井田松江古墳群

日本の沼津市井田にある横穴式古墳群

これはこのページの過去の版です。Tanaka Zen (会話 | 投稿記録) による 2018年3月4日 (日) 07:30個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (発掘の経緯)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

井田松江古墳群(いたすんごうこふんぐん)は、静岡県沼津市井田にある静岡県指定史跡である。

井田松江古墳群
井田松江古墳18号墳
井田松江古墳群
位置 北緯35度0分29秒 東経138度46分47秒 / 北緯35.00806度 東経138.77972度 / 35.00806; 138.77972座標: 北緯35度0分29秒 東経138度46分47秒 / 北緯35.00806度 東経138.77972度 / 35.00806; 138.77972
形状 横穴式古墳
埋葬施設  
史跡 静岡県史跡
地図
井田松江古墳群の位置(静岡県内)
井田松江古墳群
井田松江古墳群
テンプレートを表示

概要

静岡県沼津市井田にある県指定史跡である。 井田松江古墳群は江戸時代から既に存在が確認されており、昭和60年ごろには「人穴」と呼ばれ近隣の子供達の遊び場になっていた。 [1] 昭和29年、39年、56・58年と3回に渡り調査が行われており、昭和29年の発掘調査では多くの出土品が見つかっているが、昭和29年冬に保管場所である三島南高校の火災と共に消失。 残りの出土品は戸田村立博物館へ収蔵されている。 [2] 現在は展望台「煌めきの丘」の階段から降りていき見学が容易に可能である。 [3]

発掘の経緯

井田松江古墳群は23基[4]とも、29基[5]とも報告されている。これら古墳群に対する発掘調査はこれまで3度行われている。

1回目は1954(昭和29)年に三島南高校長田実教諭により7号墳の調査が行われた[6]。 なお、この時の資料は出土資料と共に、同年冬に発生した同校の火災により焼失したが、焼けて残った遺物は戸田村立博物館へ収蔵されている[7]。 この時期(昭和20年代後半〜30年代)は高等学校郷土士研究部による遺跡の発掘が盛んに行われており、 翌1955年には同教諭の指導する三島南高校により21号墳の調査が行われた[8]

2回目は1964(昭和39)年に戸田村教育委員会の計画で長田実氏指導のもと小野真一氏により行われた。 9号墳、18号墳が調査され、石棺が発見されたが報告書は作成されなかった[9]

3回目は1995(平成7)年から1997年に井田松江古墳群調査整備委員会が組織され、青山学院大学文学部教授田村晃一教授を委員長として委員会にて行われた。これは1994年に本古墳群が県の史跡指定がなされたことが契機となった。7号墳、18号墳が再調査され、石室公開までの整備も行われた[10]

規模

古墳の直径は下記のとおり。1号墳〜6号墳は現在存在していない。[11]

7号墳

 約12メートル

    • 墳丘 東西約10.6メートル 西側墳裾部からの残存高約1.4メートル
    • 石室 全長約8.8メートル、乱石積み 玄室約5.7メートル、幅1.4〜1.8メートル 奥壁の高さは2.1メートル以上と考えられている。

[12]

8号墳

約7メートル

9号墳

約7メートル

10号墳

約11〜12メートル

11号墳

約8メートル

12号墳

約9メートル

13号墳

約6〜7メートル

14号墳

約10メートル

15号墳

約10〜12メートル

16号墳

約13〜14メートル

17号墳

約10〜11メートル

18号墳

約11メートル

  • 墳丘(楕円形)

直径約13メートル 短径約10メートル [13]

  • 石室(無袖横穴式石室)

全長約8.2メートル 玄室長約7.1メートル 幅約1.1メートル〜1.9メートル 奥壁高約2.0メートル 羨道部長約2.1メートル [14]

  • 石棺(大小2基の箱型石棺)
    • 1号石棺

外法 長さ約1.95メートル 幅約0.9メートル 高さ約0.7メートル

    • 2号石棺

外法 長さ約1.05メートル 幅約0.6メートル 高さ約0.4メートル  [15]

19号墳

約8メートル

20号墳

8〜10メートル

21号墳

10メートル程度

22号墳

7〜9メートル

23号墳

10〜11メートル

出土品

銀象嵌円頭大刀把頭

  • 18号墳は1964年に初めて発掘された。1996〜97年にかけての発掘で、長さ7.3cm幅4.8cmの銀象嵌円頭大刀把頭が1点出土した。文様は、二重円を3本の平行線で繋いだ亀甲繋文の中に単鳳(一羽の鳳凰)を配するもので、鳳凰を取り囲む旋毛状文などから、6世紀第4四半世紀のものとされている。この考察は、出土した須恵器の年代幅と矛盾しない。同様の文様をもつ象嵌円頭把頭には同じサイズの多くの類例が知られており、この井田松江18号古墳出土のものも、同一規格品の一つと見られている。

象嵌鐔

  • 1996〜97年の調査では、出土品のX線撮影が行われ、過去の出土遺物の中に象嵌鐔が4点あることが確認された。施されている文様はハート形文が1点、渦文が3点と分類された。これらは6世紀第4四半世紀から6世紀末のものと見なされている。

18号墳からこの他にも出土した刀関連の装具などから考えて、少なくとも4点の装飾的な大刀が副葬されていたことになる。被葬者たちはこれらを安定的に入手することができた、古墳群を作った人々の中でも比較的高い地位のものと見ることができる。 [16]

現地情報

所在地

関連施設

周辺

  • 江浦横穴群 - 静岡県指定史跡
  • 明神池_(沼津市)
  • 井田丸塚古墳群(沼津市井田萩原536)
  • 戸田沢海古墳(沼津市戸田沢海2762)
  • 戸田鬼川根岸古墳(沼津市鬼川洞2898)
  • 戸田沢海遺跡(沼津市戸田沢海7番地、8番地、19番地)

脚注

  1. ^ 戸田村教育委員会 「静岡県田方郡戸田村井田松江古墳群」 1994年
  2. ^ 戸田村教育委員会 「戸田村ふるさとの歴史」 平成3年4月1日発行
  3. ^ 煌めきの丘[[1]]
  4. ^ pp1-pp2,静岡県指定史跡 井田松江古墳群 調査整備事業報告書 2000年(平成12年)3月31日 編集・発行 戸田村教育委員会
  5. ^ pp10-pp11,戸田村 ふるさとの歴史 平成3年4月1日発行 編集 戸田村村史編纂委員会 発行 戸田村教育委員会
  6. ^ pp1-pp2,静岡県指定史跡 井田松江古墳群 調査整備事業報告書 2000年(平成12年)3月31日 編集・発行 戸田村教育委員会
  7. ^ pp10-pp11,戸田村 ふるさとの歴史 平成3年4月1日発行 編集 戸田村村史編纂委員会 発行 戸田村教育委員会
  8. ^ pp1-pp2,静岡県指定史跡 井田松江古墳群 調査整備事業報告書 2000年(平成12年)3月31日 編集・発行 戸田村教育委員会
  9. ^ pp1-pp2,静岡県指定史跡 井田松江古墳群 調査整備事業報告書 2000年(平成12年)3月31日 編集・発行 戸田村教育委員会
  10. ^ pp1-pp2,静岡県指定史跡 井田松江古墳群 調査整備事業報告書 2000年(平成12年)3月31日 編集・発行 戸田村教育委員会
  11. ^ 戸田村教育委員会 「静岡県指定井田松江古墳群調査整備事業報告書」  2000年  P14
  12. ^ 戸田村教育委員会 「静岡県指定井田松江古墳群調査整備事業報告書」  2000年  P20
  13. ^ 戸田村教育委員会 「静岡県指定井田松江古墳群調査整備事業報告書」  2000年  P32
  14. ^ 戸田村教育委員会 「静岡県指定井田松江古墳群調査整備事業報告書」  2000年  P35
  15. ^ 戸田村教育委員会 「静岡県指定井田松江古墳群調査整備事業報告書」  2000年  P37
  16. ^ 戸田村教育委員会 「静岡県指定井田松江古墳群調査整備事業報告書」  2000年  P89〜96

外部リンク


編集中です