ショファイユの幼きイエズス修道会

これはこのページの過去の版です。Mshide39 (会話 | 投稿記録) による 2020年8月30日 (日) 08:07個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (逸話: リンクの追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ショファイユの幼きイエズス修道会(略語、EJ)は、カトリック教会の女子修道会

1859年、レーヌ・アンティエによってフランスブルゴーニュ地域圏ソーヌ=エ=ロワール県ショファイユで創立されて、フランスを中心にカナダ日本ドミニカ共和国チャドカンボジアハイチなど世界各国で福祉、教育で活動している。

日本での活躍

1877年ベルナール・プティジャン司教の招聘によって4名の修道女が来日し、神戸京都大阪長崎熊本の各都市を拠点にして、主に女性の教育、孤児や老人、ハンセン病患者の世話に従事してきた。第二次世界大戦、長崎の原爆の戦災で邦人修道女らが犠牲になった。現在、兵庫県宝塚市仁川を拠点に、上記各都市のほか東京和歌山久留米鹿児島県奄美大島を含む)、沖縄県、さらに海外ではカンボジアシェムリアップやカンポートに会員を派遣し、女子教育や幼児教育(幼稚園)、福祉などで活躍をしている。

教育

福祉

逸話

  • 大浦天主堂での「隠れキリシタンの発見」(信徒発見)の歴史的瞬間に立ち会ったことで有名なベルナール・プティジャン司教は、ショファイユの幼きイエズス修道会の創立時期の1858年から1859年まで、フランス・ショファイユの修道院付司祭であった。
  • 大阪信愛女学院短期大学(現在の大阪信愛学院短期大学)が開学した1959年はショファイユの幼きイエズス修道会の創立100周年にあたる。

関連項目

外部リンク