水曜どうでしょうの企画 (日本国内)
水曜どうでしょうの企画(すいようどうでしょうのきかく)では、北海道テレビ放送制作のバラエティ深夜番組『水曜どうでしょう』(以下『どうでしょう』)、および『どうでしょうリターンズ』(以下『リターンズ』)『水曜どうでしょうClassic』(以下『Classic』)で放送された企画の中から、「レギュラー放送」時(1996年10月から2002年9月)に日本国内で収録した企画について述べる。
企画名については番組内で多数の呼び方がある企画があるが、本記事においては「水曜どうでしょうDVD全集」として発売した映像に付与されたものを正式タイトルとした。
サイコロの旅
鈴井貴之考案の企画のひとつ。『どうでしょう』を象徴する企画であり、多くの番組で類似企画が放送されている。番組開始からほぼ半年に1度のペースで放送されていたが、1999年12月に放送された「サイコロ6」を最後に実施されていない。
6つのサイコロの目それぞれに移動手段と行き先を割り当て、大泉洋と鈴井が明治のサイコロキャラメル[1]のサイコロを振って出た目によって次の行き先を決定する。東京(第4弾は出雲大社)から北海道へ帰ってこられたらゴール[2]。「宿泊」などの目が出ない限りはゴールするまでひたすら移動を続けなければならず、高速バスやフェリー、寝台列車などでの長時間移動を余儀なくされる過酷な企画である[3]。 サイコロを振る際は、TV番組『ごきげんよう』の「何が出るかな? 何が出るかな?…[4]」を掛け声にして踊る(主に大泉が振る際)のが通例。なお、番組内では「深夜バス」のワードを“一般路線バスの深夜運行便”ではなく“高速バスの夜行路線”に対して用いており、以降はこれに沿って表記を行う。
原則は「週末にロケを行い、月曜日の午前中がタイムリミット」となっていた。理由として、鈴井がパーソナリティを務めていたラジオ番組『GO・I・S』(AIR-G')が月曜日 - 金曜日の夕方(帯番組)に生放送されていたため、週終わりの放送終了から週明けの放送開始までのスパンで帰札を可能にするためである。ただし「2」「3(前編)」「4」「6」では「最後のサイコロで北海道にゴールできず、時間切れで終了」という形を取っている(その場合は千歳行きのある最寄りの空港からの帰札)。なお「2」以降においては、タイムリミットの直前のサイコロの目が高確率(3〜4項目)で“札幌”ないし“千歳”などの目に差し替えられるチャンスタイムが行われる。チャンスタイムでゴールとなる目が出たのは、6回のうち「3(後編)」「5」の2回のみ(「3」は前編・後編を分けてカウント。また、「1」はチャンスタイム以前に札幌に戻れる目が出たため、「サイコロ韓国」は企画趣旨が異なるために除く)。
回を追うごとに2人の出すサイコロの目の傾向がクローズアップされるようになっており、時折かなりの長距離でゴールから遠ざかることがあるが基本的に着実に北へ向かう選択肢を出す大泉に対し、鈴井は「5」で奇跡的にゴールを決める事もあったが、シリーズ全般において高確率で四国・九州の目を出してしまうなどいわゆる『ダメ人間』と称される運の悪さを露呈している。その為、ただ単に北海道へ帰るのが目的の企画でありながら、2人の運が鍵となる企画でもあると言える。この出演陣の傾向は、後に遂行される「カントリーサインの旅」や「絵ハガキの旅」といった他の「複数の行き先候補から1つ選ぶ」方式の企画でも度々注目されている。
1度だけ外国で行った「サイコロ韓国」がある(詳細は韓国食い道楽 サイコロの旅を参照)。
2001年に発売されたパソコン用CD-ROM「水曜どうでしょう大辞典vol.2 サイコロの旅ゲーム」において、ゲーム化されている。その際に実際に乗車したりフリップにのみ記された深夜バスの名称にはすべてアレンジが入っている(例「おけさ号」→「おさけ号」)が、本編さながらの構成となっている。
サイコロ1
『どうでしょう』レギュラー放送最初の旅企画。当初の企画名は「アンルイスの取材で東京までせっかく来たんだから何かやってから帰りましょう企画」。2000年発売の『水曜どうでしょうビデオ』第1巻にも収録されている(数量限定発売。後の『Classic』での放送、DVD収録のものも『どうでしょうビデオ』が基になっている)。レギュラー放送版では冒頭でアン・ルイスとのインタビューが放送されたため、午前中の再放送や『リターンズ』では第2夜を「粗大ゴミで家を作ろう」第1夜と同時に放送し、『Classic』では全1回に再編集された。
記念すべき初の企画および番組での旅だが、大泉には「インタビューの後は品川プリンスホテルに一泊して企画を考える」と伝えられ、初回から他の3人に騙されることとなった。大泉は「企画は本来事前に考えてくるものだろう」と思いつつ“屋形船で豪遊”などの案を提示したが、この時点で既に秘密裏に「サイコロ」の実施が決まっていたためにボツとされた。制限時間となった9月15日に鈴井は前述の「AIR-G'での仕事がある」ため、大泉は「親戚の人が来る」ため、藤村忠寿ディレクター(以下「藤村D」)は「子供の運動会がある」ため、どうしても帰札する必要があった。なお、「サイコロ」で鈴井を除くどうでしょう班の面々にも帰札理由があったのは「1」のみである。
- 行程
- 六本木プリンスホテルでアン・ルイスのインタビュー→東京・新宿高速バスターミナルから深夜バス(オレンジライナー・伊予鉄バス担当便)で松山・道後温泉→松山駅から特急宇和海と八幡浜駅乗り換え宇和島運輸フェリーで臼杵港→臼杵駅から特急にちりんで小倉駅→山陽新幹線で新大阪駅→寝台急行きたぐにで新潟駅→新潟港からフェリーで小樽港(GOAL)
- 備考
- 新潟行きの寝台急行(きたぐに)では、三連休の前日ということで新大阪駅で寝台券が3枚しか取れずに、「何らかの方法によって」大泉が自由席に座ることになった。しかし、後日談では大泉がギブアップして藤村Dと同じ寝台で寝たという話がある[5]。
- この回は初めてということもあり、藤村Dはほとんど介入しなかったが(喋りも少なめ)、逆にめったに出ない嬉野雅道ディレクター(以下「嬉野D」)がフェリーに酔ってしまい横たわって映る珍しいシーンがある。おまけに新幹線車内でディレクターのどちらかが鼻血を出すなど、ディレクター陣(以下「D陣」)には散々な旅であったと思われる [6]。
- オレンジライナーにて道後温泉本館前に到着後、温泉に入ろうと本館に行こうとした際に鈴井・大泉が荷物を持っていくのを忘れかけ、駆け足で荷物を置いていた商店街の店の前に向かった。だが、この時に大泉が濡れた地面で滑り盛大な音を立て転倒。その瞬間はカメラを向けていなかった為映らなかったものの、音のみしっかりと記録され、直後の大泉の様子も放送された。
- 史上唯一のシーンとして、臼杵でサイコロを振った際にいい目が出なかった(「特急にちりんで小倉」)ことで、大泉がサイコロを蹴り飛ばす行動に出た(番組内では「大泉さん謀反」と表現)。当然ながら、出演者が自分でルールを破ることはご法度であり、その後の特急の中で鈴井に「オレたちはサイコロの目に従うしかないんだ」と叱りを受けた。ただし、DVDの副音声の解説によると「鈴井自身も松山で『臼杵』を出した際に大泉に文句を言われ、同様の行動を取った」という。
- なお、松山から臼杵への移動の際、予讃線の松山駅から特急宇和海に八幡浜駅まで乗車しているが、字幕スーパーでは松山市駅(伊予鉄道)となっている[7]。この時、2人が同じのりばの改札口に近い側に停車している別の特急列車に乗り間違えかけているシーンがあるが、これは一行が乗車しようとする直前に松山に到着して宇和海に連絡し、折り返し岡山・高松方面へ向かう特急しおかぜといしづちであり、仮に誤乗車していた場合(北海道には近づくが)サイコロの目とは全く逆方向に向かう羽目にあっていた。また、鈴井が臼杵への経路を説明する際にフェリー乗り場のある八幡浜のことを「やはたはま」と読んでいるが正しくは「やわたはま」と読む。
- 小倉では料理店での食事中にサイコロを振っている。こうした場面でサイコロを振るのはシリーズ中で唯一のシーンである。また、ここが大泉が初めてサイコロを振った場所であり、その際に出た『新幹線で新大阪』への移動が、大泉にとって人生初の新幹線移動となった。
- 新潟ではサイコロを振り、一気に北海道に行く方法が新潟港からフェリーで小樽港だと聞かされ18時間もかかることを知らされた時、大泉は急にシャツを脱ぎ「おい帰してくれ」「スッと帰してくれ!」と不満を顕にした。ちなみにこのロケ収録の時期は前番組の『モザイクな夜V3』が放送されていた(終了直前の時期であった)こともあってか、鈴井がシャツを脱いだ大泉を見て「あっ元気くんだ!元気くんだ!元気くんでーす!」と発言するシーンがある[8]。
サイコロ2 〜西日本完全制覇〜
「1」と同じく「歌手とのインタビュー(西城秀樹との対談)」という名目を立て、大泉を「サイコロ1」でアン・ルイスにインタビューした時と同じ六本木プリンスホテルへと向かわせたが、到着した先に待ち構えた鈴井から「サイコロの旅」であることが知らされる。『どうでしょう』においては導入部が初の「(本格的な)大泉だまし」となった。大泉が東京に行く経緯は本放送・『リターンズ』およびDVDにおいては公開されているが、『Classic』では東京に向かうまでの様子が短尺の編集が施され、「サイコロ」であるとネタばらしした直後から本編の映像がスタートした。
大泉は偽の名目で東京に来たことから、当企画では常に西城をイメージした衣装を着用。しかし、冬場のロケにもかかわらず生地が薄手だったこと、上着を地肌の上へ直接着用していた(途中からはTシャツを衣装の下に着込んでいるシーンもあり、後述の「壇ノ浦レポート」では相当寒かったからかジャンパーを羽織っている)こと、この年は西日本を異常寒波が襲っていた[9]ことなど、様々な要因が重なったために常に寒さを訴えていた。
- 行程
- 六本木プリンスホテル→東京駅から新幹線グリーン車で新神戸駅→三ノ宮駅から深夜バス(レッツ号[10])で熊本交通センター下車熊本駅→特急あそ号(時間の都合上急遽三重町駅下車でタクシー)と佐伯港からフェリー経由で宿毛港→土佐中村からレンタカーで高知駅→深夜バス(はりまや号)で博多駅→新幹線福山駅乗り換えJR笠岡駅から高速船で白石島→笠岡駅に戻りJRで岡山駅と高松駅乗り換え特急うずしお号で徳島駅→(1泊)→フェリーで和歌山港(時間切れ)
- 備考
- 新神戸に向かう新幹線では、サイコロ史上唯一のグリーン車に乗車した。どうでしょう班が乗車したのは当時まだひかりとして運行されていた100系新幹線の二階建て車両で、2階にあるグリーン車にはテレビが備え付けられているなど2000年代以降には見られなくなった設備が備わっており、ゴールとは逆方向に向かっているにも関わらず2人は終始グリーン車を満喫していた。また、大泉はこの時「グリーン車には必ず有名人が乗っているはず」と車内を探索したところ、当時福岡ダイエーホークス監督だった王貞治が寝ているのを発見し、視聴者に報告している。
- はりまや号の休憩地点であった壇之浦PAにおいて、連続した移動や2夜続けての深夜バスへの乗車によって、疲労が遂に極限状態に達した大泉・鈴井が「バス(の車中)でもう寝れない」、「ディレクターがうなされた」などとレポート(状況報告)を行った。このレポートは“カメラを通じて臨場感・緊迫感・疲労感が生々しくも十分に伝わる内容”として『どうでしょう』の歴史に残り、「(伝説の)壇ノ浦レポート」と呼ばれている。
- 白石島及び徳島に行く際、その理不尽さに鈴井からの怒りを買ってしまった。しかし、番組上それでは良くないということから、鈴井は本来甘いものが苦手であるにもかかわらず「甘いものが大好き」という設定にして、「藤村D・大泉が、移動中に購入したきび団子を鈴井に差し出し、鈴井がそれを喜んで食べて機嫌を直す」というシーンを挿入した。
- その後の企画で藤村Dはこの出来事を逆手に取り、幾度となく鈴井に甘いものを差し出すようになり、鈴井も「甘い物好き」という設定の下、苦しみながら甘いものを食べるという「お約束」が出来た。これを番組内で「ミスター[11] 生き地獄」と称するようになった。
- 白石島から徳島への選択は、これまで出た目に対して、自分がその行き先候補を選択肢として提示しておきながら文句を言いがちだった藤村Dが出演陣(特に大泉)に「だったらやってみろ」と怒りをぶつけられた為それに押される形でサイコロを振っている。後にも先にもD陣がサイコロを振ったのはこの1回である。
- サイコロフリップの選択肢読み上げはこれまで鈴井(またはナレーションの藤村D)が行っていたが、徳島のチャンスタイムで初めて知った大泉が読み上げを行った。
サイコロ3 〜自律神経完全破壊〜
- DVD第4弾『サイコロ3 〜自律神経完全破壊〜 前編/後編 完全版』に収録。
嬉野Dがテレビドラマ『なまらキッズ』監督のため不在となり、代理として藤村Dと同期入社の杉山順一D(「モザイクな夜」チーフD・のちの『鈴井の巣』チーフD)が同行。撮影は藤村Dが行った。
「サイコロ3」はサイコロシリーズで最も長い旅となり、放送期間も一番長い。また、導入部の樋口了一密着取材のシーンは、全編旅企画中心の編成になる以前、アーティストインタビューなどの別コーナーを織り交ぜて放送していたどうでしょう初期の番組編成に近い内容を公式な形で見ることができる貴重なものとなっている。
- 前編
当初は大泉による『GO・I・S』での鈴井への密着取材という偽企画で、歌手・樋口了一が『GO・I・S』のゲストとして出演。そのトーク内で翌日に自宅訪問をするという企画を大泉抜きで進め、実際に実行(これが1つ目のドッキリ)。川崎市高津区の樋口の自宅、および樋口が当時所属していた東芝EMI[12]の「studio TERRA」[13]で取材を行い、その後に「サイコロの旅」であると告げられるダブルドッキリとなっている。なお、月曜日には『GO・I・S』の公開生放送の予定が入っており、鈴井が「14時半までには絶対会場にいなければいけない」ために帰札を急いだが、結果的に帰ることが出来ずに企画初めての「時間切れリタイア」を喫した。
- 行程
- 川崎市高津区梶ヶ谷→樋口の運転する車で東芝EMI品川スタジオ→東京・品川バスターミナルから深夜バス(キャメル号・日本交通担当便)で鳥取駅→特急はくと号で京都駅→特急サンダーバード号で敦賀駅→特急しらさぎで金沢駅→深夜バス(加賀号・西日本鉄道担当便)で博多駅→特急ハウステンボスでハウステンボス駅→特急ハウステンボスと鳥栖駅乗り換え特急つばめで西鹿児島駅→寝台特急なはで岡山駅→新幹線西明石駅乗り換えJR明石駅から高速船で淡路島・岩屋港(時間切れ)
- 後編
前編が終了した4日後に「札幌に(サイコロの目を出して)帰れるまでちゃんとやろう」と、「サイコロ2」以降立て続けに時間切れ終了となっている現状にケリをつける為に再度スケジュールを確保し、前編で最後に出た淡路島へ向かいリスタート。淡路島までの行程は番組初の大泉拉致騒動であり、「道内で企画をやる」と嘘の内容でスケジュールを確保した上で自宅近くまで迎えに行き、車中で真相を明かして強制的に新千歳空港へと向かった。その際に大泉が「いやこら拉致だよ!」と叫んだことで、この一件が「大泉洋拉致事件」と命名されている。この企画以降は大泉騙しのレパートリーに「拉致」が加わり、徐々にやり口がエスカレートしながら定番化する事となった。また、道内での企画と思っていた大泉は「雪道を歩くことになってもいいように」と、父親の所持品で「雪面の飛び魚」の異名を自称するスノーブーツを着用していた。
- 行程
- 淡路島・津名港→高速バスで徳島駅→特急うずしお号で高松駅のち岡山駅乗り換えJRで倉敷駅→深夜バス(マスカット号・関東バス担当便)で東京・新宿高速バスターミナル→東京駅から新幹線で新神戸駅→神戸ヘリポートからカワサキヘリコプタシステム定期便ヘリコプターで但馬空港経由湯村温泉ヘリポート→浜坂駅から特急はまかぜ号と城崎駅乗り換え特急きのさき号で京都駅→深夜バス(ギャラクシー号・近鉄バス担当便)で福島駅→山形新幹線つばさと山形駅乗り換え特急こまくさ号で大曲駅→秋田新幹線改め田沢湖線代行バスで盛岡駅→八戸港からフェリーで苫小牧港(GOAL)
- 備考
- 導入部の樋口への密着取材で東芝EMIのスタジオへ行った際、たまたまレコーディング機器のチャンネルに空きがあった為、成り行きで大泉が樋口の楽曲『Anniversary song』をレコーディング体験する事となった。後年大泉は『本日のスープ』で歌手デビューを果たすが、レコーディング経験はこの企画が最初である。
- 前編では因美線→智頭急行→山陽本線という流れで鳥取から京都へ向かっているが、「智頭急行(ちずきゅうこう)」を鈴井が「すがきゅうこう」と誤って発言している(この際、テロップ表記も「すが」の誤表示となっている[14])。また、地図上はくと号のルートが山陰本線経由で表示されている。また京都から敦賀への移動時にも湖西線(こせいせん)を鈴井が「こさいせん」と誤読している。
- 前編では「サイコロ」シリーズにおいて初であり唯一の寝台特急である「なは」に乗車した。これは過去にも選択肢としては寝台特急の名が挙げられていたが、選択を外していたため。
- なお、車内では大泉が雑誌に掲載されるエッセイの原稿を執筆しており、寝台に寝転がりながら文章をしたためる様子が収められている。
- 今回代理参加となった杉山Dだが、「大泉へ旅の途中で『逃げちゃお』と逃亡をけしかける」「鳥取での抽選中にお土産を買いに行き、行き先が決まってから合流する」「加賀号の車内で酒盛りをして、下戸の大泉を体調不良にする」などの行動を取っている。また、『鈴井の巣』(第15回放送)においては「個室のようにカーテンで仕切られていた深夜バス(加賀号)の中で杉山Dが自慰行為をし、話を聞いた鈴井が『それは気がつかなかった』と悔しがった」ことが大泉から暴露された。
- 後編で徳島へ移動する際、テロップで「鳴門市」を「鳴戸市」と誤記している(これは「四国八十八ヵ所(第1弾)」でも見られ、『Classic』でも訂正されていない)。
- 後編の後半で秋田新幹線が選択肢に含まれていたのは、開業直前(3月22日開業に対しロケ日は3月9日)に関わらずD陣が開業後用の時刻表を見て勘違いしたため。この時は代行バスに変更されている。
- 後編の特急うずしお車内から倉敷駅でのサイコロを振るシーンまでは藤村Dがマイクのスイッチを入れ忘れたため、藤村Dのナレーションで状況説明を行った。これについて大泉は「プロの仕事とは思えません」と発言している[16]。
- 後編での神戸からの移動では、「サイコロ」では初のヘリコプター移動が実現。ヘリ移動が決まってから搭乗前にかけての大泉は「ケビン・コスナーじゃん[17]」「エアーウルフだね」「トップガンみたい」などと発言して嬉しさを表現。離陸後もしばらくの間はしゃいでいたが、行程の途中から口数が少なくなり、着陸直前にエチケット袋の中に嘔吐するという「ヘリ嘔吐事件」が発生。なお、嘔吐した際に昼食として食べたハヤシライスが出てきたことから、以降大泉はハヤシライスが食べられなくなったという。
- 後編の京都駅前で鈴井は「同じ場所でサイコロを振るのは徳島以来」と発言しているが、実際には後編で徳島の後にサイコロ2で訪れた新神戸でもサイコロを振っている。
- 湯村温泉での選択肢の字幕に「舞鶴(福井県)」と書かれる誤りがある(正しくは「京都府」)。
サイコロ4 〜日本列島完全制覇〜
冒頭は「北海道212市町村カントリーサインの旅IIの続き」という大泉へのドッキリで始まる。大泉の乗った車が「カントリーサインの旅II」で最後に引き当てた生田原町ではなく、逆方向にある新千歳空港へと向かっていることにいつ大泉が気付くのかを追った。番組内ではチェックポイントとして、
- 生田原町方面に近い札幌インターチェンジへ向かう環状通と、千歳方面に近い北広島インターチェンジへ繋がる国道36号との交差点。生田原町へは環状通をそのまま直進して札幌ICへ、千歳へは右折して36号に入り北広島ICへ向かうことになる。
- 北広島IC入口を通過直後の分岐点。札幌と苫小牧の表示で分岐されており、生田原町へは札幌方面、千歳へは苫小牧方面の分岐に入る。
- 千歳インターチェンジ。料金所の屋根にしっかりと“千歳”の表示があり、出口500m手前の表示には「千歳空港」の文字も掲出されている。
- 新千歳空港。言うまでもなく企画をスタートさせるための本来の目的地であり、ナレーションの藤村D曰く「赤ん坊でも気づく」レベルのチェックポイントである。
の4ヶ所を設定した。大泉は出発直後のトークで「家を出た時点では212ではなく、他の企画かもしれないと疑っていた[18]」ことを語ったが、「まさかストレートに212でくるとはね」と、あっさり「カントリーサインの旅」への道程と信じ込んだ状態で出発[19]。車内ではD陣などから「とにかく喋る」ようにけしかけられるなどの理由から、大泉は当時番組内で繰り広げていた嘘話に集中し、結果的に千歳ICまでの道中のチェックポイントを何事もなく通過した[20]。
空港の目前ながらあまりに鈍感なことへ業を煮やし、鈴井は改めて現在地を地図で見せて逆方向へ進んでいることを把握させたが、「俺わかんないんだよ高速ってどうやって行くのか」と混乱する大泉。だが、直後に鈴井からネタバレとして「疲れてんじゃない? 甘いもの食べなよ」とサイコロキャラメルを差し出され、ようやくこのロケが「サイコロ」の収録と把握するに至った。サイコロキャラメルを渡された直後に全容を理解した大泉は、「サイコロやな? 今日サイコロやな!」と車内で絶叫し、藤村Dは「君は、なんでここまで気が付かないの!?」と驚きを隠せない様子だった。一方で「サイコロ」以上に移動が過酷(になる場合もある[21])なことから、大泉は「212(と聞かされたこと)でひどくガッカリしてた」「212よりはいいかな」と騙されたながらも比較的乗り気な態度を見せた。
この回の開始地は通例の東京ではなく、「どうでしょう班が中国地方で唯一行っていない」のがこの当時島根県のみであったため、イレギュラーなパターンとして出雲市の出雲大社からとなった。
- 行程
- 出雲大社→出雲市駅から特急スーパーやくも号と岡山駅乗り換え新幹線で広島駅→(1泊)→新幹線ひかり号と新大阪駅乗り換え特急サンダーバード宇奈月号で富山駅→富山地方鉄道と立山黒部アルペンルートで信濃大町駅→レンタカー(長野自動車道 - 中央自動車道 - 東名高速道路 - 東名阪自動車道 - 伊勢自動車道)で伊勢神宮→伊勢市駅からJR快速みえ号と名古屋駅のち東京駅乗り換え新幹線で仙台駅→新幹線やまびこ号で宇都宮駅→深夜バス(とちの木号)で京都駅→新幹線で博多駅(時間切れ)
- 備考
- 大泉の“登山家”キャラが初登場した回で、「立山黒部アルペンルートに対する危険性を強く訴える」「『なぜこの時期に開山しているのか分からない』と主張する」といった設定を展開していった。特にトロリーバスは「最も危険である」とし、“トロリー”のワードから生まれた「"トローリー!"(大泉)→"オー!"(その他)」の掛け声は、その後の企画でも長距離の徒歩移動で度々使用されている。なお、その大泉当人は行程ですっかり疲弊し、2本目の関電トンネルトロリーバスの車中では鈴井らから頭を叩かれながらも就寝してしまう(番組内では「死んだ」と表現)。
- レンタカーで中央自動車道を通る際、深夜バスのはかた号と遭遇しており、「バスに乗ってる人達は博多までがんばるんですねぇ」「何の目を出して連れて行かれるのやら」「あれは人間の乗るものじゃない」とネタにしていたが、もちろんどうでしょう班はこの時、次回作ではかた号に2回も乗車する(いずれも目撃したものと同様の東京発博多便)ことになろうとは知る由もなかった。
- この移動シーンで、以降番組のテーマソングとなった「1/6の夢旅人」が初披露される。
- 一度は仙台まで北上するも、同地での抽選において1から4の出目が全て「北海道行き」だったにも関わらず、大泉が宇都宮行きの目を出してしまう。さらに鈴井が宇都宮での抽選で京都の出目を引き当て、一気に南下。D陣がお情けで1の出目を「新幹線で東京(到着後に羽田から新千歳へ向かうため、実質ゴール扱い)」に、2の出目を「博多」、それ以外の出目を全て「関空発千歳行き」と設定したが、大泉が2を引き当て、博多に到着したところで時間切れとなった。
- 広島での選択において、「アシアナ航空でソウル」という目があった。大泉のパスポートは当時「局預かり」扱いだったが、鈴井のパスポートは事務所の副社長でもある妻を通して入手されていた。パスポートを常時預けていた大泉は驚きつつも想定内である様な素ぶりだったが、自分のパスポートまでも預けられているとは想定していなかった鈴井は、まさかの選択肢にかなり驚いていた。なお、海外へ向かう目はこの時以外で設定されたことはない。
- 広島で一泊し、翌朝ひかりにて新大阪へ行くことになるが、朝食は大泉が広島名物の駅弁しゃもじかきめしなのに対し、鈴井は同じく広島銘菓のもみじ饅頭(にしき堂製の24個入りのもので、本編中では「もみじ幕の内」と表現)であった(ちなみに鈴井はカキが大好物)。また、伊勢神宮では朝から名物の赤福を9個、仙台ではずんだ餅を大量に食べさせられた[22]。
- 新大阪からサンダーバードに乗車し富山へ向かうが、ロケ期間と連休がバッティングしたことが影響して指定券が3枚分しか確保出来ず、大泉のみ自由席に座ることとなるが、座席が満員だったため新大阪から富山までをデッキで過ごしている。
- 富山でサイコロを振る際、鈴井が特急「白鳥」を「しらとり」と誤読している。
- 仙台でサイコロを振る際、藤村Dは「これが最後のサイコロになるんだから」、大泉は「3月でお役目御免」「4月から別のやつが(サイコロを)振ってる」と、番組の終了あるいは大泉の降板を匂わす発言をしているが、画面上には「深い意味はございません」というテロップが掲示された[23][24]。
サイコロ5 〜キングオブ深夜バス〜
- 行程
- 東京・羽田空港→新宿高速バスターミナルから深夜バス(キング・オブ・深夜バス はかた号・京王帝都電鉄担当便)で博多駅→特急「つばめ」号で西鹿児島駅→JR快速「なのはな」号で指宿温泉→鹿児島に戻りマリックスラインで奄美大島→飛行機で鹿児島空港経由大阪国際空港→新大阪駅から新幹線で東京駅→また新宿高速バスターミナルから深夜バス(はかた号・西日本鉄道担当便)で博多駅→福岡空港から飛行機で新千歳空港より札幌(GOAL)
- 備考
- 今回より、企画説明と最初の選択は羽田空港国内線ターミナル(現在の国内線第1ターミナル)前に固定された。「4」まで定番となっていた『サイコロをやる為に大泉を騙して連れ出す』流れは今回から廃止となった。その為、大泉にも事前にサイコロをやると伝えた上で東京に来ており、今回は2人揃って『勝負服』で挑んだ。しかし、1回目の選択で藤村Dは、新千歳行の便をはじめ、全国各地への便が数多く運航されている羽田空港にいるのにも関わらず、「初心に立ち返る」という名目で全選択肢を深夜バスで揃えた為、大泉から「君は頭が弱いよ」と罵倒されている。
- 鹿児島からの「快速なのはな」車中で、藤村Dと鈴井が白熊の早食い対決を行った。これが後に行われる様々な甘い物対決、ひいては「対決列島」の発祥となった。なお、この勝負は食べている途中から成り行きで始まり、最後は鈴井が口に入れた氷を噴き出してしまい藤村Dの勝ちとなった。
- 大阪行き飛行機内や大阪国際空港での選択、東京行き新幹線車内シーンは藤村Dのナレーション対応で簡略化されている(副音声によると「時間を確保するため」)。
- この当時のはかた号は京王と西鉄が時間差で2便運行しており、「5」のみでどうでしょう班はその両方に乗車しているが、1999年に京王は運行から撤退し、西鉄の単独運行となった。
- 博多駅から鹿児島へ行く際、地図の説明では特急「つばめ」号の経路が途中八代駅から肥薩線と日豊本線を経由する山沿いルートになっている(当時の特急「つばめ」号は鹿児島本線のみの運行で博多駅 - 西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)間を結んでいたため、これは明確な間違いである)。
- サイコロの旅においてはこの旅でいった奄美大島が最南端である。
- キングオブ深夜バス「はかた号」
- 1回目の「はかた号」乗車中に、大泉・藤村D・嬉野Dの3名は車内で『釣りバカ日誌6』を鑑賞。大泉はこの時のことを「少しウトウトしてふと目が覚めたら始まっており、しかもその時点でまだ序盤だった」「釣りバカ日誌がいっこうに進まない」「起きたらまだ釣ってる」などとコメントした。また、この「いくら寝ても時間が進んでいない現象」状況が「逆浦島現象」と命名され、乗車時間の長さについては「『釣りバカ』で言えば6本見れる」と表現している。余談ではあるが、2006年に『釣りバカ日誌17 あとは能登なれハマとなれ!』に大泉は村井徹役(作品のキーパーソン)で出演を果たした。
- これ以外にも絶妙なタイミングでの映画上映や、映画終了と同時に諏訪湖SA到着のアナウンスが入るなどの完璧なスケジューリングを指し、諏訪湖SAで大泉と藤村Dが「管理型深夜バス」である(反対は放任型)と認定。「うるさい子供が何も喋れなくなるほど管理する教育力は驚異的だ」と語った。また2回目の「はかた号」では、大泉が怒りを露にするほどの毅然とした態度の車内アナウンスや、撮影中のカメラが乗務員に強引にカーテンで遮られる事態も発生し、「キングオブ深夜バス」の名にふさわしい管理力の高さが浮き彫りとなった。
- はかた号は2017年7月現在も国内最長距離である。2011年から2015年5月にかけては西武観光バスと西鉄高速バスが「Lions Express」の運行を行っており、こちらのバスが最長距離となっていた。また、路線バス事業者以外の長距離バスでは、2017年現在、サンシャインツアーが不定期で企画している佐野アウトレットー博多線が最長である。
- 2回目の「はかた号」乗車中、鈴井は休憩ポイントの下松SAで「ケツの肉が取れる夢を見た」と告白する。大泉は「ハムスターのように」寝ていたと発言。座る部分を枕にし、足を入れるスペースに体を入れるという奇想天外な寝方をあみ出すも、やれて1時間だと語った。
ゴールデンスペシャル サイコロ6
- 1999年12月15日19:00 - 19:54、および24:25 - 24:55放送、全2夜(第1夜は1時間枠)。
- DVD第18弾『ゴールデンスペシャル サイコロ6/onちゃんカレンダー/30時間テレビの裏側全部見せます!』に収録。
放送当時は「サイコロ6 ゴールデン・スペシャル」と表記。この企画の前に放送された「ヨーロッパ・リベンジ」の最終夜で高視聴率(18.6%、ビデオリサーチ調べ。この番組の歴代最高視聴率でもある)を獲得し、番組の人気が出てきた事からゴールデンタイムでの放送を敢行。19:00からの1時間枠で前編を放送し、通常放送の時間帯で後編を放送した。『リターンズ』では2週、『Classic』では3週に再編集されて放送された。
なお、放送前日の夕方からは30時間にわたって放送の告知生CMを放送し、その時の詳細な様子が「30時間テレビの裏側全部見せます!」にて後日放送された。なお、「30時間-」の翌週放送の「onちゃんカレンダー」では、前枠で大泉・鈴井が袴姿になり「放送の結果が惨敗だった」ことを懺悔している。ちなみに平均視聴率は12%(ビデオリサーチ調べ)だった。また、放送当日は他局の裏番組に「いい旅・夢気分」があった為、それを意識した発言が随所に登場している。
- 行程
- 東京・羽田空港→(東京モノレールとJR山手線のち中央線乗り継ぎ武蔵境駅下車タクシー)調布飛行場から飛行機(新中央航空)で伊豆大島→高速船と熱海駅乗り換え新幹線こだま号で東京駅→羽田空港から飛行機で高知空港→高知駅から深夜バス(よさこい号・高知県交通担当便)で大阪・梅田阪急三番街→大阪駅からJR大和路快速で法隆寺→JRで新大阪駅に戻り新幹線と新尾道駅乗り換えレンタカー(しまなみ海道経由)で松山市内→松山空港から飛行機で東京・羽田空港→品川バスターミナルから深夜バス(ノクターン号)で 弘前駅→青森空港から飛行機で博多・福岡空港→博多駅から新幹線のぞみ号で新大阪駅→(大阪で1泊)→飛行機で高知空港(時間切れ)
- 備考
- 伊豆大島でサイコロを振った際に利島の選択肢があったが、藤村Dがあてずっぽうで「とし」と振り仮名を振ったため鈴井が「としじま」と誤読した(正しくは「としま」)。その後、しまなみ海道で松山へ向かう道中のトークの中で訂正が入ったが、この時にも藤村Dは「とじま」と間違えてしまい、新たに字幕を入れ直したDVD版を除き字幕も「正しくはとじまでした」となっているため、正確には訂正が訂正になっていない状態となっていた[25]。。
- 調布飛行場に向かうタクシー内で飛行機を見た藤村Dが「これは…、セスナですかなぁ」と発言しているが、本来セスナ機はセスナ社という飛行機メーカーが製造した飛行機のみのことを言い、一行が搭乗した飛行機はイギリスのブリテン・ノーマン製のアイランダーと呼ばれる飛行機である。なお、搭乗した際に大泉はかつてのトラウマであるヘリコプターと似たような雰囲気を感じており、途中手にエチケット袋を握るなど『嘔吐事件』再来かと思われる様子を見せていたが、幸いにも酔いには襲われず事なきを得ている。
- 伊豆大島から東京へ戻る際、「熱海から新幹線を使って東京に戻った」との解説とともに海岸線沿いで東京へ戻るルートが表示されるが、これは在来線の東海道線のルートに近い。実際の東海道新幹線は熱海 - 東京間を最短で結ぶような直線的なルートである。
- 福岡空港での選択の際、ボードでは「1.飛行機で東京」だったが、テロップには「1.飛行機で博多」となっている(もちろん既に博多に滞在しているため、誤りである)。
- 大阪駅から法隆寺へ行く際、大和路快速は環状線内回りを通って大和路線に直通するのだが、地図の説明では環状線外回りを通って天王寺駅で再び大和路快速に乗り換えるルートになっている(天王寺駅で乗り換えたという説明はされていないため、間違いである可能性が高い。また映像にはロングシートの快速列車で法隆寺まで向かった様子が映っているが、大和路快速は全列車で転換クロスシートの221系が使われていることから実際にはオールロングシートの103系が使われた大和路快速ではない快速列車に乗車した可能性が高い)。
- 深夜バスの座席は通常1人掛け×3列となっているが、「よさこい号」では出演陣の予約した20番以降が2人掛け×2列となってしまっており、狭い座席に出演陣はそれまで以上に苦しめられていた(放映当時。ツアーバスの普及した2000年代以降では深夜バスにおける2人掛け×2列のバスも珍しくはなくなったが、それでも車内の途中から4列シートになるバスは珍しい部類に入る。)。特に3列から4列に変わる境目だったため、大泉の席にはアメニティのスリッパとドリンクホルダーが備え付けられていなかった。
- 初めて乗った「ノクターン号(弘南バス担当便)」弘前行きでは、この深夜バスが東日本の女王と言われる所以でもあるスーパーシートに乗車した。車内最後部にあるこの席は通常より約4000円高い価格設定がされ、左右1席ずつの大型シート・大きいシートピッチ・大きいリクライニング角・小型テレビなどが奢られており、深夜バスの中では最も快適な移動を経験した。なお、スーパーシートは2012年12月に廃止されたため、現在は存在しない。
- 「深夜バス列伝」と称し過去のサイコロの旅で乗車した深夜バスの総集編が挿入された。その際、サイコロ2の壇ノ浦レポート(前述)の際に乗車していた深夜バスを「はりやま号」と表記ミス(実際は「はりまや号」)している。
粗大ゴミで家を作ろう
- 1996年11月6日・13日放送、全2夜。
- DVD第2弾『サイコロ1/粗大ゴミで家を作ろう/闘痔の旅』に収録。
粗大ごみを拾い、それを用いて札幌の一等地・宮の森に家(部屋)を建てる企画。粗大ごみは中央区内や西区琴似で集められた。当時劇団「OOPARTS」を主宰していた鈴井が、過去に舞台上の小道具・大道具用に粗大ゴミを拾っていた関係で発案された、鈴井自らが所望した企画という。また、背景には札幌市の粗大ごみ回収が月1回のステーション収集で行われ、街中に処分される粗大ゴミが置かれていたことも関係している[26]。
現在ではほとんど見ることができない「ハイテンションな鈴井貴之」が収められているほか、中期以降は旅中心のスタイルへ転換した『どうでしょう』としては極めて異端とも言える企画である。ちなみに、嬉野Dはドラマ撮影に参加していたために撮影・編集とも関与していない。
なお、レギュラー放送分では前編が堂島孝平のインタビューと抱き合わせになっているため、1.5週程度の内容である[27]。午前中の再放送や『リターンズ』では「サイコロ1」後編+本企画前編・本企画後編の2回に分けて、『Classic』ではともに1回に再編集された。
- 備考
- 宮の森でのロケの際、地主の許可を得ずに無断で撮影したために、後日HTBの社員[28]がたまたま土地を見学した際、不動産屋から「そういえば、勝手にここ使いましたよね?」と聞かれたという(DVD副音声より)。また、集めてきたゴミはスタッフが南区の駒岡清掃工場までトラックで運搬し、HTB側が費用を負担して処分した。
- DVDには、後日談として7年後の2003年の宮の森の映像が収録されている。
- 拾ったテレビの電源を入れたところ、アンテナが接続されていないために最初は砂嵐が映されたが、アンテナの差込口に手を触れると僅かに電波をキャッチ。しかし、映ったのは競合局の北海道文化放送 (UHB) で放送されていた『ポンキッキーズ』だった。チャンネルボタンが壊れていたこともあって、結果『ポンキッキーズ』およびUHBだけが画面上に現れることとなった。
闘痔の旅
- 1996年12月4日・11日放送、全2夜。
- DVD第2弾『サイコロ1/粗大ゴミで家を作ろう/闘痔の旅』に収録。
放送当時の企画名は「激走!24時間 大泉洋くん闘痔の旅」。鈴井が考えた企画のひとつで、「『サイコロ1』で発覚した大泉の“痔”を治すため、24時間でいろいろな温泉を回る“湯治(闘痔)”」を目的としているが、企画そのものは藤村Dが「温泉に入りたい」という安易な発想から始まった。
「この企画から大泉が(テレビタレントとして)自我を持った」と嬉野Dが語ったり、大泉が運転をし鈴井が後ろに座り車内で会話をするというスタイルが確立されたり、藤村Dがリアクションで“出演”し始めたりと、後の『どうでしょう』にとって大きなターニングポイントとなった企画となった。
宮崎リゾート満喫の旅
宮崎シーガイアから誘われ、すべての施設やイベントを体験してシーガイアの魅力を引き出すという趣旨の、いわゆるパブリシティ企画。放送時は「宮崎シーガイア」という企画名で放送された。現在は当時と経営母体が変わったため『Classic』では放送されないが(「2周年記念総集編」における一場面は除く。『リターンズ』では放送された)、「記録」として残すため、DVDには現在のタイトルで再編集・収録された。 本放送において用いられたシーガイア側が準備した全景の空撮映像や、各種施設の広報用映像はすべてカットされており、どうでしょう班が撮影した映像のみで構成されている。
企画内容に伴って今回はD陣主導のロケとなり、鈴井・大泉が同時に企画内容を知らされることとなった。導入部では、藤村Dより出演陣2人が収録時点で訪れた都道府県が赤く塗りつぶされた地図を見せられ、「九州の中で宮崎だけまだ行ってない」という事実を知らせられるが、この時大泉は「(行っていない県は)行かなくして行ってない」「(宮崎以外)全部行ってることの方が怖い」とコメントし、シーガイア行きであることを知らされた鈴井も、何か裏があると思い「別に行きたくない」とコメントしている。後年の企画では綾町にお気に入りの宿を見つけるなど、宮崎に対しては総じて好意的な印象を持っているどうでしょう班であるが、初の宮崎行きとなるこの企画当初は、既述の通り半ば消極的な姿勢であった。
なお、この企画の放送後には“いつも体を張っている『どうでしょう』らしくない企画だった”として、「なに楽をしているんだ」と内外から苦情の声があったという[29]。ただし、第1夜前枠などでは、過酷な企画続きの出演陣を案ずる投書があった事も明かされている。
- スケジュール
- 1日目
- そば打ち体験 (パラダイスガーデン/パンターナル)
- カクテルマジック (トップバー「ステラ」)
- ディナー (ルームサービス)
- 就寝
- 2日目
- 海岸散歩 (一ツ葉海岸)
- 朝食
- オーシャンドーム (オーシャンドーム)
- 各種アトラクション体験 (オーシャンドーム)
- ボディーボード体験 (オーシャンドーム)
- 各種施設見学 (コーナースイート・キングスオーシャンスイート)
- 各種施設見学 (展望台 ※プリクラ・似顔絵を体験)
- 各種施設見学 (会議室、数十人が参加できる規模)
- 藤村D、鈴井、大泉の3人による「擬似企画会議」が開催され、大泉が「今後の番組に必要なものは『セクシー』」と発言。
- ディナー
- ナイトショー オーシャンドームイリュージョン
- 本日の反省
- 3日目
- フェニックス自然動物園見学。
- 日向夏プログラム
カントリーサインの旅
鈴井が考案した初期を代表する企画のひとつ。鈴井・大泉が「北海道の各市町村にあるカントリーサインが印刷されたカードを引く」→「実際にその市町村に向かう」→「境界のカントリーサインの前で再び抽選を行う」を繰り返し、道内を回る企画。「北海道の番組であるのに、あまり北海道での企画がない」ことから地元・北海道に注目し、北海道212全市町村(当時)を巡る企画となったが、“道北から道南”など、効率の悪い移動が多いことから、内容としてはどうでしょう班による車内でのやりとりが主になる。道内を全て回るという膨大さを反省し、後に十勝地方限定で行なった「十勝二十番勝負」が生まれた。
北海道212市町村カントリーサインの旅
前作「サイコロ韓国」から中5日でのロケ。
- 国道36号の札幌市(豊平区、撮影地点は現:清田区)・北広島市境界→夕張市→幌加内町→雨竜町→名寄市→豊頃町:鈴井が名寄市から約400km離れた豊頃町を引き当てて車を運転することになる。しかし、途中でギブアップして後部座席で仮眠。途中で立ち寄った新得そばも食べず。→鹿部町:鹿部町に向かうまで寄り道をして、旅を満喫する。登別温泉で1泊(ここで大泉が「トラ退治」を行う)、洞爺湖でボート遊び、豊浦町でイチゴ食べ放題、大沼公園で大沼だんごを満喫。→猿払村(鹿部町で「猿払村」を引いた所で終了し、猿払村はカントリーサインの旅IIのスタート地点となる)
- 備考
- 企画の当初は大泉がカード抽選を担当したが、雨竜町以降の選択では「サイコロ」で幾度も運の無さを発揮した“ダメ人間ぶり”を再確認するために、鈴井がカードを引くことになる。この場面で大泉が“番組の象徴”としての敬意を表す意味で「ミスターどうでしょう」と呼びかけたため、それ以前の「鈴井先生」に代わり「ミスター」と呼称されるようになった[30]。この時は雨竜町→名寄市と無難なものであったが、次の名寄市では道内をほぼ縦断する移動となる豊頃町という選択をしてしまい、「ミスターどうでしょう」の地位を決定づけることとなった。一方で、大泉も豊頃町と鹿部町での選択でこの移動を超えるカードを引き当てている。
- 名寄市へ向かう途中、幌加内町の中心街を通る際に「幌加内駅」と書かれた標識を見ながら大泉が「皆さん先ほどお出迎えに来てくれたから帰って寝ちゃっ…たかなぁ」と言っているが、幌加内駅を通っていたJR深名線は1995年9月4日に廃止されている(本放送当時は駅舎がバス待合室として使われていたが、その後火災により焼失)。
- 普段移動で使われる車両はトヨタ・ハイエースだが、この企画だけはスバル・レガシィツーリングワゴンが使われた。
北海道212市町村カントリーサインの旅II
- 1997年12月10日 - 1998年1月14日放送、全3夜。
- DVD第9弾『北海道212市町村カントリーサインの旅II/サイコロ4 〜日本列島完全制覇〜』に収録。
- 猿払村(事前に告知していた為、猿払村にはファンが待機していた)に着くまでの間、車を運転している大泉を稲川淳二の怪談テープをバックに鈴井が色々な仕掛けで驚かし、大泉の怒りを買う。下川から上ノ国に向かう時も同じ。→追分町(現:安平町)→丸瀬布町(現:遠軽町)→興部町→下川町(下川に向かう途中、大泉が牛を仲裁)→大成町(現:せたな町)→上ノ国町→生田原町(現:遠軽町)を引いて終了。サイコロ4の冒頭に引き継がれる。
- 備考
- 丸瀬布町から興部町に向かう途中で能取湖畔の宿「能取湖荘[31]」に一泊し、到着が翌日11時という遅い時間帯になる。この時「車の音をバックに布団に入る大泉・鈴井」が映像に映った上、興部への到着後には大泉や藤村Dらが「サロマ湖が綺麗だった」「能取湖が綺麗だった」「料理の美味しい宿だった」といった感想を残したが、鈴井のみ「泊まってない」と言い張っていた。
- 下川町での抽選時、偶然会った『どうでしょう』ファン(この企画と同様212市町村を巡る旅をしていた)に次の行き先を予め引いておいたと、半ば強引に身代わりの形で上ノ国町のカードを渡して代理で引いた場所(13枚目)に行くこととした。結局上ノ国町のそばにある大成町が出てしまい、両方とも行く羽目になった。この移動の間、寄り道は一切無しのいわゆる『合宿』がスタートしたが、大泉のみ藤村Dなどから「前日の丸瀬布町→興部町間と同じく、合宿は建前で本当は登別に宿泊する」と騙され、登別東インターチェンジとの分岐で大泉のリアクションがクローズアップされた。
- なお、鈴井はこの企画の最後に「雪が解けたらまたいつか会いましょう」と発言しているが、「2周年記念! 秘蔵VTR一挙公開!!」では「このままのペースで行くとあと30回ロケをしなければならない」という理由から完結宣言を出し、「今後もやらない」と公言している。
- ただし、同じHTBで放送している『おにぎりあたためますか』(大泉が出演、鈴井が企画構成を担当)にて、オクラホマの二人が北海道の全市町村を回り、番組を宣伝するという趣旨の「番組宣伝活動・北海道完全制覇の旅!!」が2005年3月から開始。2014年11月に完結した(ただし回る市町村数は合併により『どうでしょう』時代の212から208、更に179に減っている)。
第1回水曜どうでしょうカルトクイズ世界大会
- 1998年2月18日・25日放送、全2夜。
番組内で募集しHTBに集まった『どうでしょう』ファン約600人が、『どうでしょう』のマニアックな問題を解いていく企画。タイトルには「第1回」と銘打たれているが、この1回が開催されたのみで終わっている[32]。その後「東北2泊3日生き地獄ツアー」の初日のフェリー内に於いて筆記クイズのみ復刻企画に近い形で行われている(未放送)。
本企画のみレギュラー放送時代の作品としては唯一DVD化されておらず、その理由についてD陣からの正式なコメントもないが、『Classic』では全国放送が行われており、2015年5月8日よりHTBの「北海道ONデマンド 水曜どうでしょう」にて本企画の有料配信が開始されたため、こちらでの視聴は可能である(『Classic』と同内容)[33]。
問題は「カルトクイズ」の名に相応しくどれも高レベルで、出演者として自ら立ち会っていたはずの大泉・鈴井でも分からないほどの難問が出題された。○×クイズ、筆記クイズを勝ち抜いた3人に大泉を加えた4人で、早押しクイズによる決勝戦を実施。『笑点』をイメージさせるセットと衣装が用いられ、正解した回答者の前には、得点の指標となる明治サイコロキャラメルの箱(白が1点、赤が5点)が置かれた。決勝では通常の問題に加えてVTR問題も加わって一層難易度が高くなった。その結果ほぼ一騎討ちの状態となり[34]、大泉とトップを争っていた参加者の早押しボタンが突然効かなくなったり[35]、早押しボタンを鈴井によって遠ざけられる[36]など様々な妨害もあった。最後の100点問題で大泉が問題を読み上げる前にボタンを押してしまい不正解、順当に回答を重ねていた一般人参加者が優勝した。
優勝者への特典は「大泉が運転する車で家まで送ってもらえる」というものだった[37]。
前年からHTBのキャラクターとして使用されているonちゃん(着ぐるみ)が、この企画で番組初出演を果たす[38]。
本企画の『Classic』放送時の地デジ番組情報では「一般人ファン田鎖君の存在でかろうじてカルトクイズの体裁となった」と紹介されており、本編放送後の雑誌[39]での「全企画解説対談 藤村忠寿D×嬉野雅道D」において、2人は「彼が居なかったらこの企画は成り立たなかった」と回顧している。
2000年に発売されたパソコン用CD-ROM「水曜どうでしょう大辞典vol.1スーパーカルト」において、本企画をイメージした早押しカルトクイズが収録されている。ここでは本編と異なり司会が安田、回答者が鈴井・大泉・参加者(プレイヤー 男女別に選択可能)となっており、当時の決勝戦参加者をイメージしたグラフィックになっている[40]。問題はすべて3択クイズで、回答の速さや正解率に応じてゲーム終了時の称号が決まる。
東京2泊3日70km
- 1998年3月4日 - 25日放送、全4夜。
- DVD第10弾『東京2泊3日70km/マレーシア・ジャングル探検』に収録。
大泉が企画の冒頭で「行きたい」と挙げた東京都の各名所を“全て歩いて回る”という企画。テレビ放送時は「東京ウォーカー」という企画名で放送されたが、これは首都圏において発売されている[41]雑誌『東京ウォーカー』(角川書店、現:KADOKAWA・角川マガジンズBC)を大泉が愛読している、ということからこの企画が生み出されたという伏線と、企画内容がそのままタイトルにされた。全行程を徒歩で移動すると知らずに長距離を設定し、寝不足の上に雨中を革靴で歩いた大泉は、2日目に宿泊したホテルで「番組を降りる」と発言。後述の「バス移動」宣言に繋がっている。
初日は北海道新聞の取材班、2日目は「テレビブロス」(東京ニュース通信社)の取材班が同行取材。ただし、前者は「最後まで付いて行く」と発言しながら3kmでリタイア・離脱し、後者も六本木に到達した所で同行取材を終了した。
主な目的地[* 1] | 場所 | 備考 |
---|---|---|
- | 羽田空港 | スタート地点。空港の敷地を徒歩で脱出できず、当時の国際ターミナル付近まで羽田東急ホテル(当時)の無料送迎バスを利用。なお、実際には撮影当時でも羽田空港から徒歩で出ることは可能だったが、どうでしょう班がルート選択を誤ったことからこの結果に至った。 |
- | 多摩川緑地広場硬式野球場 (旧・巨人軍多摩川グラウンド) |
近くを通ったことから「読売ジャイアンツの練習風景を取材する」という触れ込みで訪れ[* 2]、擬似インタビュー形式で大泉が長嶋茂雄の物真似を披露する。 |
1 | 田園調布の高級住宅街と田園調布駅 | |
- | 高輪プリンスホテル(現:グランドプリンスホテル高輪)で1泊 | 当初泊まる予定だった品川プリンスホテルが満室だったため、予定を変更。 |
2 | お台場 | 徒歩でレインボーブリッジを経由してお台場海浜公園へ到着。この時、大泉は場所柄から「フジテレビの展望台に入る」ことを所望するも、藤村Dがテレビ朝日系列局であるHTBにとっては系列外であること、自らが“サラリーマンである”ことを理由として訪れるのを制し、断念した。 |
3 | 六本木 | 水上バスで日の出桟橋(浜松町)に移動し、東京タワーを経由。 |
4 | 武道館 | 国会議事堂と最高裁を経由。「サイコロ4」で誕生した大泉の「登山家」が再登場。 |
- | 国技館[* 3] | 神田神保町と秋葉原を経由。 |
5 | 浅草(浅草ビューホテルで1泊) | 翌日行く予定であった目的地・大泉学園について、大泉は当初「行けなかったら番組を降りる」「6時起床、6時35分出発」と宣言したものの、徐々に態度を軟化させ「(行く方法は)乗り物乗り物、バスで行く」と発言。 |
6 | 練馬区大泉学園駅南口[* 4] | 宿泊地の浅草からかなりの距離があったものの、放送では謎の編集が施され、前日のホテルから大泉学園到着までの行程は「翌日」というテロップだけで省略された。ラストには字幕にも「 |
- 備考
桜前線捕獲大作戦
- 1998年5月6日・27日放送、全2夜。
- DVD第11弾『桜前線捕獲大作戦/十勝二十番勝負/サイコロ5 〜キングオブ深夜バス〜』に収録。
放送当時のサブタイトルは『桜前線を捕獲する!』。名前のとおり、「桜前線の最前線」を見に行くという企画で、どんどん北上していく桜前線を追うため、仙台・岩手県内各地・秋田乳頭温泉へと向かう。
だが、「桜前線の捕獲」は建前で、最終的には温泉に入り名産を食べるのがメインとなった。道中では「爆弾処理班」として、鈴井が苦手な甘いものを沢山食べさせられることになった。
- ここで桜前線が岩手県に入っていることが分かり、岩手県へ新幹線で移動する。
- 東北新幹線の車内で仙台の食料班より支給があり、大泉・鈴井に牛タン弁当の箱が渡された。しかし、鈴井の弁当箱のみ中身が「ずんだ餅」にすり替えられていた。
- 午後1時 - →岩手県一関市(満開)
- レンタカーを借り、岩手県を北上。
- 午後2時 - →厳美渓(満開)
- 厳美渓では、空飛ぶだんご「郭公だんご」15個(15発)のうち、鈴井は14発食べ、残りの1発は大泉が食べた(大泉は「流れ弾に当たった」とのこと)。また、平泉へ移動する車中で「ゴマ擂り団子」が出されたが、結局は食べなかった。
- 前沢ガーデンで、前沢牛のサーロインステーキ(6,500円)を大泉だけが食べ、完食。
- 午後5時20分 - →北上市展勝地公園(満開)
- 公園の到着前に鬼の茶屋に行き、直径10センチの団子を「爆弾処理班」鈴井が食べた。
- 午後8時30分 - →盛岡市石割桜(満開)
- ここに来る前に桜前線を追い越してしまうミス。
- 午前10時27分 - 乳頭温泉から10キロ地点(蕾なし)
- 午前10時40分 - 乳頭温泉から11キロ地点(開花寸前)
- 午前10時50分 - →田沢湖町の千葉さん宅前(桜前線発見)
- 備考
- 『リターンズ』ではこの企画の第2夜後半で「十勝二十番勝負」に繋がる「大泉洋拉致事件」が放送されるが、「拉致」と謳っている為か、「桜前線捕獲大作戦」自体が放送されなかったり、この企画のみ枠拡大で編集放送される場合がある。『Classic』では「十勝二十番勝負」と合わせて未放送。
- 郭公だんごにて、番組内の企画が一部説明されている。
- 桜前線地図で、北海道広尾が広島と誤記されている。
十勝二十番勝負
- 1998年6月3日 - 17日放送、全3夜。
- DVD第11弾『桜前線捕獲大作戦/十勝二十番勝負/サイコロ5 〜キングオブ深夜バス〜』に収録。
- 本別町→帯広市→上士幌町→芽室町→広尾町→中札内村→音更町→池田町→足寄町→浦幌町
鈴井が考えた企画のひとつ。北海道十勝支庁(2010年4月1日より十勝総合振興局に改組)の20市町村のカントリーサインが印刷されたカードを引き、その市町村に移動し最初に出会った人にその市町村の名物を聞き、実際にその場所へ行くという企画。基本的に「この町のお薦めは何ですか?」という形式での質問しか出来ず、(例えば「お薦めの食事」といったような)目的に誘導するような聞き方は出来ない。しかし第2夜では鈴井が「十勝川温泉はどこですか」と聞くルール違反を犯しており、結局1泊したものの翌日大泉に「(池田町の名物である)ワイン城(の場所)聞くなよ!」と咎められている。
基本的なルールは「カントリーサインの旅」シリーズと変わらないため[42]、いわゆるマイナーチェンジ版と言える。また、鈴井・大泉共に「この企画は今後やらない」「ほかの市町村でもやらない」と公言している(『2周年記念! 秘蔵VTR一挙公開!!』より)。
この企画において車両は「車内で泊まれるように」ということで、オートフリートップ(天井のテント)装備のマツダ・ボンゴフレンディを使用。実際に日勝峠にて大泉が使用して仮眠している。また、池田町のワイン城の後、車内でワインを飲んでいるシーンでもオートフリートップが上げられている。
- 備考
- 大泉洋拉致事件
- 「桜前線」の最後に放送。大泉・安田がパーソナリティを務めていたラジオ番組『GOLGO』(AIR-G')の生放送中に大泉と安田を連れ去った後、日勝峠へと向かい、夜が明けるまで峠で仮眠を取った。大泉と安田を連れ去った直後の番組は、事情説明を兼ねて鈴井が進行し締めている。『リターンズ』では放送を見合わせた局や、一部再編集を施した放送局があった。『Classic』では「桜前線捕獲大作戦」と共に放送されていない。
安田顕onちゃん
- 大泉と共に安田も連れてきたが、日勝峠からは安田ではなくHTBのマスコットキャラクター・onちゃんが親善大使として出演する。ここで初めて「安田が中に入った着ぐるみonちゃん」が登場。この時の愛くるしい動きや見た目から人気者となり、その後たびたび『どうでしょう』に登場することとなり、準レギュラー的な位置になった。
- onちゃんに対し大泉が罵倒しながら暴力的になるというパターンが生まれ、鈴井も蹴りを入れるシーンがあるなどonちゃんイジメがひどいことにも言及しており、第3夜の前後枠にてonちゃんファンに対し謝る大泉の姿があった。
釣りバカ対決シリーズ
鈴井が考えた企画のひとつ。名前の通り「釣りをするだけ」の企画である。第1回目では北海道・門別沖での沖釣り、第2・3回は氷上でのわかさぎ釣り、そして第4回目は屋久島を舞台に24時間耐久の「魚取り」として対決が実施された。発展企画として、2005年の新作「激闘!西表島」がある。
このシリーズ(特にわかさぎ釣り)は基本的に予算がかからないため「海外企画などの予算調整のため」行われる、と言われている[43]。実際放送された4回とも、(一部は総集編をはさみ)企画の後に海外企画が放送されている。
門別沖釣りバカ対決
- 1998年8月26日放送、全1夜。
- DVD第12弾『香港大観光旅行/門別沖釣りバカ対決/北極圏突入 〜アラスカ半島620マイル〜』に収録。
参加者 | 大泉、鈴井、 |
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優勝 | |
優勝特典 | HTB本社屋上のonちゃんオブジェの横でライトアップ |
点数 | 釣った魚の値段の合計。判定は「日本漁業連盟公式審査員」の北さん(HTBのカメラマン)。 |
- 備考
- 門別沖の船上で行われたため、大泉・藤村Dが撮影中にも関わらず漁船上のトイレで嘔吐するという失態を見せた(藤村Dに至っては2回)。大泉は徹夜状態でのロケだったことも影響したとも思われるが、藤村Dによる車内での事前説明において「『寝不足が一番危険だ』と言われた」という注意がフラグと化す形になった。
- また、安田はonちゃんのスーツアクターとして登場するが、着ぐるみを未着用の際(釣りの最中)にはモザイク処理が施され、その上からonちゃんのイラストが被せられている[44]。
- 競技開始の号令を“審査員”の北さんが行ったところ、「プレイボール」と発したことが由来となり、以降の釣りバカ対決および旅行先での釣りシーンでは藤村D(もしくは旅行の同行者)の「プレイボール」でスタートすることが恒例になった。
釣りバカ対決 氷上わかさぎ釣り対決
- 1999年4月7日放送、全1夜。
- DVD第14弾『クイズ! 試験に出るどうでしょう/四国八十八ヵ所/釣りバカ対決 氷上わかさぎ釣り対決』に収録。
参加者 | 大泉、鈴井、 |
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優勝 | 鈴井 |
優勝特典 | さっぽろ地下街ポールタウンのHTBコーナーに優勝者の等身大パネル展示 |
点数 | わかさぎ1匹=1点 |
- 備考
- このロケにはプロデューサー、釣り会場となった新篠津村の役場職員、マタギに扮した釣堀場の管理人などの沢山の人間が参加している。
- 現地に移動中の様子が映し出されているが、カメラが回っていることに気づいたonちゃん(安田)は、両手で顔を覆い「オレはなんだ、マスクマンか」と述べている。
- 前述の職員から差し入れられた地酒「大法螺」「夢紫苑」を飲んだ安田が泥酔し、大泉のわかさぎが入った容器に激突。容器は釣り穴の中へ落下し、入っていたわかさぎが強制的にリリースされるという「珍事」もあった。余談となるが、この事件が無ければ本来の優勝者は大泉であった。
- この企画から、「わかさぎをダブルで釣ると行進ができる」というルールが策定される(発端は鈴井。これは第3弾・第4弾にも受け継がれた)。
- 等身大パネルがさっぽろ地下街ポールタウンのHTBコーナーに展示されたが、番組の最後に大泉洋によって落書きされているのが放送された。
- 本放送では放送されなかったが、釣りの終了後に「シェフ大泉シリーズ」の派生企画である「花板大泉のわかさぎ懐石」が行われている。食前酒として「(わかさぎ入りの)日本酒」が振る舞われたほか、舟型の盛込みに行きたわかさぎが乗っただけの「わかさぎのお造り」、わかさぎと海老・玉ねぎ・ピーマン・人参を炒めた「海老とわかさぎの炒めもの 桜添え」を提供。料理のクオリティの低さや調理時間の長さもあって藤村Dらから文句の声が上がった。なお、1999年6月30日放送の総集編「未公開VTR&NG集一挙放出!!」では“好評だったことから”と「わかさぎの天ぷら」の提供シーンがカットとなったが、前述の3品も含めてDVDの特典映像に収録された。
釣りバカ対決!わかさぎ釣り2
参加者 | 大泉・ |
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優勝 | 大泉・ |
優勝特典 | ポールタウンのHTBコーナーの床に巨大写真が貼られる |
点数 |
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- 備考
- 大泉・鈴井・onちゃんに加え、onちゃんのライバルキャラクターである「noちゃん」が参加。noちゃんの中身は大泉、安田と同じくTEAM NACS所属の音尾琢真である。「
安田さんonちゃん」と同様に名前、それに加えて「チームナックス」の部分にテロップでは×印が加えられている。なお、対決中は安田同様『簡易noちゃんマスク』を付けていたが、そのマスクは顔出し出来る安田の『簡易onちゃんマスク』と違い、目と口の部分だけが露出した覆面型のものだった為、本企画で音尾の素顔は正体判明前に森崎や佐藤の顔写真と一緒に出た写真以外は一切映っていない。 - 今回から「わかさぎをトリプルで釣ると1曲歌える」というルールが策定。音尾が達成し、「青い珊瑚礁」を熱唱した。
- 前回と同じく新篠津村で開催したため、村役場の職員から地酒の差し入れが行われた(「大法螺」「氣まぐれ」)。上記のルールにある通り、酒を飲み干すと5点が追加されることから、終盤には釣りそっちのけで「酒の飲み合い」に終始することとなる。勝負は大接戦だったが、大泉が終了間際に釣り上げたわかさぎを「揚げてる時間が惜しい」と生で食べ、土壇場で逆転に成功した。
釣りバカグランドチャンピオン大会 屋久島24時間耐久魚取り対決
- 2002年6月19日 - 7月24日放送、全4夜(最終夜の後半は「重大発表」)。
- DVD第27弾『釣りバカグランドチャンピオン大会 屋久島24時間耐久魚取り対決/一挙公開!!未公開VTR&NG集!』に収録(最終夜後半の「重大発表」は第1弾『原付ベトナム縦断1800キロ』及び第27弾の特典映像に収録)。
初代チャンプのonちゃん(安田)、2代目チャンプの鈴井、3代目チャンプの大泉・noちゃん(音尾)が“一同に介したチャンピオン大会”として、屋久島の海岸・川の河口・橋上・船上で各ラウンドを開催。『どうでしょう』としては結果的にレギュラー放送最後の国内企画となった。藤村Dが後に語ったところでは、元々の企画意図は「番組終了にあたり過去の出演者を引き連れて南の島に行こうという『半分慰安旅行みたいな企画』だった」という[45]。なお、企画名は「釣りバカ」と題されているが、釣りに関連しない魚介類も全てポイントの加算対象であり、捕獲方法も自由となる(釣り竿以外に、手掴みや網の使用も可)。
音尾はラジオ出演がブッキングされていたため、ROUND1の途中から参加。1人で現地へ移動する音尾のため、嬉野Dから「札幌駅からの切符の買い方」や「飛行機の座席などの細かい説明」を記した手紙が渡されたという[46][47]。そのため、大泉以上に企画の全容を把握していなかった。
なお、新千歳空港までの車内で「藤村Dの母親が(出身地である)屋久島に滞在中であることや、今回のロケ中で食事等の手配も担当していることを明かした。
参加者 | 大泉・ |
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優勝 | 鈴井・ |
優勝特典 | ポールタウンのHTBコーナーに釣り神様として奉られる |
ROUND |
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絵ハガキの旅
「北海道212市町村カントリーサインの旅」と「サイコロの旅」を合わせたような企画で、「旅番組に欠かせない綺麗な風景(絵葉書の写真)を探し、同じ風景を撮影する」というものである。なお、偶然ではあるがこの企画はサッカー・FIFAワールドカップの開催年(4年に1度のペース)に行われていた。このことから公式HPの「D陣のウラ話」では2006年に行うと掲載されたが、実際には行われていない[48]。
日本全国絵ハガキの旅
- 備考
- 第1夜冒頭に映る画面奥のホワイトボード上に「アフリカ」という文字があり、アフリカに関する何らかの企画を検討した形跡がある。実際にはアフリカ行きは長期間行われず、当企画から15年後の2013年に「初めてのアフリカ」でロケが実現した。
- 1回目の抽選で浜松町から東京へ向かう際に「山手線」と表示されているが実際には京浜東北線に乗車している。
- 2回目の抽選において鈴井が霊山寺を抽選したことが「四国八十八ヵ所巡拝」のきっかけとなる。霊山寺に行った際にノリで2人分の巡礼服を一式買ったが、4回目抽選でふたたび四国へ向かうことになった一行は、これまでの四国との因縁めいた関係や、オーストラリア縦断の旅の企画説明でオーストラリアと四国を比較した際にその小ささを小バカにした事などの過去のエピソードから「四国が我々を呼んでいる」と思うはめになる。更にロケ日である日曜日に飛行機で金沢から四国に上陸する事が不可能で、四国到着までの移動が過酷となる事が判明。2度も四国を引き当てた鈴井は「(会話の中の)四国(というフレーズ)が地獄と聞こえる」と語り「このままでは今後何をやっても四国に呼び寄せられる[49]」として、急遽巡礼を開始。2番札所・極楽寺から八十八箇所巡りを始め、4番札所・大日寺まで巡ったところで(番組内では約3時間で全て巡ったことにして)、大日寺から距離が近い88番札所・大窪寺を巡った後に内子町に向かった。
- ちなみに四国上陸時に高松西ICの字幕スーパーで「瀬戸中央道 高松西IC」とあるが、瀬戸中央自動車道は坂出ICまでであり、高松西ICは高松自動車道となるため誤りである。
日本全国絵ハガキの旅2
- 2002年5月1日 - 29日放送、全3夜。
- DVD第26弾『四国八十八ヵ所III/日本全国絵ハガキの旅2』に収録。
- 備考
- 前回は透明なボックスの中に絵はがきを入れてそこから1枚を選ぶ方式を取っていたが、今回は「212市町村カントリーサインの旅」と同様、絵はがきをトランプを切る要領でシャッフルした束の状態から1枚引く方法で選択した。
- 番組冒頭で行った絵ハガキのチェック中、その中の1枚に札幌時計台が入っていることが判明したため、一同は「これを引いたらその地点で旅を終了させる」と宣言した。しかし、2回目の抽選において散々「時計台は引いちゃダメだ」と釘を刺されたにもかかわらず、鈴井が引き当ててしまう[50]。出演陣とD陣で苦慮した結果、“あくまでも中継地”という建前で帰札して企画を続行することにし、HTB前で解散。鈴井・大泉の両名は自宅へ一時帰宅した。翌朝5時半に再びHTB前で集合したが、異常に早い帰宅をした大泉は月曜日に帰宅すると思っていた父親に驚かれ、“半日ほどで帰宅した”理由を説明したところ「なんとかインチキできんのか」「すべてがわからん」と呆れられたことを報告する。
- 上記のハプニングゆえに企画そのものが危機に晒された一方、札幌に戻ってきたタイミングで宮崎から新たに絵ハガキが届いており、元々の絵はがきを10枚削減した代わりにこれを行き先候補に加えた。結果的にこれが翌日以降の運命を決めることとなった。
- 3回目は宮崎県高千穂を引き当て、宮崎空港から高千穂へ向かった。レンタカーを借りる際に高千穂には4時間以上かかると言われたと大泉が話す。
- 4回目だけは、照葉大吊橋・出羽三山シリーズ(出羽三山でホラ貝を吹く山伏が写りこんだもの)・場所不明(静岡県富士市の浮島沼から見た東海道新幹線と富士山)の3枚の中から引いた。4回目の抽選により現地宿(綾町)への1泊が叶った。この宿は原付西日本制覇、対決列島の時にも泊まっており3度目の宿泊であり、出演陣が気に入ったためである。4枚目撮影までの時間は以下に挙げる地元の風景が写った絵ハガキを無抽選で照らし合わせて撮影している。
- なお『リターンズ』においては一部の局で未放送。
- 大泉さんモアイ発見
- サンメッセ日南に到着後、大泉・鈴井が簡単に当該の景色を発見してしまったことから、大泉に対して藤村Dが「見つけた時のインパクトがない」という理由をでっち上げ、半強制的にやらせたもの。段取りとしては
- 大泉と鈴井が坂を登る。
- 大泉がモアイを見つけ道路わきのガードレールを越える。
- 崖を走って下りるうちに足を踏み外し、モアイの方へ転がり落ちていく。
- というものだった。なお、大泉が段取りを間違えたり撮影中本当に転倒してしまったため、3回撮り直された結果、大泉は胸部に擦り傷を負った。
シェフ大泉シリーズ
「北極圏突入 〜アラスカ半島620マイル〜」で作った大泉の料理があまりにも印象的だったために企画されたもので、「車内でクリスマス・パーティー」と「夏野菜スペシャル」の2企画が放送されている。大泉本人の料理の腕(あくまでも包丁さばきなどの技術面)自体は悪くない[51]が、下ごしらえ段階から開始する弊害から闇雲に時間を浪費する上、調理器具の不備や限られた食材での調理、「毎回のフランベ(特に意味は持たない一種の「見せ場」)」「独自のメニュー構成」「雑な味付け」などに見られる大泉の独創性あふれる調理方法から、とんでもない料理が振舞われることが特徴。なお、この企画を通して「大泉は料理が下手」と思われている事もあるが、曰く“大満足の出来”だった「ヨーロッパ・リベンジ」での調理など、上手く完成したものを放送上カットしているケースもある。
本シリーズ以外の企画でも大泉が料理を作る時があり、その際には料理の味や調理時間に対して文句を付けると大泉が逆ギレし、怒りの矛先があらぬ方向へ向かうのが一つのパターンとなる。大泉の料理そのものやそれを食べる行為は「おみまい」と称され、「夏野菜スペシャル」では大泉を“死刑執行人”と表現するなど、一種の罰ゲーム同然となっている。この他に「ピストル大泉」という二つ名も存在するが、これは「北極圏突入」にて大泉による「ビストロ大泉」の言い間違えを聞いた他3人によって、「完成した大泉の料理も拳銃で撃たれるような衝撃的な味である」ということを理由に用いられるようになり、そのまま定着したものである。
シェフ大泉 車内でクリスマス・パーティー
- 1998年12月23日放送(「日本全国絵ハガキの旅」の合間に放送)。
- DVD第13弾『日本全国絵ハガキの旅/シェフ大泉 車内でクリスマス・パーティー/東北2泊3日生き地獄ツアー』に収録。
放送当時の企画名は「新提案! 車内でクリスマス・パーティー」。同日には本来「絵ハガキの旅」の最終夜が告知されていたが、クリスマス特番の影響で2時間繰り下がることを理由に、急遽内容を次回(2週間後の1999年1月6日)にキャリーオーバーした上で放送された。本企画は「第1回どうでミー賞」の名企画部門で4位にランクインし、1夜あたりの平均得票数は1位を記録(2位は「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」)。ただし、藤村Dは経緯から“やっつけ”で制作された本作が上位であるのが「不満」であるとしている。
“今から間に合うクリスマスの準備を紹介する”という触れ込みで、深夜から未明にかけてどうでしょう班(+安田onちゃん)・スタッフがHTBの駐車場においてクリスマスパーティーを行い、その模様を収録。パーティ会場は機材車・ロケバスなどのバックドアを開いて(屋根の骨組みの代用)頭上にブルーシートを張り、モールや折り紙の鎖などを飾りつけただけのもの(調理をする大泉を除き、機材車の中に座るレイアウト)、調理台はキャンプ用のテーブル、火はカセットコンロと網を張った薪火という内容だが、これは前述の理由で時間が繰り下げられたことから「誰も(番組を)見てない」として、非常に簡素なものにされたため。
会場移動前に「星澤先生みたいなとこじゃないとやらない」と話していた大泉は、このパーティ会場について「この貧乏臭さ凄いね、これで放送するんだもん」「寒いよそらぁ。なんのこたないそりゃそうだよ、12月の外だもん」「こんなにねぇ、(天井が)低い厨房は初めて[52]」などとコメントを残しており、特に最後は痔持ちで急性腰痛症(ぎっくり腰)持ちの大泉には厳しい条件なことから「悪いけどギックリって言ったら帰るよ」と宣言するまでに至った。
提供されたのは3品。これらを出演者・番組プロデューサーの土井・スタイリストの小松[53]に提供したが、これ以外にも、当時放送されていた早朝の情報番組『発信!生スタ 早起きクマさん』の出演者である金子のりとし・吉田みどり両アナウンサー(当時)や、番組のスタッフ[54]などに“おみまい”した。
- エビの塩焼き カリフォルニア風
- 薪で塩焼きした海老にトマトやレモンなどを盛り付けたプレート料理。名称は大泉の「なんかこう(見た目が)アメリカっぽいでしょ?」という理由による。調理した料理の中では唯一高評価を受けた。
- シェフ大泉風エビチリ
- 「味見後の味の調整の際、感覚で塩・紹興酒・豆板醤を大量に追加して味のバランスを崩す」「片栗粉を用いてとろみを付けていない」「カセットコンロが風防などを備えた屋外用ではないため、駐車場内に吹いていた強風で火が弱まってしまう」など、調理段階での不備が多々発生。また、紹興酒の追加の際には容器の内蓋が調味液に入るハプニングも発生した。
- 前述のように辛辣な評価を受けた上、後年「ユーコン川160キロ 〜地獄の6日間〜」にて鈴井[55]が選出した「こんなもの食えるか!ランキング」の中で2位にランクインする。ちなみに、試食段階で下した評価では「美味しそうですが、コクがなく、ただ後味辛い」とした。この他、調理工程の中で発生して処分予定だった「だしを取る用の海老の頭」も鈴井によって処分を免れ、安田が食したが、こちらはエビチリ本体と異なり高評価を得ている。
- 食べかけおにぎりの鶏包み
- 丸鶏の中におにぎりやネギを加え、薪火で焼いたもの。
- おにぎり(五目飯)は調理前に「中に米を入れる」といった情報が頭にあった大泉によって選出された食材だが、鈴井らからの「後で取ってよ」の声に「出さないよ、だってこれ食えるもの入れるんだから」「だから周りは捨てるよ」と応えたことで、「丸鶏はおまけ」の意思表示が料理名の由来となった。“食べかけ”は大泉が一口食した後で挿入したことによる。放送中では吉田アナウンサーのみが実食したが、エビチリ同様にむせ返ってしまう。
- この他、藤村Dから生卵をそのまま入れることを提案されて実施したものの、完成後に中身の確認をしたところ、一切火が通っていない生のままであった。
その後、泥酔状態のどうでしょう班は「ちょっと(番組の)横の方出してもらおうよ」「(スタジオへ)行くだけ行ってみましょうか」という程度の気持ちで『早起きクマさん』が放送されているスタジオに行き、同番組スタッフの好意で番組への飛び入り出演が実現する。DVD第13弾の特典映像によれば土井Pは事情を全く知らず、大泉と藤村Dから説明されてもなお「半信半疑だった」という。この時に大泉・鈴井がonちゃん(安田)に対して殴る蹴るの暴行を加える、大泉が金子アナウンサーの頭に噛み付く(風のモーションを取る)などの行為を見せたが、onちゃんへの暴行で「局のマスコットキャラクターへの扱いが酷すぎる」として、藤村Dが上層部から始末書を書かされたことを副音声で明かした。
ちなみに収録した12月8日は安田の誕生日だったが、未明のロケに付き合わされたことで
- 「簡易onちゃん」の姿で酒を飲む
- 簡易onちゃんの姿でタバコを吸い、その行為を咎めた藤村Dや大泉に「俺だって別にやりたくてやってる訳じゃねえんだよ」「人の誕生日夜中に呼び出してよぉ」「(大泉に対して)いいからエビ焼けエビ焼け!」と逆ギレする
- 当時“onちゃんのガールフレンド”として登場したばかりの「okちゃん」について、藤村Dが「onちゃんに彼女が出来た」と紹介した際に自身の彼女[56]の話をしていると勘違いする。内容を把握した後も「(okちゃんは)売れてんですか?」「へぇー、素敵じゃないの」と一切興味を示さない
- この当時、芸能活動とアルバイトを掛け持ちしていたことを鈴井に暴露されると共に、「今もバイトやってるの(謙虚さ)が売り」と表現されたため、所属事務所の社長(当時)を務める鈴井の目前で「いや実際問題ね、この社長のとこじゃ食えないんですよ」と愚痴や不満を吐く
などの横柄な態度をカメラ前で見せた。また、この企画で食べた食物が原因で「洒落にならない病気」にも罹患している[57]。
シェフ大泉 夏野菜スペシャル
「夏野菜を使った料理を振舞ってほしい」と大泉を計3回呼び出し、1度目は夏野菜を栽培するため荒地の開墾を、2度目は料理を盛り付けるための皿の制作を、3度目でようやく調理を行った。開墾から調理・試食までロケ日数が通算69日という「日本一長い料理番組」(企画放映時のタイトルに使われた一文)。「第1回どうでミー賞」名企画部門のシリーズ別集計において、放送回数は4回と少ないにもかかわらず、堂々の第1位に輝いている(第2位の「対決列島」は全10回である)。
- 第1週・第2週 - 開墾編
- 1999年6月1日収録。「農園開墾アドバイザー」として土井Pの父・均が参加し、どうでしょう農園の農地も提供。畑の区画は雑草が生い茂った荒れ地状態だったが、おおよそ6時間ほどで苗の植え付けまで到達した。
- 企画終了後も農園自体はそのまま残されており、2005年10月に行われた『どうでしょう祭』において、どうでしょう農園で栽培された野菜が販売された。
- 開墾から52日後の7月22日、「夏野菜の収穫」と銘打って農園に訪れる。しかし直前になってスタイリストの小松が「皿を忘れた」ことを告げ、“陶芸編”へ突入する。
- この収録の合間には「72時間!原付東日本縦断ラリー」の収録を行った。
- 第3週 - 陶芸編
- 「半角斎一門」 - 半角斎(大泉)・胡散く斎(鈴井)・心気く斎(ミヤビ工芸の職人)・白菜(安田・「簡易onちゃん」状態)・く斎(藤村D)
- ここで使われる半角斎(「はんかくさい」、漢字は当て字)は、北海道方言では「愚かな、ばかな(ただし「非常識である」という意味合いを強く含む)」という意味で使われる。これを大泉が陶芸家っぽい名前として名乗っており、同様に他のメンバー(陶芸教室の先生も含む)にも「○○くさい」という言葉になる名前を付けている。
- 製作最中にはロケ車内でのいざこざ(後述)を引きずっている大泉と藤村Dの間で押し問答が展開され、藤村Dは「ここでパイ生地を練る、ろくろで回す」「1,200℃(の焼き窯)で焼く」、大泉は「藤村D宅のオーブンで陶芸の土を焼く」「名古屋のおふくろをろくろで回す」などの言い合いに終止した。
- 第4週 - 試食編(収穫・料理)
- 8月8日、料理本番を迎え、完成した皿の披露と野菜の収穫を敢行。皿の披露に際しては、「アメリカ合衆国横断」の時に全日本空輸 (ANA) から貰った[58]2万円相当の備前焼の皿と比較も行われているが、大泉の焼いた「世紀末大革命恋愛大皿」の方が好評を受けることとなった。
- onちゃん(着ぐるみ)がこの日「石狩浜の営業で持っていかれた」ため、安田は“簡易onちゃん”と黄色の全身タイツという格好で登場。冒頭のトーク内では藤村D・大泉からの「実際は中でどんな動きをしているのか見せて欲しい」というリクエストを受け、初めて着ぐるみの中での動きが披露されることになった。
- 調理・試食は札幌市内にある光塩学園調理製菓専門学校で行われ、学園の講師1名(当時、調理実習担当)も同席。「車内でクリスマスパーティー」で「星澤先生みたいな所」を所望した大泉であったが、今回は晴れて念願が叶う形となった。
- 提供されたのは4品とデザート。
- ピーマンの肉詰め 夏野菜添え
- 農園で収穫されたピーマンに挽肉を詰めた単純な品。オーブンでの焼成時間が長く焦げ気味になり、全体的な固い仕上がりから不評を浴びてしまう。対して熟する前のトマト・生育しきっていない小ぶりなニンジンが横に添えられたが、こちらに向け「調理していないものが一番おいしい」と好評を得る本末転倒な結果に終わった。
- 夏野菜と鯛のシンフォニー
- 塩焼きの鯛へ茹でジャガイモ・焼きホタテ・牛乳をミキサーしたソースをかけたもの。鈴井は「中途半端においしい」、安田からも「このソースおいしいです」とまずまずの評価が出る。
- 夏野菜と鯛のパスタ
- 夏野菜・鯛・農園の唐辛子が入れられたオイル系パスタ。「北極圏突入」でのパスタと同様、試食段階で既に辛さを指摘されていた青唐辛子を大量に投入し、辛味が全面に出てしまう。
- 夏野菜の料理 びっくりカルツォーネ風
- 未熟のトマトや研いだ後の生米を丸のままの鯛に挿入した後、パイ生地で包んでオーブンで焼いたもの。鯛が好評だった一方、芯の残っていた米・大泉本人も「これはまずい」と発したトマトが評価の足を引っ張った。
- かぼちゃとスイカの藤村/onちゃん
- 農園で栽培されたスイカ・皮むきしたカボチャを“切っただけ”のデザート。題名は陶芸の空き時間に製作された藤村D(大泉作)とonちゃん(藤村D作)の粘土細工がプレート上に添えられたためで、鈴井には藤村D、安田にはonちゃんが割り当てられた。「ピーマンの肉詰め」の野菜同様、未調理ながら「甘くておいしい」との評価が下る。
- これら料理のクオリティが低い上、全行程で約6時間を要した事などで大泉以外の3人から不満が噴出。藤村Dによって「鈴井は人と会う予定があったが、調理が長引いたためにキャンセルした」「自分は3時から娘とプールに行く予定だったのが台無しになった」と文句を浴びせたところ、大泉が激怒。藤村Dへは「娘連れて来ればよかったんだ、プールなんか行かせねぇで」、鈴井には「鯛を持って帰れ、半身が余ってるんだ」と強要するなど憤慨を見せる。また、「俺がメシを作るつったら多少の時間掛かること分かってんだろ?」と計画の甘さを指摘した上で「昼飯も晩飯も全部俺が面倒見てやってんだよ」と啖呵を切った。特に意見を発していない安田には、“簡易onちゃん”の服装へ「おい、黄色いの」と八つ当たり。不満を持っていない旨を大泉に伝えたところ「じゃあなんでそんなに黄色いんだよ」と返され企画が終了した。
- 大泉は“調理時間が掛かった理由”として、DVDの副音声で「下ごしらえの工程から開始したこと」「料理のメニューが完全にノープランだったこと」「鯛のさばき方を知らなかったこと」などを挙げており、企画内でも大泉が調理に戸惑い右往左往する姿などが見受けられる[59]。他にも学園の講師が「我々なら10分(で済ませる)」と語る作業工程に1時間ほど掛けるなど、腕の未熟さも露呈された。
- パイ事件
大泉は3回に渡るロケのいずれにも、知り合いであるイタリア料理店(後に閉店[60])の店長に作ってもらったパイ生地を持参した。しかし、開墾編・陶芸編では調理が行われなかったためにパイ生地を腐らせることになる。第2週でどうでしょう農園から陶芸工房へと向かう車中では、大泉が騙しに狼狽する中で藤村Dから「パイ生地練ってもらうなんて、こっちは一言も頼んでない」「でも(腐らせた件で)悪いのは君だろ?」と反論されたのを受け、「君は番組のために、生地を作った俺がバカだと言うんだ」「生地を練った俺はバカか!?」などと憤慨。のちに藤村Dの家族をターゲットとして脅迫を始めるが、この時に残した「おい、パイ食わねぇか」の一言が「第1回どうでミー賞」名ゼリフ部門で第1位を獲得した。
なお、2013年に行われた「どうでしょう祭2013」の「シェフ大泉VS板長鈴井 料理対決」で、パイ生地を製作した料理店の店長が登場し、巨大なパイ生地を大泉に提供した。同イベントのトークショーにおいては、ロケ当時に大泉に渡したのが「パイ生地」ではなく「ピザ生地」だったことを明かし、14年越しに事実が判明する形となった。
ちなみにこの一連の流れについて、藤村Dは編集作業の際に「本当に怒ってるのが視聴者に分からないよう」短く編集したことを副音声で明かし、DVD版では「12年(当時)経ったら笑い話になるから」として当該のシーンが長めに編集されたほか、本編に未収の部分も特典映像として公開されている。一方で鈴井は、この時車内が険悪なムードだったにも拘わらず、立腹中の大泉へ(番組を盛り上げるため)藤村Dが辛辣な言葉を煽るように掛け続けたことに、後の総集編で「残りのメンバーは内心冷や冷やだった」と胸壊した。
東北2泊3日生き地獄ツアー
「桜前線捕獲大作戦」でどうでしょう班が訪れた土地を『どうでしょう』ファンが巡るバスツアー「東北2泊3日 生き地獄体験ツアー」に、鈴井・大泉が「ツアーに帯同するとパニックが起こるため、それを避ける意味でバレないように(という建前で)扮装をして付いていく」という企画。DVDの収録に関しては、当時ツアーに参加したファン全てに連絡を取るのはかなり難しく、公式サイト上にてモザイク処理をしない旨がアナウンスされている。
扮装用の衣装は全てスタイリストの小松が担当しており、企画にも同行している(DVD13弾では厳美渓から前沢ガーデンへ移動する途中、見切れの形で姿を確認できる)。企画中に登場していないものの、繋温泉ホテルでの一件にて安田が同行している[61]事が言及され、一瞬ではあるが大泉の部屋へ藤村Dが乱入する際に安田の姿を確認することが出来る。
当企画ではマイク設定のミスから音声が割れており、第1夜の前枠で鈴井が断りとお詫びを入れた。この一件以降は事故の再発を防ぐためにマイクスイッチをガムテープで固定している。
- 経路
- 仙台港
- 厳美渓
- 前沢ガーデン
- 鬼の茶屋(鬼の館)付近
- 2名共に鬼に扮し、目的地付近の田んぼでバスの車窓から出迎える算段だった。だが、吹雪が起こっているなど気候が荒かったほか、一部のバスは参加者が就寝していたためにバスのカーテンが閉められており、ごく少数にしか気付かれない自体を招いた。
- 繋温泉ホテル
- ツアー2日目の朝食会場において、大泉が会場内の花瓶に扮する。会場の隅にいたため、開始からしばらくは気付かれることがなく経過したものの、途中から少しづつ注目する人間が増えてしまう。再び参加者に取り囲まれる事態となった大泉は、パニックを避けるため会場から逃走した。
- 「一生どうでしょうします」
2日目の扮装の準備で午前5時に起床[62]するために早めの就寝をするはずだった大泉は、トークショーとそれに伴う打ち上げの終了が午前0時に達していたが、そこから就寝体勢に入った。だが、“泥酔状態の藤村Dが「腹を割って話そう」と部屋に乱入して大泉を就寝させない”という案件が発生し、ツアー側の帯同人員として同室にいた安田[63]も巻き込まれてしまう。
大泉は鬼の茶屋付近における(風雪の中での)扮装から「風邪をひいて具合が悪い」との主張をしたり、「何も話すことはない」と手打ちに持っていく画策をしたりと就寝時間の確保を目指すが、対する藤村Dは「(大泉は)番組に対し不満がある」と主張。この数回に渡って展開された長時間の押し問答に大泉が耐えかね、0時50分頃には藤村Dと同室の嬉野Dを呼び出して連れ帰りを要請するも、「ああそうか分かった分かった、じゃあカメラ回そう」と自身の判断で撮影を開始させてしまう。
後半には「文句があるなら(上層に)直接話せばいい」と、番組のブレーンである鈴井や同行した土井プロデューサー[61]も藤村Dに起こされる展開になり、鈴井に至っては大泉・藤村Dらとのババ抜きへの参加を強制された。ここまで上記の顛末へ異議を主張していた大泉だったが、逆に土井Pから「オレもいるんだから、この際不満全部言おうよ」と問いただされる事態に発展。最終的には大泉が「何の不満もありません」「迷いが消えました」と訴え、「番組に不満がない」ことを示すため「僕は一生どうでしょうします」と発言。この発言が最終回直前の「重大発表」にて、“『一生どうでしょう』する証拠”として放送された。
その後、午前3時にようやく藤村Dを退室させた大泉は、翌朝5時の起床後に扮装準備をする中で藤村Dから「よく眠れましたか?」と聞かれ「『よく眠れたか』って言われたらそら眠れたよ、2時間ぐっすり寝たよ」と低いテンションで返答している。
- ミスターのどっきりエレベーター
大泉の扮装後、鈴井も繋温泉ホテル内のエレベーター前の踊り場で花瓶に扮装し、エレベーターから出てきた客を驚かせるというどっきりを敢行した。しかし大半の客は反応が薄く、逆に客から「ミスター頑張って」と慰められるなど予想を反する展開となる。このため藤村Dがどっきりを止めようとしたが、鈴井が「いや!まだやりますッ」と自ら進んで続行の意志を伝えたため、その後も5〜6回ほど続けられた。ドッキリの後、楽屋に戻った鈴井はメイクを落としながら「素顔に戻りたくない」「このまま(黒塗り)のままでいいかな、もう鈴井貴之として生きるのが嫌だ」などと発言。すっかり憔悴しきっていた。
この場面は本編で放送されていないが、2002年6月5日放送の「未公開VTR&NG集」で公開され、DVD13弾の特典映像でも公開された。いずれにおいても藤村Dが乱入したと思われるシーン以降は放送されていない。
試験に出るどうでしょうシリーズ
地理歴史の入試問題を実際に現地で実習し、大泉が語呂合わせや寸劇を作って覚える「アカデミックな企画」。『どうでしょう』的な企画に見えるが、教科書や資料などでは見られない実際の風景やしくみなどがよくわかるように構成されている。第1回目は「クイズ! 試験にでるどうでしょう」として、司会に安田・鈴井、回答者に大泉というクイズ番組形式で行われ、第2.3回は予備校「どうでしょうゼミナール」の直前集中講義という設定で行われた。なお、すべての罰ゲームは「四国八十八ヶ所の完全巡拝」となる。
クイズ!試験に出るどうでしょう
「中学入試」「高校入試」「大学入試」の3カテゴリから出題。問題に正解すると、難易度に応じ10点から300点まで獲得できる。問題は地理科目だが、大泉へのチャンスタイムとして歴史問題も入っている。
大泉が答えを間違えた場合は、フィールドワークと称して大泉を「拉致」して現地で学習。大泉と鈴井が現地でフィールドワークを行っている間、安田は大泉がクイズで200点獲得まで帰れず、スタジオの中に「監禁」されながら問題を出題する。大泉が48時間以内に200点を達成できなければ、四国八十八ヵ所巡礼の罰ゲームとなる[64]。
なお『Classic』において現在は放送されていない。DVDにおいてもカルスト地形においてウバーレ・ドリーネに関する部分はカットされている。
- 行程
- HTB→滋賀県マキノ町〜今津町(共に現:高島市)→(岐阜県関ケ原町)→(静岡県焼津市)→静岡県榛原町(現:牧之原市)→山口県秋芳町(現:美祢市)→鹿児島県隼人町(現:霧島市)→福岡市東区(時間切れ)
試験に出るどうでしょう 石川県・富山県
大泉が校長・鈴井が講師となり、生徒の安田が試験を受ける。石川と富山になった理由は「“ヤマ”を張った」ため[65][66]。3日間の「集中攻撃」[67]の後、月曜日早朝に実力テスト。実力テストで10問中安田が1問でも間違えた時点で即大泉が全責任を負って四国へ行くことになった。
試験に出るどうでしょう 日本史
今回は安田だけでなく、鈴井も何も知らされない状態で生徒として加わった。ディレクター陣は大泉に対し事前に大量の参考書、マンガを手渡し、3人で企画を進めていった。また、前回までは大泉・藤村D・嬉野Dだけが罰ゲームとして四国巡礼を行っていたが、今回は不合格となった生徒(鈴井・安田)も四国へ行くことになった。
今回は大泉が「高校地理歴史」の教員免許を取得していること、また本人が「歴史が得意」という意見を採用し、日本史がテーマ。題材は「織田信長」。
第2夜に出てくるテロップ「禅照寺」は北海道にある寺院であり間違い。正しくは善照寺、史実では一般に善照寺砦と言われ善照寺とは全くの別物である。また今川義元を討ったのは服部一忠(通称:小平太)と解説されているが、「一番槍をつけた者」であり実際は返り討ちにされ、その後毛利良勝が討ったとする説が有力。
第4問では「家康と連合軍を組んで武田信玄と対決」の部分が誤りであり、説明で「×家康と連合軍→○家康単独」とテロップに出ているが、正確には信長本隊ではないものの佐久間右衛門尉(佐久間信盛)ら三千から二万の兵を織田は派遣している(三千とする説が有力だが資料によって差異が見られる)。よって強ち「×」とも言えなくはない。詳しくは「三方ヶ原の戦い」を参照。
四国八十八ヶ所シリーズ
前述の企画「試験に出るどうでしょうシリーズ」における“合格点に達しなかった罰ゲーム”で、通常は10日以上を要する四国八十八箇所巡礼を大泉・D陣が4 - 5日という弾丸スケジュールで敢行する企画である。「番組を見ている受験生の合格を祈願して八十八箇所を回る」ことを主題に上げているものの、実際の受験シーズンに放送されたことは一度も無い。
一般的な遍路とは異なり、時間にリミットが設定されていることと、それに伴って1つの霊場に掛ける時間が総じて短いこともあって、参拝や納経などは行わない(一部の霊場は、予告編やオープニング映像などで参拝しているシーンが映る場合がある)。そのため、各霊場の門前で写真を撮ることを「巡礼」したと見做し、巡拝した寺によっては、大泉がコミカルな口調と特徴的な動きで寺紹介をする「珠玉の寺紹介シリーズ」が行われている。
計3回の中で八十八箇所全てを一度で回りきった事はない(交通機関の都合も含む)。3回のうちいずれかのロケでしか巡拝していない寺(21番・太龍寺や60番・横峰寺、66番・雲辺寺など)もあるが、通算では全て制覇した。企画の苛酷さは別企画の罰ゲームとしても度々挙がるほどであり、各回で何かしらのアクシデント・怪現象といったトラブルが発生している。
四国八十八ヵ所
- 1999年3月10日 - 31日放送、全2夜。
- DVD第14弾『クイズ! 試験に出るどうでしょう/四国八十八ヵ所/釣りバカ対決 氷上わかさぎ釣り対決』に収録。
放送時のタイトルは「四国八十八ヵ所完全巡拝」。わずか3泊4日(74時間)という短時間での完全巡拝を敢行し、ロープウェイに乗れなかった21番・太龍寺と66番・雲辺寺、冬季通行止めの60番・横峰寺と20番・鶴林寺などを除きほぼ全部を巡拝した。このロケ中に大泉は体調を崩し、その後半年の間体調不良を抱えていたという(『試験に出る石川県・富山県』第1夜、『四国八十八ヵ所II』第1夜前枠および本編にてそれぞれ大泉本人が発言)。移動の際使用したレンタカーはトヨタ・イプサム。
『試験に出るどうでしょう』のロケが終了した直後からロケ開始。12番焼山寺の巡拝後、大泉の最愛の祖父が亡くなったという電話があった。大泉の母親から「仕事はそのまま続けなさい」という連絡があったが、両ディレクターの判断でロケを一時中断し、札幌に帰させた。この1週間後に、ロケを一時中断した時間帯からロケを再開している。
- 備考
- 後に藤村DはHP内「番組スタッフからのメッセージ」で『実はある企画で、私は「自分の信念を曲げてしまった」ことがある。それは自分の中では、「ひとつの大きな決心」だった。』と書いており、北海道新聞に連載されたコラムの中でも「ロケを一度中断し、1週間後に同じ衣装・同じような部屋を作り何事もなかったようにロケを再開し、視聴者に嘘をついた」と語っている。ただしコラムでは具体的な企画名は明かされず「この事は(何の企画であるかは)一生言わない」と書かれていたが、当の大泉が「どうでしょう本第2号」の自身の連載小説の中で事実を明かし、その後DVD版の副音声で事の詳細が明かされた。
- ロケの中断を裏付けるかのように、この企画には(ほかの企画では大抵出てくる)「○年○月○日」などの撮影日に関するテロップが一切出ていない。ただし、第一番札所霊山寺は大泉の発言で1月18日撮影であること、藤村Dの発言により最終日が木曜日(以上の文章に基づいた場合1月28日)であることは明らかになっている。
- ロケ最終日4日目、寝起きの大泉は「気管支炎」になったと明かした。「四国八十八ヵ所III」では藤村Dに対し「君の選ぶホテルは空調がおかしい」と不満をぶつけている。
- 『岩屋寺』…愛媛県にある45番岩屋寺は高地にあること、気温の低さ等その道程の厳しさから88ヵ所の中でも屈指の難所。ここで毎回「大泉が悟りを開く」が、結局その後、D陣のパンをきっかけに醜い言い争いをする一幕がお約束となった。
四国八十八ヵ所II
- 2000年4月12日 - 5月3日放送、全4夜(最終夜の後半は「原付西日本」の前フリ企画「春を満喫 グルメといで湯 ぶらり京都の旅」)。
- DVD第19弾『試験に出るどうでしょう 石川県・富山県/四国八十八ヵ所II』に収録。
- 最終夜後半の「春を満喫 グルメといで湯 ぶらり京都の旅」はDVD第20弾『原付西日本制覇/今世紀最後の水曜どうでしょう』に収録。
前回よりも1日増やした4泊5日となった。この回のみ巡礼が春先に行われており、再度ロープウェイの乗車を逃した66番・雲辺寺、うどん屋へ立ち寄った影響で飛行機の時間が迫りパスをした88番・大窪寺を除いて巡拝を行った。使用したレンタカーはトヨタ・プリウスだが、44番・大宝寺から46番・浄瑠璃寺へ向かう途中、ショートカットで通った山道で左後輪が脱輪しパンクするアクシデントにも見舞われた。また、前回のロケで大泉が体調不良に陥った反省を踏まえ、今回はD陣から大泉のために「魔除け」の数珠を購入していたが、38番・金剛福寺の前後で紛失している。
5日目の午前8時半時点で、前年の経験から高松市街は通勤ラッシュにより渋滞が起こる事を知っていたため、84 - 88番にかけては大外回りのルートに変更し行く順番を変えた。83番から87番→86番→84番→85番→88番と巡拝し、昼12時50分に高松空港から出る札幌便に乗ることを目指した(実際は渋滞や踏切にも引っかかりルート変更は失敗)。また、「この旅最大の楽しみ」として85番八栗寺の麓にあるうどん屋「山田屋[68]のざるぶっかけうどんを食べる」という目的があった。実は前年も同じ物を食べており、山田屋の10時開店と同時に入店し88番まで回って飛行機に間に合った経験があった。しかし、八栗寺に到着したのは午前10時で、20分おきに出るケーブルカーに乗らないと行けない。そのため10時10分ではなく10時30分のケーブルカーに乗るために先に山田屋へ行きうどんを食べることを選んだが、結果として88番大窪寺には行けず標識の前で撮影するにとどまった。
ロケ中のアクシデントが1つの特徴となっているこの番組で、“インパクトのあるアクシデント”が多発した回の一つに挙げられる。それを象徴するものとして、ロケ4日目の深夜に巡拝した79番・天皇寺高照院で「ビデオカメラが異常な音を発して停止し、撮影したはずの映像が記録されなかった」という現象が起きた(境内で撮影した写真は存在し、放送もされている)。車内でのカメラテスト後に再び撮影を開始したが、帰札後のチェックで映像が大きく乱れ、音声もほとんど録音されていないことが判明。さらにカメラのバッテリーライトが消え(これは単なるバッテリー切れによるもの)、車のエアコンが故障する事態も立て続けに発生し、その事件を元にドラマ『四国R-14』が制作、同年の秋に放送された。
その後、「原付西日本制覇」のロケ中の湯布院温泉の宿で、嬉野Dから天皇寺高照院で起こったことの“真実”が藤村Dに伝えられた。それは、最初にカメラが異常停止した時、「撮影したはずの映像が記録されていなかった」としていたが、それは嬉野Dの嘘であり、実際には映像が記録されていたということだった。しかし嬉野Dは、一度車内に戻って確認をした際にその映像を見て、「誰にも見せちゃいけない」と感じてすぐに消去してしまった(詳細は 「番組スタッフからのメッセージ」 を参照)。
なお、映像の内容は当初大泉や視聴者には伝えられていなかったが、代わりに安田が「対決列島」のロケ中に詳細を聞き、後にトークショーで大泉に伝えられた。それによると、問題の映像の中で、大泉の足から先が消えていたという。その後、DVD第19弾『四国八十八ヵ所II』第1夜の副音声において、嬉野Dから、本当は映像が記録されていたが確認したところ、大泉の映っている映像全体が「カメラのモニターの一番下から、毛糸で編んだセーターをほどいていくように、一本ずつ無くなっていって、最終的に全部消えた」という真相が語られ、第4夜の副音声において大泉本人にも明かされた。
天皇寺高照院の事件以外にも、
- ロケ初日の夜に巡拝した14番・常楽寺では正体不明の物音や足音、謎の声が発生。
- ロケ4日目の夜に巡拝した71番・弥谷寺では大泉の背中を何かが触った(大泉の後ろを歩いていた藤村Dは「やってない」と否定している。大泉は「これ以上一歩も動かない」と宣言したため、藤村Dは「自分が触った」という事にして巡拝を続行した)ほか、正体不明の物音が発生した
など、怪現象が多発している。特に弥谷寺の一件では、大泉はもとより真相を知る藤村Dが恐怖の余り走り出してしまう事態になった。また、ロケ4日目はこれらの怪奇現象や事件、車の脱輪・タイヤのパンクなどのトラブルが多発したため、悪夢の一日と称されている(第2夜の字幕より)。しかしながら、DVDの副音声において藤村Dが、弥谷寺で大泉に「ぼく、触りました」と一連の流れは演出であったことを告白している。それを裏付けるように、テレビ放送では「間もなく怪現象発生」というテロップが出るが、DVDでは出ていない。一方で、常楽寺の一件については特に触れられていない。
ちなみに、この企画でどうでしょう班が四国に滞在している間、鈴井は「ハワイで家族サービス」に勤しんでいたことを打ち明けている(第1夜前枠にて)。
四国八十八ヵ所III
88番・大窪寺から回る『逆打ち』で巡礼を行い、大泉に加え、「試験に出る日本史」で不合格となった鈴井・安田も参加。使用されたレンタカーは「対決列島」同様、トヨタ・エスティマ(2代目)。
しかし、鈴井はラジオの生放送(『GO・I・S』)、安田は『情報ワイド 夕方Don!Don!』の1コーナー「サビカラ選手権」に出演するため、松山の宿で離脱し帰札。結果的に当時は『どうでしょう』の撮影以外にほとんどスケジュールが無く、出演者の中で「最もヒマ」な大泉のみが巡礼を続けることに(実際、大泉は鈴井・安田よりもスケジュールが3日間多く押さえられていた)。ただし、第2夜では当時大泉が不定期で出演していた『パパパパパフィー』を蹴って『どうでしょう』にスケジュールを割いたことに触れ、「PUFFYを蹴らないで!ちょっと考えたら分かるでしょ!」と怒りを露にした場面もある。その直後に訪れた50番・繁多寺から、TEAM NACSのリーダー・森崎博之が旅に参加した。理由としては「森崎が晴れ男である」ことも一因である。森崎本人は「食事を摂れば雨が止み晴天になる」と自称し、本編中では44番・大宝寺の巡拝から43番・明石寺に向かう途中、森崎が空腹から食事を要求したために昼食を済ませたが、実際に森崎の食事後は悪天候から晴天へと見事に変わっている。
冬季通行止めの60番・横峰寺、ロープウェイに乗れなかった21番・太龍寺を除きほぼ巡拝。また、66番・雲辺寺は前2回ともロープウェイの時間が合わなかったために巡拝していなかったが、今回の旅で初めて訪れている。
- 『大魔神久々の登場』72番から71番への道中、藤村Dは「1度買ってみたかった」と香川県三豊市三野町の名物『鳥坂まんじゅう』を買って車内に戻ってきた。はじめ普通に食べ進めていたが、突然鈴井が食べるペースを上げ始めたことが魔神の火をつけ、例の如くまんじゅうを凄まじい速さで“飲み”始めた。
- 38番・金剛福寺は「うどん屋に行きたい」一行が金剛福寺へ行くのを断念し[69]、前々回の「八十八ヵ所完全巡拝」で訪れた際の映像に森崎の映像を合成させ、うどん屋へ行くのを優先したが、定休日であったために食べることが出来なかった。
- 12番・焼山寺についても、D陣は同寺院に行くまでの道が非常に狭く険しい山道である上に、時間帯が夜中だったことから「危険である」と判断した上で巡礼の取りやめを提案したが、大泉の意向によりこの案は却下された。しかし、焼山寺の巡礼終了突如に森崎と大泉の肩や車内などに異常が見られたシーンもわずかながらあった。
- 上記の一件で一同は「寺一つ回らないと、うどんも食べられやしない」と不満を漏らし、21番・太龍寺の巡拝を避けたに一件については森崎による「うどん屋に寄ったからロープウェイに乗れなかった」という発言に対して大泉や藤村Dが半ば肯定したことが明確に語られていたが、4日目深夜に上記の寺を除いた全ての巡礼を終了、残った5日目を用いて香川のうどん屋巡りを敢行した。
- なお、この旅ではレギュラー後も含むこの後の企画で「お約束」となった「気合」(番組内では呼び方が統一されていない)が初登場しており[70][71]、12番・焼山寺に向かう途中の運転で少しでも恐怖を和らげたい藤村Dの希望で大泉による勇気付けのマイケル・ジャクソンの鼻唄も披露されている。
原付(カブ)シリーズ
本田技研工業の原動機付自転車「スーパーカブ」を使用し、長距離を走る企画。鈴井・大泉がカブを運転し、D陣は車で追走する。元々は鈴井の「スーパーカブにガソリンを1リッターいれ、札幌からどこまで走れるか」という話を大きくしたところから始まった。「原付東日本縦断」後は水曜どうでしょうの節目に登場する企画として「原付西日本制覇(2000年一時休止前の企画)」、「原付ベトナム縦断(水曜どうでしょうレギュラー放送休止前の企画)」が放送された。また、不定期放送移行後の2011年には、「原付東日本」、「原付西日本」の続編として、2つの企画で走破していない空白地となっていた東京から紀伊半島、および四国を走破する「原付日本列島制覇 東京 - 紀伊半島 - 四国」が放送されている。出演陣の後姿しか放送できないため、積荷が定番となっている[72]。
鈴井や藤村Dは趣味でオートバイの運転を行うほか、嬉野Dは妻の運転するハーレーダビッドソンでタンデム走行を行い、自らもスクーターに乗るということから、それぞれバイクに関係しているが、大泉はまったくもって初めての運転だった[73]。なお、オートバイは「(企画開始の1ヶ月前に発注をかけて)買ってもらって乗って帰ってきた」ことになっていたが、その後はHTBの社用車になり[74]、鈴井の監督作品『man-hole』では冒頭に登場するバイクのシーンに活用された。
72時間!原付東日本縦断ラリー
放送時のタイトルは「原付東日本縦断ラリー」。東京〜札幌間を1日目の午前9時から4日目の午前9時までの72時間以内に走破する。『Classic』においては一部の局では放送されていない。
導入は鈴井が大泉・D陣・土井Pを東京銀座に連れて行き、「銀座でお買物をしよう」という「大泉だまし」。土井Pが「番組からのご褒美を鈴井にだけ買い与える」と話していたところに、大泉が自分の分もと食いついた。その後バイク店でスーパーカブ2台を購入中、持って帰る心配を始めた大泉に鈴井が「欲しいなら乗って帰りなさいよ」とけしかけ、半強制的に当企画に移行させた。なお、土井Pは随伴車のドライバーも担当している。
タイムリミットが4日目の午前9時なのは、鈴井のラジオ生放送出演(4日目の午後5時)に間に合わせるため。なお、藤村Dの「勘違い」と称して76時間、さらには80時間(『GO・I・S』の番組開始時間)にまでタイムリミットが延長されたが、鈴井が自らの責任で72時間に戻した。ちなみに時間内に走破できなかった場合の罰ゲームは「四国八十八箇所巡礼」と決められたものの、この時間調整などもあって“時間内に”到着し、執行されなかった。
ルート選択
- 国道4号を通る内陸ルート(主経由地:草加、春日部、宇都宮、郡山、福島、仙台、古川(現:大崎市古川)、一関、北上、盛岡、二戸、十和田、野辺地など)
- 国道6号・国道45号などを通る太平洋ルート(主経由地:柏、土浦、水戸、いわき、仙台、石巻、気仙沼、釜石、宮古、久慈、八戸、十和田、野辺地など)
- 国道7号・国道17号などを通る日本海ルート(主経由地:浦和(現:さいたま市浦和区)、大宮(現:さいたま市大宮区)、熊谷、高崎、前橋、渋川、沼田、湯沢(新潟県)、長岡、新潟、村上、鶴岡、酒田、本荘(現:由利本荘市本荘)、秋田、能代、大館、弘前など)
その中から、
- 経由ルート:国道17号
- 銀座のバイク店にてカブを2台購入し、1台が大泉用、1台が鈴井用。二輪車に初めて乗る大泉は店員から操作方法を5分ほど教わった後、北海道目指して出発。途中、埼玉県熊谷市まで渋滞に遭い、予定よりも大幅に遅れる。
- 御徒町付近の首都高速道路の高架下で(朝の)通勤ラッシュに出くわし、大泉「我々は今帰宅途中」。
- 雨の達磨寺 - 達磨寺に立ち寄り、おみくじを引く。大泉の引いたくじは「商いならよし」「騒ぐと損」など。その後、大泉のバイク後部には「高崎だるま」が積まれる。
- 「寒さと風と匂いと危険を感じる」 - 夕方になり、体に浴びる冷たい風と焼肉店からの焼肉の匂い、対向車との危険を感じた大泉が発した台詞。
- 鈴井、ガス欠によるエンスト - 群馬県利根郡新治村(現:利根郡みなかみ町)の国道17号の上り坂で走行中にエンスト。しばらくは原因不明で2回目のエンスト時はトンネル内で起きたものの、事は藤村Dが給油させなかったことによる「ガス欠」と分かり、越後湯沢の温泉街へ行き一泊する。その後、宿泊地での4人のトークが始まるが、藤村Dから出た言葉「これはテレビ」に酔っていた大泉が、「というより、これはサークルだよ」と反撃し、終了。
- 経由ルート:国道17号・新潟県道48号・国道352号・国道402号・国道8号・国道113号・国道345号・国道7号・国道112号・日本海沿いの道路
- 鈴井が大泉のだるまに対抗して荷台に「魚沼産コシヒカリ」を積む。荷台の荷物にちなみ、大泉が「だるま屋」・鈴井が「米屋」というあだ名で、札幌に向かう。新潟県三島郡出雲崎町では「毘沙門天」の「毘」をあしらった旗が掲げられる。
- 「だるま屋ウィリー事件」が発生(後述)。これらの要因が尾を引き、能代まで行くという計画は立ち消えに(というより性能的な関係上無理であった)なり、結局酒田市で泊まることとなった。
- 夜、宿にて急遽大泉と鈴井、さらにディレクター陣2人で緊急会議が開かれた。4日目の午前9時に間に合うためには3日目の青森午後0時発のフェリーで函館に上陸する必要があるとディレクター陣から伝えられたが、酒田市から青森までは約300kmあり、今までのペースから考えると最低10時間かかることになる。当然、秋田県能代・青森・函館経由ではフェリーに間に合わず、札幌への72時間以内の走破は不可能となってしまうため、国道7号・国道5号を走る案から、本州再横断・国道36号を走る案に変更。
- 2日目の最初に「新潟県村山市瀬波温泉」のテロップが出されるが、村上市が正しい。なお、これはDVDにいたるまで訂正されていない。
- 毘沙門天の旗が掲げられるが、最短ルートで進んだ場合、あの旗は上越市エリアでしか購入できないため、六箇峠→長岡市→旧越路町→旧寺泊町のルートを経由したと考えられる。[要出典]
- 経由ルート:国道7号、国道285号、国道103号、国道104号(一部国道4号と重複)、八戸からフェリー
- 前夜の会議の末、秋田県南秋田郡飯田川町付近の八郎潟(現:潟上市飯田川古開)から南秋田郡五城目・鹿角・青森県三戸郡田子・三戸・南部町(なんぶちょう)[75]といった内陸部を経由して八戸港に向かい、フェリーで苫小牧港に向かうことに(フェリーで船中泊)。
- 秋田で「なまはげ」の面を鈴井のバイクに、青森でねぶたの扇子がバイクに新たに積み込まれた。藤村Dは「ねぶたに見つからないように」とコメント。この後で大泉はねぶたの扇子を積んだ。鈴井のなまはげの面と大泉のだるまをみた藤村Dは「民芸の見本市...」ともコメント。
- 鈴井の荷台にあきたこまちが積まれ、合計35kg積む(コシヒカリ25kgとあきたこまち10kg)。また青森で雨が降ったためD陣が「米屋さん、こめ大丈夫ですか?」と尋ねた。しかし雨に濡れたなまはげのほうが心配された。
- 再び片側交互通行信号に出くわすが、後述のウィリー事件が原因でトラウマとなっていた大泉は異常にその区間を怖がり、徐行して通って行った(このとき車内で「男らしくねえなぁー」と言ったことに大泉は軽く立腹していた)。
- 経由ルート:北海道苫小牧市で下船、国道36号→途中から羊ヶ丘通経由(当時建設中だった札幌ドームの工事現場が右手に見える)
- 本編ではHTBへのゴール直前で南平岸駅方向から向かっているが、羊ヶ丘通経由ならば平岸6-14交差点を左折→白石藻岩通でHTBの裏側に出るのが最短ルートであるため、多少遠回りをしている。
- 第5夜のオープニングは、なまはげ面をかぶった大泉の映像に変更(この時包丁には「魔除」と書かれていた)。大泉がゴール後に提案したのが発端で、この映像は企画終了の数日後に収録された。藁合羽を纏い燃えさかる松明の周囲で踊るため軽く危険なロケであり、松明が大泉の足の上に落ちるというハプニングも起きている。
この企画の前枠・後枠では「プロレスラー」に扮した大泉と安田、そしてonちゃんが登場するが、安田がレスラー役(基本的に覆面レスラー)なのにonちゃんがいたり、大泉がonちゃんに対して相当手加減して攻撃を加えたりしている。これは、onちゃんの中に別の人物が入っているためである[76]。また、同時期には安田が『鈴井の巣』で包茎手術を受けているが、同番組内では「プロレスをやらなければいけないけど大丈夫なのか」と担当医師に相談する姿も放送された。
- だるま屋ウィリー事件
ロケ2日目、大泉らが国道345号を新潟県山北町(現:村上市)の勝木(がつぎ、国道7号との交点)まであと少しという地点を走行中に起きた事故。本件を放送した第4夜は第一回どうでミー賞の「名企画部門」で第一位を獲得した。なお、「だるま屋」とは大泉が高崎市に寄った際に購入し、後部の荷台に積んだだるまに由来する。
走行中、大泉らは工事による片側交互通行信号に遭遇したため2分強の待ち合わせをし、信号機が切り替わる5秒前から大泉がカウントダウンを行う。信号が「GO」の表示に切り替わると同時に鈴井は問題なくスタートしたものの、大泉がギアをニュートラルに合わせていたためにスロットルを回したが前に進まず、焦ってスロットルを回したままギアを1速にしたところ、突如ウィリーしながら暴走し、目の前にあった「安全第一」のバリケード(実際にはその手前に置いてあった「→」(赤地に白文字)の案内板)に激突した。この間、信号は再び2分強の待ち時間表示に切り替わっていたため、鈴井のみが先行して進んでしまった。
事故直後、大泉は(失笑しながら)心配する藤村Dに対して「何がですか?」などと事故が無かったかのように白を切っていたが、藤村Dが深く追求すると「大丈夫じゃねぇよ! なまら(北海道弁で「とても」という意味)恐かったよ!!」「死ぬかと思ったよぉ!」と発した。また、先行した鈴井が心配しているのではないかと思い、合流するなり「心配したでしょう? 大丈夫ですよ」と言ったが「何してたの?」と全然心配しておらず、それどころか大泉の説明に対し「いいなぁ おいしいなぁ」「見せるもの、ビジュアル考えているもの」と羨ましがっていた。この際、鈴井に対して説明した「動かないから アレッと思って ギアいじったっけ ロー入っちゃって もうウィリーさ」という発言は名台詞のひとつとなった。また、大泉は「オレ あの「安全第一」なかったらヤバかったぜ」「(海に)突っ込んでたよ」と続けている。
- この事件以来、いつハプニングが起きるのかがわからないのでカメラを止められなくなったという。
- 激突した「安全第一」のバリケードは藤村Dが直した(エンディングに大泉を助けるため車外へ出る映像もある)が、位置は激突後のままである。
- この事件は最初「大泉 洋が天高く昇天するまでの死のカウントダウン」と表示された(ちなみにこの「死のカウントダウン」は片側交互通行信号の待ち時間のことである)
- 北海道でこの日の模様が放送された『原付東日本 第4夜』は、放送日当日の高校野球が雨天のため中止、その煽りで番組の前に放送が予定されていた『熱闘甲子園』も中止となったため放送時間が繰り上がった。そのため見られなかったという視聴者からの声と、面白いこの企画を多くの人に見てもらいたいという事で一ヵ月後にこの回が「だるま屋ウィリー事件」として再放送された。
- インプレスTVのインターネット配信(現在は終了)における番組紹介VTRで、「実際に放送したVTR」としてこのシーンが紹介されていた。
- この11年後に制作された原付日本列島制覇 東京−紀伊半島−高知で、この事件を彷彿とさせる片側交互通行信号が登場する箇所があり、この時にも当時の一部始終が流された(なお、映像の後事件当時同様にカウントダウンをして発進し、無事に走り出すことができ、この事件を克服した)。
- 現場は北緯38度28分22.5秒(38.472913度)、東経139度30分17.6秒(139.504885度)地点。
原付西日本制覇
京都を初めて旅する旅人・鈴井を「京都の達人」大泉が案内をするという設定で、「春を満喫グルメといで湯 ぶらり京都の旅」を決行。嵐山から京都旅行を満喫する。しかし、金閣寺駐車場にて「『カブの旅』で佐多岬まで向かう」という本当の企画発表が行われる。あまりにも予想外だったことからカブを見た瞬間に大泉は本気で落胆し、行程の説明後に「これはね、久々に“生のリアクション”っちゅうのを僕は見せたよ」「びっくりしちゃったらああなるんだなぁ」とその心境を表した。
鈴井の映画撮影に伴う番組休止前の最後の大型企画のために、予告編では「Last Run」と銘打たれた。また、鈴井は1997年の「ヨーロッパ21ヶ国完全制覇」前後から番組における自分の立ち位置に悩んでおり、カブで走りながら「もうこの番組に戻ることはないだろう」と考えていた。しかし、「大泉くんや藤村くんをトップに立たせて、ロベカルのように『たまにボカン!と(ゴールを)決めよう』と思ったとき、またこの番組が好きになった」と後に語っている(2004年秋「ミスター大壮行会」にて)。
- 経由ルート:国道162号・国道27号・京都府道8号・国道9号・国道426号
- 京都府京北町(現:京都市右京区)が、字幕スーパーでは「北京町」と表記された。
- 城崎の手前、出石郡出石町(現:豊岡市)で、出石そばを食べ、鈴井の荷台に出石そば粉が積まれる。
- この日の宿泊先である城崎温泉において、藤村Dもカブ乗車の可能性を示唆する。
- 経由ルート:国道178号・国道9号
- 大泉の荷台に鳥取砂丘の砂20kgが積まれる。…DVD未収録(後述)
- 途中で交通量の少ない山道を選ぶが、カーブと積雪に悩まされ、立ち寄った三朝温泉で休憩。
- この日の宿泊地である玉造温泉では満開の桜に会う。宿先にて鈴井が「中国地方だけを走破して中国横断」と言い出すが却下[77]。結局、翌日は行けるだけ行き、後日再挑戦することが決定。
- 経由ルート:国道9号・国道191号
- 出発前に大泉のヘルメットには張子虎、鈴井のヘルメットにはひょっとこの面が付けられた。
- 出雲市にて出雲そば割子3段を食べたのち、鈴井の荷台に出雲そばを積み増し。大泉も荷台に新しく1万5000円の張子虎を積んだ。しかし、途中で首が落下し、後続車が踏み潰してしまう(D陣の追走車ではない)。
- 琴ヶ浜において鳴き砂を採取したが、あまりの重量のために一部を廃棄。
- 途中、鈴井対藤村Dによる甘い物早食い対決を行う。この際に「魔神」という呼称が生まれる。
- 萩市で時間切れ。カブを現地の宿に置かせてもらい、2週間後に再スタートとした。
- 経由ルート:国道262号・国道9号・国道2号・関門海峡トンネル・国道10号・国道387号・国道500号
- 前述の萩市より再出発。ここから「だるまの嫁取り」をテーマとすることにし、大泉に高崎のだるま、鈴井に秋田のなまはげ(共に東日本編で使用したもの)が積まれる。
- 関門トンネルにて、カブ(49cc)は通行できないことが判明。出演陣とD陣が分かれて九州上陸をすることになり、出演陣は約2.5km離れた人道トンネルを通ることになった。その際ディレクターから渡されたお金は100円(必要経費を40円と算出したため)[78]。
- 関門人道トンネル通過後に、「甘い物対決」の第2弾が行われた。今回は鈴井に配慮して下関名物「ふぐかまぼこ」と萩名物「毛利の殿さま巻」のどちらかを選ぶ形となったが、鈴井が殿様巻を引いてしまい撃沈。大泉もふぐかまぼこで挑んだが、惜敗した。
- 大泉が疲れのピークを迎えたため、バイク運転が趣味の「赤ヘル」こと藤村Dが大泉と交代。大分県まで運転を担当することになった。なお、大分県に入ると元に戻り、そのまま由布院温泉まで運転する。
- 経由ルート:やまなみハイウェイ・国道442号・国道502号・国道326号・国道10号・宮崎県道40号
- 大分県竹田市の『後藤姫だるま工房』にて、高崎のだるまと姫だるまのお見合いが行われ、だるまの親代わりを大泉・仲人を鈴井が務めた。晴れて所帯持ちとなった高崎のだるまには、大泉の筆によって目が入れられ、満面の笑みを浮かべただるまになった。なお、後藤姫だるま工房へは後に『プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅』の企画で訪れている。
- 都農町から入った県道では藤村Dが何度も道を間違え、大泉が自分に対して「地図も読めないバカ」と評していたことを槍玉に挙げる。
- 綾町の旅館はどうでしょう班お気に入りの宿となり、後に「対決列島」「日本全国絵ハガキの旅2」でも「理由を付けて」宿泊する事になる。
- なお、宿泊先において藤村Dが大隅半島の対岸にある指宿温泉[79]に注目したため、ゴールをフェリー経由で指宿に変更する旨を出演陣に申し入れたところ話がまとまり、急遽初日の金閣寺駐車場でのシーンについてセリフ入れ換えを行った。
- 6日目 - 鹿児島県ゴール(完走)
- 経由ルート:宮崎県道26号・国道220号・鹿児島県道68号・国道269号
- 目的地変更を行ったことで「時間に余裕が出来た」と思い、照葉大吊橋や「鬼の洗濯岩」などで観光や小ネタ撮影を行う。照葉大吊橋では鈴井が高所恐怖症であることが判明する。
- ところが、途中でフェリーの出発時刻に間に合うか微妙となり、D陣は遅れた場合佐多岬まで向かう事を決意。それでも大泉がコンビニに立ち寄りおにぎりを食べたため、更に間に合うかどうかが怪しくなり、鈴井も巻き込んでの壮絶な罵り合いに発展する。
- なお現実的には既に綾温泉から130km前後を走っている状態で根占港から佐多岬への往復約100kmの行程は肉体的に厳しいことから、藤村Dも内心では本当に佐多岬まで向かうかギリギリまで決めかねており、フェリー出港1時間前のシーンでも「フェリーに間に合わなかったら、佐多岬のほうに行く・・・」と一応の逃げ道を残していた[80]。
- 最終的には時刻に間に合い、無事に薩摩半島へ出発し終了となった。なおこの時乗船した「山川・根占フェリー」は一度廃止になるものの、2005年12月に再び就航(1日5便就航)している。
- 鳥取砂丘での不適切行為
途中立ち寄った山陰海岸国立公園内の鳥取砂丘で、砂丘に隣接するレストハウス周辺に吹きだまった飛砂を採取し(採取するシーンは放送されていない)、荷台に載せて走行したが、本放送から7年経った2007年7月、日本海テレビでの放送を見た視聴者から、この砂採取は自然公園法に反する行為ではないかとの指摘が鳥取市に寄せられ問題化した。
同年8月8日にはHTBが公式サイトで謝罪し、番組のネット局に対して当企画を含む数企画の販売中止を決定する[81]。また、『どうでしょう』の公式サイト上では藤村D・嬉野D連名の、「CREATIVE OFFICE CUE」の公式サイト内では鈴井・大泉連名の謝罪がリリースされ、さらに同月12日にはHBCラジオの『大泉洋のサンサンサンデー』内でも大泉より直接の謝罪があった。
鳥取市から報告を受けた環境省は、当該レストハウスが既に無く行為の特定ができないことなどから砂採取については特に処分を下さなかったが、同企画内で鳥取砂丘に足跡で「水曜どうでしょう」と大書した行為が自然公園法で禁止されている広告などの掲出に当たるとして同月23日に文書で厳重注意され、HTBは改めて謝罪を発表した。
一部報道でHTBは「同企画をDVD化も再放送もしないとコメントした」とされていたが、D陣は番組公式サイトで“今後もDVDは「すべての企画を網羅する」ことを目指して編集を続ける”と公表するに至り、2013年3月発売のDVD19弾においては、副音声で藤村Dが「DVDへの収録、発売が決定し、既に編集作業を開始している」を発表。同年10月に問題のシーンを削除する形での再編集版として発売された[82]。
onちゃんカレンダー
「2000年のカレンダー用写真の撮影会」として、onちゃん(安田)・鈴井がモデル、大泉が撮影係となり、HTBの制作スタジオを用いて撮影を行う。「写真家・大泉洋」の初登場企画(衣装の基本スタイルは「登山家」と共通だが、こちらはピッケルを模したものや無線機を持っていない)。また、一瞬ではあるがオクラホマの河野真也がセットを運ぶ係で出演している。
企画の開始時間である午前6時32分から、午前10時に開始される社内広報番組『TVぴかぽん』の収録までに撮影を終わらせなければならず(制作スタジオを使用するため)、準備を含めて一月あたり10分弱のペースで撮影を行う計算となり、ロケ企画ではないもののハードスケジュールの中で進行していった。一部写真を撮影する際には超望遠レンズ(愛称:バズーカ)が使われたが、これは金子のりとしアナウンサー(当時)の私物で、写真撮影に関する全ての機材は金子アナウンサーから貸与を受けている。
しかし、この撮影会の実際の目的は"安田を海外に拉致する(「アメリカ 生き地獄体験ツアー」の一環として、ラスベガスで開催されたトークショーにゲストとして招く)ための前哨戦"で、11月をハワイ、12月をラスベガスで撮影(前述のトークショーのついでに撮影されたもので、11月のハワイは乗継ぎで立ち寄った際に撮影)し、大泉が拉致を実行する側に回る形になった。大泉が(完全な意味で)拉致の仕掛人となったのは、レギュラー版ではこれが唯一のケースである。安田はこのときが初の海外旅行であり、局預かりのパスポートは真っ白だった。
このロケで大泉が撮影したカレンダー写真は実際に販売され(カレンダーの期間は、企画が1月から2月の初頭に放送されたために2000年2月 - 2001年1月の間となった)、さらに2004年、2012年には『復刻版』として販売された。ちなみに発売されたカレンダーでは、4月のメイン写真がスタイリスト小松が写されたものになっている(後述)。
- 各月のテーマ
月 | テーマ | 注釈 |
---|---|---|
1月 | 正月 | 鈴井が鏡餅に扮装。 |
2月 | 節分 | onちゃんが鬼に扮装し、袴姿の鈴井が豆を投げる役回り。鈴井はこのときカツラを着けていたが撮影後にはずすまで大泉は気付かなかった。 |
3月 | 雛祭り | onちゃんが男雛、鈴井が女雛に扮装。スタジオ内は早朝のため空調設備が作動していない上に、照明設備などの熱がこもって約30度の灼熱状態となり、あまりの暑さにモデル2名はこの時点で“やられた”状態に。撮影する大泉もフィルムの交換にさえ躊躇を見せ、エアコンが完備された自らの控え室に早々と引き返していった。 |
4月 | 入学式 | onちゃんが新入生、鈴井がonちゃんの母親に扮装。大泉が1枚目に「桜吹雪を用意するスタイリスト小松」を撮影し、4月のメイン写真となった。 |
5月 | こいのぼり | 鈴井がこいのぼりに扮装(脚立に上り、垂直にこいのぼりを着る形)。大泉がonちゃんに向かって「バカみたいに膨らんでないでたまには動き付けろよバカ」と発言し、憤慨したonちゃんが大泉に蹴りを入れる。 |
6月 | 梅雨 | 鈴井がカエルに扮装し、傘を持ったonちゃんに飛びつく。大泉はカメラの連写機能を使い、onちゃんに飛びつく鈴井を撮影。史上最速の撮影時間で終了する。 |
7月 | 七夕 | 超望遠(バズーカ)登場。スタジオの端から撮影してもonちゃん・鈴井にピントが合わず、両者ともに体の一部が映ったのみ。 |
8月 | 海水浴 | onちゃんはサングラスを装着、鈴井は水着姿に浮き輪を装着。「スタジオ側の雰囲気が悪い」というD陣の情報から、大泉がモデルの2人を露骨に持ち上げ始める。 |
9月 | 月見 | 鈴井は月に扮装(ムーン)。8月に続いてモデル2人のテンションを上げようとする大泉だが、疲れから2人は一切喋らず。 |
10月 | 運動会 | 2人が体操着姿(onちゃんは紅白帽のみ装着)で玉入れを行う。この時、「6秒間に36枚」もの連写をできる特殊なフィルムを用いて玉入れの様子を撮影した。撮影終了後、安田が着ぐるみを脱いだ時点で「拉致」の前フリとなる「11月の扮装」を安田に渡し(腰みの・ハイビスカスの2点)、あらかじめ用意したヤシの木のオブジェの脇に立たせ、周りがおだて上げて安田の気分が"乗った"ところで、本来の企画目的が発表された。前述のように、安田はこの企画が生まれて初めての海外旅行となったため、新千歳空港へ移動中の車内では、「旅のプロ」・どうでしょう班(大泉・藤村D)による安田イビリ(恫喝風の旅程説明・大泉による「やられ」経験談)が行われた。イビリにタジタジになった安田だったが、機内では機内食やつまみをアテに、ビールを始め大量に好物の酒を堪能し御満悦だった。なお、onちゃんの着ぐるみは小さくまとめられ、飛行機の機内には手荷物として持ち込まれている。 |
11月 | ハワイでバカンス | ワイキキビーチで写真撮影。onちゃんは腰みのを装着。午前7時30分の到着後、9時25分の出発までに写真を撮影しなければならず、実質の撮影時間は「12、3分」という強行スケジュールになった。ここからの2ヶ月はコンパクトカメラでの撮影。 |
12月 | ラスベガスでクリスマス | 鈴井がサンタに扮装(帽子・プレゼント袋のみを装着)。安田はラスベガスへの到着について「感動もへったくれもない」と感想を残す。onちゃんの着ぐるみを着ていたせいか人が集まってきた(ピカチュウと間違われたため)。 |
30時間テレビの裏側全部見せます!
「ゴールデンスペシャル サイコロ6」の放送記念として1999年12月14日から16日にかけて放送された、24時間+6時間の生CMに密着したドキュメント。「四国八十八ヵ所」の収録中に大泉によって立案された企画だが、元々の大泉による「北海道版の24時間テレビのようなものをやりたい」という希望をD陣が脚色し、CMごとに鈴井・大泉が扮装して「これまでのどうでしょうのキャラクター(主に鈴井・大泉による物真似)が総出演する」というものに変更された。
年末の繁忙期のためスタッフが少なく、生放送であるにもかかわらず、藤村D・嬉野D・技術スタッフ2名(カメラ・音声)[83]・北海道共立の大道具1名・スタイリスト小松の6名のスタッフのみで運営された(土井Pや杉山Dなど、制作部のスタッフも一部協力している)。ちなみに待合と衣装の着替えはHTBの第3応接室で行い、副調整室は設けずに「定刻になると、HTBの駐車場にあるカメラの映像をマスターから自動的に送出する」ように設定。そのため、万が一画面上が「カラ画」になっても大丈夫なように、カメラ前には鈴井と大泉の等身大パネルが用意された。セット[84]は屋外に設営され、背後には「ゴールデンスペシャル」放送までの時間が表示されるSEIKOの時計(主に陸上競技等で使われるもの)が横に置かれた。
CMを流す時間帯に関しても、ゴールデンの時間帯はネットワークセールスのためにCMの差し替えが難しいことから、深夜から早朝あるいは昼間から夕方にかけて多く流され、当該時間帯において(後述の一覧のように)過密スケジュールが組まれる要因の一つになった。
なお、放送が行われた14日の夜に大泉は劇団イナダ組の舞台「ホットロード」の本番を、15日の午後には鈴井がAIR-G'で『GO・I・S』の生放送を控えていたため、該当する時間帯のCMはどちらか1人が担当している。
- 放送したCMの一覧
12月14日 | ||||
---|---|---|---|---|
回 | 時間(JST) | テーマ | 尺 | 放送枠[85] |
1 | 18:55:30 | サンバ | 1分 | 情報ワイド 夕方Don!Don! (16:50 - 19:00) |
番組ラストに流れる提供バックからお天気カメラで背後からズームアップされ、そのままCMに接続する構成。大泉が舞台の本番直前、鈴井が『GO・I・S』の放送直後だったため、大通公園のさっぽろテレビ塔前から生中継。大泉は芝居のメイクのままで登場し、直後に芝居の公演へ向かったため、「花瓶」までは鈴井単独での出演。翌日に発表された視聴率速報では『夕方Don!Don!』本編が視聴率を5%ほど獲得する中、直後に放送した生CMで1.5%まで数字を落とした(いずれもビデオリサーチ調べ)ことが明かされ、これに対して大泉は「『Don!Don!』さんなんてのは、僕らのおかげで視聴率を落とされた」「僕らが生CMをビシッと打ったらバキッと1.5だ」と愚痴をこぼした[86]。 | ||||
2 | 19:57:55 | ミスタームーンライト | 5秒 | ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!! (19:00 - 20:00) |
「onちゃんカレンダー」(9月)に登場。人気番組である『炎のチャレンジャー』直後に流れたこともあって、14%と視聴率を大きく上げる(ビデオリサーチ調べ)。鈴井はリハーサルに無かった台詞をアドリブで追加した。 | ||||
3 | 20:52:30 | クリスマスツリー | 30秒 | たけしの万物創世紀 (20:00 - 20:54) |
クリスマスシーズンということからツリーの扮装で登場。「赤鼻のトナカイ」を歌いながら大過なく宣伝をこなすが、終了後はわずか4分後の次の扮装のために大急ぎで衣装チェンジに入る。 | ||||
4 | 20:56:40 | 花瓶 | 15秒 | HTBニュース (20:54 - 21:00) |
「東北2泊3日生き地獄ツアー」で登場。テロップが入ることを忘れた画角となってしまい、数秒間鈴井にテロップが被ってしまう。CMの放映後に舞台公演が終了した大泉が合流。 | ||||
5 | 21:52:45 | チャトラン・ムツゴロウ | 15秒 | 人気者でいこう! (21:00 - 21:54) |
ムツゴロウは「過去のマル秘映像一挙公開!」で登場。チャトラン(鈴井)がムツゴロウの顔を何度もなめるシーンが放送された。 | ||||
6 | 23:16:55 | 雪ん子・なまはげ | 15秒 | ニュースステーション (22:00 - 23:20) |
なまはげは「原付東日本」で登場。藤村Dが入りカウントのミスを犯したことで告知に失敗。大泉がなまはげをやり切る中、ミスによって反応が遅れた鈴井は「もう画が来てたと思う」と藤村Dに対しての注意を発した。本企画では未放送。 | ||||
12月15日 | ||||
7 | 0:22:45 | 雪ん子・なまはげ(2回目) | 15秒 | スーパーネイチャー[87] (23:25 - 0:25) |
前回のリテイク版。本企画では23:16:55として放送。 | ||||
8 | 1:18:40 | タイガーマスクとダブル猪木 | 5秒 | トゥナイト2 (0:25 - 1:20) |
いずれも「原付東日本」前・後枠で登場。直後に放送される『リングの魂』にちなみ、プロレスラーの姿で登場する。この回はタイガー(鈴井)単独で、猪木(大泉・安田)はタイガーを呼ぶ声のみ。通称は“タイガーのダブル猪木”で、大泉曰く「新しいジャーのよう」。CMのために大泉が自宅で飲酒をしていた安田を携帯電話で呼び出したが、家の前にタクシーを無理やり配車された安田は「雪ん子」放送後の0時35分頃、HTBに“ホロ酔い状態”で到着する。 | ||||
9 | 1:20:15 | タイガーマスクとダブル猪木 | 15秒 | リングの魂 (1:20 - 1:50) |
ダブル猪木(大泉・安田)出演。最後に一瞬だけ鈴井が見切れる。この時に鈴井は「タイガー!」と発したものの、ハンドマイクを持っていなかったことで放送上に音声が入らなかった。 | ||||
10 | 1:50:00 | タイガーマスクとダブル猪木 | 15秒 | Break Out (1:50 - 2:20) |
大泉に安田が腕挫十字固を掛けるといったもの。本企画では未放送。 | ||||
11 | 2:22:45 | 陽気な外国人 | 15秒 | テレコンワールド (2:20 - 3:17) |
大泉扮する司会者(ケント・デリカット)は「アメリカ合衆国横断」の前・後枠「アメリカの有名人 私は誰でSHOW」で登場。扮装は放映枠がテレビショッピング内であることにちなむ。 | ||||
12 | 3:17:00 | クロージング | 3分 | - |
鈴井・大泉・安田による若干のフリートークを展開。枠が3分と長めだった為「思いの外長い」と困惑しながらのトークとなった。この時駐車場には複数の番組ファンとみられるギャラリーが集まっており、その中には本来であれば寝ているであろう子供の姿もあったため、安田が「心配ですねぇ」と触れた後、鈴井もそれに気づき「うわぁ起きてるよぉ〜、何してんだよぉ〜」と驚きと困惑の声を発するに至っている。その後、このパートが編成上の12月14日付の放送終了→試験電波(カラーバー)に移行する時間でもあったので、大泉がコールサイン「JOHH-TV」を送出し、「今日の放送はこれにて終了させていただきます。明日もまた見てもらいたいですね。それでは皆様、お休みなさい」と局名告知のアナウンスして、一旦放送休止。局内の人間からドリンク剤や焼き鳥などが差し入れられ、安田は帰宅し、どうでしょう班は楽屋で1時間弱の仮眠を取った。本企画では最後のコールサイン部分(クロージング)のみ放送。なお、この時の視聴率調査速報では0%[88]を記録している。 | ||||
13 | 5:25:00 | オープニング | 3分 | - |
このパートが編成上の12月15日付の放送開始時間であるため、大泉が「12月15日水曜日。皆様おはようございます。今日も張り切ってまいりましょう」との挨拶の後にコールサイン「JOHH-TV」を送出し、後方で小さく映っていた鈴井が合流、若干のフリートークを行う。この時、朝の時間帯ということもあり左上に時刻表示が実施されていた為、通常時左上に出していたテロップが右上に移動していたが、それが災いしてトークの大部分で大泉の顔がテロップに隠れてしまった。本企画では最初のコールサイン部分(オープニング)のみを放送。 | ||||
14 | 5:48:45 | (起床予報士 大泉洋) | 15秒 | ラジ朝@モーニング (5:30 - 5:50) |
大泉のみ。鈴井は仮眠中のため等身大パネルで出演。大泉の扮装はこの後からの「起床予報士」と同様。 | ||||
15 | 5:51:40 | 起床予報士 大泉洋 | 1分11秒 | 情報ワイド 早起きDon!Don! (5:50 - 6:45) |
番組冒頭、気象予報士ならぬ「起床予報士」として出演。藤村Dの指示が遅れたため、開始時間直前まで準備に追われた。大泉は「今朝の気温は-50度」と報じ、司会の吉田みどりアナウンサー(当時)から「寒すぎます」と突っ込みを受ける。本企画では一部のみ放送。未放送の部分では、吉田アナウンサーが中学生からの応援FAXを読んだ。 | ||||
16 | 5:57:40 | 起床予報士 大泉洋 | 39秒 | 〃 |
大泉が「現在の気温は48度上昇し-2度。全道的に大変ご機嫌な1日になる」と報じる。吉田アナウンサーから「急な上昇ですね」と突っ込みを入れられ、本物の気象予報士・石川たけおからは「氷点下50度までは下がっていません」と真面目な指摘を受けた。 | ||||
- | 6:08:01 | - | 1分 | 〃 |
胸元に「ねてます。」と書かれた札が下げられた大泉・鈴井のパネルのみが映される中、吉田アナウンサーが金子のりとしアナウンサー(当時)と共に番組を紹介。深く「サイコロ6」の企画内容に触れたのはこれが初めてであった。本企画では未放送。 | ||||
17 | 6:40:21 | 女性レポーター 鈴井貴之 | 12秒 | 〃 |
中継直前までD陣やスタイリスト小松が準備に追われたが、台詞は「ごめんなさい、テレビに出てごめんなさい」の一言のみ発して終了。氷点下の中でミニスカート姿だったために、石川予報士から「寒そうでしたね」と心配される。 | ||||
- | 6:42:12 | - | 37秒 | 〃 |
6:08と同じく札の下がった大泉・鈴井のパネルのみが映る中、吉田アナウンサーが番組を宣伝。本企画では未放送。 | ||||
18 | 7:56:45 | お兄さん | 15秒 | やじうまワイド (6:45 - 8:00) |
「サイコロ6」の前・後枠に登場。前後とのインターバルが大きく「7時台のCMに出なければ大幅に休息時間が増える」ことから、大泉・鈴井のどちらか1人だけが出演することになり、結果的に大泉が選ばれる。また、「時間は演者が自分で見ればいい」という判断によってD陣も現場へ行かず、鈴井とともに控え室で放送されるCMを見ながら休憩し、「大泉くんに任せていい」「一人でできるもの」とコメントを残した。 | ||||
19 | 9:53:15 | 西部警察 | 15秒 | スーパーモーニング (8:00 - 9:55) |
直後に放送される『西部警察』にちなみ、木暮捜査課長(鈴井)・大門刑事部長(大泉)の扮装で登場。同時に『西部警察』の予告も行ったが、藤村Dがテロップに気を取られてカウントを出し遅れたため、途中で終了する。 | ||||
20 | 10:26:05 | 西部警察 | 30秒 | 西部警察 PART-III (9:55 - 10:50) |
この日は第38話の「長さんと泥棒」が放送されていたが、CMの直前に放送されたシーン[89]を冒頭15秒の間に物真似で再現した。DVDでは当該のシーンが削除され、後半部分の15秒間のみ収録された。 | ||||
21 | 10:50:15 | 大泉洋 おかずのクッキング | 15秒 | 土井善晴 おかずのクッキング (10:50 - 10:55) |
大泉扮する土井善晴が、鈴井扮するゲストにCM中の短時間で料理を振る舞う。ゲストは大門刑事。この回では料理は行わず、作る料理とゲストの紹介のみ。 | ||||
22 | 10:57:00 | 大泉洋 おかずのクッキング | 15秒 | TVぴかぽん (10:55 - 11:00) |
ゲストは引き続き大門刑事。料理を作ろうとするが、またも藤村Dが終了カウントを出し忘れる。 | ||||
23 | 11:00:00 | 大泉洋 おかずのクッキング | 30秒 | 家族の物語[90] (11:00 - 11:30) |
ゲストは引き続き大門刑事。スクランブルエッグに仕上げた卵を鈴井が試食し、「うまい!」と感想を述べたが、放送時間内に収まらず。 | ||||
24 | 11:27:55 | 大泉洋 おかずのクッキング | 1分5秒 | 〃 |
ゲストのミスター長嶋は「2周年記念!秘蔵VTR一挙公開!!」で登場。長尺なこともあり、オムレツを調理する[91]。前2回の不調を受けて大泉自らが“リベンジ”を要望したため、字幕は前3回とは違い通常の宣伝形式になっている。 | ||||
25 | 11:40:00 | ムーミン・お兄さん | 15秒 | ワイド!スクランブル (11:30 - 13:05) |
ムーミンは「ヨーロッパ・リベンジ」で登場。本企画では未放送。 | ||||
26 | 11:58:30 | ムーミン・登山家 | 15秒 | 〃 |
登山家は「サイコロ4」で登場。あまり意図が伝わらず。本企画では11:40:00として放送。 | ||||
27 | 13:03:30 | 牛 | 30秒 | 〃 |
「東北2泊3日生き地獄ツアー」で登場。着ぐるみを被っているため、もちろん2人の姿は見えない。これ以降はD陣の提案で番組内容の説明を行うことになる。 | ||||
28 | 13:18:45 | 黒柳徹子&ミスター長嶋 | 15秒 | 上沼恵美子のおしゃべりクッキング (13:05 - 13:20) |
『徹子の部屋』を模した『洋の部屋』のゲストという設定。 | ||||
29 | 13:53:00 | 黒柳徹子&ミスタースポック | 15秒 | 徹子の部屋 (13:20 - 13:55) |
ミスタースポックは「2周年記念!秘蔵VTR一挙公開!!」で登場。大泉、ゲストの名前を「ミスタースポーク」と言い間違える。 | ||||
30 | 13:59:00 | 黒柳徹子&ミスターマリック | 30秒 | 信長ふしぎ連続殺人 喪服の美人妻に謎の凶器!日本ライン激流下りの死闘[92] (13:58 - 15:50) |
ミスターマリックは「2周年記念!秘蔵VTR一挙公開!!」で登場。藤村Dのカンペが見切れる。これ以降は鈴井がラジオ出演のため大泉のみになる。 | ||||
31 | 15:48:45 | 土井善晴 | 45秒 | 〃 |
打ち合わせ段階では「トランプマン(「サイコロ5」で登場)で登場する」とし、衣装も用意されていたが、協議の結果「真面目な企画説明が必要である」という結論に達したことで、大泉が喋りやすいキャラクターとして土井が選出される。前回のラストに大泉が「この後ははぐれ刑事[93]」と誤ったタイムテーブルで告知してしまった関係から、企画内では放送されずにDVDで改めて収録される形になった[94]。 | ||||
32 | 16:17:20 | 安浦刑事 | 30秒 | はぐれ刑事純情派 (15:55 - 16:50) |
大泉が藤田まことの物真似で登場するが、中盤で噛んでしまったため、以降は物真似を放棄して企画説明を行った。 | ||||
33 | 18:55:30 | 『ゴールデンスペシャル サイコロ6』直前 | 1分 | 情報ワイド 夕方Don!Don! (16:50 - 19:00) |
生CM1回目と同じく番組エンディング直後。ここから鈴井が再合流。前日同様鈴井がラジオ直後のためさっぽろテレビ塔前からの中継。本企画では最後の数秒のみを放送。 | ||||
- | 19:00:00 | 『ゴールデンスペシャル サイコロ6』放送 | - | (19:00 - 20:00)[95] |
大泉が前日同様に芝居の公演を終えた後、合流。D陣と共に控え室で横になり、助っ人として『夕方Don!Don!』のディレクターを招聘して撮影を担当させる。画面向かって大泉の右隣に藤村D、左隣に嬉野Dが寝ていることから、このシーンは大泉の両端をカット(黒ベタ)して放送された。また、藤村Dは大泉が『夕方Don!Don!』の年末スペシャルで行うはずだった“極秘企画[96]”の内容を、「撮影前」に「企画を立案した(カメラを回していた)ディレクターの前で」誤って話すミスを犯した。疲労困ぱいの大泉はそれに対しまともなリアクションができず、「最悪のリアクションだよぉ」とボヤくのが精一杯であった。結果として『夕方Don!Don!』は30時間テレビによって、「視聴率を落とされた上に、ドッキリ企画を立案者の目の前で台無しにされる」という踏んだり蹴ったりな目に遭わされることとなった。更に、最終夜後枠では実際に壁画を描いてその模様が放送されたが、またもや低視聴率に終わったことが明かされている。 | ||||
34 | 21:45:45 | キュー☆レンジャー | 30秒 | 輝ける瞬間[97] (20:00 - 21:48) |
時計に書かれた「ゴールデンスペシャル」の上に紙で目張りがされ、「完結編」の番宣へ移行する。「キュー☆レンジャー」は「サイコロ6」の前・後枠で登場。動きを演じているのは鈴井だが、声は大泉が担当。本企画では未放送。 | ||||
35 | 21:51:30 | ムンクさん | 15秒 | HTBニュース (21:48 - 21:54) |
「ヨーロッパ・リベンジ」で登場。大泉がエドヴァルド・ムンクの『叫び』に描かれている人物を模した空気人形を操演。本企画では未放送。 | ||||
36 | 23:16:55 | キュー☆レンジャー | 15秒 | ニュースステーション (22:00 - 23:20) |
テレビに向かって「安田くん、グランドフィナーレまでに走ってここに来なさい」と呼び出す。大泉の台詞が放送時間内に収まらず、切れてしまう。 | ||||
12月16日 | ||||
37 | 0:22:15 | 土井善晴・ミスタースポック・マラソンランナー | 15秒 | スーパーネイチャー (23:25 - 0:25) |
30時間生CMのグランドフィナーレ。前回のCMで呼び出された安田が「マラソンランナー」としてゴールまで走ってくるが、ゴールの直前でCMが終了するという設定。 | ||||
- | 0:25:00 | 『サイコロ6 完結編』放送 | - | (0:25 - 0:55) |
通常編成より1時間繰り下がって放送。 |
DVD版では、特典映像として「全放映CM(『早起きDon!Don!』出演パートを除く)+北海道のローカルCM[98]」を収録。
- 備考
- 『Classic』で本企画が放送された際には、第3応接室のテレビ画面に「水」(番組ロゴと同じ字体のもの)と書かれたテロップ処理が施された[99]ほか、生CMの前後部分に流された企業・番宣CM、HTBの製作ではない番組の部分がカットされるなどの編集が施された。DVD版ではすべてぼかし処理に変更されている。
- この企画の中では、HTBの放送終了アナウンス(クロージング)と放送開始アナウンス(オープニング)送出も担当しているが、本番直前に控え室で鈴井が藤村Dに対し「JOHH-TVはどのタイミングで言うのか」を質問したところ、初めて藤村Dが大泉たちに対して「法律で決まっていること」と説明[100]。大泉には「法律で決まっていることをどうして言わなかったのか」と注意を促された。本番では大泉・鈴井(クロージングでは安田も参加)が生出演し、大泉がコールサインアナウンスの「JOHH-TV、JOHH-TV、こちらは北海道テレビです」を読み上げた。
- 序盤に1人でCMを担当することになった鈴井は、「早い段階での準備」「セリフ読みの所要時間」「早めの現場入り時間」など、余念ない準備を重ねた上で最初の扮装である“月”に臨んだ。だが、CM放映後に鈴井の自宅で見ていた娘から電話が入り、「(こんなの)パパじゃない!」と号泣される。原因としては「家でのキャラと異なる(『どうでしょう』での鈴井を知らない)こと」であり、鈴井はショックを受けながらその後の扮装を行った[101]。
リヤカーで喜界島一周
この企画は鈴井が初の映画監督作品「man-hole」を撮るために半年以上番組を休んだ後、正式に全員が復帰した第1弾の旅企画である。前週に放送された「メイキング・オブ・四国R-14」の中では予告編は放映されていないが、これについて藤村Dは「全部秘密だから。予告編流しちゃったら何やったか分かっちゃう」と説明したものの、大泉には「今回また予告編出したら分かりやすいんだ、何やったのか」と指摘されている。
目的としては、「団結の輪」を描くために鹿児島県の奄美群島にある喜界島を3日間かけて反時計回りに歩いて一周すること。なお、出演者並びにD陣が怪我や病気などのアクシデントに見舞われた際にも大丈夫なように、リヤカー(ムラマツ車輌の『山田君』)を引っ張って歩くことになった。台本上ではあるものの「東京ウォーカー」の発展企画とも取れる。
- スタート前
- 久しぶりのどうでしょう班揃い踏みでのロケという事を口実に、鈴井・藤村Dの2人は企画発表の際、通常時はまず用意しない台本を用意し、それを読み上げる形で企画発表を行った。しかし、台本の冒頭部分が発表前に大泉が鈴井らに促されて話した予想と全く同じ[103]だった為、冒頭にして先ほど自分が言ったことと同じ事をわざとらしくやり取りする2人に耐えかねた大泉は2回発表を制止させている。
- 企画発表後、当時の羽田東急ホテルでのベッド争奪戦があり、「寝心地の悪い2つのベッド(エキストラベッド)」と「寝心地のよい2つのベッド(通常のシングルベッド)」を巡って話し合った結果、「寝心地のよいベッド」に出演者である鈴井・大泉が、「寝心地の悪いベッド」にD陣が寝ることになったが、藤村Dの歯磨きの最中に嬉野Dが「このベッドはおかしい」「大泉君寝てごらん」などと発言して、大泉を結果的に寝させることに成功する。更にその後、嬉野Dからも「交代してくれ」と言われたため、「『寝心地の悪いベッド』の中でもランクが低い側のベッド[104]」に大泉が寝ることになった。
- 初日
- 14時55分に喜界島へ到着後から順調に進んでいたが、歩き始めて1時間が経過したのち、藤村Dが目標としていた荒木地区には「宿がない」という理由からUターンし、距離的にはほとんど進むことがなかった。
- 2日目
- 先日決めたリヤカーを引く方法(藤村D案と鈴井案の2案)を実行。藤村D案は「1人がリヤカーを引き、もう1人が並走、あとの2人がリヤカーに乗る」、鈴井案は「2人がリヤカーに乗り、2人が縄を付けて思いっきり走る」という方法である。なお、鈴井案は嬉野Dからの提案で、中に入り操縦をする役を藤村Dが担当した。また、藤村Dは「休憩中に足をくじいた」と嘘をつき、鈴井の引くリヤカーの上に乗った。
- 藤村Dと鈴井が、鹿児島県名物のかき氷、「白熊」の早食い対決をして藤村Dが負け、藤村Dがキャンプ地のムチャカナ公園付近までリヤカーを引いた。この白熊対決は、後に対決列島に繋がる。
- キャンプ場[107]でテントを張り、出演者とディレクターの計4人が、同じテントで就寝。大泉などが「俺の隣(藤村D)はデブ」などと発言してのD陣・出演者間での一悶着が起こった。また喜界島とはいえ、屋外のためテント内は寒かった。ディレクター2人は寝袋があった[108]鈴井大泉の2人は初日のホテルで借りた毛布で寝る。大泉は寝袋が2つと毛布2枚があることに気づいたが、この際鈴井は自分達が毛布であるとすでに悟っていた。
- 3日目
- この日も山田君を朝から引き続けた大泉が、朝食後に引き手から解放された直後にリヤカー症候群(リヤカーを引き過ぎて歩き方がおかしくなってしまう状態)に陥り、初めて乗り手に回る(この時に藤村Dが大泉を背負う珍しいシーンがある)。
- 最後の最後で大泉が他の3人を山田君に乗せて引っ張り、下り坂であやうく交通事故になりそうな事態があったが、どうにか無事一周を達成した。
対決列島 〜甘いもの国盗り物語〜
甘味を中心に食には目がない“魔神”こと藤村Dに安田を加えた「チームびっくり人間」と、藤村Dと対照的に甘味が不得意な鈴井に大泉を加えた「ミスターチーム」の2チームによって、日本各地を移動して名物(主に甘いもの)の早食い対決を行う企画。日本列島を1週間に渡って縦断する長期ロケとなったが、企画立案を担当した藤村Dによると「北海道から九州までを車で縦断する」ことがそもそもの原案で、「対決の要素やキャスティング面は後から構築された」「各地の温泉地を回り、夜は温泉に入ることが本当の企画の趣旨であった」ことをDVDの副音声で明かしている。
当番組の企画といえば、内容を何も知らされていない大泉のリアクションを他3人が楽しむのが通例だが、今回は通常企画会議の段階から参加している鈴井も完全にシャットアウトされ、一切内容を知らされなかった。このため、企画発表時には鈴井が「(何も知らされない)大泉君の気持ちがよく分かった」と発言した。
放送期間はレギュラー放送で最長全10回に及び[109]、2001年後半の放送は本企画とその罰ゲーム、そして5周年記念に行われた「3夜連続深夜バスだけの旅」の3企画のみが放送された。そのため第1夜の前枠では、大泉が「今年後半の『どうでしょう』は、今日の企画発表を見ないとついてこれません」とコメントを行っている。企画で使用されたレンタカーはトヨタ・エスティマ(2代目)。
この企画の前枠・後枠で、TEAM NACSのメンバー全員と鈴井が出演している(第1夜は音尾と鈴井が出演、その後第4夜から安田、第6夜から戸次重幸(当時:佐藤重幸)、第9夜から森崎と徐々に増えていく)。
- チーム
- ミスターチーム
- 大将 鈴井貴之 - 酸味系に極端に強く(本人曰く「梅干しなら1壷いける」)、アイス・フルーツ系も比較的強い。反面、アンコ・餅系は極端に苦手。ちなみにこの企画前までダイエット中だった。
- 副将 大泉洋 - 桜前線捕獲大作戦でわんこそば105杯を食べている。嫌いなものはないが、強いものもない一般人。
- 魔神チーム(チームびっくり人間[110])
- 大将 藤村忠寿 - 甘いもの全般、特にアンコ・餅系は極端に強い。反面、アイス系で頭痛になりやすく、酸味系が極端に苦手。嗜好は鈴井のほぼ対極に位置すると言える。
- 副将 安田顕 - 牛乳早飲みでは他の追随を許さない[111]。大泉曰く、「その昔は早食いで名を馳せた」とのこと。
- 嬉野Dはカメラマンなので不参加。基本は中立の立場を取っているが、ディレクター側の人間であるためか魔神チーム寄りになることがある。
- ルール
各地の名物・名産を早食いし、早く食べ終わった方の勝ちとなる。原則として食べ終わったら口から舌を出すか口を開け[113]、食べ終わったことを審判にアピールして初めて勝利が確定する。名産がいくつかある場合、アピールしなければ次の名産を食べられない。
勝利した都道府県の面積がポイント(1km2=1pt)[114]として計算され、より広い領土(ポイント)を獲得した方が勝者となる。通過しない都道府県は“積み残し”とし、最終決戦である鹿児島対決で勝った方が総取りとなる。また、追加ルールとして関東、近畿、四国、九州では地方大会を実施し、各地方で通過した都道府県のポイントが獲得できる。
- 勝者特典
- 対戦結果
主な対戦地 | 対戦した場所と使用した食べ物 | 勝者 | ポイント |
---|---|---|---|
北海道 | 函館市でソフトクリーム3本勝負 | ミスターチーム | 83,000 |
青森県 | アップルクーヘン&気になるりんご対決 | 魔神チーム | 10,000 |
秋田県 | 鹿角市内の道の駅「あんとらあ」できりたんぽ1本勝負 | 魔神チーム | 12,000 |
岩手県 | 小岩井農場で牛乳早飲み&牛乳まんじゅう対決 | ミスターチーム | 15,000 |
宮城県 | 青葉城跡でずんだもちハンデ戦 | 魔神チーム | 7,000 |
山形県 | ラ・フランス羊羹+フルーツゼリー | 魔神チーム | 9,000 |
栃木県 | 宿の夕食で出されたデザートのずんだもちにて急遽開催 | 魔神チーム | 6,000 |
福島県 | 前日通過したものの未開催のため、早朝{奇襲}ゆべし対決[** 1] | 魔神チーム | 14,000 |
関東大会[** 2] | 川越市内の菓子屋横町で駄菓子対決 | ミスターチーム | 18,000 |
長野県 | 宿泊先の下呂温泉の旅館でおやき対決[** 3] | 魔神チーム | 14,000 |
岐阜県 | 早朝{奇襲}羊羹対決[** 1] | 魔神チーム | 11,000 |
愛知県 | 藤村Dの実家の喫茶店で小倉トースト対決 | 魔神チーム | 5,000 |
近畿大会[** 4] | 三木市で明石焼き+牛乳対決[** 5] | 魔神チーム | 19,000 |
岡山県 | 深夜{奇襲}サンフルーツ対決[** 6] | ミスターチーム | 7,000 |
四国大会[** 7] | 讃岐うどん対決 | 魔神チーム | 19,000 |
九州大会(除鹿児島県)[** 8] | 熊本市のサービスエリアでスイカ対決[** 9] | ミスターチーム | 28,000 |
鹿児島県+未通過県 | 最終白くま対決 | 魔神チーム | 97,000 |
- 通算成績
- ミスターチーム 5勝12敗 151,000ポイント
- チームびっくり人間 12勝5敗 223,000ポイント
- この結果、罰ゲーム(ユーコン行き)が決定。
- 備考
- ^ a b 夜明け前の早朝に藤村Dが鈴井に奇襲。
- ^ 群馬県+埼玉県+東京都+神奈川県+山梨県を合わせた分のポイントとなっている。
- ^ 野沢菜2個・あんこ2個(実際は全てあんこ)計4つのおやきから2つをランダムに選び対決。
- ^ 滋賀県+京都府+大阪府+兵庫県を合わせた分のポイントとなっている。
- ^ この対決のみ大泉と安田の副将戦。
- ^ 深夜に鈴井と大泉が藤村Dに奇襲。
- ^ 香川県+愛媛県+高知県+徳島県(ただし徳島県と高知県は通過していないが加算された)を合わせた分のポイントとなっている。
- ^ 大分県+福岡県+佐賀県+熊本県+宮崎県を合わせた分のポイントとなっている。
- ^ 8枚に切り分けられたスイカを、大泉・安田がジャンケンして4枚ずつ取り合った後に対決。
- その他
- 北海道大会を落とし、いきなり83000ポイントのリードを奪われて初戦から窮地に追い込まれたことで、勝ちに対してポイントが増えずにいたチームびっくり人間だが、失地を回復すべく深夜に鈴井の部屋へ「奇襲攻撃」を仕掛け、鈴井が苦手な甘いもので対決を行った(この際の号令は大泉によるもの)。「奇襲」を仕掛けた理由については、副音声において「全部の勝負で勝利すること前提でいたため、焦りを覚えたから」と藤村Dが語っている。
- 岐阜の奇襲では朝早くから「ものすごいスピード」で水羊羹1本を食べ切った藤村Dに、鈴井が「朝っぱらからこんなもの食えるやつおかしいよ」「かえって自慢してるけどテレビに映しちゃいけないことだよ」と訴えかけ、安田は「(藤村Dの)親の顔を見てみたい」とぼやいたが、数時間経たないうちに藤村Dの実家を訪れたため、期せずして実際に顔を見ることになった。
- 岡山でも同様の方法できびだんご対決を計画していたが、逆にミスターチーム側からの奇襲に遭い、藤村Dの苦手な酸味の強い食材で対決して敗北を喫し、きびだんごは没収された。
- 秋田県のきりたんぽ対決では藤村Dがきりたんぽをスタートと同時に一気に口の中へ押し込み、飲み込むという荒業を使った。これを見た安田・大泉は唖然とし、戦意喪失した鈴井は「翻弄された…」とぼやく一幕があった。大泉も「初めて君を怖いと思った」「(中国の)鉄の球を飲むおじさんみたい」とコメントした。
- 長野県のおやき対決では、外見から中身が判断できない「野沢菜2つ、あんこ2つ」の4つから鈴井に先行で2つランダムに選ばせるという運絡みの手法が採られたが、藤村は「4つともあんこのおやき」を用意していた。しかも、予め大泉に野沢菜のおやきを試食させるという用意周到ぶりに騙された鈴井は当然敗北を喫した。
- 愛知(名古屋)の対決場所は藤村Dの実家の喫茶店(2014年1月限りで閉店)だったため、「(これ以上いるのは恥ずかしいから)早く出たい」と嘆く藤村Dをよそに、鈴井の提案により食べ終わったらテレマークではなく「おいしかったよ母さん」とコールすることが急きょ決定。藤村Dは対決に勝ちこそしたが、最後は言葉に詰まったあげく「かぁちゃんおいしかったよ」と言わされて撃沈した。
- その後藤村Dのプライベートや結婚写真を母親に暴露されて鈴井・大泉・安田にいじられる結果となり、車中で「実家を選んだことを後悔した」とぼやく一幕があった[115]。
- 岡山から四国へ向かう道中では、途中のサービスエリアで購入した小林旭のカセットテープ「小林旭ベストヒット全曲集 2」を再生しながら向かった。この際、瀬戸大橋を渡り始めるタイミングで「自動車ショー歌(ソニー時代にセルフカバーしたバージョン)」が流れ始め、車窓の景色を映しながら鈴井が「対決列島西日本編テーマソング」と銘打った曲紹介をした後、カセットテープに合わせて大泉が小林旭のモノマネで歌った。なお、「自動車ショー歌」は最終日のエンディングでも使われる事となった。
- 最終日の白熊対決は鹿児島空港内に750mlのものが売っておらず、急遽鹿児島市内まで買いに行くという予想外の事態となり、飛行機に乗り遅れそうになる(鹿児島空港は鹿児島市内より宮崎県寄りに所在するため、当初の予定では余裕で間に合うはずだった)。また、鹿児島空港から鹿児島市内に向かう途中、電話番号案内・日本道路交通情報センター・天気予報案内に電話を掛けるという、携帯電話によるウェブが発達してない当時ならではの一幕があった。
- 藤村Dはこの企画の反動で甘いものに飽きてしまい、しばらく体が受け付けなかったそうである。
- 2004年7月9日に、HTBからこの企画を基にしたタイピングゲーム『水曜どうでしょう対決列島タイピングゲーム』が発売された(現在は販売終了)。
- 関東大会では山梨県が何気なく読み上げられているが当然山梨県は関東地方ではない[116]。
- 沖縄県はポイント加算が無かった。
5周年記念特別企画 札幌〜博多 3夜連続深夜バスだけの旅
レギュラー放送時としては最後となった、鈴井考案の国内オリジナル企画。タイトルの通り「深夜バスに3日間ひたすら乗る」ことに加え「バスの停車/休憩地点で鈴井・大泉の“やられっぷり”を報告する」という企画であるが、サブテーマとして「鈴井自身が『己の限界』に挑戦する」という趣旨も含まれている。しかし、実際は「バカな企画を立案した鈴井に罰を与える」ためにD陣と大泉が裏で計略を練っていたのであった。
- セレモニー
- 第1夜前半では吉田アナウンサーが司会、来賓をonちゃん(安田)として「水曜どうでしょう5周年記念セレモニー」が執り行われる。冒頭では番組テーマソング「How do you like wednesday?」の“斉唱”が行われ[117]、onちゃんによる祝辞・テープカットの後に桜の木を植樹した[118]。ちなみに2005年開催の「どうでしょう祭」初日では、最初のトークショーでセレモニーをそのまま踏襲した『開催記念式典』が執り行なわれた。
- セレモニーの終了後にそのまま「5周年記念行事出発式」と題して、藤村Dが大泉へ企画内容を発表する。建前上はあくまで記念式典なため「テレビの放映とかあまり考えてなくて」として、出演陣のみがバスに乗車するという「サイコロの旅」シリーズと異なる形を取ることになった。安田は式典後の予定について何も聞かされていない状態だったが、藤村Dの“出演交渉”によって1日目のみ追走車に乗ることを提案される(進行の1人として)。この時、大泉が後方から「安田、断れ」「今出演交渉っておかしいぞ」などと文句を上げたものの、安田は藤村Dの「お酒、用意しとくよ」の言葉に二つ返事でOKを出した。
- 最初の休憩地点の中山峠では「大泉のパーマが後頭部だけ凹んでいる」「鈴井の顔が1時間前の出発前と明らかに異なる」など、そのやられっぷりを克明に映し、安田はその姿を「ザ・バス芸人」と表現している。なお、乗車の間にハンディカメラで車内の撮影にも試みているが、大泉は「使えるV(映像)はありません」と語った。
- 大泉は長万部で後頭部の状況が“えぐられた”“吹っ飛ばされた”となるまで悪化したが、最後の休憩地点・森でバスから降りることが出来ずに、そのまま「KO」となる。
- 現在のオーロラ号は札幌〜根室間の路線名称となったことを受け、当時の路線である札幌〜函館間の深夜バスは「高速はこだて号」に移管された。また、番組内では中山峠を経由する全区間一般道のルートだが、現在は道央自動車道の森IC〜札幌南IC経由のルートを運行している。
- 函館から青森までは東日本フェリーに乗船。
- 区間 - 青森駅 - (東北自動車道・首都高速川口線・中央環状線・6号向島線経由) - 東京駅八重洲南口
- 停車地(運転手交代のみなので、客から見れば休憩ではない) - 東北道紫波SA・国見SA・佐野SA
- ここから鈴井1人の乗車となり、打ち合わせ通り前日のKOで「敗退」扱いされた大泉が追走車へ移動。大泉は鈴井がバスへ乗車した後に「(肩の荷が)降りたねぇ」「僕は気が重かったよ、これで『あと2回も乗る」ってなんつっちゃったらさぁ」と心境を吐露し、藤村Dもその企画の過酷さと合わせ、事前に「僕は今回大泉くんの味方だ」と語った旨を明かしている。
- D陣は事前調査で「約3時間ごとの休憩がある」という情報を仕入れていたため、当初の構想では鈴井のバスを追走しつつ、休憩地での鈴井の「やられっぷり」を楽しみながらこれまでの企画を振り返るという予定であった。しかし、実際には乗務員休憩用の停車だったために乗客は車外へ降りられず、東京まで鈴井の状況は携帯電話からのメール以外で把握出来ない事態に陥ったため、構成も大きく変更することを余儀なくされた[119]。紫波SAでは車外からの呼びかけで状況確認を試みたが、声が大き過ぎたためか「他の乗客が起きた」として鈴井を怒らせてしまい、それ以降は追走車内からの報告となっている。
- 鈴井は「体がデカい(公称178cm[120])」ことと前後左右のシートピッチが狭いことを理由に、足のやり場がなく、左膝が長時間の圧迫によって“負傷”。このため数多くの深夜バスの中で「一番と言っていいほどのダメージ」を受けたと評価し、大泉からも状況説明から「ずっと膝固めを受けてたと、ラ・フォーレ号から」と批評が出た。
- 区間 - 新宿高速バスターミナル - (首都高速4号新宿線・中央自動車道・東名高速道路・名神高速道路・中国自動車道・山陽自動車道・中国自動車道・関門橋・九州自動車道・福岡高速4号線・1号線・2号線経由) - 博多駅交通センター
- 停車休憩地 - 中央道諏訪湖SA・山陽道佐波川SA
- 当初の構想に沿い追走車へ移動した大泉だったが、藤村Dが「追走車内で『僕は参戦する』と懇願した」として、半ば無理やりの乗車を命じられる。ナレーションの藤村Dによると「特に面白いことを言う訳でもなく、ただただ寝るばかり[121]」という辛辣な評価が下され、このような措置が取られたという。乗車後、大泉がその不満から「なんで記念行事だからってこれに乗んなきゃいけないんですか?」と問いただしたところ、鈴井に「どうしてでしょうね…分かんないです、今となっては」と返されてしまう。
- はかた号を含む中央道方面の高速バスは首都高速4号新宿線初台入口から進入するが、追走車がカーナビの指示(距離を優先する東名高速を経由するルートを選択した[122])に従った結果、誤って新宿入口から都心方面へ走行して車両を見失ってしまい、東京から100km以上も離れた山梨県甲府市内[123]でようやく発見した。
- 諏訪湖SAでの休憩で、大泉が「正直僕はねぇ、この待遇には我慢出来ないんだもう!」とギブアップを宣言するも却下される。また、追走車に関して「D陣の体力を考慮して、諏訪湖SAで追走を終了」「名古屋空港付近のホテルへ宿泊後、翌日に飛行機で福岡へ先回りする」というルートを公表。特に後者については大泉の分も含めて予約されていたため、大泉はただただ狼狽するのみであった。このため諏訪湖SA以降は追走車からの映像はないが、鈴井がバス車内・佐波川SA・博多駅交通センターの入口で、嬉野Dがホテル・飛行機内・交通センター内の降車場でそれぞれカメラを回している。
- ラストには鈴井・大泉が博多でそれぞれ締めの感想を述べ、鈴井は「僕は3夜連続乗ったが、驚くことに博多に着いた今日が一番清々しい」、大泉は「バスに乗れてよかった。裏切る男にはなりたくない、だまされる人でありたい」と言葉を残した。
脚注
- ^ 放送当時は明治製菓が販売。2016年3月の全国販売終了後、製造を担っていた子会社の道南食品より同年に道内限定の『北海道サイコロキャラメル』として復活販売されている。
- ^ 放送上は「東京 - 札幌サイコロの旅第◯弾」と銘打っていることが多く札幌がゴールのような扱いになっているが、実際は北海道に一歩でも踏み入れればゴールという扱いである。実際、後述の通りゴールできたサイコロ1、3後編、5ともにゴールしたのは札幌では無い。
- ^ ただし、「どれだけ運が悪くても3泊4日で終わる(海外企画では1週間以上の長期ロケになることが多い)」「移動中は基本的に寝られる」などの理由から、体力面以外は楽な企画ともコメントしている(サイコロ5副音声より)。
- ^ 本家『ごきげんよう』では「何が出るかな?」の後の部分は特に歌詞はないが、大泉は続きのメロディー部に「それはサイコロ任せよ」と歌詞を付け足している
- ^ ちなみに、この件で大泉が「痔」であることを告白したことが「闘痔の旅」に繋がる。ただ、583系の寝台が広いとはいえ一つの寝台に大人2人の利用はJRの運送約款(旅客営業規則等)に違反しており、すべてのきっぷを無効にされた上で、無割引の運賃・料金及びその2倍の増運賃・増料金を課せられる可能性がある。また、刑事罰に問われる可能性も存在する。
- ^ 明言はされていないが、新大阪駅で切符を買いに行った藤村Dを椅子に座って待っている際の鈴井と大泉の会話より、船酔いしたディレクター(既述の通り嬉野D)と鼻血を出したディレクターは別である事が判明している為、鼻血を出したのは藤村Dだったという事になる。
- ^ 『Classic』でも未編集である。
- ^ 『モザイクな夜V3』のコーナーの1つ「おはよう元気くん」に登場するメインキャラ。大泉は2代目の元気くんを演じていた(初代元気くんは、当時OOPARTSに所属していた俳優の田中護が担当)。大泉扮する2代目元気くんの衣装が、上半身前面がくり抜かれ乳首が露出したものだった事から、鈴井が上記の発言をするに至っている。
- ^ ロケ中にも博多駅前で雪が降るシーンが記録されている。
- ^ 現存するレッツ号(立川駅〜三宮駅)とは別の路線。
- ^ 「北海道212市町村カントリーサインの旅」以前は「鈴井先生」。
- ^ 現在のユニバーサルミュージック(EMI RecordsレーベルおよびVirgin Musicレーベル)。
- ^ 2010年6月に閉鎖。
- ^ 『Classic』では「ちず」と訂正されている。
- ^ この時はあだ名の「ヤスケン」と呼んでいた。余談だが、名前だけとは言え安田が『どうでしょう』に初めて出たのはこの時である。
- ^ ただしその後の総集編において特急うずしお号の車内と倉敷への普通電車の車内の一部が公開されているため、マイクのスイッチを入れ忘れたのは倉敷駅前のみと思われる。
- ^ 収録後に藤村Dが「(コスナーが)そんな映画出てたか?」と聞いたところ、「イベント会場にヘリで降下したのをワイドショーで見たことがある」と言われたらしい。
- ^ D陣から番組内で“勝負服”とされるジャージの着用を促されたことで“騙し”と察知し、親族にも「今回は何処へ行くかわからない」と伝えた。また、「海外企画をやったばかりで予算がない」との読みから国内での企画に絞り、その候補として想定していた中に「サイコロ」も含まれていたものの、「サイコロも金かかる」という理由で候補外とするミスを犯している。
- ^ これは事前にD陣が「効率よく市町村を回るための秘策(実在しない)がある」と説明したことも理由に含まれる。
- ^ この時の大泉は「千歳に着いた」事を把握していたものの、逆方向へ進んでいる事に気付かず、「千歳と言えば…松鶴家千とせ!」などと発言してしまう。
- ^ 次の市町村が遠方で長距離移動になると交代で夜通しの運転をしたり、車内の就寝においても深夜バスとの比較でシートの条件が悪くスペースが狭いため、「当地に一泊」「空路移動」の目も設定される「サイコロ」の方が緩い条件のことが多い。
- ^ 藤村Dが心配するほど大量(1箱)で、この光景を見て藤村Dは「甘味自殺」と表現している。また、2011年放送の『原付日本列島制覇』で伊勢を走行中には、赤福の看板が街中に掲げられている光景を見た鈴井がこの時の事を思い出してか、「赤福とずんだはツートップ」と発言している。
- ^ 同年3月には大泉が北海学園大学を卒業し、TEAM NACSもプロの演劇集団として活動する事が決まるなど、このロケの収録時は大泉の身辺に大きな変化が起きていた。
- ^ ただし藤村Dは、「(サイコロはもう4回もやってるから、この企画は)これで最後にしよう」程度の意味合いであり、それ以上の深い意味はないとコメントしている。
- ^ なお、この時一行は耕三寺(こうさんじ)という寺に向かっており、大泉が『こうざんじ』と誤読した事に対して藤村Dがツッコミを入れたところ、大泉が「だったら『としじま』って書くな」と逆にツッコミ返した事で訂正に至っている為、大泉が「ずいぶん遅いぞこの訂正も」と指摘している。
- ^ 1996年当時。現在札幌市は粗大ごみのステーション収集を廃止し、申し込みによる戸別収集を行っているので注意されたい。札幌市清掃(環境局環境事業部) を参照のこと。
- ^ この関係で、本企画のレギュラー放送時の前枠・後枠には堂島が出演した(DVD第2弾の特典画像として収録)。
- ^ 『いばらのもり』竹本ディレクター。
- ^ 『韓国食い道楽サイコロの旅』の冒頭における鈴井と大泉の発言より。
- ^ このことは「第1回水曜どうでしょうカルトクイズ世界大会」の○×予選クイズの序盤でも取り上げられているが、正解者はごく僅かであった。この問題に正解した参加者は全員二次予選に参加することになり、それでも予定していた人数に満たず敗者復活戦が行われた。
- ^ 現在の「能取の宿 かがり屋」。
- ^ 実際前枠で鈴井も「絶対第2回は無いであろう」とコメントしている。
- ^ 水曜どうでしょうClassic カルトクイズ世界大会[リンク切れ]
- ^ 前枠で鈴井は「2人の女性は全然答える気がなかった」とコメントしている。
- ^ 実際はコードが抜けかかっていた接触不良であったと後に優勝者がツイッターで明かしている。
- ^ その直後、小道具の扇子を使ってボタンを押して対抗した。
- ^ その後優勝者本人のホームページで、サイン入りサイコロボードや「オーストラリア大陸縦断」のロケで使われた網付きの帽子など多数の記念品をもらっていたことが明らかになった。また、たまたま家が札幌市内だったため移動距離も時間も短く、当人たちは「稚内や根室だったらどうしようかと思った」と安堵していたという。
- ^ 着ぐるみの中は安田ではない(「十勝二十番勝負」も参照)。
- ^ 太田出版「Quick Japan Vol.52」永久保存版 水曜どうでしょう
- ^ また、これとは別に100問のクイズに挑む「サバイバルクイズ」も収録されている。このモードでは藤村Dが登場し、1問でもミスをするとその場で終了する為かなり難しい。
- ^ 北海道においても大型書店や空港などで購入可能。
- ^ 「カントリーサインの旅」ではカントリーサインを発見したらすぐに次の抽選を行うのに対し、本企画では前述のように各市町村に到着後、最初に出会った人に聞いた名物の場所に実際に行ってから次の抽選を行う工程を含み、むしろ各市町村を巡る効率は悪化した。
- ^ 『Quick Japan』Vol.52(太田出版)p.87
- ^ DVD版ではモザイク処理のされていない安田が一瞬だけ見切れるシーンがある。
- ^ 『Quick Japan』Vol.52 p.89
- ^ 釣りバカ第4弾「屋久島・24時間耐久魚取り」水曜どうでしょう 番組スタッフからのメッセージより
- ^ 『音尾さんへの手紙』全文その1、その2
- ^ 開催年にあたる2006年及び2010年はいずれも新作が撮影・製作されている(放送はいずれもその翌年)。
- ^ この時藤村Dは「サイコロやっても、(道内しか移動しないはずの)212をやっても四国が出るぞ」、「(大泉の)住民票が四国に移ってるかもしれない」などと煽っている。
- ^ ちなみに、この時絵はがきの残数は49枚であり、確率にしてわずか2%ほどの低確率だった。
- ^ 一方、「車内でクリスマス・パーティー」のDVD副音声解説では大泉も「当時は腕は未熟だった」と振り返っている。
- ^ 自身が高いコック帽を被っており、相対的に低くなることも一因。
- ^ いずれもエビチリを食してむせ返り、土井Pに至っては口に入れた直後に吐き出してしまった。また、安田からは「お前高血圧で死んじゃうよ!こんなもん食ってたら」と辛辣な評価を受ける。
- ^ 新人のディレクターが食べさせられた上、DVD版特典映像によればカメラマンと録音担当スタッフも同様の目に遭わされている。
- ^ エビチリを実食した中では、唯一むせ返る・吐くなどのリアクションを見せていない。
- ^ 現在の妻。
- ^ 「夏野菜スペシャル」第1夜冒頭では海老アレルギーと説明されている。
- ^ 正確には利用者全員のキャンペーンに応募して受け取ったもの。
- ^ テレビ放送版では時間の都合で大半がカットされた(DVD版に一部が収録)。
- ^ 2011年の『おにぎりあたためますか』において別な店舗での経営を紹介。その前の店舗でのことも述べられた。
- ^ a b DVDの副音声解説(第1夜)によればツアー客に随伴し、安田はonちゃんとしてツアー出発時に鈴井・大泉とツアー客を見送るシーンや、前沢ガーデンにおいてのonちゃんを着用している姿(第1夜前枠。DVD版では差し替え)が挿入されている。なお、安田・土井Pの他、音効の工藤も「手伝い」としてツアー客に同行。また解説には無いが、ツアー客が初日に仙台港までフェリーで移動した際には船内で筆記クイズのみのカルトクイズも行われ、トークショー内で表彰式が行われたことも判明している。
- ^ 朝食バイキング自体は午前7時開始のところを、D陣や鈴井などに「2時間前には会場入りする必要がある」として無理矢理設定されたもの。鈴井は「(別の扮装があるため)7時に起きてゆっくり準備する」ことを明言している。
- ^ このため一連の流れには加わっていない。大泉もD陣へ「僕と安田くんはもう電気を消して寝てたんだよ!」と訴えているほか、DVDの副音声では「辛かったと思うよ、安田くんだってずっといたんだもん」とコメントを残している。
- ^ 結果的に大泉は「中学入試」の問題以外は全て答えられず、仮に「中学入試」の問題が全てこたえられたとしても結末は同じであった。
- ^ しかし実際には富山・石川だけではなく、立ち寄った宿に因んだもの(畳の原料であるい草の生産地や料理に出てきた牡蠣で行なわれる養殖と栽培漁業の違いなど)も出題範囲とされた。
- ^ 「講義」中、月山(山形県)については「楯状火山(アスピーテ)」との表現をしている。放送当時は月山はそう考えられていたが、その後の調査で成層火山の特徴があったため、現在では楯状火山とは考えなくなっているため注意が必要である。
- ^ 大泉による「集中講義」の言い間違いだが、実際に相撲やドロップキックを交えた暴力的な指導が行われた。なおこの時の安田のノートは、蜃気楼についての講義を取った際の後半部分が鈴井・大泉への愚痴で埋められ、挙句「どうでしょうゼミナールには入らない方がいい」という暴言で締められていたため、安田は大泉・鈴井両者による十六文字キックを食らった。
- ^ うどん本陣 山田屋
- ^ 金剛福寺に向かう(という設定での)時の藤村のナレーションでは寺のある足摺岬に向かう分岐を直進し中村に向かっている映像がバックに流れている。
- ^ 最後の巡礼となる1番・霊山寺で藤村Dが「キュー出ししてもいいすか?」と確認、「ホイ、キュー!」とキュー出しをしたが、普通は「キュー」と同時にポーズを始めるところ、大泉はそれを無視して「はい、じゃあいきますよそれじゃあ」と自分でタイミングを図ってからポーズをした。この「キュー無視、気合」は好評だったのか、その後も行われることになる。ちなみにこの旅では藤村Dの声は小さく、手もカメラに入らない程度だったが、次第に大声となり、手もカメラにかぶさるように出すようになる。
- ^ キュー出しする藤村Dの声自体は5番・地蔵寺と2番・極楽寺でも入っている。特に2番・極楽寺では、大泉が1度目のキュー出しに対して「すごく始めにくいキューですけど」と駄目出しをし、2度目のキュー出しに対しては「いいですか?そいじゃあ」と返すなど、この時点で1番・霊山寺のやり取りへの流れが出来ている。
- ^ 皮肉な事に「原付西日本制覇」はその「積荷」が『Classic』での放送停止の原因となっている。
- ^ その後も特に大泉はバイクに乗ることは無いようで、同じ事務所の音尾琢真に「一緒にツーリングに行こう」と日記に書いたところ「お前はカブしか運転できないべ!」と突っ込まれていた。また、2005年の年末にフジテレビジョンで放送された「なるほど!ザ・ワールド」に大泉が出演し、中国のバイクに乗る雑技少女に挑戦した際に「ベトナムをバイクで縦断するほどのバイク乗り」と紹介された。
- ^ 『水曜どうでしょう写真集』P43。
- ^ この当時は南部町(なんぶまち)・名川町・福地村。
- ^ 副音声で別番組のアシスタントディレクター(当時)である中島敬太郎(大泉らTEAM NACSのメンバーから「ナカジ」の愛称で呼ばれている)が入っていたことが明かされている。
- ^ この時、あまりに突飛なことを言い出した鈴井に大泉は唖然とし、そんな大泉に対して藤村Dは「企画会議の時もいつもこう」と語り、鈴井が行き詰まると度々突飛なことを言うという事実が判明した。
- ^ この際、藤村は大泉と鈴井に「あのヒゲ殺していいよね」「調べとけよな」、九州到着時には「利口なディレクターなら先回りしている筈だが、如何せんあの藤村のことだからいないのではないか」などの罵倒を受けている。更には出演陣の代わりに藤村とトークを行った嬉野からも、「何のためにやってるんだ?」「何の盛り上がりもない」と叱責され、出演陣に渡した金額が100円だったことに対しても「普通はゆとりを見て1000円ぐらいは渡す」と苦言を呈されている。
- ^ 過去に「サイコロ5」でも訪れた事があった。
- ^ 6月28日 原付西日本制覇最終夜水曜どうでしょう 番組スタッフからのメッセージより
- ^ 『Classic』版「原付西日本」については「四国八十八ヶ所2」最終夜放送分の後半である企画冒頭の「京都の旅」のみ放送されている(当初は第1夜の予告編まで放送されていたが、後に再編集が加えられカットされた)。
- ^ DVD同封の案内書きにはこの行為を踏まえて再編集した旨が明記されている。
- ^ 技術スタッフは3交代制が取られた。
- ^ セットといっても設置されるのはたたみ一畳分ほどの大きさの平台と先述の等身大パネル、後述の時計、スタンド付きの照明とカメラといった極めて簡素なものである。
- ^ 1999年12月14日・15日付北海道新聞朝刊テレビ欄より。
- ^ 後日談として、大泉が出演した『夕方Don!Don!』の年末スペシャルも視聴率を落としたという。
- ^ テレビ朝日の開局40周年を記念して制作された超常現象特番。ネオバラエティ枠を用いて当該週の月曜 - 木曜に4夜連続放送された。
- ^ ビデオリサーチ調べ。ただし視聴率調査の特性上、視聴者が全く存在しなかった訳ではない。
- ^ 「“最後の手段”として『寅吉をおとりに捜査を行う』ことを木暮が大門に発案する」といった場面で、「寅吉」は玉川良一が演じた人物の役名。
- ^ 元々は1993年に『愛の劇場』(TBS系列)で放送されたドラマであり、TBSでの権利が切れたため系列外のHTBで再放送されていた。
- ^ しかし、時間がない為調理に手間取り、結局出来上がったものは前回と全く同じスクランブルエッグだったが、あくまで「オムレツ」と言い切って鈴井に食べさせている。
- ^ 1992年に『土曜ワイド劇場』で放送した作品(朝日放送製作)の再放送。
- ^ 大泉は「はぐれデカ」と読んでいるが正式なタイトルは「はぐれけいじ」。
- ^ 事前の打ち合わせシーンについても直後の藤田まことのみに言及している。
- ^ 同時間帯に放送していた『目撃!ドキュン』の差し替え放送。
- ^ HTB社屋に大泉が壁画を描くというドッキリ企画。もちろん当日まで内緒の予定だった。
- ^ 名古屋テレビ放送製作のスペシャルドラマ(大沢たかお主演)。楽屋での大泉とD陣の会話では、当作の予告CMを比較対象に「これぐらいしっかりした予告をしないといけない」と問題提起がなされた。
- ^ 放映当時に流されていたものとは異なる。
- ^ テロップ処理されたのは応接室のテレビとの距離が近いテーブルに据え付けられたカメラからの映像のみ。応接室全体を映すカメラからはテロップ処理はされていない。また、放送休止中のカラーバーなど、著作権上の問題がない映像はそのまま映されていた。
- ^ 厳密には法律ではなく、電波・放送を所管する郵政省(当時、現総務省)の省令無線局運用規則第138条「呼出符号等の放送」の第1項に基づくものである(詳しくは「局名告知」の項を参照)。
- ^ DVDの映像特典より。
- ^ その為か「原付ベトナム縦断1800キロ第8夜」(レギュラー放送最終回)のエンディングを『Classic』で流す際に、オリジナル版及びDVD版で流れた本企画の映像が『Classic』では一切流れず「中米・コスタリカで幻の鳥を激写する!」の映像(大泉がバスに乗っているシーン)に差し替えられている。
- ^ 荷物の量や、4人だけの旅という前提から「サイコロではない」、「荷物の量からしてどこか1点集中の企画だが、安田がいないから『試験に出るどうでしょう』は違う」などと予想していた。
- ^ ましな方のベッドが「硬さがあるため体は安定するが、マットレスのスプリングが直で当たる」のに対し、ランクが更に低いベッドは「マットレスが柔らかすぎる故に、体が沈みすぎて安定しない」ベッドであった。
- ^ 当時は現在の第1ターミナルのみが稼働していた。
- ^ 当時、同局の『パパパパパフィー』に準レギュラーとして出演していたため。
- ^ キャンプ場がある事を事前に調べた上で来たものの、キャンプ場がある事を示す看板などがなく、辺りを探した結果炊事場らしき所やトイレは見つかったが、どうでしょう班以外にキャンプしている人が全く見当たらない状況だった為、果たして本当にどうでしょう班がキャンプ地とした場所がキャンプ場だったのかについては、放送では明らかになっていない。
- ^ 藤村D曰く、荷造りした際に当初は4人分持って行こうと思っていたが、思いの外大荷物になる事と、「南だから寒くないだろう」という甘すぎる見通しから2人分に減らしたとの事。しかし、いざ現地に来てみたら想像に反して寒かった為、流石にまずいと思い初日の宿で毛布を拝借するに至った。
- ^ 但し、「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇」が「オリジナル版」は第1、2夜が45分に拡大して全9夜、『Classic』では全10夜として放送されるため規模的には最長タイとみなせる。
- ^ 元々は『魔神チーム』であったが、秋田県から岩手県への移動の間に大泉が発した『チーム奇人変人』『チームびっくり人間』の名称が生まれ、その中でも『チームびっくり人間』が定着した。
- ^ 鈴井曰く「(ラジオの企画で)一般人が1人1本で4人飲む間に、安田が8本飲んで勝つ」ほどで、企画内の試飲で2秒弱という記録を残している。
- ^ 後にDVDの副音声では、藤村Dが「早く飲めても量は飲めなかった」「僕がもっと飲めばよかった」などと反省の弁を述べているが、企画中では大泉が“別番組での早飲み伝説”を披露し、それに安田も同調していたため、前者は誤りである。
- ^ このアピールの姿勢がテレマーク姿勢(スキージャンプの着地姿勢)に似ているため、番組中では「テレマーク」と称された。なお愛知対決のみテレマークではなく、特定の台詞を発する方式が採用されている。
- ^ 面積は千の位までの概数。例えば香川県では面積が1876km2なので、2000ポイントとなる。
- ^ 8月15日放送 「対決列島」第7夜 その2 HTB水曜どうでしょうHP 2015年11月26日閲覧
- ^ 行政区分上では「首都圏」に組み込まれることがある。また箱根駅伝や大学ラグビー、高校野球関東大会などのスポーツ大会では関東で出場することがある。
- ^ インストゥルメンタルのため歌詞は存在せず、メロディラインを口ずさむ形式を取った。
- ^ その後「どうでしょう桜」の愛称が付けられ、現在でも桜の季節になると公式サイト上に開花の模様が掲載される。
- ^ 「5周年記念!札幌−博多 深夜バスだけの旅」第2夜・最終夜 水曜どうでしょう番組スタッフからのメッセージ
- ^ 公式プロフィール参照。
- ^ 前述のようにラ・フォーレ号で乗客休憩間の降車レポートが無くなり、相当な時間を持て余してしまったのもこの事態に至った原因の一つである。
- ^ 実際は中央高井戸 - 小牧間と東名東京 - 小牧間はほとんど同距離であり、前出の入口からの距離で見ると中央道経由の方が距離が短い。ただし、渋滞がなければ線形の関係から東名経由が短い所要時間になることが多い。
- ^ 道路脇に昭和町のカントリーサインが見えることから甲府南IC - 甲府昭和IC間と思われる。