鮫島慶彦
日本の政治家
鮫島 慶彦(さめしま けいひこ、1865年(慶応元年9月) - 1928年(昭和3年)10月4日)は、日本の政治家。
鮫島 慶彦 | |
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生年月日 | 1865年9月 |
出生地 | 鹿児島県 |
没年月日 | 1928年10月4日 |
前職 | 鹿児島県議会議員 |
所属政党 | 政友会 |
当選回数 | 1回 |
概要
慶応元年、鮫島郷兵衛の次男として薩摩国加世田に生まれる。東京の二松学舎で漢学をまなび、帰郷後、村議、鹿児島県会議員をへて、立憲政友会県支部長となり、1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙で当選し衆議院議員を1期つとめる。1912年(明治45年)南薩鉄道を創立し、社長をつとめる。社長職は無報酬で、自らつるはしをふるい、1914年(大正3年)、伊集院駅-伊作駅間が開通する。また万瀬発電を完成させ、川辺、日置、指宿に電灯をともした。1928年10月4日死去。64歳。
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。