AVエアー3378便墜落事故

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AVエアー3378便墜落事故は、ローリー・ダーラム国際空港リッチモンド国際空港行の国内定期便だった、AVエアー3378便(アメリカン・イーグル航空便として運航)が1988年2月19日の夜、ローリー・ダーラム空港から離陸直後に墜落した事故。乗員乗客12人全員が死亡した。AVエアー3378便墜落事故のほかにアメリカン・イーグル航空3378便墜落事故などとも呼ばれる。

AVエアー 3378便
同型のフェアチャイルド・メトロライナー(アメリカン・イーグル航空塗装)
事故の概要
日付 1988年2月19日
概要 CFIT、パイロットエラー
現場 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ノースカロライナ州ケーリー
北緯35度52分08秒 西経78度48分36秒 / 北緯35.869度 西経78.810度 / 35.869; -78.810座標: 北緯35度52分08秒 西経78度48分36秒 / 北緯35.869度 西経78.810度 / 35.869; -78.810
乗客数 10
乗員数 2
負傷者数 0
死者数 12 (全員)
生存者数 0
機種 フェアチャイルド メトロライナー
運用者 AVエアー (エア・バージニア)
機体記号 N622AV
出発地 アメリカ合衆国の旗 ローリー・ダーラム国際空港
目的地 アメリカ合衆国の旗 リッチモンド国際空港
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事故の経緯

事故当時、天候が良くなく視界が悪かった[1]

AVエアー3378便は現地時間21時25分にローリー・ダーラム国際空港滑走路から23R離陸し、300フィートまで上昇した。その後、3378便から航空管制官への最後の交信が聞こえた。3378便は適切な上昇速度を維持したが、旋回角度が40〜45度であった。標準的な旋回角度は22度なためほぼ倍近い角度で旋回し始めた。角度が大きすぎたため、機種が下を向き降下し始めた。その後、3378便は滑走路23Rの西5100フィートの地点で、深さがおよそ100フィートのため池に墜落した。残骸は地上と森にも散乱した。事故現場では火災も発生したが、すぐに消火された[2][3]

現地の管制官によると、彼は3378便の前にいたアメリカン航空MD-80を確認できなかった。彼はレーダーでMD-80を捉えて、3378便を離陸させた。彼は少しの時間、3378便をレーダーで確認し、ピードモント航空機を離陸させ、次の3分でセスナ機を着陸させ、出発管制官と調整し、3378便を探した。2131:45で、管制官が緊急システムに警告した[3][4]

この事故は、機体が極端に破壊されたため、国家運輸安全委員会(NTSB)によって事故原因の特定は困難とされた[3]

事故原因

NTSBは、1988年12月13日事故報告書を発表した。事故の予備原因は、副操縦士の不適切な計器の監視と失速警報装置の故障により、パイロットが適切な飛行経路を維持することができなかったことだとした。他に、副操縦士の緊急事態への対応の欠如、およびAVエアーの適切な監理体制の欠如とFAAの検査が不十分であったことだった[2][3]

1993年、エアライン・パイロット組合(ALPA)は調査の結果に反対する申立てを提出し、再検討するよう求めた。NTSBは部分的に申立てを受け入れた。この事故の原因は、パイロットが適切な飛行経路を維持できなかったことである。要因として、パイロットの訓練と業務監理・監督体制が不適切で、FAAのAVエアーに対する検査も不十分であった[2][3]

関連項目

脚注

  1. ^ 1970年以降、初のアメリカン航空グループの墜落事故”. airsafe.com. 2017年9月30日閲覧。
  2. ^ a b c メトロライナーN622AVの記録”. aviation-safety.net. 2017年9月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e AVエアー3378便のPDF”. National Transportation Safety Board. 2017年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月30日閲覧。
  4. ^ NTSB事故報告書(AVエアー3378便)”. NTSB. 2017年9月30日閲覧。