排禍ばやし

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排禍ばやし

茨城県指定 無形民俗文化財(昭和37年)


起源

永禄七(1564)年 戦国時代、片野城主の太田三楽斎資正(三楽斎入道道誉)が小田宇治原を滅ぼして武運を祈願するため、片野に八幡神社を建立。 ”諸々の禍を排して繁栄を願う意”から「排禍ばやし」を奉納。


現在、《片野排禍ばやし保存会》が結成されており、片野公民館にて練習を行い伝統を継承する若者の育成に力を入れている。