松井康子
女優。ピンク映画に数多く出演。
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松井 康子(まつい やすこ、1939年10月3日 - )は、日本の元女優。本名同じ。牧 和子(まき かずこ)の芸名でも活動した。
まつい やすこ 松井 康子 | |
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本名 | 同じ |
別名義 | 牧 和子(まき かずこ) |
生年月日 | 1939年10月3日(86歳) |
出生地 | 東京府東京市世田谷区 |
国籍 |
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民族 | 日本人 |
ジャンル | 女優 |
活動期間 | 1958年 - 1979年 |
生い立ち
芸能界入り
ピンク映画の女王
- 1963年、若松孝二が助監督を務めたテレビドラマに出演した後、若松に国映映画への出演を請われる。同年「牧和子」の芸名を名乗り、若松監督作品『おいろけ作戦 第一部 プレイガール』でピンク映画にデビュー、初主演を果たした。
- 翌1964年には小川欽也(小川和久)監督の『妾』に「牧和子」名義で出演。同作品は大ヒットとなる。
- たて続けに国映映画に出演しヒット作を得て、山本富士子似と言われた純和風の美貌と豊満な肉体が評判になる。一方当時松井は松竹に所属していたことから、五社協定による規制の下、松竹側がこれを問題視。結局松井は松竹を退社した。
- 以後フリーで活動。国映には「牧和子」名義で、他社作品には松井康子の本名で出演するようになった。
- 150本以上のピンク映画に出演し、ピンク映画女優のパイオニア的存在となる。「ピンク映画の女王」と称され人気女優となった。
一般作品への出演
ピンク映画以外の一般作品にも各社をまたにかけて多数出演した。
自然引退
その他の活動
出演作品
映画
- パイナップル部隊 (1959年 松竹)
- 晴れ姿勢揃い 剣侠五人男 (1959年 松竹)
- 江戸の顔役 (1960年 松竹)
- 流転 (1960年 松竹)
- 背徳のメス (1961年 松竹)
- 風来先生 (1961年 松竹)
- 港に消えたあいつ (1963年 松竹)
- おいろけ作戦 第一部 プレイガール (1963年 国映)
- 妾 (1964年 国映)
- 白日夢 (1964年 松竹)
- 続・妾 (1964年 国映)
- くノ一化粧 (1964年 東映)
- 黒い雪 (1965年 日活)
- 源氏物語 (1966年 日活)
- 危険な戯れ (1966年 新東宝)
- 神々の深き欲望 (1968年 日活)
- やくざ渡り鳥 悪党稼業 (1969年 日活)
- 夜をひらく 女の市場 (1969年 日活)
- 温泉こんにゃく芸者 (1970年 東映)
- 色暦大奥秘話 (1971年 日活)
- 温泉みみず芸者 (1971年 東映)
- GOOD-BYE (1971年 日活)
- 恐怖女子高校 女暴力教室 (1972年 東映)
- エロ将軍と二十一人の愛妾 (1972年 東映)
- 鏡の中の野心 (1972年 松竹)
- 鉄砲玉の美学(1973年 ATG)
- 東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯 (1973年 東映)
- やくざと抗争 実録安藤組 (1973年 東映)
- 色魔狼 (1973年 東映 )
- 恐怖女子高校 不良悶絶グループ (1973年 東映)
- 実録 私設銀座警察 (1973年 東映)
- 暴力街 (1974年 東映)
- 直撃地獄変 大逆転 (1974年 東映)
- 新・団地妻 夫婦交換 (1975年 日活)
- 喜劇 特出しヒモ天国 (1975年 東映)
- 脱走遊戯 (1976年 東映) - 小泉看守
- 愛のコリーダ (1976年 東宝東和)
- キンキンのルンペン大将 (1976年 東映)
- 狂った野獣 (1976年 東映)
- はだしのゲン (1976年 共同映画)
- 肉体の悪魔 (1977年 日活)
- 若妻日記 悶える (1977年 日活)
- 性と愛のコリーダ (1977年 日活)
- 高校エロトピア 赤い制服 (1979年 日活)
- 宇能鴻一郎の濡れて開く (1979年 日活)
- ほか多数
テレビドラマ
脚注
参考文献
- 本人と出演作品について