大山のぶ代

日本の女性声優、女優 (1933-2024)

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大山 のぶ代(おおやま のぶよ、1933年10月16日 - )は、日本の元女優声優歌手エッセイストタレントである。本名、山下 羨代(やました のぶよ)。旧姓、大山。

おおやま のぶよ
大山 のぶ代
プロフィール
本名 山下 羨代(旧姓:大山)
(やました のぶよ)
愛称 ペコ
性別 女性
出生地 日本の旗 日本東京府東京市渋谷区
(現:東京都渋谷区)
生年月日 (1933-10-16) 1933年10月16日(92歳)
血液型 O型
身長 162 cm
職業 女優声優歌手エッセイストタレント
事務所 アクターズ・セブン
配偶者 砂川啓介
声優活動
活動期間 1965年 - 2016年
ジャンル アニメ吹き替えラジオ
デビュー作 パンチ(『ハッスルパンチ』)
俳優活動
活動期間 1956年 - 2016年
ジャンル テレビドラマテレビCM
デビュー作 『この鐘』
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

テレビ朝日版『ドラえもん』で、ドラえもん役を26年担当。アクターズ・セブン所属。夫はタレントで『おかあさんといっしょ』初代「体操のお兄さん」の砂川啓介

来歴

東京府東京市渋谷区(現在の東京都渋谷区)出身。血液型O型。戦時中は母方の実家がある宮城県古川市(現:大崎市)で過ごしていた。渋谷区立広尾中学校東京都立三田高等学校卒業。高等学校2年生の時に、母親が子宮癌により死去[1]

1956年NHKドラマ『この鐘』で俳優座養成所の同期の冨士眞奈美と共にデビュー。当時から冨士とはとても仲が良く、冨士が大山のアパートに転がり込んで 4年半ほど一緒に同居していた。

声優業では、かつては『ハリスの旋風』の石田国松、『無敵超人ザンボット3』の神勝平のように、ハスキー声でやんちゃな喋り方をする演技が特徴であった。しかし、『ドラえもん』の放送開始後、キャラクターの作画デザインが変わるにつれ、1986年後半ごろから演技も徐々に低音でゆったりと喋る演技に変化(後期)。その後キーが少し高くなり張りが出た(末期)。最終的にはこちらの演技が世間に定着し、ものまねでドラえもんの声が真似されるときは後期の時の声である。降板後大山がドラえもんの声を披露する時は大山の中でドラえもんはここで止まっているためか、末期の声である。

『ドラえもん』のドラえもん役は1979年4月から2005年3月まで26年間演じた。番組リニューアルにより、2005年3月18日放送分の『ドラえもん オールキャラクター夢の大集合スペシャル!!』、2005年3月25日放送の映画『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』(CM前のお別れコメント)を以って降板となった。

2001年直腸癌が発見され、手術で除去した際に悪性であることが発覚した[1]

2005年3月放送ウーマン賞を受賞する[2]2006年11月の第11回アニメーション神戸では、その功績が称えられ、小原乃梨子ほかオリジナルレギュラー陣(テレビ朝日版)4人と共に特別賞を受賞。そして翌2007年3月にも、東京国際アニメフェア2007より、第3回功労賞を(4人と共に)受賞した。同年4月には音響芸術専門学校東京都港区西新橋)の校長に就任し、直接学生の指導に当たった。

アニメ歌手としても活躍。1980年には、EP『ドラえもん音頭』など大山が歌ったドラえもん関連のレコード売り上げが100万枚を突破し、日本コロムビアのゴールドディスクを受賞した[3]

料理研究家としても活動し、著書に『大山のぶ代のおもしろ酒肴』(主婦の友社1981年)、『おかずのアイディア180』(小学館1995年)、『大山のぶ代の毎日のおかず』(グラフ社2000年)などがある。中でも『大山のぶ代のおもしろ酒肴』は136万部のミリオンセラーを記録した[3]

2000年代後半以降は、講演やタレントとしてのテレビ・ラジオ出演を中心に活動。『元祖!でぶや』などのナレーション活動にて、声優としての活動も続けた。

2008年4月24日に、音芸の校長室で授業準備中に、心筋梗塞脳梗塞を併発して倒れ緊急入院したが、投薬治療を行い、同年8月17日に退院。自宅療養とリハビリにより、日常生活の不安はないまでに回復し、活動を再開した[4]

しかし、その後も引き続き各種テレビ・ラジオ番組ゲスト出演、講演活動、雑誌・ネット・新聞各社取材・そして音芸での指導といった多忙・激務が続いたことによる体調不良を理由に、2010年頃より徐々にではあるが仕事をセーブし、2013年いっぱいで音芸の校長を退いた。同時に音芸公式サイトからもプロフィール写真が削除された[5]。先述の中で顔出しのテレビ番組出演に関しては2012年放送『クイズ☆タレント名鑑』の1企画「ドラえもんの道具いくつ覚えてる?」のVTR出演が最後であり、顔出しの取材依頼でも2014年に受けた『覚悟の瞬間』が現時点で最後となっている[6]。2013年以降はテレビ、2015年以降は取材でも顔出し出演をしていない(ただし、2015年に夫の砂川が「徹子の部屋」出演した際には、盟友・司会の黒柳徹子への声のみのメッセージとしては登場している他、後述の『ダンガンロンパ』の2015年の制作発表でも写真と声のみでメッセージを送っている)。

2010年PSP用ゲームソフト『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』のモノクマ役で『ドラえもん』降板以来 5年ぶりに声優復帰。さらにこの作品で人生初の悪役を演じることになる。さらに2012年発売の『スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園』にもモノクマ役で引き続き出演しており、2013年ではテレビアニメ化『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation』でも出演することになった。テレビアニメへの出演は『ドラえもん』降板以来であると同時に、深夜テレビアニメ作品もこれがデビュー作である。その上、新キャラクター出演も1979年ドラえもん(テレビ朝日版第1期)のドラえもん役以来、34年ぶりである。

2012年秋にアルツハイマー型認知症との診断を受ける[7]。このことはしばらく内密にされたが、2015年5月13日TBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイド」にゲスト出演した夫の砂川啓介により、認知症を発症し、闘病中であることが明らかにされた[8][9]

長らく1936年10月16日生まれとしていたが[注 1]、2015年5月15日、東京都内で記者会見した砂川によると、大山のぶ代は1933年(昭和8年)10月16日生まれで、認知症公表の時点で81歳だった。年齢詐称の理由は、結婚した1964年当時は姉さん女房に抵抗のあった時代であり、砂川の両親に対する大山の心遣いとのことである。このことに関して、大山本人が述べたことではない[10][11][12]

また、アニメ声優を担当した作品としては2014年から2015年にかけて第1・2シーズン合わせて計17話、全農によって制作された、Webアニメ「おにくだいすき! ゼウシくん」が公式に認知症を公表した時点では最後であり以後、新しい作品は担当していないが、そのゼウシの時点ではすでに認知症を発症していたにもかかわらず、往年のドラえもんにおけるサブタイトル画面の声(ドラえもん)を彷彿とさせるサブタイトルの声(みの太)を披露している(ただし、第1シーズン11話と第3シーズンを除く)。

砂川の尿管癌治療に伴い、2016年4月より老人ホームに入所している[13][14]。『ダンガンロンパ』のモノクマ役も降板し、舞台版からTARAKOに受け継がれた。

砂川は2017年5月に入院。退院4日後の6月13日、脳梗塞で意識を失っているところをマネージャーに発見され救急搬送、再び入院した。意識はすぐに戻ったが、2017年7月11日早朝、容体が急変し他界した。大山はマネージャーに連れられ入院中の砂川を何度か見舞っていたが、大山・マネージャーともに砂川の臨終には立ち会えなかった。大山は数日後、葬儀所で棺の中の砂川と対面したものの、すぐに棺から離れ、その場を去ったという。大山が喪主となったが、通夜葬儀とも出席しなかった[15]。砂川は入院後、マネジャーに後事を託しており、大山は今後も引き続き老人ホームで過ごすという[16]

人物像

プライベート

  • 夫の砂川啓介とは1963年(昭和38年)8月に舞台『孫悟空』での共演で知り合い、翌年2月に結婚した(結婚式は赤坂プリンスホテルで行われた)[17]。NHKの『おかあさんといっしょ』で共演していたが、お互いに面識はなく会うことはなかったため、楽屋に挨拶に来た砂川を出前のそば屋だと勘違いしたという。その後一緒にドライブに行った際、不良に絡まれている中学を卒業したぐらいの少年を見つけ、お互い相談もしていないにもかかわらず、とっさに田舎から出てきた夫婦を演じ、その不良に道を尋ねるふりをして、その隙に少年を逃がしてあげたといい、それをきっかけに結婚を考えるようになったという。また、その際とても丁寧に道を教えてくれたといい「不良とは言え、みんな優しい心を持っているんだと思った」と語っている。夫の回想記『カミさんはドラえもん』(双葉社2001年)に詳しい。
  • 32歳の時に第1子(男児)を妊娠したが妊娠7か月の時に死産[18]、38歳の時生まれた第2子(女児)も妊娠7か月の未熟児で生まれ、先天性の心臓と肺の疾患のため生後3か月で死去しており[19]、それ以降は子を儲けていない。近年の自伝などでは「子供に自分のガラガラ声が遺伝していじめられたらかわいそうだ」という葛藤があったこと、夫の砂川啓介の著書では「(大山が)2度の不幸から、『また同じことが繰り返されるのではないか』という葛藤やトラウマに囚われ、セックスレス(恐怖症)となってしまった」ということが明かされた[20]

趣味・嗜好

アルカノイド

ブロックくずしゲームの『アルカノイド』(タイトー)が大のお気に入りで、自身の別荘にアルカノイドの筐体を置いていたほどである[注 2]。自己記録の「およそ120万点」は、公式 2位の記録に匹敵する。空港の待ち時間等で暇つぶしとして始めたのがきっかけで、それ以降ゲームセンター等を巡り回ったという。

その腕前は『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)のコーナー「ムダベストテン」や『トリビアの泉』(フジテレビ系)、『ゲームセンターCX』の「たまに行くならこんなゲームセンター」などのバラエティー番組でも紹介し披露された。『中井正広のブラックバラエティ』(日本テレビ系)では助っ人として400インチの巨大画面でブロック崩し(アルカノイドではなく、任天堂1979年に発売した家庭用「ブロック崩し」)をプレイした。

2005年新宿にあるセガのアミューズメント施設で一日店長を務めた際には、イベントとして多くの来客の前でアルカノイドの実力を披露し[21]、2007年には『アルカノイドDS』発売記念イベントに招かれ、マスコミ達を前にその腕前を披露した。

しかし本人によると、実はアルカノイド以外のゲームは一切苦手で、機械オンチである。

その他の趣味など

  • 芸能界の中でも無類の麻雀好きとしても知られ、美空ひばりとも麻雀友達だったという。きっかけは、子を失って苦しんでいるのを気遣った仲間たちが毎日執拗に麻雀に誘っていたことである。親交が深く実弟のように可愛がっていた水谷豊おりも政夫とは毎日のように麻雀をしていたと大山本人がTV番組で語った。
  • 声優界の中で著書が多く、自伝『ぼく、ドラえもんでした』(小学館)以外は、ほぼ全てが料理・栄養といった食関連の本で、夫らとの共著も入れると20数冊ある。料理の腕前もプロ級であり、かつては主婦向けのテレビ番組で、料理コーナーを持っていた。母親から受け継いだ糠床を今でも大切にしていると語っている。
  • 優れた味覚・嗅覚を持っており、水を一口飲めばそれがどこの水かを言い当てることが出来るという。そのため、水の研究家としても名の通った存在であり、旧厚生省「おいしい水研究会」、旧国土庁「水を語る女性の会」の委員も務めている。健康・カルチャー番組にもよく出演している。特に『ためしてガッテン』での出演頻度は高く、1クールに1度は出演していた。
  • 食べ物や健康には人一倍気を使っていたが、元々愛煙家で一日2箱を吸うほどであった。しかし、脳梗塞で倒れた後は、認知症の前兆もあってか、タバコに関心を示さなくなった[22]

仕事への姿勢や他人への評価

  • 黒柳徹子とはNHKの『ブーフーウー』などで共演してから50年以上に渡る親友でもあり、『徹子の部屋』へは番組開始当初から定期的にゲスト出演していた。1999年12月31日2000年2月11日の放送では、架空のキャラクターとして初めてCG映像でドラえもんがゲスト出演したが、大山はドラえもんとして声のみの出演で黒柳と会話をしている。大病を患った時も、黒柳などの親友や友人が見舞いに訪れようとしたが、大山の体がまだ麻痺していて思うように動かなかったのと、みんなに迷惑をかけたくなかったとの理由で敢えて面会等は拒否したと復帰後に砂川と夫婦で『徹子の部屋』出演時に大山が語った。大山の認知症を公表後に2015年6月12日放送の『徹子の部屋』に砂川がゲスト出演して、先述のとおり、番組の最後に大山から黒柳に宛てた最新肉声メッセージをサプライズで流されて黒柳は思わず声を詰まらせていた。

その他のエピソード

  • 脚本家として『太陽にほえろ!』の脚本を5本共同執筆しており、後に『トリビアの泉』などでも紹介された。
  • 2010年10月24日放送分のクイズ☆タレント名鑑の『芸能人!このオファー引き受けた?引き受けなかった?クイズ』というコーナーで、『ルパン三世』の主人公であるルパンの物まねを披露した。その後、大山から「ルパン三世という作品は初めて見た」というコメントを残している。なお、大山はお笑いスター誕生!!に審査員として出演していたため、ルパンの声を担当していた山田康雄と共演していた。
  • サザエさん』の初代磯野カツオ役は番組開始後3ヶ月ほどで降板しており、公式には体調不良を理由にしている。しかし、後にラジオ番組TOKYO FM恵俊彰のディア・フレンズ』に出演した際、「あれだけは自分で降りた」と明かした。そのため大山がカツオの声を担当したことはほとんど知られていない。ただ、『サザエさん』のエンディングテーマである『サザエさん一家』の音源には、大山がカツオとして演じたセリフが収録されている。なお、その後後任として充てられたのが本人の死までの28年間担当することになる高橋和枝だが、彼女は逆に(青くなる前の)黄色いドラえもん役として『ドラえもん』に出演している。
  • 『ドラえもん』で26年もの長年に渡り共演した、のび太役の小原乃梨子やしずか役の野村道子、スネ夫役の肝付兼太、ジャイアン役のたてかべ和也の4人とは仲が良く親交が深かったが、同性の小原と野村とは国内旅行や海外旅行も3人で一緒に出かけたりしたという。
  • 週刊誌の一部では、アフレコ時のマイクの位置が離れていたために小原との不仲説も報じられたが、廣田トモユキが当の小原に確認したところによると、大山は愛煙家のためにドア側のマイクを、小原は嫌煙家のために一番奥のマイクを好んで使っていたためだとのこと。
  • 上記の通り年齢を 3歳詐称しており実際は『ドラえもん』の作者藤子・F・不二雄とは同い年である(大山は10月生まれで藤子は12月生まれのため大山の方が2か月年上である)。
  • 野沢雅子とはどちらもドラえもんを演じていたという共通点があり大山の演じるドラえもん映画にも何度か出演している。またTBSの『うたばん』に日高のり子と共に三人で出演したことがありそこで中居正広の提案で「ドラえもんと孫悟空のケンカを南ちゃんが止める」というコントを演じたこともある。

大山とドラえもん

ドラえもんの特徴的な声はほぼ地声だが、若い頃は自分の声に対しかなり思い悩んでいたという。結果的にはその声がドラえもん役に繋がることになった。また原作者の藤子・F・不二雄に初めて対面したとき、「ドラえもんの声、いかがでしょうか?」とおそるおそる聞いてみると「第1話を見ましたが、ドラえもんはああいう声をしてたんですね」と言われたという[23]。この声のコンプレックスを克服したエピソードは小学校の道徳の資料にも取り上げられた。

大山が主演を務めた『ハリスの旋風』で録音監督だった浦上靖夫から、ドラえもんの声をやらないかと誘われ、当時15巻まで出ていた単行本を買って一晩で読んだという。「ぼくドラえもんです」「フフフフフ」、のび太が道具をいたずらにした際に言う「ぼく知〜らない」などの台詞、次回予告の際の「楽しみに待っててね〜」は大山のアドリブである。原作初期のドラえもんはかなりガサツでぶっきらぼうな口調が多いが、大山は「子供が見るものだから、悪い言葉は使わないようにしよう」という配慮していた[23]。またドラえもんの一人称が「おれ」だった場合も少なからずあり、「ドラえもんはいつでものび太を見守っているお母さんのような存在だし、未来から来た子守り用ねこ型ロボットなんだから乱暴な言葉は最初からインプットされていないはず」と思ったため、一人称を「ぼく」に統一した[23]

大長編第2作『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』を映画発表する前後から、他の声優の仕事で「ドラえもんらしい声」というオファーを受けていたが全て断り、アニメ声優としての仕事でドラえもん以外の役で出演することはなくなった(ただし、NHKおかあさんといっしょ」の雌犬のブル子さん役は引き受けた)。1995年に『第4次スーパーロボット大戦S』(1996年1月26日発売)のオファーが来た際には、過去の持ち役(『無敵超人ザンボット3』の主人公・神勝平役)でありながら断っており、フルボイスとなった後のシリーズでも坂本千夏が演じることになった。

ドラえもんを演じていた頃、ファンの子供がスタジオに遊びに来た際は忙しい時間を割いて、写真を撮ったり、サインをするなどの気配りをしていたが、度々「ドラえもんいますか?」と電話がかかってきて困った時期もあったという[24]

自宅には家中に「ドラえもんボックス」という箱に入れてドラえもんグッズがそろっており、1999年に『徹子の部屋』に出演した際は、毎朝自分の声のドラえもん目覚まし時計で起床していると語っていた。お腹の部分に時計が付いたドラえもんの金のブローチをつけていたこともある。ただし目覚まし時計は、降板後に「ドラえもんの卒業」を理由にオークションに出している。

諸事情により企画が通らなかったが、実写版『ドラえもん』でも役に選ばれていた。

2006年5月に、26年間のドラえもん声優時代を記した自伝エッセイ『ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話』(小学館)を上梓(じょうし)した。

『ドラえもん』降板の際のインタビューに対し、「ドラえもんはいつも私の中にいます。勿論、新しいドラえもんも観ますよ」と笑顔で語っていた。

また日本テレビ欽ちゃんの全日本仮装大賞』の審査員を務めた際には、子供の出場者が出ると「ぼく、ドラえもんです」とドラえもんの声で挨拶をするのがお約束だった。

何らかの形で毎年のようにテレビ番組・ラジオ番組でドラえもんの声を披露するのが恒例だったものの、先述の闘病もあり、「ドラえもん」自体への正式・公式なコメントとしては2015年2月神保町シアターで開催された、「ドラえもん映画祭2015」においての手紙での形が現時点では最後となっている[25]

後任

大山の活動縮小や療養に伴う活動停止により、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

出演作品

太字はメインキャラクター。

テレビドラマ

実写映画

テレビアニメ

1965年

1966年

1967年

1968年

1969年

1970年

1971年

1972年

1973年

1977年

1979年

2013年

2014年

OVA

1994年

2001年

  • ドラえもんのビデオ絵本シリーズ 1 どうぶつえんのにんきもの(ドラえもん
  • ドラえもんのビデオ絵本シリーズ 2 しんかんせん(ドラえもん
  • ドラえもんのビデオ絵本シリーズ 3 サイレンカー(ドラえもん
  • ドラえもんのビデオ絵本シリーズ 4 サファリどうぶつえん(ドラえもん
  • ドラえもんのビデオ絵本シリーズ 5 とっきゅう(ドラえもん
  • ドラえもんのビデオ絵本シリーズ 6 はたらくじどうしゃ(ドラえもん
  • ドラえもんのビデオ絵本シリーズ 7 たのしいでんしゃ(ドラえもん
  • ドラえもんのビデオ絵本シリーズ 8 めいろあそび(ドラえもん
  • ドラえもんのビデオ絵本シリーズ 9 どうぶつとあそぼう(ドラえもん
  • ドラえもんのビデオ絵本シリーズ 10 じどうしゃがいっぱい(ドラえもん

劇場アニメ

1971年

1979年

1980年

1981年

1982年

1983年

1984年

1985年

1986年

1987年

1988年

1989年

1990年

1991年

1992年

1993年

1994年

1995年

1996年

1997年

1998年

1999年

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2013年

ゲーム

1992年

1993年

1994年

1995年

1996年

1997年

1998年

1999年

2000年

2001年

2002年

  • ドラえもん どこでもウォーカー(ドラえもん

2003年

2010年

2012年

2013年

  • ダンガンロンパ1・2 Reload(モノクマ

2014年

吹き替え

ラジオ

ほか多数

人形劇

ラジオドラマ

声の出演

「学習ずかん百科」15巻「たのしいレコード」のラジオ形式ドラマ「三匹の子ぶた

CM

ドラえもんの声で出演、※は2005年4月(ドラえもん降板)にこちらも降板。

ドラえもん以外

Webアニメ

その他

ドラえもんの声で出演

その他テレビ出演等

CD

脚本

  • 太陽にほえろ!
    • 第129話「今日も街に陽が昇る」(1975年、小川英田波靖男との共作)
    • 第154話「自首」(1975年、小川英との共作)
    • 第189話「人形の部屋」(1976年、小川英・四十物光男との共作)
    • 第289話「殿下と少年」(1978年、小川英との共作)
    • 第319話「年上の女」(1978年、小川英との共作)

著書

エッセイ

料理研究家

  • 大山のぶ代のおもしろ酒肴 アッとおどろく美味珍味(主婦の友社、1981年7月 ISBN 9784079123402
    大山が考案し『やすきよ笑って日曜日』の居酒屋コーナーで実際に出された小料理をまとめたレシピ本。
  • 大山のぶ代のなんと2分間クッキング おもしろ酒肴アットホーム編(主婦の友社、1983年1月、ISBN 9784079193412
  • 大山のぶ代の新おもしろ酒肴塾(廣済堂出版、1984年7月、ISBN 9784331003312
    • 大山のぶ代の新おもしろ酒肴塾(廣済堂文庫、廣済堂出版、1986年6月、ISBN 9784331650097
  • 大山のぶ代の今夜の酒肴この一品 最新オリジナル酒肴 決定版130選(廣済堂出版、1984年9月、ISBN 9784331003428
  • 夕食ばんざい(リビングマガジン、1982年1月、ISBN 9784947609014
  • 大山のぶ代の料理朝一番(グラフ社、1985年5月、ISBN 9784766200874
  • はじめての料理ヒント あなたも今日からお料理自慢 (監修、イラスト:宇佐見セツ夫、1986年4月、ISBN 9784766201246
  • 啓介・のぶ代のおもしろ惣菜170 不意の来客、家計のピンチに安くてうまいスピード料理(共著:砂川啓介、グラフ社、1988年4月 ISBN 9784079256728
  • 啓介・のぶ代のおもしろ酒肴 5〜25分お待たせタイムつき(共著:砂川啓介、グラフ社、1991年8月、ISBN 9784079377416
  • 嫁と姑の面白クッキング(グラフ社、1991年5月、ISBN 9784766202304
  • 大山のぶ代のうちの味うちのおかず 嫁と姑の面白クッキング(グラフ社、1992年3月、ISBN 9784766202359
  • 魚を食べる健康法 おいしく簡単! すぐれた効用とらくらくメニュー(共著:延原和彦、ブックマン社、1992年10月、ISBN 9784893081865
  • おさかな博士の新・魚を食べる健康法 すぐれた効能、らくらくメニュー(共著:成瀬宇平、ブックマン社、2002年10月、ISBN 9784893084996
  • おかずのアイディア180(小学館、1995年5月、ISBN 9784093976619
  • おいしい店めぐり 味よし値段よし 日本全国穴場案内(共著:高木美千子、グラフ社、1996年2月、ISBN 9784766203448
  • 大山のぶ代の毎日のおかず 安い!簡単!おいしい!そして体によい!(グラフ社、2000年9月、ISBN 9784766205848
  • パッとできるおもしろ料理ブック イラストが楽しい!(グラフ社、2002年04月、ISBN 9784766206746

その他

  • 大山のぶ代の水なんだ!?(共著:グループH2O、グラフ社、1984年10月、ISBN 9784766200768

演じた人物

脚注

注釈

  1. ^ 所属事務所のプロフィールではそのまま表記されている。
  2. ^ 2014年8月20日に高田馬場ゲーセン ミカドに引き取られた。
  3. ^ 本作品では声優としてだけでなく、劇中に登場するロボットのメカデザインも手掛けている。

出典

  1. ^ a b 中島久美子 (2007年10月7日). “直腸がん (1)夫のお陰でがん発見”. yomiDr. (読売新聞社). http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=24140 2015年5月29日閲覧。 
  2. ^ 歴代受賞者”. 日本女性放送者懇談会 SJWRT. 2016年6月21日閲覧。
  3. ^ a b 『ぼく、ドラえもんでした。』
  4. ^ 大山のぶ代 脳梗塞発症…言葉出ない Archived 2009年5月2日, at the Wayback Machine. デイリースポーツオンライン・2009年4月30日
  5. ^ Facebook(2015年5月17日閲覧。)
  6. ^ 女優・声優 大山のぶ代 おおやまのぶよの覚悟の瞬間|覚悟の瞬間(とき) - 2017年2月26日閲覧。
  7. ^ 砂川啓介『娘になった妻、のぶ代へ -大山のぶ代「認知症」介護日記-』(双葉社、2015年)p.5
  8. ^ TBS RADIO 大沢悠里のゆうゆうワイド 女優・声優の大山のぶ代さんが認知症で闘病していることを、夫・砂川啓介さんが告白 - 大沢悠里のゆうゆうワイド公式ページ、2015年5月13日
  9. ^ 「ドラえもん」大山のぶ代が認知症で闘病”. 日刊スポーツ (2015年5月13日). 2015年5月13日閲覧。
  10. ^ 夫砂川が新告白…大山のぶ代が年齢詐称、実は81歳 - 日刊スポーツ 2015年5月15日配信
  11. ^ 大山のぶ代、3歳サバ読んでいた!夫・砂川啓介が明かす - サンケイスポーツ 2015年5月15日配信
  12. ^ “認知症の大山のぶ代さん、夫が会見「いとおしさ感じる」”. 朝日新聞. (2015年5月15日). http://www.asahi.com/articles/ASH5H66BGH5HUTFL008.html 2015年5月24日閲覧。 
  13. ^ 大山のぶ代さん、老人ホームに入所 夫の砂川啓介さん「まずは僕自身のがんを治さないと」 ハフィントンポスト日本語版 2016年6月6日閲覧
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  15. ^ “大山のぶ代 涙で「お父さん…」砂川さんとつらい別れ すぐに部屋退出”. スポーツニッポン. (2017年7月19日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/07/19/kiji/20170719s00041000092000c.html 2017年7月19日閲覧。 
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    さらにサプライズ! 大山のぶ代からの手紙にドラ泣き!? - 映画・映像|東宝WEB SITE
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外部リンク