熊坂台州
江戸時代中期から後期にかけての儒学者
熊坂台州(くまさかたいしゅう,1739年4月23日-1803年3月21日)は江戸時代中期-後期の儒学者、漢詩学者。名は定邦。字は子彦。[1]
概要
1739年(元文4年)、陸奥伊達郡保原町の豪農の子として生まれる。父に同じ漢詩学者で名勝高子二十境を生み出し、また寺子屋である白雲館を設立した覇陵、子に盤谷を持つ。1792年(寛政4年)、二翁事(花咲爺)、蟹猿事(猿蟹合戦)、桃奴事(桃太郎)を漢文詩にまとめた本を出版。[2]
著作
- 西遊紀行
- 魚籃先生春遊記
- 信達歌
脚注
- ^ 第三版, デジタル版 日本人名大辞典+Plus,大辞林. “熊坂台州(くまさか たいしゅう)とは”. コトバンク. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “福島の児童文学者、熊坂台州”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。