日本人のノーベル賞受賞者
日本人のノーベル賞受賞者(にほんじんのノーベルしょうじゅしょうしゃ)では、ノーベル賞を受賞した日本人の一覧を掲載する。なお、受賞対象となった研究成果を挙げた時には日本国籍を有していたものの受賞時点で日本国籍のない受賞者や、受賞を逃した人物、日本にゆかりのある受賞者等も併せて掲載する。

概要
第二次世界大戦終戦後、未だ戦後占領期にあった1949年11月3日(文化の日)、日本人として初めて湯川秀樹が授賞した[1]。広島原爆投下および長崎原爆投下からわずか4年余りしか経ってないにも関わらず、原子力爆弾の基本理論に近しい素粒子理論である「中間子理論」を授賞理由とした湯川は敗戦直後の日本国民に受け入れられ、国民に大いに自信を与えたという[2]。
1901年から始まり2019年に至るノーベル賞の歴史の中で、日本は非欧米諸国の中で最も多い28名の受賞者を輩出しており、このうち3名が受賞時点で外国籍を取得していた。21世紀に入ってからでは、自然科学部門の国別で日本は米国に続く世界第2位のノーベル賞受賞者数となっている[要出典]。ただし、経済学賞を受賞した日本人はおらず、また女性[注 1]や団体および複数回にわたってノーベル賞を受賞した日本人・団体もいない。
受賞者の多くが大学教授などの研究者である中、1973年に民間企業 (IBM) の技術者であった江崎玲於奈が物理学賞を受賞。2002年に民間企業(島津製作所)の技術者であった田中耕一が化学賞を受賞。2014年に青色LEDの開発で赤崎勇、天野浩と共に物理学賞を受賞した中村修二も、民間企業(日亜化学工業)在籍時の高輝度青色LEDの発明・実用化が理由となった。2019年には民間企業(旭化成)に在籍している吉野彰がリチウムイオンバッテリーの開発で化学賞を受賞した。
| 部門 \ 出身・国籍 | 日本出身で 日本国籍 |
日本出身で 外国籍 |
日本関連地出身で 外国籍 |
合計 |
|---|---|---|---|---|
| 物理学賞 | 9 | 2 | - | 11 |
| 化学賞 | 8 | - | 2 | 10 |
| 生理学・医学賞 | 5 | - | - | 5 |
| 文学賞 | 2 | 1 | - | 3 |
| 平和賞 | 1 | - | - | 1 |
| 経済学賞 | - | - | - | 0 |
| 合計 | 25 | 3 | 2 | 30 |
- 各年毎の日本国籍、および、日本関連の外国籍の授賞者数(2019年時点)
(合計:25+5名)
- 物理学賞(9+2名)
- 化学賞(8+2名)
- 生理学・医学賞(5+0名)
- 文学賞(2+1名)
- 平和賞(1+0名)
- 経済学賞(0+0名)
受賞時点で日本国籍の受賞者
現職などは各受賞者の記事を参照。
物理学賞
| 受賞年 | 名前/受賞者の貢献度 | 学歴/受賞理由 | |
|---|---|---|---|
| 1949年 | 湯川秀樹 | 京都帝国大学理学部卒、理学博士(大阪帝国大学) | |
| 1/1 | 中間子の存在の予想[7]。 | ||
| 1965年 | 朝永振一郎 | 京都帝国大学理学部卒、理学博士(東京帝国大学) | |
| 1/3 | 量子電気力学分野での基礎的研究[8]。 | ||
| 1973年 | 江崎玲於奈 | 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学) | |
| 1/4 | 半導体におけるトンネル効果の実験的発見[9]。 | ||
| 2002年 | 小柴昌俊 | 東京大学理学部卒、ロチェスター大学大学博士課程修了 (Ph.D.)、理学博士(東京大学) | |
| 1/4 | 天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献[10]。 | ||
| 2008年 | 小林誠 | 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学) | |
| 1/4 | 小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献[11]。 | ||
| 益川敏英 | 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学) | ||
| 1/4 | 小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献[11]。 | ||
| 2014年 | 赤崎勇 | 京都大学理学部卒、工学博士(名古屋大学) | |
| 1/3 | 高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[12]。 | ||
| 天野浩 | 名古屋大学工学部卒、工学博士(名古屋大学) | ||
| 1/3 | 高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[12]。 | ||
| 2015年 | 梶田隆章 | 埼玉大学理学部卒、理学博士(東京大学) | |
| 1/2 | ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見[13] | ||
化学賞
| 受賞年 | 名前/受賞者の貢献度 | 学歴/受賞理由 | |
|---|---|---|---|
| 1981年 | 福井謙一 | 京都帝国大学工学部卒、工学博士(京都大学) | |
| 1/2 | 化学反応過程の理論的研究[14]。 | ||
| 2000年 | 白川英樹 | 東京工業大学理工学部卒、工学博士(東京工業大学) | |
| 1/3 | 導電性高分子の発見と発展[15]。 | ||
| 2001年 | 野依良治 | 京都大学工学部卒、工学博士(京都大学) | |
| 1/4 | キラル触媒による不斉反応の研究[16]。 | ||
| 2002年 | 田中耕一 | 東北大学工学部卒、工学士(東北大学)、東北大学名誉博士 | |
| 1/4 | 生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発[17]。 | ||
| 2008年 | 下村脩 | 旧制長崎医科大学附属薬学専門部卒、理学博士(名古屋大学) | |
| 1/3 |
緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献[18]。 | ||
| 2010年 | 根岸英一 | 東京大学工学部卒、ペンシルベニア大学博士課程修了 (Ph.D.) | |
| 1/3 | クロスカップリングの開発[19]。 | ||
| 鈴木章 | 北海道大学理学部卒、理学博士(北海道大学) | ||
| 1/3 | クロスカップリングの開発[19]。 | ||
| 2019年 | 吉野彰 | 京都大学工学部卒、工学博士(大阪大学) | |
| 1/3 | リチウムイオン二次電池の開発[20]。 | ||
生理学・医学賞
| 受賞年 | 名前/受賞者の貢献度 | 学歴/受賞理由 | |
|---|---|---|---|
| 1987年 | 利根川進 | 京都大学理学部卒、カリフォルニア大学サンディエゴ校博士課程修了 (Ph.D.) | |
| 1/1 | 多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明[21]。 | ||
| 2012年 | 山中伸弥 | 神戸大学医学部卒、大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了、博士(医学)(大阪市立大学) | |
| 1/2 | 様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製[22]。 | ||
| 2015年 | 大村智 | 山梨大学学芸学部卒、東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了、薬学博士(東京大学)、理学博士(東京理科大学) | |
| 1/4 | 線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見[23]。 | ||
| 2016年 | 大隅良典 | 東京大学教養学部卒、東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得満期退学、理学博士(東京大学) | |
| 1/1 | オートファジーの仕組みの解明[24]。 | ||
| 2018年 | 本庶佑 | 京都大学医学部卒、医学博士(京都大学) | |
| 1/2 | 免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用[25] | ||
文学賞
| 受賞年 | 名前/受賞者の貢献度 | 学歴/受賞理由 | |
|---|---|---|---|
| 1968年 | 川端康成 | 東京帝国大学文学部国文科卒、文学士(東京帝国大学) | |
| 1/1 | 『伊豆の踊子』『雪国』など、日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による叙述の卓越さに対して[26]。 | ||
| 1994年 | 大江健三郎 | 東京大学文学部仏文科卒、文学士(東京大学) | |
| 1/1 | 『個人的な体験』『万延元年のフットボール』など、詩趣に富む表現力を持ち 、現実と虚構が一体となった世界を創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにした功績に対して[27]。 | ||
平和賞
| 受賞 | 名前/受賞者の貢献度 | 学歴/受賞理由 | |
|---|---|---|---|
| 1974年 | 佐藤栄作 | 東京帝国大学法学部卒、法学士(東京帝国大学) | |
| 1/2 | 非核三原則の提唱[28]。 | ||
経済学賞
2018年現在、ノーベル経済学賞を受賞した日本人はいない。
日本出身の受賞者
日本出身(外地を除く)で受賞時外国籍の受賞者
物理学賞
| 受賞年 | 名前/受賞者の貢献度 | 学歴/受賞理由/日本との関係 | |
|---|---|---|---|
| 2008年 | 南部陽一郎 | 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学) | |
| 素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見[11]。 | |||
| 1/2 | 福井県福井市にて生まれ育ち、東京帝国大学を卒業、東京大学で理学博士号取得。ノーベル賞として評価された研究は渡米後のものだが日本国籍の時のものである。その後1970年に49歳でアメリカ国籍を取得した際に日本国籍を失っており、受賞時にはアメリカ国籍。晩年はイリノイ州シカゴだけでなく大阪府豊中市の自宅にも居住していた。 | ||
| 2014年 | ファイル:Shiju.jpg | 中村修二 | 徳島大学工学部卒、博士(工学)(徳島大学) |
| 高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[12]。 | |||
| 1/3 | 愛媛県西宇和郡瀬戸町(現在の伊方町)生まれの大洲市出身(小学校時代に転居)。徳島大学工学部を卒業後、同大学大学院工学研究科修士課程修了。1994年になって徳島大学で博士(工学)の学位を取得。徳島県阿南市の日亜化学工業社員時代に青色発光ダイオードの開発を社長に直訴し、1993年に世界に先駆けて高輝度青色LEDを発明、実用化した。1999年に同社を退職し、2000年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校教授に就任。アメリカで研究を続ける都合により、米国籍を取得[29]。 | ||
文学賞
| 受賞年 | 名前/受賞者の貢献度 | 学歴/受賞理由/日本との関係 | |
|---|---|---|---|
| 2017年 | カズオ・イシグロ | ケント大学卒、M.A.(イースト・アングリア大学) | |
| 感情に強く訴える小説群により、世界とつながっているという我々の幻想に潜む深淵を明るみに出したことに対して[30]。 | |||
| 1/1 | 長崎県長崎市で生まれる。漢字表記は石黒一雄。1960年、海洋学者の父が北海で油田調査をすることになり、一家でイギリスのサリー州ギルドフォードに移住、1978年、ケント大学英文学科卒業。1980年、イースト・アングリア大学大学院創作学科でMaster of Artsを取得。1983年、イギリスに帰化。 | ||
日本にゆかりのある受賞者
化学賞
| 受賞年 | 名前/受賞者の貢献度 | 学歴/受賞理由/日本との関係 | |
|---|---|---|---|
| 1986年 | ファイル:Yuan T. Lee 1-1.jpg | 李遠哲 | 国立台湾大学卒、Ph.D.(カリフォルニア大学バークレー校) |
| 化学反応の素過程についての研究[31]。 | |||
| 1/3 | 大日本帝国領だった台湾出身の台湾人。幼少時は日本国籍を有し日本語を話した。旧帝国大学の一つ、台北帝国大学を前身とする国立台湾大学を卒業後、国立清華大学大学院で学び、カリフォルニア大学バークレー校でPh.D.を取得。 | ||
| 1987年 | チャールズ・ ペダーセン |
デイトン大学卒、S.M.(マサチューセッツ工科大学) | |
| 高選択的に構造特異的な相互作用をする分子(クラウン化合物)の開発と応用[32]。 | |||
| 1/3 | 大日本帝国の保護国だった大韓帝国の東莱郡(現在の大韓民国・釜山広域市)にノルウェー人の父と日本人の母との間に生まれ、良夫という日本名も持つ。8歳まで朝鮮で育ち、教育を受けるために長崎県を経て、10歳で神奈川県横浜市に移り、18歳まで同市にあるセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジで学んだ後、アメリカに渡った。後にアメリカに帰化した。 | ||
ノーベル賞受賞者の出身大学
ノーベル賞受賞者の学位取得大学(人数別)
各日本人ノーベル賞受賞者が一つ以上の学位(学士号・修士号・博士号)を取得した大学(2019年10月時点)
- 東京大学 11(物理学賞5、化学賞1、生理学・医学賞2、文学賞2、平和賞1)
- 京都大学 8(物理学賞3、化学賞3、生理学・医学賞2)
- 名古屋大学 5(物理学賞4、化学賞1)
- 大阪大学 2(物理学賞1、化学賞1)
- 東京理科大学 1(生理学・医学賞1)
- 神戸大学 1(生理学・医学賞1)
- 大阪市立大学 1(生理学・医学賞1)
- 山梨大学 1(生理学・医学賞1)
- 徳島大学 1(物理学賞1)
- 埼玉大学 1(物理学賞1)
- 東京工業大学 1(化学賞1)
- 東北大学 1(化学賞1)
- 北海道大学 1(化学賞1)
- 長崎大学 1(化学賞1)
- カリフォルニア大学サンディエゴ校 1(生理学・医学賞1)
- ロチェスター大学 1(物理学賞1)
- ペンシルベニア大学 1(化学賞1)
- ケント大学 1(文学賞1)
- イースト・アングリア大学 1(文学賞1)
ノーベル賞受賞者の学位取得大学(学位授与数別)
受賞時の博士号取得者は、2019年10月時点で受賞者中23人である。そのうち3人が米国の大学で博士号を取得している。また、3人が日本国外の研究機関在籍中の受賞である。
| 大学名 | 学士 | 修士 | 博士 | 合計 |
|---|---|---|---|---|
| 東京大学 | 8 | 3 | 7 | 18 |
| 京都大学 | 8 | 3 | 3 | 14 |
| 名古屋大学 | 3 | 4 | 5 | 12 |
| 北海道大学 | 1 | 1 | 1 | 3 |
| 東京工業大学 | 1 | 1 | 1 | 3 |
| 徳島大学 | 1 | 1 | 1 | 3 |
| 東京理科大学 | 0 | 1 | 1 | 2 |
| 大阪大学 | 0 | 0 | 2 | 2 |
| 東北大学 | 1 | 0 | 0 | 1 |
| 埼玉大学 | 1 | 0 | 0 | 1 |
| 山梨大学 | 1 | 0 | 0 | 1 |
| 大阪市立大学 | 0 | 0 | 1 | 1 |
| 神戸大学 | 1 | 0 | 0 | 1 |
| 長崎大学 | 1 | 0 | 0 | 1 |
| ペンシルベニア大学 | 0 | 0 | 1 | 1 |
| ロチェスター大学 | 0 | 0 | 1 | 1 |
| カリフォルニア大学サンディエゴ校 | 0 | 0 | 1 | 1 |
| ケント大学 | 1 | 0 | 0 | 1 |
| イースト・アングリア大学 | 0 | 1 | 0 | 1 |
| 合計 | 28 | 14 | 25 | 67 |
ノーベル賞受賞者の出身高校
日本人のノーベル賞受賞者の出身高校は、2019年現在、ほとんどが公立高校である。東京の高校出身で、日本の大学入試で最難関とされる東京大学の出身者のノーベル賞受賞者は、2019年現在、いない。
| 出身高校 | 受賞者 | 賞 | 出身高校 | 高校の都道府県 |
|---|---|---|---|---|
| 1949年 | 湯川秀樹 | 物理学 | 京都府立洛北高校]] | 京都 |
| 1965年 | 朝永振一郎 | 物理学 | 府立洛北高校 | 京都 |
| 1968年 | 川端康成 | 文学 | 府立茨木高校 | 大阪 |
| 1973年 | 江崎玲於奈 | 物理学 | 私立同志社高校 | 京都 |
| 1974年 | 佐藤栄作 | 平和 | 県立山口高校 | 山口 |
| 1981年 | 福井謙一 | 化学 | 府立今宮高校 | 大阪 |
| 1987年 | 利根川進 | 医学・生理学 | 都立日比谷高校 | 東京 |
| 1994年 | 大江健三郎 | 文学 | 県立松山東高校 | 愛媛 |
| 2000年 | 白川英樹 | 化学 | 県立飛騨高山高校 | 岐阜 |
| 2001年 | 野依良治 | 化学 | 私立灘高校 | 兵庫 |
| 2002年 | 小柴昌俊 | 物理学 | 県立横須賀高校 | 神奈川 |
| 2002年 | 田中耕一 | 化学 | 県立富山中部高校 | 富山 |
| 2008年 | 下村脩 | 県立諫早高校 | 長崎 | |
| 2008年 | 南部陽一郎 | 物理学 | 県立藤島高校 | 福井 |
| 2008年 | 小林誠 | 物理学 | 県立明和高校 | 愛知 |
| 2008年 | 益川敏英 | 物理学 | 市立向陽高校 | 愛知 |
| 2010年 | 根岸英一 | 化学 | 県立湘南高校 | 神奈川 |
| 2010年 | 鈴木章 | 化学 | 道立苫小牧東高校 | 北海道 |
| 2012年 | 山中伸弥 | 医学・生理学 | 大阪教育大学附属高校天王寺校舎 | 大阪 |
| 2014年 | 中村修二 | 物理学 | 県立大洲高校 | 愛媛 |
| 2014年 | 天野浩 | 物理学 | 県立浜松西高校 | 静岡 |
| 2014年 | 赤崎勇 | 物理学 | 県立甲南高校 | 鹿児島 |
| 2015年 | 大村智 | 医学・生理学 | 県立韮崎高校 | 山梨 |
| 2015年 | 梶田隆章 | 物理学 | 県立川越高校 | 埼玉 |
| 2016年 | 大隅良典 | 医学・生理学 | 県立福岡高校 | 福岡 |
| 2018年 | 本庶佑 | 医学・生理学 | 県立宇部高校 | 山口 |
| 2019年 | 吉野彰 | 化学 | 府立北野高校 | 大阪 |
受賞に関わった人物
平和賞
受賞を逃した人物
日本人としては、第1回から北里柴三郎や野口英世などが候補に挙がっていたが、受賞者には選ばれなかった。北里に至っては、共同研究者であったベーリングが受賞したにも拘らず、抗毒素という研究内容を主導していた北里が受賞できないという逆転現象が起こっていた。
山極勝三郎と市川厚一は、ウサギの耳にコールタールを塗布し続け、1915年に世界初の人工癌発生に成功したが、1926年のノーベル賞は癌・寄生虫起源説のヨハネス・フィビゲルに授与された[38][39]。現在フィビゲルが提唱した癌・寄生虫起源説は誤りであると考えられている。
世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎は、ドイツ語への翻訳で「世界初」が誤って記されなかったため注目されず、1929年のノーベル賞を逃した[40]。
脊髄副交感神経の発見で1930年代に6度ノーベル賞候補となるも受賞を逃した呉建について、国連大使を歴任した松平康東は、当時日本が枢軸国であったことから受賞に至らなかったとしている[41]。
1970年に大澤映二・北海道大学理学部化学第二学科助教授(当時)はフラーレン (fullerene C60) の存在を理論的に予言したものの、肝心の論文を日本語でのみ発表しており英文では発表していなかったため、1996年のノーベル賞を逃した。この顛末は当時の『ネイチャー』(第384号、96年12月26日発売)にも掲載された[42][43]。
1998年、スーパーカミオカンデでニュートリノ振動を確認し、ニュートリノの質量がゼロでないことを世界で初めて示した戸塚洋二も有力なノーベル賞候補と目されていたが、2008年に死去した。彼の後輩で教え子でもある梶田隆章が2015年に物理学賞を受賞した際には、もし戸塚が生きていれば共同受賞は確実だったと惜しまれた[44]。
文学賞では、読売新聞が2012年3月にノーベル委員会のペール・ベストベリー委員長に取材し、「安部公房は急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」「三島由紀夫は、それ(安部)ほど高い位置まで近づいていなかった。井上靖が、非常に真剣に討論されていた」といったコメントを得たことを報じた[45]。このコメントと上記の守秘義務との関連は不明である。ドナルド・キーンは、ベストベリー委員長が三島由紀夫について、安部ほどは受賞に近づいていなかったと指摘したことについては、「スウェーデン人で国連事務総長を務めたダグ・ハマーショルドが『金閣寺』を高く評価することをスウェーデン・アカデミーに伝えており、その推薦は軽視されないということだった。受賞に大変近かったはずだ」と同記事内で述べている。2014年1月3日、三島由紀夫が1963年度のノーベル文学賞の有力候補6人の中に入っていたことが公式発表された[46][47]。6人の中には、三島の他にサミュエル・ベケットらがおり、その後3人に絞り込まれた際に三島は外れた[48]。1963年度の選考資料によると、委員会がドナルド・キーンに日本の作家についての評価を求めていたことが分かった[49]。当時キーンは、実績を重視し、年齢順に「谷崎潤一郎(76歳)、川端康成(63歳)、三島由紀夫(38歳)」の順で推薦したが、本心では「三島が現役の作家で最も優れている」と思っていたとし、それでも三島よりも谷崎と川端を高く評価したのは、年功序列を意識する日本社会に配慮したからだと説明して、「日本人の中には三島はまだ若いと考える人もいて、もし谷崎と川端を差し置いて受賞すれば、日本の一般市民は奇妙に感じるのではないかと考えた」と2015年4月に明らかにした[49]。
ほかに、2006年頃から、作家の村上春樹がノーベル文学賞の有力候補としてブックメーカーなどの予想に取り上げられ[50]、しばしばメディアにも取り上げられているが[51][52][53][54][55]、2019年現在、受賞していない。
ノーベル賞候補者となった人物
ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務があり、ノーベル財団のウェブサイトでは1966年まで(平和賞のみ1967年まで)の候補者が公表されている。
ノーベル物理学賞では、本多光太郎が1932年の候補に日本人初の候補者に挙がっている。このほか、西島和彦(1960年 - 1961年、1964年、1965年)、中野董夫(1961年)、大貫義郎(1965年 - 1966年)、などがいる。
彼ら以外に坂田昌一は1969年にノーベル物理学賞候補者となっていたことがほぼ確実視されているが、現在公表されているノーベル財団の公式な資料に基づくものではない。
ノーベル化学賞では、1911年に秦佐八郎が日本人初の候補者に挙がっている。このほか、鈴木梅太郎(1936年)、朝比奈泰彦(1951年 - 1952年)、油脂化学を専門とした外山修之(1958年)、水島三一郎(1962年、1964年)、九州大学名誉教授の山藤一雄(1964年)などがいる。
ノーベル生理学・医学賞では、1901年に北里柴三郎が日本人初の候補者に挙がっている。このほか、秦佐八郎(1912年 - 1913年)、野口英世(1913年 - 1915年、1920年 - 1921年、1924年 - 1927年)、鈴木梅太郎(1914年)、1919年に稲田龍吉と井戸泰が共同候補者となり、山極勝三郎(1925年 - 1926年、1928年、1936年)、加藤元一(1928年、1935年、1937年)、呉建(1931年、1933年、1935年 - 1937年、1939年)、佐々木隆興(1935年 - 1936年、1939年、1941年)、市川厚一(1936年)、久野寧(1936年、1938年、1953年)、石原誠(1939年)、鳥潟隆三(1939年)、大阪大学名誉教授の黒津敏行(1952年)、勝沼精蔵(1953年)などがいる。
ノーベル文学賞では、賀川豊彦が1947年・1948年の2度候補に挙がっている[56]。ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務があり、ノーベル財団のウェブサイトでは1965年までの候補者が公表されている[57]。2009年、朝日新聞がノーベル財団に50年以上経過した過去の情報公開を請求した結果、賀川の後は1958年に谷崎潤一郎と西脇順三郎が候補となっていたことが確認された[58]。さらに、谷崎と西脇は1960年から1962年にも候補者となっていたことが、公開された日本の外務省公電からの間接的な形で2010年に研究者によって確認され[59]、2013年に読売新聞によるスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求の結果としても裏付けられた[60]。また、同じ情報公開請求では1968年に受賞した川端康成が、1961年と1962年に候補者となっていたことも明らかになった[61]。後述する2014年の資料公開で、川端・谷崎・西脇の3人は1963年にも候補者となっていたことが判明している[62]。2015年1月、共同通信社の資料公開請求に基づく開示により、1964年度も前年同様に谷崎・川端・西脇・三島の4人がノミネートされ、そのうち谷崎潤一郎は1960年度に続き最終選考6人の中に含まれていたことが明らかになった[63]。2016年1月にはやはり共同通信社の資料公開請求に基づく開示で1965年度についてはこの年7月に亡くなった谷崎を含む前年と同じ4人がノミネート対象となり、スウェーデンアカデミーは「谷崎亡き後、川端が日本人候補者の中で最有力だ」としたものの、日本人4人は最終選考に残っていなかったことが明らかにされた[64]。2017年1月、読売新聞による資料公開請求に基づく開示で、1966年度は川端と西脇が候補となり、川端はノミネート以来初めて最終選考対象6人に残っていたことが明らかになった[65]。この年の選考に際しては伊藤整が意見書を寄せていたことも判明している[65]。
ノーベル平和賞では、1909年に有賀長雄が日本人初の候補者に挙がっている。渋沢栄一(1926年 - 1927年)、賀川豊彦(1954年 - 1956年、1960年)、岸信介(1960年)、鈴木大拙(1963年)、吉田茂(1965年 - 1966年)、湯川秀樹(1966年)が候補となっていたことがノルウェー・ノーベル委員会の公表した資料により明らかになっており[66][67][68]、吉田については関係者の残した手記などから1967年にも推薦が行われたとみられていた[66]。2018年1月にノーベル財団がウェブサイトに公表した1967年度の候補者リストに吉田の名前があり(推薦者は栗山茂ら)[69]、推測が裏付けられた。
日本にゆかりのある候補者としてはリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーがいる。クーデンホーフ家とカレルギー家が連携した伯爵一族クーデンホーフ=カレルギー家の人物で、東京生まれのオーストリアの国際的政治活動家。母はクーデンホーフ光子。日本人名の幼名を持ち、その名は、青山 栄次郎(あおやま えいじろう)。汎ヨーロッパ連合主宰者として汎ヨーロッパ主義(パン・ヨーロッパ主義)を提唱し、それは後世の欧州連合構想の先駆けとなった。そのため欧州連合の父の一人に数えられる。何度もノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。
日本における賞金にかかる所得税の扱い
日本人がノーベル賞受賞に際して受け取った賞金は、所得税法第9条13号ホに基づき、ノーベル経済学賞を除き非課税となる(「ノーベル基金から支出される賞金」と規定されており、スウェーデン国立銀行から賞金が支出される経済学賞は同法第9条13号の対象外で同法第9条第13号ヘの財務大臣の指定[70]も受けていないため課税対象)。これは湯川秀樹がノーベル賞を受賞した時、賞金に課税されることに世論の反発が起こり、1949年11月24日に、「贈与(個人からの贈与及び個人以外のものからの贈与のうち、学術、技芸、慈善その他文化的又は社会的貢献を表彰するものとして交付する報奨金品)を非課税とする」と所得税法が改正された結果である。
脚注
注釈
出典
- ^ 「妻の支え」で得たノーベル賞 渡部裕明(産経新聞 2014年4月16日)
- ^ もう一度読みたい <初のノーベル賞 湯川秀樹1>敗戦国日本 受賞に沸く(毎日新聞 2015年11月9日)
- ^ a b “授賞式でサーローさんら演説 ICANにノーベル平和賞”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2017年12月10日) 2017年12月14日閲覧。
- ^ a b “サーローさん「核兵器は絶対悪」…平和賞授賞式”. 読売新聞 (読売新聞社). (2017年12月11日) 2017年12月14日閲覧。
- ^ a b “ノーベル平和賞 授賞式 サーローさん「核兵器は絶対悪」”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2017年12月10日) 2017年12月14日閲覧。
- ^ a b “平和賞受賞式でサーローさん演説”. [中国新聞]] (中国新聞社). (2017年12月12日) 2017年12月14日閲覧。
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- ^ [1]「三島、63年ノーベル賞候補 最終6人に残り、あと一歩」(共同通信 2014年1月3日付)[2]
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- ^ a b ノーベル文学賞 キーン氏に評価尋ねる(NHKニュース 2015年4月1日付)
- ^ 村上春樹氏、ノーベル文学賞14度目も逃す…2年分発表“ダブルチャンス”も、スポーツ報知、2019年10月11日 6時13分。
- ^ 村上春樹がノーベル賞を取れない理由 海外メディアが分析 - ハフィントンポスト、2013年10月8日
- ^ 今年も村上春樹は取れなかった 書店員が見たノーベル文学賞をめぐる狂騒曲 - 田中大輔、日経ビジネスオンライン、2013年10月15日
- ^ 「村上春樹はノーベル文学賞をいつとるのか」についての考察 - NEWSポストセブン、2014年10月12日
- ^ 村上春樹はノーベル賞を受賞できるか - 鵜飼哲夫、読売オンライン、2016年10月11日
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- ^ 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学」『地域政策研究』高崎経済大学地域政策学会、第12巻4号、2010年、p21 - 43[3]
- ^ 谷崎潤一郎と西脇順三郎、ノーベル賞候補に4回 読売新聞2013年1月14日
- ^ 川端が候補になっていたことについては、この報道以前にも上記吉武信彦の論文や2012年にNHKが行った1961年分の情報公開請求(川端康成 ノーベル賞選考で新資料 NHKニュース 2012年9月4日閲覧)で示されていた。
- ^ 三島由紀夫、ノーベル文学賞最終候補だった 63年 日本経済新聞2014年1月3日(共同通信配信)
- ^ 64年ノーベル文学賞:谷崎、60年に続き最終選考対象に - 毎日新聞2015年1月3日
- ^ “ノーベル文学賞の65年選考「川端康成、谷崎亡き後の最有力」 三島由紀夫「将来的に検討されるべきだ」とも”. 産経新聞. (2016年1月5日) 2016年2月2日閲覧。
- ^ a b “川端康成、ノーベル賞受賞の2年前に最終候補”. 読売新聞. (2017年1月3日) 2017年1月3日閲覧。
- ^ a b 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学―ノーベル平和賞と日本:1960年代前半の日本人候補― (PDF) 」『地域政策研究』第17巻2号、高崎経済大学、pp.1 - 23
- ^ 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学――ノーベル平和賞と日本:吉田茂元首相の推薦をめぐる1966年の秘密工作―― (PDF) 」高崎経済大学地域政策学会、2016年
- ^ Nomination Database - ノーベル賞公式サイト
- ^ Shigeru Yoshida - Nomination Database(ノーベル賞公式サイト)
- ^ 所得税法第九条第一項第十三号ニ又はヘに規定する団体又は基金及び交付される金品等を指定する件
関連項目
- ノーベル財団
- アルフレッド・ノーベル
- 帝国大学#ノーベル賞およびフィールズ賞
- 国道41号 - ノーベル賞受賞者と関係の深い場所を通っているため、ノーベル街道と呼ぶ動きがある。
- 文化勲章 - 未受章者がノーベル賞を受賞した場合は同勲章が贈られる。