加藤峻二

ボートレーサー

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加藤 峻二(かとう しゅんじ、1942年1月12日 - )は、埼玉県秩父市出身の元ボートレーサーである。

加藤峻二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県
生年月日 (1942-01-12) 1942年1月12日(83歳)
身長 163cm
体重 50kg
血液型 A型
選手情報
所属 埼玉支部
登録番号 1485
登録期 5期
選手実績
デビュー日 1959年7月
選手引退日 2015年5月7日
SG優勝 4回
GI/PGI優勝 21回
通算勝利 出走14652回 3294勝 優勝120回[1]
(生涯成績)
主要獲得タイトル
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登録番号は1485番(5期生)、埼玉支部所属。2015年5月7日の引退まで、現役最年長レーサーであった。17歳のデビューから73歳まで現役で活躍した。

来歴

1942年1月12日生まれ、埼玉県秩父市出身[2][3]埼玉県立小鹿野高等学校を2年で中退し、競艇選手を目指す[3]

1959年7月桐生競艇場でデビュー[3]。当時17歳であった。

愛称は「峻ちゃん」。若年層の競艇ファンからは、その功績を称えて「御大」とも称される。

1970年代には、同じく戸田競艇場をホーム水面としていた金子安雄とともに『埼玉KK砲』としてその名を全国的に轟かせ、4つのSG競走[† 1]で優勝した。GIも通算21回優勝。また、笹川賞のファン投票では得票数第1位を三度経験している[4]

驚異的にフライングが少ない選手としても有名で、通算のフライング事故はわずか25回である[5]。過去にスタート無事故3000走を1回、スタート無事故2000走を2回達成している[3]。2回目のスタート無事故2000走は、2006年9月27日に三国競艇場で達成しており、同年12月29日に、戸田競艇場で行われた正月レース「埼玉選手権」の選手紹介・18年度優秀選手表彰式にて、野中和夫選手会長より表彰を受けている。

  • 2003年平和島競艇場で行われた第30回笹川賞競走に、61歳4か月で出場。更に優出[† 2]をも果たし(結果は5着)、当時のSG最年長出場記録、SG最年長優出記録を更新した。
  • 2004年1月4日、戸田競艇場にて、競艇史上4人目となるデビュー通算3000勝を達成。未だに記録を更新し続け、現役選手では1位。競艇史上でも歴代2位の記録を持つ。
  • 2005年9月28日から10月2日には、本人は出場しなかったが、戸田競艇場にて加藤の名前がタイトルとなった一般戦競走も行われた(現在も「隼(はやぶさ)杯」として行われている、デビュー15年未満の選手を対象としたレース)。
  • 2007年大村競艇場で行われた第8回競艇名人戦競走において、65歳3ヶ月で優勝戦への出場を果たした。これにより、GI競走、および一般戦競走における最年長優出記録を更新した[† 3]。2007年後期には、競艇選手の最高ランクであるA1級に復帰した。しかしその後はランクを下げている。
  • 2009年7月24日、艇界初となる選手登録50年を迎えた。
  • 2010年、現役選手としてボートレースの殿堂入りを果たした[6]
  • 2012年1月12日、史上初の70歳代の競艇選手[† 4]となった。6月2日のボートレース蒲郡で勝利。当時の公営競技最年長勝利を記録した。
  • 2013年3月25日、戸田競艇場でのJCN埼玉杯優勝戦で1着となり、通算120回目の優勝を飾る。71歳2ヶ月での優勝であり、高塚清一が2013年1月29日の常滑優勝戦で65歳10ヶ月で達成した、ボートレース最年長優勝記録を更新することとなった[7]
  • 2014年5月6日、戸田競艇場での第25回ウインビーカップ・第46回報知新聞社杯に72歳3ヶ月で優出し、自身が持つ最年長優出記録を更新した(結果は3位)[8]
  • 2015年5月1日、戸田競艇場での第26回ウィンビーカップ、初日2Rでフライング返還欠場。2016年前期級別審査フライング第1号となるとともに、自身としては約15年8ヶ月ぶり(1999年9月4日浜名湖12R準優勝戦以来)のフライングとなった[5]。このフライングを理由にこの開催節の終了後、引退を決意し、5月7日に引退を発表した[9][10]。なお、これをもって、登録番号1000番台の選手は全員が引退した。この開催節では当時中学3年生のフィギュアスケート選手であった平川香織がボートレースファンである父とともに観戦しており、この加藤の活躍ぶりを見て後にボートレーサーに転身することを決意している[11]

主なSGタイトル

参考文献

  • 蛭子能収『競艇入門』ポケットブック社〈Pocket book 38〉、1992年。ISBN 978-4-341-14038-0 

脚注

注釈

  1. ^ 但し、その当時には現在のような競艇の競走格付け制度がなく(制度導入は1988年から)、スペシャルグレード競走ではなく「四大特別競走」と呼称されていた。
  2. ^ 優勝戦に出場すること。あるいはその権利を勝ち取ること。
  3. ^ それまでの最年長優出記録は、1998年に一般戦競走で記録された森田敏の64歳10ヶ月。
  4. ^ その後万谷章が70歳まで現役を送り、2014年には山下恭文が史上3人目の70歳代の競艇選手となった。加藤が引退する2ヶ月前の2015年3月には山下も引退している。加藤、万谷、山下の70歳代選手がすべて引退したことにより、2015年5月8日からの現役最年長選手は高塚清一となった(ボートレースオフィシャルウェブトップページ「BOATRACE NUMBER NOW」で確認可能)。その高塚も2017年に史上4人目の70歳代の競艇選手となっている。

出典

関連項目

外部リンク