落語芸術協会
公益社団法人落語芸術協会(こうえきしゃだんほうじん らくごげいじゅつきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する公益社団法人。1977年まで日本芸術協会の名称であった。現在は桂歌丸が会長を務める。東京の落語家だけでなく、上方落語家の笑福亭鶴光や提携団体の日本講談協会所属の講談師も多数加入している。春風亭柳昇や桂米丸など新作落語の大家を多数輩出して永年「古典の協会、新作の芸協」と称されたが、米丸の弟子の桂歌丸が会長を務めるなど古典落語の名人も多く所属している。
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団体種類 | 公益社団法人 |
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設立 | 1977年12月16日 |
所在地 | 東京都新宿区西新宿六丁目12番30号 芸能花伝舎2階 |
法人番号 | 5011105004830 |
起源 | 日本芸術協会 |
主要人物 | 桂歌丸 (椎名巌) |
活動地域 |
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主眼 | 落語を主とする寄席芸能の向上普及を図り、もって我が国文化の発展に寄与することを目的とする |
活動内容 | 落語の創作及び研究発表会・鑑賞会等の開催、後進の育成及び寄席芸能関係者の顕彰、下座音楽実演家の育成等 |
ウェブサイト | http://www.geikyo.com/index.php |
創立:1930年10月11日、
所管:内閣府、 加入団体:日本芸能実演家団体協議会 (芸団協) 正会員、 提携:日本講談協会(神田紫会長) |
興行
- 奇数月上席(かみせき)1日〜10日 - 新宿末廣亭・池袋演芸場・お江戸上野広小路亭※初席、5月大型連休
- 奇数月中席(なかせき)11日〜20日 - 浅草演芸ホール・上野広小路亭(15日まで)※二の席
- 奇数月下席(しもせき)21日〜30日 - 新宿 ※新宿のみの興行となる
- 偶数月上席(かみせき)1日〜10日 - 浅草・上野広小路亭
- 偶数月中席(なかせき)11日〜20日 - 新宿・池袋・上野広小路亭(15日まで)※お盆興行
- 偶数月下席(しもせき)21日〜30日 - 浅草 ※浅草のみの興行となる
- 他に、上席・中席には国立演芸場、下席にはお江戸日本橋亭での定席興行がある。
- 浅草・池袋は5日制興行。
- 近年の新宿でのお盆興行では大喜利として「アロハマンダラーズ」による演奏が行われている。
- 江戸定席の一つである上野鈴本演芸場とは、番組編成を巡る確執が原因で1984年9月に絶縁しており、それ以来定席興行は組まれていない(代替として近隣のお江戸上野広小路亭で定席興行を行っている)。
- このほか、2018年4月に開場した仙台・花座で毎月10日間(上席5日、下席5日)の定席興行を行っている(後述)。
- また、月例の興行として、お江戸上野広小路亭での「しのばず寄席」、お江戸日本橋亭での「お江戸寄席」に「多流寄席」という形で協会員を参加させている。
定席では上方落語協会、協会客員の6代目三遊亭円楽が所属する円楽一門会、本協会所属外で正式な客員ではないが準レギュラーの出演が多い立川談之助ら落語立川流など、落語家や色物の芸人も出演している。
各月下席は一つの寄席でのみ興行する。落語協会に比べて客入りが悪く、定席側から他団体との合流提案が出ている[1]。
歴代会長
代 | 氏名 | 期間 | 副会長 | |
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1 | 6代目春風亭柳橋 | 1930年10月 - 1974年3月 | 柳家金語楼 | 1930年10月 - 1933年4月 |
2代目桂小文治 | 1933年4月 - 1967年11月 | |||
5代目古今亭今輔 | 1967年11月 - 1974年3月 | |||
2 | 5代目古今亭今輔 | 1974年3月 - 1976年12月 | (不在) | - |
3 | 4代目桂米丸 | 1977年2月 - 1999年9月 | 5代目春風亭柳昇 | 1977年2月 - 1999年9月 |
4 | 10代目桂文治 | 1999年10月 - 2004年1月 | 桂歌丸 | 1999年10月 - 2004年1月 |
5 | 桂歌丸 | 2004年2月 - 現職 | 7代目春風亭柳橋 | 2004年2月 - 2004年10月 |
三遊亭小遊三 | 2005年1月 - 現職 |
沿革
設立までの経緯
芸術協会の設立は吉本興業などが関わっている。
落語家の柳家金語楼は、「兵隊」という既存の落語に突発事項を発端として独自演出を加えて人気を博すと、開局したばかりのNHKから出演依頼があった。ラジオで演芸を聴くと客が寄席に来なくなることを危惧し、大阪と東京の寄席経営者はラジオ放送を敵視して相互に協定を結び、放送に出演する芸人を拒否することにした。人気絶頂の金語楼が敢然とNHKに出演すると、寄席経営者は金語楼の各寄席への出演を禁じ、抜け駆けを防ぐために金語楼を出演させた寄席に罰則や罰金を課し、ラジオと寄席への対立から金語楼一門は上がる寄席を失い、単独で興行を打つことを余儀なくされた。
大阪でほぼすべての寄席を所有していた吉本興業は、所属芸人に放送への出演を禁じたが、初代桂春團治は破った。吉本のおもな芸人はみな会社に多額の借金を負う計算にされており、借金を取り立てる名目で吉本が春團治宅の家財を差し押さえた経緯は、俗に赤紙口封じ事件として知られる。
吉本興業は東京へ進出すると、売れっ子ながら寄席に上がれない金語楼に強い関心を寄せた。既存の寄席では野心を持つ神楽坂演芸場や千葉博巳席亭が現れ、意を同じくする吉本興業と千葉博巳は合同して金語楼に新しい協会を作らせた。春團治と金語楼はともに寄席の意向に反して行動したが、春團治の生活を破壊した吉本は金語楼に手を伸べた。
6代目春風亭柳橋は落語睦会に所属して若手の3代目春風亭柳好、2代目桂小文治、8代目桂文楽らとともに「睦の四天王」と称されたが、「この先どこまで上手くなるのだろう」と一人抜けて人気が高まり、千葉博巳は注目していた。
金語楼と柳橋は共に子供でプロ落語家になった「子方」だが、金語楼は初代柳家三語楼一門に転ずるまで三遊派で、柳橋は柳派保守本流であり両人はほとんど面識がなく、吉本と千葉が2人を引き合わせて2人で新協会を作ることに同意させた。新協会設立に際して落語睦会から柳橋を借り出すことになり、吉本と千葉は会長の5代目柳亭左楽に了解を求めに行くと、左楽は了承の条件として金銭的解決を提案した。左楽は「金語楼から金額は不明だが月々の小遣い銭を貰う」と人気絶頂の金語楼に全く問題のない条件を提示し、左楽と柳橋は良好な関係を保ったまま柳橋に新協会を作らせることができた。左楽は「睦会がダメになったらあたしもそっちの(新)協会に行くから」と軽口を言って笑わせたが、のちに現実となった。
この計画の趣旨は「金語楼に協会を作らせること」であった。金語楼の人気は柳橋よりも圧倒的に上まわっていたが、金語楼は自分が副会長に下がり柳橋を会長にする案を出した。これは金語楼一流の処世術で、金語楼嫡子の山下武は戦後の「東京喜劇人協会」設立時に金語楼が自ら初代副会長に引いたことと同じとしている。柳橋は金語楼よりも真打になった時期が早く落語家として序列が上で、年齢も柳橋が年長であるため、柳橋も異論はなく「31歳の会長」が誕生した。
「寄席は落語という芸術、講談芸術、漫才芸術、漫談芸術、ものまね芸術などさまざまな芸術を総合的に実演する」と解釈した金語楼と柳橋は「日本芸術協会」と命名した。
神保町「神田花月」など東京に複数存在した吉本興業の寄席と神楽坂演芸場のほか、麻布十番倶楽部などで興行を打った。
金語楼は1年後別行動をとり、正式に吉本興業と専属契約を結んで吉本の芸人となり、吉本の大阪も含む全芸人の中で最高の待遇を受けた。
年表
- 1930年10月11日 - 日本芸術協会設立。
- 1931年 - 金語楼副会長が演劇や地方公演に忙しくなり事実上脱退。
- 1933年4月 - 日本演芸協会(2代目桂小文治会長)を吸収合併。2代目桂小文治が副会長となる。
- 1934年 - 7代目正蔵脱退。
- 1937年11月13日 - 落語睦会解散。残党の5代目柳亭左楽、春風亭柳好(野ざらしの柳好)らが入会。
- 1940年5月 - 日本芸能文化連盟が結成、その構成団体として講談落語協会が結成される。第二班(落語部)部長に六代目柳橋が就任。
- 1945年 - 終戦後に講談落語協会が解散し、元の形態である日本芸術協会などに戻る
- 1956年1月 - 昔々亭桃太郎入会。
- 1959年5月 - 3代目桂三木助退会。
- 1964年5月 - 2代目桂枝太郎の尽力で浅草演芸ホールが開場。
- 1967年1月 - 人形町末廣・浅草演芸ホールの初席が落語協会の公演となる。日本芸術協会は新宿末広亭・池袋演芸場で初席。各席1月上席・中席・下席を日本芸術協会と落語協会で交互に興行するために両協会の会長と各寄席席亭とで話し合った結果。
- 1967年11月 - 2代目小文治副会長死去。副会長は小文治の弟子5代目古今亭今輔が就任。
- 1969年3月 - 組織改革。理事制を導入。
- 1970年1月20日 - 人形町末廣廃業。最後の芝居を受け持つ(主任は5代目今輔、お婆さん落語)。
- 1970年3月 - 立地条件の悪さから極度の不入りで興行が成り立たないため、池袋演芸場と絶縁。
- 1972年 - 4代目柳亭痴楽が理事長になる。
- 1973年10月 - 4代目痴楽理事長が病に倒れる(2代目桂枝雀・5代目笑福亭枝鶴・4代目福團治のトリプル襲名披露興行、大阪道頓堀角座)。長期療養のため理事長職続行出来ず。
- 1973年 - 人気者だった桂高丸(日高はじめ)・桂菊丸兄弟が退会。
- 1974年3月1日 - 春風亭柳橋が相談役に退き、5代目古今亭今輔が副会長から会長就任。
- 1976年12月10日 - 5代目今輔会長死去。
- 1977年2月14日 - 4代目桂米丸会長(今輔総領弟子)、5代目春風亭柳昇副会長となる。
- 1977年12月10日 - 旧法のもとで法人格を取得。団体名も日本芸術協会から社団法人落語芸術協会と改称。
- 1978年3月 - 柳昇副会長が促進委員長を務め推進した国立劇場演芸場が開場。
- 1978年8月 - 協会事務所を西新宿に構える。
- 1979年5月 - 6代目柳橋相談役死去。
- 1979年6月 - 3代目江戸家猫八が落語協会を退会し当協会に入会。
- 1979年8月 - 桂歌丸・4代目三遊亭小圓遊が理事就任。
- 1980年10月 - 小圓遊理事死去。
- 1984年9月 - 興行成績不振から落語協会と合同での興行を打診されたため、上野鈴本演芸場と絶縁。代替として近隣の御徒町吉池デパートで『吉池土曜落語会』を開催。
- 1984年12月 - 桂文朝・桂文生・桂南喬・桂扇生が退会し落語協会へ移籍。
- 1989年4月 - 機関誌『寿限無』創刊。
- 1990年4月 - 上方落語協会所属の笑福亭鶴光が入会(以降、両協会ともに所属)。
- 1990年7月 - ケーシー高峰入会(のち退会)。
- 1993年9月 - 池袋演芸場、改装を終え営業再開。再び同協会の定席となる。
- 1996年5月 - お江戸上野広小路亭開業に伴い、『吉池土曜落語会』が終了。
- 1999年9月 - 米丸会長・柳昇副会長勇退(それぞれ最高顧問、理事長に就任)。会長は10代目桂文治、副会長・桂歌丸、副会長付・三遊亭小遊三。
- 2001年8月 - 機関誌である季刊『芸協』創刊。
- 2002年1月 - 5日制興行に移行。(浅草演芸ホール・池袋演芸場)
- 2003年6月16日 - 5代目春風亭柳昇理事長死去。
- 2004年1月31日 - 10代目文治会長死去(会長職の任期満了日であった)。
- 2004年2月1日 - 桂歌丸が会長就任。副会長・7代目春風亭柳橋。
- 2004年10月 - 7代目柳橋副会長死去。
- 2005年1月 - 三遊亭小遊三が副会長就任。
- 2005年3月 - 協会事務所を現在の芸能花伝舎(西新宿)に移転。
- 2007年10月28日 - 芸協らくごまつり(芸能花伝舎)開催。以降毎年10月最終日曜日に行われている。
- 2008年12月1日 - 社団法人が廃止され、特例社団法人となる。
- 2010年頃? - 落語芸術協会仙台事務所[2]を開設し、以後、魅知国(みちのく)仙台寄席を毎月開催する。
- 2011年4月1日 - 内閣府からの認可を受け、公益社団法人へ移行。これに伴い、社団法人落語芸術協会より、公益社団法人落語芸術協会に改称。
- 2015年1月 - 落語立川流を離脱した立川談幸一門が入会(談幸は真打の身分だが、2年間は「準会員」として入会。二つ目2名は改めて前座修行を課す)。
- 2017年6月27日 - 円楽一門会所属の6代目三遊亭円楽が客員真打として入会。
所属会員
真打
同協会に所属する落語家のほか、同協会の定席で修業した一部の所属講談師も香盤に組み入れられ、「真打」として扱われる者もいる。
- 笑福亭鶴光(真打(上方))
二ツ目
前座
前座は楽屋入りからプロフィール掲載まで時間差があり、公演スケジュール[6]にのみ掲載されている名前がある。*印は公演スケジュールにのみ掲載されている名前。
- 柳亭楽ちん
- 三遊亭馬ん長
- 瀧川鯉佐久
- 三遊亭金の助
- 桂伸しん
- 桂竹もん
- 春風亭べん橋
- 瀧川あまぐ鯉
- 笑福亭茶光
- 春雨や晴太
- 三遊亭金かん
- 三遊亭あんぱん
- 神田桜子(講談)
- 三遊亭遊七
- 三遊亭馬ん次
- 春風亭昇りん
- 昔昔亭全太郎
- 春風亭昇咲
- 桂こう治
- 瀧川どっと鯉
- 三遊亭あら馬
- 立川幸七
- 立川幸太
- 桂しん乃
- 立川幸吾
- 柳家ふくびき*
- 桂小すみ(音曲)[7]*
色物
()内に役職のほか、芸種を示す。芸種は公式サイトの記述による。講談師は山陽以降は前座から芸協で修行しているため落語家と同じ香盤であるが、それ以前の者は色物として扱われている(太字で示す)。講談師の中には香盤上は色物であるが、中にはトリを取る者もいる。
- ナイツ(漫才)
- 鏡味初音(太神楽曲芸)
- 林家花(紙切り)
- チャーリーカンパニー(コント)
- 北見翼(和妻)
- 鏡味味千代(太神楽曲芸)
- コント青年団(コント)
- ザ・ニュースペーパー(コント集団)
- 丸一小助・小時(太神楽曲芸)
- 鏡味よし乃(太神楽曲芸)
- カントリーズ(漫才)
- 小泉ポロン(奇術、「スティファニー」[8])
- 山上兄弟(奇術)
- ナオユキ(スタンダップコメディー)
- 林家喜之輔(紙切り)
- 浅草ジンタ(バンド、色物(客員))
おはやし
古田尚美、滝沢仁美、斎須祥子、福岡民江、稲葉千秋、成田みち子、足立奈保、木本惠子
系図(落語家のみ)
- 真打は太字、前座は小文字で示した。また、6代目円楽は円楽一門会を参照。
- †印は物故者、名跡の後の数字は代数を表す。物故者については公式サイトの記載がある者または系図上必要な者について記載。
仙台事務所
この他、東北を拠点に活動する芸人と多く業務提携を結び、また、芸協や漫才協会等と提携し東京から芸人を派遣している。
2018年4月、宮城県仙台市青葉区の繁華街に常設の寄席「花座」が開場。同館の名誉館長に桂歌丸が就任し、芸協が毎月1~5日および21~25日に10日間の定席興行を行う事となった[10]。
関連項目
芸協関連商品
- 芸協らくごまつり(DVD3枚組BOX)…創立80周年記念DVD Vol.1-3&DVD BOX(2010年)
脚注
- ^ “「今のままじゃあ、寄席にお客来ない」”. 朝日新聞. (2012年1月26日) 2012年12月3日閲覧。
- ^ 魅知国(みちのく)仙台寄席
- ^ http://www.geikyo.com/profile/index.php
- ^ 東京かわら版編・寄席演芸家名鑑
- ^ “円楽 落語芸術協会に加入 落語界“統一”へ一歩”. デイリースポーツ. (2017年6月28日) 2017年7月6日閲覧。
- ^ http://www.geikyo.com/schedule/index.php
- ^ 元おはやしの松本優子。
- ^ a b 北見伸が立ち上げた女性マジシャンユニット。芸協のサイトではユニットとしてのプロフィールページも設けられている。メンバーはナナ、ポロンの他にプチ☆レディーがいるが芸協正会員ではなくプロフィールは掲載されていない(高座に上がることはある)。
- ^ 株式会社BBI(仙台寄席・芸協仙台事務所を運営する企業)
- ^ 落語:「とにかく笑って…」仙台に常設寄席「花座」開場へ - 毎日新聞 2017年8月28日(同年12月6日閲覧)