小田急2000形電車
小田急2000形電車(おだきゅう2000がたでんしゃ)は、小田急電鉄(小田急)が1995年(平成7年)から運用している通勤車両である。
小田急2000形電車 | |
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ファイル:OER 2054 Comnuter Express Soshigaya-Okura.jpg 通勤急行に就く2000形電車(祖師ヶ谷大蔵駅) | |
基本情報 | |
運用者 | 小田急電鉄 |
製造所 |
日本車輌製造(第1,5,8編成) 川崎重工業(第2,6,9編成) 東急車輛製造(第3,4,7編成)[1] |
製造年 | 1995年 - 2001年 |
製造数 | 72両 |
運用開始 | 1995年3月4日 |
主要諸元 | |
編成 | 8両固定編成[2] |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 |
直流1,500V (架空電車線方式) |
最高運転速度 | 100 km/h[4] |
設計最高速度 | 120 km/h[5] |
起動加速度 | 2.7 km/h/s[5](最大3.3km/h/s[5]) |
減速度(常用) | 4.0 km/h/s[5] |
減速度(非常) | 4.7 km/h/s[5] |
車両定員 |
146名[5](先頭車) 158名[5](中間車) |
全長 |
20,150 mm[3](先頭車) 20,000 mm[3](中間車) |
全幅 | 2,860 mm |
全高 |
4,145 mm[3](集電装置付車) 4,060 mm[3](集電装置無し車) |
台車 |
住友金属工業 SS143[5](電動台車) 住友金属工業 SS043[5](付随台車) |
主電動機 |
三菱電機 MB-5061-A[3] かご形三相誘導電動機 |
主電動機出力 | 175 kW[5] |
駆動方式 | WN駆動方式[5] |
歯車比 | 99:14=7.07[3] |
制御方式 | IGBT-3レベルVVVFインバータ制御 |
制御装置 | 三菱電機 MAP-178-15V49[3] |
制動装置 | 回生制動併用電気指令電気演算式電磁直通制動 (MBSA-R)[3] |
保安装置 | OM-ATS, D-ATS-P |
座席数を確保しつつ客用扉の幅を拡大したことが特徴[6]で、当初は新宿発着の各駅停車8両編成化を推進する目的で登場した[7]が、2000年(平成12年)以降は2600形(NHE車)の置き換え用として[8]2001年(平成13年)まで増備が続けられ、最終的には8両編成×9編成の合計72両が製造された[7]。1995年(平成7年)に当時の通商産業省よりグッドデザイン商品に選定された。
小田急では、編成表記の際には「新宿寄り先頭車両の車両番号(新宿方の車号)×両数」という表記を使用している[9]ため、本項も、特定の編成を表記する際は「2051×8」と表記する。また、特定の車両は車両番号から「デハ2400番台」などのように表記し、小田原方面に向かって右側を「山側」、左側を「海側」と表記する。
登場の経緯
小田急では1990年(平成2年)から1000形の一部の車両で、乗降時間の短縮を図って客用扉の幅を2mに拡大したワイドドア車両を運用していた[2]。乗降時間の短縮自体は効果があったものの[2]、扉幅拡大による座席定員の減少が問題視された[2]。1991年に1000形ワイドドア車両を増備した際に座席定員の増加を図る[2]一方で、在来通勤車両と同等の座席定員確保と乗降時間の短縮を両立するために、モックアップによる乗降試験も含めた検討が行なわれた[2]。この結果、座席定員の確保には客用扉間の座席を7人がけとし[10]、客用扉の幅は1,600mm程度とすることが最適という結論となった[10]。
一方で、電子機器や走行装置のシステムについても、高性能かつメンテナンスフリーの機器類が開発されていた[2]ことから、1000形をベース車両として車体構造の変更や各種機器の見直しを行なった[2]。設計にあたって、騒音や振動の少ない「環境にやさしい車両」[6]、快適に乗車できる「お客さまにやさしい車両」[6]、旅客の案内や安全確保に専念できるように付随的な作業を自動化した「乗務員・駅員にやさしい車両」[6]、熟練を要する機器の排除や機器のモニター監視などを可能にした「保守にやさしい車両」[6]、といったテーマを掲げた車両として登場したのが2000形である。
車両概説
本節では、登場当時の仕様を基本として、変更点などは沿革で後述する。
全長20m級の車両による8両固定編成が製造された[2]。基本設計は10両編成であり[2]、中間の2両(M3車とT3車[11] )を除いた編成形態になっている[2]。形式は先頭車が制御車のクハ2050形で、中間車は電動車のデハ2000形と付随車のサハ2050形である。車両番号は、巻末の編成表を参照のこと。
車体
先頭車は車体長19,650mm・全長20,150mm、中間車は車体長19,500mm・全長20,000mmで、車体幅は当時の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)千代田線への乗り入れを考慮して[10]、1000形と同じ2,860mmとした[10]。車体は1000形と同様にステンレス鋼製としたオールステンレス車両で[6]、ステンレスの輝きを和らげるために表面をダルフィニッシュ(梨地)仕上げとしている[6]。車体断面形状や構成部材も1000形と同様にしたが、先頭車については後述する車椅子スペースを設置したことにより、全長が150mm長くなっている[6]。側腰板と側梁の接続部分には化粧板としてステンレス板を貼っている[10]。また、小田急では初めて転落防止幌を車体側面の連結面間に設置した[12]。車体は千代田線乗り入れ用機器の搭載ができるよう配線等が準備工事されている[11]。
前面は中央に貫通扉を配した貫通型で、1000形と共通の繊維強化プラスチック (FRP) 製成型品を使用した[10]ため1000形とほぼ同じである[13]が、車両番号の位置と色が異なる、正面窓下部が裏側から補強されている[14]など細部が異なる。側面客用扉は各車両とも4箇所で、乗務員室(運転室)に隣接する箇所のみ1,300mm幅[10]、それ以外の箇所は全て1,600mm幅の両開き扉である[6]。扉はそれまでの骨組み構造からペーパーハニカム構造に変更して軽量化を図った[6]ほか、扉のガラスは指挟み防止対策として、二重構造(複層ガラス)とすることによって扉本体との段差を解消した[15]。乗務員室の扉には、車庫内での開閉を容易にするために扉下部に手掛けを設けた[15]。車体側面を滴る雨水落下の防止対策として、側面の客用扉・乗務員室扉とも上部には雨樋を設けた[6][15]。車両間の貫通路は800mm幅[5]で、妻面の窓は固定窓とした。
側面窓の配置は、客用扉間には戸袋窓と2枚1組の一段下降窓を配し、車端部には戸袋窓のみが配置されている。下降窓にはスパイラルバランサーを内蔵し[15]、開閉を容易にすると同時に保守の軽減を図っている[15]。前面・側面とも種別・行先表示器はLED式とした[15]。
内装
座席はすべてロングシートで、客用扉間に7人がけ、客用扉と連結面の間には3人がけの座席が配置される。小田急の通勤車両では初めてバケットシートを採用し[15]、着席位置を明確にすることによって定員乗車の促進を図った[15]。座席の表地は通常の座席は赤系統の抽象柄[15]、優先席(シルバーシート)は青系統の抽象柄とした[15]。内装は「さわやかさと暖かみ」のあるものとし[16]、淡いピンク色を基調とした化粧板で構成している[11]。床面は中央部が薄い青緑系の縞模様[15]、通路両側にあたる部分では石目模様とした[15]。扉脇の手すりについては、それまで手すり下端の高さが床から800mmだったものを400mmに延長し[15]、幼児の戸袋への引き込み事故防止を図った[15]。各車両の客用扉上部には、LEDフリーパターン式案内表示装置と路線図案内式表示装置を千鳥配置に設置した[15]。放送装置は自動放送を主体とし[5]、車内のどの位置でも最適な音量・音質となるように改良し[5]、スピーカーを5個から9個に増設した[5]。
先頭車の車端部[注釈 1]には小田急の通勤車両では初めて車椅子スペースを設け[15]、乗務員と対話が可能な非常通報装置も設置された[12]。対話式非常通報装置は先頭車両以外にも設置されている[17]。
主要機器
運転台は、後述するように全電気指令式ブレーキを採用したことからデスクタイプとなった[18]。主幹制御器とブレーキ設定器とも水平回転式の2ハンドル仕様である[18]。速度計は千代田線の乗り入れに対応した車内信号対応タイプのものである[11]。計器盤には光電タッチ入力式のモニタ装置を組み込んだ[18]が、このモニタ装置は1000形の同装置に大幅な機能向上を加えたもので[16]、主要機器のモニタリング機能に加えて検修機能も有している[12]。検修機能は出庫整備の容易化を図るもので、集電装置の上昇や電動空気圧縮機・前照灯・蓄電池の充電状態の把握[12]のほか、インバータ制御装置やブレーキ装置については動作試験も可能である[12]。また、試運転時の加減速測定機能や停車駅予告機能も組み込まれた[5]。さらに、空調装置や車内外の案内表示、自動放送の集中管理を行なう[12]とともに、乗車率や温度・湿度の表示も可能である[5]。警笛は空気笛と共に電子笛が採用され[15]、八幡電気産業製のYA-95033型が搭載された[19]。
主電動機は出力175kWのかご形三相誘導電動機である三菱電機製のMB-5061-A形を採用した[5]。制御装置はIGBT素子3レベル方式のVVVFインバータ制御装置[15]である三菱電機製MAP-178-15V49形(1700V/400A)を採用し、デハ2100番台とデハ2400番台の車両に設置した[12]。インバータ1基で主電動機4台を制御する (1C4M) ユニットを1群とし、1台の装置の中に2群のインバータを収めている[15]。駆動方式はWNドライブで、歯数比は99:14=7.07に設定した[12]。制動装置(ブレーキ)は小田急の通勤車両では初めての採用となる回生制動併用全電気指令式電磁直通制動 (MBSA-R) [17]で、ブレーキの応答性を高めるために台車中継弁を設置している[15]。
台車は小田急では初めてボルスタレス台車を採用した[15]。電動台車が住友金属工業製SS143、付随台車は住友金属工業製SS043で、いずれも車輪径860mmで牽引装置をZリンクとした[17]モノリンク式軸箱支持形である[15]。防音リング付車輪とすることで走行音の低減を図った[15]ほか、準備工事としてヨーダンパ取り付け座を設けている[15]。基礎制動装置はシングル式(片押し式)である[17]。集電装置は東洋電機製造PT-4212菱枠パンタグラフをデハ2100番台・デハ2300番台・デハ2400番台の車両に1台ずつ設置した[5]。
冷房装置については、11,500kcal/h(13.37kW)の能力を有し、オーバーヘッドヒーターを内蔵するCU-195E形集約分散式冷房装置を1両あたり4台搭載した[18](1両あたり46,000kcal/h(53.49kW)[16])。補助送風装置としてラインデリアを装備し、首振り角度を拡大した[5]上、風速を2段に切り替え可能な機能を持たせた[5]。補助電源装置は、200kVAの自動受給電装置付のIGBT素子式静止形インバータ (SIV) をデハ2000番台・デハ2300番台の車両に搭載した[5]。電動空気圧縮機 (CP) はC-2000LA形をデハ2000番台・サハ2250番台・デハ2300番台の車両に搭載した[15]。
沿革
1994年(平成6年)度末に1次車となる2051×8・2052×8の2編成が導入され[7]、1995年(平成7年)3月4日のダイヤ改正より営業運転を開始し[16]、新宿発着の各駅停車や準急での運用を開始した[注釈 2]。
1998年(平成10年)には2次車となる2053×8の1編成が導入されたが、この編成からは側腰板と側梁の接続方法をインダイレクト方式に変更し[20]、前面の通過標識灯が廃止された[20]ほか、車内案内表示装置は全てLEDスクロール式に統一した[20]。なお、1999年5月から7月にかけてクハ2053に電気連結器を設置し[8]、ブレーキ読み替え装置の試験を行なった[21]。このとき通常の小田急では見られない12両編成での試運転となり[21]、鉄道ファンから注目を集めた[21]。試験終了後に電気連結器は撤去され[21]、ブレーキ読み替え装置は2代目3000形で本格採用となった[21]。
2051×8は1997年(平成9年)5月より編成中の2両の側窓ガラスに遮光フィルムを貼り付けして、その効果の試験を実施した[11]。その翌年1998年(平成10年)4月からは全車両の窓ガラスをUVカットガラスに変更した[11]。この試験結果は3次車に反映された。なお、同編成は現在巻上げカーテンを撤去した[8]。
2002年(平成14年)には列車種別の増加に伴い、2051×8と2052×8に設置されていた路線図案内式表示装置は撤去された[8]。
2000年(平成12年)の増備車からは、2600形を2000形によって置き換えることになった[8]が、この時最初に増備された2054×4では、主電動機と制御装置を2000年(平成12年)度に廃車となった2600形2666×8の編成[注釈 3]から転用した[22]。この増備車からは車内の7人掛け座席間に縦握り棒(スタンションポール)を設置し、客室側窓のガラスを遮光ガラスとして[8]、カーテンの設置を省略した[8]。そのほか、優先席部の荷棚高さとつり革の高さを100mm低くしたり(合わせて一般席部のつり革は50mm低下)、車椅子スペースの設置場所を乗務員室側に変更した[8]。機器面では空気圧縮機がレシプロ式からスクロール回転式に変更[8]されたほか、クハ2050形(両先頭車)に滑走防止制御装置を新設[8]、また屋根上の冷房装置カバーに車外スピーカーが新設され、車外放送機能を追加した[8]。入線当初は、集電装置は通常の菱枠パンタグラフであった[21]が、全車両シングルアーム式に交換された[21]。
2007年(平成19年)度より、滑走防止制御装置[注釈 4]と新しい保安装置であるD-ATS-P装置の設置工事が開始され[23]、2009年度に全車両の対応が終了した[23]。同時にEB装置の搭載と防護無線の改良が実施された[23]。また、2009年2月から、前面と側面種別・行先表示器をフルカラーLEDに交換された[8]。2010年前半には2054×8の座席端の袖仕切を大形板へ交換する工事を実施した[24]。また、2052×8は2012年前半に袖仕切と握り棒を変更した[25]。
さらに2012年(平成24年)2月には、2051×8の帯色が、従来の「ロイヤルブルー」[注釈 5]から2代目4000形と同じ「インペリアルブルー」[注釈 6]に変更されている[25][26]。同時期に2052×8も「インペリアルブルー」に変更されている[25]。
2019年(令和元年)現在、主に各駅停車で運用されている[8]。2004年(平成16年)から2016年(平成28年)まで運転された区間準急にも運用されていた。なお、保安装置・編成長の関係から小田原線新松田以西と江ノ島線での定期運用はなく[注釈 7]、主に小田原線新宿 - 本厚木間と多摩線での運用がなされている。
編成表
新宿 →
| |||||||||||
号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
形式 | クハ2050 | デハ2000 | デハ2000 | サハ2050 | サハ2050 | デハ2000 | デハ2000 | クハ2050 | |||
区分 | Tc2 | M5 | M4 | T2 | T1 | M2 | M1 | Tc1 | |||
車両番号 | 2451 | 2401 | 2301 | 2251 | 2151 | 2101 | 2001 | 2051 | |||
2452 | 2402 | 2302 | 2252 | 2152 | 2102 | 2002 | 2052 | ||||
2453 | 2403 | 2303 | 2253 | 2153 | 2103 | 2003 | 2053 | ||||
2454 | 2404 | 2304 | 2254 | 2154 | 2104 | 2004 | 2054 | ||||
2455 | 2405 | 2305 | 2255 | 2155 | 2105 | 2005 | 2055 | ||||
2456 | 2406 | 2306 | 2256 | 2156 | 2106 | 2006 | 2056 | ||||
2457 | 2407 | 2307 | 2257 | 2157 | 2107 | 2007 | 2057 | ||||
2458 | 2408 | 2308 | 2258 | 2158 | 2108 | 2008 | 2058 | ||||
2459 | 2409 | 2309 | 2259 | 2159 | 2109 | 2009 | 2059 | ||||
搭載機器 | CON,PT | SIV,CP,PT | CP | CON,PT | SIV,CP | ||||||
自重 | 28.0t | 36.7t | 35.9t | 28.5t | 26.9t | 36.7t | 35.8t | 28.1t | |||
定員 | 146 | 158 | 158 | 158 | 158 | 158 | 158 | 146 |
脚注
注釈
- ^ クハ2050番台では海側、クハ2450番台では山側。
- ^ なお、小田急では1994年10月より甲種車両輸送の授受駅を小田原駅から新松田駅に変更しているが、2000形は初めて新松田駅から搬入された車両である。
- ^ 2600形の8両編成化の過程で、余剰となった付随車を活用して、2000形と同型の主電動機と制御装置を使用してVVVFインバータ制御車としていた編成。
- ^ 2051×8 - 2053×8は両先頭車(制御車)と付随車、2054×8以降は付随車のみ設置。
- ^ ■マンセル記号「5B 4/6」(『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.191)。
- ^ ■マンセル記号「2.14PB 4.22/8.48」(『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.191)。
- ^ 新松田 - 小田原間と江ノ島線の急行通過駅(一部停車駅を含む)は20m車6両編成分のホーム有効長しかないため。
出典
- ^ tsuden web
- ^ a b c d e f g h i j k 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.216
- ^ a b c d e f g h 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.313
- ^ PHP研究所「小田急電鉄のひみつ」34頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『鉄道ジャーナル』通巻342号 p.88
- ^ a b c d e f g h i j k 『鉄道ジャーナル』通巻342号 p.86
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.258
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.260
- ^ 『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.15
- ^ a b c d e f g 大幡 (2002) p.48
- ^ a b c d e f 交通新聞社「鉄道ダイヤ情報」2007年6月号21-23頁。
- ^ a b c d e f g h 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.217
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.259
- ^ 正面窓については1000形リニューアル車も同一形態となった。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『鉄道ジャーナル』通巻342号 p.87
- ^ a b c d 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1995年10月臨時増刊号新車年鑑1995年版記事。
- ^ a b c d 大幡 (2002) p.50
- ^ a b c d 大幡 (2002) p.51
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.190
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.218
- ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.261
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.199
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.57
- ^ 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」2010年7月号103頁Topic Photos「小田急2054編成の袖仕切を変更」
- ^ a b c 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」2012年7月号105頁「小田急2000形青帯に変化」記事
- ^ “小田急2000形2051編成の帯色が変更される”. 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース (2012年2月24日). 2012年3月17日閲覧。
参考文献
書籍
- 大幡哲海『小田急電鉄の車両』JTBパブリッシング、2002年。ISBN 4533044697。
雑誌記事
- 安藤英雄「小田急電鉄2000形」『鉄道ジャーナル』第342号、鉄道ジャーナル社、1995年4月、86-88頁。
- 大幡哲海「私鉄車両めぐり164 小田急電鉄」『鉄道ピクトリアル』第679号、電気車研究会、1999年12月、201-243頁。
- 岸上明彦「小田急電鉄現有車両プロフィール」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、241-295頁。
- 岸上明彦「小田急電鉄 主要諸元表」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、310-318頁。
- 丹克暁・大路弘幸・亀井進「車両総説」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、49-58頁。
- 中山嘉彦「小田急車両 -音と色-」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、189-191頁。
- 橋本政明「固定編成 組み換えの記録」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、192-203頁。
- 交通新聞社「鉄道ダイヤ情報」2007年6月号特集「小田急車両オールガイド2007(通勤車両篇)」
- 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1995年10月臨時増刊号新車年鑑1995年版「小田急電鉄2000形」