伊藤光
日本のプロ野球選手
伊藤 光(いとう ひかる、1989年4月23日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(捕手、内野手)。
オリックス・バファローズ #22 | |
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![]() 2016年5月17日 こまちスタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 愛知県岡崎市 |
生年月日 | 1989年4月23日(36歳) |
身長 体重 |
180 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手、一塁手、三塁手 |
プロ入り | 2007年 高校生ドラフト3巡目 |
初出場 | 2008年9月13日 |
年俸 | 4,700万円(2017年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
プロ入り前
愛知県岡崎市出身。岡崎市立藤川小学校時代に「岡崎リトルリーグ」で投手兼内野手として野球を始める。岡崎市立東海中学校ではボーイズリーグ「東名古屋スターズ」で捕手を務めた[3]。
明徳義塾高校に進学後は2年春からベンチ入りし、春季打点王で高知県選抜に選ばれ、日米親善試合、台湾遠征試合を経験した。3年夏は高知大会決勝で高知高校に敗れ準優勝。高校通算13本塁打[4]。
2007年の高校生ドラフトでオリックス・バファローズから3巡目指名を受け入団。
プロ入り後
- ウエスタン・リーグ公式戦で、捕手登録選手としてはチーム最多の43試合に出場。40試合でマスクを被ったが、チーム最多の捕逸を記録した。また、打率は.192で、三振数(24)が打席数(94)の4分の1以上に達した。ウエスタン・リーグ公式戦では本塁打を放てなかったが、イースタン・リーグとのファーム交流戦では2本塁打をマーク。9月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で、捕手として一軍デビューを果たした。
- 春季キャンプからオープン戦まで一軍に帯同していたが、4月14日に椎間板ヘルニアの除去手術を受けた。当初は約3ヶ月後の実戦復帰を目指していたが、手術の影響で左足のふくらはぎの筋力が低下。バッティングで踏ん張れないなどの事態に至った[5]ことから、一・二軍とも実戦出場の機会はなかった。
- 前年の手術に伴うリハビリを経て、6月上旬のウエスタン・リーグ公式戦で実戦に復帰。初安打を放った際には、思わず号泣したという[6]。シーズン終盤には、2年振りに一軍へ昇格すると、公式戦2試合でスタメンマスクを任された。シーズン終了後には、ピッツバーグ・パイレーツから入団した朴賛浩が背番号61の着用を希望したため、自身の背番号を54に変更した。
- 一軍監督の岡田彰布から「将来の正捕手候補」として期待された[7]ことを背景に、公式戦の開幕を初めて一軍で迎えた。福岡ソフトバンクホークスとの開幕戦(4月12日・京セラドーム大阪)でスタメンマスクを任されると、以降の試合でも、寺原隼人による一軍公式戦3年半振りの完封勝利や西勇輝による一軍公式戦初勝利に貢献。夏場以降は、エースの金子千尋とバッテリーを組むなど、先発捕手としての出場機会を増やした。
- その一方で、シーズン中には、成績不振などで2度にわたって二軍調整を経験[8]。9月11日の対埼玉西武ライオンズ戦(ほっともっとフィールド神戸)では、守備中に中村剛也とのクロスプレーで右手人差し指を負傷。その後の精密検査で骨折が判明した[9]ため、残り試合を棒に振った。
- 結局、一軍公式戦には66試合に出場。打撃面では打率.156、57三振にとどまったが、規定試合数不足ながらチームトップの盗塁阻止率(.318)を記録するなど、試合の随所で強肩を発揮した。また、シーズン終了後には、背番号を22に変更することが発表された。
- 一軍公式戦では、前年に続いて開幕戦のスタメンマスクを任されると、鈴木郁洋・斉藤俊雄などの先輩捕手と交互に出場した。しかし、4月12日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)7回表の守備中に、ジョシュ・ホワイトセルの振ったバットが右側頭部を直撃。グラウンド上に倒れ込んだため、担架で病院に運ばれた[10]。病院での診察で打撲と診断されたため、すぐに実戦へ復帰したが、攻守に精彩を欠いたことから同月末に二軍へ降格した。
- セ・パ交流戦の期間中に一軍へ復帰してからは、公式戦でのスタメン出場の機会を増やした。しかし、8月19日の対ソフトバンク戦(京セラドーム大阪)で投手陣が8回表までに5失点を喫したことから、リード面の課題を克服すべく9月下旬まで再び二軍で調整。一軍でのシーズン最終戦であった10月8日の同カード(福岡Yahoo!JAPANドーム)では、捕手として西のノーヒットノーラン達成に貢献した。
- 一軍公式戦通算では、前年と同じく66試合に出場。課題の打撃面でも、打率を.205に上げるなど改善が見られた。なお、シーズン終了後には、オリックス選手会の副会長に就任した。
- 前年までの主力捕手であった鈴木の引退・コーチ就任や、FA権の行使による日高剛の阪神タイガースへの移籍を背景に、公式戦の開幕から正捕手へ定着。一軍公式戦には、シーズン前に掲げた「100試合出場」[11]という目標を上回る137試合に出場した。オリックスの捕手が一軍公式戦に100試合以上出場した事例は、2008年の日高以来であった[11]。
- 打撃面でも、開幕から6月まで3割近い打率を残すなど好調を維持。8月には25打席無安打へ陥ったものの、9・10月に月間打率.330と復調した結果、シーズン通算では自己最高の打率.285を記録した。また、10月5日・6日の対ロッテ戦(いずれもQVCマリンフィールド)で2試合連続本塁打を放つなど、本塁打も自己最多の3本塁打をマーク。オールスターゲームにパシフィック・リーグ(パ・リーグ)捕手部門のファン投票1位で初出場を果たしたほか、シーズン終了後の11月に台湾で開かれた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」にも、日本代表の一員として出場した[12]。
- 前年と同じく一軍公式戦137試合に出場したが、FA権の行使によってソフトバンクから移籍した山崎勝己と併用された影響で、規定打席に到達できなかった。それでも、投手陣によるリーグトップの防御率達成に守備面で貢献したことから、ベストナイン・ゴールデングラブ賞・最優秀バッテリー賞を受賞。打撃面では、打率が前年を下回った一方で、前年を上回る48打点を挙げた。また、シーズン終了後の11月に開かれた日米野球2014には、日本代表の一員として出場[13]。また、選手会の会長職を坂口智隆から引き継ぐことも発表された[2]。
- 「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表[14]として、3月11日の第2戦(東京ドーム)に出場[15]。その後開幕した公式戦でも、当初はスタメンマスクを任されていた。しかし、リード面での課題が露呈。4月下旬から山﨑にスタメンマスクを明け渡す試合が相次いだことも背景に、5月8日から10日間にわたって、二軍での再調整を余儀なくされた[16]。
- 8月5日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では、0-0で迎えた9回裏無死3塁から、自身の捕逸でチームがサヨナラ負けを喫した。パ・リーグでは定詰雅彦がロッテ時代の1994年6月12日の対オリックス戦で記録して以来史上4人目(当時)の事例で、オリックスの捕手では1988年4月19日の対南海戦(大阪球場)で記録した内田強以来2人目。NPBの一軍公式戦で捕逸によって0-1でチームがサヨナラ負けを喫した事例は、土井淳が大洋ホエールズ時代の1956年6月14日の対広島東洋カープ戦で記録して以来2例目で、パ・リーグでは初めてであった[17]。
- 結局、一軍公式戦への出場試合数は104試合で、過去2年から減少。規定打席に到達できなかったものの、打率.271を記録したほか、捕手としての守備率は2年連続でリーグトップに達した。なお、シーズン終了後の11月に開かれた第1回WBSCプレミア12には、9月の時点で日本代表の最終候補に選出[18]。しかし、最終ロースターに残らなかったため、実際には同大会へ出場しなかった。
- 一軍公式戦の開幕からスタメンマスクを任されたが、リード面での課題を理由に、4月15日付で出場選手登録を抹消された[19]。その後も、後輩捕手・若月健矢の台頭などの影響で、一軍と二軍を往復。一軍の公式戦で金子が先発しない場合には、スタメンマスクを若月に明け渡したり[20]、指名打者、一塁手としてスタメンに起用されたりするようになった[21]。
- その一方で、二軍調整中の7月27日には、神戸総合運動公園サブ球場で開かれたソフトバンクとのウエスタン・リーグ公式戦に「5番・一塁手」としてスタメンで出場[22]。一軍公式戦でも、8月6日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)8回裏に代打で出場すると、9回表から試合終了まで初めて一塁の守備へ就いた[20]。
2017年 3月5日に行われた侍ジャパンとの強化試合に7番、三塁で先発出場した。4月1日の楽天戦でシーズン初めて三塁で先発出場した。
選手としての特徴
遠投120メートルの強肩に加え、50メートル6秒フラットの俊足[23]を兼ね備えた、走・攻・守、三拍子揃った捕手。打撃では強打[24]を持っていると期待されながらも、三振数の多さと低打率などで課題を残していたが、近年、かなり改善されている。リード面では投手の良さを活かしたリードが評価されている[25]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2008 | オリックス | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
2010 | 2 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2011 | 66 | 188 | 160 | 15 | 25 | 7 | 0 | 2 | 38 | 11 | 3 | 2 | 14 | 1 | 11 | 0 | 2 | 57 | 0 | .156 | .218 | .238 | .456 | |
2012 | 66 | 197 | 176 | 11 | 36 | 9 | 0 | 0 | 45 | 10 | 0 | 0 | 12 | 4 | 5 | 0 | 0 | 48 | 2 | .205 | .222 | .256 | .477 | |
2013 | 137 | 475 | 410 | 36 | 117 | 20 | 2 | 3 | 150 | 40 | 4 | 0 | 35 | 3 | 24 | 0 | 3 | 84 | 10 | .285 | .327 | .366 | .693 | |
2014 | 137 | 429 | 358 | 37 | 92 | 16 | 1 | 3 | 119 | 48 | 0 | 2 | 39 | 3 | 24 | 1 | 5 | 80 | 2 | .257 | .310 | .332 | .643 | |
2015 | 104 | 290 | 247 | 20 | 67 | 9 | 1 | 1 | 81 | 28 | 0 | 1 | 11 | 2 | 29 | 1 | 1 | 53 | 4 | .271 | .348 | .328 | .676 | |
2016 | 80 | 203 | 187 | 18 | 45 | 7 | 0 | 3 | 61 | 15 | 1 | 0 | 12 | 0 | 3 | 0 | 1 | 36 | 6 | .241 | .257 | .326 | .583 | |
NPB:8年 | 593 | 1786 | 1542 | 137 | 382 | 68 | 4 | 12 | 494 | 152 | 8 | 5 | 123 | 13 | 96 | 6 | 12 | 359 | 24 | .248 | .295 | .320 | .615 |
- 2016年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
捕手 | 一塁 | |||||||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2008 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 0 | 0 | - | - | |||||
2010 | 2 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 2 | 0 | .000 | - | |||||
2011 | 65 | 369 | 27 | 5 | 4 | 3 | .988 | 44 | 30 | 14 | .318 | - | |||||
2012 | 66 | 343 | 38 | 3 | 2 | 1 | .992 | 45 | 32 | 13 | .289 | - | |||||
2013 | 137 | 987 | 83 | 8 | 8 | 3 | .993 | 107 | 79 | 28 | .262 | - | |||||
2014 | 136 | 945 | 72 | 3 | 8 | 6 | .997 | 85 | 65 | 20 | .235 | - | |||||
2015 | 100 | 530 | 49 | 1 | 9 | 6 | .998 | 53 | 38 | 15 | .283 | - | |||||
2016 | 65 | 296 | 27 | 2 | 3 | 0 | .994 | 29 | 22 | 7 | .241 | 11 | 77 | 6 | 0 | 7 | 1.000 |
通算 | 572 | 3478 | 297 | 22 | 34 | 19 | .994 | 365 | 268 | 97 | .266 | 11 | 77 | 6 | 0 | 7 | 1.000 |
- 2016年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
記録
- 初出場:2008年9月13日、対北海道日本ハムファイターズ20回戦(札幌ドーム)、7回裏に日高剛に代わり捕手で出場
- 初先発出場:2010年9月28日、対北海道日本ハムファイターズ24回戦(京セラドーム大阪)、8番・捕手で先発出場
- 初打席:同上、3回裏に武田勝から三塁ゴロ
- 初安打:2011年4月13日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(京セラドーム大阪)、3回裏にD.J.ホールトンから右前安打
- 初盗塁:2011年4月17日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(阪神甲子園球場)、5回表1死に二盗(投手:戸村健次、捕手:井野卓)
- 初打点:2011年4月20日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(ほっともっとフィールド神戸)、2回裏にブライアン・ウルフから三塁ゴロ失策で記録
- 初本塁打:2011年5月25日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、9回表に松井光介から左越ソロ
- その他の記録
背番号
- 61 (2008年 - 2010年)
- 54 (2011年)
- 22 (2012年 - )
登場曲
- レミオロメン「もっと遠くへ」
- ナオト・インティライミ「タカラモノ~この声がなくなるまで~」
- 三代目J Soul Brothers「Go my way」(2012年‐)
- JAY'ED×若旦那「Toy Box」
- BUZZ THE BEARS「光り」
代表歴
脚注
- ^ オリックス - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年12月18日閲覧。
- ^ a b “オリックス選手会長、坂口から伊藤に交代”. スポーツニッポン. 2015年1月12日閲覧。
- ^ “夢を実現 プロ野球へ 伊藤さん(東海中出身)が活躍誓う”. 東海愛知新聞. (2008年1月10日) 2013年3月18日閲覧。
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- ^ 読売新聞夕刊紙2011年1月27~29日 光さす方へ Bs伊藤の闘い
- ^ 涙|TRAINING ROOM 84
- ^ “オリ3年目伊藤が正妻候補!岡田監督期待”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2010年11月17日)
- ^ “オリックス・伊藤、1軍昇格で再起!”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2011年5月20日). オリジナルの2011年5月23日時点におけるアーカイブ。
{{cite news}}
: 不明な引数|1=
が空白で指定されています。 (説明)⚠ - ^ “オリックス・伊藤右手人さし指骨折 正捕手不在”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2011年9月13日) 2016年8月7日閲覧。
- ^ “ホワイトセルの振ったバットが頭に…伊藤、負傷退場”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2012年4月12日). オリジナルの2012年4月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 捕手・伊藤が急成長 オリックス反攻のキーマン
- ^ 2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト 2015年3月30日閲覧
- ^ 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧
- ^ 欧州代表戦、侍ジャパン出場選手発表!6選手が小久保体制下で初招集 侍ジャパン公式サイト (2015年2月16日) 2015年3月22日閲覧
- ^ ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第2戦 2015年3月11日(水) 東京ドーム 打席結果・投打成績 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年3月11日) 2016年3月10日閲覧
- ^ “オリックス伊藤が登録抹消 首脳陣「もう一度勉強」”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2015年5月8日) 2016年8月7日閲覧。
- ^ “オリックス伊藤まさかの0-1 サヨナラ捕逸 パで初”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2015年8月6日) 2016年8月7日閲覧。
- ^ 「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年9月10日) 2015年9月20日閲覧
- ^ “オリックス伊藤二軍降格「ロード面で」と福良監督”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2015年4月16日) 2016年8月7日閲覧。
- ^ a b “オリックス伊藤が初一塁「いろいろ試しながら」監督”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2016年8月6日) 2016年8月7日閲覧。
- ^ “オリックス 伊藤光捕手・新ポジションも視野に試行錯誤”. 週刊ベースボールONLINE (週刊ベースボール). (2016年8月22日) 2016年9月9日閲覧。
- ^ 2016年7月27日 オリックス 対 福岡ソフトバンク戦成績詳細オリックス・バファローズオフィシャルサイト(2016年7月27日)2016年8月7日閲覧
- ^ “オリックス 伊藤光が大手術でなめた辛酸”. ゲンダイネット (日刊現代). (2011年8月12日). オリジナルの2011年9月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『プロ野球選手データ名鑑2011』宝島社、雑誌66086-81、84ページ
- ^ “オリ伊藤 その名の通りキラリと光った ”. デイリースポーツ. 2014年10月23日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 伊藤光 - NPB.jp 日本野球機構
- 伊藤光 公式サイト
- 伊藤 光Official Facebook Page