つがる (列車)
つがるとは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が秋田駅 - 青森駅間を奥羽本線経由で運行している特急列車である。
つがる | |
---|---|
特急「つがる」(青森駅にて) | |
概要 | |
国 |
![]() |
種類 | 特急列車 |
現況 | 運行中 |
地域 | 秋田県・青森県 |
前身 |
特急「かもしか」 特急「いなほ」(秋田 - 青森) 寝台特急「あけぼの」(秋田 - 青森) |
運行開始 | 2010年12月4日 |
運営者 |
![]() |
路線 | |
起点 | 秋田駅 |
終点 | 青森駅 |
営業距離 | 185.8 km (115.5 mi) |
使用路線 | 奥羽本線 |
技術 | |
車両 |
E751系電車 (秋田車両センター) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 | 交流20,000 V 50 Hz |
最高速度 | 95km/h |
本項では、秋田県と青森県を結ぶ優等列車のほか、同名称で八戸駅 - 青森・弘前駅間を走行した特急列車、および上野駅 - 青森駅間で運転されていた急行列車「津軽」についても記述する。
概要
現在は秋田駅 - 青森駅間を運行する特急列車として運転されている。
当初は、2002年12月1日に東北新幹線盛岡駅 - 八戸駅間が延伸開業したことによるダイヤ改正により八戸駅 - 青森駅・弘前駅間を結ぶ特急列車として運転開始したが、2010年12月4日のダイヤ改正で東北新幹線が新青森駅まで延伸したことにより、従来の「つがる」は八戸 - 青森間を廃止、青森 - 弘前間を普通列車で代替した。
一方、同改正では秋田 - 青森間を走行する特急「かもしか」と「いなほ」の秋田駅 - 青森駅間計4往復が統合されることとなり、新愛称として「つがる」が秋田駅 - 青森駅間の奥羽本線を走行する特急列車の名称へ転用され、現在に至っている[1]。このため、同名称の列車が2002年以来連続して運転されてはいるものの、その性格は2010年を境に大きく変化したと言える。
列車名は青森市を含めた青森県西部の郡名および地域名に由来している。2002年に行われた八戸駅 - 函館駅間の特急列車名称の一般公募では2位にランクされており[2]、「新幹線と青森・弘前等の都市を結ぶ列車にふさわしい」として、別途八戸 - 弘前間特急を設定するにあたって起用された。
特急「つがる」(現行)
2016年3月26日現在、1日3往復が運行されている。
2016年3月25日までは5往復が設定されていたが、利用実態を踏まえ、2往復が普通・快速列車へ格下げとなった。うち1往復は同区間を座席利用可能であった寝台特急「あけぼの」の代替として2014年3月15日から毎日運転の臨時列車扱いとして設定されていたが、号数は通し番号であった。
このほか2010年12月4日の設定から2015年3月14日までは、臨時列車が大館駅 - 青森駅間で2往復(51 - 54号)設定されていた[3]。このうち大館行きの52号は、2010年12月4日から2013年3月15日まで青い森鉄道線浅虫温泉発で運転され、青い森鉄道線内は快速列車として運転されていたが、翌16日のダイヤ改正で青い森鉄道線内からの乗り入れが廃止された。さらに、2014年3月15日のダイヤ改正で、52・53号が快速、51・54号は普通列車(運転区間はいずれも弘前駅 - 青森駅間)にそれぞれ置き換えられて廃止された。
なお、新青森駅 - 青森駅の両駅相互間を普通車自由席に乗車する場合に限り、特急券は不要である。なお、2012年春季まで、「青春18きっぷ」と「北海道&東日本パス」にはこの特例は適用されなかった。詳しくは特別急行券#特急料金不要の特例区間を参照のこと。
停車駅
使用車両・編成
つがる | ||||||||||
← 秋田 青森 →
| ||||||||||
| ||||||||||
|
- E751系電車(秋田車両センター)
- 4両編成で運用されている。2010年12月4日のダイヤ改正で一時運用から離脱していたが、2011年4月23日以降、4両編成に短縮・方向転換[4]されて運用に復帰し[5]、2016年3月26日以降は原則すべての列車が本系列で運行されている。
- 当初は青森車両センター所属であったが、2016年3月26日付で青森車両センターが盛岡車両センター青森派出へ改組されたことを受け、全車が秋田車両センターへ転属している。
過去の車両
特急「つがる」(2010年12月3日以前)
つがる(2002年-2010年) | |
---|---|
概要 | |
国 | 日本 |
種類 | 特急列車 |
現況 | 運行終了 |
地域 | 青森県 |
前身 | 特急「はつかり」「スーパーはつかり」 |
運行開始 | 2002年12月1日 |
運行終了 | 2010年12月3日 |
後継 |
新幹線「はやぶさ」(八戸 - 新青森) 新幹線「はやて」(八戸 - 新青森) |
運営者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
路線 | |
起点 | 八戸駅 |
終点 | 弘前駅・青森駅 |
使用路線 | 東北本線・奥羽本線 |
技術 | |
車両 |
E751系電車 (青森車両センター) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 | 交流20,000 V 50 Hz |
最高速度 | 130km/h |
2002年12月1日の東北新幹線八戸駅開業にあたって、「はつかり」・「スーパーはつかり」の青森駅発着列車を引き継ぎ[9]、一部列車を弘前駅へ延長する形で設定された。2010年12月3日の東北新幹線新青森駅開業前日までは、八戸駅 - 弘前駅間で下り6本と上り5本が、八戸駅 - 青森駅間で3往復が運転されていた。また、八戸駅では東北新幹線の「はやて」に接続するダイヤを組んでいた。「つがる」6号は土曜日を中心に弘前駅 → 青森駅間で延長運転していた。運転開始当初は毎日運転であったが、利用者が低調であったことから、のちにこの形態に変更された。
「スーパーはつかり」を踏襲し、一部列車では八戸駅 - 青森駅間において130km/hでの運転も実施した。
また、青森ねぶた・弘前ねぷた期間中には、「つがる」29号(2003年 - 2005年は25号)が観光客輸送のために弘前駅 → 秋田駅間を臨時列車として延長運転していた。なお、2011年からは、「つがる」ではなく、臨時特急「ねぶたまつり」として運転されている。
停車駅
八戸駅 - (三沢駅) - (野辺地駅) - (浅虫温泉駅) - 青森駅 - (浪岡駅) - 弘前駅
- ( )は一部列車のみ停車。
使用車両
- E751系電車(青森車両センター)
- 6両編成で運用されていた。検査などで485系6両編成が代走することがあったが、代走する列車は固定されており、最高速度120km/hの485系で運行することを念頭に置いた運行ダイヤが組まれていた。ただし、E751系が検査などで2本が運用に入れない場合、最高速度130km/hのE751系での運行を念頭に置いた運行ダイヤの列車にも485系が充当されるため、130km/h運転を実施する八戸駅 - 青森駅間で約10分の遅れが発生した。
- 485系電車(青森車両センター)
- 485系は3000番台のみが運用されており、下りは17・27・31号、上りは16号に充当されていた。基本的に6両で運行されたが、8両編成へ増結される場合もあった。また多客期に運行される臨時「つがる」もすべてこの車両で運用されていた。このほか、臨時列車などで国鉄色の編成が2006年3月18日ダイヤ改正まで用いられた。
- 789系電車(函館運輸所)
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)に所属。2006年3月18日ダイヤ改正以降、特急「スーパー白鳥」の間合い運用として6号のみに充当されていた。当時はE751系・485系が方向転換を行う前であったため、本車充当列車のみグリーン車の位置が異なっていた。本系列も基本的に6両編成で運行されたが、増結により8両となる場合があった。また、785系電車(789系の増結用)が2010年12月のダイヤ改正直前に使用された。
-
485系3000番台
-
789系0番台
-
485系国鉄色
秋田対青森優等列車概略
白鳥・岩木
1960年12月に秋田駅 - 青森駅 - 鮫駅間で準急列車として「白鳥」が運転を開始し、ビジネス列車として秋田駅以北の都市間輸送を使命としていた。キハ55系などによる4両編成で運転されていたが、このうち2両は地元の利用債によって完成したものであった。こののち、日本海縦貫線で特急列車の運転の計画が持ち上がって列車名が「白鳥」に転用されることが決まると、秋田駅 - 鮫駅間の「白鳥」は、1961年9月に「岩木」に改称された。
「岩木」に改称されると同時に運転区間は秋田駅 - 青森駅間に変更されたが、青函連絡船との接続もなく、1965年10月に「むつ」に統合されて廃止された。
列車名の由来は、「白鳥」は国の天然記念物で青森県東津軽郡平内町の浅所海岸に飛来するハクチョウ、「岩木」は青森県弘前市および鰺ヶ沢町にある岩木山である。
むつ
「むつ」は1963年10月に仙台駅 - 青森駅間で運転を開始した急行列車であるが、1965年10月に準急「岩木」を統合して仙台駅 - 青森駅 - 秋田駅間の運転に変更された。しかし、大半の利用客は青森駅で入れ替わり、奥羽本線での運転距離は200kmに満たないことから、青森駅 - 秋田駅間は準急列車として運転され、1966年3月に全区間急行列車になった。その後、1968年10月には仙台駅 - 青森駅間は「くりこま」に系統分割され、「むつ」は青森駅 - 秋田駅間の運転に改められた。
1970年10月と1982年11月にそれぞれ1往復が増発されて最大3往復が運転されていたが、1985年3月に奥羽本線の特急網の整備によりほかの列車に統合されて1往復に削減されたまま特急列車化され、1986年11月まで運転された[10]。
列車名の由来は青森県・岩手県・宮城県・福島県と秋田県の一部の旧国名である陸奥国で、特急「むつ」のヘッドマークは岩木山と名産のリンゴがアレンジされたものであった。
秋田 - 青森間速達・優等列車沿革
- 1960年(昭和35年)12月28日:秋田駅 - 青森駅 - 鮫駅間で準急「白鳥」が運転開始。
- 1961年(昭和36年)9月15日:「白鳥」の名称を大阪駅 - 青森駅間運転の特別急行列車の名称に変更。この際に、青森駅で系統分離を行い、秋田駅 - 青森駅間に「岩木」の名称を与えられる。
- 1965年(昭和40年)10月1日:「岩木」が仙台駅 - 青森駅間の急行「むつ」に統合され、「むつ」は仙台駅 - 青森駅 - 秋田駅間の運転になる。
- 1968年(昭和43年)10月:「むつ」の運転区間が秋田駅 - 青森駅間に短縮される。
- 1972年(昭和47年)10月1日:「むつ」が1往復増発され、2往復になる。
- 1982年(昭和57年)11月15日:「むつ」が1往復増発され、3往復になる。
- 1985年(昭和60年)3月14日:急行「むつ」3往復について以下のように変更。
- 1986年(昭和61年)11月1日:特急「むつ」1往復が「たざわ」に編入されて廃止[10]。「むつ」の名称は定期特急としては1年8か月で消滅した。また、秋田駅 - 陸中花輪駅間で急行「よねしろ」が運転開始。
- もともと「よねしろ」の名称は1985年まで花輪線経由で秋田駅 - 盛岡駅間を運転していた急行列車の名称であった。なお、秋田駅 - 大館駅間のみ急行として運転していた(「八幡平」も参照のこと)。
- 1988年(昭和63年):「たざわ」に東能代駅発着列車を1往復設定。
- 1993年(平成5年):「たざわ」の1往復の青森駅乗り入れを終了し、東能代駅発着列車は大館駅発着に延長。また、奥羽本線経由で秋田駅 - 大館駅・青森駅間に快速列車「しらかみ」を設定し、別途、五能線五所川原駅・弘前駅 - 青森駅間運転の快速「岩木」を秋田駅・大館駅・弘前駅 - 青森駅間に変更し、電車化した快速列車「いわき」が運転開始。
- 1996年(平成8年)3月30日:秋田新幹線工事(改軌)に伴う、1年間の田沢湖線全線運休のため、「たざわ」は盛岡 - 秋田間の運行を終了(「秋田リレー」で代替)し、秋田駅 - 青森駅間2往復のみの運行となる。
- 1997年(平成9年)3月22日:秋田新幹線開業に伴い、「たざわ」の残存区間を「かもしか」に改称。快速「しらかみ」は「しらゆき」に改称。
- 1999年(平成11年)12月4日:「かもしか」の自由席が3号車(禁煙車)から1号車の半室(禁煙車)と2号車(喫煙車)になる。「しらゆき」は青森駅行き列車の廃止で秋田駅 - 東能代駅・大館駅間の運行となる。
- 2001年(平成13年)3月3日:大阪駅 - 青森駅間の「白鳥」が廃止。新潟~青森間を「いなほ」に分割。「かもしか」は3往復となる。
- 2002年(平成14年)12月1日:東北新幹線盛岡駅 - 八戸駅間開業によるダイヤ改正により、次のように変更。
- 八戸駅 - 青森駅・弘前駅間で「つがる」と、八戸駅・青森駅 - 函館駅間で特急「白鳥」「スーパー白鳥」が運転開始。
- 盛岡駅 - 青森駅・函館駅間の「はつかり」「スーパーはつかり」、青森-函館駅間の快速「海峡」を廃止・再編したもの。
- 「かもしか」の全列車が碇ケ関駅に停車、同時に1往復停車していた早口駅は全列車通過になる。
- 急行「よねしろ」を愛称なしの快速列車に廃止・格下げ。
- 快速の「しらゆき」「いわき」の名称を廃止。
- 八戸駅 - 青森駅・弘前駅間で「つがる」と、八戸駅・青森駅 - 函館駅間で特急「白鳥」「スーパー白鳥」が運転開始。
- 2003年(平成15年)8月2日:2002年まで青森駅 - 秋田駅間で運転されていた臨時特急「ねぶた」を受け継ぐ形で、「つがる」25号が弘前駅 - 秋田駅間で延長運転。以後、2010年夏季まで毎年8月2日 - 8月6日に運転。
- 2004年(平成16年):寝台特急「あけぼの」が新潟県中越地震で運休となったため、秋田駅 - 青森駅間は「かもしか」91・92号にて代替輸送を行う。ただし、車両運用の関係で一時期気動車による全車自由席の快速列車として運転した。
- 2006年(平成18年)3月18日:同日のダイヤ改正より「つがる」上り1本(6号)が789系による運用となる。
- 2007年(平成19年)3月18日:全車禁煙になる[11]。
- 2009年(平成21年)
- 3月14日:一部列車で行われていた車内販売が廃止[要出典]。
- 2010年(平成22年)12月4日:東北新幹線全線開通に伴うダイヤ改正により次のように変更。
- 2011年(平成23年)
- 2013年(平成25年)3月16日:ダイヤ改正に伴い、前日をもって毎日運転の臨時特急「つがる52号」の青い森鉄道からの直通運転を廃止。
- 2014年(平成26年)3月15日:ダイヤ改正に伴い「つがる」について以下のように変更。
- 2016年(平成28年)3月26日:利用の少ない「あけぼの」代替の臨時列車1往復含む2往復(下り1・7、上り2・10号)を削減し、3往復(1-6号)とする。代替として同時間帯に秋田駅 - 弘前駅間に新たに快速[16]・普通列車を設定[17][18]。485系が運用を離脱し、全列車をE751系で統一。
- 2018年(平成30年)3月17日:全列車が浪岡駅への停車を開始予定[19]。
急行「津軽」
急行「津軽」は、1922年(大正11年)3月に上野駅 - 青森駅間を東北本線・奥羽本線経由で結ぶ夜行急行701・702列車が夜行普通703・704・705・706列車とともに新設されたのが起源である。
その後、列車番号を401・402列車にあらため二等寝台車(現在のB寝台車に相当)の連結を開始、太平洋戦争に伴って運行区間を上野駅 - 秋田駅間に短縮し、普通列車へ格下げとなるが、戦後間もなく夜行準急405・406列車として優等列車に復帰し、1947年(昭和22年)6月には急行列車に格上げとなった。列車番号も401・402に変更された後の1950年(昭和25年)12月には急行「鳥海」(ちょうかい)の愛称が付されている。
一方で、上野駅 - 秋田駅間を高崎線・上越線・羽越本線経由で結ぶ優等列車は、上越線が開通した1931年(昭和6年)9月より二等寝台列車連結で設定され、寝台夜行急行「天の川」の起源となった。この列車は戦争中に廃止となったが、戦後、1948年(昭和23年)7月のダイヤ改正で、上野駅 - 新潟駅間毎日運転の夜行急行701・702列車の運行区間を延長する形で不定期急行2701・2702列車として運転を再開する。
「津軽」という列車名は、1954年(昭和29年)10月に開設された上野駅 - 青森駅間を上越線・羽越本線経由で結ぶ臨時の夜行急行列車にはじめて付されたものだが、2年後の1956年(昭和31年)11月には、東北本線・奥羽本線の定期夜行急行「鳥海」の運行区間を、戦前の運行体系どおりに青森駅まで延長復旧させた401・402列車の愛称として命名され、その後4半世紀にわたり東北本線・奥羽本線を経由して上野駅 - 青森駅間を結ぶ夜行急行列車として運行されることとなる。
この頃、1950年代から1960年代にかけては、東北地方から東京方面への出稼ぎや集団就職が盛んに行われていた時代であり、これら出稼ぎ者や集団就職者のうち、奥羽本線沿線(山形県・秋田県・青森県西部の地域)の人々にとっては、急行「津軽」は沿線唯一の優等列車であり、集団就職列車や長距離普通列車によって上京した人々にとっては、急行「津軽」の、特に一等寝台車(のちのA寝台車)を使用して帰郷することがいつしか成功の象徴ともなり、急行「津軽」はマスコミなどからは「出世列車」と呼ばれることとなった[20][21]。
急行「津軽」は1965年(昭和40年)10月に2往復体制となったが、1982年(昭和57年)11月の東北新幹線本格開業に伴い1往復を特急「あけぼの」に格上げされ1往復となり、1993年(平成5年)12月には臨時列車化され1998年(平成10年)1月の年始運転をもって廃止となった。
使用車両
- スハ43系客車:? - 1982年11月
- 10系客車:1956年11月 - 1982年11月
- 12系客車:1978年10月 - 1982年11月
- 20系客車:1982年11月 - 1983年6月
- 14系客車:1983年7月 - 1990年8月
- 583系電車:1990年9月 - 1992年6月、1993年10月 - 1998年1月
- 485系電車:1992年7月 - 1993年9月
沿革
- 1922年(大正11年)3月:上野駅 - 青森駅間を東北本線・奥羽本線経由で結ぶ夜行急行701・702列車が、夜行普通703・704・705・706列車とともに新設される。701・702列車は二・三等車および和食堂を連結していた。
- 1926年(大正15年)8月:夜行急行701・702列車(上野駅 - 青森駅間)の列車番号が401・402列車に変更される。同じく、703・704・705・706列車は403・404・405・406列車となる。このころから401-406列車に二等寝台車が連結される。
- 1940年(昭和15年)10月:夜行急行401・402列車の運行区間が上野駅 - 秋田駅間に短縮される。403・404・405・406列車は上野駅 - 青森駅間のまま。
- 1950年(昭和25年)12月:夜行急行401・402列車に「鳥海」(ちょうかい)の愛称が付けられる。
- 1954年(昭和29年)10月:上野駅 - 青森駅間の臨時夜行急行列車「津軽」を上越線・羽越本線経由で運転。
- 1956年(昭和31年)11月:上野駅 - 秋田駅間を東北本線・奥羽本線経由で結ぶ定期夜行急行401・402列車「鳥海」の運行区間を青森駅に延長し「津軽」と命名。
- 1965年(昭和40年)10月:急行「おが」1往復を青森まで延長し、「津軽」に名称変更。2往復体制となる。
- 1990年代前半まで繁忙期には、上野駅 - 弘前駅間に1 - 2往復の臨時列車を運行する。
- 1978年(昭和53年)10月:普通座席車を旧形客車から12系客車に変更する(寝台車は10系客車のまま変更なし)。
- 1980年(昭和55年)10月:グリーン車の連結を中止。
- 1982年(昭和57年)11月15日:2往復中旧1・4号の1往復を特急「あけぼの」に格上げし、残った1往復は車両を20系客車に変更する。
- 1983年(昭和58年)7月1日:車両を20系客車から14系客車に変更する。
- 混雑が続く「津軽」と季節急行「おが」の車両を交換し、ようやく事態は落ち着いたが、「津軽」から寝台車がなくなった。
- 1984年(昭和59年)2月1日:10両編成中4両を座席車から寝台車に変更する。
- 1985年(昭和60年)3月14日:車両を全車座席車に再度変更する。
- 1990年(平成2年)9月1日:車両を14系客車から583系電車に変更する。また、山形新幹線改軌工事の開始により、福島駅 - 山形駅間は東北本線・仙山線経由に経路変更する。
- 1992年(平成4年)7月1日:車両を485系電車に変更する。
- 1993年(平成5年)10月1日:使用車両を485系電車から583系電車に変更する。
- 1993年(平成5年)12月1日:急行「津軽」が臨時列車化される。
- 1998年(平成10年)1月:同年年始の設定[26]を最後に、臨時急行「津軽」が廃止。なお、「津軽」と同じく臨時急行として残されていた「八甲田」も同年夏の設定が最後となり、同年の年末以降は後述のリバイバル運転を除き上野駅 - 青森駅間の臨時急行自体が設定されなくなった[27]。
- 2001年(平成13年)12月29日(下り上野発)・2002年(平成14年)1月3日(上り青森発):臨時急行「なつかしの津軽」が、陸羽東線経由で14系客車を使用してリバイバル運転。
-
ED75 721けん引14系座席車
急行「津軽」(1987年 青森駅) -
485系電車
急行「津軽」(1992年 弘前駅)
参考文献
- 寺本光照『国鉄・JR列車名大事典』中央書院、2001年。ISBN 4-88732-093-0。
- 関崇博・池田光雅・諸河久『国鉄の車両5 奥羽・羽越線』1984年10月、保育社、ISBN 4-586-53005-7
脚注
- ^ 2010年12月のダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2010年9月16日
- ^ ”東北新幹線八戸開業 列車愛称決定について”(プレスリリース)、東日本旅客鉄道、2002年5月14日、(2016年9月19日閲覧)
- ^ a b 『JR時刻表』2012年3月号、交通新聞社。
- ^ 789系電車とグリーン車位置を合わせる措置。
- ^ 寺本光照『国鉄・JR 悲運の車両たち』JTBパブリッシング、2014年2月、118頁。ISBN 978-4-533-09552-8。
- ^ 『鉄道ファン』第598号、交友社、2011年2月、13頁。
- ^ 特急“つがる”に485系3000番台6両編成『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2013年4月29日
- ^ “つがる”51号に「かもしか」色の485系『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年12月12日
- ^ ただし、函館発着便の「はつかり」の後継に当たる「スーパー白鳥」・「白鳥」は青森駅 - 函館駅間の快速「海峡」の格上げ、青森「はつかり」との統合という意味合いもあったため、全ての青森発着列車が「つがる」となったわけではない。
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、48頁。
- ^ “2007年3月ダイヤ改正について” (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道. 22 December 2006. 2015年12月19日閲覧.
- ^ “2010年12月ダイヤ改正について” (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道. 24 September 2010. 2015年12月19日閲覧.
{{cite press release}}
: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “特急「つがる」へのE751系車両導入について” (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道秋田支社. 19 April 2011. 2015年12月19日閲覧.
{{cite press release}}
: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “「夏まつり」増発列車のお知らせ” (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道秋田支社. 4 July 2011. 2015年12月19日閲覧.
{{cite press release}}
: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “2014年3月 ダイヤ改正について” (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道秋田支社. 20 December 2013. 2015年4月6日閲覧.
- ^ 弘前 - 大館間の快速列車は、「八幡平」の弘前 - 大館間廃止以来、17年ぶりの復活となる。
- ^ “2016年3月ダイヤ改正について” (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道秋田支社. 18 December 2015. 2015年12月19日閲覧.
- ^ Web東奥 (2015年12月19日). “つがる2往復減 JRダイヤ改正(Yahoo japanサイト内の全文)”. 東奥日報 (東奥日報社) 2015年12月19日閲覧。
- ^ “2018年3月ダイヤ改正についてのお知らせ” (PDF). 東日本旅客鉄道秋田支社 (2017年12月15日). 2017年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月15日閲覧。
- ^ 土方草介『結構イイ加減節世相語から見た戦後日本』静岡学術出版、2009年、p.56。ISBN 978-4903859231
- ^ 連載245回 寝台特急「あけぼの」が「出世列車」と呼ばれた理由 - マイナビニュース 鉄道トリビア 記:杉山淳一( 2014年3月15日版 / 2015年9月12日閲覧)
- ^ ナハ21形の定員は64名で、ダイヤ改正前に使用していた12系はオハ12が88名、スハフ12・オハフ13が80名である。
- ^ ダイヤ改正前は「十和田」3・4号に使用されていた車両で、3号は盛岡まで全車指定席、盛岡 - 青森は全車自由席としてそれぞれ使用され、4号は全区間自由席として使用していた。
- ^ 関崇博・池田光雅・諸河久『国鉄の車両5 奥羽・羽越線』p30-33 1984年10月、保育社、ISBN 4-586-53005-7
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1984年12月号 No.440、p90、鉄道図書刊行会
- ^ 『鉄道ダイヤ情報』1998年1月号、弘済出版社。
- ^ 『JR時刻表』1999年1月号、弘済出版社。