24の大量ビハインドで折り返すも、後半に28点を連取して一時は逆転する。その後、試合はオーバータイムにもつれるが、最後は移籍したウェルカーが絡んだブロンコス側のミスがターンオーバーに繋がり、ペイトリオッツがFGを決めて大逆転勝利を完結させた。第14週のブラウンズ戦でもチームは苦境を跳ね返す。前半を無得点で折り返すなど攻撃陣が機能しないまま第4QにTDパスを決められ、試合時間残り2分39秒で26-14と逆転が非常に厳しい状態に陥る。ブレイディのこの日初めてのTDパスがWRエデルマンに決まって残り時間は1分1秒。続くキックオフで連続攻撃権奪取を目指したオンサイドキックに成功すると、最後は残り31秒でWRダニー・アメンドーラへの逆転TDパスを通し、今シーズンの象徴ともいえる劇的な逆転勝利を手にした。しかしこの試合でグロンコウスキが膝にタックルを受けて大けがを負ってしまい、シーズン絶望となってしまった。

チームはレギュラーシーズンを12勝4敗で終え、2年連続となる第2シードでのプレイオフ進出を果たした。ブレイディはグロンコウスキの怪我も相まってレシーバー不足に悩まされたが、09年にドラフト7巡指名で加入後、ウェルカーの陰に隠れて燻っていたWRエデルマンがキャリア最高となるシーズンを過ごし、ウェルカーの穴を埋めた。ブレイディは25TDパスに4,343ヤードと近年の数字から個人成績を大きく下げたが、それでも自身9回目となるプロボウルに選出された。

プレーオフではシード明けの初戦でアンドリュー・ラック率いるコルツを43-22で寄せ付けず完勝。チームはランで234ヤード・6TDを記録するなど、地上戦でコルツを圧倒した。3季連続での進出となったカンファレンス・チャンピオンシップでは、長年のライバルであるペイトン・マニングと06年以来となるプレーオフでの決戦となるが、このシーズンに07年のペイトリオッツ並びにブレイディの記録を塗り替えるなど屈指の攻撃力とタレント力を誇ったブロンコスの前に第4QまでTDを奪えず、最終的には26-13で敗れた。

このシーズン、ブレイディはチームに多くの劇的な勝利をもたらしたが、一方でタレント不足だけでなく、自身のパフォーマンスも下降している傾向にあることを一部メディアから指摘された。プロ・フットボール・フォーカスのサム・モンソンは、ブレイディの2011年をピークとした成績の下降をとりあげ、「ブレイディはもうトップ5にはいるQBではない」との記事を発表し、大きな反響をもたらした[100]

半年後、彼はそれが間違いであったことを認めることとなる。

2014年シーズン

レギュラーシーズン

チームはオフシーズンに長年の功労者でプロボウルの常連でもあったLGローガン・マンキンスをトレードで放出し、TEティム・ライトを獲得する。ブレイクを果たしたエデルマンと再契約を果たし、タレント不足だったレシーバー陣にはフリーエージェントだったブランドン・ラフェルを獲得した。また守備ではチームNo.1のコーナーバックだったアキーブ・タリブとの再契約に失敗すると(タリブはブロンコスに移籍)、同日にリーグ屈指のシャットダウンCBであるダレル・リーヴィスを獲得した。

しかし開幕戦でチームは同地区のドルフィンズに20-33で敗れ、これは2003年以来となる開幕戦での敗戦となった。その後はバイキングスとレイダースに連勝するも、ブレイディの苦戦は顕著だった。開幕3試合全てでパス獲得ヤードは250ヤード未満、TDパスは各試合で一つずつのみだった。この間、ブレイディは7度のサックを受けた。そして迎えた第4週のカンザスシティ・チーフス戦で、チームは41-14の大敗を喫する。ブレイディはパス159ヤード・1タッチダウンに抑え込まれ、さらに各2つのインターセプトとサックを献上した。うち一つのINTはリターンTDだった。ブレイディは第4Qに控えQBのジミー・ガラポロと変わってベンチに退いた。全米放送のマンデーナイト・ゲームで喫したこの大敗に、多くのメディアはペイトリオッツのシーズン並びに長年にわたる王朝は終わりを迎えたと報じた。その中心だったヘッドコーチのベリチックとQBブレイディへのバッシングも激しく、様々な解説者たちが痛烈な批判を繰り返した[101]

HCのビル・ベリチックは、結果的にこの試合のハーフタイムが、チーム4度目のスーパーボウル制覇を成し遂げることになるシーズンの転換期であったと、のちに回顧している。敗戦に関して悲観的な見方が多かった中、ベリチックはチームに「良い兆候を見た」と話し、「我々は全60分間を戦い、必死にプレイしようとしたんだ、もう勝てるチャンスが全くなかった試合終盤においてもね。私はそれが良い兆候だと思ったよ。良いプレイをしたからではない、しかし必死にプレイしたことに対してね。」と続けた[102]

試合後の会見でベリチックは記者から、QBのポジションも再評価しなおすかと尋ねられた。試合を引き継いだガラポロが好パフォーマンスを見せたからであったが、ベリチックは鼻で笑って答えなかった。後日の会見では記者陣からしつこく敗戦について質問されるが、のちに有名になる"We are on to Cincinnati"「我々はシンシナティ(翌週の対戦相手であるベンガルズのこと)に向かっている」というフレーズを13回も繰り返し、ブレイディに関する批判も煙に巻いた[103]。迎えた第5週、チームは開幕から3連勝と波に乗るベンガルズと対戦する。この試合でペイトリオッツは終始ベンガルズを圧倒し、43-17で完勝を収めた。ブレイディはパス292ヤードと2つのTDパスで攻撃陣を引っ張った。この試合でブレイディは、リーグ史上6人目となる通算パス50,000ヤード獲得を達成した。試合後、この日レシーブ100ヤードと1TDパスキャッチを決めたグロンコウスキは「俺たちはトム・ブレイディをトム・ブレイディにしてやったのさ、君たちが1週間にわたって彼を批判しつくした後に・・・ファンも、何もかもをね。最高の気分だよ」と語った[104]

この試合を機に、ブレイディとペイトリオッツは勝利を積み重ね、第13週でパッカーズに敗れるまで7連勝を果たした。この間のチームの平均得点は37.25点だった。第9週でライバルのペイトン・マニング率いるブロンコスを全く寄せ付けない完勝を収めたあと、前述のように「ブレイディはトップ5のQBではない」との記事をシーズン前に発表していたサム・モンソンは「ブレイディはトップ5のQBではない。No.1だ」として、いかにブレイディのパフォーマンスが劇的に変化したかの解説記事を掲載した。同氏は過去数シーズンにわたっての下降傾向を、シーズン第5週から大きく覆している点を指摘。特にロングパスの精度、プレッシャーを受けた時のパスの正確性が格段に向上しているとした[105]。このように、シーズン初期の不調から脱却したブレイディとペイトリオッツは、12勝4敗で地区優勝ならびに第1シードでのプレイオフ進出を決めた。ブレイディはパス4,109ヤード33TDの成績でプロボウルに選出された。

ポストシーズン

シード明けのディヴィジョナル・プレーオフでは近年のプレーオフで雌雄を争ってきたボルチモア・レイブンズと対戦。第1Qと第3Qの2度にわたって14点差をつけられる苦しい試合展開だったが、通常5人のOLを4人にするトリッキーなフォーメーションやWRジュリアン・エデルマンを使ったトリックプレーが功を奏し追いつくと、試合時間残り5分21秒でWRブランドン・ラフェルへのTDパスが決まり、この試合初めてのリードを奪う。その後のレイブンズの攻撃をしのぎ切り、4年連続となるカンファレンス王座決定戦への進出を決めた。試合後、レイブンズのヘッドコーチであるジム・ハーボーはペイトリオッツのトリッキーなフォーメーションを批判したが、ルールにのっとったものであり、他のチームも既に導入していたプレーであった[106]

AFCチャンピオンシップゲームでは、長年のライバルであるコルツと相対する。昨年のプレーオフ、そして今シーズンのレギュラーシーズンでもペイトリオッツは地上戦でコルツを圧倒しており、この試合でもRBリギャレット・ブラントがラン143ヤードと3TDを記録した。守備陣も3つのターンオーバーを奪うなどしてQBアンドリュー・ラック率いるコルツ攻撃陣を封じ込め、45-7で圧勝を収めた。ブレイディは史上最多となる6度目のカンファレンス制覇並びにスーパーボウル出場を決めた。この試合が後述する、ボールに関する空気圧不正問題、通称"Deflategate"(デフレートゲート)の始まりとなった。

第49回スーパーボウルでは、連覇を狙う昨年の王者シアトル・シーホークスと対戦。空気圧問題が大きく取り沙汰され、試合前はHCベリチックと共にブレイディもメディア対応に追われたが、ブレイディは2度のインターセプトと第4Qの10点差のビハインドを跳ね返し、自身通算4度目のスーパーボウル戴冠を果たした。チームは試合時間のこり2分少々というところで28-24でリードを奪うも、シーホークスのWRジャーメイン・カースに過去2回のスーパーボウル敗戦を思い起こさせるような奇跡的なキャッチを許すなどして自陣1ヤードまで攻め込まれる。しかし最後は無名のドラフト外新人CBだったマルコム・バトラーが値千金のインターセプトを奪い、スーパーボウル史上に残る激戦に終止符を打った。この試合でブレイディはスーパーボウル記録となる37回のパス成功、328ヤードと4つのTDを記録した。特に第4Qはパス15回中13回成功、124ヤード2TD、QBレイティング140.7と圧巻のパフォーマンスで、爆音軍団の異名で知られるリーグ屈指の守備陣を攻略した。この活躍が評価され、自身3度目のスーパーボウルMVPを獲得した。同大会の勝利数・獲得MVP数はモンタナに並ぶ史上1位タイとなった。MVPの商品としてシボレーの真っ赤のトラックを手にしたが、この試合のヒーローであるバトラーに譲っている[107]

2015年シーズン

自身二度目のリーグ連覇を目指した15年シーズンは、当初は後述のデフレートゲートによって4試合の出場停止処分がリーグから科されていたが、ブレイディ並びにNFL選手協会はこれを不服として連邦地方裁判所に訴えを起こす。担当したリチャード・バーマン判事はリーグの処分を無効としたことで、ブレイディの開幕出場が決まった。なお、開幕戦では試合前に昨年のリーグ制覇を祝ってのセレモニーが行われ、通例通りにチームの優勝バナーが掲げられたが、もしブレイディの出場停止処分が執行されていた場合、チームはブレイディの背番号が入ったバナーを代わりに掲げる予定であった[108]

その開幕戦ではピッツバーグ・スティーラーズを相手に終始リードする展開で試合を優位に進め、28-21で勝利を収めた。ブレイディはグロンコウスキへの3つのTDパスを含む計4つのTDパスを決め、チームの勝利に貢献した。その後もペイトリオッツは昨年からの好調を維持し、第10週には因縁の相手であるニューヨーク・ジャイアンツから07年のレギュラーシーズン以来となる勝利を奪うなど、翌週の第11週まで開幕10連勝を果たした。しかしながらそのジャイアンツ戦でブレイディのメインターゲットであるエデルマンが負傷すると、第12週のブロンコス戦ではグロンコウスキが試合中に負傷する。二人ともシーズン中に復帰することができたものの、第9週にもこの年のサプライズ的活躍を見せていたRBディオン・ルイスがシーズン絶望の負傷をおっており、シーズン前半の立役者を一気に欠いたペイトリオッツは、最後の6試合で2勝しか挙げることができなかった。ブレイディは主力選手を欠いた後半は苦戦したものの、パスで4,770ヤード36TD(INTはわずか7)の成績をおさめてチームを牽引し、自身13度目の地区優勝を手にした。また、7季連続11回目のプロボウルにも選出された。

プレーオフでは2014年シーズンの第4週で大敗を喫したカンザスシティ・チーフスと対戦し、第3Qまでにグロンコウスキへの2つのTDパスと自身のランによるTDを決め、終始ゲームを優位に進める。試合の大勢が決した第4Q残り1分13秒でチーフスにTDを許したものの、盤石の試合運びで27-20の勝利を収めた。この結果、ブレイディは5季連続・通算10回目となるカンファレンス王座決定戦にコマを進めた。自身が先発QBでなかった2000年と怪我でシーズンを棒に振った08年を除けば、キャリア14シーズンで10回タイトルゲームに進出していることとなる(02年はプレイオフを逃しているほか、05・10年はディヴィジョナル・プレーオフ、09年はワイルドカード・プレーオフで敗退している)。そのカンファレンス・チャンピオンシップでは、ペイトン・マニング率いるデンバー・ブロンコスと相対する。ペイトリオッツは守備陣が、このシーズンわずか9TDパスに対し17INTを喫するなど大不調だったマニングとブロンコスの攻撃陣を相手に奮闘するが、逆にブレイディ率いるオフェンス陣もブロンコスの鉄壁パス・ディフェンス陣とボン・ミラーを筆頭とする激しいパスラッシュに苦しめられる。この試合でブレイディは23度のヒットをブロンコス守備陣から受けたが、これは自身が受けた過去最高の記録を11回も上回る回数だった[109]。試合は8点差を追うペイトリオッツが試合時間残り12秒でブレイディからグロンコウスキーへのTDパスが通るも、2ポイント・コンバージョンが失敗に終わり、2年連続でのスーパーボウル進出はならなかった。ペイトリオッツは第1Qに決めたTDの後、キッカーのスティーブン・ゴストコウスキが自身523回連続で成功していたエクストラポイントのキックを外してしまっており、最終的にはそれが大きく響いた形となった[110]

ブレイディは再三のパスラッシュに苦しめられながらも、パス310ヤード1TDを獲得し、試合終盤には同点まであと一歩というところまでチームを導いた。しかしながら、4つのサックと2つのINTを喫するなど、試合を通してリズムに乗り切ることができなかった。この試合後、チームは2シーズンに渡ってオフェンスラインのコーチを務めたデイブ・デガグリールモを解雇した[111]。この試合に勝利したブロンコスは、第50回スーパーボウルでもQBキャム・ニュートン率いるカロライナ・パンサーズを鉄壁ディフェンスで攻略し、フランチャイズ史上3度目のリーグ制覇を成し遂げた。この試合を最後に、10年以上にわたってブレイディと名勝負を繰り広げてきたQBペイトン・マニングは引退を表明した。なお、選手としての出場は叶わなかった同年のスーパーボウルだが、第50回という節目の大会とあって、試合前に歴代の同大会MVPが集まるセレモニーが行われ、ブレイディもこれに参加した。しかしながらデフレートゲートの影響に加え、対戦カードが近年のライバルであるブロンコスと自身が第38回スーパーボウルで退けているパンサーズの一戦ということもあってか、会場はブレイディの故郷ともいえるサンフランシスコであるにも関わらず大ブーイングで埋め尽くされた[112]。これに対し、第42回スーパーボウルでペイトリオッツを破る原動力となったマイケル・ストレイハンは自身のツイッターにて、「みんなブレイディにブーイングするのが好きだけど、でも秘かに彼が自分のチームのQBだったらと願ってるんだ!もし周りが成功を妬んで君を憎んでいるなら、君は正しいことをしてるんだよ!」と呟いた[113]

2016年シーズン

リーグが控訴していたデフレートゲート問題で、裁判所はリーグの処分を認めブレイディの無実を退ける判決を下した。選手会はこの判決を不服としたものの、ブレイディ本人が判決を受け入れたことによって開幕4試合の出場停止が決定した。5試合目から出場して、チームはカンファレンス1位となり、2年ぶりとなるスーパーボウル進出を果たした。第51回スーパーボウルでは、5つのサックと1INTを喫したものの、後半から驚異的な追い上げを見せ、最大で25点あった点差(4Q開始時点で19点差)を見事にひっくり返し、劇的な逆転劇を完成させた。チーム及びブレイディは5度目の制覇を成し遂げ、スーパーボウル史上最大点差逆転勝利となった。ブレイディはスーパーボウル新記録となる466パッシング・ヤードを投げた。さらに、1試合43回パス成功(62回中)・通算207回パス成功を達成し、自身の保持するスーパーボウル記録を塗り替え、歴代最多となる4度目のMVPを手中に収めた。[114]

特徴

選手としての特徴

プレースタイル

試合では天気や時間帯に関係なく必ず目の下に黒いペイントをしている。スナップを受けてからパスを投げるまで体を上下に小刻みに動かしてリズムをとるのが特徴的で、2010年3月にはトレーニングの一環としてボクシングを取り入れ話題となった[115]。チャーリー・ワイスOC時代はRBのランとプレー・アクション・パスを多用し(New England Patriots strategy)、2007年シーズンはジョシュ・マクダニエルズOCのもとでスプレッド・オフェンスを展開した[116]。ポケット・パサーの中でも足はかなり遅い方であり、コンバインでの40ヤード走のタイムは5秒24である[8][117]。実質の1年目である2001年はサックされることも多かったが、相手ディフェンスのプレッシャーを巧みなステップで避けることができ、ブリッツへの対応も優れている[118][119][120]。一方で、外側からのプレッシャーは得意としているが中央からのプレッシャーを苦手としている[121]

ランディ・モスの在籍時にはロングパスのイメージも強かったが、近年は素早く短いパスやプレー・アクション・パスを得意としており、2010年シーズンはプレー・アクションからのパスで12TDでINTなし、パス成功率70.7%、QBレイティング136.5という驚異的な数字を残した[122]。2011年以降は2.5秒以内にパスを投げる割合が高くなっており[123]、また2014年にはパス全体の58.3%が1~10ヤードのパスで、これはこの年のQBで最も高い数字であった[124]。このように短かいパスを細かく繋ぐオフェンスを得意としているが[125]、チームは対戦相手によって攻め方をかえるゲームプラン・オフェンスを採用しており[126]、ブレイディの選手としての特徴や傾向に関しても、キャリア・シーズンを通して決して一様ではない[127]

クラッチQB

キャリアで39回のフォース・クォーター・カムバック(4Qでの逆転劇)、50回のゲーム・ウイニング・ドライブを決めるなど、2ミニッツ・オフェンスを得意としており[128]、加えてプレーオフではNFL記録となる10連勝を達成するなど通算25勝9敗(プレーオフ出場試合数、勝利数ともに歴代最多)、さらにスーパーボウルを含むポストシーズン10試合でウイニングドライブを決め、7度のスーパーボウル出場と5度の制覇、そして4度スーパーボウルMVPを獲得するなど、難しい局面や大舞台での活躍には特筆すべきものがあり、しばしばNFL史上もっとも勝負強いQB(クラッチQB)の一人としてあげられる[129][130]。なおブレイディは、制覇した5度のスーパーボウル全てで、4Q以降に試合の勝敗を決めるウイニングドライブでチームを優勝に導いている。

性格

ブレイディはしばしば自身のことを「感情的な人間だ」と表現している[131]。時には試合中に感情を大きく表現することがあり、それが元で他チームの選手と揉めたり口撃されることもある[132][133]。チームに近いメディア関係者やチームメイトはブレイディのことを「非常に負けず嫌いである」と語っている[134]。また同僚のLTマット・ライトによれば、ブレイディはいたずら好きでいじめっ子なところがあるらしい[134]

特筆

既述のように、NFLのQB史上最多となる7度のスーパーボウル進出、5度の制覇と4度のスーパーボウルMVPを獲得している。また14度の地区優勝も歴代QB史上最多であり、2001年シーズンにスターターQBに定着して以降すべてのシーズンで勝ち越し、キャリア17シーズン中14シーズンでプレーオフに進出している(先発でなかった00年と開幕戦でシーズン絶望となった08年を除けば、実質プレーオフを逃したのは02年の一回のみ)。11度のカンファレンス・チャンピオンシップ進出は、2016年シーズン終了時点でNFLに所属する32チーム中27チームを上回る回数であり、選手としてNFL史上最多である[135]。このため、スーパーボウルやプレーオフに関する様々な記録を保持している。

ブレイディはNFLがスーパーボウル時代(1966年以降)に突入して以降、最も高い勝率を記録しているQBである[30]。なおそれ以前を含めると最も高い勝率を記録しているQBは1946年から1955年にクリーブランド・ブラウンズで活躍したオットー・グレアム(キャリアでの勝率が80%に達しているNFL史上唯一のQB。通算57勝13敗1分け。)のみである。またブレイディはNFL史上最もインターセプトを喫する割合が低いQBの一人である。2016年シーズン終了時でのブレイディのINT率(全INT数を全パス試投数で割ったもの)は1.8%であり、これはアーロン・ロジャースに次いで史上2位の低さである[136]

ライバル

ペイトン・マニング

コルツとブロンコスで活躍し、NFL史上最高のQBの一人として評価を受けるQBペイトン・マニングとのライバル関係は、2000年代のNFLの盛り上げに大役を買った[137]。両者は互いの連勝記録やシーズンTDパス記録などのNFL記録を塗り替えあい、プレーオフでの5試合を含む計17試合で対戦した。両者の通算成績はブレイディの11勝6敗で、2001年の初対戦から2004年シーズンまで5連勝を収めた。その後はマニングが3連勝を飾るなど巻き返し、最後の10試合では両者互角の5勝5敗だった。2007年シーズンにブレイディが敵地で勝利を収めて以降は、全試合でホームチームが勝利している。プレーオフでの5試合では、マニングが3勝2敗で勝ち越している。

前述ではあるが、ブレイディのプロ初先発試合はマニング率いるコルツとの対戦で、44-13で勝利を収めた。マニングは現役最後となる2015シーズンのカンファレンス・チャンピオンシップでブレイディ率いるペイトリオッツを破りスーパーボウルへと駒を進めると、同大会ではパンサーズを退け、その輝かしいキャリアをリーグ制覇で締めくくった。

2000年代に入ってから多くの名勝負を繰り広げてきたペイトリオッツとコルツ、そしてブレイディとマニングは、NFL史上に残るライバル関係として評価されている[138][139]

AFC東地区

ペイトリオッツと同じくAFC東地区に所属するニューヨーク・ジェッツは、ニューヨークボストンという都市関係もあり、チームにとっては永遠のライバルである。ブレイディ自身も2010年8月には"I hate the Jets"「ジェッツは嫌いだ」と明言した[140]。なお、2016年シーズン終了時点での対AFC東地区の戦績は、ブレイディが71勝19敗で大きく勝ち越している(全てレギュラーシーズンのみ。2001年まで同地区だったコルツとの2試合を含む。なお2試合ともペイトリオッツが勝利している)[141]

インディアナポリス・コルツ

前述のマニングとのライバル関係もあり、2000年代のプレーオフ常連チーム同士として幾多の名勝負を繰り広げた。2001年を最後に別地区へと再編されたにも関わらず、2003年から2012年まで10季連続で顔を合わせた。マニングのブロンコス移籍後は、2012年ドラフトの全体一位指名であるQBアンドリュー・ラックがコルツを引き継ぎ、プレーオフでも2度対戦したが、2015年シーズン終了時点でブレイディはラック率いるコルツに全勝している。後述するデフレートゲートの始まりが2014年のコルツとの一戦であった為、両者の因縁はより深まった。ペイトリオッツのオーナーであるロバート・クラフトは、往年の名選手であるウィリー・マクギネストのチーム殿堂入り記念式典にて、「コルツの背に敗北という名の鞍を置くことほど満足なことはない」(コルツ=子馬たち、というチーム名を揶揄している)として痛烈な皮肉を浴びせるなど、マニングの移籍後もそのライバル関係は続いている[142]

デンバー・ブロンコス

デンバー・ブロンコスはブレイディが通算6勝9敗と最も苦手としているチームであり[143]、自身が負け越している唯一のチームでもある[141]。特にブロンコスのホームであるマイル・ハイでは通算2勝7敗(同所でのプレーオフでは0勝3敗)と大きく負け越している[143]。2012年に好敵手マニングがブロンコスに移籍して以降、選手獲得戦線も含めて同チームとのライバル関係に拍車がかかり[144]、カンファレス・チャンピオンシップでも2度タイトルを争った。

評価

フットボール選手として

2010年にNFLネットワークで放送、発表された「最も偉大な100人のNFLプレーヤー」"The Top 100: NFL's Greatest Players"にて第21位に選出された[145]。発表時の現役選手としては第20位のブレット・ファーブに次いで4番目に高い順位で、歴代QBとしては7番目に高い順位であった。プレゼンターはMLBニューヨーク・ヤンキースのキャプテンで5度のワールドシリーズ制覇の経験を持つデレク・ジーターが務め、「勝者、チャンピオン、それは彼の名前を耳にしたときに真っ先に思い浮かぶことだ。」と話し、ブレイディの勝者としてのメンタリティを高く評価した[146]

2011年には同じくNFLネットワークが、2011年現在で現役最高のフットボール選手は誰かを問う"NFL Top 100 Players of 2011"を発表し、現役選手達による投票の結果ブレイディはペイトン・マニングを抑え第1位に選出された[147]。プレゼンターはボルチモア・レイブンズのLBレイ・ルイスとニューヨーク・ジェッツのCBダレル・リーヴィスが務め、ルイスは「トム・ブレイディがナンバー1。全くもって異論はないよ。」と話し、ブレイディの情熱やフットボールの知識を高く評価した。またリービスは「彼は勝者だ。だから選手たちはブレイディに投票したんだと思う。強いハートを持ち、負けず嫌いだ。年に2回彼と対戦するが、彼の目にはいつも勝利への執念が宿っているよ。彼は戦士だ。」と語り、またブレイディのパサーとしての高い技術を称賛した[148]

スポーツ・イラストレイテッドが発表した"Best NFL Player by Jersey Number"ではテリー・ブラッドショー、ジョー・ネイマス、ジム・ケリー、ケン・ステイブラー、ロジャー・ストーバックなど数多くの殿堂入り選手を抑えて「最高の背番号12」に選ばれた[149]NFLトップ10では「トップ10ドラフト・スティール」で第1位に選出され[8]、「トップ10クラッチQB」では現役選手では最高位となる第3位に選ばれた[129]

2000年代での活躍への評価

2009年の12月にAP通信が発表した「アスリート・オブ・ザ・ディケイド」では、ゴルフタイガー・ウッズテニスロジャー・フェデラーなど個人スポーツの選手に多くの票が集まるなか、北米4大プロスポーツリーグの選手としては最多得票となる6票を獲得して第4位に選ばれた[150]。また2009年12月にスポーツ・イラストレイテッドが発表した「2000年代男性アスリート トップ20」でも4大スポーツリーグの選手としては最高位の6位に選出された[151]

2010年にNFL殿堂からNFL 2000年代オール・ディケイド・チームのファーストチームに選ばれた[2]。またUSA TODAYのNFLオール・ディケイド・チームにも僅差でマニングを退け選出されている[152][153]。スポーツ・イラストレイテッドのピーター・キングはNFLオール・ディケイド・チームのQB、プレイヤー・オブ・ザ・ディケイドの双方にマニングを選出したが[154][155]、「非常に難しい選択で、ブレイディとマニング双方が選出されるにふさわしい。」と記した[154]。同氏は「00年代最高のライバル」においてチーム部門ではコルツとペイトリオッツを、個人部門ではブレイディとマニングを選出し、また「00年代最高のドラフト・スティール」にはブレイディをあげた[156]。NFLネットワークは"Top 10 players of the decade"でブレイディを第1位に選出した[157]NFLフィルムズ"Players of the decade"でブレイディとマニングの両QBを高く評価し、「もしかしたら、NFL史上最高の2人かもしれない。」と評した[137]。スポーツ・イラストレイテッドのジェイ・クレモンズは「2000年代トップ10パフォーマンス」で2007年度のブレイディを第1位に選出した[158]。同じくスポーツ・イラストレイテッドのドン・バンクスは「00年代最高のドラフト・スティール」にブレイディを選出し、「おそらく全ての年代を考慮しても彼がナンバー1だろう」と評価した[159]

その他

最も美しい顔の男性版である「最もハンサムな顔」の100人に度々選ばれるなど[160][161]、端正なルックスでも人気を誇り、ファッション誌などの表紙を飾ることもある[162]。2002年にはPeople誌から「世界で最も美しい50人」"50 Most Beautiful People"の一人に選出された[12][163]。USA TODAYからは「最も紳士的な服装が似合う男性」に選ばれており[164]、また何度か表紙を飾ったこともあるGQ誌からは「世界で最もスタイリッシュな男性25人」や[165]、「過去50年で最もスタイリッシュな男性50人」に選ばれている[166]フォーブス誌の「セレブリティ100」にも度々ランキング入りしている[167][168]。またブレイディと妻でモデルのジゼル・ブンチェンはアメリカで最もホットなカップルのうち一組と言われている[169]。2011年にはフォーブス誌が、ブレイディとブンチェンはジェイ・Zビヨンセブラッド・ピットアンジェリーナ・ジョリーらを抑え、世界で最も裕福なセレブリティ・カップルであると報じ、二人の収入は2010年5月から翌年の同月までで、計7600万ドルだったという[170]

フットボール以外での活動

広告塔として

長らくナイキと契約していたが、2010年にアンダーアーマーと契約し、同社への投資やCM出演など、広告塔の一人として活動している[171]。2015年に同ブランドが立ち上げた"Rule Yourself"(自分を支配する)というキャンペーンで、ブレイディは「199」と書かれたシャツを着てCMに出演した。このCMが大きな反響を得たため、アンダーアーマーはこのデザインのシャツを販売するが、瞬く間に売り切れた[172]。もちろん、199という数字はブレイディのドラフト順位を意味している。また同年にUGGオーストラリアのメンズ商品の製品開発アドバイザー兼広告塔としても契約し、2011年の秋モデルから本格的に活動を始めている[173][174][175]。その他、時計ブランドのタグ・ホイヤーの宣伝大使や[176]、米シモンズ (寝具企業)の"Beautyrest Black"というブランドとも提携し、同ブランドのCMに出演している[177]。過去にはStetsonの男性用コロンCMに出演していた[178]

俳優として

ドラマ映画にも度々ゲストとして出演しており、2009年にはアントラージュ★オレたちのハリウッドで本人役を演じている[179][180]。『ふたりにクギづけ』ではコンピューター・オタク役で元チームメイトのロイヤー・ミロイと共にカメオ出演してスクリーン・デビューを果たすと[12][180]、TVアニメ『ザ・シンプソンズ』、映画『テッド2』にも本人役でカメオ出演している[180][181]。2005年にはサタデー・ナイト・ライブで司会を務めた[180]。フットボールから引退後は俳優業に進みたいと考えているらしい[180]

政治とのかかわり

2004年1月、スーパーボウルが迫る中、ブレイディはジョージ・W・ブッシュ大統領の一般教書演説に招待され出席した[12]。ペイトリオッツのホームであるマサチューセッツは、同州選出の上院議員だったジョン・ケリーを支持していた為、大きな話題となった[182][183]。なおブレイディは個人的な政治的意見を公にはしていないが、2004年のインタビューでは、上院議員になることは自身の「最もクレイジーな野望」であると語ったことがある[183][184]ドナルド・トランプとは長年の友人であり、政界に進出した同氏について「彼が大統領になったら素晴らしい」とコメントしたことが大きな話題となったが、本人は「あくまで友人として応援しているだけ」というスタンスを崩していない[185]。トランプはマサチューセッツ州での勝利をブレイディのサポートのおかげだと話すなど[186]、度々演説にてブレイディの名をだしている(レイブンズの本拠地であるメリーランドでの選挙演説では、「私たちはトム・ブレイディを愛している、そうだろ?」と話すも、レイブンズファンで埋め尽くされた聴衆からは大きなブーイングを浴びた)[187]。ブレイディは同氏を公に支持しているわけではなく、トランプもブレイディの置かれている状況を理解して、自分を応援しないように伝えている[188]

私生活

ブレイディはNFLのスーパースターとなってからハリウッド女優のブリジット・モイナハンと2004年から2006年までの3年間にわたり恋人関係を続けたが2006年12月に2人は別れた[163]。しかしモイナハンは翌年2月にブレイディの子供を妊娠したことを明かし、8月に男の子(John Edward Thomas Moynahanと名付けられた)を出産した[189][190][191]。一方ブレイディはスーパーモデルのジゼル・ブンチェンと交際を続け、2009年2月に挙式した[192]。同年12月9日には男児(ブレイディにとって2人目の子供でジゼルは初産)が誕生し 、ベンジャミン(Benjamin Rein Brady) と名付けられた[193][194]。2012年には女児が誕生し、ビビアン(Vivian Lake Brady)と名付けられた[195]

現在、ロサンゼルスのブレントウッドに、2000万ドルと20ヶ月をかけて建てた豪邸に住んでいる[196]。また、1400万ドルでマンハッタンにあるタワー・マンションの一室を購入したほか、ロサンゼルスのものと同じような構造の家をボストンに建設中である[197]

ブレイディは4人兄弟の末っ子であり、姉が3人いる[198]、2012年にその1人のジュリーが野球選手のケビン・ユーキリスと結婚している[199]

ニューヨーク・ヤンキースアレックス・ロドリゲスデレク・ジーターと親交があり、ブレイディがヤンキースの帽子をかぶったことでボストンを騒がせたこともある[200]。サッカー選手のデイビッド・ベッカムとも親交がある[201]

ボストン・レッドソックスデイビッド・オルティズとは、年が近く、お互いボストンをベースとするチームで長年活躍してきたこともあり、尊敬しあう関係にある[202][203]。ボクサーのフロイド・メイウェザーとはフェイスタイムで会話し、「世紀の一戦」といわれたマニー・パッキャオとの試合に向けてエールを送った[204]。ブレイディは同試合を特等席で観戦している[205]。サッカー選手のカスパー・シュマイケルはペイトリオッツとブレイディの大ファンであり、それを聞いたブレイディは、優勝争いを繰り広げるレスター・シティとシュマイケルに応援のメッセージを送った[206]。シュマイケルはTwitterで、「なんてこった。僕にとって最高のQBであり、最大のアイドルの一人からこれを受け取るなんて、信じられないよ。」という言葉とブレイディの応援メッセージの動画をあわせて投稿し、感謝の念を表した[206]。その他にもテニス選手のセリーナ・ウィリアムズ[207]、俳優のマット・デイモンマーク・ウォルバーグベン・アフレックなど、ブレイディのファンを公言し、親交のあるセレブリティは数多い[208]

デフレートゲートと出場停止処分をめぐって

概要と経過

2015年1月18日に行われたAFCチャンピオンシップゲームで、ペイトリオッツが大量得点差(45-7)でコルツに勝利した際、ペイトリオッツ側が空気圧の低いボールを使ったという疑惑が報道された[209]。同月20日、ペイトリオッツが使用した11球すべてのボールが、リーグが規定した空気圧の下限値を下回っていたことが発覚した[209]。同月22日、HCビル・ベリチックとブレイデイが会見を開き、ブレイディは「ルールを破るようなことは何一つしていない」として、意図的な不正を真っ向から否定した[209]。同日、リーグは2013年にドルフィンズの「いじめ事件」でも捜査を依頼した、弁護士のテッド・ウェルズがデフレートゲートの捜査にあたることを発表した[209]。その後、ベリチックは再び会見を開き、チームが試合前のボールの準備を再現したところ、空気圧に一定の変化が記録されたことを説明した[210]。オーナーであるロバート・クラフトは、捜査が不正を証明することが出来なければ、リーグによる謝罪を求めると話し、ブレイディのサポートを表明した[209]

同年5月6日、リーグは調査結果を公表した。計234ページに及ぶ報告書(通称ウェルズ・レポート)は、「ジム・マクナリーとジョン・ジャストレムスキー(ペイトリオッツのローカールーム係と用具アシスタント)が、審判による検査の後で、ボールの空気圧を低下させる意図的な工作に参加したことは、全くないというよりは確かなようだ。」("it is more probable than not that Jim McNally and John Jastremski participated in a deliberate effort to release air from Patriots game balls after the balls were examined by the referee."とし、「またブレイディが、少なくとも、マクナリーとジャストレムスキーがボールの空気減圧に関する不適切な行動をおおよそ把握していたであろうことは、全くないというよりは確かなようだ。」("more probable than not that Tom Brady was at least generally aware of the inappropriate activities of McNally and Jastremski involving the release of air from Patriots game balls.")と結論付けた[209]。これを受け、リーグはブレイディに4試合の無給での出場停止を言い渡した。また、チームには100万ドルの罰金と2016年の1巡・2017年の4巡ドラフト指名権の剥奪という処分を下した。同月14日、ペイトリオッツは「ウェルズ・レポートが出した結論は、最もよく言って、不完全で不正確で内容にかけている。」と痛烈に批判し、NFL選手会も同日にリーグに抗議した[209]

同年6月23日、リーグとブレイディは10時間に及ぶ聴聞を実施し、その後28日に出場停止処分の確定を発表した。コミッショナーのロジャー・グッデルは、ブレイディが使用していた携帯電話を破壊していたことに言及した[209]。事案は法廷へと持ち込まれ、3度の口頭弁論の末に迎えた9月3日、ニューヨーク南地区・合衆国地方裁判所リチャード・バーマン判事は、リーグに出場停止処分の撤回を命じた[209]。リーグは同日に上訴した。処分が確定するまでの間、ブレイディは試合に出場できることとなった。2016年3月3日、合衆国第2巡管区控訴裁判所で口頭弁論が開かれ、判事は主にブレイディ側の弁護士に鋭い質問を投げかけた[209]。同年の4月25日、3人の判事による2対1の判決により、控訴裁は地方裁判所の判決を覆した[209]。 同年5月23日、ブレイディ側の弁護士は再審理の請願をまとめたが、控訴裁は7月13日にこれを退け、残る手段は最高裁への控訴のみとなった。

2016年7月15日、ブレイディは自身のフェイスブックにて、処分を受け入れることを発表した[209]。後に、この決断は「個人的な判断」であると述べ、「もう次へ進もうとした」と話している[211]

双方の主張

リーグ側

前述のように、ウェルズ・レポートでは、"more probable than not"(まったくないというよりは、おそらくそうである)という表現を使い、ペイトリオッツ・スタッフ二人がルール違反を犯しており、それをブレイディが承知していた可能性が高いと結論付けた。根拠としては、以下が挙げられている[212]


  • マクナリーが審判団のチェック後にボールを持ってトイレの個室に入ったこと。
  • マクナリーとジャストレムスキー間でのメールで、ブレイディが空気圧が低めのボールを好むことへの言及や、自らを「デフレイター」(空気抜き職人)と表現するといった内容が見られたこと。
  • 科学コンサルティング会社エクポーネントによる研究で、コルツのそれよりも顕著だったペイトリオッツのボールの空気圧の減少は、基本的な科学原則(理想気体の状態方程式など)では証明しきれないとされたこと。
  • 同社により、マクナリーがトイレに入っていたよりも更に短い時間で、ボールの空気圧を減少させることが可能だと結論付けられたこと。
  • 捜査開始が発表された当日、ブレイディとジャストレムスキが約25分にわたって電話をしていた(6ヶ月間一切連絡を取り合っていなかったにもかかわらず)こと。
  • 同日、ブレイディがジャストレムスキを部屋に招き、また彼を落ち着かせようとしたであろうメールを数件送っていたこと。
  • 要求があったにもかかわらず、ブレイディが資料の提出やメールなどを含む電子端末情報を拒否したこと。

これらの報告を受けリーグは、スタッフ二人の空気圧不正に関するブレイディの自覚と、捜査への協力拒否を理由に、4試合の出場停止処分を言い渡した。その後、ブレイディと選手会からの抗議を受けて開かれた聴聞で、ブレイディが自身のアシスタントに、使用していた携帯を破壊するよう指示していたことが明らかになった。この新たな証拠により、コミッショナーのグッデルはブレイディが捜査への協力を惜しんだだけでなく、捜査が必要とした情報にアクセスできないよう故意の働きを犯したとして、出場停止処分を確定させた。また、競技上のアドバンテージを得る不正としてステロイド使用を例に挙げ、初めてのステロイド使用は通例4試合の出場停止となるため、今回のケースでもそれが妥当であると理由づけた[212]

ブレイディ側

ブレイディはウェルズ・レポートの指摘と携帯電話の件について、真っ向から反論し、処分について争う姿勢をみせた。ブレイディは自身のフェイスブックにて、以下の声明を発表した。

「私は、リーグが4試合の出場停止処分を確定したことに、大きく失望しています。私も、そしてペイトリオッツ内の誰一人も、間違ったことをしていません。過去6ヶ月、何時間にも渡って証言を行ったにもかかわらず、『おそらく』私が不正について『だいたい把握』していたという理由で、コミッショナーが処分を支持したことには、失望を禁じえません。 真実は、私もいかなる用具員も、訴えられたようなことは一切行っていないということです。また、携帯に関する昨日の報道にも、私は異議を唱えます。私は弁護士が明確に、どのような状況下においても携帯電話が捜査の対象にならないことを確かに『してから』、壊れたサムスンiPhone 6に買い替えました。選手会の一員として、私は(携帯が捜査対象になるという)新たな先例を設ける義務は一切ありませんでしたし、またウェルズ氏の捜査において、携帯を提出しないことが処分に繋がりえるということは一切知らされていませんでした。

何よりも、一月のAFCチャンピオンシップゲームでこの問題が取り上げられるまで、私がボールの空気圧に関するようなこと誰かに書いたりメールしたということは一度もありません。要求された情報をリーグに渡さない為に携帯を破壊したというのは、完全なる誤りです。5月に処分を受けてから、記録を一致させるために、捜査に全力で協力するために、我々はウェルズ氏が要求した全てのメールと携帯記録の詳細な資料を送りました。それどころか、前の携帯の実際のメールを復元できないかどうか、携帯会社に連絡までしました。とどのつまり、私たちは事件に関係する期間内の全てのメッセージと通話の調査を提案し、リーグの為にできる全ての手段を尽しました。

コミッショナーは数時間に及ぶ私の証言をおざなりにしましたし、証言を信頼できないと判断したことは大変遺憾です。争うことなしに、このような不公平な処分が他の選手たちの先例になってしまうことを、私は許すことはできません[213]。」


裁判所の見解

地方裁判所

合衆国地方裁判所のリチャード・バーマン判事は、リーグ側の処分決定プロセスには根本的な欠陥があり、公平なものだとは言えないとして、リーグ側に出場停止処分の取り消しを命じた。バーマン判事は主に、選手がボールの空気圧を減圧するという不正行為に参加したもしくは不正が行われていることについて大よそ把握していた場合、あるいは選手が捜査への協力を惜しんだ場合に、薬物規定違反の初犯者と同じく4試合の出場停止処分が下される可能性があるという警告がなされたことも、またその先例がないにも関わらず、そのような理由でリーグがブレイディに4試合の出場停止処分を下したこと、リーグが4試合の出場停止処分の根拠としたステロイド使用への罰則規定は本案件の比較対象として不適切であること、ブレイディ側にリーグ側の弁護士ジェフ・パッシュへの質疑の機会を与えず、またリーグ側が行なった目撃者への取調べ内容をブレイディ側と共有しなかったことなどを判決の理由に挙げた[214][215]


控訴裁判所

合衆国控訴裁判所は、三人の判事による2対1の判決で地方裁判所の判決を覆した。判決文はまず「我々の分析及び結論を導いた基礎原則は周知のとおり揺ぎ無いものである。それは、連邦裁判所にとって労使協定における見解の余地はごく制限されたものであり、また協定へは、あらゆる法の中でも最高の部類に属する敬意を払っている。我々の役割とは、果たしてブレイディがボールの減圧行為に参加したのかどうか、もしくはコミッショナーによって下された出場停止処分は3試合が適切か、5試合が適切か、いや0試合が適切かを判断することではない。仲裁人の処分決定過程を後知恵で批判することでもない。我々の役割とは、仲裁人の処分決定手順と裁定はタフト=ハートリー法の定める最低基準に則っているかを判断することのみに制限されている。(中略)これらの基準は仲裁者の判断に完璧を求めるものではない。むしろ、たとえ仲裁者が真実あるいは法において誤認・過失を犯していたとしても、彼の行動が協定の認める権限内に留まる限り、我々は彼らの裁定を妨害すべきではないと命じているのである。」と述べ、加えて選手側とリーグは何年も前の労使間団体交渉において、コミッショナーはルール違反の疑惑が浮上した場合にはこれを調査し、適切な処分を下し、調停時には主宰者となることを相互に認めていることに言及し、その異端性について触れながらも("Although this tripartite regime may appear somewhat unorthodox")、したがって裁判所は、双方は納得の上でこの条件を含む労使協定に同意したと仮定する他なく、これらを前提とした上で、本案件においてコミッショナーは選手・リーグ間の問題を解決する為に適切に権限を行使したとの判断を下し、地方裁判所の判断を覆した[216]


控訴裁判事ロバート・カッズマン

三人の判事の中で唯一、地方裁判所の判決を支持したロバート・カッズマン判事は、選手団とリーグ間で結ばれた労使協定の第46条に着目し、同条項はコミッショナーが罰則を下す場合、その基準を選手側に知らせ、控訴審においては罰則に異議を申し立てる機会を選手に与える必要があると記していることを指摘し、その上で、コミッショナーが控訴審後に出場停止処分の事実的根拠をすり替えたとき("When the Commissioner, acting in his capacity as an arbitrator,changes the factual basis for the disciplinary action after the appeal hearing concludes")、それは協定が定めた、適切な告知の義務を彼が怠り("he undermines the fair notice for which the Association bargained")、選手が告発に対抗する為の機会を奪い("deprives the player of an opportunity to confront the case against him")、ゆえにコミッショナーに与えられた労使協定下での権限を超越することとなる("exceeds his limited authority under the CBA to decide “appeals” of disciplinary decisions.”)と述べ、そこに着目せず、また根拠のすり替えはなかったあるいはあったとしても重大なものではなかった、と判断した多数派判事の見解には同意できないと記した[217]。またより根本的に、コミッショナーが今回の案件に非常に近い前例があるにも関わらずそれを見落とし、ステロイド使用という不適切な例を裁定の根拠に、4試合の出場停止という前例のない決断を下したことに困惑している、と述べた[217]

カッズマン判事が事実的根拠のすり替えだと指摘したのは、前述のウェルズ・レポートでは、"more probable than not"(全くないというよりは確かなようだ)、"at least generally aware of the inappropriate activities”(少なくとも不正が行なわれていることに気がついていた)、"it was 'unlikely' that McNally and Jastremski deflated the balls without Brady’s 'knowledge,' 'approval,' 'awareness,' and 'consent'(ブレイディの「知識」・「許可」・「認知」・「同意」なしに二人の用具係がボールの空気圧を減圧したとは「考えにくい」)といった表現で結論付けられているにも関わらず、グッデルの最終結論の文面では、"Brady 'knew about, approved of, consented to, and provided inducements and rewards in support of a scheme by which, with Mr. Jastremski’s support, Mr. McNally tampered with the game balls.'(ブレイディは二人の不正を熟知しており、また賛成し、不正に協力する為に二人を勧誘し報酬を与えた)と記されており、二つの文面の結論には看過し難い相違が存在していると述べた[218]。また、判事が本案件に酷使している例として挙げたのが、主にワイドレシーバーがボールをキャッチしやすくなるように「スティッカム」(粘着性物質)を使用する違反行為で、この場合の初犯者に対する罰則は8,268ドルの罰金となっているが、同じようにボールの握りを向上することで不正な競技上のアドバンテージを得たと説明されている今回の空気圧減圧問題で、ブレイディにはこの罰則を遥かに超える裁定が下されたことを、「労使間協定に則るものではなく、コミッショナー自身の企業正義に基づく裁定である」"his decision in the arbitration appeal was based not on his interpretation of the CBA, but on 'his own brand of industrial justice.'"と指摘した[219]

その後

デフレートゲートと名づけられたこの一連の問題が発覚した直後の第49回スーパーボウルにて、ペイトリオッツは接戦の末にシアトル・シーホークスを破り、ブレイディは4度目の栄冠と同大会3度目のMVPを受賞した。出場停止処分を受け入れた2016年シーズンでも第51回スーパーボウルに出場し勝利を収め、自身5度目のリーグ制覇と4度目の同大会MVPを受賞した。コミッショナーのグッデルは試合後にブレイディと握手し健闘を称えたが、試合後のセレモニーではペイトリオッツ・ファンから激しいブーイングを浴びた[220]。グッデルは事件発覚から2016年シーズン終了時まで、まだ一度もペイトリオッツの本拠地であるジレット・スタジアムを訪れていない[221]

リーグはそれまで試合前だけだったボールの空気圧の測定を、試合中・試合後にも実施することを決めたが、その数値を記録したり、公表することはないとしている[222]。裁判所の争点は前述の通り、労使協定に則った裁定であったかどうかに絞られていたため、結局のところ不正があったのかどうか、あったとしてブレイディはそれに関与していたのかどうか、ボールの空気圧は試合中に変化するのかしないのかといった問題に関しては、解明されないままでいる。

2016年12月、ニューヨーク・ジャイアンツは対戦したピッツバーグ・スティーラーズからターンオーバーで奪った二つのボールの空気圧を計測した結果、基準値を大きく下回る数値であったことを発見した。しかしながら、当時は既にボールの扱い手順に不正の余地がないことと、正式な抗議がなかったために、リーグは調査を行なわなかった[223]

主なNFL記録

勝利記録

  • QB史上最速100勝達成(レギュラーシーズンのみ):131試合[224]
  • QBによるポストシーズン連勝記録:10試合(2001年シーズンのディヴィジョナル・プレーオフから2005年シーズンのワイルドカード・プレーオフまで)[30][225]
  • QB連勝記録(レギュラーシーズン・ポストシーズンを併せた):21試合(2003年シーズン第5週から2004年シーズン第6週まで)[225]
  • QBホーム連勝記録:31試合(2006年-2011年)[30]
  • 先発QBとして最初の100試合での勝利数:76勝(ロジャー・ストーバックとタイ)[30]
  • 先発QBとして最初の200試合での勝利数:155勝((2位はペイトン・マニングの136勝)[30]
  • 地区優勝回数:14回
  • カンファレンス王者決定戦勝利回数:7回
  • プレイオフ勝利数:25勝(NFL starting quarterback playoff recordsを参照)
  • スーパーボウル勝利数:5勝[30]

インターセプト

  • 連続0インターセプト記録:パス試投358回(2010年-2011年)[30]

ポストシーズン

  • 通算パス試投数(1,325回)・パス成功数(831回)・パス獲得ヤード(9,094ヤード)・TDパス数(63TD):全て歴代1位[226]
  • プレーオフ通算出場試合数:34試合(2位は元チームメイトのアダム・ビナティエリの30試合)[227]
  • カンファレンス王者決定戦出場回数:11回

スーパーボウル

  • 通算パス試投数(309回)・パス成功数(207回)・パス獲得ヤード(2,071ヤード)・TDパス数(15TD):全て歴代1位[228]
  • 通算出場回数:7試合(2位はジョン・エルウェイの5試合)[227]
  • 一試合最多パス試投・成功記録:62回・43回(いずれも第51回スーパーボウル)[228]
  • 一試合最多パス獲得ヤード:466ヤード(第51回スーパーボウル)[228]


自己ベスト

シーズン記録

  • QBレイティング:117.2(2007年シーズン)
  • パッシングヤード:5,235(2011年シーズン)
  • TDパス:50(2007年シーズン)
  • 最少INT:2(2010年シーズン)※2試合以上に先発出場したシーズンで

試合

  • QBレイティング:158.3、パーフェクト・パサー・レイティング(2007年シーズン-マイアミ・ドルフィンズ戦、2010年シーズン-デトロイト・ライオンズ戦)
  • パッシングヤード:517ヤード(2011年シーズン-マイアミ・ドルフィンズ戦)
  • TDパス:6TD(2007年シーズン-マイアミ・ドルフィンズ戦、2009年シーズン-テネシー・タイタンズ戦、2011年シーズン:プレーオフ-デンバー・ブロンコス戦)

脚注

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関連項目

外部リンク