平野佳寿
平野 佳寿(ひらの よしひさ、1984年3月8日 - )は、京都府宇治市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのアリゾナ・ダイヤモンドバックスに所属する。
| アリゾナ・ダイヤモンドバックス #66 | |
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オリックス・バファローズ時代 (2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて) | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 京都府宇治市 |
| 生年月日 | 1984年3月8日(41歳) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 185 lb =約83.9 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2005年 希望入団枠 |
| 初出場 | 2006年3月26日 |
| 年俸 |
$3,000,000(2018年) ※2018年から2年契約 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム |
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| WBC | 2017年 |
この表について
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経歴
プロ入り前
小学3年時に軟式少年野球チームの「小倉リトルズ」で野球を始め、捕手兼内野手としてプレー。宇治市立北宇治中学校時代は軟式野球部に所属して投手に転向。鳥羽高校在学中に同校は第72回選抜高等学校野球大会、第82回全国高等学校野球選手権大会、第73回選抜高等学校野球大会と3季連続で甲子園に出場するが、腰痛もあって2番手投手に甘んじ選手権大会ではベンチ入りメンバーからも外れた。
関西六大学野球連盟所属の京都産業大学に進学後は2年時からエースとして活躍し、大学ナンバーワン右腕と評された。大学通算56試合登板、36勝11敗、防御率1.33、404奪三振。最優秀選手2回、最優秀投手4回、ベストナイン4回受賞。36勝、404奪三振のリーグ新記録を樹立し、関西運動記者クラブによる第49回(平成17年度)関西スポーツ賞(個人の部)に選出された。
2005年のNPB大学・社会人ドラフト会議で、オリックスバファローズに希望枠で入団。入団会見では、「一軍公式戦で2桁勝利を挙げて新人王を獲得したい」と語った。
オリックス時代
2006年は開幕を一軍にで迎え、3月25日には西武ライオンズとの開幕カード第2戦(インボイスSEIBUドーム)8回裏に救援で一軍公式戦にデビュー。同月30日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(フルキャストスタジアム宮城)で公式戦初先発・初勝利を記録すると、4月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦(大阪ドーム)では、NPB全12球団の新人投手による完封勝利一番乗りを達成した。さらに、前半戦に先発で6勝を挙げたことを背景に、オールスターゲームにもパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の監督推薦選手として出場した。一軍公式戦全体では、松坂大輔(西武)に次ぐリーグ2位の10完投、4完封を記録。しかし、後半戦では1勝しか挙げられず、7勝11敗に終わった。
2007年は先発投手として一軍公式戦27試合に登板すると、2完封勝利を含む8勝を挙げた。防御率も前年の3.81から3.72に改善させる一方で、リーグ2位の18被本塁打やリーグワーストの13敗を記録した。
2008年は公式戦の開幕直前に右肘痛を発症。後の検査で遊離軟骨(骨の断片が肘に入っている状態)であることが判明したため、3月27日に遊離軟骨の除去手術を受けた。その影響でシーズンをリハビリに充てたため、一・二軍とも実戦登板の機会はなかった。
2009年は一軍の開幕ローテーションへ復帰。先発で公式戦1試合に登板したが、後に逆流性食道炎を発症したことから、4月11日に出場選手登録を抹消された。5月24日に一軍へ復帰すると、同日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に先発。6回1失点という内容で、一軍公式戦では2007年9月30日の対西武戦(京セラドーム大阪)以来602日振りの勝利を挙げた。次に先発で登板した5月31日の対横浜ベイスターズ戦では、2007年8月7日の対千葉ロッテマリーンズ戦(いずれもスカイマークスタジアム)以来662日振りの完封勝利を記録。しかし、一軍公式戦全体では3勝12敗、防御率4.72に終わった。
2010年は先発から中継ぎに転向すると、一軍公式戦63試合に登板。防御率1.67、39ホールドポイントという好成績を残すとともに、パ・リーグの救援投手では最も多い101三振を奪った。また、パ・リーグの監督推薦選手として、オールスターゲームへ4年振りの出場を果たした。
2011年は一軍公式戦では、パ・リーグの投手で最も多い72試合に登板。前年とほぼ同じ投球回数(83.2回)で99三振を奪ったほか、セットアッパーとして43ホールド・49ホールドポイント(いずれもリーグ新記録)を挙げたことから、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。パ・リーグの特別表彰も受賞した。また、オールスターゲームにも、パ・リーグの監督推薦選手として2年連続で出場した。オフの12月には、2009年頃から交際していたゴルフ場勤務の女性と結婚した[1]。
2012年シーズン開幕前の3月10日に東京ドームで催された東日本大震災復興支援ベースボールマッチで、プロ入り後初めて日本代表に選出。8回表に登板すると、チャイニーズタイペイ打線を相手に、1イニングを無失点に抑えた。シーズンではパ・リーグ3位の70試合に登板。チーム2位の7勝、防御率2.15を挙げた。シーズン終盤に抑えへ転向すると、9セーブを記録。また、投球回数79.2回で80三振を奪ったことから、3年連続で投球回数を上回る奪三振数を記録した。
2013年は抑えへ定着すると、一軍公式戦60試合に登板。2勝5敗で自身4シーズン振りの負け越しに至ったものの、パ・リーグ2位の31セーブを記録したほか、9ホールドを挙げた。
2014年は一軍公式戦62試合に登板すると、シーズン40セーブのパ・リーグ新記録を樹立[注 1]。1勝6敗ながら、最多セーブのタイトルを初めて獲得した。なお、シーズン中に国内FA権の資格要件を満たしたが、シーズン終了後に球団との間で3年契約を結んだ[2]。
2015年は一軍公式戦で救援失敗が相次いだ影響で、故障によって実戦に登板しなかった2008年を除いて、プロ入り後初めての未勝利でシーズンを終了。シーズン中に中継ぎへの再転向や二軍調整も経験したため、一軍公式戦では33試合の登板で、3敗12セーブ10ホールド、防御率4.06という成績に留まった。
2016年は球団が抑え候補としてエリック・コーディエを獲得したことから、コーディエにつなぐセットアッパーとして、一軍公式戦の開幕を迎えた。しかし、コーディエに救援の失敗が相次いだことを背景に、5月以降は抑えへ復帰。6月18日の対広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)では、前日12回裏の比嘉幹貴に続いて、9回裏に鈴木誠也からサヨナラ本塁打を浴びた[3]。それでも、7月から2ヶ月間の登板試合で無失点を続けた結果、通算58試合の登板でリーグ2位の31セーブと防御率1点台(1.92)でシーズンを終えた。
2017年開幕前の1月24日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された[4]。投手では最後の選出であった[5]が、同大会では秋吉亮と並んでチーム最多の6試合に登板すると、通算投球回数(5回1/3)を上回る7三振を奪った。シーズンでは開幕から抑えに起用されたが、7月上旬から中旬までの登板試合で3度のサヨナラ負けを経験。7月21日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(Koboパーク宮城)で3度目のサヨナラ負けを喫したことを機に、平野自身が再調整を希望したため、翌22日付で出場選手登録を抹消された[6]。8月10日から一軍に復帰すると、同日の対西武戦(京セラドーム)9回表の救援登板で、2年連続・自身4度目の一軍公式戦シーズン20セーブを達成[7]。さらに、8月27日にメットライフドームで催された同カードでシーズン23個目のセーブを挙げたことによって、NPB史上13人目の一軍公式戦通算150セーブを達成した[8]。一軍公式戦全体では、前年に続いて58試合へ登板。3勝7敗と大きく負け越しながら、セーブ数を29まで伸ばしてシーズンを終えた。
海外FA権の行使によるMLBへの挑戦
オフにはオリックスとの3年契約が満了したことから、MLB球団への移籍を視野に、11月7日付で海外FA権の行使を申請した[9]。
行使に際しては、MLB球団との交渉に向けて、イチローなどの代理人を務めるジョン・ボッグスと契約[10]。オリックス球団がFA権行使後の残留を認めていることから、MLB球団との契約へ至らなかった場合に、オリックスとの間で複数年契約を再び結ぶ意向も示していた[11]。しかし実際には、MLBの複数球団から獲得を打診[12]。
ダイヤモンドバックス時代
2017年12月22日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと2年契約を結んだことを発表した[13][14]。この合意を受けて、オリックス球団も同月26日に、平野の移籍記者会見を実施した[15]。
選手としての特徴
この選手としての特徴に関する文献や情報源が必要です。 (2015年2月) |
平均球速約148km/h[16]、最速156km/h[17]のストレートに、フォークボール、スライダー、カーブを投げる。変化球で特筆すべきはフォークボールで、鋭い変化と大きな落差で空振りを奪う決め球に使われることが多い。先発時代は大学時代から使われるスライダー、カーブも織り交ぜていたが、リリーフ転向後はほぼ全てストレートとフォークボールで配球を組み立てている。この2球種の完成度が極めて高いので、多数の三振を奪うことができる。
投手の制球力を示す指標の1つK/BB(奪三振÷与四球)では、リリーフに転向して以降、2010年3.60、2011年5.82、2012年16.00、2013年5.07になっており、特に2012年シーズンでは79回2/3を投げて、四球はわずかに5しか与えていない。MLB球団のスカウトからは、2014年の時点で、「四球が少なく、三振を奪えることが最大の魅力」と評価[18]。
連投やイニング跨ぎなどの過酷な登板にも耐えられるほどの体力の持ち主で、故障が少ない一方で、三振以外のアウトにゴロが多いことも特徴。本拠地のチェイス・フィールドがバッターズ・フィールド(打球が飛びやすい環境で打者に有利な球場)であるダイヤモンドバックスが平野の獲得に踏み切ったのは、MLBの投手には珍しくフォークボールを勝負球に使うことに加えて、打球に占めるゴロアウトの比率が高いことにもよるとされている[19]。
人物
この選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。 (2011年11月) |
座右の銘は「一所懸命」。これはアマチュア時代の監督の教えからの影響である。
プライドの高い性格でもあり、実家の母親への電話は自身が打たれて負けた試合の言い訳が殆どだという[20]。また、自身が打たれた翌日の新聞には目を通さない主義であると語っている[21]。
詳細情報
年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2006 | オリックス | 26 | 24 | 10 | 4 | 0 | 7 | 11 | 0 | 0 | .389 | 730 | 172.1 | 182 | 12 | 39 | 2 | 6 | 105 | 3 | 2 | 82 | 73 | 3.81 | 1.28 |
| 2007 | 27 | 26 | 2 | 2 | 1 | 8 | 13 | 0 | 0 | .381 | 710 | 171.2 | 172 | 18 | 28 | 0 | 5 | 124 | 1 | 0 | 75 | 71 | 3.72 | 1.17 | |
| 2009 | 20 | 18 | 2 | 1 | 0 | 3 | 12 | 0 | 0 | .200 | 495 | 114.1 | 129 | 14 | 38 | 0 | 0 | 91 | 2 | 0 | 60 | 60 | 4.72 | 1.46 | |
| 2010 | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 2 | 32 | .778 | 334 | 80.2 | 67 | 4 | 28 | 1 | 1 | 101 | 3 | 0 | 19 | 15 | 1.67 | 1.18 | |
| 2011 | 72 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 2 | 43 | .750 | 317 | 83.2 | 48 | 4 | 17 | 2 | 2 | 99 | 5 | 0 | 18 | 18 | 1.94 | 0.78 | |
| 2012 | 70 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 4 | 9 | 21 | .636 | 307 | 79.2 | 65 | 4 | 5 | 1 | 2 | 80 | 6 | 0 | 21 | 19 | 2.15 | 0.88 | |
| 2013 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 31 | 9 | .286 | 258 | 62.2 | 57 | 2 | 14 | 0 | 1 | 71 | 1 | 0 | 16 | 13 | 1.87 | 1.13 | |
| 2014 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 40 | 8 | .143 | 238 | 60.1 | 52 | 6 | 13 | 0 | 0 | 70 | 1 | 1 | 23 | 23 | 3.43 | 1.08 | |
| 2015 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 12 | 10 | .000 | 136 | 31.0 | 29 | 4 | 14 | 0 | 1 | 39 | 5 | 0 | 14 | 14 | 4.06 | 1.39 | |
| 2016 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 31 | 8 | .500 | 237 | 61.0 | 44 | 2 | 16 | 0 | 1 | 57 | 4 | 0 | 13 | 13 | 1.92 | 0.98 | |
| 2017 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 29 | 8 | .300 | 240 | 57.1 | 57 | 5 | 16 | 0 | 1 | 47 | 2 | 0 | 19 | 17 | 2.67 | 1.27 | |
| 通算:11年 | 549 | 68 | 14 | 7 | 1 | 48 | 69 | 156 | 139 | .410 | 4002 | 974.2 | 902 | 75 | 228 | 6 | 20 | 884 | 33 | 3 | 360 | 336 | 3.10 | 1.16 | |
- 2017年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
表彰
- パ・リーグ特別表彰:2回 (2011年、2014年) ※2011年はリーグ新(当時)の43ホールド・49ホールドポイント、2014年はリーグ新(当時)の40セーブを記録したことを称えて
記録
- 初記録
- 投手記録
- 初登板:2006年3月26日、対西武ライオンズ2回戦(インボイスSEIBUドーム)、8回裏に5番手で救援登板、高木浩之に右前安打を許し降板[22]
- 初先発登板・初勝利・初先発勝利:2006年3月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(フルキャストスタジアム宮城)、7回無失点[23]
- 初奪三振:同上、1回裏に礒部公一から見逃し三振[23]
- 初完投勝利・初完封勝利:2006年4月6日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(大阪ドーム)[24]
- 初ホールド:2010年4月21日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(京セラドーム大阪)、7回表に3番手で救援登板、2回無失点[25]
- 初セーブ:2010年7月28日、対北海道日本ハムファイターズ16回戦(スカイマークスタジアム)、8回表2死に2番手で救援登板・完了、11⁄3回無失点[26]
- 打撃記録
- 節目の記録
- 100セーブ:2016年4月24日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(QVCマリンフィールド)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上27人目(100ホールド以上記録している選手では史上3人目)[28]
- 150セーブ:2017年8月27日、対埼玉西武ライオンズ20回戦(メットライフドーム)、9回裏に7番手で救援登板・完了、1回1失点 ※史上13人目[8]
- その他の記録
- 月間セーブ:11 (2014年3・4月) ※パ・リーグタイ記録
- シーズンセーブ:40 (2014年) ※パ・リーグ記録(当時)
- オールスターゲーム出場:5回 (2006年、2010年 - 2013年)
背番号
- 16 (2006年 - 2017年)
登場曲
代表歴
脚注
注釈
出典
- ^ “オリックス平野結婚 直球勝負で美女の心“ホールド””. スポニチ Sponichi Annex (2011年12月29日). 2012年1月1日閲覧。
- ^ 【オリックス】平野、メジャーへ海外FA権行使を決断「自分の気持ち、方向性固まった」スポーツ報知 2017年11月7日
- ^ 広島 鈴木誠也 2試合連続サヨナラ本塁打!球団32年ぶりの快挙 スポーツニッポン 2016年6月18日
- ^ 「2017 WORLD BASEBALL CLASSIC™」侍ジャパン 出場選手について 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト (2017年1月24日) 2017年12月30日閲覧
- ^ オリックス平野がWBC28人目の侍 小久保監督側の打診を快諾スポーツニッポン 2017年1月23日
- ^ オリックス平野が登録抹消「自信なくしている」監督日刊スポーツ 2017年7月22日
- ^ オリックス平野が復活!2年連続4度目20セーブ日刊スポーツ 2017年8月11日
- ^ a b オリックス平野150S「1つでも多く積み重ねて」日刊スポーツ (2017年8月27日) 2017年8月28日閲覧
- ^ 【オリックス】平野、メジャーへ海外FA権行使を決断「自分の気持ち、方向性固まった」スポーツ報知 2017年11月7日
- ^ オリックス平野 海外FAならイチ代理人と契約 カブスなど本格調査スポーツニッポン 2017年9月30日
- ^ 【オリックス】平野は海外FA権行使 米か残留かスポーツ報知 2017年11月7日
- ^ 平野佳寿「数球団が興味を持ってくれていると」日刊スポーツ 2017年12月13日
- ^ [Steve Gilbert (2017年12月22日). “Hirano, D-backs reach two-year deal” (英語). MLB.com. 2017年12月25日閲覧。
- ^ “ダイヤモンドバックスが平野との契約発表「目標に貢献したい」”. スポーツニッポン (2017年12月23日). 2017年12月25日閲覧。
- ^ “平野佳寿投手移籍会見”. オリックスバファローズ (2017年12月26日). 2018年1月3日閲覧。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、52頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ “オリックス平野結婚 直球勝負で美女の心“ホールド””. スポニチ Sponichi Annex. (2011年12月19日) 2016年8月2日閲覧。
- ^ メジャースカウトが次に狙う日本人選手はこの6人 スポルティーバ 2014年4月14日
- ^ “ダイヤモンドバックスと合意の平野 高評価の理由 フォークとゴロアウトが決め手に”. スポーツニッポン (2017年12月23日). 2017年12月29日閲覧。
- ^ 現代ビジネス『特別読み物 大切に育てたから、いまがある この親にしてこのプロ野球選手 おかわりくん 栗原 唐川 今江 館山 平野 東出』
- ^ 現代ビジネス『二宮清純 レポート 平野佳寿 オリックスバファローズ・投手 試合の流れを断ち切る技術』
- ^ 2006年3月26日 【公式戦】 試合結果 (西武vsオリックス)
- ^ a b 2006年3月30日 【公式戦】 試合結果 (東北楽天vsオリックス)
- ^ 2006年4月6日 【公式戦】 試合結果 (オリックスvs千葉ロッテ)
- ^ 2010年4月21日 【公式戦】 試合結果 (オリックスvs北海道日本ハム)
- ^ 2010年7月28日 【公式戦】 試合結果 (オリックスvs北海道日本ハム)
- ^ 2006年6月9日 【公式戦】 試合結果 (横浜vsオリックス)
- ^ オリックス平野100S 100H以上では3人目 nikkansports.com 2016年4月25日配信
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference (Register)
- Yoshihisa Hirano stats MiLB.com
- 個人年度別成績 平野佳寿 - NPB.jp 日本野球機構