稲田朋美

日本の政治家 (1959-)

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稲田 朋美いなだ ともみ昭和34年(1959年2月20日 ‐ )は、平成期における日本政治家衆議院議員(1期)。

弁護士大阪弁護士会所属)。

日本の旗衆議院議員 稲田 朋美
生年月日 昭和34年(1959年)2月20日
出身地 福井県今立郡今立町(現:越前市)
出身校 早稲田大学法学部卒業
学位・資格 弁護士
税理士
法学士
前職 弁護士
所属委員会 衆・法務委員会委員
世襲
選出選挙区 福井1区
当選回数 1回
所属党派 自由民主党(無派閥)
党役職 国会対策委員
会館部屋番号 衆・第2議員会館235号室
ウェブサイト 稲田朋美
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概要

旧姓椿原、実父の椿原泰夫氏は福井県立武生高等学校の元教諭~1963年に京都へ転居

京都府立乙訓高等学校を経て22歳で早稲田大学法学部卒。26歳だった1985年弁護士登録し、大阪弁護士会に所属。1990年に法律事務所を設立した。

夫の稲田龍示氏とは、同い年で早大同級生で同じ司法修習37期同じ大阪弁護士会所属(夫は政経学部卒)。

靖国神社参拝関連訴訟の国側の弁護・南京百人斬り名誉毀損裁判(リンク参照)の原告側弁護・沖縄集団自決冤罪訴訟の原告側の弁護などを手がける。

自由主義史観研究会日本「南京」学会などに所属し、保守派の弁護士として月刊誌「諸君!」「正論」などに頻繁に登場している。また維新政党・新風講師でもある。(ただし、06年5月新風HP講師団リストから稲田の氏名が削除された。)

衆議院解散して1週間が経過した大東亜戦争終結60年目の2005年8月15日靖国参拝した際に参院議員山谷えり子から誘われ自民党本部へ直行~当時幹事長代理だった安倍晋三から郵政民営化法案反対した福井1区選出松宮勲への刺客として北陸信越比例代表優遇措置を条件に出馬要請を受ける。実父や小堀桂一郎からは猛反対されたが、夫や評論家クライン孝子から後押しされた事もあり出馬を決意~373票差で小選挙区勝利

稲田自身は無派閥だが、思想・政策的にも清和政策研究会の山谷や安倍と近く愛国派であり、清和会の重鎮であった元法相中村正三郎の政策秘書だった井本幸三を採用した事から、「隠れ清和会」「安倍チルドレン」とも。 ただし、中村は05年7月郵政民営化法案の採決を棄権した事が遠因で引退。稲田自身も自民党新人候補になるまで郵政民営化推進運動に取り組んだり、郵政民営化を支持する言論を発表した事は無い。

稲田は05年12月6日自身の全国規模の資金管理団体「ともみ組」を旗揚げし、総務大臣竹中平蔵に政治団体設立届と資金管理団体指定届を提出。井本は中村事務所時代に中村の資金管理団体「昭和政治経済研究会」の会計責任者だったが、中村の引退に伴い解散~「ともみ組」の会計責任者に

皇室典範改正問題では05年自民党新人代議士の中でいち早く反対の立場を表明し自民党離党の可能性も示唆、慎重審議へ署名した議員とともに「伝統と創造の会」を結成し、会長に就任。ちなみに、05年自民党新人代議士で構成する「83会」で弁護士は合計2名=男女1名づつ=女性弁護士は稲田のみ。男性弁護士は牧原秀樹のみ

2006年3月6日の福井市長選挙では先の衆議院議員総選挙で松宮勲に付いたいわば敵の1人である坂川優を自分の意志で応援。「坂川さんには何の義理もないが県都福井の市長に最もふさわしい人なので応援する。」この応援により女性票の多くが坂川氏に流れ、坂川氏の当選に一役買った。

また、自身と司法修習同期(37期)で同じ大阪弁護士会所属で10歳上西村眞悟を尊敬していることも有名で、たかじんのそこまで言って委員会三宅久之と西村眞悟について語ったことも。

なお、05年9月稲田が新人代議士となった時点で、中学3年の息子と中学1年の娘は東京の学校に通っていた。つまり、大阪弁護士会所属ながら東京で生活していたと推察される。

2006年6月3日の産経新聞靖国神社A級戦犯合祀昭和天皇の参拝中止の間に因果関係がない旨の文を発表。2006年8月15日靖国神社において日本会議等が主催した集会では、神道に基づく靖国神社の国家護持を提唱し、「首相の靖国参拝を阻止しようとする忘恩の輩(やから)に道徳・教育等を語る資格はない」と発言。

関連項目

外部リンク

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